金銭と地位が何の役に立ったのか
わたしは崩壊した家庭に生まれたの。母がわたしを身ごもってるとき、父は他の女と駆け落ち。母は苦労して6人の子を育て、毎晩のように泣いてたわ。母が激しく泣くのを見て、わたしは結婚や人間関係に否定的な見方をするようになって、自分に言い聞かせた。「他人を信頼しきっちゃだめ。だれも信頼しない。人生で頼れるのは自分自身と、自ら稼いだお金だけ」。その瞬間から、お金を稼ごうと考えるようになった。高校に入って、みんなが休暇を楽しんでるとき、母とわたしは道ばたの屋台で食べ物を売った。でも当時の稼ぎじゃ、食べるのがやっと。2年生のとき、学費が払えなくて退学を余儀なくされた。その後は屋台の商売を続けたわ。毎朝4時か5時に起きて食べ物を準備し、6時ごろ屋台に向かう。3年後には、都会へ働きに行くだけのお金が貯まった。毎日早起きして必死に働いたけど、稼ぎが少なくて不満だった。そこで彼氏に助けてもらって、これまでの貯金で小さな店を開いたの。2年後には多少貯まって、子どもをもうけた。でも結婚直前になって、彼氏がすべてをだまし取ったの。お金を残らず持ち去り、別の女と駆け落ちして、子どもも作った。必死に貯めたお金がなくなり、つらくて完全に打ちのめされた。母の経験が頭をよぎり、男の人は信用できない、お金を稼いで子どもを育てなきゃって思ったわ。でもストレスで店を続ける気力がなくなり、病気になった。もうこの街は嫌だった。その後、事情を知った彼氏の父親がお金を出し、わたしはそれでイギリスビザを申請したの。4年後に居留許可が下りて、大学に入った。もっとお金を稼ごうと、選んだのは経営管理コース。2011年には奨学金が出て、それでアフリカ料理の店を開いた。
小さな店だから、最初は1人しか雇わず、毎朝5時に起きて店で働き、それが終わってから大学に行った。放課後は急いで店に戻り、掃除や配達、経理をする。商売と勉強と子育てを同時にするなんて本当に大変でしょうね。でもみんながわたしを褒め、称賛と羨望の目を向けるのを見て、とても満足だった。当時は店も繁盛して、想像以上にお金を稼げたけど、まだ足りなかった。銀行を買えるほどのお金持ちになり、みんなに褒められ羨ましがられなきゃだめ。心からそう願った。名誉と称賛をさらに得て、自分の強さを証明し、もっと稼いで子どもを育て、贅沢な暮らしを送るために、店を拡大したの。3年後、小さな店は大きくなり、アフリカ各国の食べ物を売るようになった。街で唯一のアフリカ人実業家と認識されたわ。高校や大学から講演に招かれ、イギリスに移住した若者を激励しようと、抱負と成功を話したら、トロフィーをもらった。トロフィーを持って講演に出かけると、みんなわたしのことを知っていた。長年の努力と苦労が報われた、人生の目標が実現したと思ったわ。でもお金を稼ぐのはやめなかった。社会的地位があれば商売でお金を稼ぐのも簡単だし、名声への欲望も膨らんでたの。でもそのころには、もう体調がすぐれず、長時間立つことができなかった。医者の診断はリウマチ、線維筋痛、座骨神経痛。つまり脊椎全体が痛むの。休養が必要だからもう働くなと医者に言われたけど、わたしは深刻に捉えず、運動すれば治ると思った。それに店もとても繁盛してるし、辞めたくないから商売を続けた。
2014年の初め、病状が悪化して全身が痛んだ。身体中が火に包まれたように燃える感じ。両脚もずっと腫れ上がって、お尻も骨折したよう。脊椎も柔らかくなったから、コルセットがないと曲がってしまう。検査に行くと、すでにリウマチがあると医者から言われた。肉屋の冷凍庫に入ることが多いから、冷風が骨まで届いて、いつ身体が麻痺するかわからない。そのとき恐怖を感じたけど、もう手遅れだった。その後はほとんど動けず、店を閉めるしかなかった。すると他の人たちがわたしをまねて、自分の店を開いたの。嫉妬したし、自分の病状がつらかったわ。なぜそれほど深刻になったの? 24時間絶えず痛みに襲われ、ぐっすり寝ることもできない。心の中で火が燃えているようで、肉体的に精神的にもつらくてたまらなかった。そのころ、今までのことを振り返り始めたの。稼いだお金で病気を治せないなら、何の役に立つ? 当時はもろく無力を感じ、子どもが心配だった。身寄りはわたししかいないから。もうお金や名声のことは考えるのも嫌だった。ただ苦痛が消え、静かに子どもを育てたかった。わたしは1年以上寝たきりで、こう自問した。「人はどうしてこんなに苦しむの? なぜ病気になるの?」苦痛と絶望の中、主を呼び求めて苦痛から逃れる助けを求めた。
