離婚騒動の終息

2020年1月8日

2015年、友人をきっかけに、私は全能神を信じるようになりました。終わりの日の全能神の働きを受けてからは、神の御言葉を貪るように読みました。それを通して、人類を救う神の働きが三段階に分かれていること、そのそれぞれの段階で神がどのように働きを行われるのか、その三段階のつながり、受肉とは何か、なぜ神は受肉しなければならないのかなど、それまで知らなかった真理の奥義を数多く学び、全能神は主イエスの再来なのだという確信をより強めました。神の御言葉のお導きがあってからというもの、以前のようにテレビを見て時間を過ごすことはなくなりました。そんな私に夫が言いました。

「君は神への信仰心から読書をするようになった。毎日韓流ドラマを見ているよりいいね。すごくうれしいよ」

夫は教会の集まりに行くことはありませんでしたが、夫の母親が信者だったことから神の存在をずっと信じていて、私の信仰も支持してくれていました。私は日頃から、神の御言葉から何らかの啓きを得た時にはいつも夫と共有しましたし、彼も信仰を持つことに賛同してくれていました。その後夫は、いつも私が「全能神」と言うことに興味を持った様子でした。彼の母親は主イエスを信じていたからです。そして夫はインターネット上で全能神教会のことを調べました。ところが予期せぬことに、彼が見たものはネット上にあふれる全能神に関するデマ、偽の証し、冒涜でした。夫はこれにひどく毒され、私の全能神への信仰に反対するようになりました。全能神の御言葉を読み、兄弟姉妹の説教や証しを聞いていた私は、全能神こそ唯一の真なる神だとすでに確信していましたし、ネット上にはびこるものは人々をだまそうとするデマや嘘でしかないことを知っていました。しかし夫はそのデマをうのみにし、現実を理解しようとしませんでした。私がどれだけ説得を試み、終わりの日における神の働きを証ししようとしても、聞く耳を持ってくれなかったのです。

それからしばらくして、迎合さんという姉妹が説教や証しを何度も夫にしてくれたおかげで、ようやく夫はしぶしぶながらも終わりの日の神の働きについて考えることに同意してくれました。しかし、母親から影響を受けていた夫はどちらかというと聖書に対して保守的でした。それを解決するために姉妹たちから勧められたのが、『聖書の奥義を解く』という福音映画を夫と見ることでした。しかし私はその映画を夫に見せず、自分の考えから『「網」を突き破る』という映画を見せることにしました。中国共産党政府と宗教界の反キリストたちが、神の働きにどう反抗しているかを赤裸々に描いた映画です。この映画を一部だけ見たところで、夫は言いました。

「中国共産党は無神論政府で、中国は無神論国家だ。ずっと宗教の信者を迫害してきた。全能神教会は中国共産党政府から弾圧されている。僕たちは単なる腕であって、脚である共産党政府を倒すことはできない。中国に戻って逮捕されたらどうする?それにインターネットにはいろいろなことが書かれている。僕には何が本当で、何が間違っているのか分からない。やはり君は信じるべきではないと思う」

私は、映画を最後まで見てから判断してほしいと夫に頼みましたが、夫は従ってくれませんでした。その後も私が信仰を続けると言い張っていると、ある時、夫は怒りを露わにして私に迫り、こう言いました。

「そんなに信じると言い張るなら、信じればいい。逮捕されたいなら逮捕されればいい。だが逮捕されても、僕が夫だとは言うな!僕が今、大きなストレスを感じていることが分からないのか?君の言う神を信じないなら、それが真の神だったらどうしようかと恐ろしくなる。信じるなら、インターネットで書かれているあらゆることや、逮捕されるのではないかという心配が頭をよぎる。いったい誰の言葉に耳を傾ければいいんだ?」

ネット上のデマに縛られて苦しむ夫を見て、中国共産党政府がでっち上げたデマや偽の証しがいかに有害かを実感しました。それらは人々が真の道を受け入れるのを阻むばかりか、家族の関係までも壊すのです。デマをねつ造して偽の証しを吹聴する人々が邪悪なサタンの一味であることは明らかです。

ある日、仕事から帰ってきた夫は、私が集会に参加していることに気づきました。夫はとたんにうなだれ、ドアを開けたままどこかへ行ってしまいました。夕食の時間が過ぎても戻ってこず、私は心配でたまりませんでした。八時になってやっと帰宅した夫は、まだ怒っていました。そして夫の食事の支度をしようとした私に、冷たく言い放ちました。

「僕に構うな!僕の話を聞かずに信仰を続けるなら、もう金輪際、僕のことには干渉するな。今後、生活費だけは面倒を見る。だが僕が家の外で何をしようと、君には一切関係ない!この家庭を壊すようなことを僕がしたとしても、君には無関係だ!」

