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苦しみの真っ只中のいのちの歌

19

1999年、私は幸運にも終わりの日の全能神の働きを受け入れることができました。神の御言葉を読んで、そこにある権威と力を知覚し、神の御声だと感じました。創造主が人類にお表しになった言葉を聞けて、自分には表現できないほど心を動かされ、聖霊の働きが人間にもたらす平安と喜びを霊の奥底で初めて感じたのです。その時から、神の御言葉をますます熱心に読むようになりました。全能神教会に入った後、教会が世間とはすっかり異なる全く新しい世界であると知りました。兄弟姉妹はみな実直で親切で、純粋で活発でした。私たちは血のつながりがなく、社会的背景も立場も異なりましたが、互いに愛し合って支え合い、喜びにおいて一つになった同志のようでした。それがわかったことで、神を崇拝する暮らしがいかに幸せで楽しく、素晴らしく、甘美であるかを実感しました。後に、神の次の御言葉を目にしました。「人類の一員として、また敬虔なクリスチャンとして、神が委ねた任務を全うするために心と体を捧げるのは私たちすべての責任であり、義務である。何故なら、私たちの全存在は神から来たものであり、神の支配のおかげで存在しているからである。私たちの心と体が神の委ねた任務のためでも、人類の正義の目的のためでもないなら、私たちの魂は神が委ねた任務のために殉教した人々に値しなくなり、ましてや、私たちに全てを与えた神には値しなくなる。」(『言葉は肉において現れる』の「神は全人類の運命を支配する」より)御言葉のおかげで、私は自分が被造物として創造主のために生きるべきであり、全身全霊を尽くして終わりの日の神の福音を広め、証しすべきであることを理解できました。それだけが最も価値と意義のある人生なのです。そのため、辺鄙な地方に住んでいる多くの人が終わりの日の全能神の福音を聞いていないと知ると、私は同郷の兄弟姉妹にきっぱり別れを告げ、神の国の福音を広める旅に出ました。

2002年、私は福音を広めるため、貴州省の時代に取り残されたような人里離れた山村に行きました。そこで宣教するには、毎日山道を何キロも歩き、しばしば風と雪に堪えなければなりませんでした。しかし神がそばにいてくださったため、一度も疲れたり、それを苦労だとは感じませんでした。聖霊の働きによる導きのもと、そこでの福音の働きはたちまち軌道に乗り、終わりの日の神の働きを受け入れる人が増え、教会生活が活気に溢れました。私は神の御言葉に導かれ、その地で幸せな充実した六年間を過ごしました。しかし2008年になると、突然とてつもない事態が起こり、私の生活の喜びと平穏さを打ち砕いたのです。

それは2008年3月15日の午前11時頃のことでした。私が兄弟二人と集会中だったとき、突然警官が四人ドアを突き破って入って来ると瞬時に私たちを床に押さえ付けたのです。何も言わずに私たちに手錠をかけ、パトカーの中に押しやり、引きずり込みました。車の中で、彼らは皆意地悪くけらけら笑い、電気棒を私たちに向けて振り、時折頭や胴に突いてきました。「お前ら!まだ若くて何でもできるくせに神なんか信じやがって!ろくにやることがないのか?」とひどく罵倒しました。突然の逮捕に、私は大変びくびくし、自分たちに何が待ち受けているのか見当もつかず、ただ黙ったまま心の中で何度も神に呼びかけるしかありませんでした。「ああ神様、この事態は神様のお許しによって今日私たちに降りかかりました。私たちが神様の証を立てられるように、ただ信仰を授け、お守りくださることをお願いします」祈った後、御言葉の一行が心の中に浮かびました。「何よりもわたしに忠誠を尽くし、勇敢に前進しなさい。わたしはあなたの強固な岩である。わたしに拠り頼みなさい。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第十章」より)「そうだ。神様は私の支えで、私の強力な後ろ盾。どんな状況にあっても、神様に忠実で、神様とご一緒に立っていられる限り、必ずサタンに打ち勝ち、辱められる」と私は思いました。御言葉の啓きによって強さと信仰を見出すことができ、「真の道をあきらめて神の証しを立てないくらいなら、死ぬ方がましだ」と静かに決意しました。

