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目次
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引き上げられること
神の声を聞き分ける方法
天国に入るための条件
神の御名
終わりの日における神の裁きの働き
受肉の真理
救いと完全な救い
永遠のいのちの道
終わりの日における神の働きの場所
聖書の内幕
真の道と偽りの道を見分ける
真のキリストと偽キリストを見分ける
神の働きと言葉と、人の働きと言葉の違いを見極める
神に従うことと人に従うことの違いを見極める
聖霊の働きと悪霊の働きの違いを見極める
パリサイ人の本質を分析する
真の道はなぜ迫害を受けるのか
中国共産党の噂と誤謬に反論する
三位一体
神への信仰
霊の戦い
クリスチャンのデボーションと生活
真理を実践する
神の義なる性質を知る
人間の結末と終着点
その他のカテゴリー
聖書の内幕
目次
1
聖書はどのように生まれましたか。聖書とはいったい何ですか。
2
聖書は人間が書いたにもかかわらず、そのすべての言葉は聖霊から来ており、神の言葉であると信じる人がたくさんいる。これは正しいのか。
3
全能神が再臨した主イエスであることを、実際どのように確かめられるのか。
4
確かに聖書には世の終わりの神の働きを預言する箇所がたくさんある。全能神の出現とその働きについて知りたい。これはどのようにそのような預言を成就し達成するのか。
5
神の御言葉と働きはすべて聖書に記録されており、聖書に書かれた以外に神の御言葉や働きは存在しないと、私たちは信じています。その見方は間違っているのでしょうか。
6
聖書でパウロは言っています。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって」(テモテヘの第二の手紙 3:16)。パウロの言葉は聖書に書かれている言葉です。ということは、それは神様の霊感を受けて書かれたものであり、神様の御言葉です。主を信じるということは、聖書を信じるということです。宗派は関係なく、聖書から逸れているのであればそれは異端です! 私たちは主を信じているのですから、常に聖書の通りに従わなければなりません。要するに、聖書の言葉を守らなければいけない、ということです。聖書はキリスト教の正典であり、私たちの信仰の礎です。聖書を離れるということは、主を信じていないということです。聖書から離れて、どうやって主を信じるのですか? 主の御言葉は聖書に書かれています。他に主の言葉が見つけられる場所がありますか? もし私たちの信仰が聖書に基づいたものでなければ、何に基づいたものなのですか?
7
テモテへの第二の手紙の中でパウロが「聖書は、すべて神の霊感を受け」(テモテヘの第二の手紙 3:16)、聖書の言葉は全て神の言葉だと言っている。聖書は神様を代弁し、パウロがそう言っているのに間違っているわけがないでしょう?
8
神様の言葉も働きも全て聖書に記録され、聖書の外にそれは存在しないのです。信仰は聖書があるからこそ成り立つのでありがそれ間違いとでも?
9
受肉した全能神が何百万という言葉を発言し、神の家から始る裁きの働きをされたと証しをされているのですね。でもそれは明らかに聖書から逸脱しています。牧師や長老が神様の御言葉と御働きは全て聖書に書かれていると言うからです。聖書の外に神様の御言葉も御働きもないのです。主イエスの救いの御働きは既に完了しています。終わりの日に主が戻り、信者を直に天国に連れて行ってくれるのです。聖書あってこそ主を信仰できると信じています。聖書を守る限り私達は天国に入り、永遠の命を得ることができます。聖書から離れると主の道から外れます。主に抗い裏切ることになります。宗教牧師や長老は誰もがそう考えています。それのどこが悪いのですか?
10
パウロがテモテ第二の手紙の中で「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって」(テモテヘの第二の手紙 3:16)。つまり聖書の言葉は全て神の御言葉であり、聖書は主を代弁するということです。主を信じることは聖書を信じることで、聖書を信じることは主を信じることです。聖書から逸脱すると主を信じないことになります。主の信仰は聖書にしっかり従うだけで良いのです。たとえ終わりの日における全能神の働きを受け入れなくても、私たちはやはり救われて天国に入れます。この認識に間違いはありますか?
