主イエスの再臨をお迎えした
「主とお会いすることは、すべての信者の最大の望みです。主の恵みによって、私は主イエスの再臨をお迎えし、主への感謝の気持ちでいっぱいです」。夜です。明るい月光が窓から部屋に注ぎ込んでいます。灯りの柔らかい光の下で、エイミーは自分が主イエスの再臨をお迎えした体験談をすばやくキーボードを打ちながら書いています。神の彼女への愛と救いを思い、エイミーは立ち上がって静かに窓辺へ行き、満月を見つめながら過去を振り返ります。
教会の荒廃、無力感と混乱
エイミーは仕事のためにアメリカに来るまで主を信じていませんでした。信仰を得てからの数年間は、どんなに仕事で疲れていても毎週日曜日には必ずミサに行き、神父の説教を真剣に聞きました。主の愛を心で感じ取り、教会の仲間たちとは家族のように助け合い、支え合っていました。しかし時が経つにつれて、説教が決まり文句の繰り返しであることにだんだん気づきました。いつも同じ聖書の知識と神学の話で、新たな照らしなど何もなかったのです。エイミーは何年もの間カトリック教徒でしたが、宗教の規則や儀式をいくつか守る以外には、主の御心が何であるかや、主の言葉にいかに従うべきかについては一切理解していませんでした。霊のいのちのための養いをまったく受けなかったのです。わからないことがあっても神父に相談しようなどとはしませんでした。なぜなら、神父はお金を一番多く寄付した人や地位のある人でなければ評価せず、話をしたがらないことに気づいたからです。彼女のような一般の教区民に対しては、質問に答えてくれるどころか何の関心も示さなかったのです。エイミーをさらに落胆させたのは、ある神父が年長の教区民と意見の相違で衝突し、なんと彼を他の教区民の前で叱りつけたことでした。それ以来、その人は教会に行くのをやめてしまいます。エイミーが知ったのは、神父は表向きは敬虔に見え、いつも霊的な原則の話をし、人には謙虚で辛抱して主の道に従うようにとよく説いているけれど、実生活での行いは全然違い、非常に偽善的だということでした。彼女はまた、教会がまるで世間のようであることにも気づきました。教区民の関係は各人の自己利益に基づいていました。彼らは商品を売り込んで商業を行うために自分たちの人脈を利用することには非常に熱心でしたが、そうでなければ大概お互いに警戒し合い、とても冷たく接していました。エイミーにはそこに愛のかけらも感じられませんでした。教会の無法な側面をますます多く見るにつれて、彼女の最初の熱心さは冷水がかけられたように徐々に冷めていきました。やがてエイミーは教会に行く気をなくし、行っても他の人たちのように眠くなることがありました。この事態は変わらず、エイミーは非常に狼狽し、無力感を抱き途方に暮れました。何度も主に祈りましたが、返事はありませんでした。「どうして教会は世間のようになったの。主が私たちと共におられることをどうして感じられないの」と混乱していました。
混乱を解消し、主イエスの再臨を迎える
2017年12月のある日、エイミーは公園で同級生のスーザンとばったり会いました。スーザンも何年も前から信者です。おしゃべりをするうちに、エイミーは自分の混乱の気持ちを伝えました。スーザンは自分も同じ経験をしたけれど、ある友人の説教を聞いてやっと解決されたと話しました。そしてエイミーを「一緒に礼拝しましょう」と誘い、エイミーは喜んで誘いを受けました。
