中共の残酷な迫害は私の神への愛を強めるばかり

2019年11月28日

2000年、私は幸運にも全能神の国福音を聞くことができました。神の御言葉を読むことで、神の御名の奥義、神の受肉の奥義、いかに神の三段階の働きが人類を救い、人類を徹底的に変え、清め、完全にするかなどといった真理がわかりました。全能神が再臨なさった主イエスであると確信し、神の国の福音を喜んで受け入れたのです。その後は積極的に教会生活に参加し、福音を広め、神の証しをしました。2002年には、福音を宣べ伝えていることで地元で知られるようになり、中共警察に逮捕される危険に絶えずさらされました。今後も本分を尽くし続けられるよう、私は自宅を離れることを余儀なくされたのです。

中共政府はクリスチャンを監視し逮捕する手段として常に電話を用いていたため、私は家を出て以来、家族に電話する気になれませんでした。2003年の初めには家族と離れて一年近く経っており、家族のことがとても恋しかったため、夫に会いに義母の家に行きました。夫の弟は私が戻ったと知ると実家の母に電話して、私が義母の家にいることを伝えました。驚いたことに、その三時間後、市公安局の警官四人がパトカーで義母の家に来たのです。家に入るとすぐ私に「市公安局の者だ。お前が李(リー)智(チー)だな? 一年近く指名手配してついに見つけたぞ! 同行してもらう!」と憎々しげに言いました。私はものすごく怖くなり、心の中でひたすら神に祈りました。

「ああ全能神よ! 今日、中共政府はあなたのお許しにより私を逮捕します。しかし私はあまりにも背丈が小さく、臆病で怖気づいています。私を導き、守り、信仰と強さを与えてください。彼らにどう扱われようと、私はあなたに頼り、証しを立てることを望みます。ユダになってあなたを裏切るぐらいなら監獄に行く方がましです!」

祈った後、神の次の御言葉を思い出しました。

彼の性質は権威の象徴であり、あらゆる正義の象徴であり、また、あらゆる美と善の象徴である。しかもそれは、暗闇やいかなる敵の勢力にも圧倒されず、侵害されることのない者の象徴[a]であり(『神の出現と働き』「神の性質を理解することは極めて重要である」〔『言葉』第1巻〕)

「そうよ」と私は思いました。「神は万物を統治し支配される。過去数年間、中共政府は神の国の福音が広まるのをあの手この手で妨げ、阻もうとしてきたけれど、神を誠実に信じて神の御声を聞くすべての宗教や教派の人々が、終わりの日の救いを受け入れようと神の御座の前に戻ってきた。このことから、神の働きはどんな勢力にも止められず、どんな人間にも邪魔できないことは明らかだわ。今、私は中共警察の手に落ちたけれど、彼ら自身も神の御手の中にあるのだし、神がそばにいてくだされば、何も怖くはない!」神の御言葉に信仰と強さを与えられ、私は徐々に落ち着きました。

市公安局に到着した後、私は尋問室に連れて行かれました。警察は私のベルトを外し、服も靴も靴下も脱がせて身体を調べました。

それから、警官の一人が叫びました。

「さっさと知ってることを全部教えるんだ。信者になって何年になる? 誰に教わった? お前の教会の指導者は誰だ? 自分は何人教えたんだ? 教会では何をしている?」

私が尋問に答えなかったので、警官は即座に腹を立て、「吐かないなら吐かせる手はいくらでもあるぞ!」と怒鳴りながら、私を乱暴に椅子から引きずって床に叩きつけました。二人の警官が私の脚を踏みつけ、もう二人がその間に背中を強く踏みました。私は頭を床に強打しそうになり、息がしづらくなりました。警官の一人が鉛筆で私の足の土踏まずを軽く前後に引っかき、傷つけながらくすぐりました。それは耐えがたいもので、私はあまりの息苦しさに窒息寸前になり、死の恐怖に苛まれました。

警官の一人が「吐くのか、吐かないのか? 吐かないなら死ぬまで拷問するぞ!」と脅してきました。この警官どもによる責め苦と脅迫の中、私は心の底から恐怖を感じ、死ぬまで拷問されるのではないかと危惧しました。自分にできたのはひたすら神に祈り続け、自分が証しを立てて決してユダになって神を裏切らないように信仰と強さを与え、守ってくださるようにお願いすることだけでした。祈った後、神の次の御言葉が思い浮かびました。

