全能神と主イエスは一人の神なのだろうか

2017年11月13日

人類がサタンによって堕落させられた時、神は人類救済の経営計画を開始した。神は人類を救うために三段階の働きを実行した。律法の時代にヤーウェ神は律法を発布し、人類の生活を導き、人々に神を崇拝することを教え、罪が何であるか教えた。しかし、律法の時代の最終段階が来ると、人類の堕落はいっそう深刻になり、人々はしばしば律法に違反し、ヤーウェに対し罪を犯した。彼らは律法を犯したため罪に定められ、処刑される危険に直面した。したがって、人類の要求に応えて、恵みの時代に神は肉となって、主イエスになった。主イエスは人類のために十字架につけられて、人を罪から贖い出し、人々が神の前に出て、神に祈り、告白して悔い改め、罪を赦され、神の豊かな恵みと祝福のもとで暮らせるようにした。しかし、人々の罪深い本性はまだ解消されておらず、しばしば罪を犯し、神に反抗したので、神の国の時代に神は再度肉となり、全能神の名を使い、主イエスの贖いの働きを基礎にして人類の救いと清めのためにすべての真理を示し、人類の罪深い本性を取り除き、人類の神への不服従や反抗をやめさせ、人々が本当に神に従い、崇拝できるようにし、最終的に人類を美しい終着点に導く。神が律法の時代、恵みの時代、神の国の時代に行なった働きは異なっており、神が選んだ名前と神が示した性質も異なっていたが、その働きの本質と目的は同じである。つまり、すべては人類を救うためであり、すべての働きは神自身によって行われる。全能神が次のように言った通りである。「ヤーウェの働きからイエスの働きに至るまで、イエスの働きからこの現段階の働きに至るまで、これら三段階は神の経営全体を隙間なく覆うものであり、またそのすべてが一つの霊による働きである。創世以来、神は常に人類の経営にいそしんできた。神は初めにして終わりであり、最初にして最後であり、時代を始める存在にして時代を終わらせる存在である。異なる時代、異なる場所における三段階の働きは、間違いなく一つの霊の働きである。これら三段階を切り離す者はみな神に敵対している(『神の出現と働き』「神の働きのビジョン〔3〕」〔『言葉』第1巻〕)

何千年もの間、主イエス・キリストが神自身であること、主イエスは神の現れであり、肉となった神であることを本当に知っている人はほとんどいない。実際、聖書はこのことをずっと以前にはっきりと預言していた。主イエスは言われました。「わたしを見た者は、父を見たのである(ヨハネによる福音書 14:9)。「父がわたしにおり、また、わたしが父におる(ヨハネによる福音書 10:38)。「わたしと父とは一つである(ヨハネによる福音書 10:30)。主イエスが「わたしと父とは一つである」と語った時、イエスはヤーウェと自分が一つの霊であると語ったのだ。主イエスが発した言葉とヤーウェが発した言葉は同じである。どちらも真理であり、一つの霊から出された語りかけであり、源は同じである。すなわち、主イエスとヤーウェは一つの神である。同様に、終わりの日の全能神が述べた言葉と主イエスの述べた言葉の源も同じであり、それらは聖霊の語りかけであり、真理であり、神の声である。主を信じる人々は皆、聖書の預言のかなりの部分は主イエスの再臨と終わりの日の神の裁きの働きに関係していることを知っている。主イエスが次のように語った通りである。「そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである(ヨハネによる福音書 14:3)。「見よ、わたしはすぐに来る(ヨハネの黙示録 22:12)。「そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう(ルカによる福音書 21:27)。「見よ、わたしは盗人のように来る」(ヨハネの黙示録 16:15)。「わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう(ヨハネによる福音書 12:48)。ペテロの第一の手紙でもこう書かれている。「さばきが神の家から始められる時がきた(ペテロの第一の手紙 4:17)。これらの聖書の言葉には、主イエスは終わりの日に戻り、言葉を述べ、裁きの働きを行うと非常にはっきりと書かれている。全能神は終わりの日にやって来ると、主イエスの贖いの働きを基礎にして、神の家から始まる裁きの働きを行い、人類の清めと救いのためにすべての真理を述べる。全能神の働きと主イエスの働きは異なっているが、源は同じ、すなわち、一つの神である。これは主イエスの預言を完全に成就している。「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう(ヨハネによる福音書 16:12-13)。肉となった終わりの日の全能神は真理の霊の化身である。全能神は主イエスの再臨である。

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

全能神教会は受肉した神を信じると言われるのはなぜか

キリスト教の世界二大教派であるプロテスタントとカトリックは、いずれも主イエスを信じ、主イエスが受肉した神であると認めています。主イエスは外見上はごく一般的な普通の人の子に見えましたが、神性の本質を備えていました。真理を表して人に悔い改めの道を授け、人類のために十字架にかけられ、贖…

全能神教会の基本的信条

(1)全能神教会の教義 キリスト教の教義は聖書が起源であり、全能神教会の教義は創造の時以来、律法の時代、恵みの時代、神の国の時代に神が表したすべての真理が起源である。すなわち、新・旧約聖書、そして終わりの日の戻ってきた主イエス、全能神が表した『言葉は肉において現れる』という神の国…

なぜ東方閃電の急伸展の勢いは止まらないのか

主イエスは「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタイによる福音書 24:27)と仰せられました。東方閃電─終わりの日のキリスト・全能神─がその働きを行うために中国に出現されて以来、全能神の御国の福音はたった10数年の間に中国本土全体に広が…

『言葉は肉において現れる』は神の発言集だとなぜ言うのか

聖書を見ると、神の霊が直接語った言葉であれ、預言者を通して伝えられたものであれ、主イエスの姿において受肉した神が語ったものであれ、すべて神の発言であることが誰にでもわかります。人は神の言葉にその権威と力を感じ、言葉がすべて真理だと感じ取ることができます。それは否定することはできま…