寒い12月でしたが、明るく晴れた日で、日差しが暖かく感じられました。スーザンはエイミーを友人の家での説教に連れて行きました。説教者は李(リー)兄弟でした。彼は聖書を熟知しており、彼の交わりは実に啓蒙的でした。エイミーは心が明るくなるのを感じました。それから長い間心の中で鬱積していた混乱を打ち明けたのです。「神父や指導者は何も説教することがなく、兄弟姉妹は信仰に欠けていて、私はいのちの糧を少しも得られていないようなのはなぜですか。教会がとても荒れ果てている本当の理由は何でしょうか」。李(リー)兄弟はにっこり笑って言いました。「エイミー、あなたが取り上げた問題は本当に重要です。それは私たちが聖霊の働きに追いつき、主イエスの再臨をお迎えすることができるかどうかに直接関係しています。私たちが終わりの日の最終段階にあり、宗教において多くの不法行為が起きていることは誰もが知っています。神父や指導者は主の戒めを守っておらず、主の御言葉を実践してもいません。ただ宗教儀式を行い、先代から伝わったこと守っているだけです。教会を宗教儀式を行う場所に変え、自分たちの任務と本分を地位の獲得と生計を立てる道具としてきました。表向きは敬虔で辛抱強く、謙虚に見えますが、本質においては偽善者です。宗教界の神父や指導者はなにかと聖書の知識や神学を広めます。その目的は誇示することです。主を高く掲げたり証ししたりはこれっぽちもしません。主の御言葉と人類への要求を証しせず、完全に主の道から外れて、ただ教区民を自分の元に集めるだけです。宗教界は人間、パリサイ人の支配下に置かれました。神はそれを厭われ、取り除かれました。これが宗教界が荒廃した理由の一つです。もう一つの理由は、聖霊の働きが移ったことです。主はすでに再臨しておられ、終わりの日に新たな段階の働きをなさいました。神は真理を表して、サタンによって堕落した人間を徹底的に救うために受肉して地上に来られたのです。それは聖書で述べられた通りです。『さばきが神の家から始められる時がきた』(ペテロの第一の手紙4:17)『たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう』(ヨハネによる福音書12:47−48)これらの聖句では、主は再臨されたとき、私たちが救いと清めを得て天国に入れるように、裁きの働きを行い、私たちの堕落したサタン的な性質を清めて私たちを罪の束縛から救う、と言われています」
エイミーはこれを聞いて非常に興奮し、「本当なのかしら。主イエスが本当に戻られたなんて」と思い、李(リー)兄弟の交わりを一言も聞き逃さないよう一層熱心に耳を傾けました。そして李(リー)兄弟は交わりを続けました。「今や再び受肉なさった主イエス、全能神がすでに地上に来られ、私たちが救いを得るために必要な真理をすべて表されました。終わりの日の神の働きを受け入れる人々をすべて清めるために、神の家から始まる裁きの働きをなさったのです。聖霊の働きはそれに応じて、終わりの日の神の働きを受け入れた人たちに移りました。終わりの日における神の裁きの働きを受け入れた人々は、聖霊の働きを得て、神の御前に引き上げられ、子羊の祝宴に出席し、いのちの水に潤され、養われています。宗教の場にはまり込み、終わりの日の神の働きを受け入れることを拒んだ人々は、終わりの日の神の救いを失って、暗闇と荒廃に陥りました。宗教界が現在荒廃しているのはこのためです。旧約聖書に記録されている律法の時代の後期と同じです。かつて神の栄光に満ちていた神殿が荒れ果て、単なる商いの場となりました。強盗の巣となったのです。これは二つの理由で引き起こされました。一つは、神殿内で神に仕えていた宗教指導者が神の戒めを放棄し、神の律法を犯したことです。単に自分たちの宗教伝統を守っただけで、神の御言葉には従いませんでした。神を畏敬する心は微塵もなく、神の道から外れ、神の呪いと懲罰を受けました。もう一つの理由は、主イエスが神殿の外で新たな段階の働きを行われていたことです。主は恵みの時代を開かれ、律法の時代を終えられました。聖霊の働きはすでに主イエスの贖いの働きに移っていたのです。このため、主イエスの働きを受け入れた人々がそれに応じて聖霊の働きを受けたのに対し、神殿内に留まって主イエスの働きに抵抗し、それを非難した人々は、当然捨てられ、聖霊の働きから排除されたのです」
