聖書黙示録終末の預言は成就された──主の再臨をどうお迎えすればよいか

2020年3月9日

2000年前、主の弟子たちはイエスに尋ねました。

「あなたがまたおいでになる時や、世の終りには、どんな前兆がありますか」(マタイによる福音書 24:3)

主イエスは答えられました。

また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。(マタイによる福音書 24:6–8)

今日、世界中でますます多くの災厄が発生しています。地震、伝染病の流行、飢饉、戦争、洪水が相次いで起こっています。2019年の暮れには、中国の武漢で新型コロナウィルスが発生しました。その感染率は驚異的です。わずか数ヶ月のうちに感染例が中国全土で出現し、中国はまたたく間に大混乱に陥りました。死亡者数が増えつづけるなか、多くの省、直轄市、村が次々と閉鎖されつつあります。このウィルスはさらに国境を越えて、世界の20ヶ国以上に広まっています。それに加えてオーストラリアでは、2019年の9月から2020年の1月にかけて森林火災のために、5900棟以上の建物が焼失し10億匹以上の動物の命が奪われました。2020年1月には同じオーストラリア大陸が百年に一度の集中豪雨に見舞われ、洪水が発生し多くの淡水生物が死にました。インドネシアでは同月の洪水のために、何万人という人々が家を失っています。さらにフィリピンで火山が噴火、アフリカで過去25年間で最悪のバッタが大量発生、中国の新疆でマグニチュード6.4の地震が発生……と、こうした例は枚挙に暇がありません。主の来臨を告げる聖書の預言が成就されているのです。こうしたことは主が戻られたことを明白に示しています。では私たちはなぜまだ主の到来をお迎えしていないのでしょうか? このようなことが続けば、私たちは大患難に陥るのではないでしょうか? また主の来臨をお迎えするために、私たちは一体何をすべきなのでしょうか?

目次

● 主はどのように来られるか

● 再臨されたとき主はどのような働きをなさるのか

● 主の来臨をどうお迎えすればよいのか

主はどのように来られるか

多くの人が次のような聖書の言葉を読んでいます。

見よ、彼は、雲に乗ってこられる。(ヨハネの黙示録 1:7)

そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。(マタイによる福音書 24:30)

そうした人々は主が雲に乗って来られると確信しています。それなのに私たちがこのような光景をまだ目にしていないのでなぜでしょう? これが主が来られる唯一の方法なのでしょうか? 実をいうと、私たちは主の来臨に関して大きなことを一つ見落としているのです。聖書には神が秘かに来られるという預言もあるのです。

見よ、わたしは盗人のように来る。(ヨハネの黙示録 16:15)

夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。(マタイによる福音書 25:6)

だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。(マタイによる福音書24:44)

いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。(ルカによる福音書 17:24–25)

聖書にある「盗人のように」、「夜中に……呼ぶ声がした」という言葉は、終わりの日に再臨される主が、ひっそりと秘かに戻られることを示しています。では「人の子」は何を称しているのでしょうか? 「人の子」は間違いなく人から生まれます。母親と父親がいて肉と血から生まれるのです。たとえば主イエスです。イエスは人間の間で生活する普通の人間の姿で受肉されました。つまり「人の子」という言葉は受肉した神を称しているのです。霊は人の子とは呼ばれません。また聖書は次のようにも述べています。

しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。

この一節は紛れもなく、主が戻られるときは、ひどい苦しみを受けその時代の人々に捨てられるであろうと述べています。神が人の子として受肉したときに限って捨てられるのは、肉となった神があまりにも平凡すぎて、人々が神であると知らないせいであることを、私たちはみな知っています。人々が神を普通の人間として扱うので、その結果神は厳しい苦難に遭うのです。ところが主が霊として人の前に現れれば、善人であろうと悪人であろうと、信者であろうと不信仰者、あるいはたとえ神に敵対する者であろうと、あらゆる者が神の前にひれ伏して崇めるでしょう--そうなれば誰が神を捨てられましょう? またどうして神が苦しみを受けることになりましょう? こうしたことは、終わりの日の主が受肉した人の子として人間の前に現れることを示しているのです。