警察署に着くと、警官たちは私たちを車から乱暴に引きずり出し、署内に押しやりました。私たちを徹底的に身体検査し、二人の教会兄弟のカバンの中から福音資料と携帯電話を見つけました。金目の物が何も出てこないと見て、悪しき警官の一人は兄弟の一人を引きずり、地面に倒れるまで殴り蹴りました。その後、私たちはそれぞれ別の部屋に連れて行かれ、尋問されました。彼らはその日の午後ずっと私に尋問しましたが、一言も聞き出せませんでした。その夜、午後8時を過ぎると、私たち三人は匿名の被拘禁者として記録され、三人とも地元の拘置所に移送されました。

拘留所に着くとすぐに、二人の女性矯正官が私の服を全部脱がせ、服の金具部分を切り取り、靴のひもとベルトを外しました。私は裸足でズボンを持ち上げながら、恐る恐る監房に向かいました。女性囚人たちは私が入ってくるのを見るなり、狂ったようにいきなり押し寄せてきて私をすっかり取り囲み、全員が私に同時にあれこれ質問攻めしました。照明がとても薄暗かったため、彼女らの目は受け皿のように大きく見えました。私をにらみつけ、物珍しそうに上から下まで見つめ、中には腕をぐいと引っ張ったり、あちこち触ったり、つねったりする人もいました。私は呆然とその場に立ち尽くし、あまりの恐怖に言葉が出ませんでした。この女性たちとこの地獄のような場所で暮らすことになるのかと思うと、その不正義に泣き出したくなりました。ちょうどその時、一言も言わずにレンガのベッドに座っていた囚人が突然、「もうやめな!まだ来たばかりで勝手がわからないんだから。怖がらせないで」と声を上げたのです。それから、私に体に巻きつけるようにと毛布を渡してくれました。私はその瞬間、暖かみが湧き上がるのを感じ、これはこの囚人が私に親切にしてくれたのではなく、神が周りの人々を用いて私を助け、気遣ってくださったのだと悟りました。神はそれまでもずっとともにいてくださり、私は全く孤独ではなかったのです。この陰気で悪夢のような地上の地獄の中で神の愛に寄り添われ、とてつもない慰めを感じました。真夜中になり、他の囚人が皆寝静まっても、私はとても眠るような気になりませんでした。その日の朝は兄弟姉妹とともに喜んで本分を果たしていたのに、夜にはこの墓場か地獄のような場所で横になっており、いつ釈放されるかわからないことを思うと、言葉にならない悲しみと苦悩を感じました。物思いにふけっていると、凍てつく風がどこからともなく吹き上がってきて、私は思わず震えました。頭を上げて辺りを見回し、監房が吹きさらしであることにその時初めて気づきました。寝る場所の上にある屋根以外には、厚い金属棒が溶接されてできた網が上に張ってあり、冷たい風がもろに当たっていました。巡視中の警官が屋根の上を歩いている足音も時折聞こえました。骨も凍るような恐怖しか感じられず、恐怖、無力感、不当に扱われたという意識が一斉にこみ上げてきて涙がとめどなく流れました。ちょうどその時、神の御言葉が心の中に鮮明に浮かんだのです。「あなたの周りの環境にあるすべてのものは、わたしの許しによってそこにあり、わたしがそのすべてを定めることを、あなたは知るべきである。わたしがあなたに与えた環境の中で、明確に見極め、わたしの心を満足させなさい。恐れてはならない。万軍の全能神が必ずあなたと共にいるのだ。神はあなたのしんがりとなり、神はあなたの盾である。」(『言葉は肉において現れる』第一部「キリストの初めの言葉」の「第二十六章」より)「そうだ」と私は思いました。「神様は中共政府が私を捕らえることをお許しになった。ここは暗くて怖く、これからどんな目に遭うかわからないけど、神様が私の後ろ盾なのだから、何も恐れることなんかない!一か八かで、すべてを神の御手の中に委ねよう」神の御心を悟り、前よりはるかに気が楽になったため、神に静かに祈りました。「神様!これがすべて神様のお許しで起こっていることを啓きと照らしによって理解させてくださり、ありがとうございます。神様の指揮と采配に従い、この苦境の中で御心を求め、私に与えようとされる真理を手に入れたいと思います。神様!ただ、私は霊的背丈がこんなに小さいので、どんな拷問に遭わされても神様を裏切らないように信仰と強さを与え、守ってくださるようにお願いします」祈った後、新しい日が来るのを静かに待ちながら、涙を拭いて神の御言葉を思案しました。