李(リー)兄弟の交わりを聞いた後、エイミーは言いました。「教会は商いの場になっていますし、聖霊の働きはありません。律法の時代の終わり頃の神殿とまったく同じ状況です。それは神父たちが教会を宗教儀式の場に変えたからだと今わかりました。彼らは人々を神の御言葉に従うように導かないで、代わりに教区民を自分たちの元に集めます。これが神の嫌悪を招いたのです。それに、神が今や新たな働きをなさったというのに、私たちは神の歩みに追いついていないからでもあります」
李(リー)兄弟はうなずき、「これはすべて全能神の御言葉ではっきり説明されています。仰せられていることを読みましょう」と言うと、パソコンの電源を入れて、全能神の御言葉から二節を読みました。「神はこの事実を成し遂げる。彼は全宇宙のすべての人々を彼の前に迎え、地上の神を礼拝させる。他の場所での神の仕事は終わり、人々は真の道を求めなければならなくなるだろう。それはヨセフのようだ。みな食べ物を求めて彼のもとを訪れ、頭を垂れた。彼は食べ物を持っていたためである。飢饉を避けるために、人々は真理の道を求めなければならない。宗教界全体が飢えており、今日の神のみが、人の喜びのために提供される、枯れることのない生ける水の泉であり、人々は彼のもとに来て彼を頼るだろう。」(『神の出現と働き』「千年神の国が到来した」〔『言葉』第1巻〕)「全宇宙における神のすべての働きは、この一群の人々に焦点を当てている。神はあなたがたにすべての努力を注ぎ、あなたがたのためにすべてを犠牲にした。そして全宇宙における聖霊のすべての働きを取り戻し、あなたがたに与えたのだ。それが、あなたがたは幸運なのだとわたしが言う理由である。さらに神は、自らが選んだイスラエルの民から自分の栄光をあなたがたへと移した。それはあなたがた一団を通して、神の計画の目的を全て明らかにするためである。それゆえ、あなたがたは神の嗣業を受ける者、更には神の栄光の継承者となるのだ。」(『神の出現と働き』「人が想像するほど神の働きは簡単なものか」〔『言葉』第1巻〕)
李(リー)兄弟は交わりを続けました。「全能神の御言葉から、神は全宇宙における聖霊の働きをすべて引き戻され、終わりの日における神の働きを受け入れた人々の中で今や働かれていることを私は理解しました。この人々は神にあらかじめ選ばれており、本当に真の道を求めている人々です。これが、宗教界が聖霊の働きを失い、荒廃した理由です。なぜ神はこうなるようになさったのでしょうか。この荒廃が起こった後、かなりの数の敬虔な真の信者が聖霊の働きのある教会を求めて、神の歩みのしるしを求めて、さまざまな教会に通い始めたことを私たちは皆見てきました。聖霊に導かれて、そのうちの何人かが「神がすでに戻られた」という知らせを聞き、全能神の終わりの日における働きを学び始めました。神の御声を聞き、神の御座の前に引き上げられ、子羊の祝宴に出席したのです。神の御言葉通りです。『人々は真の道を求めなければならなくなる』『全宇宙における神のすべての働きは、この一群の人々に焦点を当てている……それゆえ、あなたがたは神の嗣業を受ける者、更には神の栄光の継承者となるのだ』これは、宗教界におけるこのひどい荒廃には神の御厚意がこめられていることを示しています。これを通して、真理を愛し、神の再臨を切望する真の信仰者たちが荒れ果てた宗教界をすぐに離れ、神の御心を求め、子羊の足跡に付き従い、神の御座の前に立ち返るように、神は強いておられるのです。私たちへの神の愛と救いがここにあります。神はとても心優しいのです。もし聖霊の働きを得て生ける水を経験したいのであれば、宗教指導者による惑わしと束縛から自分自身を解放し、終わりの日の神の働きを求め学ばなくてはなりません。神の現在の働きに追いつくことによってのみ、私たちの魂の暗い状態が解消されえるのです。頑に宗教の教会にしがみつけば、いつまでも暗闇の中で生き、聖霊の働きに取り除かれてしまいます」
