嫉妬からの解放

2023年9月26日

2021年の初め、私は伝道師として、パートナーのマシュー兄弟と教会の働きを統括してた。本分を始めたばかりでわからないことも多かったから、よくマシューに質問をしたよ。その間、マシューが本分で見せた堕落した性質の話をよく聞かされて、やがてマシューを見下すようになった。自分はマシューほど堕落していないから、彼とパートナーを組むメリットがない、自分の方が上だと思った。こうも思ったよ。「なぜマシューが先に伝道師になったんだ?もともとは僕が指導者だった。伝道師になる方法を教えるべきなのは僕だ、彼じゃない。でも皆、先に伝道師になったマシューの方を尊敬してる」と。不服だったし、自分の方が優れていると思った。マシューの上にいくために、よく自分と彼の仕事ぶりを比較したものだ。例えば、時間がなくて仕事が全部終わらないとマシューが言えば、うれしくなった。自分はすでにやるべきことをすべて終わらせたから、上層部は自分の方を高く評価するだろうと思った。ところが、マシューは担当する仕事で大きな成果を上げた。ある日、潤し役の候補を何人か見つけるよう指導者に言われた。マシューはたった2日で3人も見つけた。僕はあせって考えた。「急がないと。少なくともマシューと同じ数見つけなきゃ、マシューの方が賞賛されることになる」と。だから3日で7人の候補者を見つけた。マシューの数を上回って、満足だった。でも指導者に候補者の状況について聞かれて、全員潤し役に向いてないと言われてしまった。候補者を決める時、僕は彼らの実際の状況を考えなかった。でもマシューの候補者は全員が合格だった。素質と人間性に優れ、真理を愛し、神のために献身できる人たちだった。3日間の努力が無駄になり、とても落ち込んで、マシューに嫉妬し始めた。どうしてマシューはいつも本分で高い成果を上げられるんだ?なぜ自分にはできないんだ?マシューはグループ内で熱心に御言葉を広め、僕の仕事のフォローまでしていたから、僕はすっかりマシューの陰に隠れた。ほとほと嫌気がさして、彼を嫌いになるほどだった。なぜマシューと一緒に本分を尽くさなきゃならないんだ?マシューが目立つのが嫌だったし、本分で成果を上げて欲しくなかった。そのまま名声をめぐって争い、状態を改めなかった。

当時、教会指導者のアナイス姉妹の働きを監督してた。彼女は本分で成果を出せず悪い状態に陥ってたので、指導者から助けるように言われたんだ。でも本人に連絡すると、すでにマシューに連絡を取って交わりを求めたと、マシューが御言葉を教え、問題解決を手助けしたと言うんだ。それを聞いて自分は役立たずだと感じた。マシューが僕の仕事に干渉したことがすごく不満だった。彼女は僕が担当する教会指導者だったから、僕が本分を尽くさず問題を解決してないと皆に思われたくなかった。考えるほどに腹が立ち、もうマシューと組みたくない、一人で仕事がしたい、そしたら皆、僕を認めるだろうと思った。それ以来、本分を尽くしながらマシューを避けるようにした。ある時、集会で交わる問題を話し合おうとマシューに言われ、電話やメールが来たけど、わざと無視した。話し合いなんてしたくなかった。働きについて質問されても、すぐに返信しなかったし、集会での交わりを頼まれても、わざと話をせず、自分で交わるように言った。こう思ったよ。「マシューがいるかぎり、みんな僕のことを気にかけない。交わりをして何になる?」と。ある集会で、交わりを終えたマシューに意見を求められた。「交わりで話しすぎだ、僕が言いたいことを全部言われた」と思い、腹が立ったので、こう言ったんだ。「傲慢な性質について交わりをしているのに、自分の堕落した本性は明らかにせず、自分の認識をあいまいに話しただけ。大枠だけで、細かい点に触れてないよ」と。自分の指摘が正しくないと分かっていながら、あえて言った。やる気を削いでやれば、次の集会では少し口数が減るだろうと思った。メールで近況を聞かれたり、他の質問をされたりしても、返信しなかった。そうすればパートナーを嫌がっていることが伝わると思った。メッセージも送って欲しくなかった。ただ、僕に才能を発揮する場を譲ってくれればいいと思った。マシューのように本分にすべての時間を注げれば、兄弟姉妹が求めるときに、いつもすぐに力になってあげられて、みんなに高く評価されると思った。本当は世俗的な仕事を辞めて本分に専念したかったけど、生計を立て、家族を養うために仕事はやめられない。マシューのようにすべての時間を本分に費やせなくて、とても落ち込んだよ。こうも考えた。「伝道師をやめてしまえば、マシューと組まなくて済む。違う本分につけば、マシューの影響を受けず、目立てる」と。でも本分をやめようと思うと、罪悪感を覚えて、どうすればいいかわからなくなった。神に祈り、今の状態を理解できるよう助けを求めた。

