31. イバラの中で育つ小さな草の葉

イイシン シンガポール

2016年11月、私はフェイスブックを通じて全能神教会のリン兄、チャン姉、シャオシャオ姉と知り合いました。三人は聖書の預言を交えたお話しをしてくださり、終わりの日の神の働きを証しされました。こうした交わりと証しから、全能神の御言葉は主イエスがなされた贖いの働きにもとづいており、全能神はそうした御言葉によって人々を裁き清める働きを行っておられることがわかりました。全能神がそのような働きをなされているのは、私たちが神にこれ以上反抗や抵抗をせず、むしろ神に心から従い崇める者となるように、サタンの支配から人類を完全に救い、私たちから堕落した性質を取り除くためなのです。全能神の御言葉から私は、終わりの日の神の裁きの働きにより小麦と毒麦、羊と山羊、思慮深い処女と愚かな処女の真の姿が暴かれて、最後にはそれぞれが種類別に分類され、良きものが報いを受け、悪しきものが罰を受けることがわかってきました。全能神が、自分がお慕いしてきた主イエスの再来だと理解した私は、最後の日の全能神神の働きを喜んで受け入れました。

ある日、以前通っていた教会のシュー姉からいきなり、最近はなんで忙しかったのですか、と訊かれたので、全能神の最後の日の働きについて調べていたのです、と答えました。シュー姉は全能神教会についてさんざん悪口を言ったうえに、全能神を冒涜しました。そしてあの人たちとは関わらないようにしなさいと、説得してきたのです。私は答えました。「ここしばらく全能神教会の兄弟姉妹と連絡を取り合っているのですが、意見を交換するのが楽しくて。あの方たちは、斬新で明快なやり方で真理について語り合うのです。私はそうした話を聞いて真理をたくさん理解しました。それで私はとても助けられているし、自分のためにもなっているんです。だから絶対おっしゃるような人たちではありません。それに全能神の御言葉はとても実践的で、以前どうしても答えが出なかった問題がいくつも解決に導かれているのです。神の御言葉によって私たちのいのちは支えられています。実践の道も示されているのです」。私が態度を変えようとしないのを見てシュー姉は戦術を変えて、ユイン姉--私たちに主の福音を説いてくれた姉妹--には、全能神の終わりの日の働きを調べていると話したのですか、と訊いてきました。私は答えました。「まだ話さなくていいです。いまだにわからないことだらけですけど、調べ終わって絶対的な確信がもてるようになったら、みなさんに自分の発見したことを伝えるつもりです」。シュー姉は、私がユイン姉に何を話すにしても、その前に自分でよく理解しておくべきだという意見に賛成してくれました。

そのため5日後に、働いているエステ店の店長が私のところに来てこう言ったときはびっくりしました。「イイシン、ユイン姉からあなたのために祈るよう頼まれたわよ。本当を言うと、どう祈ってよいかわからないけど、精いっぱいやってみるね……」。そう聞いたとたんに、シュー姉がユイン姉に、私が全能神の終わりの日の働きを調べていると教えたのを知りました。シュー姉の行動はあまり道徳的ではないように思えて、私は少し気分を悪くしました。彼女に裏切られて売られたように感じ、主を信じる仲間の兄弟姉妹でさえも信用できないと感じるようになったのです。ちょうどそんなことを考えていると、店長がまったく私の意見を聞かずに、お店の同僚十数人の注目を求めて、私がよいクリスチャンではなく正道を踏み外していると告げました。さらに全能神教会に敵対し非難することをいろいろ並べました。それがあれよあれよという間にいっぺんに起こったので、私はどうしてよいかわからずひどく混乱しました。私は心の中で祈りました。「親愛なる主よ、この人たちはあなたの再来の知らせを聞いています。それならなぜあなたの再来について調べることににちっとも関心を示さないのでしょうか? なぜネット上の噂を目にしただけで、あなたに敵対し非難するようなことを言うのでしょうか? 全能神はとても多くの真理を表しておられます。ということは、全能神があなたの再来であられることを証明しているのではありませんか? あの人たちはなぜ全能神への私の信仰に反対するのでしょうか? もしかして間違っているのは私なのでしょうか? おお主よ、私にはどうしてよいのかわかりません。どうか私をお導きになり道をお示しください……」。

