父親の干渉をどう乗り越えたか

2023年10月6日

2021年11月18日、インターネットで全能神教会の兄弟姉妹と知り合い、全能神の言葉を読んで交わりを聞くうち、全能神こそ主イエスの再来だと確信しました。胸が躍り、終わりの日の全能神の働きを喜んで受け入れました。この素晴らしい知らせをすぐ家族に伝えようと思いました。特に父に。父は三十歳の時からクリスチャン。今は六十歳だけど、主の再臨をずっと待ちわびてる。主イエスが戻られたと知ったら、わたしと同じくらい喜んで受け入れるはず。ところが、主の再臨の知らせを聞いた父は、信じるなと言うんです。「神が受肉して戻られるなんて、聖書に書いてない。聖書には、神は雲に乗って降臨し、信者を天国に引き上げるとある」。父にこう言いました。「パパ、実際、主イエスは何度も、終わりの日に人の子として戻ると言われてる。たとえば、『ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう(マタイによる福音書 24:27)。『人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう(マタイによる福音書 24:37)。『だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである(マタイによる福音書 24:44)。これらの聖句は全部、主が人の子として戻ると言ってる。つまり、神は人の子として肉において来られ――」。言い終える前に、父が遮りました。「主イエスは人の子だ。人の子として戻るなどあり得ない。主はただ雲に乗って来られ、我らを天国に連れて行くんだ」。わたしは言った。「主は雲に乗って戻られるだけじゃない。聖書では、二種類の再臨が預言されてるわ。まずは肉において密かに、そして雲に乗って公然と来るの。黙示録はこう預言してる。『見よ、わたしは盗人のように来る(ヨハネの黙示録 16:15)。『もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう(ヨハネの黙示録 3:3)。マタイによる福音書25章6節にも、『夜中に、「さあ、花婿だ、迎えに出なさい」と呼ぶ声がした』。これらの預言はどれも、主イエスは盗人のように戻ると言ってる。つまり誰にも知られず、密かに来るの。主イエスが白い雲に乗って公然と来たら、誰もが見るはず。なら、これらの預言はどう成就する?終わりの日、神はまず受肉した人の子として密かに来られ、真理を表わし裁きの働きをなさる。賢い乙女は神の御声を聞いて主をお迎えし、御言葉に裁かれ清められ、神によって勝利者にされる。そして大災害が降り始め、神の肉における密かな働きは完結する。大災害の後、神は雲に乗って降臨し、万民の前に公然と現われる。それで黙示録のこの預言が成就する。『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう(ヨハネの黙示録 1:7)」。そして父に言いました。「パパ、考えてみて。主イエスが雲に乗って再臨されるとき、誰もが救い主の到来を喜ぶはず。なのに『地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう』と書かれている。なぜだと思う? それは、神は受肉した人の子として働くとき、裁きと清めの働きを完成させるから。雲に乗った主の到来を待つだけで、全能神に逆らい断罪する人は、神による終わりの日の裁きと清めを受け入れる機会を逃し、主が雲に乗って来られ、善に報いて悪を罰するとき、災難に見舞われ泣きわめく」。そして、全能神の御言葉と福音の証しの動画を父に見せたんですが、父は見方を変えようとしません。怒りに満ちた傲慢な態度を取り、全能神を信じるなと言うんです。

その後、わたしが全能神教会の集会にたびたび出てるのを知った父は、信仰をやめさせようとこう言いました。「お前は日中ずっと、電話で集会に出ている。働いて稼ぎ、家に金を入れなきゃだめだ。もう小遣いはやらないからな!仕事を見つけなければ、家から出て行ってもらう!」父の言葉に心底不安になりました。働いてたら、集会に出て御言葉を読む時間がない。でも働かないと父に追い出され、住む場所がなくなる。その不安に負け、仕事を見つけて朝六時から午後四時まで働くことにしました。やがて、本分がおろそかになってしまいました。仕事中は電話を使えないから、新人を潤せない。帰宅すると疲れ果て、集会でもぐったりする有様でした。そこで神に祈り、本分を尽くす道を開いてくださいと願いました。数日後、勤務先を辞めて、家政婦の仕事に移りました。一日四時間働くだけです。収入は少ないけど、集会に出て本分を尽くす時間を持てました。わたしがちゃんと集会に出ているのを知った父は干渉を続け、集会前に用事を頼んだり、またネットで集会に出ているとき、一緒に出かけるぞと言うんです。最初はどういうことかと思いました。父親だから言うことを聞かなくちゃと思いましたが、集会に出られないのが嫌で、つらい思いをしました。あるとき、父がまた外出するぞと言ったので、集会に出るからと答えたら、とても不機嫌になりました。最初はどうすればいいかわからなかったけど

