神を再び磔にする者は災いである

2017年8月5日

終わりの日において、神は御働きを行なわれるために中国で受肉され、数百万語の御言葉を表され、御言葉によりある集団を征服し救われ、神の家を皮切りに新たに裁きの時代の幕開けをもたらされました。現在、終わりの日における神の御働きの拡大は、中国本土において絶頂期に達しています。カトリック教会とその他のキリスト教派や分派で真理を追求する人々の殆どが、神の王座の御前へと戻っています。受肉した神は聖書で預言されている「人の子の隠れた降臨」の御働きを既に完了され、まもなく世界各国の各地において公に出現されるでしょう。世界各国の各地で神の御出現を渇望している人々は皆、神の公の御出現を見上げるでしょう。神の御国を侵害したり破壊したり出来る勢力は存在せず、神を拒む者全てが、神の怒りにより罰せられるでしょう。これは神の次の御言葉にあるとおりです。「わたしの国は全宇宙の上に形を取り始め、わたしの玉座は何億もの人々の心の中を統治する。天使たちの助けを借りて、わたしの偉業はまもなく実現されるだろう。わたしの子供たちとわたしの民は皆わたしが戻るのを息を殺して待ち、彼らが二度とばらばらにならないように再び結びつけることを強く望んでいる。わたしの国の多くの民衆が、わたしが彼らと共にいるのを喜んで、互いに駆け寄らずにはいられないだろう。これは対価を支払う必要のない再会なのだろうか。わたしはすべての人の目に尊敬に値する者として映り、すべての人の言葉によって宣言される。わたしが戻る時、わたしはすべての敵の力をさらに征服する。時は来た。わたしは自分の働きを始動させるだろう。わたしは人々の王として支配するだろう。わたしは今まさに戻る。そしてわたしは今や出発する。これはすべての人が望んでいること、彼らが希望することである。わたしは全人類にわたしの日の到来を見させよう。そして彼らにわたしの日の到来を喜びをもって歓迎させよう。」(『言葉は肉において現れる』の「二十七章」より)「わたしの愛する者はみな、必ず永遠に生き、わたしに敵対する者はみな、必ず永遠に刑罰を受ける。わたしはねたみ深い神だから、わたしは人間の行いを軽々しく赦さない。わたしは地上すべてを観察し、世界の東に義と威厳、怒り、刑罰をもって現れ、すべての人間たちにわたしを現す。」(『言葉は肉において現れる』の「二十六章」より)

神の驚くべき御働きは反キリスト、偽預言者、人の心を惑わす者を全て既に暴いています。それはまた神の恵みとパンで空腹を満たすことのみを求める偽信者も既に暴いています。神の裁きの御言葉は、人間の心と霊を貫く鋭い諸刃の剣のようで、咎められることを嫌う者や純粋な言葉を忌み嫌う者、真理を愛さない者に自らの真の素性をさらけ出させています。

神が御働きのために隠れて来られた際に表わされた御言葉には、人間の神に対する抵抗や反逆の真理が見て取れますが、それはおもに以下の三側面において表れます。

1.人間が往々にして罪を犯し、神に抵抗し、反逆するのは、ひとえにサタンが人間を堕落させた後、人間の本性がサタンの様々な毒に取り憑かれ、神に抵抗し、反逆する本性へと変化しているからです。したがって、人間は毎日罪を犯し、しばしばその罪を告白しますが、依然としてサタンのような本性の束縛から解放されることが出来ません。神に反逆する人間の本性は、人間の罪の根源です。

2.人間はサタンにより重篤に堕落させられています。人間の心はサタンの哲学、生活規則、思考方法のみで満たされているため、人間は神の御言葉が真理であることを理解することも知ることも出来なくなっています。聖霊の啓き照らし無しでは、人間は真理を受け入れられません。堕落した人間が神を信じても、単に神の存在を認めるだけであり、神が真理であられることを認めません。それゆえに、堕落した人間は往々にして神を非難し、攻撃し、抵抗し、反逆します。

3.人間はサタンにより過度に堕落させられています。神の裁きと刑罰や、受肉された神の救いの御働き無くしては、長年にわたり神を信仰している人でさえも神を知ることはありません。そのような人は、自らの神への信仰において神の恵みを享受し、神が実在することを認めることしか出来ません。神を真に知ることが出来ないのです。宗教的な教義と観念で満たされるだけで、ますます傲慢で独善的になり、さらには大胆にも神を非難し、罵倒し、神の御働きを冒涜するようになります。これは何ら新しいことではなく、宗教界で頻繁に起こっています。これについて人々は大いに反省する必要があります。またこれは主イエス様の次の御言葉を完全に成就しています。「わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。その日には、多くの者が、わたしにむかって『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって預言したではありませんか。また、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、わたしは彼らにはっきり、こう言おう、『あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ』。」(マタイによる福音書7章21―23節)私達は皆、宗教界には主の御名のもとに働きながらも、終わりの日における神の御働きを拒否し、非難する人があまりに多くいることをはっきりと目撃してきました。神を信じつつ、神がいることを認めるだけで、神が真理であられることを知らない人々は、神を拒み、攻撃し、冒涜しやすくなります。このような人々はある程度聖書と教義の知識があるために、自分が真理を備え、神を知っていると考えます。さらには聖霊の御働きを冒涜したり、受肉されたキリストに対抗することすらあります。彼らを待っているのは、神の義と威厳と怒りに満ちた裁きと懲罰だけです。神が公に登場される日に全てが明らかにされるでしょう。