信仰とは一本の丸太橋のようものである。卑屈になって命にしがみつく者がそれを渡るのは困難だが、自らを進んで犠牲にする者には不安なく渡ることができる。臆病と恐怖を抱いている者はサタンに騙されているのだ。サタンは私たちが信仰の橋を渡って神の中に入ることを恐れている。(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第六章」〔『言葉』第1巻〕)

神の御言葉に感化された私は自分の中に力がみなぎるのを即座に感じ、自分の臆病さと死への恐怖はサタンにもてあそばれた結果であると気づきました。私が死ぬことを恐れ、苦痛を受けたがらないのをいいことに、中共政府は私を残酷な拷問にかけることで、その暴威に屈服させ、教会を売り渡させ、神を裏切るユダにならせようと空しい望みを抱いていたのです。サタンの狡猾な陰謀を成功させるわけにはいきません。そこで私は、自分の命を犠牲にしてでも神の証しをする決意をしました。警察は同じやり方で私を拷問し続けましたが、私はもうさほど怖くありませんでした。その時には、これは神が憐れみと加護を見せてくださっているのだと承知しており、神に大変感謝していたのです。

二人の警官が私を手錠で椅子につなぎ、再び厳しい口調で同じことを尋ねましたが、私が依然として返答しなかったため、拷問をさらに激しくしました。私の両腕を真っ直ぐ引っぱり、強引に背中のほうへひねり上げたのです。たちまち両腕が引きちぎれそうに感じ、その激痛で全身が汗だくになって思わず悲鳴を上げました。次に彼らは私の足が頭の上にくるように両脚を引っ張り上げてから、それぞれ反対方向に引っ張りました。その引き裂くような痛みに私は失神しそうになり、心の中で神に祈り続けました。

「ああ全能神よ!この痛みに耐える信仰と強さと決意を与えてください。あなたが私の堅固な後ろ盾となり、私の霊に強さを与えてくださいますように。この悪魔どもにどんな残忍な策を仕掛けられても、私はいつもあなたに頼り、証しを立てます」

祈った後、神の御言葉の賛美歌が私の心に浮かびました。

試練が来ると人は弱く悲観的になる、彼らは神の意志を実行する時、最善の道への明確さを欠くかもしれない。だがあなたは神の業を信頼するべきで弱い自分の生まれた日を呪っても全を与えてまた取り去る。…神が完全にするのはあなたの信仰、それに触れることも見ることもできない時、あなたの信仰が求められる。何かが見えない時は信仰が求められる。それが肉眼から隠されている時、あなたが自分の思想を手放せない時、神の働きがわからない時には、信仰を持て、人は苦難の時、それを奮い立たせ、鍛錬を信仰で耐え抜く、信仰で神が見えて完全になる。神の言葉から受けた鍛錬が何であれ、神が完全にするのはあなたの信仰、それに触れることも見ることもできない時、あなたの信仰が求められる。(『小羊に従って新しい歌を歌おう』の「試練には信仰が求められる」より)

神の御言葉に大きな信仰と強さを与えられ、私はヨブが経験した大変な試練のことを思い出しました。そのときヨブは全身が腫れ物でぼろぼろになり、ひどい苦痛に苛まれましたが、そのつらさにもかかわらず神の御心を求めることができました。言葉で罪を犯すことも、神を否定することもなく、それどころか神に従い、神の聖き御名を讃えたのです。ヨブには神に対する真の信仰と崇敬の念があり、そのため神の証しを立て、サタンを徹底的に辱め、打ち負かすことができました。そして最後に神がお姿を現され、ヨブに語りかけられたのです。このとき私に降りかかった逆境と試練も神がお許しになったものです。私は神の御心を完全には理解しておらず、私の肉は極度の苦痛に見舞われていましたが、私が生きるか死ぬかを最終的に決定されるのは神であり、警察も神のお許しがなければいくら私を拷問しても絶対に命を奪うことはできません。この警官たちは表向きこそ凶暴ですが、神の御前ではただの張り子の虎であり、神の御手の中の道具にすぎないのです。神は私の信仰を完全にするために彼らの残虐性と迫害を用いておられるのであり、私は神への忠誠を保ち、自分を完全に神の御手に委ねるとともに、サタンに打ち勝ってこれ以上警官を恐れないよう神に頼ろうと思いました。

