神様のもとへ戻る証し――偽キリストから真のキリストを見分ける方法を見つける

2023年6月22日

編集者注記:私たちはいま終わりの日にいますが、主の再臨に関する聖書の預言は基本的にすべて実現されました。主はお戻りになって私たちを迎えられようとしているのです。しかし主イエスの再臨のとき、偽キリストも現われて人々を騙します。では、偽キリストから真のキリストを見分け、主の再臨をお迎えするにはどうすべきでしょうか。これは心から主を信じるすべての人が理解したい問題だと思います。かつて甘心姉妹はまさにこの問題のせいで混乱しましたが、いまは偽キリストから真のキリストを見分ける原則を知り、主の再来をお迎えすることが出来たみたいです。彼女はどうやってこれらのことを理解するようになったのでしょうか。一緒に彼女の経験を読みましょう。

1996年、藍姉妹が主イエスへの信仰を私に宣べ伝え、私は喜んで受け入れました。その後、どんな不幸な出来事が降りかかろうと、私はいつも主に祈り、多くの問題は私の知らぬ間に解決されました。主がそばにいらっしゃれば何事もうまくいくと思い、心の中で平和と喜びを感じていました。しかし数年後、私の教会の説教師が新しいことを語らなくなり、教会の集会に参加する人もますます減り、説教のあいだに居眠りする兄弟姉妹さえいることに気づきました。私の霊はすっかり喜びを失い、このような教会の集会にうんざりしました。これ以上出席したくないと思いましたが、良心の呵責を感じ、集会に行き続けるよう自分に言い聞かせることしかできませんでした。

主はもうお戻りになったと宣べ伝える言葉はどれも嘘なのか

牧師の説教

ある日の集会で、説教師の徐兄弟がこう言いました。「兄弟姉妹のみなさん、主イエスは私たちにこう警告なさいました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう』(マタイによる福音書24:23-24)現在、主イエスの再臨の預言は基本的に実現され、主はあと少しでお戻りになって私たちを迎えられます。しかし主がお戻りになるとき、偽キリストも現われて人々を騙します。私たちは用心し、主はもうお戻りになったと語る説教を受け入れてはいけません。特に東方閃電は、主はもうお戻りになって新しい働きをなさっていると宣べ伝えています。心から主を信じる各教会の多くの兄弟姉妹がすでにこれを受け入れ、長年にわたって主を信じながら東方閃電に奪われてしまった説教師さえ数多くいます。あなたがたのいのちはいまだ未熟なので、東方閃電に奪われるのを避けるため、絶対に見知らぬ人と接触してはいけません。」

主はすでに戻られたと東方閃電が証しをし、長年にわたって主を信じてきた多くの説教師がそれを受け入れたと聞いたとき、私は驚いてこう考えました。「これは、主が本当に戻られたということなのかしら。この説教師の人たちは長年にわたって主を信じ、聖書を理解している。自分の考えや頭脳をもっているから、東方閃電を受け入れるのは簡単なことじゃなかったはず。東方閃電には私が探求すべき真理があるみたいだわ。でも徐兄弟はその道を探求するのを許さないだろうけど、彼の言うとおりにしたら、主をお迎えすることができるかしら。主イエスはこうおっしゃっていた。『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう(マタイによる福音書7:7)主が本当に戻られているのに探し求めも調べもしないなら、主が私に見切りをつけられた場合、いったいどうすればいいのかしら。何年も信仰し続けるあいだ、私はずっと主がおいでになるを切望してこなかったの」しかし説教師が言っていたことを思い出し、再び不安になって考えました。「終わりの日には多くの偽キリストが現われる。そのひとりに騙されてしまったら、私はどうすればいいのかしら」私の心は乱れ、どうするのが一番いいのかわからなかったので、心の中で主への祈りを唱えました。「ああ、主よ。あなたの御心に沿うには、いったいどうすべきなのでしょうか。あなたはもうお戻りになったと宣べ伝える東方閃電の人に出会ったら、私は耳を傾けるべきでしょうか。ああ、主よ。どうか私を啓き、お導きください……」