各地で福音を説教している人々から、かつて全能神の御働きに抵抗したり、人々が全能神を受け入れるのを阻害したり妨害したりした者の多くが懲罰を受け、様々な程度の呪いを受けたとひんぱんに聞きました。それは私達の福音の働きを動機付ける好ましい役割をある程度果たしていると言えます。そうした情報を聞いて、私達は神の義を讃え、それにも増して私達の祈りを聞いて頂いていることを神に感謝せずにはいられませんでした。さらに、神への畏敬と敬愛の念が私達の心に自然に生まれました。神は、自らの羊を見捨てられることが無く、いわんや邪悪を行い神を拒む者を見逃されることなどありません。神はどこにでもいらっしゃり、全能で、神の御働きが敵対勢力により妨害されることはありえません。神は邪悪なものが懲罰をうけた事例を幾つも私達に示されました。これは私達一人ひとりへの無言の警告でもあると考えます。それゆえ、私達は懲罰を受けた人々の数多くの事例をまとめました。その範囲はカトリック教会その他の教派・宗派を網羅しています。期間は僅かに1993年から2002年までですが、地域的には二十四の省と市に及びます。全能神に抵抗して懲罰を受けた人々の事例を合計一万件以上を収集し、その中から八百七十件以上の典型的事例を選択しました。あらゆる人が教訓(全能神への抵抗したことへの懲罰の典型的事例)を得るには、これらの事例だけで十分です。

こうした神を拒んで懲罰を受けた者の衝撃的事例から、神への抵抗が比較的激烈であった人々の主要な類型を次の通り特定しました。

第一類型  この類型の人々は、聖霊の御働きを知らず、識別することができなかったことが原因で、他人に欺されたり、たちの悪い官公吏に奴隷とされました。その結果、他人や官公吏に従って邪悪を行い、そうした者の言葉を復唱して、神に抵抗する言葉を数多く述べ、邪悪を行い、人々が神の御働きを受け入れるのを阻止しました。神はこの類型の人々に対して軽い懲罰を与えられただけで、命を奪われることはありませんでした。奇妙な病を患ったり、事故に遭ったり、家族に災いがあった人もいました。神はこの種の人々に対して悔い改める機会を授けました。もちろん、特に強情で、懲罰を受けても目覚めない者もいました。そうした者は邪悪を続行し、それゆえに切り捨てられました。

第二類型  この類型の人々の殆どが、さまざまな教派・分派の指導者です。これらの人々は、自らの地位と神との間で選択に迫られました。彼らは自らの地位のために真の道を捨て、故意に神の御働きに抵抗し、自らの手中にある人々を支配しました。自らの地位がもたらす恩恵を永遠に享受するために、人々を欺して罠にかけました。どうやら自分の支配下にある人々を失うと自らの地位も失うようで、その地位無しでは生きていけないのです。それゆえ、神の羊を自分の羊であると主張し、神の選民をめぐって全力で神と競い合いました。典型的反キリストです。彼らが仕えたのは自らの地位と生計です。その心は冷酷になる一方でした。彼らは神の恵みを享受しながら、神の選民を支配することも望み、選民に与えられるべき選択の自由すら与えませんでした。まさしくこれらの人々こそが、主イエスが預言された悪い僕です。神はこれらの人々にも、その行動に応じて様々な程度の懲罰を与えられ、悔い改めの機会も授けました。しかし、抵抗を更に強め、悔い改めるよりも死ぬことを望んだ者も何人かいました。それゆえに神は彼らの命を絶えさせました。懲罰を受けた後に自制したり、邪悪な行いを止めた者について、神は命を奪われず、彼らの悔い改めを未だに待っておられます。

第三類型  この類型の人々は、以前は悪霊に取り憑かれていたか、場合によっては悪霊に頼って超自然的能力を発揮しました。これらの人々は自らの中の悪霊による業を信じているものの、聖霊の御働きについては全く知識がありませんでした。その結果、神の新たな御働きについて説教を聞いた時、悪霊が彼らの中で激しい反抗を生じました。この類型の人々は聖霊の御働きに対して特に敵対的で、神が表された真理を何よりも忌み嫌いました。あらゆる教派・分派において、彼らが神に反抗する声は最も大きく、その行為は最も邪悪であり、神に対する反抗は最も凶暴で熱狂的でした。彼らは悪霊の道具であり、神の敵であり、サタンの一味であり、したがって皆最後には呪われ、地獄へ送られ、滅ぼされました。