警察は繰り返し私を拷問しました。私はそれでも無言だったため、警官の一人に五十センチほどの白い鉄の定規で顔をひどく叩かれました。何回それで叩かれたかわかりません。顔が腫れ上がり、焼けるように痛みました。目から火花が出て何も見えず、頭がガンガンしました。二人の警官に革靴のかかとで太ももを踏みつけられ、一度踏まれるごとにものすごい激痛に見舞われました。苦しみの中でできたことは、ただ心の中で必死に神に呼びかけ、中共警察による残酷な拷問に打ち勝てるよう私をお守りくださいと願うことだけでした。

翌朝の午前八時、刑事警察隊の隊長が尋問室に入ってきました。私から何の情報も得られていないことを知ると、「吐く気がないんだな?ふん!今に見ていろ!」と息巻いて部屋を出ました。その日の午後、太った警官が身分証明書を持って私のところに来て、「こいつを知っているか?」と尋ねました。それが同じ村の教会の姉妹であるとすぐにわかったので、「何があっても姉妹を売り渡すわけにはいかない」と思い、「いいえ、知りません」と答えました。警官は目を細め、テーブルの上に置いてある電気棒を取って私の顔の前で振りながら、こう恫喝しました。

「頑固な奴め。お前が教会の指導者なのは知ってるんだ。だから白状しろ!お前の教会の信者は何人いる?教会の金はどこだ?教えないと電気棒を食らわせるぞ」

警官の悪意に満ちた顔を見て、私は極度に怖気づき、急いで静かに神に祈りました。そのとき、神の御言葉が思い浮かんだのです。

恐れてはならない。万軍の全能神が必ずあなたと共にいるのだ。神はあなたのしんがりとなり、神はあなたの盾である。(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第二十六章」〔『言葉』第1巻〕)

私は権威のある御言葉に信仰と強さを与えられ、自分には頼れるものがあるのだとすぐさま感じ、「神は全能で、どんなに残酷なサタンと悪魔たちも神の御手の中にあるのではないかしら。全能神が堅固な後ろ盾としていらっしゃるなら、何も怖くない」と思いました。そのため「何も知らない」と何気なく答えました。太った警官は「知らないならこうしてくれる」と意地悪く言いながら、私の手錠を電気ショック棒で触りました。強烈な電流とともに、耐え難い痛みの波が私の全身に広がり、その苦しさは言語に絶しました。警官は電気ショック棒で私を感電させ続けましたが、ちょうど私が我慢できなくなったとき、電気ショック棒の電池が切れるという奇跡が起こりました。私は神の全能と主権を目のあたりにした上、神がいつもそばで自分を見守り、加護し、弱さを気遣ってくださっていることを体験したのです。私の信仰は高まり、神を証ししようという決意が強まりました。

その後、警察は私がまだ話しそうにないと見て、二人ずつ交代で私を見張ることにしました。私に飲食も睡眠もさせませんでした。私がうとうとし出すと、彼らは私の意志をくじこうと即座に殴ったり蹴ったりしました。しかし神が私をお導きになり、彼らの狡猾な策略を見極められるようにしてくださいました。そこで静かに神に祈り、心の中で賛美歌を歌い、神の御言葉をじっくり考えたところ、気がつくと士気が上がっていたのです。一方、この警官たちは何度もコーヒーを飲んでいましたが、それでも疲労のためにあくびをし続けていました。

その一人は驚愕して言いました。

「この女は何か魔法の力で耐え続けているんじゃないのか?でなけりゃどうしてこれだけ元気でいられるんだ?」

それを聞いて、私は神の大いなる力を何度も讃えました。なぜなら、それはすべて神の御言葉の導きによるものであり、神ご自身のいのちの力が私を支え、信仰と強さを授けてくれていることを心の中でよく承知していたからです。警察が他にどんな残虐な拷問を用意しているか、その時はわかりませんでしたが、神に頼ってこれからの尋問に立ち向かう信仰をもち、「決して中共政府の暴威に屈せず、神を証ししよう」と決心しました。

