「伝書鳩」が重大な知らせを届ける
1999年のある日、牧師が集会後に私のところへ来て、「蘇傑、君に手紙が届いているよ」と教えてくれました。それを見た瞬間、私が山東省で建てた教会からの手紙だとわかりました。私は手紙を受け取って帰宅の途につきましたが、歩きながら「この手紙、ずいぶん厚いわね。何か困難に見舞われたのかしら」と考えました。
帰宅後、待ちきれずに手紙の封を切ってみると、そこにはこう記されていました。
「蘇姉妹、主においてあなたに平和あれ。私はとてつもない知らせをあなたに伝えたくてこの手紙を書いています。私たちが昼も夜も待ち焦がれてきた救い主イエス・キリストが戻られたのです。主は肉となってすでに戻られ、御言葉を通じて人を裁いて清める段階の働きを中国でなさっています。主は恵みの時代を終わらせて神の国の時代を始められました……あなたが神の新たな働きを受け入れ、神の足跡に歩調を合わせることを願います。何をしようと、終わりの日の神の救いというこの機会を逃してはいけません」
そこまで読んで、私はショックを感じました。実は何の困難にも見舞われていないどころか、東方閃電を信じているのです。この手紙を書いたのは誰だろうと知りたくなり、すぐに最後の一枚に目を通しました。書いたのは孟兄弟で、手紙の最後にはその教会の兄弟姉妹全員の署名も記されています。読み終えた私はすっかり唖然として、しばらく手紙をぼんやり見つめていましたが、気を取り直してこう考えました。
「主がお戻りになったと東方閃電は証しし、いくつもの教派からよき羊や羊の長を多数盗んでいった。山東教会の孟兄弟まで東方閃電を信じるなんて思いもしなかったわ。この教会の兄弟姉妹は残らず東方閃電に盗まれてしまった。いったいどうすればいいのかしら」
この考えが浮かんだとき、私はますますいても立ってもいられなくなりましたが、山東はあまりに遠すぎますし、ここでの働きに縛られてもいます。いますぐ行くことはできません。私は無力を感じ、泣きながら主に祈ることしかできませんでした。
「主よ。この兄弟姉妹たちはあなたを信じてからそれほど時間が経っていないので、まだ安定した土台がありません。どうか彼らを見守ってください……」
その後、私は聖書の隅から隅まで目を通し、ペンを手にして最初の返信を書きました。その中で私はこう記しました。
「兄弟姉妹のみなさん、私はイエス・キリストにおいて、あなたがたに用心するよう忠告させていただきます。パウロはこう言いました。
『あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。』(ガラテヤ人への手紙1:6-9)
兄弟姉妹のみなさん、あなたたちを主の御前に連れて行くのは簡単なことではありませんでした。これほどすぐに主を裏切れるのはどういうことですか。あなたたちの霊的背丈は低すぎます。傲慢にも他の道に耳を傾けてはいけません。私の言うことに耳を傾けなさい。私があなたたちに伝えたことは真の道だからです。主イエス・キリストだけが私たちの救い主でいらっしゃいます。これは永遠に守らなければなりません……」
8ページにわたる手紙を書き終え、それに目を通してようやく、私は落ち着きました。そしてこう考えました。
「書くべきことは全部書き、調べるべき聖句は全部調べたし、記すべき忠告と励ましの言葉も全部記した。これを読めばきっと反応して、自分たちの間違いを認めるはずよ」
2週間後、私は次の返信を受け取りました。
「蘇姉妹、私たちが信じている全能神は再臨された主イエスでいらっしゃるので、私たちが見聞きしたことを残らす語ることはできません。私たちは真の道を守って前進しています。これっぽっちも主を裏切ったことはなく、小羊の足跡に従っているのです。あなたがくださったお手紙の中に、『あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。』(ガラテヤ人への手紙1:6-7)というパウロの言葉がありましたが、パウロが言ったことには背景があります。聖書を調べさえすれば、パウロの言う『違った福音』が、ヤーウェの律法を守るようパリサイ人が人々に求めたことを指しているのがわかります。それは、終わりの日の人々が神の国の福音を広めて、主が肉において戻られ、神の家から始まる裁きの働きをなさっていると証しすることを指しているのでもありません。パウロがガラテヤの諸教会に宛ててこの手紙を記したとき、神の国の福音を宣べ伝えている人は1人もいませんでした。ゆえに、パウロが言った『違った福音』は、主がお戻りになり、神の家から始まる終わりの日の裁きの働きをなさっていることを指しているのではないのです。主イエスがいまお戻りになって行なわれているこの裁きの働きの段階は、黙示録にある次の預言を成就しています。
『わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った、「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。」』(ヨハネの黙示録14:6-7)
ここで言う『永遠の福音』は神の国の福音を指しています。さらにこの最後の救いは、はるか昔に聖霊によって主イエスの弟子たちに明かされました。ペテロが『さばきが神の家から始められる時がきた。』(ペテロの第一の手紙4:17)、『あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。』(ペテロの第一の手紙1:5)と述べたとおりです。蘇姉妹、主イエスの再臨は私たち信者が切望していることではありませんか。いま、主イエスは本当に戻られました。私たちは謙虚に探し求める人にならなければなりません。パリサイ人は聖書の知識や自分たちの観念と想像を無闇に使うことで神の新しい働きを規定し、主イエスが律法に従わないという理由で主を断罪して抵抗し、最後は主を十字架にかけました。私たちは絶対に、神の最初の受肉でいらっしゃる主イエスを、パリサイ人がしたのと同じように扱うことはできません。パリサイ人はヤーウェ神を信じるだけで、ヤーウェ神の受肉、すなわち主イエスの働きを受け入れず、最後は主に断罪され呪われました。この恐るべき教訓には一考の価値がありませんか。主イエスが私たちの救い主でいらっしゃることは誰も否定できません。しかし主イエスを受け入れるだけで主の再臨を受け入れなければ、私たちもパリサイ人と同じではないですか。そうであれば、神を信じながら神に抵抗する人になったのではありませんか。さらに、あなたが私たちに主の福音を宣べ伝えたからといって、あなたの言うとおりにすることはできません。私たちが信じているのは神です。ペテロをはじめとする使徒はかつて『人間に従うよりは、神に従うべきである。』(使徒行伝5:29)と言いました。とりわけ主イエスの到来に関する件については、他の人間の言うことに耳を傾けることはできません。全能神の御言葉は神のお声だと、私たちはすでに判断しました。あなたもそれをお調べになることを望みます」
私はこの手紙を読むうちに腹が立ち、ほんの少しも納得しませんでした。聖書の参考書を掴み、ガラテヤ人への手紙の内容が紹介されているページをめくります。丹念に読んだところ、私はとても驚きました。それは本当のことだったのです。パウロの言う「違った福音」が、パリサイ人が人々にヤーウェの律法を遵守させたことを指しているのは本当でした。確かにそれは、主の再臨後に神の家から始まる主の裁きの働きを指しているのではありません。何年ものあいだ、それがこの聖句の背景であることに気づかなかったのはどういうことでしょう。彼らが納得しなかったのも無理はありません。しかしそのとき、別の考えが私の頭に浮かびました。私の言ったことが間違いだとしても、彼らが宣べ伝えているように主がお戻りになったとはまだ証明できていない。私はあの手紙をもう一度最初から最後まで読みましたが、読めば読むほど怒りが募ってこう考えました。
「これほど短期間しか離れていないのに、私にこんな大層な言い方をするほどずうずうしいだなんて思いもしなかったわ。それに……私をパリサイ人と呼ぶなんて。私は誰よりもパリサイ人を憎んでいる。この私がパリサイ人のような形で主に抵抗するだなんて、いったいどうしてあり得るの。私は何年ものあいだ懸命に働き、信者のために昼も夜も苦労してきた。それを知らないなんてことがあり得るかしら」
そのことを考えれば考えるほど動揺し、こう思いました。
「だめよ。まだまだ未熟な一握りの信者に言い負かされるわけにはいかないわ。私は長年聖書を読んできた。この討論に勝てないわけがない」
