自分と神の国のあいだに牧師が立ちはだかった

2023年7月12日

2020年11月、ある兄弟からオンライン集会に誘われましたが、そのとき思いました。教会の説教はいつも同じで、霊の糧を得られない。外国人の牧師がオンラインで説教する、そっちのほうがいいかもしれない。それで参加しますと答えました。数日にわたる交わりで、主イエスが戻られたこと、真理を表わし終わりの日の裁きの働きをなさっていることがわかりました。罪の束縛から逃れられるよう、人類を清めて救い、神に従い崇める人にして、神の国へ導くために来られたのです。素晴らしい説教だと思いました。聞いたことのない内容だし、新しい光に満ちていて、本当に糧を得られたのです。僕はとても興奮して、知り合いのある兄弟にそれを伝えました。ところが、彼は聞こうとしないだけじゃなく、集会のことを牧師に告げ口したのです。

その後、指導者3名が我が家に来ました。オンライン集会のこと、どんな教派なのか、説教師はどんな人物なのか調べるために。僕は言いました。「これは教派なんかじゃない。主イエスが戻られ、神の家から始まる裁きの働きをなさってるんです。全能神の御言葉を多数読みましたが、人類の罪深さの根源や、罪から逃れて清められる方法をはっきり伝えてる。兄弟姉妹の交わりにも光がありました」。でも指導者はこう言います。「説教の良し悪しは関係ない。主が戻られたなんて偽りだ。聖書にこうある。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう』(マタイによる福音書 24:23-24)。主イエスははっきり言われた。終わりの日に偽キリストが現われると。だから主が戻られたと言う者はみな偽りだ。どうして耳を傾けるんだ?」そう言われて思いました。主イエスがそうおっしゃったのは、偽キリストを見分けられるようにするため。用心のあまり主の再臨をお迎えできないことがあってはならないから。オンライン集会で、全能神教会のチェン兄弟が、偽キリストを見分けることの真理と、全能神の御言葉を伝えてくれました。全能神は言われます。「この時代に、しるしや不思議を起こし、悪霊を追い払い、病人を癒やし、多くの奇跡を行える人が現れて、またその人が自分は再来したイエスであると主張したなら、それはイエスのまねをしている邪霊による偽物である。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。神の働きは人間の観念とは相容れない。たとえば、旧約聖書はメシアの到来を預言し、この預言の結果はイエスの出現であった。これはすでに起きたことであり、別のメシアがまた来るというのは間違っている。イエスはすでに一度来た。だから、イエスがこの時代に再び来るというのは間違いである。すべての時代には一つの名前があり、名前はそれぞれ各時代の特徴を含んでいる。人間の観念では、神は常にしるしや不思議を見せ、病人を癒やし、悪霊を追い払い、いつでもイエスのようでなければならない。しかし今回神はまったくそのようではない。もし終わりの日に神がいまだにしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり病人を癒やしたりしていたら、神がイエスとまったく同じようにしたならば、神はイエスと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は時代ごとにひとつの段階の働きをするのである。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを邪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろをついてくるようになれば、神は方法を変更する。ひとたび神が一つの段階の働きを完了すると、邪霊がまねをする。このことをよく理解しなければならない」(『言葉は肉において現れる』の「今日の神の働きを知ること」)。彼の交わりのおかげでわかりました。「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い」という主イエスの御言葉は、偽キリストがしるしや奇跡で人々を惑わすことなんだ、と。だからしるしや奇跡を見せて神を自称する人は、偽キリスト、悪霊に違いない。神は常に新しく、決して古くないから、決して働きを繰り返しません。戻られた主が、恵みの時代と同じ働きをなさることはないのです。全能神は終わりの日にしるしや奇跡を見せませんが、真理を表わし、神の家から始まる裁きの働きをなさいます。人を清めて救うために。こんなに多くの真理を表わす全能神こそ、キリスト、主イエスの再臨です。そこでこう反論しました。「僕らが偽キリストを見分けられるよう、主イエスはそうおっしゃったんです。キリストは、真理を表わし救いの働きを行なえる方。でも偽キリストは悪霊で、真理を表わせない。神の過去の働きをまね、簡単なしるしや奇跡を見せて人を騙すだけ。自分は戻る、だから用心して待つようにと主イエスは言われた。主の再臨を告げる人が必ずいます。それがみな偽りだと言うなんて、主の再臨への断罪じゃないですか?」指導者たちはそれに反論できず、こう言って脅しました。オンライン集会に出続けるなら、もうお前の家族を助けない、と。ベトナムでは、大小どんなことでも牧師の祈りを求めます。冠婚葬祭のときは、必ず牧師が助けてくれる。牧師が来ないと、他の誰も助けに来てくれません。だからもう助けないと聞いて、心から不安になりました。家族の行事はどうすればいいだろう? 当時、僕は終わりの日の全能神の働きを全面的に確信してはいなかった。牧師が間違ってるのはわかっていたけど、真理をそれほど知らないから、いまだ彼らの影響を受けていた。それに、人生の難問について牧師の助けが得られないことも不安だった。でもこう思いました。あの交わりを通じて、全能神の言葉はすべて真理で、神に由来することがわかった。きっと主イエスの再臨だ。指導者の話を鵜呑みにして、終わりの日の主の救いを逃したらどうしよう? オンライン集会に出るのをやめるべきかどうかわからず、心から葛藤しました。