2019年5月のこと、絶食と祈りを10日間続けた後、賛美歌を聴こうと思ったの。ネットで探すと、全能神教会のウェブサイトを見つけた。いくつか映画を観たけど、『私の家はどこに』が強く印象に残った。少女の生活はわたしの子ども時代と同じで、母親の経験もまさにわたしと一緒。心臓が一晩中どきどきして、次の日全能神教会に電話をかけた。全能神の御言葉を読んで、主イエスの再来だと確信して、全能神の働きを喜んで受け入れ、オンライン集会に出始めたの。あるとき聴いた賛美歌にとても感動したわ。「神に救われていなければ、今も世をさまよい、罪の中でもがき苦しみ、生きる希望はなかっただろう。神に救われていなければ、今も悪魔に踏みにじられ、罪の快楽を享受し、人生の道を知らなかっただろう。全能神は慈悲深く、御言葉の声がわたしを招き寄せる。神の御声を聞き、玉座の前に引き上げられた。日々神の御言葉を飲み食いし、多くの真理を理解した。人類の堕落の深さを見て、神の救いをまさに必要としている。神の真理がわたしを清め、わたしを救う。裁きと精錬を幾度も受け、いのちの性質が変化した。神の義と聖さを味わい、神の愛おしさがはじめてわかった。心は神を畏れて悪を避け、わたしは人間らしく生きている」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』)。わたしの生活がこの歌に凝縮されてた。以前はいつも自力で幸福な生活を生み出そうとし、子ども時代の夢とすべての願望を、自分の力で掴めると信じてた。でも結局深く傷つき、頼るものもなく、苦痛の中で暮らした。神はわたしを御前に導き、苦痛を和らげ、世の暗闇から救い出し、御言葉を読ませ、裁きと清めを受け入れる機会をくださった。神の救いに感謝! そのころは全能神の御言葉をもっと読むのが待ちきれなかった。全能神の御言葉の中に多くの疑問への答えがあると気づいたから。
その後、御言葉のこの一節を読んだの。「人間が生涯にわたって耐える、出生、死、疾病、老齢の苦しみは、何が根源なのでしょうか。これらの苦しみが人間に発生する原因は何でしょうか。人間が最初に造られた時、こうした苦しみは人間に発生したかというと、発生しなかったのではないでしょうか。それならば、この苦しみは何に由来するのでしょうか。この苦しみは、人間がサタンによって誘惑され、サタンによって堕落させられ、退化したあとで発生しました。人間の肉の痛みや苦しみ、虚無感、人の世における極度の悲惨な出来事といったことは、サタンが人類を堕落させて初めて生じました。人間がサタンによって堕落させられた後、それは人間を苛み始めました。結果として人間は一層堕落してゆき、人間の病はますます深刻になり、人間の苦しみは一層激しくなりました。人々は人の世の空虚感と悲劇、そしてそこで生き続けられないことをますます感じ、この世で生きることに一層希望がなくなりました。したがって、この苦しみはサタンから人間にもたらされたものであり、サタンに堕落させられた人間が退化して初めて生じたのです」(『終わりの日のキリスト講話集』「神が世俗の苦しみを味わうことの意義」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉でわかった。神は病、苦痛、死がない世界を造られたけど、サタンにそそのかされた人間は神を裏切り、神から離れ、腐敗し堕落するようになって、人類は病と死に苦しむようになった。その後、人生はますますつらいものになった。6年間病に苦しみ、自殺を考えるほど。生活は無意味で苦痛に満ちてたけど、その苦痛の源がわかったの。サタンに堕落させられて神から離れ、名声と富のためだけに生きてたこと。サタンの支配下で生き、さらに苦痛を感じるばかりで、生きる意義がなかった。御言葉を読めば読むほど心が明るくなって、渇いた魂に糧が施されたの。まるで悪夢から目覚めたかのよう。