そしてこの一節を思い出した。「本分は神から来るのであり、神が人に手渡す責任であり委託です。では、人は本分をどのように理解すべきですか。『これはわたしの本分、神からわたしへの委託だから、わたしの義務であり責任だ。名誉をかけて受け入れるのが当たり前だ。断わったり、拒んだり、選り好みをしたりすることはできない。わたしに降りかかったことは、間違いなくわたしがすべきことだ。選択する資格などわたしにはない、ということではなく、選択をするべきではないということだ。これが被造物の持つべき理知だ』(『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」〔『言葉』第3巻〕)。この御言葉で気づいた。本分は神から与えられたもの。本分をしっかりと守り、責任を果たさなければ。逃げたり、選り好みしてはならない。その理知をもたなければ。マシューを超えるという歪んだ野心が満たされないから、本分をやめようと考えるのは、神の心を傷つける行為だ!本分は、自分が果たすべき責任ではなく、自分を目立たせるための手段であり、人に尊敬され、賞賛される手段だと考えていた。仕事を辞めて本分に専念しようとしたのも、本分を尽くして神を満足させるためではなく、パートナーから地位を奪い、上に立つためだった。現実的な問題で本分に専念できないとわかると、目立つ機会を得られるよう、他の本分に移りたいと考えた。現実を見ると、僕の行動はすべて本分を尽くすためじゃなく、本分を利用して地位を得るためだった。神に憎まれる振る舞いだ。

