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どのように悔い改めて再び罪を犯さないかについて、私は実践の道を見つけた

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神様の裁きは私たちが罪から解放される唯一の道

スーザン姉妹は私の疑問を聞いて笑みを浮かべ、さらに話をしました。「実を言うと、それはずっと以前に聖書の中で預言されていました。主イエスはこうおっしゃいました。『わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう』(ヨハネによる福音書16:12-13)『わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう』(ヨハネによる福音書12:48)また『ペテロの第一の手紙』第1章5節には、『あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである』と記されています。これらの聖書の聖句は、主イエスの救いを受け入れた私たちが律法の断罪と束縛から自由になり、いつでも神様の御前に出て告白して悔い改められるとしても、私たちの霊的背丈がいまだに小さすぎることを示しています。主イエスが働きをなさっていた当時、私たちが神様に清められて完全に救っていただけるよう、神様がすべての真理をもたらして私たちの性質を変えようとなさったとしても、私たちはそれを受け入れることも理解することもまったくできなかったでしょう。私たちが性質の変化を経て完全に救われるべく、神様が終わりの日にすべての真理を表現なさるのはそれが理由であり、また私たちが完全に神様のものとなって最後は御国に連れていただけるよう、神様の家から始まる裁きの働きの段階をなさっているのもそれが理由なのです」。スーザン姉妹は熱心な口調でこう続けました。「姉妹、実を言うと、私たちが熱心にお待ちしてきた主イエスはすでに戻られています。それは終わりの日のキリスト、全能神であり、すでにお姿を現わして私たちのあいだで働きをなさっているのです。全能神は私たちの堕落した性質を裁いて清め、最後は私たちを心から神様に従い神様を愛する人にして、神様の御国へとお連れになるべくおいでになりました。私たちが主イエスによる贖いの働きを受け入れるだけで、終わりの日における全能神の裁きの働きに従わないなら、罪の束縛から解放されることはなく、性質の変化を成し遂げることもできません。そのうえ、神様の御国に入る資格も得られません」。

スーザン姉妹の話には多くの理知があり、私はすっかり納得しました。主イエスはもうお戻りになっており、人類を裁いて清める働きをなさっていると聞いたとき、私は特に興奮しました。それと同時に、夫も私も終わりの日における神様の裁きの働きをまだ受け入れていないせいで、二人とも罪の中で暮らしており、それどころか私は、牧師は長いあいだ神様を信じてきたのだから、きっとより多くのことを理解しているに違いない、ゆえに私の問題を解決できるに違いないと考えて、牧師のもとに通い続けていたことに気づきました。しかし驚いたことに、その牧師も罪の中で暮らしていたのです。ならば、罪から解放される道をどうして私に語れるでしょう。私はそこまで愚かだったのです。キリストだけが真理であり、道であり、いのちでいらっしゃり、神様だけが私たちの道と方向を指し示すことがおできになります。そのことを考えていると、自分はまさに命綱を掴んだかのように感じられました。私は喜びに満ちあふれ、主が私を見捨てられなかったことに心から感謝しました。ようやく罪の足かせから自由になり、このような苦しい生活から逃れられたのです。全能神が終わりの日における裁きの働きをどのようになさるのか、私はスーザン姉妹に急いで尋ねました。

すると彼女は全能神の御言葉の別の一節を読んでくれました。「終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉は、みな人の本質とその堕落した性質に焦点を当てている。とりわけ、いかに人が神を拒絶するかを明らかにする言葉は、人がサタンの化身であり、神に敵対する力であることを語っている。神が裁きの働きを行う際、神はほんの数語で人の本性を明示するのではなく、長期にわたって暴き、取り扱い、刈り込みをする。そうした暴き、取り扱い、刈り込みは、通常の言葉に置きかえることはできず、人が持つことなどない真理でしか置きかえられない。そうした働きのしかたのみが裁きとみなされる。そうした裁きを通じてのみ、人は説得され、神への服従に完全に納得し、神の真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、人が神の真の顔と、自らの反抗心についての真相を認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識して知り、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである。」(『言葉は肉において現れる』の「キリストは、真理を以て裁きの働きを行う」より)

