この道を歩む決意
福音を説いたために逮捕されたの。共産党は「邪教を組織・利用して法の執行を妨げた」という罪で禁固3年を言い渡した。出所後はまた集会に出て本分を尽くせると思ってたけど、警察に監視されて自由を制限されるなんて想像もしなかった。両親と一緒に住民登録しに行くと、警官から乱暴な口調でこう言われたの。「ここを離れるときはまず俺に知らせろ。町を離れたり外国に行ったりするのは五年間禁止。信仰も禁止だ。集会に出たらまた刑務所行きだし、今度は出られないぞ!」って。両親はその脅しに怯えて、わたしを見張るよう姉に頼んだ。兄弟姉妹と連絡をとったり、御言葉を読んだりしないように。姉の紹介で店員になったんだけど、帰りが遅いと電話をかけて「今どこ? 何してるの?」って訊くのあるときタブレットで御言葉を読んでいると、それに気づいた姉は、神の言葉を読んでるのと問い詰め、タブレットを奪おうとした。わたしがとっさに「小説を読んでるの」と言うと、やっと放してくれた。その後は姉が寝たあと、毛布を被って御言葉を読まざるを得なくなったわ。集会に出るのも、仕事のあとにこっそりと。
ある日、御言葉のコピーが姉に見つかって、「まだ信仰してるんじゃないの?」と問い詰められた。さすがに腹が立って答えたわ。「神を信じて崇めるのは自然で正しいこと。お願いだからじゃましないで」。すると姉は上の姉さんに電話したの。すぐに来て、わたしを見るなりビンタしてこう怒鳴ったわ。「神を信じるなんて! 信仰のせいで捕まったじゃない。母さんは毎日泣きはらしてたのよ。また刑務所行きになったら、母さんはどうなる? 信仰なんかやめて、母さんを安心させなさいよ」。それを聞いて耐えられなくなり、涙がぼろぼろこぼれた。母はいつも優しくしてくれたのに、わたしは大人になっても母を心配させてる。また捕まったら母は耐えられるかしら? 弱気になったから、心をお守りくださいと急いで神に祈った。その後、こんな御言葉を読んだの。「神はこの世界を創造し、神が命を授けた生きものである人間を世にもたらした。次に、人間は両親と親族を持つようになり、もはや孤独ではなくなった。人間は、最初にこの物質的世界に目を向けて以来、神の予定の中で存在するように定められてきた。神から出る命の息は、成人へと成長する間ずっとあらゆる生きものを維持する」(『神の出現と働き』「神は人間のいのちの源である」〔『言葉』第1巻〕)。そう、わたしの息は神からのもの。成長するわたしを神は見守り、加護してくださってた。人の優しさ、特に両親の愛と気遣いは神からの贈りもの。神に感謝し、その愛に報いなきゃ。神を拒んだり裏切ったりするなんて、良心がまったくない。そこで信仰のために収監されたこと、母につらい思いをさせたことをまた考えた。これはみんな、共産党のせいじゃない? わたしを捕まえ迫害してなければ、両親は何の心配もなかった。共産党はわたしに神を裏切らせようとしてるの。でもそんなの許さない。そう考えて決意が戻った。家族にどれだけ邪魔されても、神を信じなきゃ。その後も働きながら、集会への参加と福音の伝道を続けたわ。
2017年2月の朝、政治司法委員会から電話があったの。相手はこう言った。「こちらは局長のチェンだ。二日以内に出頭して、神を信じていないという宣誓書に署名するんだ。逮捕歴がある現地の信者はみな署名した。お前が最後だぞ」。これを聞いて腹が立った。わたしは集会に出て御言葉を読んでるだけ。でもそのために投獄され、拷問を受けた上に洗脳されるところだった。釈放後もしっかり見張られ、信仰も許されない。そのうえ宣誓書への署名。本当に卑劣で邪悪だわ。でも思ったの。署名しないと言えばどうなるだろう? 職場に来て逮捕するのかしら? また刑務所行き? あんな非人間的な場所に戻るなんて嫌。だから、「いま本当に忙しくて。数日後に出頭します」と言った。ところが翌朝、チェン局長が変なメッセージを送ってきたの。