その後の集会で兄弟姉妹が読んだ全能神の御言葉のおかげで、視界が多少晴れました。「神が人において行う働きのあらゆる段階において、それはあたかも人の手配により、あるいは人の干渉から生まれたかのように、外面的には人々の間の相互作用のように見える。しかし舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人は神への証しにおいてしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたがたにおいて行う働きの各段階の背後にはサタンと神との賭けがある。その背後にはすべて戦いがある(『神の出現と働き』「神を愛することだけが本当に神を信じることである」〔『言葉』第1巻〕)。「神が働きを行い、人を慈しみ、その人を見守るとき、そして神がその人に好意を示して認めるとき、サタンはすぐ後をつけ、その人を騙して害をもたらそうとする。神がその人を得たいと望むと、サタンはあの手この手で神の邪魔をし、様々な邪悪な企みで神の働きを試し、妨害し、傷つけようとするが、それは自身の密かな目的を達成するためである。その目的とは何か。神が誰かを得ることを、サタンは欲していない。サタンは、神が得たいと望む人を奪って我が物とし、彼らを支配し、掌握することで、彼らにサタンを崇拝させ、自身と共に邪悪なことを行わせ、神に抵抗させたいのである。これはサタンの悪意に満ちた動機ではないのか(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 IV.」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉を読んで、サタンの策略が多少わかりました。神が人を救おうとすると、サタンは手段を選ばず、あらゆる人や物を使ってその人が神に得られるのを阻止する。わたしもそう。わたしが全能神を信じていることを知った父は、全力で阻止して邪魔し、働かざるを得なくさせ、集会に出るたび用事を頼み、外出するぞと言って集会に出るのをわざと邪魔した。どれも、サタンが父を使ってわたしを邪魔し、ちゃんと集会に出て御言葉を読むのを不可能にしてるんです。わたしはサタンの策略を見抜けず、父に脅されると、家を追い出されるのを恐れて言うことを聞いた。サタンの試みにはまり、ちゃんと集会に出られず、本分もしっかり尽くせない。やっとわかりました。サタンは父の妨害を使って、わたしを神から離れさせ、神の救いを失わせようとしてる。サタンは本当に邪悪です。でも、神はサタンの策略に応じて知恵をふるう。この環境を経験することで、真理を求めて教訓を学び、サタンの策略を見抜き、しっかり証しに立ってサタンを辱められるようになりました。神の啓きと導きがあってこそ、物事の真相が多少見抜けた。しっかり証しに立ち、サタンの罠にはまらないようにしないと。

その後も集会に出て本分を尽くし続けました。父も妨害を続けてわたしを悩ませ、何度か家から追い出すこともあったほど。わたしへの怒りで、口もきかなくなりました。でも父に何をされようと、ちゃんと話さなければ。ある日、こう訊きました。「パパ、どうして口をきいてくれないの?なぜ家から追い出そうとするの?」父は言った。「集会のことばかり気にして、言うことを聞かないからだ」。わたしは答えた。「両親を敬えと神もおっしゃってる。だからこれからも話しかける。でも集会にも出続けるから」。無言でしたし、その後も口をきいてくれませんでした。それから継母に福音を説いたところ、素晴らしいということで一ヵ月集会に出ました。でもそれを知った父は参加を禁じ、わたしを家から追い出そうとしました。悲しかった。父との関係が壊れるなんて嫌。ある朝、スマホで御言葉を読んでいると、父が見つけてこう叱ったんです。「まだスマホで集会に出てるのか。没収だ!」そしてスマホをもぎ取ろうとしましたが、わたしが手放さないので怒鳴りました。「言うことを聞かないなら、荷物をまとめて出て行け!」と。傷つきました。父とはずっと仲がよかった。父も家も離れたくない。でも父の態度と乱暴な言葉が、言葉にできないほどつらい。家を追い出されれば行くところはなく、お金もないからどうすればいいかわからない。胸が痛んで泣きだしました。父の妨害のせいで、こんなに多くの不安を抱え、つらく弱気になっている。こうした困難や選択から逃げようと、自殺を考えました。