そこで再びペンをとり、二通目の返信を書きました。
「兄弟姉妹のみなさん、主においてあなたたちに平和あれ。あなたたちの手紙を読んで私はとても心外に思いました。私は自分の言うとおりにしなさいと求めているわけではありません。みなさんは私の意図を完全に誤解しています。私はあなたたちが主イエスの道から離れてしまうのが心配なのです。と言うのも、主イエスがこうおっしゃったからです。
『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう。』(マタイによる福音書24:23-24)
パウロもこのように言っています。
『さて兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの来臨と、わたしたちがみもとに集められることとについて、あなたがたにお願いすることがある。霊により、あるいは言葉により、あるいはわたしたちから出たという手紙によって、主の日はすでにきたとふれまわる者があっても、すぐさま心を動かされたり、あわてたりしてはいけない。だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。』(テサロニケ人への第二の手紙2-1:3)
親愛なる兄弟姉妹のみなさん、私は主イエスの御名において、終わりの日には危険な日々が待ち受けており、主の到来を宣べ伝える人を信じてはいけないと忠告します。間違った道を歩んで主の不興を買わないよう、私たちは大いに用心して主の御言葉を心に抱かなければならないのです」
2週間後、私は彼らの返信を受け取りました。
「蘇姉妹、あなたが見つけてくださった聖句は間違っていませんが、私たちはこれらの御言葉にある主イエスの真意をはっきり理解して、主の御心を誤解してはなりません。主が終わりの日にいらっしゃるとき偽キリストが現われ、主の御名を使って主になりすまし、奇跡を示して人を惑わすと、主イエスは私たちにはっきりおっしゃいました。そうおっしゃることで、主は私たちに識別力を働かせよと告げていらっしゃるのであって、主の到来を宣べ伝える人がみな偽りだとはおっしゃっていないのです。あなたが言われるとおり、主の到来を宣べ伝える人がみな偽りで、私たちがそのような人に用心して拒まなければならないのなら、肉となって戻られた主イエスに扉を閉ざしてしまうことにはなりませんか。私たちがこのように言うのは、再び来ると主がおっしゃったからです。明らかに、そのようなものの見方は主の御心にかなっていません。真のキリストと偽キリストの見分け方については、ここに全能神の御言葉の一節を記しますので、どうかじっくりお読みください。全能神はこうおっしゃいました。
『この時代に、しるしや不思議を起こし、悪霊を追い払い、病人を癒やし、多くの奇跡を起こせる人が現れて、またその人が再来したイエスであると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。』(『神の出現と働き』「今日の神の働きを知ること」〔『言葉』第1巻〕)神の働きがいつまでも変わらないということは決してあり得ません。律法の時代と恵みの時代における働きが2つの異なる段階の働きだったように、神の働きはいつも新しく、決して古くなく、繰り返されることはありません。終わりの日、神は人類の必要に応じて、御言葉を通じて人を裁き清める段階の働きをすでになさっています。これは人を完全に清めて救う段階なのです。以前の働きに比べてより新しく、より高次で、さらに実践的です。神の働きの各段階から、神はその働きの知恵、権威、力をも表わされるという真理がわかります。しかし偽キリストは悪霊に取り憑かれており、神の本質を有していません。真理がまったくないのでそれらを表わすことができず、神の全能、知恵、性質を表わすこともできません。偽キリストが神の働きをまったく行なえないのは明らかです。偽キリストは主イエスがすでになさった働きを真似て、病人を癒やし、悪霊を追い払い、何らかの普通の奇跡を示してキリストになりすまし、人を惑わそうとすることしかできないのです。蘇姉妹、私たちは主の御言葉を純粋に理解する必要があります。主の御心を誤って解釈することはできず、まして偽キリストが終わりの日に現われるからといって、腹立ち紛れに自分の損になることはできません。主の再臨の働きを調べないことさえ許されないのです……」
