ある役人の岐路
父は僕の出生前に罪を犯して逮捕された。70年代、中国の農村でそうしたことは不名誉だったし、僕は嘲笑を浴びながら育った。母はいつも言いました。「努力して抜きん出なさい。家族が見下されるなんて許せない」。その母の言葉が脳裏に深く刻まれた。だから勉強に打ち込み、将来はきっと抜きん出て、周囲の見方を変えてやると誓った。大学を出て教師になりました。生活は保障されていますが、真に抜きん出るという目標からは程遠い。そこで政府の仕事を得ようとコネに頼り、土地の有力者に賄賂を贈りました。
3年後、願いが叶って地方政府の秘書になり、たびたび上司に同行するようになった。偉くなった気がしました。故郷に戻ったときなど、村長はじめ村人全員が熱狂的に僕を出迎え、大勢の人がすり寄ってきた。家族もその恩恵を受け、地域の全員が羨ましがった。母も嬉しそうに言いました。「お前が役人になってから、兄さんはいつも、弟が誰で、どこで働いてるかを話すのよ。ずっと苦労したけど、やっと胸を張って歩けるわ!」それを聞いて感動しました。家族は長年苦労してきた。僕らはこの日を待ってたんじゃないか?その後はより懸命に働き、週末も休まず毎日深夜まで残業して、妻や子供と過ごす時間が減りました。2008年。ほとんどの時間働いてましたから。でもたまに集会に出るだけで、御言葉はさほど読んでなかった。キャリアは順調だし、上司や同僚から高く評価されている。上のポジションが空けば、それは君のものだと誰もが言う。望んだとおりの人生を手に入れ、抜きん出るチャンスだと思った。そこでいっそう仕事に打ち込み、上司に取り入りました。しかし、ある上役の息子に抜かれてしまい、閑職に移されたんです。
心底動揺しました。同僚は陰で僕を見下してるはずだ。やる気が起きず、誰とも会いたくなくなった。そんなつらいとき、教会のある兄弟が言ったんです。「あなたは昇進を逃し、閑職に移された。でも実際にはいいことなんですよ!ほら、思い通りに事が進み、昇進して重要な部署に配属されたら、欲がますます多くなってさらに誘惑に遭い、日々名誉と地位を求めるはずだ。どうして真理を求める時間や意欲を持つことができる?今は、人を救って完全にする神の働きにとって大事なとき。その貴重な日々を無駄に過ごしたら、どうして救われる?昇進を逃した裏には神の善意がある。僕らがサタンにもてあそばれ、傷つけられ、名誉と利益を巡って争い、陰謀と対立の中で過ごして救いの機会を失うのを、神は我慢できない」。彼の話に目が覚めました。その通りだ。以前の僕は、どう抜きん出るかしか考えず、心を静めて御言葉を読むことも、真理を追い求めることもできなかった。この挫折は、信仰の道の転機かもしれない。
その後、こんな御言葉を読みました。「正常な人、神への愛を追い求める人として、神の国に入って神の民の一人になることは、あなたがたの真の未来であり、それはこの上ない価値と意義をもつ人生であって、あなたがた以上に祝福されている人はいない。なぜわたしはそう言うのか。それは、神を信じない人は肉のために生き、サタンのために生きているが、今日あなたがたは神のために生き、神の旨を行なうために生きているからである。あなたがたの人生にはこの上ない意義があるとわたしが言うのはそのためである。神によって選ばれたこの人々の集団だけが、この上なく有意義な人生を生きることができる。地上の誰もそのような価値と意義のある人生を生きることはできない」(『神の出現と働き』「神の最新の働きを知り、神の歩みに従え」〔『言葉』第1巻〕)。人生を有意義にするものは何か、御言葉ははっきり説いている。名誉と地位を巡って争っていた年月を振り返ると、今では地位と名望が多少あるけど、心は空虚そのもの。官庁ではいつも仮面を被り、地位のため、上司に取り入るだけでなく、同僚にもいい顔をして、謀られたらどうしようと恐れながら、必死になって人と争う。