間違った考えだとはわかってたので、神に祈って探求し、兄弟姉妹に自分の状態を伝えたところ、この御言葉を教えてくれたんです。「自分の観念にそぐわないことが数多く起きても、あなたがそうした観念を脇にのけ、それらのことから神の業に関する認識を得て、精錬のただ中で神を愛する心を示せるなら、それが証しを行なうということである。自分の家庭が平穏で、肉の快適さを享受し、あなたを迫害する者が一人もおらず、教会の兄弟姉妹が自分に従っている場合、あなたは神を愛する心を示せるだろうか。そうした状況があなたを精錬し得るだろうか。神に対するあなたの愛は精錬を通じてのみ示されることができ、またあなたは、自分の観念にそぐわない出来事を通じてのみ完全にされ得る。神は多数の反面的または否定的な物事や、さまざまな、ありとあらゆるサタンの表われ、つまりサタンの行動、非難、妨害、そして欺瞞を用いることで、あなたにサタンの忌まわしい顔をはっきり見せ、それによってサタンを識別するあなたの能力を完全にする。そうすることで、あなたはサタンを憎んで捨てることができるのである(『神の出現と働き』「完全にされる者は精錬を経なければならない」〔『言葉』第1巻〕)。「落胆してはならない。弱ってはならない。そうすればわたしが物事を明らかにしよう。神の国への道は平坦ではない。何事もそう簡単ではないのだ。あなたはたやすく祝福を得たいと思っているのではないか。現在は誰もが苦しい試練に直面しなければならない。そうでなければ、わたしに対する愛の心が強まることはなく、わたしへの真の愛を抱くこともないだろう。試練は単なる些細な状況だとしても、誰もが必ず通らねばならない。ただそれぞれ試練の度合いが違うというだけのことだ。試練はわたしからの祝福なのだ。頻繁にわたしの前に来て跪き、わたしの祝福を求める者がどれだけいるだろうか(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第四十一章」〔『言葉』第1巻〕)。「今日、大半の人はそのような認識をもっていない。そうした人たちは、苦しみには価値がなく、自分は世の中から見捨てられており、家庭生活には問題があり、自分は神に愛されておらず、将来の見込みは暗いと信じている。中には苦しみが極限に達し、死を考えるようになる人がいる。それは神に対する真の愛ではない。そうした人は臆病者であり、忍耐力がなく、弱くて無力なのである。……したがって、あなたがたは終わりの日に神への証しをしなければならない。あなたの苦しみがいかに大きくても、最後まで歩まなければならず、最後の一息になってもなお神に対して忠実であり続け、神に身を委ねなければならない。これだけが真に神を愛するということであり、またこれだけが鳴り響くような強い証しなのである(『神の出現と働き』「辛い試練を経験することでのみ、神の素晴らしさを知ることができる」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉を読んでわかりました。神の国への道は平坦じゃない。神の承認と祝福を得るには代価を払い、ありとあらゆる苦境の試練に耐えないと。信仰の道では、苦しみと精錬なしに神への真の愛は育めない。父が反対するのは、わたしが全能神を信じてるから。集会と本分を邪魔し、何度か家を追い出そうとした。それはほんとうにつらいことでした。神はなぜ、わたしがこんな逆境に遭うのを許されるの?でもわたしは神の御旨も、この環境をどう経験すべきかも求めず、ただ悲痛を感じて落ち込み、心配するばかりで、家を追い出された後の困難を恐れていた。弱るあまり、死ぬ以外にないと考えるほど。消極的な思いにすっかり支配されていました。でも御言葉でわかったんです。そんな考えがどれほど間違っているか。わたしは臆病者。神はこうした環境を通じてわたしの信仰を完成させ、どんな困難でも従って受け入れられるようにし、証しに立ってサタンを辱められるよう、神に祈ってすがれるようにしてるのだから、わたしは勇気と強さを持って、困難に立ち向かうべき。御言葉を噛みしめていると、心が明るくなりました。臆病ではいられない。前進しないと。神が共にあり、助けてくださるのだから。なので、引き続き集会に出て本分を尽くしました。