その後、リン兄にその日の出来事を話すと、彼は私のために、次のような全能神の御言葉を見つけてくれました。「サタンはいつでも人間がわたしについて心にもつ認識をむさぼっている。そして、つねに牙と爪をむき出して、死闘の最期の苦しみの中にある。あなたがたは、今このときに、サタンの欺きに満ちた策略によって捕らえられたいのか。あなたがたは、わたしの働きの最後の段階が完成する瞬間に、いのちを断たれたいのか。まことに、あなたがたは再びわたしが寛容さを示すことを待っているのではあるまい。わたしを知ろうとすることが肝要だが、実践に注意を注ぐことを怠ってはならない。わたしは、あなたがたがわたしの導きに従い、自分の願望や意図をこれ以上抱かないことを願って、自分の言葉の中であなたがたに直接識見を明かしているのである(『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第六章」〔『言葉』第1巻〕)。それからリン兄はこうも話してくれました。「神の御言葉から、あなたの身に起こったことは霊界での戦いで、あなたはサタンの誘惑に直面していたのがわかりますよね。神は終わりの日に受肉されて、人類を救うために御言葉を発しておられるのです。そうすることで神は、私たちがその御言葉から真理を理解し、神の働きを知り、神の性質を知り、完全にサタンを見捨てて神のみもとに戻り、救いを得て神のものとされることを可能にされています。サタンはいつも神のすぐ後ろに迫り、神の働きを混乱させ妨害しようとして、あらゆる種類の人々を利用して噂をでっちあげ、終わりの日のキリストである全能神を誹謗中傷して、私たちが神の御前に出るのを妨げようとしています。宗教指導者と権力の座にある無神論者はサタンの化身なので、神がその働きを行うために地上で受肉されるたびに、神に抵抗し非難して、人々が神に従うのをやめさせ防ごうとするのです。主イエスがみずから働きを行われたときには、当時の祭司長、律法学者、パリサイ人がサタンの手下となり、可能なあらゆる手段を使って主の働きを非難し敵対しました。デマを広め偽りの証言を伝えて、主イエスを中傷し冒涜したのです。たとえば彼らは主イエスが悪魔のかしらベルゼブブの力を使って悪魔を追い払っていると主張して冒涜し、主イエスはカエサルに税を納めないよう地元の市民をそそのかしたと言って中傷し、買収した兵士に、主イエスは復活しておらず、その亡骸を弟子たちがひそかに持ち去ったという嘘の証言をさせています。神が終わりの日の新たな働きをなさるために受肉されると、中国共産党政府は中国を無神論地帯にしようと試みて、自らの生活と地位を守ることを望む多くの宗教の牧師と長老とともに、全能神と全能神教会にかんする無数の嘘や偽の証言をばら撒きはじめました。人々を欺き脅かして、人々が最後の日の神の働きを調べて受け入れるのを防ぐためです。この真実を理解せず見識もない多くの者は、深く考えもせずにこうした噂をうのみにして誤った考えを広めています。人々を悩ませ、人々が真の道を受け入れるのを妨げることによって、サタンの命令に従っているのです。そうした者がサタンの共犯者となり、神と敵対する邪悪な存在となるのです。そのため私たちは無神論者の中国共産党政府は神の敵であり、神の働きについて調べさせまいとする牧師や長老は、現代のパリサイ人だとしっかり認識する必要があります。インターネット上の噂はすべて、私たちを神のほうに向かせまいとするサタンの計画の一部であると見なくてはならず、真の道について調べたければ、神の御言葉だけに耳を傾けてサタンの噂を絶対に信じてはならない、ということも肝に銘じていなければなりません。そうすれば霊的な戦いの中で神の側に立って神に証しをすることができて、サタンに利用されることはなくなるでしょう」。

