天国への道を妨げるのは誰か

2019年12月6日

夫が亡くなった年、私は深い絶望の中にいて、そのうえ子どもたちを育てるという重荷も加わりました。私の生活は突如として苦境に陥りましたが、私にはずっと主への愛があり、兄弟姉妹に助けられてこの困難なときを乗り切りました。主の愛に報いるべく、私は献金と教会への奉仕を30年以上にわたって続けました。その間に教会の繁栄を経験し、主の福音が広まるという素晴らしい出来事を見てきました。その一方で教会の荒廃と無力も目の当たりにしました。聖霊が教会で最初にその偉大な働きを始められ、私たちが牧師の説教を楽しんで聞き、そこから多くのものを得ていたときのことを振り返ると、兄弟姉妹のあいだにはまるで一つの家族のような相互の愛があり、みな団結して福音を広め、主の証しをしていました。その後、何が起きたのかはわかりませんが、牧師が説教することにもはや光はありませんでした。同じ古い話を何度も繰り返すばかりに思われ、信者は糧も施しもまったく得られなかったのです。彼らの信仰と愛は徐々に冷めていき、集会に来る人の数もどんどん減りました。奉仕に参加していた私たちもただ動作を繰り返すだけでした。みな聖職者の望み通りに振る舞い、神への奉仕をすることはまったくなく、それどころか他人の前で自分を誇示してその人たちを喜ばせようとするだけだったのです。このような奉仕が神の御心にかなっていないことはわかっていたので、私にとっては非常に苦痛でした。また、これから先の道をどう歩むべきか見当もつかず、無力感も覚えました。そのため主ができるだけ早くお戻りになり、それによってすべての問題が解決されることをますます強く願いました。

 喪失感のまっただ中にいた2016年、私は終わりの日における全能神の働きを調べました。全能神の御言葉をたくさん読み、全能神教会の兄弟姉妹による交わりと証しに耳を傾けたことで、主イエスがはるか以前に受肉され、この世へおいでになって御言葉を表わされるとともに、神の家から始まる終わりの日の裁きの働きをなさってきたこと、そして主がそれをなさっているのは、ひとえに人類を完全に清めて救い、天国へと連れて行くためだということをついに理解しました。それまで何年間も考え続けてきた主の再臨の奥義が、全能神の御言葉によって明らかになったのです。主の再臨が2つの形態、すなわち密かな到来と公然たる到来に分かれることもわかりました。まず最初に、主は人の子として受肉されて密かにいらっしゃり、御言葉を表わされ、人を清めてお救いになり、災害に先立ち勝利者の集団をお作りになります。大災害が降りかかると、主は善に報いて悪を懲罰なさり、公然とおいでになって万国万民の前に姿を現わされます。そのとき、受肉されて密かにおいでになった神の働きはすでに終わっており、終わりの日における神の働きに抵抗してそれを断罪する人はみな、泣きわめいて歯ぎしりしがら大災害を迎えることになります。また兄弟姉妹は、人類をお救いになる神の働きの3段階、神の受肉の意義、および神は終わりの日における裁きの働きをどのようになさるかといった真理についても交わってくれました。そのとき、以前教会で奉仕していた際に神のお導きがなかった理由と、聖書を読むこと、祈ること、そして聖書を学ぶことの中に、前進する道がなかった理由がわかりました。また聖霊の働きを感じられなかった理由もわかりました。神はすでに新しい働きをなさっており、恵みの時代を終わらせて神の国の時代を始められたのです。聖霊はもはや恵みの時代の教会で働かれてはいないので、人々の霊はしおれて暗くなり、何の喜びも満足感もなく、霊のいのちに何の糧も得られません。神のお導きと指し示しのおかげで、私は全能神の御言葉の中に神のお声を認識することができ、終わりの日における神の働きを喜んで受け入れました。その後、兄弟姉妹は全能神の御言葉をオンライン経由で頻繁に分かち合ってくれました。全能神教会が制作した映画、歌と踊りの動画、音楽動画を視聴することで大きな糧がもたらされ、御座の前に導いてくださった神に心の底から感謝しました。神の御言葉による牧養と糧を享受し、神と向かい合って生きるという至福の生活に入ったのです。

