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その日、空は特に澄んで、晴れ上がっていました(その1)

ティアン・イン

注:著者は、牧師達により伝えられてきた「信仰義認」や「一度救われた者は永遠に救われる」の観念に騙され、これに固執していました。それにより、神の終わりの日の福音を伝道する兄弟姉妹達との接触を拒んでいました。しかし、その後、著者の姉の家で、ある妹が神の国の福音を伝えるのを目の当たりにし、彼女と交流することで、終わりの日の神の裁きの働きを理解するようになり、宗教的概念の愚かさについてはっきりと分かり始めました。著者は牧師によるコントロールを断ち切り、神の終わりの日の働きを受け入れ、神の前に戻りました。

かつて、私は中国の三自教会の信者でした。その教会の集会に参加し始めた頃、牧師達は、よく、「兄弟姉妹の皆さん、聖書には次のような記載があります。『なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。』(ローマ人への手紙10:10)私達はその信仰により罪が許されています。私達はイエスを信じているため、救われているのです。私達が他のものを信じていたら、救われてはいなかったでしょう…」と言っていました。私は牧師達のこれらの言葉をしっかりと胸に刻みこんでいました。そのため、主がやってきて、私を天の国に招き入れてくれるのを待ち望みながら、熱心に信仰し、積極的に集会に参加していました。その後、教会内で不正な行いが立て続けに起こり、そこの集会に出るのが嫌になってしまいました。まず、牧師達が派閥や党派に分かれ、それぞれの牧師がその派閥のトップとして君臨し、独自の“王国”築きました。そして、牧師達が口にする説教は、中国共産党中央統一戦線工作部(UFWD)に従う必要がありました。牧師が話す内容は牧師の裁量で決められており、誰もそれに反論しようとしませんでした。UFWDは、人々の感情を乱す恐れから、『ヨハネの黙示録』について話し合うことを認めていなかったため、牧師がそれについて説教することはありませんでした。牧師は寄付について頻繁に説教し、寄付をすればするほど、神からの祝福を受けるだろうと言っていました。そして、教会におけるこのような状況を目の当たりにし、「なぜ、教会はこんな風に変わってしまったのだろう。牧師達は主を信じていないのだろうか。牧師達はなぜ主を畏れていないのだろうか。牧師達はなぜ主の言葉に従わないのだろうか。」と考え、ひどく困惑してしまいました。この時から、牧師は神を真に信じておらず、神を信じているという名目で兄弟姉妹が頑張って稼いだお金をむしり取っていると感じ、三自教会の集会には参加したくなくなりました。

1995年の後半、私はためらうことなくこの教会を去り、(信仰義認の信奉者の集まりである)家庭集会に参加しました。当初、私は、彼らの説教が中国政府による制約に影響を受けていないと感じました。彼らは『ヨハネの黙示録』をその説教に含めることさえしており、終わりの日や主の再来について話し合っていました。また、三自教会では説教されることがなかった他のトピックについても深く掘り下げており、三自教会の集会よりも、ここでの集会のほうが多くの喜びがあると感じ、そのことは私をとても幸せな気持ちにしました。しかし、しばらくすると、そこでも、協働者の中に、嫉妬深い人や、物事を乱そうとする人、派閥に分かれようとする人がいることが分かりました。主の求めに従い生きている兄弟姉妹は誰1人おらず、彼らには、かつてはあった愛がなくなっていました・・・この教会は三自教会と何ら変わるところがないと分かり、とてもがっかりしました。しかし、それと同時に、聖霊の働きがある教会を見つけるために、どこへ行けば良いかも分かりませんでした。より良い選択肢がないため、これらの信仰義認の信奉者達と一緒にいるより他ありませんでした。かつて、牧師達や説教者達は皆、口を揃えて「一度救われた者は永遠に救われる」「最後まで忍耐を実践し続け、神のために一生懸命に働き、主の道を守る限り、天の国に入ることができるだろう」と言っていたため、集会に参加することは止めずにいました。その頃、「他の人々がどうであろうと、私が主イエスへの信仰を持ち続け、主の道から離れない限り、主が再来した時に、私には天の国に引き上げられるチャンスがあるだろう。」と自分に言い聞かせていました。

