神の羊は神の声を聞く:真の道を究めるには神の言葉を聞くべきです

2020年7月29日

ここ数か月間、パンデミックが広がり、感染確認者数と死亡数がどんどん増えつつあります。世界中に昆虫の大量発生、洪水、火事、戦争の脅威など、災が蔓延しています。クリスチャンの多くは、主が既に再臨されていることに気づいており、今やその出現を求めつつあります。現在、全能神の教会だけが主は再臨されていると証ししており、今や多くの人が全能神の出現と働きを求め究めつつあります。全能神の言葉を聞いて、それが神の声であると確信し、終わりの日における全能神の働きを受け入れている人が、だんだん増えてきています。とはいえ全能神の働きが中国共産党政府や宗教界の牧師や長老たちによって中傷・非難されているのを見て、彼らに従う決心をする人もいます。その人たちは、これが真の道であると信じず、それを求め究めようともしません。真の道を究める際は注意が必要ですが、中国共産党政府や牧師や長老の言葉を、真の道か偽りの道かを判断する基準として引合いに出すことが、真理にかなっているでしょうか? 私たちが主のご再臨をお迎えできるようになるには、真の道を究めようとするとき、誰に耳を傾けるべきでしょうか? ここでは、その問題について分かち合い探求していきたいと思います。

目次

中国共産党政府の非難を信じることはサタンの言葉を信じること

真の道を究めるとき、牧師や長老が言う事を信じて神の言葉を聞かないというのは正しいことだろうか?

真の道を究めるなら神の声を聞くべき

中国共産党政府の非難を信じることはサタンの言葉を信じること

中国共産党政府が無神論の政府であることは誰でも知っています。権力を握って以来、中国共産党は無神論、唯物論、進化論を宣伝してきました。常に神の存在を否定し、「我々に救いを与える者は誰もいない」、「運命は己の手中にあり」、「人は自分の手で楽しい故郷を作ることができる」などとサタン的な欺瞞を唱道しています。また中国共産党はキリスト教を「邪教」、聖書を「邪教」の本だと公然と非難しています。非常に多くの教会を破壊し、無数の聖書を焼き払い、クリスチャンとカトリック教徒を不当に逮捕し迫害しています。キリスト教やカトリック主義に対する荒れ狂った迫害からわかることは、中国共産党が真理と神をひどく嫌っているということです。神に反対するサタン的な政権がどうして神の出現や働きを認識できるでしょうか。中国共産党は単に真理の道などというものがあることさえ認めようとしません、ましてや神の存在はなおさらのことです。一つの道が真の道であるかどうか判断するにあたって、中国共産党が流すうわさや偽りを信じることと、悪魔であるサタンの言葉を信じることと何の違いがあるでしょうか?

さらにいえば、はるか昔から真の道が、迫害を受けてきたことは誰もが知っています。サタン的な政権はすべて神や真理に対して最大の嫌悪を示し、何かが神のものであればあるほど、それだけ熱狂的に反発します。だから神がやってきて働きを行うたびに、必ずサタン的政権によって迫害や非難を受けるのです。これは否定できない事実です。昔、主イエスが説教をし、働きを成したとき、ユダヤ教の祭司長やパリサイ人たちがローマの役人たちと共謀してイエスを十字架にかけました。では統治政権による非難、迫害、虚言、中傷を受けているからといって、主イエスがキリストであるという事実を否定できるでしょうか。同様に、神は働きを行うために再臨され、中国共産党は神の出現と働きに対する荒れ狂った非難と冒涜の度合いを増しています。キリスト教徒を不当に逮捕し迫害し、国内外でオンラインメディアを通じて、神の働きを中傷し、真実を知らない人たちを誤った方向に導くようないつわりを広めています。神が出現し、人類を救うために働きつつあり、人類すべてが真理を受け入れて神に立ち返るようになるのを党は恐れているので、恐れからこのようなことをするのです。さらに神の言葉が地上に伝えられるようになり、神の国が地上に表れ、人類すべてが中国共産党を拒否するのではないかと恐れているので、なおさら強硬になります。だから中国政府は全能神の教会を熱狂的に抑圧し、残酷に迫害するのです。これが、中国政府が神の働きを中傷・非難する根本的な理由です。私たちが真に識別力を持つならば、このサタン的な政権に最も反対され嫌われているものによって、何が真の道なのか判断すべきです。逆に、終わりの日における全能神の働きが中国政府の反対と非難を受けているからといって、それを究めることを諦めてしまうなら、私たちはまさに大馬鹿者となってしまいます。

真の道を究めるとき、牧師や長老が言う事を信じて神の言葉を聞かないというのは正しいことだろうか?