あの世界のつらさとストレスがはっきりわかり、自問しました。地位と名誉を手に入れるため、人生をかけて努力する意味と価値は何だ?表向きは輝かしく、家族に栄光をもたらす人生に何の意味がある?数千年間、立派な地位を持つ大勢の偉人が、手に何も持たず死んだじゃないか。神が人を造ったのは、名前を後世に残したり、名誉と地位を競ったりさせるためじゃなく、真理を学んで神を知り、被造物の本分を尽くして人間らしく生きるようにするため。有意義で価値があり、神が認めて祝福するのは、そんな人生だけ。それに気づいた僕は神に祈り、名誉と地位の追求をやめ、人生の正しい道を歩むと決意した。
異動先の部署は一年中暇だったので、その機会に御言葉を読んで真理を備え、週末になると集会に出て、福音を説きました。心が本当に落ち着いた。同僚たちと時間を無駄に過ごすこともなくなったし、関係を深めたり、外部のコネを作ったりといった煩わしいことに、興味はなくなった。大きな解放感を覚えました。でもまた異動で、建物取り壊しの担当部署に。共産党が一般市民をいじめて傷つける様を目の当たりにして、キャリアへの熱意がますますなくなった。
政府は都市建設のため、いつも市民に移転を強要し、補償も雀の涙。抗議が盛んに起きました。政府が開発業者と結託し、大きな利益を上げて一般市民を犠牲にしているのは明らか。でも事実をねじ曲げ、市民が移転を拒み、都市建設を邪魔していると言うだけ。日中は思想工作で市民の説得に当たらせ、夜は嫌がらせをさせる。あくまで移転を拒むなら、都市再開発を妨害した容疑で拘束し、暴行を加える。署名するまでそれが続く。強制取り壊しで、ある住民が従わず省政府に苦情を出したところ、政府に雇われたならず者に暴行を受け、半身不随になり、程なく病気で死にました。部内会議で、ある上司がみんなの前で、笑みを浮かべてこう言った。「あの男はもう死んだ。苦情が1つ減り、我々の減点も少なくなった!」みんなも笑顔でした。政府職員が人命など顧みずに一般市民をいじめ、搾取してるのを見て、共産党体制に留まりこんな連中と関係を持ったって、無駄だとわかった。その後は全力で彼らを避け、関わらないようにしました。交渉を命じられても、できるだけ避けるか、秩序を維持しに行きました。暴行を受けてうめく人を近くで見ると、その目に浮かぶ絶望に、良心の呵責を強く感じた。夜中に悪夢で目覚めることもありました。あんな環境で日々暮らすのは、拷問も同然。こんな理不尽な仕事を続けていたら、遅かれ早かれ懲罰される。今すぐこの環境を去りたいと思った。上司は遠回しに、もっと上を目指せと言うけれど、僕はやる気が出ず、昇進のために媚びへつらうのもやめた。でも思いもよらず、また昇進になったんです。市の規律局の主任です。
着任後は市の幹部との会議にたびたび出席して、同僚や村人も僕にすり寄り、懸命に取り入ろうとした。そんな感覚を楽しみました。知らぬ間に欲が募り、上司に認められ、高く評価されたいと思い始めた。出張のときや、上司の代理で会議に出るときは、集会に出て本分を尽くすのが難しくなった。最初は葛藤しました。本分は避けることのできない責任だから。個人の事情で本分を諦めることはできない。でも上司がそうしたことを僕に任せたのは、高く買ってる証拠。本分を選ぶなら休暇が必要だし、上層部に嫌がられる。大事なときにしくじるなど、大事な仕事は任せられないと言うだろうか。本当に決断するのが難しかったので、御前に出て祈り、御旨を理解して実践の道を見つける導きを求めました。その後、この御言葉を読んだんです。「起こることすべての背後には戦いがある。