その後、いくつかの御言葉を読んだ。全能神は言われます。「人類のなんと残酷なことか。共謀と陰謀、お互いからのひったくり合い、名声や富の奪い合い、殺し合い……一体いつ終わるのか。神が語った無数の言葉にもかかわらず、誰一人として目覚めてはいない。人々は自分の家族、息子や娘、職業、将来の見通し、地位、虚栄心、金のために、また食べるもの、着るもの、肉体のために行動する。しかし一体、真に神のために行動している者はいるのか。神のために行動している者でさえ、神を知っている者は非常に少ない。自身の利害のために行動しない人はどれほどいるのか。自身の地位を守るために他人を抑圧したり排斥したりしない人はどれほどいるのか。だから神は幾度となく無理やり死刑に処され、無数の野蛮な裁判官が神を断罪し、再び十字架に張り付けたのである。真に神のために行動ゆえに義人と呼ばれうる者はどれほどいるのか(『神の出現と働き』「悪人は必ず罰を受ける」〔『言葉』第1巻〕)。「中には、他人のほうが自分よりも優秀かつ立派で、自分が無視される横で他人が評価されることをいつも恐れている人がいます。そのような人はそれで他人を攻撃して排除します。それは自分よりも有能な人への嫉妬ではありませんか。そのような振る舞いは利己的で下劣ではありませんか。それはどのような性質ですか。悪意に満ちた性質です。自分の利益しか考えず、自分の欲望しか満足させず、他の人や神の家の利益に配慮を示さないような人は悪しき性質をしており、神はそのような人を愛しません。神の旨を真に考慮できれば、人を公平に扱うことができるようになります。あなたが優れた人を推薦し、その人に訓練を受けさせ、本分を尽くさせ、それによって神の家に一人の人材が加わるなら、あなたが働きやすくなるのではないですか。その本分において、自身の忠誠心に従って生きたことになりませんか。これは神の前での善行であり、指導者が有するべき最低限の良心と理知です(『終わりの日のキリスト講話集』「自由と解放は、堕落した性質を捨てなければ得られない」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉を通して、自分の状態が分かった。神は言われます。「中には、他人のほうが自分よりも優秀かつ立派で、自分が無視される横で他人が評価されることをいつも恐れている人がいます。そのような人はそれで他人を攻撃して排除します。それは自分よりも有能な人への嫉妬ではありませんか。そのような振る舞いは利己的で下劣ではありませんか。それはどのような性質ですか。悪意に満ちた性質です」。この御言葉は真理で、僕の実情を暴いている。パートナーが本分で自分より高い成果を上げ、兄弟姉妹の問題解決にも優れていたことで、「彼は自分より上だ、彼がいたら僕は目立たない」と思い、嫉妬し、排斥し、パートナーをやめたくなった。わざとメールを無視し、電話にも出なかった。彼が自分の経験や理解を交わったときも、教会生活を守るために協力するどころか、欠点を指摘しようとし、さらにわざと傲慢だと言って攻撃した。彼のやる気を削げば、僕より目立つ行動をとらなくなる、そんな邪悪な意図があった。マシューと本分に取り組むたび、とても辛かった。常に彼と張り合い、まったく冷静さを保てなかった。この御言葉のとおりだった。「人類のなんと残酷なことか。共謀と陰謀、お互いからのひったくり合い、名声や富の奪い合い、殺し合い……一体いつ終わるのか」。名声と地位への欲が満たされないことで、パートナーを恨み始め、彼から離れ、関わりをもたず、自分一人で仕事をしたくて、本分をやめることすら考えた。自分がどれほど邪悪で人間性に欠けているかがわかった。獲物を狩る野獣と同じだ。自分の利益のために争い、命を奪う。自分のことばかりで、教会の働きを考慮せず、教会の働きが遅れても、不安や焦りを感じない、自分勝手で卑しい人間だった!なぜ自分はマシューと単純で和やかな関係を築けなかったのか?。そう考えてわかった。神を信じるなかで、サタン的性質のせいで間違った道に入ってしまったんだと。真理を求めて堕落した性質を解決しなければ、聖霊の働きを失い、闇に落ちることになる。何度も神に祈った。自分を認識し堕落した性質を解決できるよう助けて下さいと。

