ところで、君の話では、終わりの日に主が来られるとき、まずは肉となりひそかに降臨され、勝利者のグループを作ってから、すべての人の前に公に雲に乗り現れるということですね。それはなるほど理にかなっている。だが、今まで2000年間、ほとんどの信者は主が雲に乗って来られるのを待ち望んできた。牧師や長老たちも、よくそのように言ってきた。聖書の預言に従って待つことが、間違っている訳があるのか? 牧師や長老たちは皆主に使える人々だ。彼らは皆主の再臨をこのように待っているのだ。再臨の主が、これらの牧師や長老たちを皆見捨てるとは信じられない! 絶対にあり得ない!

2019年4月3日

回答:そう言われるには、どのような根拠をお持ちですか? 仰ったことは、主イエスの言葉に沿っていますか? 神の言葉にもとづいていますか? 仰っていることが、まったく人の思い込みや想像にもとづくものであれば、それは主に対して抵抗していることになります! パリサイ人がどのようにして、メシアの到来を待ちなぜ主イエスを十字架につけたか見てみましょう。当初、ユダヤのパリサイ人たちは、メシアについてさまざまな考えや想像をもっていました。彼らは聖書の預言を見ました。「ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり(イザヤ書 9:6)。「しかしベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちからわたしのために出る。その出るのは昔から、いにしえの日からである(ミカ書 5:2)。聖書の預言の言葉とまたメシアの到来に関するさまざまな長期的空想や推論にもとづき、パリサイ人は主は必ずメシアと呼ばれるべきであり、必ず裕福な家庭に生まれると決めつけていました。さらに、彼はダビデのようであり、イスラエルの王となり、ローマ政府の支配から離れられるよう導いて下さる。殆どのイスラエル人は多分このように考えていたでしょう。しかし、神は彼らの考えや想像に沿って、これらの預言を実現しなかったので、パリサイ人は、主イエスに対してあらゆる言い掛かりをつけようとし、主イエスを非難し、冒涜しました。当時、主イエスは多くの真理を表し、多くの奇跡を働き、神の権威と力を十分に示したが、パリサイ人は、主イエスの言葉がいかに深淵であっても、彼の権威がいかに偉大であっても、それを無視しました。彼らが持つ考えや想像にそぐわない限り、また裕福な家に生まれておらず、外見が貴族のようでもなく、威厳がないとし、彼の名前がメシアでない限り、彼らは非難をし、抵抗しました。彼らの真理を憎む本性ゆえに、彼らは真理を表し、贖罪の働きをなした主イエスを最後には十字架につけてしまった! 兄弟姉妹の皆さん、パリサイ人は忌まわしいですか? 彼らは呪われるべきですか! 主イエスに抵抗し、非難したパリサイ人の罪は真理を忌み嫌う彼らのサタン的な本性を完全に暴露しました。これが示すことは彼らの心が、メシアにより罪から救われることを心から願っていたのではなく、代わりに何を期待していたということでしょう? 彼らは、ユダヤの王がローマ政府の支配から切り離してくれることを望み、彼らが奴隷のように苦しまなくてもすむことを期待していたのです! 彼らが神を信じ、メシアの到来を期待していたのは自分たちの個人的欲望を満たし、地位を守りたいがためでした。考えてみましょう。メシアの到来を待つにあたり、パリサイ人は何の間違いを犯したでしょうか? なぜ彼らは神により呪われ、罰せられたのでしょうか? これは本当に考えさせられる内容です! 神の働きを行うために出現された主イエスに、パリサイ人はなぜ抵抗し、非難したのでしょう? パリサイ人のどのような本性と実質がここでしめされていますか? 神の出現を待ち望む人々はこうした問題を理解すべきです! こうした問題を見抜けなければ、再臨主イエスを迎えるにあたり、我々もパリサイ人と同じく、神に抵抗することになってしまうかも知れません!