あっという間に、1997年の後半になっていました。神の国の福音は、私達がいたところまで届き、教会は混沌とした状態に陥っていました。李指導者は、「最近、“全能神”を広める集団が台頭しており、彼らはあらゆる所へ現れ、さまざまな宗派から子羊達を盗んでいます。彼らは、主イエスは既に再来し、神は新たな段階の働きをしていると伝えています。主イエスは私達のために十字架に磔になり、神は私達の罪を贖うために、そのいのちという対価を支払っています。私達は既に救われています。私達は最後まで忍耐強く待つ必要があるだけです。主が再来した時、私達は、確実に天の国に引き上げられるでしょう。ですから、私達は注意し、絶対に、全能神の人々を受け入れてはなりません。彼らを受け入れる人は誰であれ、教会から追放します!また、彼らが言うことに耳を傾けてもなりません。彼らが書いた本を読んでもなりません・・・」と私達に言いました。ほぼすべての集会で、あらゆるレベルの協働者はこの話題で持ちきりのようでした。彼らが話していることを聞いているうちに、全能神について、意図せずして反目するような考えが浮かぶようになりました。全能神の人々にさらわれ、天の国に入るチャンスを失うことがないよう、彼らから身を守り、大きな注意を払わなければならないような気がしました。

しかし、1998年になったある日、予期せずして、全能の神の教会の人に偶然会い、幸運にも、初めて、全能神の道について話を聞くことができました。その日、私の姉から電話があり、彼女の家に招待されました。彼女は、故郷の妹、フーさんも招待していました。彼女は私を見ると、微笑んで、「よくいらっしゃいました。神を信じている私の遠い親戚も尋ねてきています。一緒に集会を開きましょう。」と言いました。私は喜んで、こう答えました。「はい。是非、彼女も呼んでください。」間もなくして、妹フーさんが親戚の人と共に戻ってきました。この妹は私達を見ると、熱心に私達に挨拶しました。それまで彼女には会ったことがありませんでしたが、何か親しいものを彼女に対して感じました。全員が座ると、その妹が話し始めました。彼女はこう言いました。「最近、教会の中には虚しさが広がっています。説教者は説教するための新しい話題が何もなく、集会の度、全能神に抵抗する方法について話す以外は、テープを聞いたり、歌を歌ったりするだけです。これが集会になってしまいました。協働者は互いに嫉妬し合い、口論するようになり、結託し、共謀しています。誰もが極めて独善的となり、他人の言うことに従うことを誰もが拒否しています。兄弟姉妹はネガティブで弱い状態になっており、信仰も愛もありません。多くの人が主の元を離れ、お金を稼ぐために世俗的な世界に戻っています。」心の奥底で、私も同じように感じていました。私は頷いて、「私が参加しているところも、そんな感じです。かつては、毎月の集会に20~30名の人々が出席していましたが、最近では、数名の長老が出席しているだけです。説教者でさえ、お金を稼ぐために世俗的な世界に行ってしまいました!集会には喜びはありません。」と、彼女に言いました。妹は頷いて、「このような状況は、特定の教会だけのものではありません。これは、宗教界を通して広まっている現象です。これは、聖霊の働きをもはや教会内で見つけることができず、不正な行いが発生し続けていることを示しています。これは主の再来の印です。まるで、寺院が家畜を売り、お金のやり取りをする場所になってしまった律法の時代の終わりのようです。これは、神が寺院で働きを行なうことを止めてしまったためです。その代わりに、寺院の外で新たな段階の働きをするために、神は主イエスとして受肉しました。」と、言いました。私は熱心に耳を傾け、何度も頷きました。妹は、続けて、「お姉さん。ルカによる福音書17:24-26には、次のように書いてあります。『いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう。』(ルカによる福音書17:24-26)聖書のこの言葉を、あなたはどのように解釈しますか。」と言いました。しばらくこれについて考えてから、ぎこちなく微笑み、「妹よ、聖書に書いてあるこれらの言葉は、神の到来について話しているのではないでしょうか。」と言いました。妹は、「聖書のこれらの言葉は主の到来について話しています。しかし、これは、あの時代にやって来た主イエスについて話しているのではありません。むしろ、終わりの日の主の到来について言及しています。聖書には、『しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない。』と書いてあり、その“そして”という言葉は、主の再来を裏付けるものです。お姉さん。現在、教会の信者の信仰は冷めてきて、彼らはネガティブで弱い状態になっています。そのため、神は新たな段階の働きを行なうために、再び受肉したのです。神の働きは前進しており、神の新たな働きに従わない人は誰であろうと、聖霊の働きを失うことになります…」と答えました。主イエスが既に再来したと妹が言うのを聞き、直ちに、妹は全能神の人だという勘が働き、その瞬間に、心が沈みました。この教会を排除している指導者達の言葉、「イエスを信じることは救われることだ。一度救われた者は永遠に救われる!…全能神の人を受け入れてはならない!…」が私の頭をぐるぐると回り始め、私の笑顔も消えてなくなりました。指導者達の言葉について考える内、急いで家に帰りたくなりました。しかし、この考えが頭をよぎった時、主は次の歌の一節を思い出させることで私に啓示を与えてくれました。「主は私達の避難所です。問題がある時は、神の元に隠れなさい。主と一緒であれば、何を畏れる必要があるでしょう。」その通りです!主が私の側にいるなら、私は何を畏れる必要があるでしょう。私が畏れていることは神から来たものではありません。サタンから来たものです。この時、妹が、「質問があれば、皆に相談してください。神の言葉が私達の持つあらゆる問題や困難を解決します。」と言いました。妹がこう言うのを聞き、「私の質問に途方に暮れませんように!今日、私は、多くの“善良な子羊”を盗むことに成功している全能神で、実際何を教えているかについて是非聞きたい。」と思いました。