その後、全能神の別の御言葉を読んだ。「『地獄の沙汰も金次第』はサタンの哲学であり、人類全体に、あらゆる人間社会に蔓延しています。この格言は人間一人ひとりの心に染み込んでいるので、社会動向であると言うことができます。当初、人はこの格言を受け入れていなかったのですが、やがて現実の人生に触れたとき、それを暗黙のうちに受け入れるようになり、これらの言葉は実は本当だと感じるようになりました。これは、サタンが人間を堕落させる手順ではありませんか。おそらく人々はこの格言を同等に理解しておらず、自分の周辺で起きたことや個人的な経験にもとづいて、一人ひとりがこの格言について異なる程度の解釈と認識をもっています。これは事実ですね。この格言について、ある人がどれほどの経験をしているかを問わず、これがある人の心に及ぼし得る否定的な影響とはどのようなものですか。皆さん一人ひとりを含め、この世にいる人々の人間的性質を通して明らかに示されるものがあります。それは何ですか。金銭崇拝です。それをある人の心から排除するのは困難ですか。極めて困難です! サタンによる人間を堕落させる方法は実に悪賢いようです。サタンは金銭を用いて人を誘惑し、堕落させ、金銭を崇めて物質的な物事を尊ぶようにさせます。では、この金銭崇拝は人々においてどのように表れますか。皆さんはお金がなくてはこの世で生き延びられない、一日でさえもお金なしでは過ごせないと感じませんか。人の地位はその人がどれだけお金をもっているかに基づいており、それは人が受ける尊敬の念についても同じです。貧しい人々は恥じて背を丸め、その一方で富裕な人々は高い地位を享受しています。彼らは胸を張って威張り、大きな声で話し、傲慢に暮らします。この格言と社会動向は人に何をもたらしますか。多くの人がお金を求めて何らかの犠牲を払っているというのが真実ではありませんか。より多くのお金を求めて自分の尊厳や高潔さを犠牲にしていませんか。お金のために、自らの本分を尽くして神に従う機会を失っていませんか。真理を得て救われる機会を失うのは、人にとって最大の損失ではありませんか。この方法と格言を用いて人間をここまで堕落させるサタンは邪悪ではありませんか。これは悪意に満ちた策略ではありませんか。この流布している格言に反対する状態から最終的にそれを真理として受け入れる状態へと進むにつれて、人の心は完全にサタンの掌中に落ち、そのため気付かないうちにこの格言によって生きるようになります。この格言は、どの程度あなたに悪影響を及ぼしましたか。あなたは真の道を知り、真理を知っているかもしれませんが、それを追求するには無力なのです。あなたは神の言葉が真理であることを明確に知っているかも知れませんが、真理を得るために代償を払う気も、苦しむ気もありません。それよりは、自分自身の将来と運命を犠牲にして、最後の最後まで神に逆らう方が良いと思うのです。神が何を言おうと、神が何をしようと、あなたへの神の愛が深く偉大であることをどれほど理解していようと、あなたは頑なに我が道を歩くことに固執し、この格言のために代償を払うのです。つまり、この格言は既にあなたの思考を騙して操り、あなたの行動を支配しているのです。そしてあなたは、富の追求を捨て去るよりむしろ、それが自分の運命を支配するのに任せます。人がこのように行動し、サタンの言葉に支配され、操られ得るという事実は、その人たちがサタンに騙され、堕落させられたことを意味しているのではないですか。サタンの哲学と考え方、そしてサタンの性質が、あなたの心に根を下ろしたのではないですか。あなたが無闇に富を追い求め、真理の追求を放棄するとき、サタンはあなたを騙すという目標を達成しているのではないですか。まさにそうです」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 5」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉を読んで初めて、「金はすべてではないが、金なしでは何もできない」「金があれば鬼にひき臼を回させることができる」などわたしの信じてたことが、実際にはサタンの哲学だとわかったの。それらが心に根ざして思考を操り、お金以上に大事なものを考えられなかった。それだけが生きる理由で、幸せと名誉を運んでくると思い、必死にお金を追い求めた。もっと稼ぎ、羨望と尊敬を勝ち取って、いい生活を送ろうと、身体を顧みず懸命に働き、結局麻痺していのちを落とすところだった。これはサタンの哲学を受け入れ、操られた結果。神の存在を知ってはいても、神に従い人生の真の道を歩む力がなかった。サタンの言葉と哲学に操られたから。そのせいで心が神から離れ、肉の満足のためだけに生きてた。御言葉の導きのおかげで、間違った道を歩んでると気づいたわ。