指導者たちは明らかに気が立ってる。集会に出て全能神教会の説教を聞き続けても、彼らは絶対あきらめない。従う振りをして、出て行ったらこっそり参加しよう。それで、集会に出るのはやめると言ったのですが、それでも彼らは出て行かず、全能神の信者の連絡先を全部消せと言い張ります。そんなわけにはいかないから、なんとか時間を稼ぎました。携帯電話さえ渡さなければ、いつか出て行くはずだと思って。でも、妻がこう言うのです。この人たちの話を聞いて、愛ゆえにそう言ってるんだから、と。それを聞いて思いました。本当に僕を愛してるなら、終わりの日の神の働きを調べるよう導くべきだ。なのに、神の新たな働きを批判して断罪し、全能神の御言葉を読ませようとしない。主をお迎えする機会を奪おうとしてるんじゃないか? それが愛なのか? 夜遅くになっても彼らは出て行かず、電話をよこせと言うばかり。仕方なく携帯電話を渡すと、全能神教会の兄弟姉妹のグループ全体を消去して、全員ブロックしました。そして警告したのです。言うことを聞かず奴らの説教に耳を傾けるなら、教会から追放だと。それを聞いて怖くなった。僕が集会に出続けたら、家族に何か起きたとき、彼らの助けなしでやってゆけるのか? 妻が腹を立てて不仲になったら、子どもたちはどうなるだろう? そう考えると惨めな気持ちになったので、意に反して「もう出ません」と言いました。すると指導者は笑顔で言った。「そうだ。我々の教会で説教を聞けばそれでいい」。