リン兄の話のおかげで、私は噂の出所がどこにあるのかを理解しました。そしてそのとき、サタンが私を混乱させて妨害するために噂を広める目的は、終わりの日の神の救いを得らせまいとすることにあると理解したのです。このことについてさらに考えを進めると、私を攻撃してきた人々は全能神の御言葉を一度も読んだことがなく、終わりの日における全能神の働きを調べたこともなく、ただ噂を真に受けて全能神に反抗し非難していただけなのがわかってきました。そうした人々の心はサタンのせいでひどく混乱していて、気づかないうちにサタンの命令に従い、神に反抗しているのです。賢い者なら、まずは全能神の御言葉を真剣に読んで徹底的に調べてから、結論を出すはずです。ただ、神への信仰は決して些事ではないので、私は間違った道を進んでいるかもしれないと思い、ここにいたっても心の中に懸念を抱いていました。職場から帰宅してから、私は涙ながらに主に祈りました。「おお主よ、私はひどく戸惑い混乱しています。けれども他の人が言うことをただ信じて、一言一句たがわず繰り返すようなことはしたくないのです。あなたの御心に従って行動したいのです。どうか私をお導きになり道をお示しください」。その夜眠りに落ちてから数時間経つと、何となく何かが上からのしかかっているような感じがしました。一生懸命目を開けようとしますが開けられません。どう頑張っても無駄だと知った私は、あわてて叫びました。「主イエスよ、お助けください!」2度叫びましたが何も起こりません。何かがのしかかっている感じはまだ続いています。私はどうしてよいかわからず、とても怖くなりました。するとふいに全能神のことが頭に浮かんだので、「全能神よ!全能神よ!」と叫ぶと目が覚めました。目が覚めても、私は小刻みに震えたままで、完全に落ち着きを取り戻すまではしばらくかかりました。私は主イエスの名前を叫んでも効果がなかったのに、「全能神よ!」と叫んだとたんに目が覚めたのはなぜなんだろう、と思いました。そのとき、リン兄が話してくれたことが思い出されました。「神は時代ごとに違う名前を用いられます。神が新しい働きを始められると、聖霊が新しい時代に対する神の名前を認めるのです。だから信者が神の賞賛や配慮、保護を得たいときには、その時代の神の名前を呼んで祈らなければなりません。この時代、主イエスはすでに再来なさり、恵みの時代を終わらせ神の国の時代を開始するべく、『全能神』の名前を用いておられます。終わりの日の間の神の名前は全能神なので、祈るときはこの名前を使わなくてはなりません。そうでないと神はお聞きにならないのです」。そのとき私は、悪夢はたまたまのことではなく、神が私の祈りを聞かれて、全能神が主イエスの再来であることを証明されたのだと気づきました。神様、ありがとうございます! このことに気づいてから、私の心は力を得て高揚し、私はこれから店長と同僚からどんなに非難されても、立ち向かおうと信念を固めました。

翌日、職場で店長が全従業員の前でふたたび、私は正道を踏み外していると言い、全能神を冒涜することもたくさん話しました。そのような言葉を聞いて、心底腹の立った私は店長に尋ねました。「私たちはみな神を信じています。ただやみくもに全能神を非難し冒涜する代わりに、全能神の御言葉と働きがどんなものか調べて、神の御心を求められたらどうですか? そうすれば、ご自分の心の中に神への畏敬の念などないのがわかりますよ!」 そう言い終わると、私は店から飛び出しました。それから少しして店長が私を探しにきて、自分に対してカッとなるべきではなかった、とたしなめました。私は答えました。「別にカッとなりたかったわけではありません。だけど、店長もあんなことをおっしゃるべきではなかったのでは。店長の言われた、神に対する冒涜や対立、非難の言葉は、私たち神の信者は決して口にしてならないことでしょう。なぜなら神に背くことになりますから。店長の観点からすれば、私に考えを改めるよう説得することでよいことをしているように思われるかもしれません。ですが私は大人で、物事をじっくり合理的に考えているんです。全能神が主イエスの再来かどうかという問題については、自分で探求し調べています。行き当たりばったりに、ただ信じることにしたのではありません。どうか私の決心に敬意を払って、終わりの日の神の働きについて探求し調べるのを、やめさせたり制限したりしようとしないでください」。すると店長が、テレビやインターネットで全能神教会についての噂を見ていないの、と訊いてきました。私は答えました。「否定的なことはつねにサタンに由来しています。私が読んでいるのは全能神の御言葉、そして観ているのは全能神教会が製作した映画や聖歌隊のビデオ、音楽ビデオです。店長の観られているようなものは観ていません。全能神教会は、信徒が邪悪な行いをするのを許しませんが、それはあなた方みんなが言っていることと正反対ですよね。全能神が私たちに求められるのは、誠実な人間となると同時に、人間性と良心、理性をもつよい人間になることなのです」。私の言い分を聞くと店長は言葉を失い、他にどうしようもなくてその場を去りました。