こんな言葉を夫から浴びせられた私は動揺を抑えきれず、そのことばかり考えていました。その晩は眠れないままベッドで寝返りを繰り返し、心の中で神に何度も祈りました。

「神様!夫はデマにだまされ、私のあなたへの信仰をやめさせようとしています。そのうえ、とても心無いことを言ってきます。私はどうすればいいのですか?どうか道をお示しください!私はあなたのもとを離れたくないのです」

すると翌朝、集会で交わった神の御言葉が突然思い出されました。

「神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなた方に対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある――その背後にはすべて戦いがある。……神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたは神に満足してもらうためにどうすべきか、どのように固く証しに立つべきだろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである」(『神の出現と働き』「神を愛することだけが本当に神を信じることである」〔『言葉』第1巻〕)

この神の御言葉の啓きを通して、目がいくらか覚めました。この一件のさなか、私は夫にばかり目が行き、今日の世界では多くの偽りや詐欺がまかり通っているような気がしていました。どこもかしこも嘘とごまかしであふれていて、特に中国共産党のメディアから発信される嘘や偽りがはびこっていると感じていたのです。頭の良くない人でも少し考えれば、全能神を攻撃、非難、糾弾するネット上の数々の言葉がすべて嘘であり、馬鹿げていることに気づくと思っていましたし、それらにだまされたり惑わされたりするべきではないと考えていました。ところが残念なことに夫はネット上のデマを信じてしまい、私はそんな夫に心から失望していました。当時、私はもはや問題の根源を客観的に見ることができていなかったのです。この一件は神が私を試されているのであり、それによって神への信仰が本物かどうか、サタンから攻撃されても真の道を断固として貫けるかどうか、試練のなかでも神への証しをできるかどうかを確かめようとなさっていたのです。神の御心に気づくと、心と頭を包んでいた霧が晴れ、心がすっきりと晴れやかになりました。

翌朝、一緒に朝食を食べていた夫はまだ不機嫌そうで、私に話しかけようとしませんでした。しかし神の御言葉のお導きがあった私は、前日のことを悩んだり恐れたりはしませんでした。そして穏やかに夫に言いました。

「私は神を信じているけれど、家庭を壊すようなことは一度もしたことがないわ。もしあなたが家庭を壊したいと言うなら、それは自ら進んで堕落しているだけよ。私の信仰が原因じゃないわ」

これを聞いた夫は、昨日よりは落ち着いた声で言いました。

「言っただろう。こうなったのは、ただ君が僕の話を聞こうとせずに、信仰に固執したからだ」

その後、夫は何も言わなくなり、嵐は通り過ぎました。神様、感謝します!神の御言葉が私に、サタンの試みに勝つ力を与えてくださったのです。

しかし良いことは長く続きません。一カ月後、夫はまたインターネット上で同じようなデマを読んだのです。そしてある時、仕事から帰宅した夫は、私がパソコンに向かっているのを見て怒鳴りつけました。

「君はおかしくなってしまった!もう終わったと思っていたのに。すぐに信仰を捨てなければ、離婚する。子どもたち二人のことも考えてある。君が連れていけばいいが、日本には住んでいられないだろう。子どもたちを連れて上海に帰れ!上海のアパートは君にやる。毎月十万円の養育費も渡す。子どもを引き取る気がなければ、それでも構わない。君が選べ!離婚の手続きも調べてある。区役所に行って、離婚届に互いのサインをするだけだ。さあ、どうする!」

夫の言葉を聞き終えた私は、動悸を感じ、気が動転してしまいました。何も言えずに座ったまま、神に祈ることすら忘れていました。離婚したら子どもたち二人はどうなるのか、それしか考えられません。私が連れていっていいとのことですが、私には経済力がありません。しかし私が引き取らなければ、二人は母親のいないかわいそうな子どもになってしまいます!それに、私の両親、友人、親戚は、私のことをどう思うでしょう。本来なら海外暮らしはとても素晴らしいことなのに、離婚するとなれば両親は周りの人に対して肩身の狭い思いをするでしょう……。そう思うと結論を出せず、考えさせてほしいとだけ言いました。私は自分の部屋に行き、激しく泣きだしました。離婚後の生活を考えれば考えるほど、つらくてたまらなくなります。その晩は一睡もできず、枕は涙でぐっしょりとぬれました。翌日、夫が無言のまま仕事にでかけてやっと、肉の弱さに打ち勝つ力をもっと与えてくださるよう神に祈りました。苦しみから抜け出すことができず途方に暮れていた私は、何人かの兄弟姉妹にこのことを話しました。彼らは皆、私を励まし、慰めてくれたうえで、私が経験しているのはサタンの試みだと言い、どのように神にすがるべきかを学ぶ手助けをしてくれました。そして、神への信仰を失ったり、神を誤解したりしてはいけないと言いました。さらに、他の兄弟姉妹の経験や証しを分かち合ってくれたうえ、神が人類を救う唯一のお方であり、サタンだけが私たちを悩ませ、苦しめ、他の人々との関係を壊すのだと説教してくれました。また、全能神の御言葉の一節も読んでくれました。