エイミーはこれを聞いて初めて、宗教界の荒廃の背後には神の御心があり、主はそれを用いて私たちがもっと早く聖霊の新たな働きを求め、主イエスの足跡に付き従うようになさっていることを理解しました。その瞬間、「神は私たちを見捨てず、私たちが神の御座の前に立ち戻れるようにあらゆる方法で救おうとなさっている」と悟ると、エイミーは深く感動しました。主の私たちへの配慮と気づかいを、そして責任感と愛を感じたのです。涙が湧き上がるのを止められず、視界がかすみました。
エイミーは、「終わりの日の全能神の働きのことはよくわからないけど、学んでみる価値のある道だ」と感じました。
その後、全能神の御言葉を読み、李(リー)兄弟の交わりを聞くことで、エイミーは様々な真理を理解するようになりました。それは、聖書の内幕、神の受肉の奥義、神が人類を救うための三段階の働きからなる経営計画、神が新たな働きの段階ごとに御名を変えられる意義、終わりの日の神の裁きの働きがいかに人々を清め、変え、完全にするか、人類の将来の結末と終着点などです。彼女は今までに理解したことのない多くの真理を理解し、霊における大きな喜びを感じ、「全能神の御言葉は真理であり、権威と力があり、神の御声であり聖霊から諸教会への言葉だ」と心の中で確証しました。全能神こそが再臨された主イエスであり、終わりの日のキリストの出現であると断定したのです。
サタンの妨害、疑念に沈む
まもなくして、エイミーは自分の子供を姉の家に連れて行ったとき、姉に終わりの日の全能神の働きのことを知っているかと尋ねました。姉は神経質そうに彼女を見つめると、「言っとくけど、東方閃電を信じちゃだめよ」と言いました。次に姉は、中国共産党政府が全能神の教会について捏造したあらゆる噂をエイミーに告げました。それを聞いた後、エイミーはとても真剣に言いました。
「どんなことでも、自分が分かってないことをしゃべるべきじゃないわ。人の話をただ繰り返さないで。全能神教会のことを理解せずに盲目的に判断したり非難したりしていいのかしら。キリスト教徒として、私たちは神様を畏れる心を持って、言葉を慎むことができるようになるべきよ」
姉はこれを聞いて機嫌を損ね、厳めしい顔で、「警告してるだけよ。ネットを見て自分で調べなさい」と言いました。姉の真剣な表情を見て、エイミーは「お姉さんの話は本当なのかしら。ネットで見てみないと」と思わずにいられませんでした。実際にネットでは、5月28日招遠市マクドナルド殺人事件を含む、想像していなかった噂をたくさん目にし、怖くなって思いました。「招遠事件は本当に中国共産党の話の通りに起こったのかしら。東方閃電の信者には本当にこんなことができたの。私の信仰は本当に真の道なのかしら。間違っていたらどうしよう」エイミーは少し困惑しましたが、そのとき、自分で読んだ全能神の御言葉をすべて思い起こしました。それは誰にでも思いつけるような言葉ではありませんでした。確実に真理であり、神の御声でした。神から来たのです。それから彼女は全能神教会の兄弟姉妹との交流での多くのことを思いました。皆がとても敬虔で、純粋で誠実であるのを彼女は見てきました。堕落を明らかにしたり、何か間違ったことをしたりした人は誰でも自己認識のために集会でそれを打ち明け、神の御言葉に従って分析し、神の御言葉の裁きと刑罰を、また兄弟姉妹による刈り込みと取り扱いを受け入れます。彼らには神を畏敬する心がありました。そんな人々にどうして殺人を犯せるのでしょうか。エイミーはそのときの深刻な心の葛藤に直面していました。間違った道を歩んでいないかと恐れましたが、主イエスの再臨による救いのチャンスを逃すことも恐れました。彼女はそこでスーザンに電話して、「5月28日招遠マクドナルド事件の真相を知るために全能神教会で兄弟姉妹と話をしたい」と言いました。
欺瞞を見抜き、決心を更に固める