そしてこの御言葉を読んだ。「属している集団にかかわらず、反キリストのモットーは何ですか。『競争しなければ!競争、競争だ!最高で最強になるために競争しなければ!』これが反キリストの性質であり、どこに行っても競争し、自分の目的を果たそうとします。彼らはサタンの手先で、教会の働きを乱します。反キリストの性質はこうです。彼らはまず教会を見回し、長年神を信じて元手があるのは誰か、賜物や特別な技能があるのは誰か、兄弟姉妹がいのちに入る上で役に立ってきたのは誰か、高く評価されているのは誰か、年功があるのは誰か、兄弟姉妹の間で評判が良いのは誰か、肯定的なことを他の人より多く有しているのは誰かを確かめます。このような人たちが反キリストの競争相手になります。要するに、反キリストは集団の中にいると必ずあることをするのです。それは地位、良い評判、物事の最終決定権、集団内で物事を決める究極的な権力を手に入れるために争うことで、ひとたびそれを手にすると彼らは愉快になります。……反キリストの性質はかくも傲慢で、醜悪で、理知がないのです。彼らには良心も理知もなく、ひとかけらの真理さえありません。反キリストの行為や所行から、彼らが行なうことには正常な人の理知が一切ないことがわかり、真理について交わっても、彼らが受け入れることはありません。あなたの言うことがどれほど正しくても、反キリストには通じません。反キリストが好んで追い求めるのは評判と地位だけであり、それらを崇めています。地位の恩恵を享受できる限り、彼らは満足です。これが自分の存在価値だと信じているのです。どの集団に属していようと、自分がもたらす『光』と『暖かさ』、自分の特別な才能と独自性を人に示さないわけにはいきません。また、反キリストは自分は特別だと信じているので、他人よりもいい扱いをされるべきだ、人の支援と賞賛を受けるべきだ、人は自分を仰ぎ見て崇めるべきだと当然のように考えます。そのようなことをすべてを受け取って当然だと考えているのです。このような人は厚かましい恥知らずではないですか。このような人が教会にいるのは問題ではありませんか(『反キリストを暴く』第9条(3)〔『言葉』第4巻〕)。この御言葉で、自分の行動の深刻さがわかった。僕は、本分で名声、地位、周囲の羨望を求めることで、反キリストの性質を表していたんだ。マシューは、真理の交わりに啓きがあり、本分で成果を出し、兄弟姉妹みんなに賞賛され、頼りにされていた。それに嫉妬したんだ。マシューの上を行き、皆に僕のことを考えてほしくて、仕事を辞めて本分に専念しようとさえ考えた。そうすれば、必要なときにすぐに対応して皆の問題を解決できるので、周囲からの評価が上がり、マシューだけが特別視されるということがなくなると思った。マシューと本分に取り組むたび、マシューの陰に隠れ、能力を発揮できないと感じた。マシューが皆の羨望と称賛を浴びているのが気に入らず、グループチャットで皆がマシューを無視すればいいとさえ思った。マシューのせいで、兄弟姉妹は僕の存在に気づかない。だから僕は常にマシューと争い、マシューを超え、兄弟姉妹の羨望と称賛を浴びたいと願った。これが、名声と地位を勝ち取るために、僕が見せた振る舞いだった。野心や欲望が満たされないと、自分が目立つチャンスがないから伝道師をやめたいと思うようになった。違う本分なら、もっと目立てると考えた。名声と地位への執着は度を越していて、まさに名声と地位を愛する反キリストだった。この欲望は僕の中に深く根付く本性で、自分はとても危険な道を歩いていると気づいたんだ。神の性質は背きを許さず、神は義だ。このまま変化を求めず、教会の働きを全く考えずに名声と地位のために争い続ければ、神に拒絶され、淘汰される。自分の行動を嫌悪し、もう地位をめぐってパートナーと争いたくないと思い、神に祈った。サタン的本性の足かせと束縛から逃れさせてくださいと。

