本分で努力しなかった結末

2023年7月12日

2019年、アンドレア姉妹とわたしは美術業務の責任者になったの。その本分を始めたころは原則をあまり把握してなかったから、アンドレアが辛抱強く交わり、ほとんどの仕事を引き受けてくれた。その後、彼女がもう2年もこの本分を担当し、業務経験もあって、集会での交わりから働きの総括まで、わたしより幅広く考えてるとわかった。兄弟姉妹から疑問があれば、いつもきちんと解決したしね。それに比べてわたしは劣っていて、こう思った。「どれほど苦しんで代価を払えば、アンドレアのようになれるんだろう? 経験豊富で責任感があるから、もっと仕事を任せよう」。

作業の総括で、どう交われば問題解決できるか考えてと言われたわたしは、こう感じた。「そんなの面倒よ。本分の問題の総括だけじゃなく、関係する御言葉と原則を見つけて交わるだなんて。特に業務の問題では、わたしはさほど経験がない。解決するには情報を探し、わからないことは交わってもらう。時間とエネルギーを取られるわ。アンドレアはこの分野に詳しいから、総括は彼女に任せよう」。その後は作業の総括を考えなかった。それから、わたしがどう思うかアンドレアに訊かれ、こう言った。「わたしは詳しくないから、総括は任せるわ」。時おり、学習方針を決める中で、問題を事前に避けたいから、あなたも参加してアドバイスするよう言われ、わたしは思った。「この分野の責任者はずっとアンドレアだったし、彼女のほうがわかってる。参加するなら、わからないことを勉強しなきゃならない。そんなの大変! もういい、わたしは関わらない」。それで断わったの。

その後、新しい作図技術を学ぶことになった。困難や問題がたくさんあったけど、彼女は話し合いで解決していった。でもわたしは詳しくないから、二度説明されてもまだ混乱して、こう思った。「新しい技術を学ぶのは大変。関わるのはやめよう。とにかくアンドレアがいるんだから、みんな覚えられる」。その後は学習中も話をじっくり聞かず、無言の時もあれば、他の仕事をする時もあった。アンドレアに意見や考えを訊かれても、いつも「ないわ」とぞんざいに答えた。段々、本分に飽きて責任感がなくなっていった。自分はだめだと思えば思うほど、問題を気にしなくなったの。そのころは毎日心がうつろで、どんどん消極的になった。自分は素質が低く、この本分に不適だと思って、アンドレアが羨ましかった。彼女は経験豊富で素質が優れてるから立派に本分を尽くせるけど、わたしは違う。素質が低く経験もないから、本分をしっかり尽くせない。

ある日、作業の話し合いでアンドレアに言われたの。「この本分を尽くしてしばらく経つのに、経験がないとか、わかってないとか、あなたは言う。実は責任を負ったり努力したりするのが嫌なのよ。わたしが優れたアイデアを出せるのは、たびたび祈り、神にすがり、原則を求めてはっきりさせるから。業務でわからないことがあれば、学ばなきゃ。そうせずに本分を尽くせる?」そして、問題があった時にどう神にすがり、解決策を求めてるかを話した。残念ながら、そのときは自分の問題に気づいてなかった。アンドレアはわたしの困難をわかってないと思い、それで彼女の意見を心に留めず、後で反省もしなかったの。