三日目の夕方、刑事警察隊の隊長が私にコップ一杯のお湯をかけ、気遣うふりをして言いました。

「もうバカな真似をするな。お前だって誰かに売り渡されたのに、他の奴らのためにこれほど我慢して何になる?知っていることを全部話せ。そうすればきっと解放してやる。お前の息子はまだ小さくて母親の愛情が必要だ。せっかくいい暮らしができるのに、神など信じて無駄するのか!お前を救えるのは神じゃない。我々だ。困ったことがあれば助けてやるし、ここから出たらいい仕事を見つけられるようにしてやるから……」

警官の話を聞きながら、私は幼い息子のことを考え、自分の逮捕以来どうしているだろうと心配せずにいられませんでした。

「信仰のない友達や親戚に笑われないかしら? 同級生にいじめられないかしら?」

私が弱りだしたまさにそのとき、神は御言葉のある一節によって私を啓いてくださいました。

あなたがたは常に目を覚まし、待っていなければならない。わたしの前にて、さらに祈らなければならない。いくつも存在するサタンの企てやずる賢い策略を見極め、霊を知り、人々を知り、どのような人や物事をも見分けることができなくてはならない。(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十七章」〔『言葉』第1巻〕)

私は神の御言葉に感化され、サタンは私の家族への思いを利用して、私が神を裏切るように誘惑しているのだとはっきり悟りました。サタンは私が息子を何よりも大切にしていることを知っており、警察を代弁者に用いて私を苦しめ誘惑し、私が息子への愛情のために兄弟姉妹を売り渡すように仕向けていたのです。そうすれば私は神を裏切ることになり、ついには神に呪われ罰せられるユダとなってしまいます。サタンはそれほど陰湿で悪意があるのです。私は自分が息子のそばにいて面倒を見てやれないことで悩みましたが、それは中共政府が神の敵だからであり、クリスチャンを必死に逮捕し、迫害するからではないでしょうか。なのに警察は、私が神を信じているせいだと言っています。そう言うことで、彼らは真実を引っくり返し、事実を歪めてはいないでしょうか。中共政府は実に恥知らずでよこしまです。そのため警官が何を言っても、私はまったく相手にしませんでした。私が飴でも鞭でも動かないと知ると、警官はカンカンになってその場を去りました。神の導きと加護の下、私は再びサタンの試みに打ち勝ったのです。

その夜の午後八時過ぎ、例の太った警官が大きな電気棒を手に、三人の部下を引き連れて戻ってきました。彼らは私をジムに連れて行き、服を脱がせ(下着だけにし)、ロープでランニングマシンに縛り付けました。彼らの見るからに悪意に満ちた顔に、私はとてつもない恐怖と絶望を感じ、これからどんな残酷な拷問を加えてくるのか、それがいつまで続くのか見当もつきませんでした。その時点でとても弱気になり、死のうという考えが頭をよぎりました。しかしこの考えが間違っているとすぐに悟ったため、急いで神に祈り、呼びかけました。

「ああ全能神よ!あなたは私の心をご存じです。私はユダになってあなたを裏切り、裏切り者として歴史に名を残したくありません。しかし私の背丈はあまりに小さく、この責め苦の中、あまりにも痛みと弱さを感じているため、我慢できずあなたを裏切ってしまうことを恐れています。ああ神よ!私を守り、信仰と強さを与えてください。私とともにいて、導き、手を引き、私がこの残忍な拷問を通して証しを立てられるようにしてください」

祈った後、神の次の御言葉を思い出しました。

このように、終わりの日に、あなたは神に対して証しとならなければならない。あなたの苦しみがいかに大きくても、最後まで経験しなければならず、あなたの呼吸が止まるまで神に対して忠実であり続け、神に身を委ねていなければならない。これのみが真に神を愛するという事であり、これのみが強く確固とした証しとなるのである。(『神の出現と働き』「辛い試練を経験することでのみ、神の素晴らしさを知ることができる」〔『言葉』第1巻〕)