翌日早々、監房のドアがドンドン叩かれて開きました。矯正官の一人が「名無しの女、出て来なさい!」と叫びました。私は少し時間がかかったものの、それが自分のことだと気づきました。尋問室で警官から再度名前と住所を訊かれ、教会のことを教えるように言われましたが、何も言わず、ただうつむいて椅子に座っていました。一週間毎日尋問された挙句、警官の一人が指差しながら怒鳴りました。「このアマ!こっちは何日もつきあっているのにまだ一言も吐かないのか。いいだろう、待ってろ。見せてやる物があるからな!」二人の警官はドアをバタンと閉め、かんかんになって出て行きました。ある日、夜になると警察が再び私を呼びに来ました。手錠をかけ、パトカーに押し込みました。車の後ろに座っていた私は狼狽せずにはいられず、「どこに連れて行くの?人里離れた場所に連れて行って犯すつもり?私を袋に入れて、川に投げ捨てて魚の餌にするの?」と思いました。とてつもなく不安でしたが、ちょうどその時、「神の国」という教会の賛美歌の数行が私の耳の中で響き出しました。「神は私の支えなぜ恐れよう最後までサタンと戦う神は私たちを引き上げるだから全てを捨ててキリストを証しするよう奮闘しよう神は必ず地上で旨を行う私の愛忠誠献身を神に捧げる栄光の中に神が戻られる時私は神の帰りを歓迎する」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』より)その瞬間、不屈の強さが私の中で高まりました。賛美歌の歌詞を静かに思案しながら、窓の外を見ようと頭を上げました。警官の一人が私が窓の外をじっと見ているのに気づき、すぐにカーテンを引いて、「何を見てるんだ?頭を引っ込めろ!」と激しい怒号を上げました。急に怒鳴られたショックで震え、すぐに頭を下げました。四人の警官が全員車の中でタバコを吸ってずっと煙を吐き出しており、車内の空気はたちまち耐えられないくらい汚くなり、私は咳をしだしました。私の前に座っている警官の一人が振り向いて、私の下顎を指でつまみ、顔に煙をもろに吹きつけました。そして意地悪く言いました。「いいか、知っていることを全部教えてくれるだけでいいんだ。そしたら全然苦しまなくていいし、家に帰れるんだ。若い女だし、なかなかきれいだし…」この言葉とともに、私の顔中に指を走らせ、いやらしい目でウインクし、変な笑い方をして言いました。「俺たちが男を見つけてやってもいいぞ」私は顔をそむけ、鎖でつながれた手を上げて、男の手を振り切りました。決まりが悪くなった男は怒って言いました。「ほう、なかなか強いな。目的地に着くまで待ってろ。着いたら大人しくなるだろう」車は走り続けました。自分がこれからどんな目に遭うのか見当がつかなかったため、心の中で静かに神に呼びかけるしかありませんでした。「ああ神様。私は今、どんな危険も冒す覚悟ができています。この恐るべき警官たちにどんな手を仕掛けられても、体に少しでも息が残っている限り、サタンの前で神様のために力強く響き渡る証しをします!」

30分以上経って、車が止まりました。私は警官に引きずり出され、よろよろ歩きながら辺りを見回しました。そこはすでに真っ暗で、空の建物が数件だけ点在しており、灯りが一つも点いていません。どこを見ても実に重苦しく怖い所でした。建物の一つに連れて行かれました。中には机とソファがあり、天井からぶら下がっている電球がひどく淡い光を辺り一面に放っていました。床にはロープと鋼の鎖が置いており、部屋の向こう側には厚い金属棒でできた椅子がありました。この恐ろしい光景に、どうしようもないパニックに陥りました。脚がぐらぐらし、ソファに座らないと落ち着けませんでした。それから男が数人部屋に入ってきて、その一人に大声で責め立てられました。「何そこに座ってるんだ?お前の座っていい所か?立て!」そう言いながら、男は私に駆け寄って数回蹴り、私のブラウスの前をつかみ、ソファーから私を引き離し、金属製の椅子まで引きずりました。別の警官が私に言いました。「いいか。こいつは立派な椅子だ。ちょっとの間座るだけで、一生分の『恩恵』がある。お前ら全能神の信者ために特別に用意された椅子だ。誰でも座らせるわけじゃない。素直に俺たちの言うとおりにして、尋ねることに正直に答えてくれれば座らなくていいんだ。だから言え。なぜ貴州に来た?福音を教えるためか?」私は無言でした。片側に立っている強靭そうな警官が私の顔に指を向け、「しゃべれないふりするなよ!吐かないと椅子を味わってもらうぞ!」と罵りました。それでも私は黙っていました。