手紙に記された兄弟姉妹の交わりはどれも事実に基づいていましたが、私にはそれを探求したりじっくり考えたりする気はまったくありませんでした。私が見つけてあげた聖句を彼らが受け入れ、主に立ち返るかどうかだけが気がかりだったのです。手紙のやりとりによる2度の討論を振り返ると、彼らがほんの少しも納得していないことがわかりました。対照的に、私は完全に面目を失うところまで彼らに論破されました。そこでただちに主へ祈りを捧げ、それから聖書と霊に関する本を全部ベッドの上に並べました。そして彼らに反論する根拠を見つけようと、それらの本をめくり続けました。ページをめくるパラパラという音を除き、部屋は完全に静かでした。いつの間にか夜になりましたが、まだ何一つ見つけられません。私は疲れてしまい、深くため息をつきながら「この手紙にどう返信するか、まったく何も思いつかない」と思いました。私にできたのはペンを手にしてこう記すことだけでした。
「兄弟姉妹のみなさん、お手紙を拝見しましたが、あなたたちはもう以前のような愛すべき小羊ではないようです。私の言葉にすら耳を貸さず、主の道から離れると言い張り、私とはまったく相容れません。あなたたちの振る舞いは主を悲しませるでしょうし、私もとても悲しいです。主イエスがあなたたちを動かし、この手紙によってすぐに戻ってくることを祈ります。アーメン」
2週間後、再び彼らからの返信を受け取りましたが、私の愛と励ましで彼らが戻ってこなかったことにがっかりしました。それどころか、彼らは厳しい口調で頭ごなしにこう記してきたのです。
「蘇姉妹、私たちはあなたのおかげで転向しました。それは間違いありません。しかし、そのことについて私たちが感謝すべきは主なのです。失われたさまよえる羊だった私たちを集め、群れとなってあなたの助けを得させてくださったは神だからです。あなたは群れの世話をする召使いに過ぎず、主イエスだけが私たちの真の羊飼いなのです。主イエスも『わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。』(ヨハネによる福音書10:14)とおっしゃいました。主はご自身のために働くすべての人に羊を託されます。その人の責任は羊たちの世話をすることだけであって、主がお戻りになるとき、羊たちは群れとなって主のもとに戻らなければなりません。蘇姉妹、主イエスが聖書の中でおっしゃった『悪しき借地人』のたとえ話を、私たちはみな知っています。その土地を無理やり自分たちのものにするため、借地人は果実を集めに来た召使いたちを攻撃し、地主が自分の息子をそこに行かせると、その息子を殺して土地を自分たちのものにしました。戻ってきた地主は、これら悪しき借地人にどう対処するでしょうか。私たちは彼らのようになってはいけません。いまや主がお戻りになったのですから、私たちは主の羊をお返しすべきです。これが、私たちがもたなければならない理知なのです」
私はこの手紙を読んですっかり面食らい、こう考えました。
「あの人たち、どうして一瞬の間にここまで理解したのかしら。私が山東に行ってあの教会を建ててから2年しか経っていない。そこを離れるとき、彼らはまだ信仰において『赤ん坊』のようだった。東方閃電を受け入れてからたった数ヶ月で、彼らの言葉がこんなに力強くなるとか、ここまで完璧な聖書の聖句を見つけて私を論破できるようになるとか、私が反論の言葉を失ってしまうなんて考えもしなかったわ」
その瞬間、私はひどく失望し、あの兄弟姉妹たちは東方閃電に従う揺るぎない決意をもつようになり、引き返すつもりはないのだと思いました。説得して戻らせるのは不可能だろうとわかったのです。私は完全に弱気になってしまい、嫌々4通目の手紙を送りました。
「あなたたちの勝手にしなさい。古代以来、神から生じるものは栄え、人から生じるものは打ち負かされると聖書にも記されています。もう2度と私に手紙を送らないでください。イエス・キリストへの信仰と愛を保ち続けられることをお祈りします」
