牧師の正体

2022年4月5日

フィリピン Nora

僕がクリスチャンになって最初の頃、教会のチェン牧師夫妻がとても評価してくれた。僕を賛美チームの指導者と日曜学校の講師にして、いつもよく面倒をみてくれた。困ったことがある時や元気のない時はいつも、僕のために祈ってくれた。二人は、教会の他の信者の世話もしていた。誰かが落ち込んだり弱ったりすると、聖書の交わりで助けてくれたものだ。愛情深い人たちで、二人がいてくれて幸運だったよ。いつも心の底で、二人を信仰上の精神的な両親のように思っていた。

その後2018年に、僕はオンラインで全能神教会の兄弟姉妹に出会った。彼らの証しを聞いて、主イエスが全能神という肉となって再来したことを知ったんだ。主は終わりの日の人間を裁き清めるために真理を表し、ペテロの第一の手紙の第4章17節のこの予言を満たしている。「さばきが神の家から始められる時がきた」。僕は嬉しくなって、家族と共に、終わりの日の全能神の働きを考察した。全能神の御言葉を読んで、それが神の御声であり、全能神が主イエスの再来だと家族全員が確信したよ。全員が、終わりの日の全能神の働きを受け入れた。それから、チェン牧師のことを思い出した。主の到来を注意深く待つようにといつも言っていたから、主が再来したと聞けば、大喜びするだろう。彼にこの吉報を伝えようと決めた。

ある時、集会でチェン牧師がこう言った。「今は世の終わりだから、いつ主が再来してもおかしくない。祈り、注意深く待つことだ」僕はその言葉に大喜びして、口を挟んでこう言った。「最近オンラインで出会った兄弟姉妹が、主の再来の証しをしています。集会にも出ましたが、とても啓発的でした」牧師はこう答えた。「オンライン集会は大変いいことだ。主の御言葉を理解しやすくなる」そして彼は説教を続けた。僕は嬉しくなってこう思った。「チェン牧師はまさに真理の追究者だ。終わりの日の神の福音を、すぐに伝えなくては」驚いたことに、数日後にチェン牧師夫妻が僕の家を訪ねてきた。入ってくるや否や、チェン牧師が険しい面持ちで僕に尋ねた。「オンライン集会のことを話していたが、別の教会に通い始めたのかね?」彼のいかにも不機嫌な様子に、僕は少し驚いた。僕が返事をする前に、母が嬉しそうにこう言った。「ええ、牧師さん。わたしたちは全能神教会を考察していたんです。それで主の再来を知りました。主は多くの真理を表し、神の家にはじまる裁きの働きを行なっています」チェン牧師は険しい声で答えた。「主の再来? ありえない! 聖書ははっきりと予言している。『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう(ヨハネの黙示録 1:7)。主は終わりの日に雲に乗って再来し、誰もがそれを目にするのだ。主がすでに再来したのなら、なぜ誰も見ていないのだ?」母は言った。「聖書には主の再来の予言がたくさんありますよ。雲に乗って到来する話の他に、主が秘かに来ると書いてある節もあります。例えばヨハネの黙示録の、第16章15節です。『見よ、わたしは盗人のように来る』同じく3章3節にもあります。『もし目をさましていないなら、わたしは盗人のように来るであろう』マタイによる福音書の、第25章6節にも。『夜中に、さあ、花婿だ、迎えに出なさいと呼ぶ声がした』。主が盗人のように来るというのは、誰にも知られず秘かに再来するという意味です。主が雲に乗って公然と現れたら、誰もが気づく。それでは盗人のようではないし、花婿が来たと叫ぶ必要はないでしょう?」チェン牧師は激怒して言った。「主が秘かに来るという主張は、主が雲に乗って来るという予言と矛盾するではないか? それは聖書と一致していない。主が雲に乗って来たのを誰も見ていないのは、主が再来していない証拠だ。信じるものか!」