第四類型  懲罰を受けた者のうち、この類型の人々は三自教会に育てられた組織の中枢であった人々です。こうした人々は特に共産党に仕え、命を捧げており、神を真に信じる者全てと敵対関係にありました。国家権力に支えられ、政府の道具となりながら、神に真に付き従って神の証しに立つ人々を迫害しました。共産党から与えられた「飯茶碗」を持ち、共産党に代わり発言し、共産党に命を捧げ、宗教界において共産党の代弁者となりました。共産党こそが彼らの事実上の主人でした。彼らは殆どの場所において教会の指導者としての地位にあり、自らの手中にある無知な信者達を支配しました。神に抵抗する悪魔以外の何者でもありませんでした。まさにキリスト教を不信者でした。一時的に猛威を振るいましたが、呪われて滅ぼされました。

このようなカトリック教会や様々なキリスト教の教派・分派の著名人達は、全て神の懲罰を受け、その上呪われて死にました。なぜなら、神の御働きを非難し、神の旨が行われるのを阻止したからです。これは人々が熟考するべきことではないでしょうか。彼らが拒んだのが神であられなかったとしたら、一体誰が彼らを罰し命を奪うことが出来たでしょうか。彼らが真に神のものであったならば、一体誰に彼らの命を神の御手から奪う力があるでしょうか。神が義であられることを認めないというのでしょうか。

これら四類型の人々とその行動の事例から、そうした人々はその本性において真理を好まなかったことが明瞭に理解できます。彼らは、裁きと刑罰により人間を救い変化させる神の御働きに対して敵意のある姿勢を取り、人間の本性を暴き人間の魂を貫く神の御言葉を極度に忌み嫌い、さらには神の降臨が自らの楽しい夢を妨げたるかのように激怒しました。こうして、神に対して不平を言う彼らの心と神に反逆する彼らの本性が完全に暴かれました。さらに彼らは不謹慎にも神を非難し、冒涜し、抵抗し、圧倒するような傲慢さに満ちていました。二千年前に主イエスを迫害したパリサイ人よりも遙かに邪悪でした。彼らは自らの邪悪な行いのために、最後には懲罰を受け、呪われました。そうした人々の多くが、神の御性質は確かに侵害してはならないということを死が訪れた時になって初めて認識しました。しかし、彼らは闇ですすり泣き、歯ぎしりするほか為す術がありませんでした。事実がキリストを再び十字架に張り付ける者は滅ぼされるということを証明しました。

全能神は以下のように述べられました。神の国は人間たちの間で拡大する。神の国は人間たちのただ中で形作られている。神の国は人間たちのただ中に建てられている。どんな力もわたしの国を破壊できない。今日、国にいるわたしの民のうち、誰が人間たちの中にあって、人間ではないのだろうか。あなたがたの誰が、人間である状態の外にあるのか。わたしの新たな出発点がもろもろの者たちに告げられたとき、人々は、どのように反応するだろう。あなたがたは、その目で人類の有様を見てきた。まことに、いまだ、この世界で永遠に存在を続けようという希望は抱いていまい。わたしは今、わが民の間を歩き回り、わが民の中で生きている。今日、わたしに本物の愛情をもっている人々は幸いである。わたしに服従する者は幸いである。その人たちは必ずや、わたしの国にとどまる。わたしを知る者は幸いである。その人たちは、必ずや、わたしの国で権力を持つであろう。わたしを追い求める者は幸いである。その人たちは必ずやサタンの縛めを逃れ、わたしの祝福を享受するだろう。自らに背くことのできる者は幸いである。その人たちは、必ずやわたしのものとなり、わたしの国の富を相続するであろう。わたしのために走り回る者を、わたしは覚え、わたしのために自ら持つものを費やす人を、わたしは喜んで抱こう。わたしに捧げ物をする人に、わたしは喜びとなるものを与えよう。わたしの言葉に喜びを見出す者を、わたしは祝福する。その人たちは必ずや、わたしの国の棟木を支える柱となる。その人たちは、必ずやわたしの家で何物も及ばない富を得、並びなき者となる。あなたがたは、与えられた祝福を受け入れたことがあるか。あなたがたは、自分に対して結ばれた約束を探し求めたことがあるか。あなたがたは、必ずや、わたしの光の導きの下、闇の力の拘束を打ち破るだろう。あなたがたは、絶対に、闇のただ中にあって、あなたがたを導く光を失いはしないだろう。あなたがたは、必ずや、すべての被造物の主人となる。あなたがたは、必ずや、サタンの前で勝利者となる。あなたがたは、必ずや、赤い大きな竜の国が滅びるとき、無数の者たちの中で立ち上がり、わたしの勝利を証しする。あなたがたは、必ずや、秦の国にあって、堅固で揺るぎないだろう。あなたがたの耐え忍んだ苦しみによって、あなたがたはわたしからの祝福を相続する。そして、必ずや、全宇宙においてわたしの栄光に輝くだろう。」(『言葉は肉において現れる』の「十九章」より)

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