山東の兄弟姉妹が伝えた神の終わりの日の働きを拒んだあと、私の霊はますます暗く弱くなり、全体的な状態も悪化しました。しばしば断食して祈り、主に対してどのような罪を犯したのかと反省しましたが、主の御心を理解することができず、主の存在もまったく感じられません。献金を巡って争うべく、牧師と長老が私に濡れ衣を着せ、教会から追放するのに成功したのはこの頃でした。私はとてつもなく惨めな気分になり、どちらを向くべきかわかりませんでした。よく川の土手に行って、『主よ、あなたは私の親友です』という賛美歌を泣きながら歌ったものです。主が一刻も早くお戻りになり、私をこの苦悩から救ってくださることを強く願いました。
半年後のある日、昼食を作っていたところ、玄関の外から私の名前を呼ぶ義母の声が聞こえました。ドアを開けると、上品な身なりのほっそりした若い女性が義母の後ろに立っています。すると義母はこう言いました。
「この若い姉妹は前にもあなたに会いに来たことがあるの。住所は知っていたけどあなたがいなかったので、教会に行った。あなたにいますぐ会う必要があるらしくて、それで急いで連れてきたのよ」
私はこの姉妹を注意深く観察しながら、「私はこの人を知らないようだけど、いったいどういうことかしら」と考えました。彼女は私を見てすぐに近寄り、手を取りながら「あなたが蘇姉妹ですね。やっと見つかったわ」と興奮した口調で言いました。この行為に私はすっかり面食らい、驚きの目で相手を見ながら「あなた誰なの?一度もお会いしたことはないと思うけど」と訊きました。すると彼女は熱心な口ぶりでこう答えました。
「姉妹、私は王と申します。ここに来たのは山東の孟兄弟と趙姉妹のためです。孟兄弟と他のみなさんがここの全能神教会に手紙を送り、どうにかしてあなたを見つける方法を考えてほしいと頼んできたんです。あの人たちはいま多忙で自らここに来る時間がないので、あなたに神の国の福音を伝えるのを私たちに託しました。その手紙が何人の手を経たかはわかりませんが、何度か送り返されてからようやく私たちのもとに届いたのです。私は何度もここに来て、あなたのことを探し求めました。簡単に見つからなかったんです」
そこで彼女は声を詰まらせ、その手紙を私に握らせました。私はそれを読みました。
「蘇姉妹は真の信者です。どうか彼女を見つけて神の国の福音を伝えてください。何としてもそうする必要があるのです……」
その言葉を読むうちに心が温まり、涙が流れ落ちるのを止められませんでした。義母も感動して、「これは本当に主のおかげよ。まさに主の愛なのよ」と言っています。この親切で誠実な若い姉妹を見て、私はその手紙の心温まる感動的な言葉を思い出すとともに、主の再臨の福音を私に伝えなければならないという、兄弟姉妹の切迫した気持ちも感じることができました。魂の内側から生じた直感が、この愛は神から来たものだと告げています。すべての魂をこのような形で大事になさり、心から神を信じるすべての人を深く気遣われるのは神だけです。そこで、今度は終わりの日の全能神の働きを求めて学ぶことにしました。これ以上拒むことはできません。私は我も忘れて「姉妹、どうか中に入ってお座りなさい」と言いました。彼女は嬉しそうにうなずきましたが、その目はまだ涙で光っていました。
まずみんなで食事を済ませてから、私は趙姉妹という同労者も呼びました。夫も私たちが交わりを行なうと聞いて、その日の仕事を休みにしてもらいました。そして若い姉妹が暖かい口調でこう尋ねました。
「姉妹、孟兄弟の手紙には、終わりの日の神の働きについて何度か手紙を送ったけれど、あなたは受け入れようとしなかったと記されていました。このことについてどうお考えですか?姉妹、何か困難があるならどうか教えてください。一緒に交わって探し求めましょう」
私は答えました。
「せっかく尋ねてくれたのだから、心を開いて打ち明けます。私は終わりの日に現われる偽キリストに騙されるのが不安で、『主の到来を宣べ伝える者はみな偽者である』という言葉にしがみついてきました。そのため終わりの日の全能神の働きを調べなかったんです。その後、孟兄弟たちが手紙で言っていたことを考え、道理が通っていると思いました。終わりの日に偽キリストが現われるからといって主の再臨の福音を無闇に拒むのは、まさに腹立ち紛れに自分の損になることをしているのです。けれど、主の再臨をお迎えしたければ、真のキリストと偽キリストを見分けられないままではいけません。ここまで来てくれたのですから、どうかこのことについて交わってください」