ある日、教会の牧師の奥さんから突然メッセージが届きました。「どうして東方閃電の投稿に『いいね』を押したのですか。あなたはご自分のタイムラインに彼らが投稿するのも許していますが、それは主の御心に反することです。私たちの教会の人々が東方閃電による投稿を目にして全能神の言葉に興味をもてば、みな東方閃電に取り込まれてしまいます。そうなったらどうするつもりですか。二度と東方閃電の人たちと関わってはいけません。すぐに彼らの連絡先を消去すべきです……」 私はこう返信しました。「全能神教会の福音映画や賛美歌や音楽動画はどれも素晴らしく、私はそこから多くのものを得ました。だから『いいね』を押したんです!」 私はその牧師の奥さんにもっとメッセージを送ろうとしましたが、それを打ち終えるより早く、彼女は全能神を攻撃して断罪し、全能神教会を誹謗することを山ほど言ってきました。彼女には主の再臨というこの大事件を調べる気などさらさらなく、自分の好きなように判断し、断罪する言葉を送っているだけだとわかったのです。私はこの件についてこれ以上話す気になれず、話題を変えました。

 この出来事から数日後、楊牧師が私と話をしに来ました。しばらく世間話をしたあと、楊牧師は「オンラインで他の宗教集団を調べたのか」と訊きました。楊牧師がどうしてそんな質問をするのかわからず、私はこう答えました。「フェイスブックの友達はいろんな教派に所属しています。投稿した記事が正しくていいものだと判断したら、それを理解しようと努めて、そこに新しい光があるかどうかを確かめます。そうするのは間違いだとおっしゃるんですか」 すると楊牧師はさらに質問しました。「君は2年前に東方閃電に転向したのか。それに、頻繁にあんなことやこんなこと(それは終わりの日における全能神の働きを受け入れた姉妹のことなのですが、彼女がもともと所属していた教会の牧師によって、彼女の写真が投稿され、彼女は断罪されて捨てられたのです)を検索しているのかね……」 楊牧師による矢のような質問を耳にして、私は苛立ちを感じ始めてこう言いました。「全能神教会はいいところですし、そこには真理と聖霊の働きがあります。真理と聖霊の働きがあるところならどこでも、私はそれに従いますし、それだけが正しいことです。私たちの教会には新たな光がなく、私の霊は暗くなってそこで糧を見つけることができません。私は聖霊の働きがある教会、自分のいのちが真理の糧を得られる教会を見つけたいんです。東方閃電の教えは私の心を動かしていますし、全能神の御言葉はすべて真理です。私はそれによって糧を得られています。東方閃電を調べたのは間違いじゃありませんし、そうする自由があるんです」 すると楊牧師はこう言いました。「東方閃電の連中が宣べ伝えていることは聖書から外れている。聖書に記されている以外に神の御言葉はないんだ。連中の宣べ伝えていることが聖書から逸脱しているなら、それは間違いなんだよ」 私はこう返しました。「説教師が同じことを言うのを聞いたことがあります。だから私もそれと同じ見方をしていました。でも全能神の御言葉を読み、全能神教会の兄弟姉妹が交わってくれることを聞いたあと、その見方は自分の観念と想像に過ぎないことがわかるようになったんです。それは真理とまったく一致しておらず、事実とも合致していません。神はすべてを包含なさり、知恵に満ちていらっしゃいます。どうして神の御言葉と働きを聖書の中に閉じ込められるのですか。聖書にはこう記されています。

『イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う』(ヨハネによる福音書21:25)