オンライン集会をやめたあと、元の教会に戻るしかありませんでした。でも牧師は、恵みや献金のことしか話さない。または適当な聖句を選んで語るばかり。同じ内容しか話さず、新たな光はまるでない。言うことがなくなると冗談を飛ばす有様。いのちに有益なことなんか一切なく、うたた寝する信者もいるほどでした。それに牧師は、多額の献金をした信徒のためにしか祈らず、貧しい人は無視して、彼らのために祈りません。これを見て、オンライン集会での兄弟姉妹による交わりが頭に浮かびました。宗教界は荒廃していて、神が新たな働きをなさっても、聖霊は恵みの時代の教会では働いていない。聖霊の働きがないから、牧師の説教は空虚でくどく、人々のためにならない。そう考えるうちにわかりました。この教会には聖霊の働きがまったくない。かつてはとても熱心だったのに、今では説教に来る人も少ない。全能神教会の信者による交わりにはとても光があり、得られた糧の多さを考えると、僕は牧師の説教を長年聞いてきたのに、神による救いの計画、律法と恵みの各時代に神がどう働いたか、その成果は何だったか、終わりの日に人をどう裁くかをまだわかっていない。信仰が必要だということだけ。全能神の御言葉を聞いて神の働きの奥義全体がわかり、またみんなとの交わりで、神の働きをますます理解できた。全能神教会にこそ聖霊の働きがあり、全能神の御言葉はすべて真理だとわかったのです。全能神こそ主イエスの再臨に違いない。オンライン集会で得たものを振り返ると、心が温まりました。神が戻られ、新たな働きをなさっているのは間違いない。あの集会に加わって調べなければ、救いの機会を失ってしまう。兄弟姉妹との集会に戻りたくて仕方なかったけれど、無理でした。連絡先を全部消されたから。霊が飢え、この世で一番大事なものを失ったような気がしました。本当に惨めで、空虚で、つらかった。毎日神に祈り、道を示してくださいと願いましたが、ありがたいことに、神は祈りを聞いてくださった。その後すぐ、ラオス人の姉妹ともう一人の兄弟が、フェイスブックで連絡してくれたのです。この数日僕と連絡が取れず、本当に不安で必死に探した、と。僕は感動して神に感謝しました。神の愛を感じ、神は僕らの救いに全力を尽くし、決して見捨てないと思いました。僕が弱って否定的になっていることを心配した彼らは、全能神の御言葉を送ってくれましたが、印象深い一節がありました。全能神は言われます。「神は働きを行い、人を慈しみ、その人を見守るが、その間ずっと、サタンは神の後をつけている。神が誰を大事にしようと、サタンもその人に目をつけ、後をつけ回す。神がその人を求めると、サタンはあの手この手で神の邪魔をし、様々な邪悪な企みで神の業を試し、妨害し、挫折させようとするが、それはすべて自身の密かな目的を達成するためである。その目的とは何か。神が誰かを得ることを、サタンは欲していない。神が望むすべての人をサタンも求め、彼らを占有し、支配し、掌握することで、彼らにサタンを崇拝させ、自身と共に邪悪なことを行わせたいのである。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないのか。……神と戦い、神をつけ回すサタンの目的は、神が行おうと望む働きをすべて粉砕し、神が得ようと望む者たちを占有して支配し、完全に消滅させることである。消滅させられることがなければ、彼らはサタンのものとなり、サタンに用いられる。これがサタンの目的である」(『言葉は肉において現れる』の「唯一無二の神自身 4」)。姉妹はこう交わりました。神の言葉からわかるのは、たとえ僕らの邪魔をして立ちはだかる人がいても、その裏では神とサタンが戦っているということ。神が僕らを救おうとなさってる一方、サタンは色んな人を駆使して僕らを圧迫し、邪魔をしている。僕らが神を拒んで裏切り、終わりの日の神の救いを失うようにするために。それがサタンの邪な意図です。今こそ僕らは立ち上がり、そうした人や物事を見抜いて、自分の信仰の道を見つけなくては。神の声を聞いた以上、神の足跡にしっかりついて行くべきだ。それが真の道にしっかり立つ唯一の方法です。彼女の交わりは光に満ちていました。指導者たちは僕がオンライン集会に出るのを喜ばず、みんなの連絡先を消した。表向きは道に迷うのを防ぐためで、愛と支えのように見えた。でも実際は僕の前に立ちはだかり、主をお迎えするのを邪魔して、終わりの日の神の救いを失わせようと、宗教界に引き戻そうとしていたのです。牧師たちの妨害で、僕の信仰のもろさと、自分の弱さもわかりました。携帯電話を渡して連絡先を消すのを許し、その後すぐ前の教会に戻った。闇の中で過ごし、霊の糧をほんの少しも得られなかった。危うく牧師に従って、真の道を諦めるところだった――なんと恐ろしいことでしょう! もうサタンに屈するわけにはいかない。牧師に何をされても、全能神の御言葉を読み続けようと決意しました。その後、ある兄弟が証しの動画を何本か送ってくれました。中国政府による兄弟姉妹への迫害。恐るべき拷問の中でどう証しをしたか。まさに真の信仰です。それに比べ、僕は牧師に少し邪魔されただけで屈してしまった。まったくなっていません! 神にすがって切り抜け、たとえ家族に拒まれても、牧師に邪魔されても、しっかり立たなければ。オンラインの説教と集会に出続けようと決意しました。