数日後、帰宅した兄に、全能神の働きを証しして集会に誘うと、出るよと言ってくれました。でもしばらくすると、父がそれを知って邪魔し始めたので、兄は出なくなりました。さらに父は、二度と家族に福音を説くなと言うんです。悲しくなりましたが、わかっていました。表向きは父の邪魔だけど、実際はサタンの妨害だと。だから落ち着かなければ。その後、この御言葉を読みました。「あなたは自らの内にわたしの勇気を持たねばならず、未信者である親戚に直面するときは、原則を持たなければならない。しかしわたしのために、どんな暗闇の勢力にも屈してはならない。わたしの知恵に頼って完全な道を歩みなさい。サタンの陰謀に支配されてはならない。わたしの前に心を据えることに全力を尽くしなさい、そうすればわたしはあなたを慰め、平安と幸福を与える。他人の前でどうにかなろうと努めてはならない。わたしを満足させることのほうが、価値と重みがあるのではないか(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十章」〔『言葉』第1巻〕)。「神の言葉は、人がどのような原則で他人に接することを求めていますか。神が愛するものを愛し、神が憎むものを憎め。これが順守すべき原則です。真理を追い求め、神の旨に従える人を神は愛します。それはまた、わたしたちが愛するべき人でもあります。神の旨に従えない人、神を憎み神に反抗する人は、神に嫌われますし、わたしたちも彼らを嫌うべきです。これが、神が人間に求めることです。あなたの両親が神を信じていないなら、あるいは神への信仰が正しい道であり、救いにつながりうると十分に知りながら、受け入れないままならば、彼らが真理にうんざりしている人、真理を憎む人、神に抵抗し神を憎む人であることに疑いの余地はありません。当然、神はこのような人を憎み、嫌います。あなたにはそのような両親を憎むことができますか。彼らはたぶん神に反抗したり、神を罵ったりします。その場合、彼らは間違いなく悪魔でありサタンです。あなたも彼らを嫌悪し、呪うことができますか。これはすべて現実の問題です。あなたが神を信じるのを両親が妨げるなら、どのように両親に接するべきですか。神が求めるとおり、神が愛するものを愛し、神が憎むものを憎むべきです。恵みの時代、主イエスは『わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか』『天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである』(マタイによる福音書 12:48、50)と言いました。この発言は恵みの時代にすでに存在していましたが、神は現在、『神が愛するものを愛し、神が憎むものを憎め』というさらに明快な言葉を発しています。この言葉は急所を突いていますが、人はしばしばその真の意味を理解できません(『終わりの日のキリスト講話集』「自分の誤った考えを認識することでのみ真に変化できる」〔『言葉』第3巻〕)。読み終わって、わたしが終わりの日の全能神の働きを受け入れたあと、父がした様々なことを思い出しました。わたしは全能神の御言葉を何度も読み、終わりの日の働きを証しした。父は反論できなかったけど観念にこだわり、ほんの少しも探求せず、神の働きを拒んで断罪し、わたしや家族が全能神を信じるのを、あの手この手で妨害した。やっとわかりました。父の反対と迫害は、真理を愛さず憎んでいるから。主イエスに抵抗したパリサイ人と同じ。主イエスが新たな働きをしに来たと聞いた彼らは、探求も調べもせず、抵抗して断罪したけど、それは真理を憎んで神に逆らう彼らの本性を暴いてる。父は三十年以上神を信じてるけど、主イエスの再臨を前にあくまで宗教的観念にこだわり、探求しようとせず、神の御声を聞くのを拒み、わたしたちを邪魔しようとした。わたしたちじゃなく、真理と神に逆らってたんです。神の羊ではなく、神に認めていただけない。主を信じてきた期間、地位の有無、聖書の知識なんかを、神は気になさらず、謙虚に真理を求められるかどうか、神の御声に気づき、その出現と働きを受け入れられるかどうかをご覧になる。父は真に神を信じ、真理を求める人じゃない。主を何年信じようと、終わりの日の全能神の働きを受け入れず、このように抵抗して断罪するなら、神の救いは受けられず、神に断罪されて呪われる。わたしを啓いて導き、真理を多少理解させ、父の本性と本質を見抜かせたのは神の御言葉。もう感情に振り回されてはだめ。真理の原則と御言葉に沿って振る舞い、信仰を守り、神への証しにしっかり立たないと。