「まだ救われていない人々の人生はしばしばサタンに介入され、支配されてさえいる。言い換えれば、救われていない人はサタンの虜であり、彼らには自由がない。そのような人はサタンに解放されておらず、神を礼拝する資質も資格もない。そのような人々はサタンが近くで狙っており、激しく攻撃される。彼らには幸せがなく、普通の存在でいる資格もなく、更には尊厳もない。もしあなたが立ち上がり、神への信仰と従順、神に対する畏れを武器として用い、命がけでサタンと戦うのであれば、そしてサタンを完全に打ち負かし、サタンがあなたを見たのならしっぽを巻いて逃げるようになり、そうしてサタンの攻撃とあなたに対する非難から完全に離れることができるのであれば、その時あなたは救われて自由になれるのである」(『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 II.」〔『言葉』第2巻〕)

この神の御言葉によって、神への信仰を実践していなかった時の自分が完全にサタンの支配下で暮らしていたこと、サタンの奴隷であり玩具だったことに気づきました。信仰を得たことでサタンの支配から抜け出し、神の御前に戻ることができたわけです。私がサタンを見捨てたので、サタンは打ち負かされまいと、夫を利用して私の弱い部分を攻撃してきたのです。私が神を裏切ってサタンの支配下に戻るようにと、離婚という手段を使ったのです。それはサタンの策略に他なりません。離婚したら子どもたちをどうしようか、地元の人々は私をどんな目で見るだろうか、両親は近所の人たちに顔向けできるのかと、私は悩んでいました。しかし、そのような考えはすべてサタンによる妨害から生じたもので、そういった考えに操られてしまえば私はサタンに支配され、最後は神から距離を置き、神を否定し、サタンのもとに今一度戻ることになるはずです。創造主を信じて崇めることは全く前向きなことであり、天の法則にして地の原理です。誰もそれを妨げる権利はないのに、サタンはあの手この手で私を操り、神を裏切らせようとしています。サタンは本当に卑劣で憎むべき存在です!その瞬間、サタンの試みに自ら立ち向かう信仰が自分にないことを悟りましたが、神にすがり、神の御言葉のお導きに拠り頼んで目の前の道を進もうと思いました。神の側に立ち、神に証しをする決心をしたのです。サタンに屈するつもりは全くありません。そう思うと、動揺していた心がようやく落ち着き、苦しみが和らぎました。

その後、何人かの兄弟姉妹が再び神の御言葉を分かち合ってくれました。

「神の許可なくしては、サタンにとってひとしずくの水やひと握りの砂に触れることさえ困難である。また神の許可なくしては、サタンは蟻を地に這わせることさえままならないのであるから、神の造った人間を動かすことなど到底できるはずがない。神から見ると、サタンは山のユリの花よりも劣り、空を舞う鳥や海の魚にも劣り、地のウジ虫にも劣る。万物の中におけるサタンの役割は、万物に仕え、人間のために仕え、神の業と神の経営(救いの)計画に資することである。サタンの本性がいかに悪意に満ちているか、その本質がいかに邪悪であるかによらず、サタンにできることは、神に仕え、神に対照を提供するという、その機能に従順に従うことのみである。これがサタンの本質であり位置づけである。サタンの本質は命や力、権威から切り離されており、サタンは神の手の中にある玩具のようなもの、神のための役立つ道具に過ぎない」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 I.」〔『言葉』第2巻〕)

神の御言葉から、神の権威が何にも勝るものであること、神が天地と万物を支配なさっていること、そしてこの世のすべてのものが神の御手の中にあることに気づきました。私の離婚も家族も神の御手の中にあり、神のお許しがなければサタンは何もできないのです。私が離婚するかどうかはひとえに神の支配と予定によるものであり、夫が決定権を握っているわけではありません。そのため、私は神の支配と計画に従おうと思いました。そして離婚に至る不信心者のことに思いを巡らせました。経済的な理由で離婚する人もいれば、相手の不倫のため、あるいは夫婦関係の破綻によって離婚する人もいます。夫が離婚を望んだのは、私が神を信じて正しい道を歩み、真理を追い求めて有意義な人生を送ることを選んだからです。しかし、それは名誉なことであって、恥ずべきことではありません!まさにその時、次の神の御言葉が頭に浮かびました。