集会で兄弟姉妹は、明(ミン)鏡(ジン)火(フオ)拍(パイ)[訳注-YouTubeのニュースチャンネル]の「贾(か)春(しゅん)旺(おう)、全能神教会包囲を指示。第807計画がいわゆるマクドナルド殺人の発端か」と、全能神教会が制作した「五二八山東招遠事件の背後で暴かれた真実」という二本の動画をエイミーに見せてくれました。この二本の動画を見た後、エイミーは中国共産党が広めた噂についてある程度の識別力を得ました。招遠事件は中国共産党が家庭教会と全能神教会を根絶するためにでっちあげた偽事件に他ならず、教会が行なったことでは決してなく、中共がただ教会を陥れるためにしたことであると彼女は知ったのです。李(リー)兄弟が交わりで述べました。「中国が独裁政権であり、一党の支配下にあることは周知の通りです。中国の主要メディアは中国共産党の代弁者に過ぎず、特に党の裁判官は中国共産党政府の望み通りに事件を処理しなければなりません。自主性がないのです。中国共産党の裁判所で審理された事件が公平に扱われることがありえると本当に思いますか。私たちは何年もこの国に住んでいました。中国共産党による誤審がどれだけあったかは誰もが知っていると思います。山東招遠事件が法廷で審理されたとき、事件の刑事容疑者は『国が取り締まるのは趙(チャオ・)维(ウェイ)山(シャン)の全能神であり、私たちの全能神ではない』、『私は全能神教会とは関わったことも組んだこともない』と非常にはっきり供述しています。彼ら自身が自分たちは全能神教会の者ではない、教会とは何の関係もないと言ったのです。しかし、中国共産党の裁判官はそれでも彼らの証言を無視し、事実に反して、『容疑者は全能神教会に所属している』と何の証拠もなしに判断しました。裁判官は教会を非難すると決めていたのです。これは中国共産党が意図的に事実を歪め、全能神教会を陥れ、中傷しているのではないでしょうか」
この兄弟の話を聞いて、エイミーは招遠事件のことを思い返し、なるほどとうなずいて言いました。「そうですね。裁判官は事実に基づいて判決を下さなくてはならないのは、法律の基本がわかる人なら誰でも知っていますが、この中国共産党の裁判官はあからさまに事実に反しています。これは本当に怪しいです。招遠裁判が放送されてすぐに多くのネチズンがこの事件のあらゆる不審な点を投稿で指摘したのも不思議ではありません。招遠事件は中国共産党政府が全能神教会を抑圧するために仕組んだのですね」
趙(チャオ)姉妹が交わりで述べました。「中国共産党の歴史を理解している人なら誰でも、中共が宗教信仰や民主化運動、人民の権利の擁護や少数民族の抗議運動を暴力で抑圧するときはいつも、先ず偽の事件を作り世論を扇動し、国民をそそのかしてから、残虐なやり方で弾圧することを知っています。これは中共の常套手段です。誰もが知っている天安門運動と同じです。あれは学生による反汚職、民主化運動として始まりましたが、中共は不審人物を何人か送り込んで学生のふりをさせ、学生のあいだに潜入させました。彼らはただ混乱を起こすために人を殴り、物を壊し、店を略奪し、火事を起こし、軍用車両をひっくり返しました。そしてそれらの犯罪を学生の責任にして、学生の運動が反革命的な暴動だと言ったのです。それは学生を抑圧する根拠として世論を利用するためでした。その後、中国共産党は学生に対して残虐な弾圧戦術を行使し、その結果少なくとも何千人もの学生が射殺され戦車で押しつぶされました。中国と世界に衝撃を与えた天安門広場事件はこうして作られたのです。中国共産党がチベットと新疆の人々の抗議と行進を鎮圧したときも同様です。先ず共産党は数名の人に偽の事件を捏造するように扇動してから、その事件を用いて特定の集団の信用を傷つけ、名を汚します。最後には暴力で抑圧します。これらは共産党が反体制派の根絶のために常に用いる卑劣な戦術です。このことから明らかなように、山東招遠事件は中国共産党が全能神教会を残忍に抑圧し迫害するために世間の論議の根拠を作り出したのであり、共産党は宗教信仰の迫害という重大な罪をまた一つ犯したのです」