「健康保険証ができたから今日取りに来るように」って。それを見て、「そんなの申請してない。サタンの計略かしら」と思った。すると御言葉が浮かんだの。「あなたがたは常に目を覚まして待ち、もっとわたしの前で祈らねばならない。サタンのさまざまな企てやずる賢い策略を見極め、霊を認識し、人々を知らなければならず、あらゆる人や出来事や物事を見分けることができなくてはならない」(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十七章」〔『言葉』第1巻〕)。サタンは多数の計略を用いると、御言葉は警告してる。逮捕歴のある信者はわたし以外全員署名したと言うことで、チェン局長はわたしを騙そうとしてる。それが失敗すると、今度は保険証を餌にわたしを誘った。本当に狡猾だわ。わたしは行かないことにした。
次の朝、わたしの職場に父が駆け込んできて、あわてた様子でこう言ったの。「昨日の朝、チェン局長から電話があった。お前と話したいと。お前がいまだ信仰してるかどうか、市が調査してるそうだ。署名して信仰を捨てたと宣誓すれば、普通の生活を送れるし、見張られることもない。だが署名しなければ逮捕され、刑務所で改造されるぞ! いいか、信仰を捨てて署名するんだ」。それを聞いて腹が立ち、父にこう答えた。「いい、父さん。神を信じるのは正しい道。災害がひどくなってる今、全能神は終わりの日にすべての真理を表わし、人を清め、堕落と災害から救われる。でも共産党は狂ったように信者を逮捕し、迫害してる。最後は地獄に落ちるよう、神を裏切らせようとしてるの。署名するのは神への裏切り。最後に滅ぼされるわ! そんなの署名するわけにはいかない」。すると震える声で父が言った。「署名しなければ、警察はお前を刑務所に叩き込む。また苦しみたいのか? 自分のことはよくても、妹はどうなる? 共産党は信者の家族全員を監視している。お前の姉さんもいい学校に行き、いい教職を得られるはずだった。だがお前の信仰のせいで、政治審査に落ちた。いとこが手を回し、大金を払ったおかげで普通の学校に就職できたんだ。そのいとこも公務員試験に合格したが、お前の祖母が信者なので政治審査に落ちた。妹は今年大学を卒業し、就職活動に入る。お前が署名しなければ政治審査を通らないし、いい仕事は絶対に無理だ。妹の将来まで駄目にするのか? つらいだろうが署名するんだ。密かに信仰すればいいだろう? どうしてそんなに頑固なんだ?」父の顔はやつれ、目には涙が浮かんでた。心労で口にかさぶたができてたわ。心から葛藤して悲しくなった。宣誓書に署名すれば神を裏切り、獣の烙印を押されてしまう。サタンに囚われ救いの機会を失うはず。でも署名しなければ逮捕され、また刑務所で拷問される。肉体の苦痛はともかく、殺されたらどうしよう? それに妹も政治審査に落ちたら、将来に影響が及ぶ。家族みんなに死ぬまで憎まれるわ。そう考えると胸をえぐられるようで、どうすればいいかわからなかった。そこで父に、「考えさせて」と言った。一人になったら泣いちゃって、神に祈ったの。「神よ、警察に捕まり、刑務所に放り込まれて拷問されるのが怖いです。それに家族が巻き込まれるのも不安です。本当に弱っています。神よ、どうか信仰と力を授け、証しにしっかり立てるようお導きください」。
祈ったあと、御言葉が頭に浮かんだの。「まだ救われていない人々の生活はしばしばサタンに干渉され、支配さえされています。言い換えれば、救われていない人々はサタンの虜であり、自由がなく、サタンに放棄されておらず、神を礼拝する権利も資格もなく、サタンにしっかり追跡され、激しく攻撃されます。そのような人には語るべき幸せがなく、普通の存在でいる権利もなく、さらには尊厳もありません。あなたが立ち上がり、神への信仰、従順、そして畏れを武器に命がけでサタンと戦い、サタンを完全に打ち負かし、そうしてサタンがあなたを見るたびに尻尾を巻いて怯えるようになり、あなたへの攻撃と非難を完全に放棄するなら、そのとき初めてあなたは救われ、自由になるのです。