神の御言葉は私に慰めと励ましをもたらしてくれました。この残酷な拷問が私に加えられるのを神がお許しになっているのは、私の中に真の信仰と愛が培われるためであり、私が苦しみの中でも神に忠実であり続け、神の指揮と采配に従い、試練がどれほど大きくても、苦痛がどんなにひどくても、神の御言葉に頼って証しをするためであることを、私は御言葉によって悟ることができたのです。神の御心がわかったため、サタンと最後の最後まで戦う勇気と決意がたちまち私の中で芽生え、「これからどんな拷問に遭うことになっても生き続けたい。苦しみがどんなに大きくなっても、息のある限り神に従おう!」と決心しました。

ちょうどそのとき、太った警官がタバコを口に咥えながら、「吐くのか、吐かないのか?」と尋ねてきました。私は毅然として、「殴り殺してもいいけど、私は何も知らないわ」と答えました。警官は烈火のごとく怒り、タバコを床に投げつけ、電気棒を私の背中と太ももに何度も押し付けました。私は耐え難いほどの激痛で全身が冷汗だらけになりました。警官は棒を私に押し付けながら、「しゃべらないからこうなるんだ!泣き叫ばせて、どれだけもつか見てやる!」と怒号を上げました。部屋の中で周りに立っている他の警官たちがやかましく笑い、「なぜお前の神は助けに来ないんだ?」など、神を冒涜する言葉を何度も口にしました。彼らの悪魔のような顔を目にしながら、私は神に真剣に呼びかけ、私が苦痛に耐え、サタンが笑えなくなるように信仰と強さを授けてくださいとお願いしました。祈った後、私は口を閉じ、彼らにいかに苦しめられても音一つ出そうとしませんでした。彼らは絶えず私を感電させ、電気棒の電池が切れるたびに取り替えました。私はあまりの拷問を受けて頭の中がぼやけ、死んだほうがましなように感じられました。筋肉を動かすこともできませんが、彼らは私が静止したのを見ると気絶したと思い、目覚めさせようと冷たい水をかけ、感電させ続けました。苦痛の中、私は神の次の御言葉を思い出しました。

全くけしからぬ共犯者集団である[1]。悪魔は人間の中に来て享楽にふけり、混乱を助長する。…悪魔は、地における暴君としての権力を掌握することさえ望む。悪魔は神の業を妨害しており、それにより神の業は辛うじて前進し、銅と鋼の壁のように、人間を封じ込めることが出来る。極めて多くの罪を犯し、極めて多くの問題を引き起こしてきた悪魔には、どうして罰を待つ以外に何か期待出来ることが有るだろうか。悪魔と悪霊は、地上を暴れ回り、神の心と丹精を込めた努力を封じ込めて、それらを浸透不可能なものとしている。何という大罪であろうか。どうして神が不安にならずにいられようか。どうして神が怒らずにいられようか。悪魔は、神の業に対して重篤な妨害や反対を引き起こしている。まったく反逆的過ぎる。そうした大小の悪魔は、自分よりも強力な悪魔に対してでさえも、横柄な態度を取って波乱を引き起こす。(『神の出現と働き』「働きと入ること〔7〕」〔『言葉』第1巻〕)

神の御言葉の啓きにより、私は中共政権の素顔をはっきりと知ることができました。中共は真理と神を徹底的に憎み、全能神の言葉が広く伝わっていることに恐れをなしています。自分の支配を永久に保つため、あの手この手で神の国の福音が広まるのを止めようとし、神の選民の逮捕、拷問、虐待に手段を選びません。中共政府が信者をこのように蹂躙し、迫害するのは、終わりの日の神の働きをつぶしたいからです。宗教信仰を根絶し、人々が神を信じて従うことをやめさせ、中国を無神論の地に変え、そうして中国人民を永久に支配するという狂った目標を達成するためなのです。中共政府は外の世界に向かって「信教の自由」、「中国公民は合法的な権利を享受している」と宣言していますが、実際にはどれも人々を欺き、だまし、わなにかけるための真っ赤な嘘であり、中共の悪しきやり方を隠す策略なのです、中共政府のふるまいはよこしまで天に背いており、その本質は神の敵である悪魔サタンの本質です。まさにそう悟った時、私は沈黙しつつ何としても決意せざるをえませんでした。