ちょうどそのとき、聖書の言葉が心に浮かびました。「……主は、『わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない』と言われた。 だから、わたしたちは、はばからずに言おう、『主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人は、わたしに何ができようか』(ヘブル人への手紙13:5-6)私の心はすぐに落ち着きました。「そうだわ。主が私の後ろ盾としていらっしゃるなら、何か恐れることがあるかしら。もっと主に祈って頼りさえすれば、きっと主は私たちをお導きになり、偽キリストから真のキリストを見分けられるようにしてくださるはず。どうして彼らの宣べ伝えることに耳を傾けてはいけないの」

私たちが探し求めることを主は望んでおられる

ある日、私と七、八人の兄弟姉妹が集会の場所に着いたあと、説教師の徐兄弟は再び東方閃電から身を守る方法について説教を始めました。そして偽キリストは終わりの日に現われて人々を騙すとか、私たちは見知らぬ人と接触してはいけないとか、何度も何度も強調しました。彼が話し終えたあと、銭姉妹がすぐにこう言いました。「徐兄弟、見知らぬ人と接触してはいけないと言う根拠は何ですか。あなたはいつも、主の再臨の預言はいまや基本的にすべて実現したとか、主はあと少しでいらっしゃるなどと説教しています。しかし東方閃電はいま、主はすでにいらっしゃっていると証ししていますが、あなたは私たちがその道を探求したり、彼らの説教を聞きに行ったりするのを許そうとしません。そうすることで、私たちが主のほうへと向かうのを妨げているのではありませんか。聖書にはこう記されています。『したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである(ローマ人への手紙10:17)東方閃電が主の再臨かどうかは、彼らの説教を聞くことでしか判断できません。聞かず、見ず、接触しないなら、東方閃電が本物か偽物かをどうやって知るというのですか」

すると宗姉妹が言いました。「その通りだわ。主イエスはこうおっしゃいました。『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう(マタイによる福音書7:7)自分が完全には理解していない物事に遭遇したとき、私たちはもっと祈るべきだというのが主の御心です。私たちが心を開いて探し求める限り、主は私たちの祈りをお聞きになり、私たちを導いてくださいます。私たちはいま主の再臨の福音を耳にしましたが、それを探し求めも調べてもおらず、祈ったり主の御心を求めたりもしていません。私たちはまったく主の教えに反していますし、それでは主をお迎えするなど無理でしょう」

姉妹二人からの質問にあった説教師は恐る恐る口を開きましたが、私たちが東方閃電の道を探し求めることを許さない本当の理由を語ることはできませんでした。私は姉妹二人の話を聞いて、彼女たちが言ったことは正しく、率先して東方閃電を探求し調べるべきだと思いました。それと同時に、少し驚きもしました。「宗姉妹はいつもとても内気で恥ずかしがり屋で、自分からあえて話そうとしない。今日は勇気を出して説教師に反論したのはどういうことかしら。それに、彼女の話は理知的で具体的だったし、聖書の教えとまったく一致していて反論不可能だった。本当に不思議だわ」その夜ベッドで横になりながら、銭姉妹と宗姉妹が説教師に反論したことを思い出し、不思議に思わざるを得ませんでした。「あの二人の姉妹はどうしてあんなに変われたの。東方閃電を受け入れたということなのかしら。主の到来のような大事な問題を軽々しく扱うことはできないから、明日出かけて二人と話をしよう」

次の日、私は宗姉妹を見つけて直接こう尋ねました。「宗姉妹、あなたは東方閃電を受け入れたんですか」彼女はうなずいて言いました。「ええ、東方閃電を受け入れました。私たちの主イエスは受肉した全能神としてすでに戻られています。全能神はすべての真理を表わして人類が真の救いを得られるようにしてくださり、神の家に始まる裁きの働きをなさいます。私たちの堕落した性質を裁いて清め、私たちを罪の束縛から完全に救い、私たちが神様の御心を行なう人になれるよう、それをなさるのですよ」彼女がこのように話すのを聞いて、私はますます東方閃電による説教を聞くのが待ちきれなくなりました。すると宗姉妹がこう言いました。「私はそれを信じ始めたばかりなので、理解していない真理がたくさんあります。他の兄弟姉妹に話をしてもらうというのはどうですか」私は喜んでうなずき、この提案に賛成しました。

