嫉妬せず、楽に呼吸する

2022年7月16日

アンチン 中国

 2017年1月、わたしは教会の中で潤しを行なう本分を与えられました。この本分の訓練を受ける機会が得られたことに、心から神に感謝するとともに、熱心にしっかり尽くそうと決意しました。しばらくすると、兄弟姉妹が自分の状態を正すのを手伝うことであれ、あるいは集会で彼らと交わることであれ、多少の成果を挙げるようになりました。兄弟姉妹や教会指導者はみなわたしのことを高く評価し、わたしは自分にとても満足すると同時に、我ながらよくやっていると思いました。

 6月に入って教会指導者が采配を行ない、ウェンチン姉妹がわたしと一緒にこの本分で働くことになりました。そして、彼女が助けを必要としているときは手伝ってあげてほしいと指導者に言われたので、わたしは喜んでそうしますと答えました。こうして一緒に働くことになったのですが、その中で、ウェンチン姉妹が真理を追求していて、素質や言葉遣いも非常に優れていることがわかりました。わたしはそれを見て、彼女のことを多少警戒し、こう考えるようになりました。「少し訓練すれば、この人はわたしを追い抜くだろう。兄弟姉妹はきっと彼女のことを尊敬するようになるし、指導者も彼女の才能を伸ばすことにもっと時間を費やすはず。そうなれば、誰もわたしのことを尊敬しなくなる」。しかし、恐れていたことが現実になったのです。ある日の集会のあと、わたしは教会指導者のもとに行き、ウェンチン姉妹とわたしがそれぞれ執筆した経験の証しを届けました。それを読んだ指導者は笑みを浮かべ、「ウェンチン姉妹の証しの記事は悪くないわね。ここには実際の経験が多少あるし、とてもよく書けているわ」と言いました。指導者がこのようにウェンチン姉妹を褒めるのを聞いて、わたしは不満を感じてこう考えました。「ウェンチン姉妹は確かに優れた素質を持っている。でもわたしは働きの中で、彼女よりたくさん問題を解決してきた。その点については、今でも自分のほうが優れている。もっと頑張らなきゃ――彼女に追い抜かれるわけにはいかないし、さもないとここでの立場を失ってしまう」。

 数日後、ウェンチン姉妹は体験の証しをもう一つ執筆しました。教会指導者はそれを読んで再びウェンチン姉妹の素質を褒め、その記事を書いた積極性を称えたうえで、わたしにはもっと時間をかけて執筆するよう言いました。わたしはその言葉に腹を立て、心の中で指導者を責めました。「あなたはいつも、ウェンチンの素質がどんなに優れているかばかり言っている。何事も彼女のほうが優れているってこと? ウェンチン姉妹は数えるほどの集会にしか出なくていいし、記事を書く時間がたくさんある。わたしだって教会の仕事で忙しくなければ、記事を書く時間をたくさん持てるのに」。彼女が褒められるのを聞いて気分が悪くなったわたしは、教会指導者に向かってぶっきらぼうに「わたしだって書けます」とだけ言いました。一週間後、別の教会指導者がウェンチンの経験の証しをとても実践的だと褒めたうえで、もっと執筆するよう励ましたのですが、わたしに対しては、彼女のように積極的に執筆しなさいと求めました。わたしは心から立腹しました――彼女はここに来て間もないのに、もう経験の証しを二つも書いていて、教会指導者たちに褒められている。わたしはこの本分をしばらく尽くしているけれど、書いた記事は一つだけ――教会指導者はどう思っているだろう? 時間をうまく使うことができず、証しを書くために苦しんだり代価を支払ったりする気がない、と言うかしら? ウェンチン姉妹の素質が優れているせいで、わたしはすでに恥をかかされたし、こうした記事を書けるのだから、指導者はきっとわたしよりも彼女のことを高く評価している。彼女がこのまま執筆を続けたら、わたしはますます無能に見えるのではないかしら? そこで、自分に必要なのは、彼女を忙しくさせておく方法を見つけることだと判断しました。そうすれば記事を書く時間がなくなるし、指導者が見ても、わたしたちのあいだに違いはさほどないと考えるでしょう。教会での地位を保つために、わたしは彼女にプレッシャーをかけ始め、集まって交わりを行なうグループをいくつか彼女に押しつけました。その後、彼女は毎日多忙になったのですが、わたしはそれを見て、彼女の責任をいくつか引き受けようかと思いました。しかし、こんな考えが浮かんだのです。「あなたがこれほど多忙でなくなれば、記事を執筆する時間ができる。あなたを忙しくしておくのが一番いいわ」。ある夜、記事を書いているウェンチン姉妹の姿を見たわたしは、彼女が担当しているグループの働きについて、厳しい口調で詳細を聞き出し、問題が解決していない新しい信者が数人いることを知りました。そして彼女を叱責したうえで、あなたは本分に力を入れていないと言ったのです。わたしの叱責が終わったあと、彼女はうなだれるばかりで何も言いませんでした。