ちょうどそのとき、扇情的な服装の女性が部屋に入ってきました。どうやらこの警官連中に、私を説得して自白するように頼まれたようで、親切を装って私に言いました。「いい?あなたはここではよそ者で、親戚も友達もいない。私たちが知りたいことを教えなさいよ。教えてくれたら、私がこの貴州で仕事を世話するし、結婚相手も見つけてあげる。いい人を見つけてあげるから。でもそんなのいいって言うなら、うちの家政婦になってもらってもいいわ。お金は毎月出すから。そうすればここで落ち着いて長くいられるわ」私は頭を上げて彼女を一目見ましたが、返答せず、自分の中でこう思いました。「悪魔は悪魔。神の存在を認めず、お金と利益のためならどんなひどいこともする。今この悪魔たちは私を物で釣り、神を裏切らせようとしている。悪魔たちの狡猾な策略にかかって、恥ずべくユダになるなど、どうして私にできるというの?」女は自分の「心優しい」言葉が私に何の効き目もないことに気づき、警官の前で面目を失ったと感じ、すぐに仮面を外し本性を表しました。女は自分のバッグからストラップを外し、それで何回か私をひどく打ち、バッグをソファに乱暴に投げつけました。怒りで頭を振って、女は片側に寄って立ちました。その様子を見て、太った悪しき男性警官が私に飛びかかり、私の髪をつかんで何度も頭を壁にたたきつけ、歯ぎしりしながら、「せっかくの思いやりがわからないのか?え?わからないか?吐くのか。吐かないのか?」と怒鳴りつけました。私は頭を何度も壁にぶつけられたため、目から火花が散り、頭がガンガンし、部屋が回っているように感じ、床に倒れました。すると男は私を引っ張り上げ、私をまるで小鳥か何かのように金属製の椅子に投げ飛ばしました。私は少し気を回復してから、やっと少し目を開きました。すると、男の手に私の引きちぎられた髪の毛が一束握られたままなのが見えました。頭から足まで椅子に縛り付けられ、胸の前に厚い鋼板が置かれていました。手錠が椅子に付けられ、足にはめられた数キロの足かせも椅子に鎖でつながれていました。筋肉を一つも動かせず、まるで彫像になったように感じました。冷たくて重い鎖、錠前、手錠で金属製の椅子につながれた辛さは言語を絶しました。苦痛にもだえる私を見て、悪しき警察は満足げになり、私をあざけりました。「お前が信じてる神とやらは全能なんじゃないのか?なぜ神は助けに来ない?なぜこのトラの椅子から助け出さないんだ?吐いたほうがいいぞ。お前を助けられるのは、お前の神ではなく、俺たちだけだ。俺たちが知りたいことを言えば逃がしてやる。いい暮らしができるんだ。神を信じるなどもったいないぞ!」私は悪しき警察の皮肉な言葉をとても冷静に受け止めました。神の御言葉にこうあるからです。「世の終わりに、神はしるしや不思議ではなく、言葉を用いて人間を完全にする。神は言葉によって人間を露わにし、裁き、罰し、人間を完全にし、言葉の中に神の知恵と素晴らしさを見、神の性質を知り、言葉によって人間が神の働きを知るようにする。」(『言葉は肉において現れる』の「今日の神の働きを知ること」より)神が今なさっている働きは、超自然的ではなく実践的な働きです。神は御言葉を用いて人を完全になさり、御言葉が私たちの信仰といのちとなるようになさります。実際の状況を用いて私たちのいのちの性質を変えられるのであり、こうした実際的な働きによってこそ、神の偉大な力と知恵がより明らかになり、サタンが完膚なきまでに打ち負かされるのです。私が中共政府に逮捕されて残忍な拷問を受けたのは、神が私の神への信仰を試し、私が御言葉により生きて神の証しを立てることができるかどうかをご覧になりたかったからなのです。このことを知っていたので、神のお許しで私に降りかかった事態になら何でも従いたいと思いました。悪しき警官連中は私の沈黙に激怒し、狂ったように襲いかかりました。私は取り囲まれ、頭をこぶしで激しく殴られる、足をさんざん蹴られるなど、ひどい暴行を受け、服を引き裂かれたり顔をまさぐられたりもしました。彼らの残忍な暴行とならず者ぶりに腸が煮えくり返りました。トラの椅子に堅く縛られていなければ、必死に抵抗していたでしょう。この大犯罪組織である中共政府に対しては徹底した憎悪しかなく、ただ黙って決意するしかありませんでした。「中共に迫害されるごとに、私の信仰は高まり、私は命が尽きるまで神を信じる!迫害されればされるほど、全能神が唯一の真の神であり、私が真の道を歩んでいることが証明される」この事実を前に、私はこれが善と悪の戦い、生と死の争いであり、自分がすべきことは、神の名と神の証しを守ることを誓い、実際の行いでサタンをはずかしめ、そうして神に栄光をもたらすことだとはっきり悟りました。この悪しき警察に数日間も拷問と尋問を受け、自白を迫られましたが、教会のことは一切話しませんでした。彼らはついに万策尽き、「手ごわい女だ。もう何日も訊いているのに一言もしゃべっていない」と言いました。彼らが私について話し合っているのを聞いて、私は自分が神の御言葉のおかげで、この悪魔たちが自分の前に置いた地獄の門をすべて切り抜けられたのであり、神の証しを立てられるように神が守ってくださったことがわかりました。心の底から、私は静かに全能神に感謝と称賛を捧げました!

