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迫害と苦しみが深めた神への愛

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私は劉珍と申します。現在78歳で、全能神教会の一般のクリスチャンです。広い世界の中で名もなき農村の年配女性である私を選んでくださった全能神に感謝します。終わりの日の全能神の働きを受け入れた後、毎日神に祈り、神の御言葉の朗読に耳を傾けました。また兄弟姉妹との集会や交わりにも出かけ、徐々にいくつかの真理を理解し始めるとともに、多少の事柄に関して明確に理解できるようになってきました。私は喜びに満たされ、今まで経験したことのない幸福の中で暮らしました。私は高齢で歩くことが難しく、教会の集会に出席するため出かけることができなかったのですが、兄弟姉妹たちは私を思いやり、私の家で集会を開いてくれました。彼らは厳しい冬の寒さや夏の暑さの中でも、欠かさず集会を行いました。また風の日も雨の日も、雪の降る日も、私のような年寄りを訪ねて世話をしてくれました。特に、神の御言葉を読んでいて私が理解できないことがあれば、彼らはそれについて常に辛抱強く話をし、決して私を無視したり、見下したりしませんでした。私はそれに深く感動しました。神の愛がなければ、誰が私にそのような忍耐と愛情を示せるでしょうか? 兄弟姉妹とのやり取りを通じて、彼らは普通の人々とは非常に異なっていることがわかりました。彼らが実現しているのは寛容と愛であり、心を開き、お互いの間に壁や距離を作らず、誠実に接しているのです。彼らは家族のように親密であり、それで私は全能神の働きについてさらに確信を深めました。より多くの真理を理解するようになったとき、私は被造物として自分の本分を尽くさなければならないことに気づき、教会に何らかの本分を引き受けたいと申し出ました。私は高齢のために尽くせる本分がほとんどなかったのですが、教会は私に自宅での集会主催者という本分を割り当ててくれました。私は自分の能力に合わせて本分を割り当ててくれたことを神に感謝し、喜んでそれを受け入れました。それから、私は兄弟姉妹たちととても仲良くなり、心身ともに大きな安らぎを感じるようになりました。長年患ってきたいくつかの病気も良くなり始め、私は全能神の恵みと憐れみに一層感謝しました。

しかし、幸せな時は長くは続きませんでした。村の兄弟姉妹と私は悪人によって密告されてしまったのです。警察は兄弟姉妹を全員逮捕し、村の党書記に私を警察署に連れて行くよう命じました。私がそこに着くと、警察官は私に尋ねました。

「どうして神を信じるようになった? なぜお前は神を信じるのだ?」

私は言いました。

「神を信じることは不変の原理です。毎日神の御言葉を読むことで、多くの真理を理解し、神の御言葉に従って善良な人間になり、人生の正しい道を歩むことができるのです。神を信じる人は他人を殴ったり罵ったりしません。私たちは常に法律を順守しています。それでは、神を信じることの何が悪いのでしょうか? なぜあなたは私たちを逮捕したのですか?」