やがて、アンドレアは別の業務へ移っていった。わたしはとても悲しかった。仕事の山を目の前にして、頭は空っぽ。こう自問した。「この仕事を担当してもう1年。まだ引き受けられないのはなぜ?」そのとき、アンドレアに言われたことを思い出した。本当に本分で責任を負ってなかったの? 反省する中で、神に祈って導きを求めた。その後、この御言葉を読んだわ。「働きの問題点について聞かれると、あなたがたはたいてい答えることができません。中にはその働きに関与している人もいますが、働きの進み具合を尋ねたことも、それについてじっくり考えたこともありません。あなたがたの素質と見識から判断すると、何も知らないはずはありません。あなたがたの全員がその働きに加わっているからです。では、ほとんどの人が何も言わないのはなぜですか。何と言っていいかわからないということもありえます。つまり物事が順調に進んでいるかどうかを知らないのです。それには理由が二つあります。一つは、あなたがたがまったく無関心であり、そうしたことに注意を払ったことがなく、済ませるべき作業としてしか見ていないということです。もう一つは、あなたがたが無責任で、そうしたことを気にかけたくないということです。本当に気にかけ、真剣に関与していたら、あらゆることについて視点や観点があるはずです。視点も観点もないというのは、無関心かつ無感情で、何の責任も負わないことから生じることがよくあります。自分が尽くす本分に精を出さず、何の責任も負わず、代償を払ったり関与したりする意欲がなく、何の苦労もせず、精力をもっと費やそうともしません。ただ下っ端でありたいと思うだけで、それでは非信者が上司のために働くのと変わりません。このような本分の尽くし方は神に好まれず、神を喜ばせません。神に認められることはないのです」(『終わりの日のキリスト講話集』「誠実になることでのみ、真の人間として生きられる」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉はわたしの状態を正しく暴いた。アンドレアと働き、話し合うとき、意見や考えがなかった。この分野、この業務をよく知らないからだと思っていたけど、御言葉を読んで初めて、軽率さと無責任のせいだとわかった。アンドレアと組んでたことを振り返ると、業務の問題があってもわたしは心配しなかった。本分に不慣れなことと原則の理解不足を言い訳に、それを避けた。話し合いでもただの聞き役で、じっくり考えない。アンドレアの前で、わたしにはわからない、あなたのほうが経験豊富だと言ったけど、それは嘘と言い訳。真の目的は同情と理解を得て、もっと仕事を押しつけ、気楽に楽しめるようにするため。本当に狡猾でずるい! この仕事を1年担当し、業務の基礎を学んだんだから、責任を負ってちゃんと勉強すれば、話し合いで自分の意見を言えたはず。アンドレアが異動になっても引き受けられたかも。でも本分でぐずぐずするだけで、無責任だった。まるで日銭仕事で、できるだけ楽に、気軽に、毎日を乗り切ろうとしていただけ。正しいやり方を覚え、全力で責任を果たすなんて考えなかった。ただのらくらして、肉の苦しみを避けることばかり考え、神の旨を想わなかった。心に神の居場所がある? こんな本分への態度、神に嫌われて当然。