パリサイ人はどのようにメシアの到来を待ちましたか? なぜ彼らは主イエスを十字架につけたのでしょうか? これらの質問の根源は一体何でしょう? 全能神が仰ることを見てみましょう! 全能神は言われます。「あなたがたはパリサイ人がイエスに逆らったことの根源を知りたいか。あなたがたはパリサイ人の本質を知りたいか。彼らはメシアに関する空想に満ちていた。さらに、彼らはメシアが来ると信じていただけで、いのちの真理を求めなかった。だから今日になっても未だに彼らはメシアを待ち続けている。いのちの道に関して何の認識もなく、真理の道がどのようなものかも知らないからである。これほど愚かで頑固で無知な人々が、神の祝福を得ることなどあり得ようか。彼らがメシアを見ることなどできるだろうか。彼らは聖霊の働きの方向を知らなかったために、イエスの語った真理の道を知らなかったために、さらにはメシアを理解しなかったためにイエスに敵対した。彼らはメシアに会ったことがなく、メシアとともに過ごしたこともないために、彼らはみなメシアの名前にむなしく固執しながら、できる限りのことをしてメシアの本質に逆らうという過ちを犯した。これらのパリサイ人は本質的に頑固で、傲慢で、真理に従わなかった。彼らの神への信仰の原則は、『どれほど説教が奥深く、どれほど権威が高かろうとも、あなたがメシアと呼ばれない限り、あなたはキリストではない』というものである。これらの見方は不合理でばかばかしくないであろうか(『神の出現と働き』「あなたがイエスの霊体を見る時、神はすでに天地を新しくしている」〔『言葉』第1巻〕)。全能神の言葉を読み、メシアを待つにあたり、主イエスに対するパリサイ人の抵抗の本質と原因が我々皆に明らかであると思います。では主の再臨を迎えるにあたって、もし人が自分の考えや想像に頼り、主が雲に乗って戻ることのみを阿呆のように待ち、真理の追究や、神の声を聴くことをしなかったら、彼らはパリサイ人と同じく、神に抵抗する道を歩んでいることになりませんか? それでは、彼らの結末は一体どうなるでしょう?

全能神の国福音は中国本土中に、20年以上広がってきました。様々な宗派や分派の間に広がっています。この間、中国共産党政府の厳しい抑圧と取り締まりにより、また共産党系メディアの宣伝活動と合わさって全能神は、誰もが知る名前となりました。後に、全能神が表したすべての真理、全能神教会が作った様々なビデオや映画は段々とネット上で公開され、世界に広がっています。宗教界の人々は皆、全能神教会の多様な証の方法につき、聞いておられると思います。多くの人が、神は来られたと証しています。これは主イエスの預言を完全に成就するものです。「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした(マタイによる福音書 25:6)。では宗教指導者や長老たちはなぜ終わりの日における全能神の働きを、まだ激しく非難し、それに抵抗するのでしょうか? 聖書には主の再臨に関する預言が大変多くあります。なぜ主が雲に乗って降臨するという預言に、彼らは固執するのでしょうか? 主の再臨について証があることを聞いて、なぜ彼らはそれをまったく求めようとしないのでしょうか? 全能神が多くの真理を表していることを知り、神の働きの現実を見ているのに、なぜ彼らは終わりの日における神の働きに抵抗し、非難し、自分たちの考えと想像に執着するのでしょうか? これらの人々は真理を愛し、心から主の到来を待ち望んでいるのでしょうか? 彼らは賢いおとめでしょうか、愚かなおとめでしょうか? 賢いおとめであり、心から主の到来を待ちわびているのであれば、それではなぜ、神の声を聞き、神の国の福音が大きく広がっていることを見ているのに、まだ頑固に非難し、抵抗をするのでしょうか? 主を待ちわび、その出現を期待しているのに、これが彼らの誠実さの現れなのでしょうか? これは主の再臨を喜ぶ、彼らの真の表現なのでしょうか? 結局、率直に言えば、主に対する彼らの信仰と主イエス再臨への切望は偽りだが、祝福されたい、天国に入りたいという切望は現実のものなのです! 真理を追求し、命を得るために主を信ずるのではなく、真理を得て、罪から逃れるためでもありません。彼らは何を一番希望しているのでしょうか? 主が降臨され、天国に彼らを直接に連れて行って下さる、肉の苦しみから逃れ、天国の祝福を享受すること、これが彼らが神を信ずる本当の目的です! 仰って下さい。この理由以外に、人類を救う真理を表す全能神を、彼らが拒絶する理由がありますか? 皆でこのことを考えてみましょう。ある人が真理を愛し、心から神の出現を待ちわびているならば、主が来られたと聞いたときに、どうするでしょうか? 耳を傾けず、状況を見ず、接触を避けるでしょうか? それを盲目に否定し、非難し、抵抗するでしょうか? 当然ないでしょう! 神の出現を心から待ち望み、神の到来を歓迎する人ならば、真の光を待ち望み、真理と正義が自分の心を支配することを願うでしょう。彼らは、神が人類を救うために来られ、罪から完全に逃れ、神聖で神のものとされるよう助られることを期待しています。しかし、主が雲に乗って来られることだけを待っているが、全能神は否定し拒む者、ことに、自分の地位と生活を守るために、全能神を猛烈に非難し、抵抗する宗教指導者たちは、真理を軽蔑し、真理を憎む者たちです。彼らは皆、終わりの日の神の働きにより露見した無信仰者や反キリスト者です。受肉された神が、その救済の働きを終えた後、これらの人々は、めったにない災害に陥り、嘆き、歯噛みをするでしょう。そして雲に乗って公に現れる主についての預言は、完全に成就されるでしょう:「見よ、彼は、雲に乗ってこられる。すべての人の目、ことに、彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう(ヨハネの黙示録 1:7)