サタンとの関係を完全に断ち切ろうと決意していても、サタンを打ち負かす武器を身につけていないのであれば、あなたはまだ危険な状態にあります。時間が経ち、サタンにひどく苦しめられ、一握りの力も自分の中に残っていないのに、それでもまだ証しをすることができず、サタンの断罪と攻撃から完全に解放されていないのであれば、救われる望みはほぼありません。最後に神の働きの完了が告げられるとき、あなたはいまだサタンの手中にあり、自分を解放することができず、ゆえに救われる機会も望みもありません。これが意味するのは、そのような人々は完全にサタンの虜となってしまうということです」(『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 II.」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉を噛みしめるうちに気づいた。共産党の迫害と家族の干渉はサタンの試み。ヨブもサタンの試みを受け、財産どころか、子どもまで残らず奪われた。全身も腫れ物に覆われ、妻から攻撃されて神を捨てろと言われた。でもヨブは証しに立ち、神への信仰と畏れにすがって、神の文句を言うことも、神を拒むこともせず、神を讃えた。「ヤーウェが与え、ヤーウェが取られたのだ。ヤーウェのみ名はほむべきかな」(ヨブ記 1:21)。ヨブはサタンの試みに勝利し、鳴り響くような神の証しをした。サタンを辱め、負かす中で、自由な人になったの。わたしの出所後、共産党は家族を使って信仰を捨てさせようとした。その圧迫はどれもサタンの試みと攻撃なのよ。サタンは家族への愛と妹の将来への不安を利用し、神を裏切らせようとした。神を裏切って世俗の利益と家族を守れば、サタンの虜にならない? サタンの罠にはまるわけにはいかない。ヨブの足跡に従い、神への証しに立ってサタンを辱めなければならないの。
その後、御言葉の朗読動画を観たの。全能神は言われます。「サタンがいかに『強力』か、その大胆さと野望がどれほどのものか、危害を加える能力がどれほどのものか、人間を堕落させ、誘惑する技能の幅広さがどれほどのものか、人間を脅かす策略や計略がどれほど狡猾か、そしてサタンの存在する形態がどれほど変化可能かを問わず、サタンは一つの生物も創れたことも、万物の存在に関する法則や規律を定められたこともなく、いのちあるものかどうかにかかわらず、何かの物体を支配して操れたこともありません。宇宙と大空の中に、サタンから生まれた人間や物、サタンのおかげで存在する人間や物、サタンに支配されたり操られたりしている人間や物はまったく存在しません。それとは逆に、サタンは神の支配下で暮らすしかなく、その上神の指示と命令にすべて従う必要があります。神の許しがなければ、サタンはひとしずくの水やひと握りの砂に触れることさえ困難です。また、地面の蟻を自由に動かすことさえできず、ましてや神の創った人類を動かすことなど不可能です。神から見ると、サタンは山に咲くユリの花よりも劣り、空を舞う鳥や海の魚にも劣り、地のウジ虫にも劣ります。万物の中におけるサタンの役割は、万物に仕え、人類のために働き、神の働きと経営計画に役立つことです。サタンの本性がどれほど悪意に満ちていようと、その本質がいかに邪悪であろうと、サタンにできるのは、神に仕え、神を際立たせるという、その役割に従順に従うことだけです。これがサタンの本質と立場です。サタンの本質はいのち、力、権威から切り離されており、サタンは神の手中にある玩具、神に役立つ道具に過ぎません」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 I.」〔『言葉』第2巻〕)。この動画を観て、神の権威と主権について多少の洞察が得られたわ。