その後、別の御言葉を読んだの。「主イエスはかつてこう言いました。『おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう』(マタイによる福音書 13:12)。この言葉の意味は何ですか。その意味するところは、あなたが本分や仕事を遂行することも、それに献身することもないのであれば、それまであなたが持っていたものを神は取り上げるということです。『取り上げる』とは何を意味しますか。それは人間としてどのような感じですか。あなたの素質と賜物であれば達成できたはずのことを達成できず、それなのに何も感じないので、あなたはまるで非信者のようだ、ということかもしれません。これがすべてのものを神に取り上げられるということです。本分において怠慢で、代償を払わず、真剣でないなら、神はそれまであなたが持っていたものを取り上げ、本分を尽くす権利を取り消し、それをあなたに与えることはありません。神が賜物と素質を授けたのに、あなたは本分を正しく尽くさず、神のために自分を費やさず、代償を払わず、本分に心を込めなかったので、神はあなたを祝福しないだけでなく、それまであなたが持っていたものを取り上げます。神は人間に特別なスキルや知能や知恵を与え、賜物を授けています。人はそれをどう使うべきでしょうか。あなたが持つ特別なスキル、賜物、知能や知恵は、自分の本分に捧げなければなりません。心を使い、あなたが知っていることすべて、理解していることすべて、達成できることすべてを、自分の本分のために用いなければなりません。そうすれば、あなたは祝福されるでしょう。神に祝福されるとはどういうことですか。人はそれをどのように感じますか。神に啓かれ、導かれるということ、本分を尽くせば道があるということです。人にとっては、自分の素質と自分が学んだことは、物事を完成させるには不十分であるように思えることもありますが、神が働いてあなたを啓けば、あなたはそうしたことを理解して行なえるだけでなく、しっかり行なうことができます。最後には、このように自問するまでになります。『わたしはそれほど熟練していなかった。今では自分の中にずっと多くのものがあり、そのすべてが肯定的なものだと感じる。このようなものを学んだことなどないのに、突然すべてが理解できるようになった。急にこれほど聡明になったのはどうしてだ。自分にできることがこんなにあるのはなぜなのか』。あなたにはこのことが説明できません。これは神の啓きと祝福です。神はこのように人を祝福するのです。本分を尽くしているときや仕事をしているときにこのように感じないなら、あなたがたは神に祝福されていません。本文の遂行がいつも無意味に感じられ、まるで手の打ちようがなく、貢献する気にならないなら、啓かれることがなく、発揮できる賢さや知恵など自分にはないと感じるなら、それは問題です。それは、あなたには本分を尽くす正しい動機も正しい道もなく、神に認められず、あなたの状態が異常であることを示しています。あなたはこう省みなければなりません。『本分を尽くす道が自分にないのはなぜなのか。本分に関することはすでに学んでいるし、自分の専門の範囲内にある。しかも得意だ。ならば、自分の知識を応用しようしても、できないのはなぜなのか。どうして発揮できないのか。いったいどういうことなのか』。これは偶然の出来事ですか。ここには問題があります。神が誰かを祝福すると、その人は賢く聡明になり、何事もはっきり見通せるようになると同時に、鋭く機敏で、ひときわ器用になります。何をするにも要領を心得て、霊感を受けており、何をするのも簡単で、どんな困難にも妨げられないと考えます。こうした人が神に祝福されているのです。では、何事も非常に難しく感じられ、何をするにも不器用で、愚かで、糸口が掴めないなら、また何を言われても理解できないなら、それはどういうことですか。その人には神の導きも、神の祝福もないということです」(『終わりの日のキリスト講話集』「誠実になることでのみ、真の人間として生きられる」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉を熟考してわかった。神は誠実な人、神のため真摯に費やす人を祝福なさる。本分で心を込め、改善を目指せば目指すほど、聖霊に導かれ、本分の効果が上がる。でも狡猾に本分を尽くし、心を込めず、代価を払わないなら、本分で進歩し、収穫を得ることはなく、今までの成果を失いさえする。そのとき、アンドレアから聞いた経験を思い出した。最初は仕事に詳しくなかったけど、いつも困難を神に持ち込み、祈り、求め、熟考し、みんなと交わり、いつの間にか聖霊に啓かれ、新しいアイデアが湧き出るようになった。絶えず進歩し、本分でさらに成果が上がったの。でもわたしは現状維持を目指して進歩しようとせず、快楽を楽しみ、苦しみや代価を嫌ったそれで、能力を発揮できなかった。「持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう(マタイによる福音書 13:12)。とおっしゃるように、神は本分に対するわたしのいい加減で無責任な態度を憎まれた。悔い改めないと、神に拒まれ嫌悪され、最後は本分を失う。そう考えて怖くなり、すぐ神に祈って、実践の道を見つける導きを求め、悔い改めますと言ったの。

この一節を読んで見つけたわ。「人は自分の本分をどのように理解するべきですか。創造主、つまり神が人に行なうように与えること、と理解すべきです。人の本分はこのように生じます。神があなたに与える委託こそ本分であり、あなたが神の求め通りに本分を尽くすのは、天が命じ地が認めたことなのです。自分が神の委託を受け取っていて、それが神の愛であり、自分に向けられた神の祝福であることがわかれば、神を愛する心でもって本分を受け入れることができ、本分を尽くすとき神の旨に心を配ることができ、ありとあらゆる困難を乗り越えて神を満足させることができるようになります。神のために真に自分を費やす人であれば、神の委託を拒否することなどできず、どういった本分であろうと拒むことなどあり得ません。神がどのような本分を託そうと、それがどのような困難を伴おうと、拒否するのではなく、受け入れるべきです。これが実践の道であり、つまり神を満足させるために、万事において真理を実践し、自身の忠誠を果たすのです。ここでの重点はどこにありますか。それは『万事において』です。『万事』とは、必ずしもあなたが好きなことや得意なことではなく、ましてやあなたがよく知っていることでもありません。時には得意でないことがあり、時には学ばなければならず、また時には困難に直面し、そしてまた時には苦しまなくてはなりません。それでも、任務が何であれ、神から託されたものである限り、あなたはそれを神から受け入れ、その本分を受け取って立派に尽くし、自身の忠誠を果たして神の旨を満たさなければなりません。これが実践の道です」(『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」〔『言葉』第3巻〕)。この御言葉を考えて、とても刺激された。本分は私の責任と義務。得意だろうと苦手だろうと、単純だろうと複雑だろうと、神から来たもの。だから責任を負い、できるだけ忠実にならないと。全力を尽くして責任を果たして初めて、神の祝福を得られる。わたしはずっと神の前で、忠実に本分を尽くして神の愛に報いると誓った。でも本分が多少複雑で難しく、苦しんで代価を払う必要があるのに、ぐずぐずして逃げようとしてる。それに気づいて、自分は神に借りがあり、神の愛にふさわしくないと思った。このままじゃいけない。御言葉に沿って実践し、誠実に本分に接し、責任を果たさないと。将来後悔しないために。