中国共産党政府は常に神に抵抗しており、党がオンラインに掲載していることは何も信頼できないけれども、牧師や長老たちは聖書に精通していて理解しているから、真の道を究めようとするなら、彼らの言う事を聞けば間違いない、と思う人もいます。けれども誰かが聖書に精通しているということが、真理を理解しているということになるのか、考えたことがありますか。ユダヤ教の祭司長、聖書学者やパリサイ人を考えてみれば、彼らは聖書に精通していて、たびたび人に聖書の解説をしていました。けれども主イエスが現れて働きを行われたとき、彼らはイエスをメシアと認めたでしょうか。イエスの言葉を、真理、神の声と認識したでしょうか。彼らは主を認識しなかっただけでなく、自分の立場や暮しを守るために、聖書の文字面の意味を引合いに出して主に逆らい、イエスについて噂をでっちあげ、イエスの信用を傷つけたのです。彼らはイエスを猛烈に非難し冒涜し、最後はローマの役人たちと共謀して主イエスを十字架にかけました。これらの事実が十分に示すことは、誰かが聖書に精通していてたびたび聖書を解説していたとしても、その人が真理を理解していることにはならず、ましてや神を知っていることにもならないということです。これは当時のユダヤ教に忠実な者がよく理解できなかったことであり、パリサイ人についていえば、まったく識別力がありませんでした。主をお迎えするということにおいて、彼らは宗教指導者の言うことを盲目的に信じ、一部の人は主イエスの言葉と働きに権威と力があることを良く知っていながら、なお宗教的パリサイ人たちが流した噂や中傷を信じたのです。そのため、彼らは騙され宗教指導者たちと一緒になって主イエスを非難し拒みました。彼らは主の救いを得られなかったばかりか、神に罰せられてしまいました。

まったく同様に、今の牧師や長老たちは聖書に精通していますが、それが真理を理解し神を知っているという証拠にはなりません。通常、その説教のほとんどが聖書知識や神学理論であり、彼らが主イエスの言葉を伝えたり証したりすることは極まれです。その聖書知識や神学理論は、人にいのちの糧を与えることができず、彼らがいかに多くを知っていても、それが真理を理解し、あるいは主を知っているということにはまったくなりません。私たちにとって今何よりも必要なことは、なぜ宗教界がこんなに荒廃しているか、いかに教会の荒廃の根本原因を解決するか、いかに神の足跡をたどるか、いかに主をお迎えするか、いかに神の御旨を行い主に従うか、いかに罪の束縛から解放され清められてキリストと共に生きることができるかなど、真理をいくつか理解することです。牧師や長老たちは、自分がわからないので、そのような真理を説いたことがありません。彼らが真理を理解したなら、信者たちは潤され励まされることでしょう。牧師や長老たち自身が真理を理解せず主を知らなくて、どうして主のご再臨をお迎えするよう私たちを導くことができるでしょうか。聖書ではこう言っています。「主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ」(マタイによる福音書 4:10)。「この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる」(マタイによる福音書 15:8-9)。「おおよそ人を頼みとし肉なる者を自分の腕とし、その心がヤーウェを離れている人は、のろわれる」(エレミヤ書 17:5)。信仰において神を偉大なものと賛美し、真心をもって神を拝むよう、主は私たちに勧めておられます。私たちは他人の目を気にしたり、他者のいう事を簡単に信じたりしてはなりません。そうでなければ私たちがいかに主に従っていようと、決して主にほめられることはないでしょう。神への信仰において、真の道を究めるという重要な問題について牧師や長老たちを盲目的に信じ、自分の運命や終着点を彼らの手に委ねるとしたら、これはどのような問題となるでしょうか? 神を信じるのでしょうか、それとも人を信じるのでしょうか。真の道を究めるとき、神が言われることを聞くべきでしょうか、それとも牧師や長老たちが言うことでしょうか。真の道を究めながら、自分自身の考え方を持たずに他者の言葉をただ盲目的に信じるなら、自分の人生に責任を持っていないことになりませんか。そうなればかつて一般のユダヤ人が犯したと同様の間違いを犯しがちになり、主に見捨てられ排除されてしまうでしょう。