偽キリストを見分けるには

約束の日の朝早く、私は宗姉妹と一緒にある兄弟の家に行きました。彼はとても親切で、私たちに腰を下ろすよう機嫌良く言いました。そして私は、自分が感じていた混乱を二人に話しました。「兄弟、主イエスはこうおっしゃいました。『そのとき、だれかがあなたがたに「見よ、ここにキリストがいる」、また、「あそこにいる」と言っても、それを信じるな。にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう(マタイによる福音書24:23-24)私たちの説教師はこの聖句を根拠に、主イエスが終わりの日に戻られるとき、偽キリストも現われて人々を騙すと言っています。また、主はすでにいらっしゃったと宣べ伝える言葉はどれも嘘だと言って、私たちがそれを調べるのを許そうとしません。彼の言うとおりにすれば主をお迎えすることができないと思うのですが、偽キリストに騙されるのも不安なんです。それを頭の中ではっきりさせるため、今日ここに伺いました。偽キリストから本物のキリストを見分けるには、いったいどうすればいいのでしょう」

兄弟は微笑みながら言いました。「私たちはみな神様への信仰において道に迷うのを恐れ、偽キリストに騙されるのを恐れています。この種の恐怖や不安を感じるのはまったく正常なことです。しかし、私たちは主の御心を理解しなければなりません。主がそうおっしゃったのは、私たちが偽キリストを見分ける力をもち、彼らに騙されないようにするためです。主の再臨さえ拒否するほど無闇に偽キリストから身を守るようにするため、そうおっしゃったわけではないのです。事実、主の御言葉は終わりの日に偽キリストが現われることだけでなく、偽キリストを見分ける方法をも私たちに教えています。主イエスはこうおっしゃいました。『にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い、できれば、選民をも惑わそうとするであろう(マタイによる福音書24:24)偽キリストの行ないは、大いなるしるしと奇跡を行なうことに頼って人々を惑わそうとすることだと、主はとても明確におっしゃっています。いま私たちは偽キリストの特長を知っています。だから彼らを見分けることに注意を払う限り、騙されることはありません。この聖句を文脈から切り離して主の御心を完全に誤解し、主の再臨を宣べ伝える言葉はどれも偽りで、それを調べたり探求したりしては絶対にいけないと信じるなら、私たちは主の再臨を断罪していることになりませんか。それに、どうして主の再臨をお迎えすることができますか。喉が詰まるのを恐れて食べるのを拒み、わずかなものを得るために本当に大事なものを捨てているのではないのですか」

私は兄弟の話を聞きながら考えました。「つまり、偽キリストの明らかな特徴は人々を騙すためにしるしや奇跡を行なうことだと私たちに教えるために、主はこれらの御言葉をおっしゃったのね。それによって私たちが偽キリストを見分ける力をもつように。主はとてもはっきりおっしゃったのに、私はどうしてそれに気づかなかったのかしら。私たちの説教師はこの聖句を数え切れないほど説教してきたけれど、偽キリストを見分ける方法を一度も説明しなかっただけでなく、主はもうお戻りになったと宣べ伝える言葉はすべて偽りだと決めつけている。彼らはいつも、見知らぬ人に気をつけろとか、主の再臨の道を探し求めたり調べたりしてはいけないなどと言っている。そうすることで、主がお戻りになるとき、私たちは主を拒否することにならないかしら。そんなのあまりに危険だわ」