人が真理を実践するたびに、あるいは神への愛を実践するたびに、激しい戦いがあり、すべては肉体にとってうまく行っているように見えるかもしれないが、実のところ、人の心の奥底では生と死の戦いが起こりつつあり、この激し戦いの後で初めて、膨大な熟考をした後ようやく、勝利か敗北かが決められる。人は笑うべきか、泣くべきかわからない。人の中の意図の多くが間違っているので、あるいは神の働きの多くは人の観念と食い違っているので、人が真理を実践に移す時、激しい戦いが舞台裏では行われる。この真理を実践に移した後、舞台裏で人は悲しみの涙を数えきれないほど流し、ついに神を満足させる決心をする。人が苦しみや精錬に耐えるのはこの戦いのためである。これは本当の苦しみである。戦いになった時、本当に神の側に立つことができれば、あなたは神を満足させることができる」(『神の出現と働き』「神を愛することだけが本当に神を信じることである」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉を考えるうち、これは戦いだとわかりました。神とサタンどちらを満足させ、どちらを選ぶのか。何かあったとき、僕がまず考えるのは上司の態度と自分のキャリア。いまだ名誉と地位を重視しすぎてる。神は人類を救うため、かくも大きな危険を冒して赤い大きな竜の国で肉となり、人を救うべく真理を表わした。神は文句を言わず後悔もせず、人にすべてを授けたのに、僕はと言えば、本分のためにそのわずかな犠牲さえも払えなかった。良心はどこにある?そう気づいて恥ずかしくなり、神に祈って、個人の利益を捨てて本分を尽くそうと思いました。その後も何度か、本分と仕事で選択を迫られ、弱気になって葛藤することもあった。でも神を満足させようと決意すると、常に道を開いてくださるとわかったんです。僕は上司に知られることなく、福音を伝えて本分を尽くしていました。神の導きのもと、福音伝道こそ真の使命だとはっきりした。本分を尽くす原動力も膨らむばかりでした。程なく、僕が信者で福音を伝えていることを、家族全員が知ったんです。みんな、僕の信仰に反対しました。
妻は教師なので、給料は政府から出ている。最初は信仰の実践を許さず、こう言いました。「あなたは共産党体制の中で長年暮らしてる。宗教への態度は知ってるでしょ?あちこちで信者を逮捕してるのよ。甘く見てるんじゃない?あくまで信仰するなら、私たちの暮らしも家族全員も破滅よ!」妻に神についての証しを伝え、信仰の意義を話しました。「いま救い主が来られ、人類を救うべく真理を表わしてる。これは救われる千載一遇の機会だ。目の前にある利益や地位ははかないもの。共産党に付き従って豊かさを目指すだけなら、災難から逃れられるか?災難に落ちたらいくら金があって無駄だ!主イエスの弟子マタイを見ろ。彼は収税吏といういい職業に就いていた。でも救い主、主イエスが来たと知ると、急いで付き従った。それに、党に従い悪事を犯していたら、きっと報いを受けて懲罰される。終わりの日のキリストに従うのが、救われる唯一の方法なんだ」。妻は神に関心がなく、何を言っても聞こうとしない。最初は僕の信仰に反対でした。でもやがて、僕が信じ始めてからというもの、同僚との飲み食いで家族を無視することがなくなり、生活も規則正しくなって、家族と過ごす時間があると気づいたんです。人生についても話すようになると、妻はだんだん邪魔しなくなりました。ええ、妻の一家全員に反対されました。中でも政府の仕事をしている人はこう言った。「君はまだ若い。昇進して稼ぐことを考えなきゃだめだ。ご両親も子供もいい思いができる。それが現実的だ。君が宗教で追い求めているものは、どれも漠然として現実的じゃない!」僕は言いました。「あなたは信者じゃないから、信仰して真理を求める意義と価値がわからない。真理は貴重なもの。人生の道を指し示し、堕落を清め、有意義な人生を送れるようにする。それらは金銭じゃ測れない。あなたも党の関係者だ。教えてください。党の関係者になり、地位や物質的な利益を得てから、本当に幸せでした?心は穏やかですか?」相手は黙り込んだ。義弟は僕が揺るがないのを見て、腹を立てました。「アドバイスを聞かないのか。宗教のことを上層部に知られたら、安定した生活を失うどころじゃない。逮捕され、一家全員が巻き込まれることだってあるんだぞ!」他の家族もそれに同調し、信仰をやめると約束するよう言い張った。