すると警察官は軽蔑するように私を見つめ、「だれがお前に福音を伝えたのか? 家族の誰かも信者なのか?」と厳しく尋ねました。私は、家族で信じているのは自分だけですと答えました。私から何の情報も得られないと見た警察は、その日のうちに私を釈放しました。私は署を出た後、なぜ警察は私をこれほど簡単に釈放したのかと訝しく思いました。家に帰って初めて、私が警察署に連れて行かれたことを知った家族がコネを使い、警察に3,000元支払って私を釈放させたことを知ったのです。しかし、警察は私と家族の間に不和の種をまき散らしていました。私の家族に、私の信仰を止めるようにと言っていたのです。嫁は息子とこのことについて言い争い、私が神を信じ続けるなら農薬を飲んで自殺するとまで言いました。その時私は中国共産党の警察が完全に腐敗していることに気づきました。私はこの上なく平和な家庭を築いていたのに、彼らがそれを引っかき回し、お互い激しくいがみ合うようになってしまった! 私は天地の万物を創造された唯一の真の神を信じました。そして今、全能神は私たちに、真理を理解し人間らしく生き、良心にかなう正しい言動を行い、人間性や道徳に反することはしないようにと求められることで、私たちを救おうとなさっているのです。私は家にいて神の御言葉を読み、集会を開き、自分の本分を尽くしただけなのに、中共の警察は私を陥れ、「社会の治安を乱している」と断罪しました。彼らは事実を露骨に歪曲し、故意に真実をゆがめ、人々を無実の罪で告発するのです! サタンは本当に卑劣です。それは馬鹿げた中傷と悪意のある名誉棄損以外の何ものでもありませんでした。警察は情報提供者から、私が自宅で兄弟姉妹との集会を主催したとの情報を得ており、その後も私を悩ませ続けました。その後すぐ、警察は私を署に連行して取調べを行い、「お前の教会の指導者と、お前が主催する集会の参加者の名前を言え。言わないなら、お前は刑務所行きだ!」と脅しましたが、私はきっぱりと、かつ堂々と「私は何も知らない! あなたに言うことはない!」と答えました。警察官は烈火のごとく激怒しましたが、神のご加護により、私に危害を加えることはありませんでした。

警察は私を釈放した後も監視を続け、私を囮に「大きな魚」を捕まえようと無駄な望みを抱きました。兄弟姉妹を巻き込みたくないという気持ちから、私は彼らと連絡を取らなくなり、教会生活を失ってしまいました。教会生活がないので私の心は空っぽになり、拠りどころもなく、私は徐々に神から遠ざかってしまいました。毎日恐怖と不安の中で暮らし、再び警察がやって来て連れて行かれるのではと強く恐れていました。以前は、毎日神の御言葉と説教と交わりに耳を傾けていましたが、それも不可能でした。私が祈ったり、「神」という言葉を口にしたりするだけで、家族からたっぷり文句を言われるからです。警察に罰金を科せられたことで嫁はいつも私に冷たく当たり、夫と息子にもことあるごとに叱られました。かつては全能神への信仰を支持してくれていた家族が、今では全力を挙げて反対し迫害するのです。私はとても悲しくなり、精神的にひどく抑圧され、これまで感じたことのない暗闇と苦しみの中で生きることを強いられました。耳を傾けるべき神の御言葉を聴くことができず、兄弟姉妹と交わることもできなかったので、私の霊はこの上なく干からびてしまいました。毎晩寝返りを打つばかりで眠れず、兄弟姉妹との集会で過ごした幸せな時間を恋しく思い返していました。そんなとき、私は中国共産党政府を憎みました。この悲惨さのすべてを引き起こし、神を自由に信じ崇拝するという被造物の権利を奪い、教会生活を奪い、神の御言葉について兄弟姉妹と交わる機会や、自分の本分を尽くす機会を奪ったのです。悲惨な日々の中で、私ができるのは静かに神に祈ることだけでした。

「神よ! 私は暗闇の中で生き、霊が乾き切ってしまいました。私は兄弟姉妹と一緒に教会生活を送りたいのです。神よ! どうか私に道を開いてください!」

私は神の御前でこのように呼びかけ続けました。すると神は私の祈りを本当に聞き届け、兄弟姉妹が私を訪れるようにしてくださったのです。姉妹の一人は、私がよく綿花畑に行って綿花を摘むことを知っていたので、密かにそこへ会いに来てくれ、その場で集会を開く時間を決めました。毎回私は早めに行って綿花を摘み、他の人たちが昼食をとっている間、畑で彼女としゃがみながら神の御言葉を読みました。彼女との再会は、長い間行方知れずだった親族に会うようなものでした。私は幸福の涙が流れるのを止めることができませんでした。私は彼女に、私が耐えた不当で悲惨な日々、そして私の家族の誤解について話しました。神の御言葉が私を潤す一方、彼女は私を慰め、神の御心について交わってくれました。すると私の状態は徐々に好転し始めました。このように、私たちは中共政府の迫害のせいで、綿花畑でしゃがみながら集会を行わざるをえなかったのです。ある日、私たちは神の御言葉の一節を読みました。