それからというものの、店長は私をいびりはじめ、私について嫌みなことまで言うようになりました。そうしたことを言うのも、全能神への信仰を捨てさせるためなのはわかっていました。ある日、私は突然店長からこう言われました。「ユイン姉が出張から帰ったら、あなたと話をしたいそうよ」。それを聞いて、私は少し動揺し緊張しました。私は思いました。「ユイン姉は間違いなく全能神への信仰を妨害してくるだろう。私は彼女の説教を聞いてクリスチャンになったのだし、ユイン姉はこのエステ店のVIPのお客様だ。もし彼女の気分を害したら店長は面白くないだろうし、これから先店長とやって行くうえでもっと厄介なことにもなりそうだ」。ユイン姉が帰ってくる日が近づくと、私はますます緊張して心配になりました。ある日の午後、私はVIPルームで座って神に祈っていました。ちょうど祈り終わったとき、私の電話が鳴りました。店長でした。「ユイン姉がいらっしゃるわよ。フェイシャル・トリートメントをお願いね」。全然気が乗りませんでしたが、とうてい断れるものではありません。トリートメント・ルームに戻ると、神の御前で心を落ち着けるために録音しておいた讃美歌をかけました。聞こえてきた讃美歌の「私は神を愛すると決心する」には、こんな歌詞がありました。「あなたがわたしの霊の眼を開き、あなたの霊がわたしの心を動かしますように。わたしがあなたの前に来ると、消極的なものをすべて捨て去り、どのような人や物事にも束縛されることなく、心をあなたの前に完全に曝け出し、わたしの全存在をあなたの前に捧げられるようにしてください。あなたがわたしをどのように試そうと、わたしは用意ができています。今わたしは自分の将来の展望を一切考えることはなく、死のくびきにも縛られていません。あなたを愛する心で、人生の道を求めることを望みます(『小羊に従って新しい歌を歌おう』より)。神の御言葉は私に信仰を与え、私は少しずつ冷静になり落ち着きはじめました。「その通りだ」と私は思いました。「真の道を選ぶにあたって、私はどんな人間にも、物事にも抑制されてはならないのだ。全能神が主イエスの再来であるとすでに確信しているのだから、一片の疑念も躊躇もなく神に従うべきなのだ。店長が自分をどう見て接するかとか、ユイン姉との関係がどうなるかは、すべて神の御手の中にある。私はひとりで悶々とするのをやめて、神のはからいに従うべきなのだ」。おかげで私は、その後の事態に自信をもって向き合えたのです。

その数分後にユイン姉が現れました。私は心の中で神に祈りました。「おお、全能神よ。ユイン姉はあなたに対し冒涜、敵対、攻撃するようなことを言うのではないかと心配です。私にもいやがらせをしようとするのではないかと心配です。神様、どうか私をお助けになり、お守りください」。はじめのうち、ユイン姉はイスラエルへの出張と、それがどんなにうまく行ったかということばかりを話していました。それでも結局、遠まわしな言い方でこの問題をもち出してきました。「終わりの日の間は、偽キリストや偽預言者が大勢現れて人々を騙そうとするんですよ」。ユイン姉が全能神を冒涜する言葉を聞きたくなかったので、私はそう言って話を遮りました。「ええ、主イエスがそうした注意をされているので、神の子としてのしるしと奇跡を示して、主イエスを真似る偽キリストに用心することができるのです。だけど主の意図は、私たちの洞察力を育てることにあるのです。主の再来の福音を説く者の話を私たちに一切聞かせまいとすることではありません。主イエスはこうおっしゃっています。『わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る(ヨハネの福音書 10:27)。主は私たちを正しい道にお導きになるでしょう。だから私たちは終わりの日の偽キリストによって誤った方向に導かれるのを心配しなくてもよいのです。それでも私たちは、主が終わりの日の間に再来されることを心に留めておかねばなりません。主を探求しつづけるかぎり、私たちは主の現れを見出すでしょう。なぜなら主は、神の羊は神の声を聞くことができるとおっしゃっているからです」。ところがユイン姉は私の話にまったく耳を貸さずに、終わりの日の間に偽キリストが人々を騙している、あなたはもっと気をつけるべきよ、とくどくどと繰り返します。そのうえ彼女は、全能神教会がいかにひどいかを並べ立てました。無視していると、私が返事をしようとしないのを知って、ユイン姉は口をつぐみました。