そこで、よくわからなかった仕事を調べ、学び始め、複雑な問題を避けるのを辞めた。代わりに兄弟姉妹と話し合い、交わり、わからないことは教えを請うた。やがて、詳細がわかりはじめ、みんなの困難を解決できるようになったわ。作業の総括も、最初はよくわからなくて避けようとしたけれど、読んだ御言葉を思い出して、意識的に肉を捨て、本分の問題を考え、原則を求めて情報を探した。しばらくそう実践すると、神の祝福と導きを感じたの。わからなかったり混乱したりしていた物事にも習熟して、作業の総括で成果を上げた。兄弟姉妹もわたしの総括を実践して、同じく進歩したわ。

本分への態度が多少変わったと思ったけど、同じような状況が起きて、わたしは元に戻ったの。

2021年9月、働きの必要のため、ロージー姉妹と組んで新人を潤すことになった。技術的な問題がない本分だから悩みも少ないと思ったけど、ひとたび始めると、新人の潤しが簡単じゃないことに気づいたの。英語で意思疎通するだけじゃなく、真理の交わりで観念と困惑をすぐ解決しなきゃならない。ロージーはあらゆる点で熟練してた。すぐに関連する真理を見つけ、新人の問題を解決できるけど、わたしはだめだった。真理をはっきり交われず、問題解決できないことがよくあったの。ロージーに追いつくには、たくさん勉強してかなりの代価を払わないと無理。こう思った。「もういいわ。ロージーがパートナーなんだから、心配しなくていい」。そう考えて熱心に真理を求めず、集会後も率先して、新人に問題を尋ねもしなかった。ある日、この本分を尽くして2ヵ月になるけれど、まだ一人じゃ新人を潤せないと反省した。理解できていないのに、代価を払おうとしない。こう自問せずにいられなかった。「慣れない本分を前にすると、わからないことを理由に、ぐずぐずして代価を払おうとしないのはなぜ?」自分の状態と困惑を神の御前に持ち込んで、祈ったわ。