ちょうどそのとき、兄弟が一冊の本を手にして言いました。「全能神の御言葉をいくつか読みましょう。そうすれば偽キリストが人々を騙す方法についてもっと理解できます。全能神はこうおっしゃっています。「全能神の御言葉をいくつか読みましょう。そうすれば偽キリストが人々を騙す方法についてもっと理解できます。全能神はこうおっしゃっています。「この時代に、しるしや不思議を起こし、悪霊を追い払い、病人を癒やし、多くの奇跡を起こせる人が現れて、またその人が再来したイエスであると主張したなら、それは悪霊が偽ってイエスのまねをしているのである。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。……人間の観念では、神は常にしるしや不思議を見せ、病人を癒やし、悪霊を追い払い、いつでもイエスのようでなければならないのだが、神は今回決してそのようなことはしない。もし終わりの日に神がしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり病人を癒やしたりしていたら──それならば、神はイエスの働きと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は、時代ごとにひとつの段階の働きをするのだ。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを悪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろからついていく。神は方法を変更する。一度神がその段階の働きを完了すると、悪霊がまねをする。それを理解しておきなさい。」(『神の出現と働き』「今日の神の働きを知ること」〔『言葉』第1巻〕)

「全能神はとてもはっきりお語りになっています。神様は常に新しく、決して古くない神様であり、同じ働きを二度なさることは決してありません。例えば律法の時代、神様は人類に律法と戒律を布告なさり、地上の生活において人類を導かれ、神様を崇拝する方法を彼らに教えられました。しかし主イエスはおいでになったとき、律法の時代の働きを繰り返さず、その代わり律法の時代になされた働きを基に贖いの働きをなさいました。主イエスは悔い改めの道を表わされ、病人を癒やして悪魔を追い払われ、最後に十字架にかけられるまで奇跡をなさり、かくして人類を罪から贖われました。同様に、全能神も終わりの日のいまおいでになり、主イエスによる贖いの働きを土台として、神様の家に始まる裁きの働きをなさいます。また御言葉の裁きを通じて、人類を救い、私たちの堕落した性質が徐々に清められて変えられるようにするすべての真理を表わされ、最終的に私たちを美しい終着点へと導かれます。したがって、神様の働きが絶えず前進していること、神様が人類の必要に応じて絶えず真理を表わされ、人類を救う働きをなさることは明らかです。おいでになった全能神が再び恵みの時代の働きをなさり、病人を癒やして悪魔を追い払われるなら、その働きは前進できず、主イエスがなされた働きの段階を無意味にするでしょう。ゆえに、主が終わりの日に戻られるとき、病人を癒やし、悪魔を追い払い、奇跡を行なうという働きを再びなさることは絶対にありません。しるしや不思議を行なって主の再臨を装う者がいれば、それは間違いなく人々を騙そうとする偽キリストです。偽キリストはどれもキリストを騙ろうとする悪霊や悪魔です。彼らには新しい時代を始めて古い時代に幕を下ろす働きがまったくできず、まして人類を救うことなどできません。彼らにできるのは、神様による過去の働きの一部を追って模倣し、何らかの単純なしるしや奇跡を行なって人々を騙すことだけです。一方、死人を生き返らせるとか、五切れのパンと二匹の魚で五千人を満腹させるとか、一言で風と海を静めるなどといった、神様の権威とお力に満ちあふれた主イエスによる働きは、偽キリストの能力を完全に超えています。神様の働きを認識し、偽キリストの本質や、彼らが人々を騙すために用いる手段を見分けられるようになったとき、私たちは彼らに騙されるのを避けることができます」

全能神の御言葉と兄弟の話を聞いた私は、偽キリストの見分け方に関する真理をいくらか理解するようになりました。実際のところ、人類を贖う主イエスの働きはすでに終わっており、終わりの日に戻られる神様は、主イエスがすでになさった働きを繰り返さないのです。さらに、偽キリストは神様の働きを行なうことができず、神様による過去の働きを模倣し、何らかの単純なしるしや奇跡を行なうことに頼って人を騙すことしかできません。まさにそのとき、私は主イエスが語られた「にせキリストたちや、にせ預言者たちが起って、大いなるしるしと奇跡とを行い」という言葉について新たな認識に至りました。