その後も、私の全能神の信仰に対する店長の不満はおさまらず、いびりや同僚の前での攻撃は続きました。そうした時期には、全能神教会の兄弟姉妹がつねに寄り添って、神の御言葉を分かち合ってくれたので、神の御心を理解することができました。あの方たちはまた、神は聖で、人間を造られたときに、自由意志と選択の自由をお与えになったと教えてくれました。また、神は誰に対しても決して行動を強いられたりはしないが、ただ私たちの糧となる真理を表現なさるだけで、その御心を理解し善悪の区別をつける手助けをしてくださっている、とも語ってくれました。たとえば神はアダムとイブに、エデンの園にあるどの樹の実も食べてよいが、善悪の知識の樹の実だけは食べると確実に死ぬので食べてはならない、とおっしゃいました。神の本質は善であり、神は人類に選択の自由をお与えになっているのです。人々を操り支配するのはサタンだけで、それはサタンは邪悪だからです。そのため終わりの日の全能神の働きを受け入れるかどうかは個人が決めることで、誰にも強制されたりはしません。こうしたことを教えてくれただけでなく、兄弟姉妹は次のような神の御言葉の一節を見つけてくれました。「神が人において行う働きのあらゆる段階において、それはあたかも人の手配により、あるいは人の干渉から生まれたかのように、外面的には人々の間の相互作用のように見える。しかし舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人は神への証しにおいてしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたがたにおいて行う働きの各段階の背後にはサタンと神との賭けがある。その背後にはすべて戦いがある。……神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたはどのように神を満足させるべきか、どのように固く証しに立つべきであろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである(『神の出現と働き』「神を愛することだけが本当に神を信じることである」〔『言葉』第1巻〕)。兄弟姉妹との交わりのおかけで、私はこの一節を少し理解できるようになりました。今では、自分の身に起こることにはすべて、必ず神の許可があるのがわかります。神はそうした状況を利用して、私を試され神に対して真の信仰をもっているかどうかを確かめ、私が洞察力を育むよう仕向けておられるのです。神は私に、神に由来するものとサタンに由来するものをはっきり見極めるよう望まれています。そして私が試練の時に神を頼り、神に目を向けて、ヨブにならって神の証人となり、それによってサタンに屈辱を与えるようになることも。

神の御言葉の導きと兄弟姉妹の助けのおかけで、真の道がさらにはっきり見えてきました。全能神に従うのは間違った道ではないと確信し、むしろ羊の歩みと歩調を合わせるようになったのです。全能神教会の兄弟姉妹は、真理と神の御心について私と話し合ってくれました。彼らは人類を救う神の働きと、神が所有するすべてのものと神そのものについて証言していたのです。これを信じなさいと強制はしませんでした。その代わりに私が自由に決断できるよう、さまざまな発言を見分ける方法を学ぶ手助けをしてくれました。ところがユイン姉と店長は、インターネットの噂をいちいち信じて、神に敵対し冒涜することを言いつづけて、私が終わりの日における神の働きを受け入れるのを強引に邪魔し、阻止しようとしたのです。自分たちの考え方を私が認めないと、私への脅しや嘲り、言葉での攻撃を始めました。それでも私は、二人の言動はすべてサタンに由来していると見通していました。なぜなら人々への脅しや強制、攻撃は、サタンにのみ由来する行為だからです。神様に感謝します!今ではひと目見ただけで、神に由来する者とサタンに由来する者を見分けられるようになり、そうした人間の種類についての洞察力がつきました。今私は、心の中に光が満たされて、心の重苦しさが取れたように感じています。私は、神が終わりの日の間に人間の形に受肉されて、これほどまでに多くの真理を表現してくださったことに心から感謝しました。そのおかげで私はいやな目に遭うたびに神の御言葉に頼ってその御心を理解し実践の道を見出すことができたのです。私は神の御言葉の糧のもとで、少しずつ一歩一歩成長することができて、大変幸運だと思いました!