十日以上の尋問の間、私は昼夜を問わず、極度に冷たいトラの椅子に座っていたため、全身が凍った洞窟の中に突っ込まれたような感じがしました。冷たさが骨の髄まで浸みこみ、体の全関節が引き裂かれたように感じました。悪しき警官の中の若手の一人が私が凍えているのを見て、それに乗じて私に言いました。「もうしゃべったほうがいい。体がいくら丈夫な者でもこの椅子には長く座っていられないんだ。このままでいたら一生方輪だぞ」そう言われるのを聞くと、私は弱気で不安になりましたが、そこで静かに神に呼びかけ、「この非人道的な責め苦に耐えられるように、神様を裏切るようなことはしないように、強さをお与えください」とお願いしました。祈った後、神は、私がいつも好んで歌っていた教会の賛美歌によって私を啓いてくださいました。「神を信じる道がどれほど険しくても構わない。私はただ神の御心を自分の使命として果たすだけだ。祝福を受けようが不幸に遭ったとしても気にしない。神を愛すると決意した今、最後まで忠誠を尽くすつもりだ。どんな危険や苦難が待ち伏せても、私の最後がどうなろうとも、神の栄光の日を迎えるためには、私は神の足跡を辿って前進する」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「神を愛する道を邁進する」より)その賛美歌の一語一語に激励され、私はそれを何度も心の中で歌いました。以前、神の御前で立てた、どんな苦難や困難に遭うはめになっても、神のために人生を費やし、最後まで神に忠誠を尽くすという誓いを思い出さずにはいられませんでした。しかし、私は多少の苦痛に遭っただけで弱気で臆病になりかけていました。それのどこが忠実だったのでしょうか。サタンの狡猾な策略にはまっていなかったでしょうか。サタンは私が自分の肉のことを考えて神を裏切ることを望みましたが、私はサタンにだまされてはならないとわかっていました。私が神を信じたために苦しむことができたのは、最も意義と価値のあること、栄光あることであり、どんなに苦しんでも、自分の信仰に背を向けて神を裏切る哀れな小心者になるわけにはいきません。神にご満足頂くためにそう決意すると、徐々に寒さを感じなくなり、心の痛みが消えました。再び神の不思議な御業を目のあたりにし、神の愛を経験したのです。警察は目標を達成できなかったものの、まだ私のことはあきらめませんでした。私を交代で拷問し始め、昼も夜もずっと寝かせませんでした。私がほんの一秒でも目を閉じると、柳でできた鞭で打ったり、電気棒で強く突いたります。彼らにそうされるたびに、私は電気が体中を巡るのを感じ、全身がけいれんに見舞われ、あまりの痛さに死にたくなりました。彼らは暴行を加えながら、「まだ何もかも言わないのか。くそったれ!寝ようとまでしやがって!今日の拷問でぶっ殺せるかどうか見てやる!」と叫びました。暴行がますます激しく、ますます残忍になり、私のみじめな悲鳴が部屋中に響き渡りました。私はトラの椅子にきつく縛り付けられて筋肉を動かせなかったため、この蛮行を甘受するしかありませんでした。この悪しき警官たちは一層満足げになり、時折騒々しい笑い声をあげました。私は長く鞭打ちと感電を受けたせいであちこちにみみずばれと切り傷ができ、顔、首、腕、手が紫色のあざだらけになり、全身が腫れあがりました。しかし体が麻痺していたようで、もはやあまり痛みがありませんでした。これは神が私を気遣い、痛みを和らげてくださっているのだと知り、心の中で何度も神に感謝しました。