キリストの本質を認識して主の再臨をお迎えする

主の出現を迎える

すると兄弟が話を続けました。「真のキリストと偽キリストを見分けたいと思うなら、一番大事なのはキリストの本質を認識することです。そのために、ここで全能神の御言葉をさらに二節読みましょう。

このようなことを考察するのは難しいことではないが、わたしたちそれぞれにこの真理を知ることが要求される。受肉した神は神の本質を有し、受肉した神は神による表現を有する。神は人間の姿になるので、なすべき働きを打ち出し、神は人間の姿になるので、自分が何であるかを表して、人に真理をもたらし、人にいのちを与え、人に進むべき道を示すことができる。神の本質を含んでいない肉体が受肉した神ではないことは間違いなく、これについて疑う余地はない。受肉した神かどうか調べるためには、その人が表す性質や話す言葉からそれを決めなければならない。つまり、人間の姿になった神かどうか、それが真の道かどうかは、その人の本質から判断しなければならない。そこで、人間の姿になった神かどうかを決定するとき、鍵となるのは、外見よりもむしろその人の本質(働き、言葉、性質、その他いろいろ)に注意を払うことである。」(『神の出現と働き』「序文」(『言葉』第1巻)より)

神は肉となりキリストと呼ばれ、真理を人に与えることのできるキリストは神と呼ばれる。ここには何の誇張もない。なぜなら、彼は神の本質を持っており、神の性質を持っており、その働きには知恵があり、これらはどれも人間の手の届かないものだからだ。自らキリストを称するが、神の働きを行えない者は、詐欺師である。キリストは、単なる地上における神の顕現ではなく、神が人の間で業を行い完成させるため神が宿った特有の肉体でもある。この肉体は、誰でも代われるものではなく、地上における神の業を適切に引き受け、神の性質を表し、神を十分に象徴し、人にいのちを与えるものである。遅かれ早かれ、キリストになりすましている者たちはみな倒れる。彼らはキリストと自称しながら、キリストの本質は全く持っていないからだ。だから、キリストの真偽は人が定めることのできるものではなく、神自身が答え定めるものだとわたしは言うのだ。」(『神の出現と働き』「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」(『言葉』第1巻)より)