真の道を究めるなら神の声を聞くべき

真の道を究めようとするなら、牧師や長老あるいは中国政府の言うことを盲目的に信じるのではなくて、自分自身の考えを持つべきです。私たちは主の言葉に従って実践しなければなりません。その時初めて、主の出現をお迎えすることができるでしょう。主イエスは言われました。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう」 (ヨハネの黙示録 3:20)。「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る」(ヨハネによる福音書 10:27)。黙示録の2章と3章はたびたびこう予言しています。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい。」全能神は言われます。「神の足跡を探し求めている私たちは、神の心意、神の言葉、神の発する声を探り求めなければならない。神が語る新しい言葉があるところには神の声があり、神の足跡があるところには神の業があるからである。神による表現があるところに神が現れ、神が現れるところには真理、道、いのちがある。神の足跡を探し求める中で、あなたがたは『神は真理であり、道であり、いのちである』という言葉を無視していた。そのため、真理を受け取っても神の足跡を見出したとは思わない人が多いのである。ましてや、神の現れを認めることなどない。なんと大きな過ちであることか」。(『神の出現と働き』「附録1:神の現れによる新時代の到来」〔『言葉』第1巻〕)。これからわかることは、神が終わりの日に再臨なさるときは、より多くの言葉を発せられるため、私たちは神の声を聞くことに集中する思慮深いおとめのようになるべきだということです。思慮深いおとめは資質を持ち霊的感覚が鋭く、キリストの発する声からその言葉が真理、いのちの道であると認識することができ、そのため神の声に気がついて神の出現をお迎えすることができるのです。恵みの時代に主イエスが現れ、ご自分の働きをされたとき、このように表現されました。「悔い改めよ、天国は近づいた(マタイによる福音書 4:17)。ペテロ、ヨハネおよび主イエスに従った他の弟子たちはみな、神の声を通して主を認識しました。主が表されていることが真理だということを彼らは聞くことができ、そのため躊躇せずに両親も家も捨てて主に従い、じきじきに主に潤され導かれました。彼らは、主イエスに従っているあいだ、あらゆる方法でパリサイ人による嫌がらせや妨害を受け、ローマの役人の中傷や非難を受けました。それでも彼らは神の言葉に耳を傾け、神に従うだけで、統治権力や宗教的パリサイ人に妨げられ騙されるのを拒みました。キリストを認め最後までキリストに従い、キリストに祈り、その言葉を体験しました。彼らはいのちにおいてしだいに成熟し、神についての知識をいくらか持つようになりました。けれども、ユダヤ教に忠実な者たちは、頑なで無知で頑固であって、権威と力に満ちた主イエスの言葉を聞いて、このようなことを言える人間はいないとわかっていても、主イエスを信じることも彼に従うこともできなかったのです。彼らはパリサイ人たちに嫌がらせを受け騙されるという兆しが少し見えただけでぐらつきました。彼らは神を信じていましたが、神の言葉を聞くことができず、識別力も自分自身の考えも持たず、サタンの側に立って神に逆らうまでになりました。結局、そのような人たちは神に捨てられ排除され、地獄に落ちて永遠に罰せられるだけでした。ですから、私たちが真の道を究めるとき、他者の言うことを盲目的に信じてはならず、神の声を聞くこととキリストが真理、道、いのちであると認識することに集中せねばなりません。それが最も重要なことです。

全能神による終わりの日の福音は、今や全世界に広がっており、全能神が表現された古典的な言葉の本『言葉は肉において現れる』は20以上の言語に翻訳され、求め究める全人類に向けてオンラインで公開されています。神への真の信仰とは、神への服従と愛とは、いかにして神を恐れ悪を避けられるか、いかにしてキリストと共に生きることがきるか、いかにして意義ある人生を実現できるかなど、全能神は人類を救うためにすべての真理を表しています。神の出現を待望する全世界の人々が、全能神の言葉の中に神の声を認めています。彼らは、これらの言葉は神が人間を清め救うために表わされた真理であると確信しており、次々と神の家に立ち返ってきています。いかに牧師や長老たちが邪魔しようとしても、中国政府がどんな非難や冒涜を広めようと、彼らは揺らぐことなく神に従います。このような人たちが、思慮深いおとめたちであり、神の御座に引き上げられている者であり、神に清められ完成され、終わりの日に神によって勝利者とされるチャンスがある者たちです。そのほかに、全能神の表される言葉はすべて真理であり、それは神の声だとわかるのに、なおも牧師や長老たちが語る禁止令を聞いて騙され抑制され、神の働きを究めようともしない人たちもいます。彼らは真の道と神の働きを疑うまでになります。これが思慮深いおとめのふるまい方でしょうか。神が百の言葉を語っても、彼らはそれを完全に信じることができないのに、堕落した人類の一人がたった一言話すだけで、心からそれを受け入れてしまいます。この人たちは思慮の浅いおとめではありませんか? 真の道を究めるとき、愚かなおとめたちは神の声を聞かない代わりに、人の声を聞きます。彼らは常にサタンの嫌がらせと欺きを受け、ついにはサタンの餌食となるのです。彼らは神の救いを失い、神に捨てられ排除され、災いによって一掃されるでしょう。これはまさに聖書のこの言葉の成就です。「わたしの民は知識がないために滅ぼされる(ホセア書 4:6)。「愚かな者は知恵がなくて死ぬ」(箴言 10:21)

さて、終わりの日における全能神の働きは、まもなく終わりを迎えようとしています。私たちはペテロのように、神の声を聞き主を迎える人になりたいでしょうか。それともユダヤ教に忠実な人のように、牧師や長老たちやサタン的な政権の言うことに盲目的に従って、神の救いを失いたいでしょうか。真の道を究めようとするとき、神の言葉を聞くか人の言葉を聞くかによって、私たちの運命や最後の結末が決まります!全能神は言われます。「神の働きは強い波のように打ち寄せる。誰も神を引き留めることはできず、誰も神の前進を停止させることはできない。神の言葉に注意深く耳を傾け、神を探し求め渇望する人々だけが神の歩みをたどり、神の約束を受けることができる。そうしない者は圧倒的な災難を被り、当然受けるべき罰を受ける(『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」〔『言葉』第1巻〕)

編集後記:ご質問や問題のある方は、ライブチャットにてご連絡ください。ご一緒に話し合いながら究めていきましょう。

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

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