私はこの仕打ちをほぼ一か月間受けた挙句、本当にもう限界だと感じました。少しの間でも眠りたくてたまりませんでした。しかしこの悪魔たちには人間性のかけらもなかったのです。私が目を閉じるのを見ると、コップ一杯の水を顔にかけてはっと目覚めさせ、私はまた無理にでも目を開けざるをえませんでした。体力を完全に消耗し、もう命が尽きたように感じました。しかし神は常に私を守り、私が神を裏切らないように、私の意識を明瞭に研ぎ澄まし、信仰を強く保っていてくださいました。私から何の情報も得られないことを見て取り、私が本当に死んでしまうのを恐れた警官らは、やむなく私を拘留所に連れ戻しました。五、六日経ち、私はまだ拷問から回復していませんでしたが、再び引きずり出されてトラの椅子につながれました。重い足かせをはめられ、再び暴行、拷問、虐待で自白を迫られました。そこでさらに十日間苦しめられ、本当に限界になってやっと拘留所に連れ戻されました。さらに五、六日が経ち、全く同じ仕打ちが繰り返されました。こうして半年経ちましたが、何度このような目に遭わされたのかさえもわかりません。毎度毎度同じ拷問でした。徹底的に擦り切れるまで拷問され、今後生きていく希望をすべて心の底から捨ててしまいました。食事を拒否するようになり、数日間水を一滴も飲まずにいました。すると、彼らは私に水を無理やり飲ませるようになりました。一人が頭を支え、別の人が私の顔を支え、口を開けて水を流し込みました。水が私の口の周りから首に流れ落ち、服がびしょ濡れになりました。全身がこごえるほど寒くなり、私はもがこうとしましたが、頭を動かす力もありませんでした。食事を拒否するのも無駄な努力だと見て、トイレに行くために与えられた機会を利用して頭を壁にぶつけて自殺しようと思いました。ものすごく重い足かせを引きずり、ずっと壁に寄りかかりながら、よろよろと一歩一歩トイレに向かいました。あまりにも長く食事を絶っていたため、目がすっかりぼやけて先がよく見えず、途中で何度も転びました。もうろうとしている中、足首が鋼鉄の足かせのせいで大量に出血してボロボロになっていることに気づきました。窓にたどり着くと、頭を上げて外を見ました。人が遠くで往来して自分の用事をしているのを見て、急に心の奥底で何とも言えない感動が湧き、思いました。「この大勢の人の中で、どれだけの人が全能神を信じているかしら?私は幸運な一人なんだわ。神様は群衆の中からこんなに目立たない私を選び、御言葉の潤しと施しを与え、これまでの道中絶え間なく導いてくださった。神様にこんなに祝福されているのに、なぜ死のうとするの?そんなことをしたら本当に神を傷つけてしまわないかしら?」すると、神の御言葉が思い浮かびました。「終わりの日に、あなたは神に対して証しとならなければならない。あなたの苦しみがいかに大きくても、最後まで経験しなければならず、あなたの呼吸が止まるまで神に対して忠実であり続け、神に身を委ねていなければならない。これのみが真に神を愛するという事であり、これのみが強く確固とした証しとなるのである。」(『言葉は肉において現れる』の「辛い試練を経験して初めて、神の素晴らしさを知ることができる」より)励ましと期待に満ちた一語一語に心を温められて感化され、倍に心を打たれました。生き続ける勇気を見出だしたのです。心の中で自分を激励して言いました。「悪魔は私の体だけならば滅ぼすことはできるけど、神様にご満足いただきたいという私の意欲をくじくことはできない。私の心は永遠に神のもの。強くなろう。絶対に屈しない」そして重い足かせを引きずりながら、一歩一歩引き返したのです。呆然としつつも、私は主イエスがあちこち傷だらけになりながらも、苦悩しながらゴルゴタに向かってお歩きになり、疲れ果ててあの重い十字架を背負っておられる姿を思いました。そのとき全能神の御言葉が思い浮かんだのです。「エルサレムへ向かう途上、イエスは苦悶して、あたかもナイフが心の中で捻じ曲げられているかのように感じたが、神の言葉に背く思いは微塵もなかった。いつも強い力がイエスを磔刑の場所に向かって突き進ませた。」(『言葉は肉において現れる』の「神の心にかなうように仕えるには」より)その瞬間、こらえきれなくなった涙が頬を流れました。私は心の中で神に祈りを捧げました。「ああ神様!神様はとても聖く、いと高いお方です。それなのに、私たちを救うために自ら肉となられました。私たちのためにひどい屈辱と苦痛をお受けになり、十字架につけられました。神様!誰が神様の悲しみと痛みを理解したでしょうか?私たちのために払ってくださった大変な代償を誰が理解し、感謝したでしょうか?私は救いを得るために、今この苦難を受けています。また、私が苦しんでいるのは、中共政府の悪魔たちの手で虐げられつつ、その悪しき本質をはっきりと見るためでもあり、そうすることで私は中共に二度と惑わされもだまされもせず、その暗黒の影響を脱することができるのです。それでも私は御心を思わず、自分の肉のことばかり考え、死んでこの責め苦を終わらせようと思ってました。実に臆病で、とても卑劣です!神様!神様は常にご自身を費やし、私たちのために苦しみ、ご自身の愛をすべて私たちに捧げてくださいます。神様!今は何もできませんが、心をすっかり神様に捧げ、どれほど苦しんでも最後まで神様に従い、ご満足頂けるように証しを立てることだけを願います!」残忍な暴行と拷問を受けた数ヶ月間、私は涙一つ流していなかったため、尋問室に戻ったとき、悪しき警官は私の顔が涙で濡れているのを見て、私が参ってしまう寸前だと思いました。その中の太った警官はとても満足げにな顔になり、私に笑いかけて言いました。「じっくり考えたか?協力する気になったか?」私はその男を完全に無視し、男の顔はすぐに怒りで真っ赤になりました。男は急に腕を上げて私の顔を数え切れないほど平手打ちしました。私の顔は焼けるような痛みに見舞われ、血が口角から床に滴り出ました。別の悪しき警官が私の顔にコップ一杯の水をかけ、歯ぎしりしながら叫びました。「協力しなくても構わん。今やこの世は共産党のものだ。吐かなくても、どのみち刑務所行きにしてやれるんだ!」しかし彼らがどう威嚇し、脅迫しようとしても、私は一言も話しませんでした。