李(リー)兄弟は続けて言いました。「それでは、なぜ中国共産党が全能神教会をこのように弾圧し、抑圧しているのでしょうか。それは受肉された全能神が現れて働きをなさり、数百万語もの御言葉、『言葉は肉において現れる』を発されたからです。あらゆる教派における、真理を愛し、光を熱望する人々が全能神の御言葉を読み、『それらはすべて真理であり、力と権威があり、全能神は終わりの日のキリストの出現であり、再臨された主イエスだ』と断定しました。このような人々が次々と終わりの日の全能神の働きを受け入れました。特に近年では、全能神の御国の福音は他の国々や地域にもどんどん広がり、教会の新しい支部が設立されています。ますます多くの人が全能神の御言葉を広め、証しをしています。全能神教会の急速な発展により、中国共産党は慌てふためきました。彼らが最も懸念しているのはキリスト教徒が神の出現と働きを証しすることです。真理が広められるのを恐れ、中国人民が神を受け入れ、全能神の御言葉を通して真理を理解したならば、中国共産党の悪魔的な本質を見抜き、党を完全に拒絶し、壊滅に追いやることを最も恐れています。中国共産党政府が全能神教会を躍起になって弾圧し迫害しているのはこのためです。彼らは教会を陥れて中傷するためにありとあらゆる噂を作り出しただけでなく、機密文書を発布して武装警察や兵士を多数動員し、全国各地の教会とキリスト教徒を躍起になって弾圧し、逮捕し、迫害しました。山東招遠事件は、中国共産党による言いがかりの典型的な一例にすぎません。彼らが手間暇かけて全能神教会に招遠事件の濡れ衣を着せた目的は、教会に対する世間の非難の根拠を築くことで、教会の弾圧と排除を「正当に」行えるようにすることです。それはまた人民をだまし、人々が全能神を否定して神の救いを受け入れることを拒むように扇動するためでもありました。これで人民はいつまでも中国共産党の支配下に留まり、無神論地帯が中国に築かれ、そこでは党が永久に権力を維持して人民を支配しますが、ついには全世界を制すという野望さえ実現することもありえます。中国共産党は天に背き、正しい原則に歯向かい、神の敵であると同時に、真理と正義に敵対しています。しかし、神の知恵がサタンの策略の上に働き、中国共産党によるこの狂った抵抗を通して、サタンの醜い顔が白日の下にさらされました。それで私たちはその邪悪で反動的な本質を見極め、中国共産党が神に抵抗し真理を憎むサタン悪魔であることをはっきりと知ることができます」
スーザンは言いました。「そうです。彼らの隠蔽と欺瞞は長続きしません。暗い雲には太陽を隠せません。嘘はいつも嘘であり、真理にはなれません。中国共産党はここ何年もの間、嘘を捏造しており、あちこちでますます悪名高くなっています。中国共産党の裁判所で審理された訴訟には少しも信憑性がありません。分別のある人なら誰でも彼らの陰謀を見破れます」
中国共産党の悪しき動機をはっきり知った後、エイミーは憤慨して言いました。「中国共産党政府は本当に邪悪で、実に忌まわしいです。どんな卑劣な行動も辞しません。神にそこまで敵対するのなら確実に神の義なる罰を受けるでしょう。ああ、今思えば、私は本当にとても愚かで無知でした。判断力に欠けて、サタンの策略に危うくはまるところでした」