あなたがたの中には、法の保護を受けているものはひとりもおらず、むしろあなたがたは法によって罰せられている。さらに難しいことには、一人としてあなたがたを理解する者はいない。それが親戚であれ、両親であれ、友人や同僚であれ、誰もあなたがたを理解しないのだ。神があなたがたを『捨てる』なら、あなたがたが地上で生き続ける手段などない。しかしそれでも尚、人々は神から離れることに耐えられない。これこそ神が人々を征服することの意義であり、また神の栄光であるのだ。……祝福を一日や二日で受けることはできない。それは多くの犠牲を通して獲得されねばならない。つまり、精錬された愛や、大きな信仰、そして神があなたがたに到達することを求める多くの真理を持たなくてはならない。それに加えて、義に面と向かい、おびえたり屈服したりすることなく、神に対して変わることなく尽きない愛を抱いていなくてはならない。あなたがたの決意が求められ、あなたがたのいのちの性質を変えることが求められる。あなたがたの堕落を改め、神の采配を不平不満なくすべて受け入れ、死にいたるまで従順でなければならない。これが、あなたがたが達成しなければならない事である。これが神の働きの最終目的であり、この一群の人々に神が求めることである」(『言葉は肉において現れる』の「人が想像するほど神の働きは簡単なものか」より)

神の御言葉のおかげで、現在の苦しみは私が耐えるべきものであることを理解できました。中国は神の信者が迫害され侮辱される、無神論によって支配された国です。しかし、この苦しみは限られた一時的なものであり、将来私が神の約束と祝福をより良く受けられるよう、私の信仰と服従を完全にすべく神が慎重に取り決められたものなのです。神を信じることだけで満ち足りている今、私に他の欲望はありません。また同時に、中共政府によって制定された法律は、人々を欺くための策略にすぎないことが分かりました。外の世界に対しては、宗教の自由を支持すると主張していますが、実際には神を信じる者が神の御言葉を読んだり、集会を開いたりする権利すら認めません。神の信者の存在さえ容認せず、人々が神に従うことも、人生の正しい道を歩くことも許さないのです。全能神の御言葉にもこうあります。

宗教の自由というが、どうだろうか。市民の正当な権利と利益というが、どうだろうか。そうした物事はすべて、罪を隠蔽する手口である」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」より)

神によって創造された天と地は広大ですが、中国では神を信じる人には足掛かりさえありません。 神を信じる者は誰でも、中共政府の逮捕と迫害に苦しみ、自由を制限されています。中国共産党政府は、神を信じるすべての信者を殺し、中国を神のない国に変えることを望んでいます。とても腐敗していて、邪悪で、反動的です。神とまったく相容れない、不倶戴天の敵なのです!