警察は私を犯罪で起訴できるほどの証拠を見つけられませんでしたが、それでも引き下がらず、自白させようと拷問を続けました。ある日の夜、警官が数人酔ってよろめきながら尋問室に入ってきました。その一人が私を好色な目つきで見ながら、何か思いついたらしく、「裸にしてつるしてやれ。それで協力するかどうか見てやろう」と言いました。それを聞いて、私は恐怖におののき、心の中で神に呼びかけ、この獣たちを呪い、そのいやらしい策略を阻止してください、と必死に願いました。彼らはトラの椅子から私を解放しましたが、私は重い足かせのせいでろくに立つことができませんでした。彼らは私を囲み、サッカーボールのように蹴り始め、瓜の種の殻を顔に吐きつけながら、何度も叫びました。「協力するか?いい子にならないなら、死んだほうがましだと思わせてやるぞ!お前の神は今どこだ?全能じゃないのか?神に俺たちを倒してもらえ!」「が嫁を欲しがってる。この女をやったらどうだ?ははっ」と言う者もいました。彼らの悪魔のような顔を見て、私の彼らへの憎悪は涙がすっかり乾くほど熱く燃えました。私にできたことはただ神に祈り、私が神を裏切らないように、私が生きようか死のうが神の指揮に従えるように、私の心をお守りくださいとお願いすることだけでした。結局のところ、悪しき警察はあらゆる手を尽くしましたが、私から一言も聞き出せませんでした。やむなく上司に電話して「しぶとい女です。現代のです。死ぬほど殴ってもまだ吐きません。これ以上打つ手はありません!」と報告するしかなかったのです。彼らのとても落胆した様子を見て、私は心の中で何度も神に感謝しました。神の御言葉の導きによって、彼らの残忍な拷問を何度も乗り越えることができたのです。全能神にすべての栄光がありますように!

幾度もの尋問に何の収穫がなかったにもかかわらず、中共政府は私を「法執行妨害」の罪で告発し、七年の禁固刑を言い渡しました。私とともに逮捕された二人の兄弟も同様に告発され、五年の刑を言い渡されました。八か月間もの非人道的な責め苦を受けた後では、懲役七年の判決を聞いても苦痛や苦悩を覚えなかったばかりか、逆に安心し、更に言えば名誉に感じました なぜならそれまでの八か月間、いつも神の導きを経験し、神の限りない愛と加護を享受していたからです。このおかげで、それなしでは我慢の限界を超えていたであろう残忍な虐待を奇跡的に生き延び、証しを立てることができました。これは神が私に与えてくださった最大の慰めであり、私は心の底から神に感謝と賛美を捧げたのです!