 一ヵ月後、ウェンチン姉妹の担当するグループがさほど成果を挙げておらず、未解決の問題がいくつか残っていることを知った指導者は、いったいどうなっているのかとわたしに訊きました。そこでわたしはこう考えました。「あなたは彼女を高く評価していたけれど、本分で成果を挙げていないことがわかったのだから、もう彼女を評価することはないでしょう!」。しかし驚いたことに、指導者はなんと、彼女をもっと助けるようわたしに求めたのです。それを聞いて心から反感を覚えました。「あなたの眼中にはウェンチン姉妹しかないのね。彼女の素質はわたしより優れてる。彼女を助け続ければ、わたしの座が乗っ取られてしまうわ」。そこで言い訳を始めたのですが、指導者はわたしの状態を見抜いていました。わたしの利己心と卑劣さを暴いたうえで、あなたは神の家の働きを守っていないと言ったのです。また、ウェンチン姉妹は優れた素質の持ち主で訓練する価値があるのだから、あなたは彼女と交わりをしてもっと助ける必要があるし、自分の地位や評判ばかり気にしてはいけないとも言いました。その後、わたしは渋々ながら、本分を尽くす中で何か問題はないかと、ウェンチン姉妹に尋ねました。すると、彼女がわたしに抑え込まれていて、心を開きたがっていないことが見て取れました。わたしはそれに自己反省すべきだったのですが、彼女のことが嫌いで、「わたしは彼女を助けようとしたのに、彼女は何も言おうとしない」と思いました。少しずつ、霊が暗くなってしまったのです。教会の働きを話し合っているときも、明らかな問題が多数発生しているのに、無関心になってしまいました。彼女を見れば見るほど、その存在が嫌になりました。ある日、ウェンチン姉妹がミスを犯すのを見たわたしは腹を立て、厳しい口調でこう叱責しました。「この問題はもう話し合ったのに、あなたはまだ解決していない。記事を書いているときはいつも注意を払っているのに、本分を尽くすときに同じことをできないなんて。恥を知りなさい!」。その後、ウェンチン姉妹はすっかりわたしに抑え込まれ、それ以上記事を書かなくなってしまいました。自分が彼女を傷つけたことはわかっていましたが、どうしようもありませんでした――そうするつもりがなくても、いつも彼女に腹を立てていたのです。わたしも心の中で苦しみを覚えたので、この状態から抜け出すのをどうか手伝ってくださいと、神に祈りました。

 次の日の集会でウェンチン姉妹が口を開き、自分は欠点が大きすぎてこの本分に向いていない、だから以前の本分に戻りたいと言いました。それを聞いたとたん、わたしはこう思いました。「これは、わたしが彼女を痛めつけたせい? もしそうなら、本当に悪いことをしてしまった」。パニックと不安を感じたわたしはその理由を尋ね、彼女を助けようと神の御旨について交わりました。交わりのあと、彼女の状態はずっとよくなり、またこの本分を続けたいと言ったので、わたしは大いに安心しました。ところがそのとき、教会指導者が通りかかったのです。わたしがウェンチン姉妹を抑え込み、ウェンチン姉妹がわたしと働くのを嫌がったことを知った指導者は、わたしを厳しく取り扱いました。「ウェンチン姉妹が間違ったことをしているのを見て、どうして彼女と穏やかに交わりをして助けてあげられないの? あなたはそうする代わりにかっとなり、ひどい扱いをした。最近、あなたの本分の成果はとても悪いし、真剣に自己反省する必要があるわね」。指導者の言葉が本当にこたえました。わたしは涙ぐみ、自分は不当に扱われていると感じて抗議を始めました。「最近働きがうまく行っていないのは、わたしだけのせいではありません――どうしてわたしだけが取り扱われるんですか?」。しかしそのとき、神の御言葉が脳裏に浮かびました。「神の統治を信じるなら、日々の出来事はよいことであれ悪いことであれ、偶然に生じるのではないと信じなければなりません。誰かがわざとあなたにつらく当たったり、あなたを標的にしたりしているのではなく、これはすべて神の采配によるものなのです。神はなぜこうしたことをすべて指揮しているのですか。それはあなたの正体を暴くためでも、あなたを露わにするためでもありません。あなたを露わにすることが最終目標ではないのです。目標はあなたを完全にして救うことです(『終わりの日のキリスト講話集』の「真理を得るには、周囲の人や出来事や物事から学ばなければならない」)。その通りです――わたしが今遭遇している人、出来事、物事はすべて神のお許しによるものです。教会指導者がわざとわたしを困らせているのではありません。わたしが反省して解決しなければならないのは、自分自身の堕落した性質なのです。言い訳や文句をやめ、従順な心で事態をありのままに受け入れなければなりません。そう考えたところ、それまでの出来事に対する腹立ちが少し軽くなりました。