当初私は何もかも終わったと思っていたので、新たな攻撃のラウンドが始まったときは驚きました。お客様へのエステの施術が終わると、その直後に店長が現れて隣のビルに連れて行かれました。入口に到着すると、中でユイン姉が私を待っていると言われました。建物に入って、ユイン姉とリュウ牧師夫妻の姿を見たとたんに、私は緊張しはじめました。彼らが何をしようとしているのかさっぱりわからなかったのです。私は急いで心の中で神に祈りました。「おお神様、あの人たちはまた私と話しをしに来ています。どうか私をお守りになり、彼らに答える知恵をお授けになってお助けください」。祈り終わると、緊張がほぐれました。そしてこう考えたのです。あの人たちは私に無理やり全能神を見捨てさせるために来ているのではないか? そこでいやだと言ったら、仕事を失うことになるのだろうか? けれどもその後すべては神の御手の中にあり、神のはからいがつねに適切であることを思い出したので、たとえ失職しても全能神から離れまいと決心しました。

牧師は私がそもそも主を信じはじめたのはいつかと尋ねてから、主への信仰にかんすることをいろいろ話ました。そして質問してきたのです。「全能神教会のことは知っていますか? まだその教会の人と連絡を取り合っているのですか?」それから牧師は全能神を冒涜することをさんざん並べたてて、全能神教会に対するいわれのない誹謗中傷をしました。その言葉を聞いているうちに私は腹が立ち、こう言いました。「なぜ牧師さんの話に出てくる全能神教会は、私が接触して実際に多少知っている全能神教会とまるで違うのでしょうか? 私たちはみなそういうデマ情報をインターネットで見ていますよね。私がこれまで見てきたのは全能神の御言葉や、全能神教会が製作した映画とビデオ、それに兄弟姉妹が自分の経験を書いた証しです。否定的なプロパガンダも見かけたことがありますが、そのどれもが空疎で根拠がない噂や嘘でした。そうした噂のひとつたりとも、信用できて裏づけになる証拠をひとつも示せていないのです。何もないところから話がでっちあげられたり、すでにある虚偽情報に尾ひれがつけられて、さらに拡散されたりしているのです。そういったものは全部サタンの嘘なので、私は信じないしまったく興味がありません。みなさんはなぜ、否定的な噂ばかりを信じるのに、全能神教会のウェブサイトにある神の御言葉を見ようともしないのでしょう? みなさんは誰一人として全能神の御言葉を読んでもいないし、終わりの日における神の働きも調べてもいないのに、全能神を好き勝手に非難しているだけなのです。それが正しい行いなのでしょうか?」牧師は私の質問に直接答える代わりに、言いました。「全能神教会は急激に拡大していて、他の教会に行ってその信者をさかんに盗んでいるんですよ。もしどうしても全能神を信じるというなら、私たちはこれ以上あなたにいい顔はできません。われわれの教会の兄弟姉妹の全員に、あなたは今全能神を信じていると伝えましょう。だから次の集会に来たら、自分を盗みに来たのだと思われて拒絶されますよ」それから偽の証しをいくつか挙げて私を怖がらせようとしましたが、それでも私はまったく動じませんでした。それどころか、かえって勇気づけられた気がして私はこう言いました。「牧師さんが話されていることですが、ご自分の目でその出来事を見られたのですか? それとも徹底した調査をして、動かぬ証拠をつかまれているのですか? そんなことを全能神教会の信者がしたというなら、どんな証拠があるのでしょう? 証拠はどこにありますか? 牧師さんはただ中国共産党政府や宗教界が広めた噂と偽の証しをうのみにして、全能神を非難し全能神教会に濡れ衣を着せて罪に陥れているのです。パリサイ人とまったく同じように、主に非難されるのではないかと心配にならないのてすか?」