「神が払ってくださった大変な代償を無駄にせず、決意と良心をもたないといけないし、どんな残酷な拷問に遭っても常に神の証しをしよう」

ちょうどその時、えもいわれぬ正しさの感覚が私の中で生まれ、神が自分のそばにおられ、強さを与えてくださるのを感じました。それからは警官にどう感電させられても痛みを感じませんでした。神の不思議な御業を再び目の当たりにしたのです。神の臨在、すなわち、神が私を加護し、見守ってくださっていることを深く実感しました。警官は私を四時間にわたって拷問しましたが、それでも情報を聞き出せず、万策尽きて私をランニングマシンから解くほかありませんでした。私は体力がまったく残っていなかったため、床に倒れました。二人の警官が私を尋問室に引き戻し、椅子に座らせ、手錠で暖房管につなげました。彼らのとてもくじけた様子を見て、私は神に感謝と称賛を表わさずにいられませんでした。

「ああ全能神よ!私はあなたの全能と主権を経験し、あなたのいのちの力が他のすべての勢力を打ち負かせることがわかります。神に感謝します!」

四日目、五人の警官が尋問室に入ってきました。その一人は電気棒を持ち、電気でパチパチさせました。数日にわたる残忍な拷問のため、私はその嫌な青い光を放つ棒を見て恐怖でいっぱいになりました。私に尋問したことのない警官が私の前に来て立ち、電気棒を私を押し付けて言いました。「お前はしぶといらしいな。今日はどれだけしぶといか見せてもらうぞ。どうにもならない奴だとは思わん。吐くのか、吐かないのか?吐かないなら今日がお前のくたばる日だ!」私は「何も知らない」と答えました。これに警官は屈辱のあまり激怒し、私を椅子から強引に引きずって床に叩きつけ、そこに抑えつけました。別の警官が私のシャツの下から電気棒を押し付け、背中を感電させながら、「吐くのか、吐かないのか?吐かないと殺すぞ!」と叫びました。彼らの残酷さと醜くいやらしい表情を前に、私はどうしようもない恐怖に陥り、急いで神に呼びかけました。

「ああ全能神よ!どうかお導きください!真の信仰と強さを授けてください!」

警察は止め処なく泣き叫んでいる私を感電させ続けました。私は全身の血が頭に流れ込んでいるかのように感じ、そのあまりの痛さで汗だくになり、失神しそうになりました。私がまだ話しそうにないと見て、警察は怒り狂って私を罵倒し始めました。少し経って私が気絶しそうになったとき、彼らは私を引きずり戻し、再び手錠で椅子につなぎ、私を眠らせないように二人ずつ交代で見張りました。その時の私はもう四日間何も食べず、水も飲まず、睡眠もとっていませんでした。その状態で彼らに残酷な拷問を加えられ、体がこの上なく弱っていました。寒い上に空腹で、この二つの苦痛に体の負傷によるズキズキした痛みも重なり、自分の人生の終わりが近いように感じられます。極度に弱った私の心の中に、神の御言葉の一行が現れました。「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである(マタイによる福音書4:4)この御言葉をじっくり考えた私は、神の御言葉だけが自分がこうした状況で生き続けるための支えになりうることを理解すると同時に、神がまさにこの状況を用いて、私のこの側面の真理への入りを完全になさっているのだと気づきました。このことを何度も熟考すると、知らないうちに自分の苦しみも、飢えも、寒さも忘れていました。

五日目、私が断固として沈黙しているのを見た警察は、「判決まで待つんだな。七年以上の刑だが、今しゃべればまだ避けるチャンスがあるぞ!」と悪意も露わに脅しだしました。そこで私は静かに神に祈りました。

「ああ、全能神よ!中共警察は私を懲役七年に処すと言いますが、私は彼らには決められないことを知っています。私の運命はあなたの御手にあるからです。神よ!あなたを裏切るぐらいなら、これから一生監獄に入って真の道に留まります」

その後、警察は私が神を裏切るように仕向けるため、信仰のない夫を連れて来ました。夫は手錠をかけられた私の姿と、全身の切り傷や打撲傷を見て、「手錠なんて今までテレビでしか見たことない。まさかお前がこうなるなんて」と嘆きました。夫のその言葉を聞き、顔に浮かぶ悲しげな表情を見た私は急いで神に祈り、自分が家族への思いからサタンのわなにはまらないようお守りくださいとお願いしました。祈った後、私は穏やかな口調で夫に言いました。