2008年11月3日、私は服役のため「第一女子刑務所」に移送され、長い刑務所生活を始めました。刑務所には、非常に厳格な規則があり、私たちは午前6時に起きて作業を始め、その後、日暮れまで一日中働きました。食事とトイレ休憩の時間も戦場にいるかのように緊迫しており、囚人は少しのたるみも許されませんでした。看守は私たちの労働による利益を増やすため、重いノルマを課しました。看守は神を信じる囚人には特に無情でした。このような環境で暮らし、私は常にはらはらし、毎日が一年のように長く感じられました。私は刑務所で最も困難で重い仕事を与えら、支給された食事は、半生の黒く小さな蒸しパン、黄色の古く乾いたキャベツの葉という、犬の餌にもならないものでした。模範囚になって刑期を短縮させようと、私はよく夜明けから夕暮れまで一生懸命働き、体力を超えた生産ノルマを満たすために徹夜もしました。作業場で毎日十五、六時間立ち続け、ずっと半自動セーター製造機のハンドルを回していました。脚は両方ともはれ上がり、痛みや弱さを感じることがよくありました。それでも決してペースを落としませんでした、なぜなら電気棒を持った看守が常に作業場を巡視しており、働いていない者を見ると即座に罰し、模範囚になるための点数を取り消しにしたからです。絶え間ない骨の折れる労働の末、私は身心ともに疲れ果てました。まだ若いのに髪の毛がほとんど白くなり、何度も機械の前で気絶しそうになりました。神が見守ってくださっていなければ、生き延びられなかったかもしれません。最終的には神の加護のもと、刑期短縮の機会を二回得て、この地上の地獄から二年早く出ることができました。

中共政府の手による八か月の残虐な拷問と五年間の投獄の末、私は心身共にひどく傷ついていました。釈放後、見知らぬ人と会うのが怖い時期が長く続きました。特に、大勢の人でにぎわう場所を通りかかると、悪しき警察に拷問された光景が次々によみがえり、心ならずも大きな恐怖と不安を感じてしまいす。長い間あの金属の椅子につながれていたせいで生理不順がひどくなり、様々な病気を患いました。きりのない辛かったあの数ヶ月を今振り返ると、確かに私は多くの苦痛を経験しましたが、中共政府がしばしば標榜する「信教の自由」と「市民の正当な権利と利益は法が保護する」といった言葉が、政府がその罪と悪しき本質を隠すための策略に過ぎないことをはっきり悟りました。また、神の全能、統治、権威、力を真に体験し、感謝するようになり、神の私への気遣いと憐れみを感じることができたのです。これらはすべて、神が私に授けてくださった尊く豊かないのちの宝でした。神の働きは実践的かつ正常であり、神はサタンと悪魔の迫害が私たちに降りかかることを許されます。しかし、悪魔が必死に私たちに危害を加えているときも、神はいつもそこにおられ、静かに私たちを見守って加護し、権威と力の御言葉を用いて啓き、導いてくださいます。神は私たちに信仰と愛を与えてくださり、敵であるサタンを征服して打ち負かし、こうして栄光を得られます。私は心の底から神の知恵と麗しさを賛えます。

今、私は教会に復帰しており、再び兄弟姉妹と一緒にいます。神の愛の導きのもと、教会生活を送り、兄弟姉妹と団結して神の国の福音を広めています。私のいのちは精力と活気に溢れています。今や、神の働きへの信仰に満ちています。神の国の美しい光景が地上に現れるのが実際に見えると言えるほどで、神の賛美を歌わずにはいられません。「キリストの御国が地に降臨した。神の言葉が世界を征服して地を治め、その言葉で全てが可能になり、我らはそれを見ることができる。我らは歓呼し賛美する!キリストの御国の到来を。新しいエルサレムの到来を。神の「ことば」は我らの中で生活し、一つひとつの振る舞いや思いの中にいる…御国は美しく輝き永遠、神の『ことば』を皆が伝え服従し、神を崇める。全宇宙が歓喜にあふれている。全宇宙が歓喜にあふれている。我らは歓呼し賛美する!神の全能と神の知恵を。神の働きが完了したことを。全能神は我らをカナンへと導く。我らが神の富に恵まれるために。」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「キリストの御国が地に降臨した」より)

高静(ガオジン)、河南省

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