彼には理解できていないようだったので、僕は言った。「チェン牧師、主が秘かに肉となって来るという予言と、雲に乗って公然と来るという予言は、実は矛盾しません。主の再来は二段階あります。最初に肉となって秘かに来て、真理を表して人間を裁き清め、災害の前に勝利者の一団を作る。それが終れば、主の秘かな働きは終わり、それから主は災害をもたらして、善に報い悪を罰する。サタンに属する神の敵を全て滅ぼす。大災害が過ぎ去った後にはじめて、主は公然とあらゆる国と民の前に姿を現すのです。主がここで秘かに働きをしている間に神の御声を聞きその働きを考察する者は、みな神の玉座の御前へ出て、終わりの日の主の裁きを受け、堕落を清められる。ついには神の国に入れられる。彼らは聖書が予言した賢い乙女だ。主がここで秘かに働きをしている間に神の御声を聞かず、まして全能神を咎め捨てる者は、愚かな乙女だ。彼らは不信者、反キリスト、悪人で、終わりの日の神の働きを通じて暴かれる。神が雲に乗って公然と現れる時に、自分が否定した全能神が実際に主イエスの再来だと知って、後悔してももう遅い。彼らは災害に襲われ、懲罰を受けて涙を流す。主のこの御言葉が実行されるのです。『見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう(ヨハネの黙示録 1:7)」。「このように、主が秘かに来る予言と、雲に乗って公然と現れる予言は、どちらも実行される」母も熱心に言った。「息子の言う通りです。聖書には、人の子が来るという記述が多くあります。例えば……。『ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう(マタイによる福音書 24:27)。『いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない(ルカによる福音書 17:24-25)。人の子とは受肉した神のことです。主イエスが人の子であるように。彼は人から生まれ、普通の人間性を持っていました。主が霊として再来したら、人の子とは呼ばれません。それに、主が霊の神として再来したなら、誰が拒んだり抗ったりするでしょうか? どうやって主が『まず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない』ということになるのですか? 主イエスは、受肉した全能神としてすでに再来しています。全能神の御言葉を読んでみてください」。母はそう言って、全能神の御言葉の冊子を牧師に渡した。彼は読むのを拒んだだけでなく、怒ってそれを叩きつけてこう叫んだ。「これは断じて神の御言葉などではない。神の御言葉は全て聖書にあり、それ以外にはないのだ!」

チェン牧師の人が変わったような態度にショックを受けたよ。顔まで怒りで赤くなっていた。いつもあんなに優しかったのに、突然まったくの別人になったようだった。僕は少し怖くなってきて、急いで神に黙とうを捧げ、彼に信心を与え、交わりを続けられるようお導きくださいと願った。僕の心が少し落ち着いたので、彼に穏やかにこう言った。「チェン牧師、神の御言葉は全て聖書の中にしかないというのは、聖書的根拠がありません。それは事実と合いません。ヨハネによる福音書にこうあります。『イエスのなさったことは、このほかにまだ数多くある。もしいちいち書きつけるならば、世界もその書かれた文書を収めきれないであろうと思う』(ヨハネによる福音書 21:25)。主イエスは、地上で働き伝道した三年半に多くのことを言ったが、四つの福音に記されているのはわずか数時間ぶんしかない。主イエスの全ての御言葉を聖書に記すのは無理だという証拠です。それに、聖書の編集者が省いた話もあるので、予言者の予言の全てが聖書に載ったわけではない。予言者エズラによって伝えられた神の御言葉も聖書に載っていないものがある。つまり神の御言葉が聖書以外にないと言うのは間違いです!」

母も熱心に言った。「聖書に載っていない神の御言葉があるだけでなく、終わりの日の神の御言葉もあります! 主イエスは予言しました。『わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう(ヨハネによる福音書 16:12-13)。ヨハネの黙示録でも何度も予言されています。『耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい(ヨハネの黙示録 第2、3章)。神の小羊が巻物を開く話も。すべて、主が再来した時にもっと多くを語るという予言です。聖書以外に神の御言葉はないというなら、予言はどうやって実行されるのでしょう? 全能神は裁きの働きを行ない、すべての真理を表して、人間を清めて完全に救います。神の救いの計画の奥義をすべて明らかにして、人間の堕落の真理と神への抵抗の根源を暴いて裁きます。真に悔い改めて神の国に入るための道を示してくださる。ヨハネの黙示録にある、聖霊が教会に話して神の小羊が巻物を開くという予言は、全能神の御言葉を指しているのです。この新しい御言葉が、前もって聖書に記されているわけがないでしょう? 聖書以外に神の御言葉はないと言うのは、あまりに独断的ではないですか? 神は創造主であり、命の水の尽きせぬ泉なのに、聖書に記されている神の働きと御言葉は、非常に限られている。わたしたちの観念に基づく聖書の範囲内に神を限定してはなりません。それは真理を否定し、神の働きと御言葉を否定することです!」