「私は神を信じているの。泥棒や強盗はしていない。ただ集会に行って、神の御言葉を読み、神のお求めどおりに正直な人を目指してるの。何の犯罪も犯してないのに刑務所行きにするって言うのよ」

夫は「弁護士を探すよ」と答えてくれました。

警官たちは、夫が私に教会と兄弟姉妹の情報を伝えさせよう"としないどころか、弁護士を手配すると言ったのを知ると、夫を部屋から引きずり出しました。これは神が守ってくださったのだと私にはわかりました。私の家族への思いがとても強いため、もし夫が私の体の状態を気遣うことを言っていたら、強くいられたかどうかわかりません。私がサタンの誘惑に打ち勝つことができたのは、神の導きと加護のおかげだったのです。

警察は私がぼろを出さなかったことで頭に血が上り、「気が狂う注射を今からしてやろう。そうしたらここから出してやるし、死ぬこともできなくなるぞ!」と言いました。それを聞いて私はたちまち不安に陥り、再び恐怖に取り憑かれました。そして中共政府がどれほど残酷で邪悪であるかを思い起こしました。彼らは教会の責任者を逮捕してひどい暴行と拷問を加え、それでも教会に関する情報が何一つ得られないと、薬物を強制的に注射して発狂させ、統合失調症にさせてしまいます。中共政府にこのような残酷な拷問と迫害を受けた兄弟姉妹もいるのです。そのことを考えると胸の鼓動が激しくなり、「正気を失って狂人のようにさまようまで、この中共の手先たちに苦しめられるのかしら」、そう考えれば考えるほど怖くなり、冷汗が止まらず体中に染み渡りました。

私は急いで神に祈り、こう呼びかけました。

「ああ全能神よ!中共の手先たちは私に麻薬を注射して狂わせようとしており、私は狂人になってしまうことを恐れています。神よ!あなたの証しをすべきなのは承知していますが、今とても臆病で怖気づいています。神よ!私が自分の生死をあなたに委ね、あなたの指揮と采配に従うことができるように私の心を守り、真の信仰を与えてください」

そのとき、「また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。(マタイによる福音書10:28)という主イエスの御言葉が思い浮かびました。主の御言葉は私に信仰と強さを与えてくれました。

「そうよ」と私は思いました。

「この悪魔たちは私の体を殺し、傷つけることはできても、私の魂は殺すことも傷つけることもできない。神のお許しがなければ、その薬を注射されても狂いはしない」

そして神の次の御言葉を思い出しました。

人々が自らの命を犠牲にする覚悟がある時、全てがささいなものとなり、彼らをしのぐ者はいなくなる。いのちよりも大切なものがあろうか。だから、サタンは人の心に働くことはできず、人に対して何もできなくなる。(『神の出現と働き』「『全宇宙への神の言葉』の奥義の解釈、第三十六章」〔『言葉』第1巻〕)

神の御言葉を思案するうちに、心の奥で感じていた恐怖が徐々に消え、もはや怖気づかなくなりました。むしろ自分を神の御手に委ねて、自分が生きようと死のうと、狂人になろうと白痴になろうと、神の主権に従おうと思ったのです。ちょうどそのとき、警官が針と薬を持ってきて、「吐くのか、吐かないのか!吐かないならこいつをぶちこむぞ!」と脅しました。私はまったく恐れることなく、「好きにしなさい。何かあったらあなたのせいよ」と言いました。私が怖がっていないのを見た警官は、「イルスを注射してやる」と残忍に言い放ちました。私がそれでも恐れをなさなかったため、警官は怒りで歯ぎしりし、「このアマ。劉胡蘭よりしぶとい奴だ」と吐き捨ててテーブルに針を投げつけました。私は意気揚々でした。神の御言葉が私を導き、再びサタンを辱めたのを目の当たりにして、神に感謝の祈りを捧げずにはいられませんでした。結局、警察は望む情報を私から得られないと悟ったため、落胆して立ち去りました。