趙(チャオ)姉妹が言いました。「実のところ、話を戻しますと、全能神教会の信者が実際に法律を破ったとしても、それが全能神の出現と働きにどう関係があるというのでしょうか。教会と関係がありますか。カトリック教徒が犯罪を犯したら、それはカトリック教と関係があるでしょうか。それだけの理由でカトリックの神が真の神であることを否定できますか。主イエスの弟子の一人、ユダが主を裏切った時と同じです。だからといって主イエスが真の神ではなかったと疑っていいのでしょうか。宗教を信じる者がどんな犯罪を犯したとしても、どんな法的制裁を受けたとしても、その人の教会とは無関係です。これは一般常識です。全能神の働きが真の道であるかどうか、この方が神の出現であるかどうかを検討したいのなら、肝心なのはその方が表されることが真理であるか、それが神の御声であるのか、その行いが終わりの日に人類を救う働きであるかどうかを判断できることです。これだけが最も重要なのです。全能神が表されることが真理であると断定できる限り、中国共産党と宗教界がどんな嘘や中傷を作り出しても、全能神は依然として真の神です。誰にもこの事実は否定できません。主イエスが現れて働かれた時と同じです。ユダヤ教の指導者たちは主イエスについて多くの嘘を作り上げました。しかし、主の追随者たちは主の御言葉が真理であると知り、主が来たるメシアであると認めました。彼らは嘘の影響をまったく受けず、断固として主に付き従いました。同様に、全能神が表された御言葉がすべて真理であり、神の御声であると私たちが現在断定することができれば、中国共産党が五二八山東招遠事件を何件でっち上げても、たとえそれが百件、千件あったとしても、全能神が真の神であるという事実は覆い隠せません。このことから明白なのは、真の道を学ぶ際には、神の御声を聞き、真理を求め、サタンの嘘と戯言を絶対に聞かないという原則を守らなければならないということです。さもなければ神の救いを失ってしまいます」
趙(チャオ)姉妹の交わりを聞いた後、エイミーは喜んで言いました。「今日の交わりは最高です。おかげで本当に雲が晴れて、澄んだ空が見えます。真の道を学ぶ上で一番大切なことが何なのかが今ではわかります。それは、そこに真理が含まれているか、それが神の御声であるかどうかを確かめることです。これだけが最も肝要なことであり、神の働きや神が表されている真理とまったく無関係なものの影響や妨害を受けるべきではありません。特にサタンの戯言に耳を傾けるべきではないのです。」
真の神と確証し、神の恵みを感じる
そのような嘘による混乱を経験して、エイミーは「神に抵抗して真理を憎む」という中国共産党の邪悪な本質に関してある程度の認識と識別力を得ました。それらの嘘を捏造する悪しき意図を見極め、もはやそれらにだまされなくなったのです。それ以来、機会があるときはいつも、神の御言葉を読み、兄弟姉妹と集って、真理について交わるようになりました。エイミーは全能神が主イエスであるとすっかり確証したのです。その後、終わりの日の全能神の福音を夫に伝えると、神の御言葉を聞いた後、夫もそれを神の御声と認め、神の家に入りました。
パソコンの画面で自分の体験談を見て、エイミーは幸せな笑みを顔に浮かべ、さらに書き加えました。「今日、迷える羊だった私はついに主をお迎えし、神の家に戻りました。よく兄弟姉妹と共に集会し、神の御言葉について交わり、福音を伝え、本分を果たしています。心がこれまで知ることがなかった落ち着き、安らぎ、喜びを味わっています。神に感謝します」
編集者注 主とお会いすることは、すべての信者の最大の望みです。主人公エイミーは、喜んで主イエスの再臨をお迎えした後、中国共産党が仕組んだ5月28日招遠市マクドナルド殺人事件による混乱に見舞われました。幸いにも、真理を求めることで、彼女は中国共産党の嘘を見抜くことができました。私たちが主イエスの再臨をお迎えする道は嘘と策略に満ちていますが、その道中で「キリストが真理であり、道であり、いのちである」と断定する限り、私たちはこれらの嘘の惑わしを乗り越えて、主の足跡に付き従うことができます。読者の皆さんに、福音映画「知らぬが命取り」をお薦めします。
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