私は言葉を続けました。「主イエスは、このような再来について『しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない』(ルカによる福音書 17:25)と預言されています。これは何を意味するのでしょう? 現在、宗教界全体と無神論者の中国共産党政府は、終わりの日の全能神の働きに全力で抵抗して非難しようとしています。これは主の預言どおりではないでしょうか? 今日の宗教界の全能神へ抵抗と非難は、古の時代にユダヤ教のパリサイ人が主イエスに示した抵抗と非難とまったく同じではないでしょうか? パリサイ人は主イエスに抵抗し、主が預言された救世主であることを認めませんでしたが、主イエスの弟子たちは預言された救世主であることを理解できたので、主に従ったのです。そして今日、私たちは気がつくとそれと寸分たがわぬ状況にいるのです。牧師の方々や長老は終わりの日の全能神の働きを受け入れず、全能神に抵抗し非難していますが、さまざまな宗派のよい羊は全能神の御言葉にこめられた神の声がわかり、全能神が主イエスの再来であると理解できるのです。それはなぜでしょう? 主イエスは、神の羊は神の声を聞き分けられ、神の再来で羊と山羊が分けられると述べられています。私は主を信じるようになって日が浅く、聖書のすべてをよく理解しているわけではないので、主がどのようにして羊と山羊を分けられるのかはわかりません。リュウ牧師は神学校に行かれて、今では牧師になってずいぶん経ちますよね。できましたらお手数ですが、それを説明していただけないでしょうか?」リュウ牧師は明らかにそれをどう説明してよいかわからないと見えて、憤然として私を睨みつけました。そしてただ「私たち信者は洗礼を受けているので、永遠のいのちを獲得しているのです」とだけ言いました。そこで私は言い返しました。「えっ? 永遠のいのちはそんなに簡単に手に入るんですか? そうなると牧師さんの教会に来て洗礼を受けた人は誰でも、天国に行くことになるのでしょうか? それは主のおっしゃったことと一致しますか? その人たちはみな真の心をもって主に近づいているのですか? 全ての人が天の父の御心に従っているのでしょうか? 教会の説教は必ず献金を捧げることに触れますが、主は献金を捧げることが主を愛することと同じだとはおっしゃっていません。それなら主を愛するということはどういうことなのでしょう?」 リュウ牧師は答えました。「聖書をたくさん読んでたくさん祈れば、主を愛することになります」。主を真に愛することがどういうことなのかはわかりませんでしたが、たくさん聖書を読んで祈れば主を愛することになるというのが馬鹿げているのはわかりました。パリサイ人はたくさん聖書を読んでたくさん祈っていましたが、それで主を愛していたと言えるでしょうか? 主を愛しているなら、なぜ主を冒涜し非難して、十字架に釘付けにしたのでしょう? 牧師は主を愛することの意味をまったく理解していないように思えました。牧師なら聖書の知識や神学理論には明るいかもしれませんが、だからといって真理を理解しているのではないのです! それでも私は、以前十分な洞察力がなくて、牧師をあまりにも尊敬していた自分を責めずにはいられませんでした。

このことに気づいた私は、リュウ牧師と議論を続けても無駄だと考えて口を閉ざしました。とはいえ牧師のほうには言い足りないことがあったのです。「主が神の働きを実行するために、女として受肉して再来されているという話は知っていますか?」私は答えました。「働きを行うために主がどのような形をとって再来され受肉されるかは、神の関知なさることです。私たちは、神によって造られたとてもちっぽけで取るに足らない存在です。そんな私たちが神の働きに規則を設けることなどどうしてできるでしょう? 聖書には『だれが、ヤーウェの計画にあずかったか』(ローマ人への手紙 11:34)と書かれています。全能神の御言葉にはこうあります。「人は神の働きを決め付けるべきではないし、その上、人は神の働きを決め付けることはできない。神の目には人は蟻よりも小さいのに、どうして人が神の働きを推し測ることなどできようか(『神の出現と働き』「序文」〔『言葉』第1巻〕)。神は万物の創造主で、神の知恵はあらゆるものを凌駕するので、神がどのような働きをなさるにしても、私たち人間に事前に相談する必要などないのです!」この人たちは終わりの日における神の働きを探求し調べることにほんのわずかな関心ももっていない、ただあら探しをして、あわよくば神を攻撃し冒涜して私が終わりの日の神の働きを受け入れるのを阻止したいだけなのだ、と理解した私は、会話を打ち切ることにしました。そして最後にこう尋ねたのです。「みなさんは、今日店にいらっしゃることでここでの私の仕事にどう影響するか考えられていましたか?」驚いたことに、牧師は面と向かって嘘をつきました。「店長には話の内容までは知らせていません」。以前なら、人々に説教や教えを与える立場にあり、聖書を熟知している牧師が、このような厚顔無恥な嘘をつけることに、大きなショックを受けたでしょう。しかし、神を冒涜するでっちあげの嘘を聞いたばかりだったので、私は驚きもしませんでした。この人たちにとって、このようなふるまいはごく当たり前なのです。私は主イエスの御言葉を考えずにはいられませんでした。「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ(ヨハネによる福音書 8:44)。私は心の中で神に言いました。「神様、ありがとうございます! あなたが今日私の身にこの出来事が起こるのをお許しになったのは、この人たちが真理を少しも理解しておらず、厚かましくも虚偽を広めて人々を欺いている嘘つきであることを私にわからせるためだったのですね。確かに、この人たちは偽善的なパリサイ人です!」もう何も話すことがなかったので、すぐにでもその場を立ち去りたいと思いました。