「信仰とは一本の丸太橋のようものである。卑屈になって命にしがみつく者がそれを渡るのは困難だが、自らを進んで犠牲にする者には不安なく渡ることができる。臆病と恐怖を抱いている者はサタンに騙されているのだ。サタンは私たちが信仰の橋を渡って神の中に入ることを恐れている。サタンはあらゆる手段を講じて、私たちにサタンの考えを送り込もうとする。私たちは神の光が私たちを照らすよう、常に祈らなければならない。そして、私たちがサタンの毒から清められるために、いつも神に拠り頼まなければならない。私たちは神に近づくために、常に霊において実践しなければならない。私たちは、神が私たちの全存在を支配するようにしなければならないのである」(『言葉は肉において現れる』第一部

「キリストの初めの言葉」の「第六章」より)

神の御言葉はまたしても私に信仰と力、歩むべき道、そして夫と向かい合う勇気を与えてくださりました。そうです。私にできるのは思い切って決断することだけなのです。その先の道に何があろうと、信仰の道を歩むことに間違いなんかあり得ません!

その晩、帰宅した夫に、私は簡潔に伝えました。

「あなたは私に全能神を信じてほしくないと言うけれど、それは無理なの。あなたが離婚したいと言うなら、そうしましょう!」

それを聞いた夫は口がきけないほど驚いた様子で、こう言うより他ありませんでした。

「どうやら、君に言うことを聞かせるのはもう無理なようだ。ネット上にはあらゆることが書かれている。僕が君に言うことを聞かせなければ、いつか君に何かあった時、僕の責任になる。君を脅すために離婚を切り出しただけなんだが、それでも君は神への信仰を捨てない。信仰が原因で君に何かあったら、君の母親の知るところになる。だから僕を責めないでくれ」

その時から、夫はそれ以上私の信仰を気にしなくなりました。私たち夫婦の関係は信じられないほど回復し、もはや夫が離婚を口にすることはありませんでした。こうして、中国共産党政府のデマが引き起こした離婚騒動は収まったのです。

その後、下の娘と私が風邪をひいたことがありました。その日は小雨が降っているなか、練習に行く上の娘を送り届る必要があったので、下の娘も連れて、体調の悪い体を引きずっていくより他ありませんでした。そのことを後で知った夫は言いました。

「今日は大変だったね。ルー・シー、最近の君は変わった。以前に増して子どもたちのことを大切にしているし、本当に頑張ってくれている」

夫の言葉を聞いた私は、心の中で全能神に感謝しました。私を変えたのは全能神の御言葉だと分かっていたからです。神の御言葉を基礎として、私には人生の指針があり、正しい人間性とは何か、堕落した性質とは何かを知っています。神の御言葉に沿った行いをしてこそ、正しい人間性を生きることができるのです。結果、私は子どもに対して無闇に腹を立てることも、快楽を求めて暮らすこともなくなりました。そして徐々に、夫が変わったことにも気づきました。以前の夫は常に自分だけが正しいと考えていましたが、今は何かに対処するにあたって私の意見にも耳を傾けるようになりました。さらに、神の権威と支配の証しを友人たちにするようにさえなりました。これらのことを思うと、私の心は感謝の気持ちでいっぱいです。神様、あなたは本当に全能です!あなたの御言葉は私たちのいのちの力です。サタンの力がどれだけ攻撃的ですさまじくても、私たちを導くあなたの御言葉がある限り、私たちはサタンの試みに残らず打ち勝ち、あなたのお気遣いとご加護の下で平和に暮らすことができます。

私のためにこのすべてを采配なさり、私が神の御言葉を経験して多くの真理を理解できるようにしてくださった神に感謝いたします。このような状況を経験することで、サタンが本当に卑劣であること、あらゆる方法を使って人々を神のもとから離れさせ、おのれの餌食にしようとすることが分かりました。同時に、神は万物を支配し、すべてのことを采配なさることも分かりました。神のお許しがなければ、サタンがどれだけ必死になろうと関係ありません。サタンには何もできませんし、何も達成できません。私たちの髪の毛一本すら触れられないのです。信仰をもち、神の御言葉に頼って生きる限り、私たちはサタンの闇の影響に打ち勝ち、神に証しを立て、神に栄光をもたらせるのです!この事実はまた、インターネット上のデマや偽りの証しに根拠がないことも証明しています。事実と時間がすべてを証明し、これらのデマは最後に「無神論」、「ダーウィンの進化論」、「共産主義」などと同じく、不名誉なこととして歴史にいつまでも名を刻むでしょう。そして、共産党政府の永遠なる恥部として残ることでしょう。神の羊は神の御声に耳を傾けます。神を心から信じ、真理を愛する者は、サタンの妨害がどれだけ大きくても、偽りにだまされたりデマに縛られたりすることなく、神の御前に出て神のものとしていただけるのです。それが神の望まれることだからです。サタンの力がそれを邪魔することはできません!

日本路(ルー)晰(シー)

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