そしてこの御言葉を読んだ。「あなたの追求の方向性や目標が何であれ、地位と名誉を追求することについて深く考えず、そのことを脇にのけるのが非常に難しいなら、あなたのいのちへの入りは影響を受けます。地位があなたの心の中で一定の場所を占めている限り、それはあなたの人生の方向と、あなたが目指す目標を完全に支配し、影響を与えます。そうなると、真理の現実に入るのが非常に難しくなり、性質の変化を遂げることについては言うまでもありません。また、最終的に神の承認を得られるかどうかも、当然ながら言うまでもありません。さらに、地位の追求を脇にのけることができなければ、それは適切に本分を尽くす能力に影響を及ぼし、そうなれば、あなたが受け入れられる神の被造物になるのは非常に困難になります。わたしがこう言うのはなぜですか。人が地位を追い求めるのを神は何より嫌います。地位の追求はサタンの性質、間違った道、サタン的な堕落の産物であり、神に断罪されること、神がまさに裁き清めることだからです。人が地位を追い求めることを神は何より軽蔑しますが、あなたはそれでも地位を巡って強情に競い、ひたすら地位を大事にして守り、常に我が物にしようとしています。本質的に、これはすべて神への敵対ではないですか。地位は神が人のために定めたものではありません。神は人に真理と道といのちを授け、最終的に、受け入れられる神の被造物、取るに足らないちっぽけな神の被造物となるようにするのであって、地位と名声を有し、幾千の人に崇拝される人にするのではありません。それゆえ、どの角度から見たところで、地位の追求は行き詰まります。地位を追求することの言い訳がどれほど理性的でも、それはやはり間違った道であり、神に称えられません。どれほど懸命に試みようと、どれほど大きな代償を払おうと、地位を望むのであれば、神は与えません。神が与えないものは、それを得ようと争っても失敗し、それでも争い続けるなら、結末は一つしかありません。すなわち、あなたは暴かれ、追放されます。これは行き詰まりです(『反キリストを暴く』第9条(3)〔『言葉』第4巻〕)。御言葉を通してわかった。地位を追い求めることは、本分に悪影響を及ぼすだけでなく、被造物としての資格も奪うことになっていたと。常に地位を求めて、マシューの上を行き、皆の賞賛を浴びようとし、争い、競っていたことで、どんどん邪悪になり、正常な人間性を失っていった。名声と地位を求めることは、正しい道ではなく、神に抵抗する、破滅の道だとわかった。信者として、そして被造物として、真理を求めることに集中し、名声や地位という無益なことをめぐる争いを止めて初めて、悪を犯したり神に抵抗したりせずにすむ。だから神に祈った。「神よ!自分のサタン的本性に気づきました。評判と地位への執着のせいで、マシューに嫉妬し、パートナーを辞めたくなりました。神よ!悔い改め、名声と地位を求めずに、真理だけを求めて、本分を尽くします。僕を導き、助けてください」

デボーションで、この御言葉を見つけた。「あなたがたの行動における原則は何ですか。あなたは自分の立場に応じて行動し、正しい立場を探し、尽くすべき本分を尽くさなければなりません。これだけが理知のある人です。たとえば、特定の職業的技術に熟練し、その原則をきちんと把握している人がいますが、その責任を引き受け、その分野について最終確認をしなければなりません。アイデアや洞察を提供し、他の人たちを鼓舞して、その人たちがよりよく本分を尽くすのを助けられる人もいますが、そのような人はアイデアを提供すべきです。正しい立場を見つけて兄弟姉妹と仲良く働けるなら、あなたは自分の本分を尽くし、自分の立場に応じて行動していることになります(『終わりの日のキリスト講話集』「人の行動を導くべき原則」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉は実践の道を与えてくれる。「僕は普通の人間だ。真の被造物となることを目指し、いるべき場所に立ち、皆と協力し、全力を注いで本分を尽くさなければ。それだけが正しい道だ」。アダムに動物の名づけを命じた神は、アダムが考えた名を認めた。アダムを拒絶し、他の名前を提案して、自分の偉大さを見せつけるのではなく、アダムの選択を受け入れた。神の謙虚さと奥ゆかしさは、本当に愛すべきものだ。神は至高であり、すべての創造主だが、謙虚で奥ゆかしい、一方の僕は、普通の被造物でありながら、常に能力を誇示し、人の賞賛を浴びたがり、自分の地位と評判のためだけに、本分で成果を上げている兄弟姉妹の上を行こうとした。本当に傲慢で理知のない人間だった!自分の行いを深く後悔し、神の前で悔い改め、祈りを捧げ、パートナーの前で自分をさらけ出す勇気を下さいと願った。

その後、勇気をふり絞ってマシューに謝罪し、名声と地位をめぐって密かに彼を敵視していた、僕の反キリストの性質を打ち明けた。そのように実践して、心が穏やかになった。その後、マシューが僕の状態に関連する御言葉を教えてくれて、本当に助けられたよ。心から神に感謝した!神の求めに従って行動すると神に誓ったんだ。その後、マシューのメールにきちんと返信し、自分が担当するプロジェクトの進捗を細かく伝えたので、マシューは状況を把握し、僕をサポートできた。働きについて話し合い、集会や交わりでも協力して、互いの欠点を補い合い、一緒に教会の働きを守ったんだ。神に感謝!

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