全能神の言葉を見てみましょう。「真理を受け入れず白い雲に乗ったイエスの再臨を盲目的に待つ人々は、確実に聖霊を冒涜することになり、彼らは滅ぼされる種類である。あなたがたは単にイエスの恵みを望んでおり、この上なく幸せな天国を楽しみたいだけであるが、イエスの語る言葉に従ったことはなく、肉に戻ったイエスが表した真理を受け入れてこなかった。あなたがたはイエスが白い雲に乗って戻るという事実と引き替えに何を差し出すのか。あなたがたが繰り返し罪を犯しては何度もその罪を告白するという誠意か。白い雲に乗って戻ってくるイエスへの捧げ物としてあなたがたは何を差し出すのか。自らを称賛する長年の仕事という資本だろうか。あなたがたは戻ってきたイエスに信用してもらうために何を差し出すのだろうか。それはあなたがたの、いかなる真理にも従わない傲慢な本性だろうか。

……わたしはあなたがたに言う。しるし故に神を信じる者は、滅ぼされる部類であることは確かである。肉に戻ったイエスの言葉を受け入れることができない者は、地獄の子孫であり、天使長の末裔であり、永遠の破滅を逃れることのできない部類である。多くの者はわたしの言うことに耳を傾けないかもしれない。だがそれでも、天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることであると、わたしはイエスに付き従ういわゆる聖徒全員に伝えたい。おそらく、その時あなたにとって大いなる興奮の時となるであろう。だが、あなたがイエスが天から降臨するのを見る時は、あなたが地獄へ落ち、懲罰を受ける時でもあることを知るべきである。それは神の経営(救いの)計画の終わりの時であり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人間がしるしを見る前に、真理の現れだけがある時には終わっている。真理を受け入れてしるしを求めることがなく、故に清められている人々は、神の玉座の前に戻り、造物主の胸に抱かれる。『白い雲に乗らないイエスは偽キリストだ』という信念に執着する者たちだけは、永久に続く懲罰を受けなければならない。彼らはただしるしを示すイエスしか信じず、厳しい裁きを宣言し真のいのちの道を解き放つイエスを認めないからである。そのような者たちは、イエスが白い雲に乗って公に戻ってくる時に取り扱うしかない。彼らはあまりに頑なで、自信過剰で、傲慢である。どうしてこのような堕落した者たちがイエスに報いてもらえるだろうか(『神の出現と働き』「あなたがイエスの霊体を見る時、神はすでに天地を新しくしている」〔『言葉』第1巻〕)

映画『呪縛を解く』より引用

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