ここから、聖書に記録された神の御言葉と働きはあまりに範囲が限られていることがわかります。主イエスが当時おっしゃったことのすべてが聖書に書きつけられたわけではなく、まして再臨された主の御言葉などは記されていません。さらに全能神の働きは、主イエスが敷かれた基礎のうえに築かれています。全能神の働きと主イエスの働きは、1つの神の働きなのです……」 楊牧師は私の言葉に耳を傾けておらず、探し求めて調べることに一切興味を抱いていませんでした。全能神と全能神教会に抵抗し、それらを断罪することを言い続けるばかりで、私にこう尋ねたのです。「どのようにして全能神教会のウェブサイトを知ったんだ。他の誰かに全能神の働きを伝道したのか。君のお子さんにも伝道したのか。全能神教会に所属する人たちの名前を言いなさい……」 楊牧師はさらに、全能神教会の人たちとの集会に二度と参加しないよう求めました。自分の言うことを聞かずに全能神教会との接触を続ければ、教会から追放して他のどの教会にも行けないようにし、私の評判を徹底的に落とすというのです。私は目の前にいる楊牧師にショックを受けました。いつも親切で謙虚で、優しい言葉を語っていた楊牧師が、どうしてこんなに野蛮で理知のない人に変わってしまったのでしょう。私はこう言いました。「真理を調べるのは私の権利ですし、それを止める権利は誰にもありません。東方閃電の教えが真の道かどうかについては、まず何よりそれを無闇に裁いて断罪してはいけません。ご自分で全能神教会のウェブサイトを開いて調べたらどうですか。そこにはたくさんのコンテンツがあって、ありとあらゆる神の御言葉の本が掲載されているんです。全能神の御言葉が再臨された主イエスのお声かどうか、ご自分の目で確かめてください……」 楊牧師は私の言うことに決して耳を傾けず、抵抗と断罪を続けるばかりでした。そして全能神教会を去らなければならないと言って私を脅したのです。話せば話すほど、楊牧師はさらに一線を越えてきました。私はこの上なく腹が立って次のように言いました。「主イエスは『人をさばくな。自分がさばかれないためである。あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量り与えられるであろう(マタイによる福音書7章1〜2)とおっしゃいました。全能神の御言葉と働きを調べたことがないのに、どうして自分の好きなように裁いて断罪できるんですか。そのように振る舞うのが主を敬うことなんですか」 私が自分の言うことに耳を傾けず、それどころか反論してきたのを目の当たりにして、楊牧師はそれ以上何も言いませんでした。

 

 それからの日々、楊牧師は私の監視を始めました。それは私を大いに悩ませ、信仰の自由も奪いました。教会では、楊牧師の部屋と私の部屋は廊下を隔てているだけです。私がどうしているかを確かめようと、いきなり部屋に飛び込んでくることも度々あり、トイレに行くと言って廊下から私を見張ることもありました。ある日、全能神教会の姉妹2人がおしゃべりしようと私の部屋を訪れました。その姉妹が帰ると、楊牧師は私の助手を探しに行きました。その後、あの2人は誰だ、どうして来たんだなどと楊牧師から訊かれたことを、助手は私に教えてくれました。犯罪者を監視しているかのように、楊牧師は一日中私を見張りました。私はそのせいでひどい圧迫感を覚え、完全に自由を失いました。ある日、私は教会に行かず、兄弟姉妹とオンラインで行なう集会に参加しました。まさにそのとき、自宅の居間で真剣に集会のメモをとっていたところ、楊牧師が突然背後に現われ(ドアが開いていて誰でも部屋に入れたのです)、「何をしている。何を書いているんだ」と言いました。私は予期せぬ声を突然聞いて驚きのあまり飛び上がり、このような形で邪魔されたことに不快を感じて、何をしても落ち着きを取り戻すことができませんでした。そしてひどく腹が立って、「神への信仰の中で真の道を調べるのは正しくまっとうなことであり、クリスチャンがもつべき権利なのよ」と考えました。聖霊はもはや私たちの教会で働きをなさっておらず、信者はみな否定的になり、弱り、霊がしおれていました。闇に沈んでしまった環境の中で生きており、私は聖霊が働きをなさっている教会を探していたのです。神の足跡を探すのがどうして間違いなのでしょう。どうして楊牧師は私に目を光らせようとしているのでしょう。どうして私を自由にさせないのでしょう。