その後、僕をオンライン集会に出席させまいと、牧師はさらに色んなことをして、こんな嘘までついたのです。「我らは神の委託を受け、神の羊を見守っている。だから君のことも責任を負っているんだ。オンライン集会に出席させず、連絡先を消させたのは君のため。我らが神の羊を見守らなければ、戻られた主に裁かれる」。それを聞いて思い出した。ある日のオンライン集会で、牧師が神の委託を受けているかどうかについて、ある兄弟がこう言ったのです。「誰もが神の委託を受けていることは、神の御言葉に根拠があります。律法の時代、モーゼにイスラエルの民を委ねたヤーウェ神は、彼に自らこう言いました。『わたしは必ずあなたと共にいる。これが、わたしのあなたをつかわしたしるしである。あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えるであろう』(出エジプト記 3:12)。恵みの時代、ペテロに教会の牧養を委ねた証拠として、主イエスはこうおっしゃいました。『そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう』(マタイによる福音書 16:18-19)。『わたしの羊を飼いなさい』(ヨハネによる福音書 21:16)。これでわかります。ご自身が築いて用いている人たちを、神は自ら証しなさり、彼らは神の御言葉を証拠とする。それがなければ、少なくとも聖霊の働きを証拠とする必要があります。自分たちが神から委託を受けている証拠を、牧師たちは持ってますか? 聖霊の働きはどうです?」それを聞いて確信し、こう思いました。牧師たちに委託したと、神は決しておっしゃらなかった。パウロは「聖霊は……あなたがたを……監督者にお立てになったのである」と言ったけど、それは神の御言葉じゃないし、根拠としては使えない。彼らの主張は成り立ちません! また最近気づきました。牧師たちの説教には聖霊の啓きがないと。神の旨を伝えることも、主の御言葉を実践するよう僕らを導くこともない。聖霊の働きが欠けています。彼らは神でなく、人の委託を受けているのだとわかりました。僕は信仰において、人でなく神の御言葉を聞き、神に従わなければならない。僕が反応しないので、牧師は怒ってこう叱りました。「福音を伝えたい者はまず我らに話を通せ。我らの許可がないなら、偽の道だ。聞いてはならん!」僕は反論しました。「神は創造主。ご自身の働きをなさり、人の許可なんて必要ない。主はもう戻られました。僕らは神の声を聞き、神に従います。どうしてあなたの許可が必要なんです?」内心こう思っていました。彼らは自分を高く見過ぎだし、本当に傲慢だ、と。全能神の御言葉を聞こうとせず、その働きを調べもせず、ただ批判するなんて、主イエスの働きに対するパリサイ人の態度と同じだ。神への畏れなんか一切ないし、真理への愛もない。

その後、彼らは妻に嘘をつき、僕が偽の道に迷ったと言った。妻に見抜く力はないから、僕がオンライン集会に出るたび激怒して、もう別の道を歩いてる、集会に出るなら離婚よと言いました。当時は本当に弱って、惨めな気持ちになっていましたが、こう思いました。妥協して集会に出るのをやめたら、神の救いを失ってしまう。でも集会に出続ければ離婚だ。子どもたちはどうなるだろう? 無力を感じて神に祈りました。「神よ、どうか僕の信仰を強くしてください。これらの試練を乗り越えさせ、目の前の道を導いてください」。すると主イエスの御言葉が浮かびました。「わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない(マタイによる福音書 10:37)。神の御言葉で気づきました。妻と子どもへの愛が神への愛を超えている僕は、神にふさわしくない。たとえ離婚しても全能神に従おうと決意しました。妻はその後も立ちはだかろうとしましたが、僕は影響されませんでした。