 その夜、わたしは眠ることができませんでした。ベッドの上で寝返りを打ちつつ、その日に起きたあらゆることが、走馬灯のように頭の中に浮かびます。わたしはひたすら自問しました。「教会指導者がわたしを取り扱って刈り込むよう、神が采配なさったのなら、わたしはそこから何を学ぶべきだろう? 自分はウェンチン姉妹にどう接してきただろうか?」。彼女が優れた素質の持ち主であることを自分はよくわかっていたのに、彼女から学ぼうとはせず、それどころか彼女と競おうとしました。ウェンチン姉妹は神を証しする記事を書きたがっていたのに、わたしは彼女の執筆への熱意を挫こうとしました。とてもよこしまなことをしてしまったのでは? その背後にはどういった考えがあって、どこから生じるのでしょう?

 次の日のデボーションで、神の御言葉の一節を読みました。「中には、他人のほうが自分よりも優秀かつ立派で、自分が無視される横で他人が評価されることをいつも恐れている人がいます。そのような人はそれで他人を攻撃して排除します。それは自分よりも有能な人への嫉妬ではありませんか。そのような振る舞いは利己的で下劣ではありませんか。それはどのような性質ですか。悪意に満ちた性質です。自分の利益しか考えず、自分の欲望しか満足させず、他人の本分や神の家の利益に配慮を示さないような人は悪しき性質をしており、神はそのような人を愛しません。神の旨を真に考慮できれば、人を公平に扱うことができるようになります。あなたが誰か優れた人を応援し、その人の能力を育て、その結果神の家に有能な人材をもう一人もたらすことになれば、あなたが働きやすくなるのではないですか。その本分において、自身の忠誠心に従って生きたことになりませんか。これは神の前での善行であり、指導者が有するべき最低限の良心と理知です(『終わりの日のキリスト講話集』の「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」)。「人類のなんと残酷なことか。共謀と陰謀、お互いからのひったくり合い、名声や富の奪い合い、殺し合い……一体いつ終わるのか。神が語った何十万語もの言葉にもかかわらず、誰一人として目覚めてはいない。人々は自分の家族、息子や娘、職業、将来の見通し、地位、虚飾、金のために、また食べるもの、着るもの、肉体のために行動する。しかし一体、真に神のために行動している者はいるのか。神のために行動している者でさえ、神を知っている者は非常に少ない。自身の利害のために行動しない人はどれほどいるのか。自身の地位を守るために他人を抑圧したり排斥したりしない人はどれほどいるのか(『神の出現と働き』「悪人は必ず罰を受ける」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉はわたしの状態を正確に言い当てていました。実際のところ、わたしは名誉と評判を巡って自分の姉妹と争っていたのです。名声と地位への願望に囚われ、そこから抜け出すことができずにいた。ウェンチン姉妹とこの本分で一緒に働き始め、彼女の優れた素質と、経験の証しを執筆することへの情熱を目の当たりにし、彼女が教会指導者に褒められるのを見てからというもの、わたしは嫉妬し、それを受け入れようとしなかった。彼女と競い合い、心の中で密かに張り合った。執筆の時間を奪おうと彼女に複数のグループを担当させ、彼女が本分で問題を抱えると、わたしは彼女を助けなかっただけでなく、消極的になって抑え込まれるまで叱責した。彼女が優れた素質の持ち主で訓練に値し、自分は彼女をもっと助けるべきだとわかっていながら、彼女の能力を羨み、他の誰かが自分より勝っているのが嫌だった。彼女がわたしよりも優れていることに気づくと、嫉妬と悪意を抱いた。自分の地位と評判を守るため、彼女を助けなかっただけでなく、彼女を抑え込み、記事を執筆する熱意を挫こうとした。わたしはあまりに悪意に満ち、卑劣でした! 神はわたしに恵みを授け、潤しの本分を尽くす中で訓練できるようにしてくださいました。しかしわたしは本分を正しく尽くして神の愛に報いることをせず、それどころかウェンチンの能力に嫉妬し、名声と利益を求めて彼女と争ったのです。良心や理知などこれっぽっちもありません。後悔と自責の念でいっぱいになったわたしは神に祈り、この問題の根源を見つけられるようお導きくださいとお願いしました。