これを聞いてチェン牧師は激怒したが、反論できず、ただこう言った。「これの考察を禁じるのはあなたがたのためだ。人生において未熟だから判断を誤りやすいのだ。今すぐ主に懺悔して悔い改めよ!」僕はすぐに答えた。「チェン牧師、全能神が主イエスの再来であるという結論に達したのは、僕らが熱心に探求し、多くの全能神の御言葉を読んだからです。あなたはまだ全能神の御言葉を読んでいないので、疑いや観念を持つのは当然です。主イエスは言った。『求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう(マタイによる福音書 7:7)。探求して全能神の御言葉を読もうという気さえあれば、困惑はすべて消え去ります」。僕が言い終わるや否や、牧師の奥さんが、教会の兄弟姉妹の連絡先を尋ね、後で考察してみると言った。その言葉を信じて、連絡先を渡したよ。彼らはそれを持って、憤然と出て行った。

その後しばらくは、気持ちが落ち着かなかったよ。あの二人は謙虚で良い人たちだとずっと思っていた。主の再来に注意するようにとよく言っていたのに、いざ主の再来の知らせを耳にしたら、まったく興味を示さないなんて。ただ頑固に聖書の言葉にしがみついている。なぜ自らの説教を実行しないのだろう? 本当にがっかりして悲しかったけど、二人が終わりの日の神の働きを考察することを願い、黙とうを捧げたよ。二人に『聖書の奥義を解く』という福音動画のリンクも送り、これを見て観念を捨てて、全能神の働きを探求し、早く主を歓迎してくれるよう願った。僕の心は期待に満ちていたが、まったく意外なことが起きた。二人は僕に、全能神教会を中傷するあらゆる類の風評を送ってきて、僕を全能神から遠ざけようとしたんだ。それが無駄だと見て取ると、今度は全能神教会の信者を攻撃するメッセージを送った。さらにフェイスブックで全能神教会を中傷し攻撃するたくさんの噂を投稿して、人々を欺き真の道の考察を妨げた。二人の行動はさらに続いた。兄弟姉妹の家を訪ねてまわり、僕と関わらないよう警告し、僕を批判し中傷した。多くの人が僕を誤解して、距離を置いたよ。僕を非難するメッセージをよこした人や、出会っても口をきこうとしない人もいた。僕が訪ねていくと居留守をつかう人までいた。本当に困ったよ。これまで仲の良かった兄弟姉妹が、牧師の嘘に騙されて、今や僕を避け拒絶している。あれほど尊敬していた牧師にこんな目にあわされるなんて、信じられなかった。辛くて、ひどく落胆した。理解できなかったよ。僕は何も悪いことはしていない。終わりの日の神の働きを受け入れただけだ。なぜ牧師はあんな仕打ちを?

このことを知った全能神教会の姉妹が、助けを申し出てくれて、神の御言葉から一節を読んでくれた。「神が人において行う働きのあらゆる段階において、それはあたかも人の手配により、あるいは人の干渉から生まれたかのように、外面的には人々の間の相互作用のように見える。しかし舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人は神への証しにおいてしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたがたにおいて行う働きの各段階の背後にはサタンと神との賭けがある。その背後にはすべて戦いがある(『神の出現と働き』「神を愛することだけが本当に神を信じることである」〔『言葉』第1巻〕)。それで理解できた。牧師に妨害されたり、他の教会の信者に避けられたりしたのは、すべてサタンの誘惑だったんだ。サタンは僕に、真の道を諦めて神を裏切り、終わりの日の神の救いを失わせたかったんだ。サタンは本当に卑劣だ! 僕は思った。「僕はすでに全能神が主イエスの再来だと確信しているから、どんな苦難に直面しようと最後まで動じず全能神に従う覚悟だ」。