サタンは残忍だけど、神の手中にある駒、奉仕する道具に過ぎない。共産党に捕まって拷問されたことを振り返ると、肉体が弱ったときに御言葉で信仰が蘇り、あらゆる困難を導いてくれた。出所後も共産党の監視が続き、家族も噂を鵜呑みにしてわたしを監視した。でも御言葉の導きを通じていくらか真理を理解し、試みに次ぐ試みに打ち勝ち、神に従う決意が強まったの。その経験から、サタンは神が選民を完全にする道具に過ぎないとわかった。恐れることなんかない。神はすべてを支配なさり、人の運命を握ってる。わたしの生死も神の手中にあり、他の誰も決定できない。妹の就職や前途も、みんな神がお決めになるの。共産党は自分の運命さえ決められないのに、どうしてわたしの生死や妹の前途を決められるの? いつか再び逮捕され、獄中で拷問されることがあっても、それは神の御旨。神にすがって証しに立つわ。家族や自分の命を大事にして、神を信じないと宣誓すれば、恥の印になってしまう。たとえ生きても歩く死体。そう思って決意した。サタンの誘惑と試みに抗い、証しに立ってサタンを辱めようって。
その夜帰宅すると、姉はこう怒鳴りつけた。「政治司法委員会が3日くれたけど、明日が3日目よ。署名する気はあるの? 両親ももう歳なのに、あんたのことをいつも心配してる。あんたが刑務所にいた3年間、寝食もままならなかったのよ! 今は自由の身だけどまだ信者。だから二人とも気が気じゃないわ。そんな風に傷つけて平気なの? 良心はどこにあるの? 署名したからって死ぬわけじゃないでしょ」。サタンが家族を通じてまた攻撃してるんだってわかった。するとこの御言葉が浮かんだの。「あなたは自らの内にわたしの勇気を持たねばならず、未信者である親戚に直面するときは、原則を持たなければならない。しかしわたしのために、どんな暗闇の勢力にも屈してはならない。わたしの知恵に頼って完全な道を歩みなさい。サタンの陰謀に支配されてはならない。わたしの前に心を据えることに全力を尽くしなさい、そうすればわたしはあなたを慰め、平安と幸福を与える。他人の前でどうにかなろうと努めてはならない。わたしを満足させることのほうが、価値と重みがあるのではないか。わたしを満足させるほうが、恒久的な生涯続く平安と幸福に一層満たされるのではないか」(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十章」〔『言葉』第1巻〕)。神を信じるのは正しい道。どんな攻撃や試みがあっても、神に忠実でいなきゃならない。共産党は家族に圧力をかけてわたしの信仰を邪魔させた。真理を憎んで神に逆らう悪魔的本質の持ち主だってはっきりわかるわ。共産党を心から憎んで拒んだ。神はこうした状況を使って、わたしの信仰と忠誠を試されてたの。他人の支えや理解がなくても、証しに立ってサタンを辱めなきゃ。そう思って、姉にこう言ったわ。「両親が寝食もままならず、いつも心配してるのは誰のせい? みんな共産党のせいじゃない? 神を信じて人生の正しい道を歩むのは正しく自然なこと。でも共産党はわたしを逮捕しただけじゃなく、家族を巻き込み袋小路に追い込んだ。共産党が悪いのよ!」そのとき、一番上の姉から電話がかかってきたの。「明日署名するつもり? 選択肢は2つ。明日署名して自由で快適な生活を送るか、署名せずに刑務所行きになるか!」でもわたしはひるまなかった。「また刑務所行きになっても、宣誓書になんか署名しないわ!」姉は腹を立てて電話を切り、もう一人の姉もわたしを無視した。
その後、町を出て本分を尽くすことになった。サタンの束縛から脱し、心身を神に捧げたの。あれから3年以上過ぎた。この経験全体を振り返ると、心の穏やかさを感じるわ。自分は最善の選択をしたし、後悔なんて決してしない。
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