 その後、次の御言葉を読みました。「サタンは名声と利得を用いて人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにします。人間は名声と利得のために奮闘し、名声と利得のために苦労し、名声と利得のために恥辱に耐え、持てるすべての物事を犠牲にし、名声と利得のためにすべての判断と決断を下します。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかけ、人間にはそれを外す力も勇気もありません。したがって、無意識のうちに人間は足かせをかけられ、大変苦労しながら歩んでゆきます。この名声と利得のために、人類は神を避け、神を裏切り、ますます邪悪になります。このようにして世代を追うごとに人間はサタンの名声と利得の只中で破壊されてゆきます(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 I.」〔『言葉』第2巻〕)。神の御言葉をじっくり考えるうち、名声と利益はサタンがわたしたちを縛るために用いる足かせで、またわたしたちを堕落させる道具であることを理解しました。わたしが名声と利益の足かせや束縛から抜け出せなかったのは、わたしの人生の目標、考え方、そして見方がずっと間違っていたからです。神の御言葉を基に、神のご要求に沿って自分を律することをせず、「他者の上に立て」、「人は上を目指し、水は下に流れる」、「生きては傑出した人物となり、死しては優れた鬼とならん」といった、サタンがわたしたちに植え付けたサタンの人生法則に沿って自分を律していたのです。学校で学んでいようと、あるいは社会で働いていようと、わたしは名声と利益を勝ち取って一番になり、大衆のあいだで傑出するという自分の野心を満たそうと、一日中絶えず格闘していた。神を信じるようになってからも、評判と地位の奴隷として生きていた。本分を尽くす中で兄弟姉妹に褒められ、尊敬され、名声や利益や地位への欲望が満たされていると、傑出することへの喜びで一杯になり、こころから幸せに感じた。しかし、ウェンチン姉妹が自分より優れていることを知ると、彼女の能力に嫉妬した。彼女がわたしに勝り、わたしの地位を脅かすのではと不安になり、神の家の利益や彼女の気持ちをこれっぽっちも考えず、あの手この手で彼女を抑え込もうとした。その瞬間、自分は名声と利益の忠実な奴隷になってしまい、そうした物事を追い求める中で良心と理知を失ったのだとはっきりわかりました。悪意に満ちた陰険な人になり、利己心と卑劣さをますます膨らませたわたしが生きていたのは、悪魔サタンの姿以外の何物でもありませんでした。名声、利益、そして地位はまさに、サタンがわたしを堕落させて誘惑し、神に抵抗して裏切るようにさせる道具になったのです。以前に神の家から追放された反キリストのことを考えても、彼らは他の何より地位を大事にしていました。地位のために兄弟姉妹を排斥および圧迫し、人々を気ままに懲罰したり追放したりしていたのですが、最後はありとあらゆる悪事を犯して淘汰されました。わたしもウェンチン姉妹への接し方や振る舞い方の中で自分自身の反キリスト的な性質を表わしており、神の裁きと清めを受け入れて心から悔い改めることがなければ、そうした反キリストと同じように淘汰されるのだとわかりました。自分が危険な状態にあること、また霊が闇に包まれ、本分をきちんと尽くせていないのは、神の厳しい裁きと懲らしめであることがわかったのです。わたしが自己反省して立ち返り、手遅れになる前に今歩んでいる間違った道から離れることが、神の御旨なのです。