その後別の御言葉を読んで、苦痛から逃れる道を見つけたの。神の御言葉にこうあります。「人々は神の指揮と統治を認識していないので、常に挑戦的かつ反抗的な態度で運命に立ち向かい、神の権威や統治、待ち受ける運命を捨て去ることを願い、現状を変え、運命を改変するという儚い望みを抱いています。しかし、人間は決してそれに成功することはなく、事あるごとに挫折します。こうした葛藤は、人の魂の奥底で生じ、骨身に沁みるほどの並々ならぬ苦痛を伴うものであり、人はその間絶えず自分の命を浪費しています。この痛みの原因は何でしょうか。神の統治が原因でしょうか、それとも人が不運な境遇に生まれたことが原因でしょうか。明らかに、そのいずれでもありません。結局は人々が進む道、人々が選択する人生の過ごし方が原因となっています。……こうした状態から自由になるための非常に簡単な方法があります。それは、自分の以前の生き方や人生の目標と訣別し、以前の生き方、人生観、追求、願望、理想を概括し、分析し、それを神の旨や人間への要求と比較し、それらのいずれかが、神の旨や要求と一致しているか、人生の正しい価値をもたらすか、一層深い真理の理解へと導くか、人間性と人間らしさを伴った生き方を可能にするかを確認することです。人々が追求する人生の様々な目標や多種多様な生き方を繰り返し調査し、注意深く分析すると、創造主が人類を創った時の創造主の本来の意図と一致するものがひとつもないことが分かります。それらはすべて、人間を創造主の統治と慈しみから引き離し、人々を堕落させて地獄へと導く罠です。このことを認識した後の課題は、以前の人生観を捨て、様々な罠から離れ、自分の人生を神に託して神の采配に委ねることです。それは、神の指揮と導きのみに従うよう心がけ、個人的な選択肢を持たず、神を崇拝する人になるということです」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 3」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉のおかげで、金銭の支配から脱する方法がわかった。それまで追い求めてた目標を捨て、自分の努力で名声や富を求めようとせず、自分の人生を神の決定と采配に委ねること。神の指揮に従い、神のお求め通りに実践し、神を崇める人になるの。神に深く感謝したわ。生まれて初めて神の導きを感じたの。神が面と向かって話し、実践の道を示してるよう。全能神を信じてから、教会で本分を尽くそうと思ったけど、当時はまだネットショップをやっていて、たくさん投資したけど利益は上がってなかった。さらに損するのが嫌で、いつもショップの注文を見てた。日中の集会中もメッセージが届くから、心がまったく落ち着かず、投資して稼ぐことをまだ考えてた。日中にショップを経営するのは大変で、夜の集会では、全身の痛みで横になれず、薬で何とかしようと思ったけど、そのせいで眠くなって、集会中に眠ってしまった。心から神を崇めようと思ったわ。以前の生活は嫌。だからショップを閉めたの。その後、友人がお店を開きたいと相談してきたの。わたしは経営管理を学んでたから、ただで計画を立ててあげたら、彼女はとても喜んで、一緒に働きたいと言った。わたしが包装して、彼女が配達する。利益は折半。心が動いて、お金を稼ぐチャンスだと思った。すぐにアイデアが湧き出てきたわ。その夜、神に祈って自分の状態を反省してると、金銭欲がまた現われてると気づいたの。以前に経験したいろんな苦痛を思い出したし、全能神を信じてから、霊が苦しんでないことに気づいた。平安と安定を享受し、薬なしで身体の痛みも軽くなってた。これは神の加護と救い。神は名声と富の苦しみから逃れる手助けをしてくださったのに、わたしは今もお金と名声を求めてる。またサタンの罠に落ちたんじゃない? 友人の誘いを断わるべきだとわかっていても、完全に捨てることはできなかった。