神に付き従う決意だと、みんなにはっきり伝えたんですが、帰宅後不安になりました。上司に知られたら、処分され、クビになるだけでなく、投獄されて後には何も残らない。周囲にも拒絶され、距離を置かれるだろう。そうなれば面目丸つぶれで、すべてを失わないか?その夜、また葛藤が始まり、ストレスで眠れなかった。いずれ快適な暮らしも、人も羨む地位も失うと思うと、虚しくなって動揺しました。苦痛とみじめさの中、神に祈り、御旨を理解する導きを求めました。その後、この御言葉を読んだんです。「ひどく汚れた地に生まれたことで、人は社会によってひどく汚染され、封建的倫理の影響を受け、『高等教育機関』で教えを受けてきた。時代遅れの考え方、堕落した倫理観、さもしい人生観、卑劣な人生哲学、まったく価値のない生存、下劣な生活様式と風俗――これらはすべて人の心をひどく侵害し、その良心を深刻にむしばみ、攻撃してきた。その結果、人はますます神から離れ、ますます神に逆らうようになった。人の性質は日ごとに悪質になり、神のためなら何でも進んで投げ出す者、進んで神に従う者、さらには神の出現を進んで探し求める者は一人としていない。それどころか、サタンの支配下で快楽を追求するばかりで、泥の地で肉体の堕落にふけっている。真理を耳にしたときでさえ、暗闇の中で生きる人々はそれを実行に移そうとは考えず、たとえ神の出現を見たとしても、神を探し求める気持ちにはならない。かくも堕落した人類に、どうして救いの可能性があり得ようか。かくも退廃した人類が、どうして光の中で生きられようか」(『神の出現と働き』「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉は苦痛の根源を明かしている。選択を迫られ、なぜつらいのか?それはサタンに深く堕落させられ、サタンの哲学が自分の本性、生きる法則になったから。子どものころから「出世して先祖に栄誉をもたらす」といったサタンの哲学を信じ、人生の目標にした。他人に尊敬され、仰ぎ見られることを追い求め、それが大志だと考えた。それに向かって熱心に勉強し、就職後はいつも空気を読んで媚を売り、人にへつらい、上司に気に入られて昇進した。党がひどい残虐行為に手を染めていると知りながら、あくまで付き従ってサタンに奉仕し、安らぎのない苦痛の中で生きた。全能神の御言葉のおかげで、人生の価値と意義がわかり、ますます充実した。でも選択を迫られ、信仰を続けたら職と前途を失い、みんなに拒まれることになると、「出世して先祖に栄誉をもたらす」というサタンの哲学が、深く食い込んでいることに気づいた。その選択がなかなかできず、苦しかった。名誉と利益を求めないのは責任を無視すること、反逆行為とさえ思えた。名誉と地位を失うのは生命を失うも同然だと思い、手放せなかった。暴きの御言葉を読んで初めて、サタンがそれで人を縛り、傷つけ、神から離れさせ、裏切らせてるとわかった。御言葉の賛美歌を思い出しました。「人の人生はすべて神の手中にあり、神の前における決心がなければ、誰が空虚な人の世界で無駄な人生を送ろうと思うのか。わざわざそうする必要があるのか。慌しくこの世に来て去っていき、神のために何も行わないならば、人生すべてを無駄にすることにはならないであろうか。