再臨されたとき主はどのような働きをなさるのか

ここまで読んで、困惑している兄弟姉妹もいるかもしれません。終わりの日に主が秘かに来られて人間の間で働きをなされるなら、雲に乗って来られるという預言はどのようにして成就されるのかと。神の働きには段階と計画があります。神はまず肉となって秘かに到来し、人を救う働きを実行されてから、雲に乗って人の前に公に現れられます。この疑問を理解するために、私たちは主が終わりの日に再臨するときになさる働きについてもっと知らなくてはなりません。主イエスはこう語られています。

わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。(ヨハネによる福音書 16:12–13)

わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう。(ヨハネによる福音書 12:48)

父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて、子にゆだねられたからである。(ヨハネによる福音書 5:22)

聖書には次のようにも書かれています。

さばきが神の家から始められる時がきた。(ペテロの第一の手紙 4:17)

こうした聖句は、終わりの日の神がもっばら御言葉を発して、神の家から始まる裁きの働きを行うために来られると告げています。その結果、終わりの日における神の裁きの働きを受け入れる者は主の到着をお迎えし、神の前に引き上げられることになるのです! 今日、受肉した全能神がこれまで発された何百万もの御言葉はすべて、『言葉は肉において現れる』という本に収録されています。この本の中で全能神の御言葉は、これまで私たちに理解できなかった多くの謎を明らかにしています。たとえば人類の発達の歴史、サタンがいかに人類を堕落させ、神がいかに人を救うのか、どのような者が神に愛され、どんな者が嫌われるのか、さまざまな分類の人々にどのような結果や終着点があるのか、といったことです。それだけでなく神は、裁きと刑罰の御言葉をも表して、私たちの堕落した性質を明らかにされています。神の裁きと刑罰の御言葉を受け入れる者はみな、堕落した性質を清められ変化を遂げるのです。そして大患難の前に勝利者とされ、最後には神の国に入り永遠の至福を享受することになるのです。神が肉となって秘かに働かれている時期にその声を聴こうとしない者や、終わりの日の神の裁きの働きを受け入れない者、自らの観念や想像にもとづいて受肉した神を非難し冒涜する者は、正体を暴かれて神に淘汰されるでしょう。さらに小麦と毒麦、子羊と山羊、思慮深い処女と愚かな処女、よきしもべと悪しきしもべ、真理を愛する者と忌み嫌う者は、それぞれ真の姿を暴かれ種類に応じて分類されます。その後神は雲に乗って来臨し、地上のあらゆる国と諸民族の前に公然と現われて、良き者に報いを与え悪しき者を罰しはじめられます。かくして聖書の次の預言は成就されるのです。

見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。(ヨハネの黙示録 1:7)

そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。(マタイによる福音書 24:30)

その時神に敵対し、神を拒絶し、非難した者はみな、自らの悪行のために胸を打って後悔に苛まれることになります。神の働きから、神がいかに義であり全能で賢明であるかを、私たちは知るのです!

主の来臨をどうお迎えすればよいのか

今日、受肉した全能神はすでに一団の人々を征服し救われています。またそうして勝利者を完全にされています。神の秘かな働きは間もなく終了し、その後ただちに地上にあらゆる種類の大患難が降りかかるでしょう。私たちの前には、主イエスの再来をどうお迎えし、終わりの日の神の働きをどう受け入れるべきなのかという、差し迫った課題があります。主イエスはおっしゃっています。

わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。(ヨハネによる福音書 10:27)

聖書には次のような預言もあります。

耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。(ヨハネの黙示録 2:7)

見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。(ヨハネの黙示録 3:20)

さらに全能神はこう語られています。

神の働きは強く打ち寄せる大波のようなものである。誰も神を引き留めることはできないし、誰も神の歩みを停止させることはできない。神の言葉に注意深く耳を傾け、神を探し求め、渇望する人々だけ神の歩みをたどり、神の約束を受けることができる。そうしない者は圧倒的な災難を被り、当然の罰を受ける。(『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」〔『言葉』第1巻〕)あなたは子羊の歩みと歩調を合わせたいですか? 主をお迎えしたいですか? 大患難の前に引き上げられたいと切に願いますか? 神の御言葉が私たちに告げているのは、主をお迎えするつもりがあるなら、重要なのは全能神によって表現された御言葉が真理かどうか、それが諸教会に向けた聖霊の御言葉なのかどうかを考え、それにより神の声に耳を傾ける方法を知るということです。へりくだった心をもって真理を探究し切望すれば、神はすぐにも主をお迎するよう私たちを導いてくださると私は信じます!

アン・ユエン、フィリピン

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