この環境を経験して、父の正体を多少見抜き、邪魔されるたび神に祈ってすがりました。兄弟姉妹も全能神の御言葉を伝えて助けてくれたので、神の御旨がわかり、神に従う信仰が得られました。神の愛を感じてとても嬉しく、神に感謝しました。その後は父に邪魔されても圧迫されることなく、面と向かってこう言えたんです。何があろうと全能神を信じて集会に出続けるし、自分の義務を知っている。本分を最優先にして、福音を広めて本分をしっかり尽くすわ、と。

その後、さらに御言葉を読みました。「今日わたしは、わたしの旨を行える者、わたしの重荷に配慮できる者、そして真心と誠意をもってわたしにすべてを捧げられるすべての者を愛する。わたしは絶えず彼らを啓き、わたしのもとから立ち去らせない。わたしはよく『心からわたしのために尽くす者よ、わたしは必ずあなたを大いに祝福する』と言うが、『祝福』とは何を意味するのか。あなたは知っているのか。現在の聖霊の働きという観点から言えば、それはわたしがあなたに与える重荷のことを指している。教会のために重荷を負えるすべての者、そして心からわたしに自らを捧げるすべての者は、その重荷も真心も、わたしから与えられた祝福なのだ。そしてまた、彼らに対する啓示もわたしからの祝福である(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第八十二章」〔『言葉』第1巻〕)。「立ち上がってわたしに協力しなさい。わたしは心からわたしのために尽くす者を決して粗末には扱わない。わたしに本気で自分自身を捧げる者には、わたしの祝福をすべて授ける。あなた自身を完全にわたしに捧げなさい。食べるもの、着るもの、そして未来はすべてわたしの手の中にある。わたしはすべてを正しく計らうので、あなたは終わりのない喜びを得られ、それは決して尽きることがない。それはわたしが、『心からわたしのために尽くす者よ、わたしは必ずあなたを大いに祝福する』と言ったからである。あらゆる祝福が、わたしのために心から尽くす一人ひとりに与えられる(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第七十章」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉を読んでわかりました。本分で重荷を背負い、真心を捧げるのがとても大事。こう自問しました。「わたしは神の国の福音を、全身全霊で広めてる?神のお求めに沿って本分を尽くしてる?」父がいつも邪魔しようとするから、集会や本分に自宅でもっと時間を割くのは無理。福音の働きに献身したければ、家を出て他の場所で伝道しないと。できるだけ早く神の国の福音を広めることを、神は望まれてる。より多くの人が、終わりの日の神の救いを受けられるように。もっと大勢が神の御声を聞いて主をお迎えできるよう、神の国の福音を広めるのがわたしの義務。だから荷物をまとめて新しい町に移り、やっと自由に福音を広められました。全能神に感謝!

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

心の扉を開いて主のお戻りをお迎えする

1982年11月、私たち一家はアメリカに移住しました。みんな祖父の世代からずっと主イエスの信者なので、アメリカに到着してすぐ、ミサに参列できるようにニューヨークのチャイナタウンにある中華系の教会を見つけました。私たちは一度もミサを休んだことがなく、なかでも母と姉は熱心で、時間を見…

サタンの誘惑を受けた時、私は神様に祈って証しに立った (第二部)

再びサタンの狡猾な計略に遭遇 私たちの次の集会の日が来ると、十人以上の兄弟姉妹が私の家に着きましたが、ちょうどその時、私の前の教会の指導者と同労者の六人もバイクに乗って現れたのです。彼らはいかめしい表情をして、横柄な雰囲気をただよわせていました。彼らを見ると、私は思わず少し弱気に…

「虎の穴」からの脱出

私の名前は小優と言います。現在26歳です。以前はカトリック教徒でした。幼いころは母と一緒に教会へ出かけ、ミサに参列したり、聖書を読んだり、懺悔をしたり、聖体を拝領したりしたものです。母はとても信仰熱心で、食品や様々なものをよく家から持ち出して教会に寄贈し、献金もしていました。教会…

神の御言葉が私の力

私は子どものころから家族にならって主イエスを信じ、よく聖書を読んで礼拝に参加しました。結婚後は主イエスの福音を義母に伝え、それから義母は何かあっても以前のように腹を立てたり、気まぐれに振る舞ったりすることがなくなりました。家族関係が全体的によくなり始めたのです。自分の母親に起きた…