もし神があなたの行為を語るに値しないと見なしたとしても、死ぬ瞬間、喜びの笑みを浮かべないだろうか。……」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』「あなたは肯定的な進歩を追い求めるべきだ」)。この賛美歌に励まされた。この人生はあと数十年。この機会に神の働きを経験して救われ、被造物の本分を尽くして真理といのちを得ないと。さもないと、神に救われる機会を失い、人生が無駄にならないか?信仰のせいで共産党に投獄され、拷問を受け、死ぬことになっても文句はない。これは神に与えられた機会。神にいのちを捧げないと。それに気づいて祈りました。「神よ!赤い大きな竜の束縛から抜け出し、自分のすべてをあなたに捧げます。どうか導きと信仰を授け、このハードルを越えられるようにしてください」。
その後、一刻も早く共産党体制から離れようと思う出来事が起きました。まだ規律局にいたんですが、党員の1人が宗教を信じていることをある上司が知り、怒りで歯ぎしりしながら、警察に引き渡して痛い目に遭わせると言ったんです。この件は正しく処理され無事済みましたが、宗教に対する党の態度を考えるたび、恐怖を感じた。当時はこう思ってた。党は信仰を敵視し、クリスチャンを憎んでる。遅かれ早かれ自分も狙われる。こんな危険な場所、今すぐ離れないと。それに、自分は長年党を称え、一緒に悪事を山ほど犯した。体制に留まっていたらますますはまり、取り返しのつかないことになる。そのときわかった。このサタンの組織をすぐ離れ、決別しないと。
妻に自分の考えを伝えると、彼女は不安になり、信仰は支えるけど職を辞めてはだめだと言って、親戚を呼んで思いとどまらせようとしたほど。親戚の多くは国営企業で働いていて、僕が捕まったら自分の前途に影響が出ると恐れていた。上の姉は泣きながらひざまずき、僕の手をとって言った。「あなたはいい仕事に就いて給料も高い。大学院を出たって就けない仕事よ。どうしてそれを捨てて神に従うの?」そして、「あなたが信仰を捨てるまでここでひざまずいてるから」と。別の姉も腹を立て、あなたの学費を払うのに苦労し、30歳まで結婚できなかったけど、ようやく苦労が報われ、家族全員が恩恵を受けてる、なのに辞めたら、長年の苦労が無駄になる、と。上の姉も加勢し、あなたが辞めたら学校を休んでも特別手当が出なくなるし、息子もあなたから職を紹介してもらいたがってる、自分の信仰だけでなく、家族のことも考えて、と。選択を迫られ、つらかったしょう。それはつまり、あなたもご兄弟も、ずっと苦労してきたんですね。そう、家族の存在がキャリアの原動力でしたから。同意すれば家族は喜ぶ。でも自分は神を信じ従ってる。被造物の本分を尽くし、神の恵みと愛にふさわしくならないと。信仰を捨てると家族に約束したら、神への裏切りにならないか?神を裏切るのは反逆行為、絶対にだめだ。苦痛と弱さを感じていたものの、その選択をしなければと思い、こう言いました。「金銭があっていい職に就いていても、空虚のつらさを解決できるか?生命を買えるのか?苦痛の中で生きる金持ちや権力者がどれだけいると思う?解決するには信仰して真理を求めるしかない。救い主が来られ、人類を救うべく真理を表わしてる。これは二度と来ないチャンスだ。すぐに過ぎ去り、あっという間に大災害が降り注ぐ。今すぐ神を信じて悔い改めないと、災害の時に後悔しても手遅れなんだ!」以前に何度も伝えてますが、共産党の取り締まりを恐れて加わろうとしない。そこでこう言いました。「あくまで党に従うなら、地獄に一直線だ。信仰から離れさせようとするなんて、僕を傷つけてるんじゃないか?体制にいるのはどんな連中だ?全員神に逆らう悪魔で、どんなひどいことでもできる。呪われ懲罰されるはずだ。災害は大きくなるばかり。神を信じて悔い改めないと、きっと災害に見舞われ懲罰される。