趙姉妹と夫と義母もうなずいてそれに賛成しました。
すると姉妹は神の御言葉の一節を読んでくれました。全能神はこうおっしゃいました。
「このようなことを考察するのは難しいことではないが、わたしたちそれぞれにこの真理を知ることが要求される。受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人にいのちを与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体が受肉した神ではないことは間違いなく、これについて疑う余地はない。受肉した神かどうか調べるためには、その人が表す性質や話す言葉からそれを決めなければならない。つまり、人間の姿になった神かどうか、それが真の道かどうかは、その人の本質から判断しなければならない。そこで、人間の姿になった神かどうかを決定するとき[a]、鍵となるのは、外見よりもむしろその人の本質(働き、言葉、性質、その他いろいろ)に注意を払うことである。外見だけを見て本質を見落とす者は、自分の無知、単純さをさらけ出すことになる。」(『神の出現と働き』「序文」〔『言葉』第1巻〕)神の御言葉を読み終わったあと、この若い姉妹は次のように交わってくれました。
「全能神の御言葉から、真のキリストと偽キリストを見分けるうえで鍵となるのはその実質を見ることだとわかります。その働き、言葉、性質から見分けることができるのです。主イエスはかつて、『わたしは道であり、真理であり、命である。』(ヨハネによる福音書14:6)とおっしゃいました。明らかに主は受肉された神でいらっしゃったので、真理を表わし神ご自身の働きを行なうことがおできになりました。また神ご自身の性質と、神が所有されるものと神そのものを表わすこともおできになりました。こうして恵みの時代、主イエスは数多くの真理と、おもに慈悲と愛の性質を表わされ、全人類を贖う働きを完了なさったのです。主イエスの働きと御言葉、主が表わされた性質から、私たちはイエス・キリストが真理であり、道であり、いのちであり、受肉された神ご自身でいらっしゃることを確信できます。現在、全能神はおいでになり、人類を清めて救う真理を残らず表わされました。人を裁いて罰する終わりの日の働きをなさったのです。全能神の御言葉はサタンによる人類の堕落の真相と、人の本性と本質を暴きます。救いを得るとは何か、性質の変化とは何か、それを成し遂げる道は、といった真理だけでなく、人類の将来の終着点はどういうものか、各種の人たちの結末はどういうものかといった真理について、そのすべての側面を私たちに教えてくれるのです。また、御言葉は神の6000年にわたる経営計画と受肉の奥義も明らかにし、加えて神に特有の性質、実質、および神が所有されるものと神そのものも表わします。神の御言葉を丹念に読んでいれば、全能神の発せられる御言葉が真理の聖霊のお声であり、終わりの日における裁きの道であることがわかります。終わりの日の全能神の働きは、例えば次のような聖書の預言を成就してきました。
『さばきが神の家から始められる時がきた』(ペテロの第一の手紙4:17)
『けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。』(ヨハネによる福音書16:13)
『わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。』(ヨハネによる福音書12:48)
全能神が表された真理、人を裁き、罰し、清めるという全能神がなさった働き、全能神が表わされた義によって特徴づけられる性質はすべて、全能神が終わりの日のキリストの顕現でいらっしゃることを完全に証明しています。しかし対照的に、偽キリストには神の実質がありません。それらの大半は悪霊に取り憑かれているか、理知をまったくもたない極めて傲慢な悪魔と悪霊なのです。真理を表わして人に糧を施すことも、裁きの働きを行なって人を清めることもできません。単純な奇跡や不思議を見せることで、パンで空腹を満たしたい愚かで無知で混乱した人を惑わすことができるだけです。ゆえに、キリストは真理であり、道であり、いのちでいらっしゃるという原則にしたがえば、真のキリストと偽キリストを見分けるのはとても簡単なのです。これは神の御心と完全に一致しています」