そのため、私は同じ姉妹と密かに綿花畑で会い続けました。しかし時は過ぎ、冬が近づいていました。綿花の葉は枯れ落ち、綿花畑はもはや会っている私たちの姿を隠してくれなくなってしまったのです。それで私は神の言葉を語り合う兄弟姉妹が周りにいない状況に再び置かれました。初めのうちは神の言葉を守り、神との普通の関係を維持することができていました。しかし、神の言葉を与えられ、神の言葉に潤されなくなると、私の霊は次第に生気を失い、干上がっていきました。やがて、私はふたたび暗闇のなかに落ち込みました。自分が天国から地獄に落ちたような気持になりました。死んだほうがましだと思うほどの苦痛を味わいました。家族は警察の嘘を信じていたため、私を毎日監視し、もし私が全能神を信じ続けているのなら鞭で打つといって脅しました。家で祈る勇気は私にはありませんでした。私が祈ることができたのは、夜に布団のなかに身を隠しながらか、私以外に誰も家にいないときだけでした。毎日をこのように過ごしました。家族からの非難に耐えるだけでなく、私は村の人々の噂話やゴシップにも耐えなくてはなりませんでした。こうした状況に直面し、私は自分がこのうえなく惨めだと感じました。霊的に弱って無力感にとらわれ、毎日塞ぎ込んでいたのです。教会生活を失ってからは、神の言葉を読むことができず、兄弟姉妹に会うこともできず、ただ生きているのは苦悩でしかなく、そんな人生には一切の喜びがないと感じました。かつての日々に思いをはせ、あの頃惨めさや無力感にとらわれたときには神の言葉がいつも私を癒してくれ、兄弟姉妹が辛抱強く私を支えてくれたことを思いました。私が神の意志を理解すると、私はすぐに安らぎを覚え、解放された気分になり、ふたたび気力がみなぎったものでした。しかし今では、警察による迫害や監視のために、私は神の言葉を読む権利を失い、兄弟姉妹に会うことさえできなくなりました。毎日が長く、辛い苦闘でした。生きているという感覚なしに、まるで死んでいるかのように過ごしている自分の生活を思い、かつて教会で神の臨在のもとに生きていた頃、いかに自分が活気に満ち足りていたかを思い起こすと、辛く惨めでなりませんでした。そして、自分の家族が中国共産党に騙され、欺かれ、私のことを理解せず、中国共産党の言うなりに私の自由を奪ったのかを考えると、私の胸はさらに痛みました。けれど、私は窮地に陥ったと感じていたとき、私は神に祈りを続け、私に道を開いてくださるように懇願しました。

「ああ、神様。もはや私には神様の御言葉を読むこともできません。教会生活を送ることもできません。この人生は私にはあまりに過酷です。おお、神様。家族は中国共産党政府に欺かれ、あらゆる方法で私が神様を信じなくなるようにしようとしています。どうか、私をお助けください。私が神様の御業について証しを立てられるようにしてください。家族がこれ以上サタンに欺かれ、利用されないようにしてください。神様。私は神様の御手に家族を委ねることを望みます。どうか私に出口を示してください」

神に感謝すべきことに、私の祈りは本当に神に届いたのです。しばらく経ったある晩、私は突然、寝床の前で意識を失いました。夫は驚きのあまり取り乱して何もできずにいたので、息子が急いで病院の救急センターに電話しました。最初に応対した病院は、患者が高齢女性で重篤な状態だと聞いて受け入れを拒否しました。息子は別の病院の救急センターに連絡しました。そこの医師は、私が意識を取り戻す見込みはほとんどないので救急処置を行うことは無意味で、家族は最悪の事態を覚悟したほうがよいと言いました。それでも息子は決してあきらめず、病院側が仕方なく折れて私の搬送を受け入れるまで必死に頼み続けました。しかし、救急処置がとられても私の意識は戻りませんでした。もはや医師にできることは何もなく、家族は私が助かることはないと確信していました。しかし、神に不可能なことなどないのです。なぜなら、このとき奇跡が起こったのですから。18時間にわたる重篤な昏睡状態の後、私は少しずつ意識を取り戻したのです。その場にいた誰もがびっくりしていました。目を開けて医師たちの姿が見えたとき、私は天使の姿を見ているのではないかと思いました。私がここはどこかと尋ねると、医師の一人が病院だと答えました。医師たちは急いで私の生命徴候を確認しながら、「本当に奇跡だ……」と何度もつぶやいていました。しばらくして身体を起こすと、自分がとても空腹であることに気づきました。看護師が食事を出してくれ、私は食事を終えると体中にエネルギーと力がみなぎるのを感じました。これが全能神の奇跡的な偉業の一つだと私にはわかりました。神は私の祈りを聞き、前に進む道を開いてくださったのです。ベッドに座っていると、神を讃える歌を歌わずにはいられませんでした。医師が驚いて、「劉さん、あなたが信じている神様とは誰のことですか」と尋ねました。私は「天と地の万物を創造された唯一の真の神様、全能神を信じているのです」と答えました。医師は衝撃を受けたような目を私に向けました。家族も私が歌っているのを見ながら、驚きながらも喜んでいるようでした。退院して家に戻ると、近所の人が一人、また一人と私に会いに来てはこう言いました。