 そこでわたしは神に祈り、実践の道へ導いてくださるようお願いしました。そして神の御言葉のこの文章を読んだのです。「次のことを考えてみなさい。こうした状況に陥るのを避け、それらから逃れ、こうした物事の苦痛や束縛から自由になりたいなら、その人はどのような変化を遂げなければならないのか。真に自由になって解放されるのに先立ち、その人は何を得なければならないのか。その一方で、人は物事を見抜けなければなりません。つまり、名声や富や地位は、サタンが人々を堕落させ、罠にはめ、傷つけ、堕落させるために用いる道具に過ぎないのです。理論的に言えば、あなたはまずこのことについてはっきり認識しなければなりません。さらに、これらの物事を捨てて脇にのけることを学ぶ必要があります。……あなたは、そうした物事を捨て去って脇にのけ、他人を推薦し、他人が傑出するのを認められるようにならなければなりません。傑出したり栄誉を得られたりする機会が到来した瞬間、それを利用しようと争ったり、焦ったりしてはいけません。引き下がることを覚えて、本分を尽くすことを遅らせてはなりません。人知れず静かに本分を尽くす人、忠実に本分を尽くしつつ他人に自己顕示しない人になりなさい。自分の体面と地位を捨てれば捨てるほど、また自分の利益を捨てれば捨てるほど、心は一層安らかになり、心の中にますます余裕ができて、自分の状態も改善されます。葛藤して競えば競うほど、自分の状態は暗くなります。それが信じられなければ試してみればいいでしょう。こうした状態を解決したいと望み、そうした物事に支配されたくないのであれば、まずはそれらを捨て去る必要があります(『終わりの日のキリスト講話集』の「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」)。「役割が違うのだ。からだは一つであり、それぞれが自分の本分を尽くし、それぞれの持ち場で最善を尽くし(幾分熱があれば、その分光を発する)、いのちの成長を求める。そうすればわたしは満足するだろう(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第二十一章」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は実践の道を示してくれました。嫉妬に満ちた考えが浮かんだときは、神に祈って自分の誤った意図を捨て、個人的な利益を脇にのけて神の家の働きを最優先にし、神の御旨に配慮する必要があるのです。わたしたち全員にはそれぞれの強みと弱みがあります。しかし、わたしたちが互いの長所から学んで自身の弱点を補い、全員が全力で自分の役目を果たして目的を達成することを、神は望まれています。ウェンチン姉妹は優れた素質の持ち主で、真理を追い求める人です。その彼女がわたしと働くよう神の家が采配したのは、わたしが彼女の能力に嫉妬し、自分を誇示しようと彼女と競い合うようにさせるためではなく、彼女の長所から学んでわたし自身の弱点を補えるようにするためです。これは、わたしに対する神の優しさだったのです。わたしは自分の態度を正さなければなりません。ウェンチン姉妹はわたしよりも優れており、長所があるのだから、わたしはその事実に向き合い、自分の弱点と欠点を認め、姉妹から学ばなければならないのです。自分はこの本分をしばらく尽くしているので、より多くの原則を理解しています。だからこそ、姉妹を助けるためにできる限りのことをして、協調して本分を尽くせるようにしなければなりません。

 その後、わたしはウェンチン姉妹のもとへ行き、自分が表わした堕落を打ち明けました。そのうえで謝罪したところ、彼女はわたしに心を開き、この状況で学んだことを交わってくれました。そしてわたしを慰め、励ましてくれたので、わたしは心から恥ずかしくなり、罪の意識を感じました。その後、彼女が本分で困難を抱えているのを見ると、わたしは時おりこう自問しました。「この問題の解決を手助けすれば、指導者は彼女こそ立派な仕事をしたと思うはず。わたしが彼女を手助けしたなんて、誰も知ってくれない。傑出して目立つチャンスは彼女だけのもの」。この考えのせいで、わたしは手助けするのを少しためらいました――しかし、またしても名声と利益を巡って彼女と競おうとしていることにすぐ気づいたので、自分の動機を正せるよう神の助力を求め、率先して彼女を助けました。やがて、私の状態は改善していきました。かつて心の底で感じていた苦痛や落胆はもはやなくなり、ウェンチン姉妹との関係もずっと調和のとれたものになりました。自分の状態や得たものについて、ウェンチン姉妹が率直に交わってくれるので、わたしの心は甘美さと喜びで一杯です。

 この経験をしたことで、嫉妬と悪意に満ちた人間性という、真の堕落に気づくことができました。それによって自分を軽蔑すると同時に、神の義なる性質をいくらか実践的に理解できるようになりました。そのおかげで自分の堕落の足かせと束縛から逃れる方法がわかり、神の言葉真理に沿って自分を律することで得られる心の平穏と安定を味わったのです。それは真理を追い求め、堕落した性質を捨て去り、本分をしっかり尽くすやる気を与えてくれました。神の救いに感謝します!

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