それを読んだあと、スーザン姉妹は話を続けました。「終わりの日、神様は堕落した人類の必要に応じて真理の様々な側面を表現なさり、私たちのサタン的な本性と性質を暴いて分析なさってきました。神様はまた、私たちが理解できるようにご自身の性質を表現なさり、ありとあらゆる堕落した性質から自由になって完全な救いを得る道を指し示してこられました。神様の御言葉による裁きと刑罰を通じ、私たちは自分の堕落した本性と、私たちがサタンに堕落させられてきた真相に関する真の認識を徐々に得ることができます。自分がどれだけ深くサタンに堕落させられてきたかや、私たちには人間らしさのかけらもなく、傲慢で、不誠実で、狡猾で、利己的で、卑劣なサタン的性質に満ちていることを目にするのです。私たちはたとえ神様を信じて神様のために自分を費やしたとしても、人間がもつべき良心や理知をこれっぽっちももたないまま、神様から得られるお恵みや祝福のことを考えてばかりいます。神様の働きが自分の観念に合わないとき、自分の家族に不幸が降りかかったり、その他の望ましくないことが起きたりしたとき、私たちは神様に関する観念を膨らませてその働きを裁きます。私たちには神様を畏れる心がまったくありません。私たちは真理の啓きを通じて、自分のサタン的な本性を心から嫌悪するようになるとともに、神様の義なる性質と聖なる本質についても真の認識をいくらか得るようになります。また、私たちは正直な人になることを求め、神様のために無私に働いて自分を費やすとともに、神様の働きや御言葉が自分の観念に合っていようといまいと、被造物の立場に立って神様に服従し、その采配に従うべきであることも知ります。すると時が経つにつれ、神様の性質についてますます多くの認識を得て、自分の堕落と欠点、入るべき実践の道がより明確になります。そして神様を畏れる心が私たちの中で徐々に膨らみ、悔い改めること、真理を求めること、意識的に肉を捨てて真理を実践することに重点を置き始めます。神様の御言葉による裁きと刑罰をいつも経験し、その御言葉を実践してそれに入ることで、私たちの堕落した性質は様々な程度で変化し、神様を真に畏れて服従するようになります。私たちはわずかばかりの人間らしさをもち始めるのです。全能神による終わりの日の裁きの働きを数年間経験した兄弟姉妹はみな、私たち堕落した人類が清められることを望むなら、神様による終わりの日の裁きの働きを受け入れなければならないことを知ります。それが罪から自由になり、信仰の中で神様に完全に救っていただく唯一の道なのです」

神様、感謝いたします、全能神の御言葉とスーザン姉妹の話を聞いたあと、私の心は本当に明るくなりました。私たちが自分の堕落した性質を認識できるよう、神様は御言葉を発して私たちの堕落を裁かれるのだとわかりました。なんと実践的でしょう。私は長年にわたって主を信じながら、罪の束縛から逃れられずに大きな苦痛の中で暮らしていましたが、ついに道を見つけたのです。私は神様の御前に出て心から祈りを捧げ、いつかすぐに自分の堕落した性質が清められて変化するよう、今後は生活の中で神様の御言葉の裁きを進んで経験することに集中しようと思いました。

その後は日々、全能神が表現なさった御言葉を読むとともに、全能神教会のアプリを使って全能神教会による福音動画を毎日閲覧し、賛美歌に耳を傾けました。また他の兄弟姉妹と定期的に集会に参加するようになり、全能神の御言葉について語り合いました。私は聖霊のお導きを感じることができ、霊の喜びを大いに得ました。また神様の御言葉を読むことで、サタンがいかに人類を堕落させるか、神様がいかに働かれて人類をお救いになるかを理解し、神様に抵抗して裏切る人の本質についてもいくらかの認識を得ました。全能神の御言葉には本当に権威と力があり、私たちの堕落と内面の考えを残らず暴きます。人間は誰ひとりとしてこのような言葉を語ることができませんが、それは神様だけが私たちの心と精神を深く吟味なされるからです。全能神はお戻りになった主イエスでいらっしゃると、私は心から確信するようになりました。