 楊牧師が私を監視して邪魔しただけでなく、長老の1人が私に電話をかけて嫌がらせをすることもありました。その長老はこう言いました。「全能神教会の連中が宣べ伝えていることは聖書からはみ出している。君が主を信じているなら、これほど多くの慈しみを与えてこられた主を裏切ることはできないはずだ。良心を失うことはできないんだぞ……」私はこう言って反論しました。「全能神と主イエスは同じ1つの神でいらっしゃいます。私は子羊の足跡に歩調を合わせているだけです……」 しかしどれほど言葉を尽くして説明しても、長老は楊牧師と同じでした。断罪と冒涜の言葉を吐き、私が終わりの日における全能神の働きを受け入れるのを妨げたうえ、私の交わりや忠告の言葉にも一切耳を貸しません。私はこの長老とこれ以上話す気になれなかったので、口実を見つけて電話を切ろうとしました。しかし長老は電話を切らせようとせず、通話を続けて私に嫌がらせをしました。そして、全能神への信仰によって、君は主のお恵みを忘れて主を裏切ったとまで言ったのです。私は黙示録にある「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く(ヨハネの黙示録14:4)という聖句を思い出しました。全能神は主イエスによる贖いの働きを基礎として、御言葉を通じて人を裁いて清める段階の働きをなさっており、私が終わりの日における全能神の働きを受け入れたことは、自分が子羊の足跡に歩調を合わせていることをはっきり示しています。私が主イエスを裏切っているなどとどうして言えるのでしょう。当初、主イエスがおいでになって働きをなさったとき、ヤーウェを信じる人たちは律法を捨て、主イエスが宣べ伝える天国の福音を受け入れました。彼らは主イエスに従ったわけですが、ヤーウェの救いを忘れたのでしょうか。それはヤーウェに対する裏切りだったでしょうか。誤った考えではないのでしょうか。この出来事のあと、楊牧師は再び私に何度かメッセージを送信して、その中で全能神を冒涜し、抵抗し、断罪しました。このような忌々しい言葉を読んだ私はまたもや嫌悪を覚えて激怒しました。このような冒涜を口にできるのはサタンだけであり、教会の指導者である彼らが、神をまったく畏れず、ありとあらゆる冒涜の言葉を吐いたりするとはどういうことでしょう。そのことは主イエスによる次の御言葉を私に思い出させました。

また人の子に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。(マタイによる福音書12章32)

 神への冒涜は恐るべき重罪なのです。私は彼らの行ないを恐ろしく感じる気持ちが消えませんでした。しかし私がなんと言おうと、彼らは耳を塞ぐだけで何一つ聞こうとせず、ひたすら断罪と抵抗と冒涜を続けるだけなのです。私にはそれがまったく理解できませんでした。長老も牧師も聖書の知識があって神学を勉強しているし、全能神の御言葉はこれほど明確に語られているのに、どうして彼らはその御言葉を求めも調べもしないのでしょう。全能神の断罪と抵抗にひたすらこだわるのはどういうわけでしょう。

 私はこの疑問を胸に、全能神教会の兄弟姉妹のもとに出向きました。すると林姉妹がこう教えを説いてくれました。「長老や牧師が終わりに日における全能神の働きを求めも調べもせず、それどころか狂ったように全能神を断罪し、抵抗する理由について、全能神ははるか以前にその問題の本質と根源を明らかになさいました。全能神はこうおっしゃっています。

あなたがたはパリサイ人がイエスに逆らったことの根源を知りたいか。あなたがたはパリサイ人の本質を知りたいか。彼らはメシアに関する空想に満ちていた。さらに、彼らはメシアが来ると信じていただけで、いのちの真理を求めなかった。だから今日になっても未だに彼らはメシアを待ち続けている。いのちの道に関して何の認識もなく、真理の道がどのようなものかも知らないからである。これほど愚かで頑固で無知な人々が、神の祝福を得ることなどあり得ようか。彼らがメシアを見ることなどできるだろうか。彼らは聖霊の働きの方向を知らなかったために、イエスの語った真理の道を知らなかったために、さらにはメシアを理解しなかったためにイエスに敵対した。彼らはメシアに会ったことがなく、メシアとともに過ごしたこともないために、彼らはみなメシアの名前をむなしく守りながら、どのようなことをしてでもメシアの本質に逆らうという過ちを犯した。これらのパリサイ人は本質的に頑固で、傲慢で、真理に従わなかった。彼らの神への信仰の原則は、「どれほど説教が奥深く、どれほど権威が高かろうとも、あなたがメシアと呼ばれない限り、あなたはキリストではない」というものである。これらの見方は不合理でばかばかしくないであろうか(『神の出現と働き』「あなたがイエスの霊体を見る時、神はすでに天地を新しくしている」〔『言葉』第1巻〕)

各教派の指導者を見てみなさい。彼らはみな傲慢で、独善的で、聖書を背景から切り離し、自分自身の想像によって解釈します。彼らはみな才能と知識に頼って働きを行ないます。彼らが何も説教できなければ、人々は従うでしょうか。彼らにもやはりいくらか知識があるにはあるので、何らかの教義を説くことができたり、人を味方に引き入れたり策略を用いたりする方法を知っていします。彼らは人々を自分たちの前に連れてきて騙すためにそれらを利用します。名目上、人々は神を信じますが、実際には指導者に従っているのです。そうした人が真の道を説く人物に出会うと、『私たちの信仰について、指導者に相談しなければならない』と言う人がいます。彼らの信仰は人間を通さなければならないのです。これは問題ではありませんか。それで、これらの指導者はどうなりましたか。パリサイ人、偽の羊飼い、反キリスト、人々が真の道を受け入れるのを妨げる躓きの石となったのではありませんか(『キリストの言葉の記録』の「真理の追求だけが神への真の信仰である」より)