兄弟は続いてこう語りました。「キリストは受肉した神様でいらっしゃる、つまり、キリストは人の子として肉体をまとわれ、働きをなさるべくこの世へおいでになる天の御父でいらっしゃることを、全能神の御言葉ははっきりと示しています。キリストは普通の人間性だけでなく完全な神性を有しておられ、キリストだけが人類を救う働きをなさり、神様の性質や神様が所有するものと神様そのものを表わすことがお出来になり、いつでもどこでも真理を表わして人々に糧を与えて導き、実践の道を示すことがおできになります。それはキリストの本質によって決まっていることです。したがって、ある人がキリストかそうでないかを判断したければ、その言葉や働きや性質といった側面を基に判断することが重要です。例えば主イエスは神様が受肉なさった肉体でした。主イエスは多くの真理とともに、慈悲と愛に満ちた性質を表わされ、人類を贖う働きをなさいました。その働きと御言葉は人の魂が必要とするものを供給でき、その時代の人々に新たな時代の方向を示しました。例えば、主イエスは人々に対し、罪を告白して悔い改め、隣人を自分のように愛し、寛大で忍耐強くなり、他人を七十七回まで許さなければならないとお教えになり、心と精神を尽くして主を愛するよう強くお求めになりました。主の御言葉に従って実践することで、私たちは主のお褒めと祝福にあずかることができ、もはや律法によって断罪される対象ではなく、平和と喜びのうちに生きることができます。主イエスの御言葉と働き、そして主イエスが表わされた性質から、主イエスはキリストであり神様ご自身でいらっしゃることがわかります。現在、受肉した全能神は神様の家に始まる裁きの働きをなさり、人類を清めて救うすべての真理を表わされており、神様の三段階の働きの奥義、神様の御名の奥義、神様の受肉の奥義、聖書の内幕、人類の結末と終着点などを露わになさりました。またサタンによる人類の堕落の真相を暴かれ、傲慢、利己心、欺瞞、貪欲、悪意といった私たちのサタン的性質を完全に露わになさりました。それと同時に、清めの道や、正直な人になる方法、神様に従い神様を愛する方法、神様の御心に沿う形で神様に仕える方法、自分の堕落した性質を振り払う方法など、私たちが実践して入るべき真理をもお示しになっています。神様の御言葉による裁きと刑罰を通じて、私たちはいまサタンによる堕落の真相や、神様の義にして威厳のある性質、神様の聖なる本質を認識しています。私たちの中では神様を畏れる心が生じており、真理を実践することにますます集中し、堕落した性質を振り払って変化を成し遂げることを求め、徐々に真の人間らしさを生きるようになっています。全能神の御言葉と働きは私たちに真理といのちをもたらします。全能神が表わされる真理と、いまは主に義である全能神の性質は、全能神の神聖な本質を余すところなく表わしています。全能神の御言葉と働きを通じて、全能神は神様ご自身であり、再臨した主イエスであると、私たちは確信するようになります。一方、偽キリストは悪霊に取り憑かれています。彼らの本質は悪霊のそれであり、神聖な本質を有しておらず、神様の経営計画の奥義をまったく説明できず、まして人間を裁いて清める真理を表わしたり、人類を救う働きを行なったりすることなどできません。彼らにできるのは何らかの単純なしるしや奇跡を行なうことに頼り、聖書の言葉を誤って解釈して何らかの奥深い教義について話すことか、さもなくば肉体に関する人々の観念と一致する聞き心地のよい言葉を口にして、人を騙すことだけです。彼らの言葉に耳を傾ける人は行き詰まり、ますます深く暗闇の中に沈んでゆき、最後はサタンに飲み込まれるだけです」

兄弟は全能神の御言葉と自分の話を組み合わせ、キリストの本質についてとてもはっきり語りました。おかげで私の心は光と喜びで満たされました。私は胸を躍らせてこう言いました。「あなたのおっしゃることはよくわかります。誰かがキリストかそうでないかを判断したかったら、大事なのはその人の働きや言葉や性質から認識することなんですね。主イエスはこうおっしゃいました。『わたしは道であり、真理であり、命である(ヨハネによる福音書14:6)その人がキリストなら、真理を表わし、人にいのちを授け、道を示すことができます。しかし偽キリストの本質は悪霊のそれであり、彼らには真理がまったくなく、人のいのちにこれっぽっちも糧を与えることができず、まして道を示すことなどできません。彼らにできるのは、何らかのしるしや奇跡を行なうことに頼り、人々の観念に合うことを口にしてその人たちを騙すことだけです。神様、感謝いたします。全能神がこれらの真理と奥義を露わにしていらっしゃらなければ、聖書を読んだり説教を聞いたりすることに何年費やしても、決してそれらを理解しなかったでしょう。あなたが今日してくださったお話しはとても啓きに満ちていました。本当に多くの収穫がありました」

すると兄弟が真剣な口調で言いました。「神様、ありがとうございます。主イエスはこうおっしゃいました。『けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう(ヨハネによる福音書16:13)終わりの日、真理の霊は受肉した全能神としておいでになりました。全能神はこれらの真理と奥義をすべて露わになさいますが、私たちは神様の御言葉を読むだけでこれらの真理を理解し、従うべき正しい実践の道をもつことができます。それらがなければ、誰ひとりとしてここまで多くを知ることはできなかったでしょう」