神様の御言葉を実践したあとの家庭の調和

ある日、午後十一時過ぎに仕事を終えて帰宅すると、夫はまたもやビデオゲームで遊んでいました。それを見て怒りがわき上がり、こう考えました。「私はこんなに一生懸命働いているのに、あなたは気楽で、こうして一日中自宅でビデオゲームに夢中になっているだけじゃない」私は自分の胸の内をぶつけようと思いましたが、それが口から出ようとした瞬間、数日前に読んだ神様の御言葉の一節が突然頭に浮かびました。「人間が地位を得ると、気分を制御するのが困難になり、事あるごとに不満を爆発させ、感情を露わにする。人間は、自分の力を示し、自分の地位や身分が普通の人々とは違うことを他人に知らしめるため、明確な理由なく激怒することさえ多々ある。無論、地位の無い腐敗した人間も、頻繁に取り乱す。そのような人間の怒りは、その人間の個人的利益に対する危害によって発生させられる場合が往々にしてある。自分の地位と威厳を守るため、腐敗した人間は感情を発散させ、傲慢な本質を露わにすることが往々にしてある。人間は、罪の存在を防御するために突然激怒して感情を露わにし、そうした行動によって、その者は自分の不満を表す。…… 」(『言葉は肉において現れる』の「唯一の神自身 2」より)

神様の御言葉は私の堕落した性質を痛烈に暴きました。夫が自分の思い通りに行動しないのを見たとき、冷静さを失って夫を叱ろうとするのは、ひとえに自分の傲慢な本性のせいだと気づいたのです。夫も私も堕落した人間なので、自分が上位にあるかのように夫を叱ってはいけないのです。私の腹立ちは自分のサタン的な性質をあらわすものです。それは自分の憤りを発散するためであり、よくないことです。以前のように自分の堕落した性質に行動を支配させてはいけません。さもないと、それは決して変わらないでしょう。自分自身を反省していると徐々により冷静になり、怒りを夫にぶつけることは二度とありませんでした。

この経験は、神様による終わりの日の裁きの働きがいかに必要かを私に示しました。神様の御言葉による啓きと裁きがなければ、私たちは決して自分の堕落した性質を認識せず、どれだけ寛容で忍耐強く、控えめであろうと、それは単に表面的な振る舞いに過ぎず、その下にある罪深さの問題を決して解決できません。いま神様の御言葉の裁きを真に経験して初めて、自分の傲慢な性質がどれほど深刻かがわかりました。それは私の魂の奥底にあり、裁きと刑罰を経ることでのみ清められて変わることができるのです。

しばらく経って、私は自分の堕落した性質について浅い理解を得始めました。夫との交流において堕落した性質に頼ることはもはやなく、いつも彼に目を向けるようになりました。そのような状況に遭遇すると、まずは自分を静めて神様に祈り、神様の御言葉からお導きを求めて道を探し、意識的に肉を捨てて真理を実践するようになったのです。ある日、夫が出し抜けにこう言いました。「きみは本当に変わったね。全能神を信じてからというもの、別人になったようだ。もう簡単に我を忘れることもないし、問題があるときはちゃんと話し合いで解決する」私は心の中で何度も何度も神様に感謝を捧げました。それが神様の御言葉による裁きと刑罰を通じて成し遂げられたことを、私は知っていたのです。さらに驚きだったのは、夫が率先して全能神による終わりの日の働きを調べ、それを受け入れたことです。その後、夫は神様の御言葉から、ビデオゲームはサタンが引き起こした悪しき風潮の産物であり、サタンが人間を誘惑して堕落させる方法の一つだと認識しました。オンラインゲームの本質と、それがもたらす害についていくらかの認識を得たのです。祈り、神様に頼り、神様の御言葉を読むことで、ゲームで遊ぶのは虚しく退屈なことだと徐々に感じるようになり、以前のように没頭することはもはやありませんでした。

現在、神様の御言葉は私たちの交流のすべてにおける原則です。何かがうまくいかないと、神様の御言葉の中にその解決法を見つけ、私たちの家はようやく笑いと喜びで満ちあふれるようになりました。神様の御言葉による裁きと刑罰を通じて私が成し遂げた変化はいまだに限られていますが、自分の経験を通じて、堕落した性質を清めて変える唯一の方法は神様の御言葉による裁きと刑罰だと心から感じています。神様による終わりの日の裁きの働きは、私たちが清められて完全に救われるためにまったく必要なものです。いま、私はようやく清められる道を見つけ、心はとても穏やかで平和です。神様に感謝いたします。

蒙(モン)愛(アイ)(台湾)

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