姉妹の交わりに耳を傾けながら、私は次のことを何度も何度も心の中で考えました。
「私は長年主を信じてきたけれど、このような交わりは聞いたことがない。いま、全能神の御言葉は真のキリストと偽キリストを見分けることについて徹底的に語っている。どうやら、全能神の御言葉は本当に聖霊のお声かもしれないわ。主よ!私はあなたの再臨をずっと待ち望んできましたが、ここ数年は偽キリストに用心するばかりで、探し求める心をほとんどもっていませんでした。全能神教会が証ししているように、あなたが終わりの日にお戻りになって裁きの働きをなさっていることを調べず、無闇にそれに抵抗し、断罪するばかりでした。主よ、私は本当にあなたを締め出してきたのでしょうか」
こう考えていると、心臓が激しく鼓動し始めました。パニックを感じてこれ以上じっと座っていられず、立ち上がって台所に行き、水を汲んでくる振りをして自分を落ち着かせようとしました。水を注ぎながら、私はこう考えました。
「あの姉妹はとても若いけど、真理に関する彼女の交わりはとても実践的だわ。山東の兄弟姉妹も全能神の働きを受け入れてからあんなに早く進歩した。彼らの聖書に関する理解と神の働きについての知識は、私よりずっと優れていた。このようにして、人は真理を理解し、神の働きに関する知識を得られるのね。これは神の働きじゃないかしら」
そのように考えると、私は興奮と後悔を同時に感じました。そして山東の兄弟姉妹にあれらの手紙を書いていたときのことを振り返りました。私はペンを振りかざし、傲慢な口調で彼らを叱りつけていたのです。それに、主の再臨に対する取り組みにおいても、私は真理を求めて兄弟姉妹の交わりを受け入れなかっただけでなく、あくまで反論して拒みました。自分を真理の主人と思い込み、兄弟姉妹がみな私の言うことに耳を傾けるよう望んだうえ、自分は全力で真の道を守っているのだと考えていたのです。自分が神に抵抗しているとは思いもよりませんでした。だとすると、私はそれによって現代のパリサイ人になってしまわないでしょうか。その瞬間、頭からつま先まで冷水を浴びせられたような気がしました。全身から力が抜けて弱ってしまったように感じられたのです。両手が震えて抑えられず、自分が神に抵抗している光景が頭の中で何度も繰り返されました……これ以上は耐えられず、涙が目から溢れ始めました。そして、これほど傲慢で盲目だった自分を憎みました。しばらくしてから涙を拭い、水の入ったコップをトレイに乗せて部屋に戻りました。姉妹は私を見ると、不安そうに「姉妹、この交わりを受け入れてくれますか」と訊きました。私はため息をついたあと、自責の念を込めて答えました。
「たったいま、全能神の御言葉とあなたの交わりを聞いて、全能神は再臨された主イエスだと感じています。私は主の再臨を来る日も来る日も待ち望んできましたが、主がもうお戻りになっているとは想像もしませんでした。実のところ、私はパリサイ人の役を演じていたんですね。本当に大きな悪事をなしてしまいました。私は神に抵抗したんです」
そして話ができないほど激しく泣きだしました。
その後しばらく全能神の御言葉を読んだあと、趙姉妹、義母、夫、そして私は、全能神が再臨された主イエスでいらっしゃることを完全に確信しました。私はとてつもない喜びに興奮し、山東の兄弟姉妹に5通目の手紙を送りました。
「親愛なる兄弟姉妹のみなさん。あなたたちが神の国の福音を私に何度も伝えてくれたおかげで、私はいま終わりの日の全能神の働きを受け入れ、全能神教会の一員になりました。そのことについて神に感謝いたします。私が受け入れたのはあなたたちよりあとですが、後れをとりたくはありません。心と魂を捧げて追いつくつもりです……」
その瞬間、自分の心が手紙と一緒に山東へ舞い戻り、そこの兄弟姉妹と親しく交わるような気がしました。神の愛に感謝いたします。
蘇傑中国
脚注
a.原文では「~かどうかに関しては」と書かれている。
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