その後、御言葉を読んで実践の道を見つけたの。神の御言葉にこうあります。「人々は、金銭と名声を追い求めて人生を過ごします。それらがあれば、生き長らえて死を免れるとでもいうように、金銭と名声が唯一の支えだと考え、それらの藁にしがみつくのです。しかし、死が迫る時になって初めて、こうした物事がどれほど自分に無縁であるか、死に直面した自分がどれほど弱いか、どれほど脆いか、どれほど孤独で無力であり、進退窮まった状態にあるかを悟ります。人間は、いのちは金銭や名声で買うことができないこと、いかに裕福であっても、いかに高い地位であっても、死を前にした人間は皆同様に貧しく取るに足らない存在であることを悟ります。人間は、金銭でいのちを買えないこと、名声で死を消し去れないこと、金銭や名声では、一分一秒たりとも人間の寿命を延ばせないことを悟ります。それを強く感じれば感じるほど、人々は生きていたいと切に願う気持ちが強くなり、死が近付くのを一層恐れます。この時点で初めて、人々は、自分のいのちが自分自身のものではなく、自分で制御できるものではないこと、自分が生きるか死ぬかについて、自分自身は発言権がないこと、そうしたことが自分の制御できる範囲外にあることを、真に理解します」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 3」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉から理解できた。人は金銭にしがみつけば寿命を延ばし、死を避けられると思っているけど、死を目の前にして、お金は自分を救えず、永遠の寿命をもたらさないし、健康も取り戻せないと気づく。死を前に悟っても手遅れじゃない? 以前のわたしも同じ。身体を気遣うことなく、無闇にお金を追い求めた。医者から休養するよう言われても、家でじっとしてても稼げないと不安で、病気になるまで働いた。自分の運命を支配できると思ってたけど、死を前にして、自分に支配できるのは何もないと気づいた。いま神の救いのおかげで、幸運にも御言葉を聞き、神が人の運命を支配なさり、わたしは神の采配に従うべきで、運命に抗ってはだめだとわかった。お金を選べば、またつらい思いをする。お金のために奔走し、サタンに操られ、苦しめられる。そのとき、これはサタンの試みだと気づいたの。友人がビジネスプランを持ってきて、費用は自分が出すけど、収益は折半だと言ったの。魅力的な申し出だった。サタンはこれを使い、お金と名声の罠に引き戻そうとしてる。わたしは愚かにも、苦痛の生活に戻ろうとしてた。サタンの罠にはまってるんじゃない? 神に祈り、名声と富を脇にのけ、本分を尽くしますと言った。祈ると気が楽になった。まるで重荷から解放されたよう。それから3日間、名声と富の渦から逃れようと、毎日必死に祈った。勇気を出して、友人の申し出を断わったけど、彼女はこう説得した。「あなたは今生活保護を受けてるけど、足りないでしょ。わたしの知ってるニーナじゃない」。わたしは言った。「そう。以前のニーナじゃないの。終わりの日の神の働きを受け入れ、真理を多少理解した。苦痛からわたしを救ったのは神。医者には不治の病と言われ、さじを投げられた。鎮痛剤でも痛みは消えない。でも御言葉を読むと、いつの間にか痛みがなくなったの。神の家を離れて俗世に戻ったら、また苦痛の中で生きる。そんな生活はもう嫌」。そしてこう言った。「別のパートナーを見つけて。助けが必要ならアドバイスしてあげるから」。その後も何度か来たけど、説得は無理だと諦めた。
今は教会で本分を尽くし、自由と穏やかさを感じてる。身体の痛みも6、7割消えて、今は歩けて料理もできる。でも大事なのは、教会で本分を尽くせること。お金の支配からわたしを救い、人生の進路を変えてくださった神に感謝してる。今ではわかる。神の主権を知り、神を崇め、御言葉とお求め通りに実践するのが、人生で何より意義と価値があること。病気のせいでずいぶん苦しんだけど、それは祝福でもあった。おかげで神に立ち返り、神の救いを得る機会をもらったの。お金じゃ買えない。全能神に感謝!
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