主イエスは最初においでになって働きをなさったとき、ユダヤの指導者たち、すなわち祭司長、律法学者、パリサイ人による狂ったような断罪と抵抗に見舞われました。彼らは最後に主イエスを十字架につけたのです。パリサイ人の祖先は神を信じ、律法に精通していました。では、彼らが主に抵抗して断罪し、主を十字架につけたのはなぜでしょう。神の御言葉から、それは傲慢で、自惚れていて、真理に服従しないという、彼らのサタン的本性によって引き起こされたことがわかります。主イエスはかくも多くの真理を表わされましたが、彼らはそれを探し求めも調べもせず、むしろ自分の見方に固執したのです。神に対する彼らの信仰はひとえに自分の観念と想像に頼っており、聖句を文脈から切り離すことで聖書を解釈しました。それによって彼らは盲目になり、神から啓きを得られなかったのです。彼らは聖霊の働きを知らず、真理を理解せず、神のお声を聞き分けることもできませんでした。それはまさに、次の聖書の聖句を成就したのです。

あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている(マタイによる福音書13章14〜15)

終わりの日における宗教界の牧師や長老たちは、聖書と神学理論に重きを置いている点で当時のパリサイ人と同じです。自分の思考と想像に頼って主の御言葉を解釈し、主がお戻りになる方法を規定しています。頑固なまでに自分の観念と想像にしがみつき、真理を一切探し求めません。終わりの日における神の働きを調べないだけでなく、無闇に神に抵抗して断罪し、それによって自分の頑固さと、傲慢で真理に敵対するサタン的本性とをさらけ出します。神学を研究して聖書の知識を身につけていますが、だからといって少しでも真理を愛しているとか、真理を受け入れてそれに従えるというわけではありません。聖書の知識や神学理論を解説しても、その目的は自分の名声と評判を高めることだけです。自分の地位を守り、信者が尊敬のまなざしで自分たちを見上げ、崇め、自分たちに従うようにするため、そうしているのです。全能神の表わされる御言葉が真理であり、人を征服して救えること、真理を愛して神の出現を切望する多くの人が全能神の御言葉を読んで全能神に立ち返ったことを、彼らは知っています。そして全能神の御言葉は自分たちの地位と生計を脅かすものだと思い込み、狂ったように反撃し、全力を尽くして全能神を断罪し、抵抗しているのです。神の選民をいつまでも支配すべく、信者が全能神に立ち返るのをありとあらゆる手段で妨げ、妨害します。これが、長老や牧師たちが全能神の働きを求めも調べもせず、狂ったように全能神に抵抗し、断罪することの根源なのです。牧師や長老たちが現代におけるパリサイ人であり、信者が真の道を受け入れて天国に引き上げられるのを妨げるつまずきの石であることは、神に抵抗する彼らの悪行に見てとることができます。彼らは神に抵抗して敵対し、終わりの日における神の働きによって暴かれた反キリストなのです」

 全能神の御言葉と姉妹の交わりの言葉を聞いた私は、それを牧師や長老によるそれまでの言動と比べました。すると、全能神の御言葉がとても実践的に語られたこと、また牧師や長老が聖書に精通してそれを解説できるとしても、彼らに神の認識があるわけではないということがわかりました。彼らは働きの中で天分と知識に頼り、それによって自分を高め、他人が崇めて従うようにしています。表面上は神に仕えているように見えますが、実際には自分の観念と想像、地位と生計に仕えているのです。牧師と長老が私に嫌がらせと妨害を繰り返したことを通じ、私は彼らの正体を見抜くことができました。彼らは神を信じながら真理を求めず、神に仕えながら抵抗する反キリストだったのです。牧師も長老も今日に至るまで私への嫌がらせをやめていませんが、真理に敵対して神に抵抗する彼らの反キリスト的な本質を私はすでにはっきり目にしました。これ以上、彼らに嫌がらせされたり操られたりすることを許すつもりはありません。また終わりの日における全能神の働きが真実であることを完全に確信しています。最後まで全能神に従い、決してあきらめません。アーメン。

中国 チェン・ボー

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