それから姉妹がこう交わってくれた。「神はこの状況をもちいて、他人を判断するすべを教えているのよ。主の到来に際してとる態度で、真理と神に対する態度がわかり、本質があばかれるの」そして彼女は、神の御言葉からもう一節読んだ。「あなたがたはパリサイ人がイエスに逆らったことの根源を知りたいか。あなたがたはパリサイ人の実質を知りたいか。彼らはメシアに関する空想に満ちていた。さらに、彼らはメシアが来ると信じていただけで、いのちの真理を追い求めなかった。だから今日になっても未だに彼らはメシアを待ち続けている。いのちの道に関して何の認識もなく、真理の道がどのようなものかも知らないからである。あなたがたに訊くが、これほど愚かで頑固で無知な人々が神の祝福を得るなど、どうしてあり得ようか。彼らがメシアを見るなど、どうしてあり得ようか。彼らは聖霊の働きの方向を知らなかったために、イエスの語った真理の道を知らなかったために、さらにはメシアを理解しなかったためにイエスに敵対した。彼らはメシアに会ったことがなく、メシアとともに過ごしたこともないために、彼らはみな、ただメシアの名前に固執しながら、できる限りのことをしてメシアの実質に逆らうという過ちを犯した。これらのパリサイ人の実質は頑固で、傲慢で、真理に従うものではなかった。彼らの神への信仰の原則は、『どれほど説教が奥深く、どれほど権威が高かろうとも、あなたがメシアと呼ばれない限り、あなたはキリストではない』というものだった。この信仰は不合理でばかばかしくないであろうか(『神の出現と働き』「あなたがイエスの霊体を見る時、神はすでに天地を新しくしている」〔『言葉』第1巻〕)。その後、彼女は神の御言葉に照らした交わりをもっと話して、牧師の行為を解き明かしてくれた。牧師夫妻は聖書に詳しいし、長年主に熱心に仕えて、信徒に愛情深く、主の再来に注意するよう常に言っていたので、当然真理を愛して主の到来を待ち望んでいるものと思っていた。だが現実は、まったく想像と違っていた。謙虚で愛情深い様子は、周囲を惑わし欺くための見せかけで、偽善的なパリサイ人と変わらなかったんだ。パリサイ人も非常に敬虔に見えた。毎日礼拝堂で聖書を解き明かし、人目につくように通りで祈った。皆が救世主の到来を待っていたが、主イエスが実際に現れて真理を表し、紛れもなく神による数々のしるしや奇跡を行なうと、パリサイ人はそれを知ろうとはしなかった。頑固に聖書の律法に固執し、聖書の言葉をもちいて神の働きを非難した。主イエスを張りつけの刑にさせて、神に懲罰された。牧師もまったく同じだった。謙虚に主に仕え、主の再来を待っているように見え、全能神が真理を表し裁きの働きを行なっていることも十分に知りながら、まったく考察しなかった。自身の観念と額面通りの聖書の言葉にしがみつき、神の新たな働きに抗い非難した。雲に乗って来たのでなければ主イエスではないとか、聖書にないものは全て神の御言葉ではないなどと言った。人々が真の道を考察するのを妨げるために、手を尽くした。牧師夫妻は、純粋に主の到来を待ち望んでいたのではなく、真理を嫌い、神の到来と働きを嫌う、現代のパリサイ人だった。主イエスがパリサイ人を非難している言葉を思い出したよ。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが、内側は死人の骨や、あらゆる不潔なものでいっぱいである。このようにあなたがたも、外側は人に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである(マタイによる福音書 23:27-28)。これらすべてを理解することで、牧師の行為がよくわかったよ。だが次に起きたことで、本当にはっきりと二人の本性がわかった。