ある日のデボーションで、この二節を目にしたの。「人は本分を尽くすとき、疲れ果てることも、屋外の風雨や日差しに晒されることもない軽い仕事をいつも選びます。これは簡単な仕事を選んできつい仕事を避けることであり、肉体の快楽に貪欲であることの表われです。他には何がありますか。(本分がほんの少しきつく、ほんの少し疲れるものだったり、代償が必要だったりすると、いつも文句を言うことです。)(衣食にこだわったり、肉体的な快適さを楽しむことです。)これらはすべて肉体の快楽に貪欲なことの表われです。このような人は、ある仕事が苦労や危険を伴うと見て取ると、他の誰かに押しつけ、自分は楽な仕事しかしません。そして、いやな仕事ができない言い訳を並べ、自分は素質が乏しく必要な技能がないとか、自分には手が余るなどと言います。しかし実際には、肉体の快楽に貪欲だからです。……肉体の快楽に貪欲な人は、本分を尽くすのに適していますか。本分を尽くすという話題を取り上げ、代償を払って困難に耐えることについて話しなさい。そうすれば彼らは首を横に振り続けます。彼らはあまりに多くの問題を抱え、不満だらけで、何事についても消極的です。このような人は無益であり、本分を尽くす資格はなく、追放されるべきです」(『指導者と働き手の責務』〔『言葉』第5巻〕)。「偽指導者には多少の素質がある人もいるにはいますが、彼らは実際の働きをせず、肉体の快楽に貪欲です。肉体の快楽に貪欲な人は、豚とさほど変わりません。豚は寝て食べる日々を送り、何もしません。豚を一年飼い続けるのは大変です。年末に一家全員でその肉を食べるときには、この豚は役に立ったと言われるかもしれません。偽指導者を豚のように飼い、一日三回ただで飲み食いさせ、太らせ丈夫にさせても、実践的な働きを何一つしない怠け者であれば、飼い続けることは無益ではありませんか。それが何の役に立ちましたか。彼らは神の働きの引き立て役に過ぎず、追放されるべきです。事実、偽指導者よりも豚を飼うほうがましです。偽指導者は『指導者』という肩書きがあり、その地位を占め、一日三回よい食事をし、神の恵みを数多く享受し、そのため年の暮れには肥え太っているかもしれませんが、働きはどうなりましたか。今年あなたの働きにおいて成し遂げられたものをすべて見てみなさい。今年、働きの何らかの部分で成果が上がっていますか。どのような実際の働きをしましたか。神の家は、あなたがすべての仕事を完璧にこなすよう求めてはいませんが、重要な働き、たとえば福音の働き、動画関連の働き、執筆関連の働きなどの重要な働きはしっかり行なわなければなりません。これらはすべて成果が上がらなくてはなりません。通常では、成果、つまり何らかの結果は三ヵ月から五ヵ月後に目に見えるようになります。一年経っても成果がなければ、それは深刻な問題です。一年後、自分の責任の範囲内にある働きのうち、何が最も成果を上げたか、何に最大の代償を払い、何に最も苦しんだかを確かめなさい。自分が成し遂げたことに目を向けなさい。一年間にわたる神の恵みの享受から自分が何らかの価値ある成果を上げたかどうか、心の中である程度は知っておくべきです。これまでずっと神の家で食事をし、神の恵みを享受しながら、あなたはいったい何をしていましたか。何かを成し遂げましたか。何も成し遂げていないなら、あなたはたかり屋であり、正真正銘の偽指導者です」(『指導者と働き手の責務』〔『言葉』第5巻〕)。御言葉を考えるうち、心を貫かれるように感じた。初めて、本分でいつも困難から引き下がり、無知や不慣れを言い訳にするのは、あまりに怠惰で、肉の快楽に貪欲すぎるからだとわかった。以前、アンドレアと責任者だったときは、いつも単純で簡単な仕事を選んで、不慣れな仕事や熟慮が必要な仕事は彼女に押しつけた。ロージーと新人を潤すときも、やっぱり心配や苦しみや代価を避けた。この振る舞いを反省して、サタンの哲学に操られてるのがおもな理由だと気づいた。「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」。「その日の快楽をのがすな。人生は短いからだ」というのが、心に根ざしてたの。人は自分のために生きるべきとずっと思ってた。肉の快楽があって不安がなければ、それがあるべき生き方。教会に来て本分を尽くしても、まだこんな見方をしていて、困難や苦手なことがあって、苦しみや代価が必要なときも、臆病者のように引き下がり、肉の快楽を優先した。豚は考えず、何もしない。飲み食いして寝るだけ。わたしも同じで、肉の快楽ばかり考えた。本当に下品な生き方! 前は責任者、今回は潤し役で、神にずいぶん高めていただいたのに、わたしは進歩しようとせず、責任と本分を一切考えなかった。教会の働きと兄弟姉妹のいのちに無責任だった。良心が一切ないの! 苦しみや代価をはっきり嫌い、無知や不慣れを言い訳に同情を買い、自分は欠点を認められる、理知的で誠実な人だと思わせようとした。実際は、そうした言葉で自分の怠惰と無責任さを隠してたの。兄弟姉妹全員を騙すくらい、狡猾で不実だった。しばらくは騙せたけど、義なる神はすべてをご覧になる。騙してばかりのわたしが、どうして神に嫌悪されない? だからその間本分を尽くしても、神の祝福や導きを見なかったの。問題にいつも混乱し、進歩が見られないなら、それは危険信号!