「本当に驚いたわ。お医者様はみな、もう望みはないと言っていたのに、あなたは本当に目を覚ましたんだから。これは奇跡ね」

私は隣人に、これは神の偉大な力のおかげで、神が私を救ってくださったのだと言い、神の証しを立てました。神がいなければ今頃私は死んでいたこと、私に生きるための第二の機会を与えてくださったのは神であることを伝えました。そして、人類はみな神に創造されたこと、生命は神から私たちに与えられていること、神は私たちの生命を司り、支配していること、そして人間は神の導きから離れられないこと、なぜなら神から離れることは死を意味するからであることを話しました。この経験の後、家族は私の神への信仰に反対しなくなり、神は思いがけない祝福を私に与えてくださいました。夫が神の現段階の働きを受け入れてくれたのです。その後、夫はたびたび私と一緒に集会に出て、交わりをするようになりました。私はこのうえなく幸福で、平穏と安寧に満たされています。それからというのも、私は喜びのうちに毎日を過ごすようになりました。なぜなら、神の全能性と知恵を実際に目にしたからです。私は心の底から神に感謝し、神を讃えます。

こうした経験を通じて、神が人間に何をなさろうとも、それは神の愛によるものだと深く信じるようになりました。神がサタンに私を虐げることを許したとしても、その背後には神の善意があるのです。中国共産党は私を逮捕し迫害することで、私が神を遠ざけ裏切るように仕向けようとしました。しかし、神の知恵が発揮されるのはサタンの策略を基にしていることを中国共産党は理解していませんでした。中国共産党が弾圧しても、私が神を遠ざけ裏切ることにはならなかっただけでなく、神に背き、天に反して行動する中国共産党の悪の本質を私に明確に示す結果となり、全能神の言葉こそ真理であり、道であり、いのちであるという私の確信をさらに強固なものにしたのです。また、神の偉大な力と奇跡的な偉業を私に示し、それにより神への私の愛と忠実さをさらに強めました。次の全能神の言葉にある通りです。

わたしの計画において、サタンは一歩ごとにかかとに噛み付いてきたのであり、わたしの知恵の引き立て役としてわたしの本来の計画を邪魔をする方法と手段をつねに探っている。しかし、わたしがサタンの欺きに満ちた策略に屈するものだろうか。天と地のすべてはわたしに仕えている。サタンの欺きに満ちた策略も同様ではないのか。これはまことにわたしの知恵の交わるところ、これはまことにわたしの業の驚くべきところであり、これはまことにわたしの全経営(救いの)計画が実行される原則である」(『言葉は肉において現れる』第二部「全宇宙への神の言葉」の第八章」より)

中国共産党が神に激しく背き、神に選ばれた人々を迫害すればするほど、私たちはさらに中国共産党を見抜き、見捨てることができ、真理をさらに認識することができ、神の知恵と奇跡的な偉業をさらに知ることができます。神に従うという私たちの信念はますます強くなり、神のための明白な証しを立てることがさらにできるようになります。中国共産党による迫害を経験したことで、神の働きにおいてサタンは単なる引き立て役であり、神のために奉仕する道具に過ぎないことがはっきりと分かりました。さらに、人類を救済したいという神の真摯な願いをさらに明確に理解するようになりました。将来、どのような困難や障害に直面しようとも、私は自分の」能力が許す限り自分の本分を尽くし、神の意志を満たすための自分の役割を果たしたいと願っています。

山東省 劉珍

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