兄弟はその後、人類をお救いになる神様の六千年にわたる経営計画、神様による三段階の働きの目的、征服の働きの内幕、神様が裁きの働きをなさる意味といった真理についても語りました。それに耳を傾ければ傾けるほど聞くのが楽しくなり、主を信じてきた年月のあいだに理解した真理の数よりも、わずか一日で理解するようになった真理の数のほうがはるかに多いように感じられました。東方閃電の道は立派な道だと人々が言うのも無理はありません。東方閃電の人たちは神様の新しい働きを受け入れ、全能神の御言葉からそれを理解してきたのですから。そのため、私は兄弟にこう質問するのを抑えられませんでした。「その本はどれくらいするんですか。一冊買って自宅でじっくり調べたいんです」すると兄弟は笑みを浮かべていいました。「この本は無料ですよ。神様は『かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう(ヨハネの黙示録21:6)とおっしゃいました。神様の愛はすべてを含んでいます。神様は人類を愛し、気遣い、人をサタンの領域から完全に救うため、すべての真理といのちを価なしに供給なさいます。私たちが進んで真理を探し求めようとする限り、神様は価なしにその御言葉を授けられるのです」私はとても感動しました。これほど無私に私たちを愛し、糧を与えられるのは神様以外にいらっしゃいません。すると兄弟が神様の御言葉の本をくれたので、私は喜んで受け取りました。

そのとき以来、私は神様の御言葉を熱心に読み、読めば読むほど大きな喜びを感じました。神様の御言葉が私の心に直接語られているかのように感じられたのです。神様は人の心の奥底を真に吟味なさり、私たちの堕落した性質を残らず暴かれ、清められて完全な救いを得る道をはっきりとお示しになりますが、私の心は大きな幸せを感じました。そして東方閃電を受け入れた各教派のすべてのよき羊のことを考えました。全能神がキリストにして再臨なさった主イエスでいらっしゃることを彼らが確信したのは神様の御言葉を通じてであり、そのとき初めて彼らは全能神による終わりの日の働きを躊躇なく受け入れました。彼らは賢い乙女なのです。一方の私は、宗教指導者が言いふらす馬鹿げた教義や観念に騙され束縛されていたので、主の到来を宣べ伝える言葉はすべて偽りだと信じ、あえて真の道を調べようとしませんでした。結局この誤解が、真理を求めて主の到来をお迎えする機会を妨げるようにしてしまったのです。私はここまで無知でした。それからいくらか調べたあと、私は全能神による終わりの日の働きについて確信し、子羊の足跡と歩調を合わせることができました。全能神に感謝いたします。

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

その日、空は特に澄んで晴れ上がっていた

注:著者は、牧師達により伝えられてきた「信仰義認」や「一度救われた者は永遠に救われる」の観念に騙され、これに固執していました。それにより、神の終わりの日の福音を伝道する兄弟姉妹達との接触を拒んでいました。しかし、その後、著者の姉の家で、ある妹が神の国の福音を伝えるのを目の当たりに…

堕落した性質を解決する方法がわかった

我が家はカトリックで、僕は子どものころから主を信じてた。やがて、日曜日に教会へ行くだけで、残りの日は世俗の生活を送っている信者がいることに気づいた。未信者と同じく煙草を吸って酒を飲み、パーティーを楽しんでる。主の求めに従わず、罪を犯してると思ったが、僕も罪の中で生きていた。嘘をつ…

神の御名の奥義を理解することで、子羊の歩みと歩調を合わせる

私は小さいころ頭がよくて気の利く子どもだったので、両親や親戚や友人からいつも愛ある心遣いを受けていました。学校でも常に成績がよく、親切で落ち着いていたため、先生や同級生にも好かれました。そのころは将来への希望で満ち溢れていました。ところが驚いたことに、高校受験の際、私は0.5点差…

主の再臨をお迎えした

2010年、私はアメリカでとても寒い冬を経験しました。風雪を伴う厳しい寒さに加え、さらに深刻だったのは私の心が一種の「寒波」に襲われたように感じたことです。内装事業に携わる私たちにとって、冬は一番厳しい季節です。冬になると仕事がほとんどなく、職を失いそうになるほどです。今年は私に…