やがて牧師は義父を巻き込み、集会に出るのをやめさせようとしました。義父は大酒飲みで、教会にもあまり出ていませんでしたが、牧師が義父を集会に招き、こう嘘をついたのです。全能神を信じて教会を離れたら、両脚を折られるぞと。それを聞いた妻は家に戻るなり、僕に向かって叫びました。僕は牧師の話に根拠はないと言いました。終わりの日の神の働きを受け入れないからって、脚を折られた人間なんか誰もいない。それは共産党政府がまき散らした嘘で、連中は神に逆らう存在なのです。前に牧師が言っていました。別の牧師がアメリカから聖書を持ち帰ったところ、中国の国境で警察に押収されたと。共産党は神への信仰を許さない。主が戻られ、中国に現われた今、彼らは全能神の信者を追いかけ、迫害している。神に逆らう無神論の政府が言うことなんて、誰が信じるでしょう? 僕はオンライン集会に出て全能神の御言葉をたくさん読んだけれど、とても豊富だった。神の働きの奥義や、人間の堕落と罪深い本性を明かし、自己認識できるようにしてくれる。読めば読むほど啓かれ、神の声だと感じます。そこで妻に、全能神こそ主イエスの再臨に違いないと言いました。主イエスが戻られた以上、僕らは神の足跡に従わなければ。前の教会に戻るはずがない。妻はそれ以上言いませんでしたが、教会に行って牧師の嘘を聞いたらしく、帰宅したとたんに口論です。僕はそれまで、牧師は神を愛し、僕のことも愛してくれる人だと思っていたけれど、僕が神の新たな働きを求めているのを知って、あの手この手で立ちはだかり、宗教に引き戻そうとしている。やっと正体がわかり、パリサイ人を呪う主イエスの御言葉を思い出しました。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない(マタイによる福音書 23:13)。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする(マタイによる福音書 23:15)。パリサイ人は人々を宗教に引き入れ、自らの手中で操っていた。主イエスが来ると、主の働きと御言葉が力強く、権威に満ちているのを見たけれど、聖書の字句にこだわり、真理を求めなかった。人々がイエスに従って生計が脅かされるのを恐れたのです。そこで噂を広めて主イエスを貶め、断罪し、最後は十字架にかけた。今の牧師たちもパリサイ人と同じではないでしょうか? 教会の信者を罠にかけ、自らの手で支配し、神の声を聞いて主をお迎えするのを許さない。本当に邪悪です! 集会で目にした全能神の御言葉を思い出しました。全能神は言われます。「荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは『健全な体質』をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか」(『言葉は肉において現れる』の「神を知らない人はすべて神に反対する人である」)。神の御言葉は、神に逆らう牧師たちの正体を示しています。神は人類を救うべく終わりの日に来られた。でも牧師たちは求めも調べもせず、神と争い断罪するほど。噂や嘘を広めて教会を封鎖し、信者に真の道を求めさせない。主をお迎えしておらず、神の国に入ることもありません。僕らが神の救いを受け入れるのを許さず、天国に入る機会を奪っている。神の言葉にある、人の血肉をむさぼり食う悪魔、人を真の道から締め出す怪物だ。

自分たちに従わない僕を、教会から追い出した。指導者たちも、面倒を起こすなら助けないと言った。それでわかりました。あの牧師たちは真理を愛しておらず、神の声を聞いてもいない。神の羊ではありません。信仰で彼らに従うなんて、盲人が盲人を導くようなもの。みんな駄目になる。僕は幸運にも、偽の羊飼いから逃れて神の足跡を見つけたのです。

それからは全能神の御言葉をさらに読み、兄弟姉妹の証しを聞きました。霊が糧を得て啓かれましたが、10年にわたる信仰で得たものより多い。終わりの日に生まれて主のお戻りを迎えられるなんて、素晴らしい祝福だと思いました! まだ神の前に出ていないもっと大勢の人に、この素晴らしい知らせを伝えたいと思いましたが、牧師は他の教会員に福音を伝えるのを喜ばず、通報して逮捕させようとしました。「神に逆らうのが怖くないんですか?」と言うと、チャオという人がこう冷たく返事したのです。「それが本当に神の働きなら、今度は俺たちがパリサイ人だな。神に罰してもらおうか」。そんなことを言うなんて、わざと神に逆らい、その性質を犯しています。彼らは傲慢で神への恐れが一切なく、真理を憎む神の敵だとはっきりわかりました。そうして神に逆らっていれば、パリサイ人と同じように懲罰されます!

その後は彼らのことをはっきり見抜けました。もう邪魔されることなく、全能神に従おうとますます決意したのです。今では全能神教会で本分を尽くしています。僕の信仰の堅さを妻も不思議に思い、自分で調べだしました。そして御言葉を読んだあと、終わりの日の全能神の働きを受け入れ、今では福音を伝えています。全能神には感謝しています。今後も全力で本分を尽くし、神の愛に報いていきます。

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