11
聖書は聖書、神は神だと、あなたがたはおっしゃいます。聖書が神様を表わすのは根本的に無理だということはわかりました。では聖書と神様とはどういう関係にあるのですか? まだわかりません。もう少し話してください。
12
あなた方は主イエスが既に再臨され、全能神が主イエスであると証ししています。そして、多くの真理を表し、終わりの日の裁きの働きをしていると。それはあり得ないと思います。神様の御言葉と働きは全て聖書に記されているというのが定説です。神様の御言葉と働きは聖書の外には存在しません。神様の救いは完全に聖書の中にあり、聖書は神様を表すものだ。聖書に従う限り天国に入れるのです。私達の主への信仰は聖書が基本で、それから逸脱することは主を否定し裏切ることになります。違いますか?
13
宗教界では2千年間も、聖書はすべて神の霊感を受けて書かれたもので、全て神が発せられた御言葉であると信じてきました。つまり聖書は主を代弁するものだと。聖書が神様の霊感と神様の御言葉を受けて書かれたものであるという事を否定する者は間違いなく宗教界から非難され異端視されるでしょう。違いますか?
14
聖書の中で、パウロは「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれた」(テモテへの第二の手紙 3:16)と言っています。ではどうして、聖書のすべての言葉が神の御言葉だというわけではないと、あなたがたはおっしゃるのですか。
15
過去二千年の間、人の主への信仰は聖書に基づいており、主イエスの到来は旧約聖書を否定しませんでした。終わりの日に全能神が裁きの働きを行なった後、全能神を受け入れるすべての人は全能神の言葉を読むことに集中し、聖書を読むことはほとんどなくなるでしょう。私が知りたいのは、終わりの日に全能神の働きを受け入れた後、聖書に対する正しい取り組み方とは正確には何のことで、どのように聖書を使うべきかということです。信仰の道を歩み、神の救いを得るには、神に対する信仰は何に基づいていなければならないのでしょうか。
16
聖書は神の働きの証です。信者は聖書を読むことでのみ、神が天と地と万物を創造したことを理解するようになり、神の不思議な業や神の偉大さと全能性を知ることができます。聖書には神の言葉がたくさんあり、また人の経験の証もあります。それらは人のいのちに必要なものを提供し、大きな啓発をもたらすことができます。そこで私が知りたいのは、聖書を読むことで実際に永遠のいのちを得ることができるか、ということです。聖書の中に永遠のいのちの道はないということがありえるのですか。
17
聖書はキリスト教の正典であり、信者の主への信仰は二千年の間、聖書に基づいてきました。さらに、聖書は主を表し、主への信仰は聖書への信仰と同じであり、聖書への信仰は主への信仰であり、もし聖書から外れれば、信者と呼ばれることはできないと宗教界のほとんどの人々は信じています。このように主を信じることが主の心に合致するのか知りたいです。
18
宗教界の牧師と長老たちは聖書のパウロの次の言葉に固執して、聖書にあるすべては神の言葉であると信じています。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって……」(テモテヘの第二の手紙 3:16)けれど、聖書の言葉は全体的に神の言葉で成り立っているのではないとあなたがたは言います。これは一体何のことですか。
19
主イエスはすでに全能神として再来なさり、人々が清めを得て救われることを可能にする真理のすべてを表し、神の家から始まる裁きの働きを現在行っておられるとあなたがたは証を立てていますが、私たちはこれを受け入れません。神の言葉や働きはすべて聖書に記録されており、聖書以外の他の言葉や働きはありえず、聖書に反したり聖書の域を超えたりするものは何であれ異端であると宗教界の牧師や長老たちが私たちに普段から教えているためです。私たちはこの問題について識別力がないので、説明してください。
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