その後、別の御言葉を読んだの。全能神は言われます。「神がノアに方舟の建造を託したときから、ノアが『神はいつ世界を滅ぼすつもりなのか。そうするという合図をいつわたしに送ってくれるのか』などと自問したことは一度もありません。そんなことを考える代わりに、神から告げられたことを一つひとつ記憶に留め、遂行しようと懸命に努めました。神から託されたことを受け入れたノアは、あたかもそれが自分の人生における最重要事項であるかのごとく、神が語った方舟建造の遂行と達成に乗り出し、遅らせることなど一切考えませんでした。そうして日々が過ぎ、やがて年月が過ぎていきます。神がノアに圧力をかけることは決してありませんでしたが、ノアはこの間ずっと、神から託された重要な任務に打ち込みました。神が発した一言一句が、石版に刻まれた言葉のように、ノアの心に刻まれていました。外界の変化、周囲の人たちの嘲り、建造に伴う苦労、遭遇した困難を顧みず、ノアは神から託されたことにひたすら打ち込み、絶望することも、諦めようと思うこともありません。神の言葉がノアの心に刻まれ、彼の日々の現実になっていたのです。ノアは方舟の建造に必要な資材を一つひとつ準備しました。ノアが金づちとのみを慎重に振るうたびに、神が命じた方舟の様式と仕様が徐々に形をなしました。風雨の中でも、またどのように人に嘲られ、中傷されても、ノアは毎年毎年このように生活を送りました。神は一言もかけずにノアのすべての行動を密かに見守り、その心はノアに感動していました。しかし、ノアはそれを知ることも感じることもなく、最初から最後まで、神の言葉への揺るぎなき忠誠ゆえに、ひたすら方舟を造り、各種の動物を集めました。守り遂行すべき指示として、それより崇高なものはノアの心にはありませんでした。すなわち、神の言葉はノアにとって生涯にわたる指針であり目標だったのです。そのため、神がノアに何を言おうと、何をするよう求めようと、何をするよう命じようと、ノアは完全にそれを受け入れ、記憶に留め、生涯にわたる取り組みとしました。それを忘れないだけでなく、また心に留めるだけでなく、それを人生の現実とし、自らの生命でもって神の委託を受け入れ、遂行したのです。このように、板が一枚また一枚と張られ、方舟が造られていきます。ノアの行ないのすべて、毎日毎日が神の言葉と命令に捧げられました。表面上は、ノアが重大な事業を行なっているようには見えなかったかもしれませんが、神の目からは、ノアの一挙一動、何かを成し遂げるための一歩一歩、手作業の一つひとつでさえ、その一切が貴重で記念するのにふさわしく、この人類が真似る価値がありました。神から託されたことにノアは忠実でした。神が発した一言一句は真実だと揺るぎなく信じ、そのことを一切疑いませんでした。その結果、方舟は完成し、各種の動物がそこで生存することができたのです(『反キリストを暴く』「補説2 ノアとアブラハムはどのように神の言葉に耳を傾け、神に従ったか(1)」〔『言葉』第4巻〕)。御言葉を考え、とても感動した。ノアは従順で、神に配慮してた。神から方舟を作るよう言われると、神の委託を大事にし、その要求に従った。最初は方舟の作り方がわからず、その困難は大変だった。各段階で苦しみ、代価を払ったけど、ノアは神の委託に忠実だった。それを完了させるために苦しみ、代価を払い、少しずつ方舟を作った。120年頑張り抜き、ついに神の委託を果たしたの。ノアは方舟を作るためにずいぶん苦しんだけど、肉の快楽を享受せず、神の委託を果たし、神を満足させ、認めていただいた。ノアの一生は有意義だったのよ! ノアに比べ、わたしには人間性がない。本分を大事にせず、忠実じゃないの。怠惰でずる賢く、肉の快楽ばかり求め、苦しむ気なんかなかった。人間と呼ばれるにふさわしくないし、本当に卑劣! このまま変わらなければ、最後は本分を失い、一生後悔する。

その後は時間をやりくりして、新人の潤しに関する真理を日々備えた。ある日の集会で、潤しの働きでの問題が持ち上がったの。でもわからないことがあって、わたしは避けようとした。解決を任せようと思ったけど、そのとき、またぐずぐずして責任を負ってないことに気づいた。委託に対するノアの真剣で責任感溢れる態度を思い出して、間違った態度を意識して直したわ。問題解決に向けた真理の交わりに耳を傾け、総括のときはアドバイスした。すると素晴らしいアイデアだと言ってくれたの。ロージーと新人を潤すときは、新人の問題解決に努め、解決できないものがあれば、すぐ彼女に助けを求めた。やがてわたしも一人で潤せるようになったわ。欠点や短所はまだ多いけど、成長と収穫を感じて、心はずっと穏やか。わたしが得た理解と収穫は、ただ神の御言葉の効果なの。神に感謝!

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