ある日の午後、前の教会のワン長老と二人の姉妹が家に訪ねてきて、無言で僕を冷ややかに見つめた。そしてワン長老が、携帯電話を出して番号をダイヤルし、僕に手渡した。電話に出ると、チェン牧師の怒声と罵詈雑言が聞こえてきて、そしてこう警告された。「うちの教会の信者と連絡したり、うちの教会で全能神の福音を説いたりすることは禁ずる。うちの小羊を盗むな!」僕は頭にきて牧師に言った。「主の再来という素晴らしい知らせを伝えてはいけないのですか? なぜ人々が真の道を探求するのを邪魔するのです? 彼らは神の小羊だ。なぜ神の声を聞かせないのですか?」電話を切った後、ワン長老たちは僕を叱りつけてから去っていった。牧師はその後も僕の家族に嫌がらせを続け、教会で公然と僕らの名を中傷すらした。僕の家族は嫌がらせに耐えきれず、弱く否定的になってしまった。牧師の邪悪な行為には本当に腹がたって、全能神の御言葉をさらに読んだよ。「荘厳な教会で聖書を読み、一日中聖句を唱える人がいるが、そうした人は誰一人として神の働きの目的を理解していない。そうした人は誰一人として神を知ることができず、ましてや神の心意と一致することなど到底できない。そのような人はみな、価値のない下劣な人であり、高い位置から神を説く。神を旗印に使いながらも、故意に神に反対する。神を信じていると断言しながらも、人の肉を食べ、人の血を飲む。そのような人はみな、人の魂を食い尽くす悪魔であり、正しい道を歩もうとする人をわざと邪魔する悪霊の頭であり、神を求める人を妨害するつまずきの石である。彼らは『健全な体質』をしているように見えるかもしれないが、神に対抗するように人々を導く反キリストに他ならないことを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか。彼らが人間の魂をむさぼり食うことを専門とする生きた悪魔であることを彼らの追随者がどうして知り得るというのだろうか(『神の出現と働き』「神を知らない人はすべて神に反対する人である」〔『言葉』第1巻〕)。全能神の御言葉で、牧師の本性と神への抵抗がはっきりとわかった。僕らに神の福音を説かせまいとするのは、神の小羊を守るためだというふりをしていたが、実際は、皆が全能神に従って自分たちに耳を貸さなくなるのを恐れたんだ。そうなると自分の地位を失ってしまう。だから、信者が真の道を考察するのを全力で妨げた。主イエスの御言葉を思い出したよ。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない(マタイによる福音書 23:13)。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたはひとりの改宗者をつくるために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする(マタイによる福音書 23:15)。牧師は、自分が真の道を探求するのを拒んだだけでなく、終わりの日の全能神の働きを全力で中傷し非難して、信者に道を誤らせた。真実を知らない多くの人が、彼らに従って全能神を非難する。人々を自分のような地獄の子に変えて、一緒に懲罰を受けさせる行為では? 彼らはまったく悪意の塊だ。宗教界の牧師が真理を嫌う。終わりの日の神の働きを妨害して非難し、恥知らずにも神の小羊を自らの手中におさめ、神の選民をめぐって神と競いあう。二千年前に主イエスが罵ったパリサイ人と同じだ。終わりの日の神の働きで、神にあばかれる悪の下僕、反キリストだ! 二人の悪魔的な神に抗う本性と真理への嫌悪が、完全にはっきりわかった。二人がどんなに邪魔しようとしても、確信を持って全能神に従おうと決意したよ! 僕以外の家族も皆、全能神の御言葉を読むことで判断力をつけて、もう彼らの支配を感じなくなった。

当時を振り返ると、彼らに嫌がらせと中傷を受けて少し辛い思いをしたが、おかげで牧師に対する判断力がついた。真理を嫌って神に抗うという、彼らの本性がわかったよ。絶対に彼らに騙されたり支配されたりするものか。パリサイ人や反キリストとの精神的な戦いでは、神に祈って頼れば、真理を理解しサタンの誘惑に打ち勝つよう、神が御言葉で導いてくれることも学んだよ。あの経験のおかげで信心が増した。全能神に感謝を!

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