私に話し合いを続ける気がないと見て、ユイン姉が言ってきました。「イイシン、子供さんやご両親のことも考えなくては」。私は答えました。「子供も両親もつつがなくやっています。私たちはみな大丈夫です。私が信じているのは、唯一の真の神、万物の創造主です。全能神は主イエスの再来です。神とは人々を愛し救う神で、神の祝福とお導きを得て、私の家族はますます幸せになるはずです」。牧師とユイン姉は私のために祈ろうとしましたが、断りました。リュウ牧師は去り際に警告してきました。「全能神教会と縁を切らないなら、われわれの教会から締め出しますよ!」私は思いました。「それならこの頃の教会はどうなのだ? まるで主イエスが最初に働きを始められたときの神殿のようではないか。盗人の巣窟と変わらない。集まりから霊的な糧は得られないのだから、出席しないからといって何だというのだろう?」私はすでに終わりの日の神の働きを受け入れ、羊の歩みと歩調を合わせて、神の御座の前に来ていたのでした。キリストのもとから流れる生けるいのちの水を与えられつつあり、直接神から潤されお導きを受けることをうれしく思っていたのです。地上で私ほど幸せな女はいません。全能神教会は今や私の真の家なのです。

全能神の御言葉にはこうあります。「今整えられているすべてのことは、あなたがたを訓練していのちを成長させ、霊を鋭敏に鋭くし、霊の目を開いて神から来る物事を認識できるようにすることが目的なのだ(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十三章」〔『言葉』第1巻〕)。私は神に感謝しています。神が私に哀れみをかけられたことに、そして宗教勢力によるいやがらせを利用して、洞察力を育ませてくださったことに。私はこの目で、宗教的な牧師がひどい嘘つきで、終わりの日の神の働きに抵抗と非難を示し、彼らが神に対して一片の畏敬の念ももっていないことを確かめました。彼らの集まりが罪深い方法に固執し、物質世界の傾向や流行に従い、騙し合い、少しも神の信者らしくふるまわないのを見ました。そしてそうした一切から、宗教界はすでに聖霊の働きを失って闇に包まれサタンの支配下にあることを、よりいっそう確信するようになったのです。それと同時に全能神教会の兄弟姉妹は、真理を追求し神の御言葉の導きのもとで神を知ろうとしていて、困難にぶつかったときは神の御言葉を用いて問題を解決しようとしているのだと理解できました。全能神教会の中で支配するのは、真理と神の御言葉、聖霊だけです。全能神の御言葉は成し遂げられなければならず、発せられた御言葉は実行されるのです。神が成し遂げたいと思われることを邪魔できる者はいません。そしてこのことは否定できない事実なのです! 全能神の御言葉は確かに真理であり、全能神は創造主の現れです。私は全能神に一生従いたいと思っています!

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チュー・キンポウ(マレーシア)私は十年以上前から主を信じており、二年間教会の仕事をしましたが、その後海外での仕事のためにその教会を辞めました。シンガポールなどさまざまな場所に行き、まずまずの収入を得ましたが、私が生きていた弱肉強食の現代社会では力が正義で、誰もが互いを陥れようと画…

38. 異なる形の救い

黄林中国私はかつてペンテコステ教会のごく普通の信者で、主への信仰を始めて以来、一度も礼拝を欠席したことはありませんでした。それは特に、私たちが終わりの日にあって、主の再臨に関する聖書の預言が基本的に成就していたことがわかっていたからです。主はもうすぐお戻りになられる、だから主と対…

39. 主の再臨をお迎えした

伝揚 アメリカ2010年、私はアメリカでとても寒い冬を経験しました。風雪を伴う厳しい寒さに加え、さらに深刻だったのは私の心が一種の「寒波」に襲われたように感じたことです。内装事業に携わる私たちにとって、冬は一番厳しい季節です。冬になると仕事がほとんどなく、職を失いそうになるほどで…

2. 清めへの道

クリストファー(フィリピン)私はクリストファーという名前で、フィリピンにある家庭教会の牧師です。私は1987年に洗礼を授かり、主イエスの元に戻りました。そして主の御恵みにより、1996年に地元の教会で牧師となりました。当時、フィリピン国内の多くの場所で働き説教する以外にも、香港や…

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