やるだけやっても効果がなかったため、警察はやむなく私を拘置所に送りました。私がそこに着くとすぐに、看守が「この女は東方閃電だ。熱烈に歓迎してやれ」と言って他の囚人を煽りました。私が反応する間もなく、数人の囚人が寄ってたかって私をトイレの中に引きずり込み、服を脱がせてから、凍るような冷水で身体を洗いました。鉢一杯の冷水をかけられるたびに、岩を体にぶつけられたような冷たさと痛みに襲われ、あまりの寒さに全身ががたがた震えました。床にしゃがんで頭を抱えながら、心の中で何度も神に呼びかけました。しばらくして囚人の一人が「そのくらいでいいわ。病気になられたくないからね」と言いました。私にこの罰を加えていた囚人たちは、この囚人がそう言うのを聞いてやっと手を止めました。彼女は私が五日間何も食べていないことを知ると、夕食の時に窩(ウォ)頭(トウ)(トウモロコシ粉の蒸しパン)を半分くれました。これは私の弱さに対する神のお気遣いであり、この囚人を動かして私を助けてくださったのだと、私にはよくわかりました。神がいつも私とともにおられると知り、心の底から神の憐れみと救いに感謝しました。

拘置所の中で、私は他のさまざまな囚人とともに暮らしました。三度の食事はいつも窩(ウォ)頭(トウ)一切れと塩漬けのカブ二枚か、虫が浮いていてキャベツがほとんど入っていないキャベツスープ一杯でした。週に一度は小麦粉の蒸しパンが出ましたが、それも拳ほどの大きさしかなく、まったく腹を満たせませんでした。そこでの日課としては、刑務所規則の暗唱の他に手工芸品作りの作業がありましたが、ノルマをこなすのは不可能でした。きつい手錠で両手が傷つき、感覚をすっかりなくすほど感電させられ、しかも作らされる工芸品があまりにも小さいため、それを手で持つことも、重いノルマをこなすこともできませんでした。ある時、私が作業を終えていなかったことを理由に、看守は私を眠らせないよう他の囚人に一晩中見張らせました。また、罰として見張り番に立たされることもしょっちゅうで、睡眠は一晩に四時間しか許されませんでした。この間、中共警察は絶えず私への尋問を続けました。私をそそのかして神を裏切させようと息子に手紙を書かせさえもしました。しかし神の加護と導きの下、私はサタンの狡猾な策略を見破り、何度も証しを立てることができました。警察は何の証拠も得られなかったにもかかわらず、私を「社会の治安を乱した」罪で起訴し、労働再教育三年という判決を下しました。

2005年12月25日、私は刑期を終えて釈放されました。この正義と悪の戦いを経験して、私は心身ともに苦しみましたが、それでも多くの真理を悟り、中共政府の神に反抗する悪魔的本質をはっきりと目にしました。また、神の全能、主権、不可思議さ、知恵についても真の認識を得て、神の私への愛と救いを真に経験しました。あの悪魔たちが私を拷問し迫害している間、神の御言葉の時宜を得た啓きと導きが私の堅固な支えとなり、サタンと最後まで戦う決意と勇気を与えてくれたのです。サタンがありとあらゆる狡猾な策略で私を試み、神を裏切るように誘惑しようとしていたとき、神が折よく御言葉を用いて私に警告と導きをくださり、私の霊の目から塵を払い、私がサタンの策略を見破ってしっかり証しを立てられるようにしてくださいました。私があの悪魔たちによるひどい拷問の末、死んだ方がましのように思い、命が風前の灯になったとき、神の御言葉が生き延びる土台となってくれました。御言葉からとてつもない信仰と強さを与えられることで、私は死による支配を脱することができました。このようにして神の美しく優しい本質を本当に目にすることができたのです。神だけが人類を最も愛しておられます。一方、このサタンと悪魔の群れである中共政府は、人々を堕落させ、傷つけ、むさぼるだけです。現在、中共政府が全能神教会に加えるますます野蛮な攻撃を前に、私はこの老いた悪魔である中共政府を完全に拒み、神に心を捧げ、全力で真理を追い求めて神への愛を求めることを固く決意しています。私を救ってくださった神の御恩に報いるためにも、神の国の福音を広め、心から神を信じる人々、真理を渇望する人々、中共政府にとても深く惑わされた人々を残らず神の御前に連れて行きます。

遼寧省 李(リー)智(チー)

脚注

1.「共犯者集団」は「ごろつきの群れ」の同義語である。

a.原文では「されることがないことの象徴」となっている。

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