僕は信仰の年月で多少の真理を学び、信仰だけが人生の正しい道だとはっきりわかった。みんな家族だろう?僕の幸せを望んでないのか?どうして共産党と一緒にこの悪しき道を歩ませようとする?「みんなのことには干渉しないが、僕は神を信じて付き従う。逮捕され、迫害されても、最後までこの道を歩む」。妻は憮然とした顔で立ち去り、他のみんなも無言でした。その後、妻は僕を家に閉じ込め、義兄に一日中監視させた。目を離してはいけないと。3日間どこにも行けず、本分を遅らせてしまい、心底焦りました。どうすべきかわからず、神に祈って導きを求め、道を開いてくださるよう願った。すると3日目の夜、母の姿が見えないと父から電話があり、義兄に来てほしいと言うんです。やっと家を出ることができました。その途中、義兄がこう警告した。「信仰なんか捨てろ!あんたの兄さんが明日来る。信仰を続けるなら脚を折り、何が何でも信仰を捨てさせると言ってたぞ!」それを聞いて悲しくなった。今すぐ逃げないと、チャンスは二度と来ない。でも行こうとすると、心理的な壁を乗り越えるのが難しかった。大事な家族や見慣れた近所の光景を見て、快適な暮らしと人も羨む仕事を思うと、心が痛んだ。今この瞬間、自分はそのすべてを失おうとしてる。すると集会で何度も歌った御言葉の賛美歌が頭に浮かんだんです。「アブラハムはイサクを捧げた。あなたがたは何を捧げたのか。ヨブは全てを捧げた。あなたがたは何を捧げたのか。幾人もの人が、真の道を追求するために生命を捧げ、首を差し出し、血を流してきた。あなたがたはそのような代価を払ったのか。……」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』「神に何を捧げたのか」)。神に面と向かって問われているような気がした。100歳になったアブラハムは神から息子を授かったが、その息子を神に捧げられた。大勢の使徒も神の働きのために青春を捧げて血を流した。僕は何を捧げた?つまらない仕事や、無価値な名誉や富を前にすると、哀れな有様になった。実に勝手だ。僕を養い支えようと神が払った大きな代価にふさわしいか?それに、今の選択には意味がある。それは信仰のため、被造物の本分を尽くして使命を果たすため。本分を選ばないと一生後悔するはずだ。そう考えて決意しました。義兄が二階に行ったのを見計らって逃げたんです。その後は教会で、フルタイムで本分を尽くしています。
同じ部署の上司と同僚が、地位と富を求めて収賄に関わり、それが明るみに出て逮捕されたんです。神のご加護に心から喜びました。以前は抜きん出ようと、自分も贈り物をし、賄賂を受け取っていた。あんな環境に留まっていたら、同じ目に遭っていたはず。今はあの好待遇もなく、人に仰ぎ見られることもないけれど、教会で本分を尽くし、真理を求めて誠実な人になることができる。心の中がひときわ充実し、これこそ一番幸せな生活だと感じています。何より有意義で価値ある人生なんです。まさに御言葉の賛美歌にある通り。「あなたは被造物であり、もちろん神を崇拝し、意味のある人生を送るべきである。あなたは人間であるから、神のために費やし、すべての苦しみに耐えるべきである。喜んで、確実に、今日直面している小さな苦しみを受け入れ、ヨブやペテロのように意味のある人生を送るべきである。あなたがたは正しい道を追求する人、向上を求める人である。あなたがたは赤い大きな竜のいる国で立ち上がり、神が義なる者と呼ぶ人である。これは最も意味のある人生ではないのか」(『小羊に従って新しい歌を歌おう』「最も有意義な人生」)。全能神こそ僕を救い、サタンの暴虐から逃れて神の救いを得られるようにしてくれました。
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