そう考えて、次のように尋ねました。「私達の指導者は、『主イエスは私達のために十字架に磔になり、神は私達の罪を贖うために、そのいのちという対価を支払い、それゆえに私達は救われた』と常々言っています。聖書にも次のように記載されています。『なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。』(ローマ人への手紙10:10)私達は一度救われたので、永遠に救われるのです。私達が最後まで忍耐を実践し続け、神の再来を待つ限り、私達は必ず、天の国に引き上げられるでしょう。これは、主が私達にした約束です。ですから、私達は神が行なっている新しい働きを受け入れる必要はありません。」

私がこう言うのを聞いて、妹は微笑んで、「多くの信者が主イエスは彼らのために十字架に磔になり、いのちという対価を払ったので、彼らの罪は贖われ、彼らは救われたと考えています。彼らは、一度救われた者は永遠に救われ、彼らがすべきことは最後まで忍耐を実践し続け、彼らが確実に天の国に引き上げられることになる主の再来を待てば良いだけで、神が行なう新しい働きを受け入れる必要はないと考えています。しかし、このような考え方は本当に正しいでしょうか。これは、本当に神の心に適ったものでしょうか。実際、『一度救われた者は永遠に救われる』や、『神が再来する時には、私達は天の国に引き上げられる』という考えは、人の観念であり、想像したものです。これは、神の言葉に即していません。主イエスは『その信仰により救われたものは、天の国に入ることができるだろう』とは一度も言っていません。むしろ、『天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。』(マタイによる福音書7:21)と言っています。『救われること』と『天にいる父の心に即した行動をする』は同じことではありません。『あなたの信仰故に救われる』と私達が話す時、この『救われる』という言葉は、あなたの罪が許されたことを意味します。つまり、もし誰かが法律に従い死刑にされるところを、彼らが主の前に来て悔い改め、神の愛を受け、罪に対して主の許しを得た場合、この人は有罪判決を逃れ、法律に従い死刑に処されることはもはやないということです。これが『救われる』の本当の意味です。しかし、『救われる』ということは、人々が罪から逃れ、清められたことを意味しません。私達は全員、経験により、これが本物の真理であることを知っています。私達は長い間、主を信じ、主に対して自分の罪を認め悔い改め、私達の罪が許される喜びと安全な気持ちを享受してきましたが、未だに、意図せずして罪を犯すことがよくあり、私達は罪に囚われています。これは事実です。たとえば、私達の傲慢さ、狡猾さ、身勝手さ、貪欲さ、邪悪さ、その他の堕落した性質が未だに存在し続けています。私達は、未だに、世俗的なトレンドや富や名声、そして肉の悦びを追い求めています。私達は罪深い悦びに執着し、自分達を解放することができずにいます。個人的な利権を守るために、私達は頻繁に嘘をつき、他者を騙すこともできます。従って、『救われる』と言うことは、完全な救済を受けたことを意味しません。これは事実です。神は次のように言っています。『わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである』(ペテロの第一の手紙1:16)神は聖なる存在ですが、神は、頻繁に罪を犯し、神に抵抗する人達を天の国に入れることを許すでしょうか。もしあなたが、信仰により救われた人々は天の国に入ることができると信じているならば、主イエスは、なぜ、次の言葉を言ったのでしょうか。『わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって「主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか」と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、「あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ」。』(マタイによる福音書7:21-23)なぜ、主が再来した時、子羊からヤギを、有毒な雑草から麦を分けると言っているのでしょうか。私達は、『信仰により救われた人々は天の国に入ることができる!』と言うのは完全に無効であると信じています。これは、主イエスの言葉から完全に離れています!これらは、主の言葉に背く言葉です!ですから、もし、私達が主の言葉を受け入れず、これを信じず、むしろ、牧師や長老達が伝えている間違った考えに固執するなら、もし、私達が神への信仰に関して、自分自身の観念や想像に頼るならば、私達は神の求めるものを達成することができず、天の国に引き上げられることはないでしょう。」と言いました。

私は妹の言葉についてじっくり考え、彼女の言っていることは尤もだと感じました。そのため、そこで黙って、彼女の話に耳を傾けていました…

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