なぜ東方閃電の急伸展の勢いは止まらないのか
主イエスは「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう」(マタイによる福音書 24:27)と仰せられました。東方閃電─終わりの日のキリスト・全能神─がその働きを行うために中国に出現されて以来、全能神の御国の福音はたった10数年の間に中国本土全体に広がりました。今や、それは西洋の多くの国や地域に広がり、様々な宗派を根底から震撼させ、世界中で波紋を呼んでいます。しかし、宗教界の指導者たちを最も悩ませる問題はこれです。宗教界の牧師や長老たちが、全力で東方閃電に反抗し、中傷し、非難し、彼らの教会を抑圧し、中共政府と共謀までして、全能神教会のキリスト教徒を逮捕し、迫害しているのに、良い人柄を持ち、主を真に信じる様々な宗派の信者は、なぜ次々に全能神を受け入れついて行くのか? サタンの勢力の両腕である中共政府と宗教界による必死の反抗と迫害を前にしながら、なぜ東方閃電は潰れも衰えもしない上に、逆に芽が雨の後に成長するように栄えて勢力を増し続け、妥協なく抑えようのないほど急伸展しているのか?
実のところ、その理由を探るのは難しくありません。この問題を検討する前に、まず主イエスの働きを見てみましょう。そうすれば自ずとその答えが見つかります。主イエスが現れ、その働きをなさった時、主はユダヤ人の祭司長、律法学者、パリサイ人たちの必死の反抗と非難に遭いました。彼らはローマの為政者と共謀してイエスを十字架につけさえして、虚しくも主イエスの働きを禁じようとしました。ではなぜ主イエスの福音はユダヤ全土に広がり、異邦人の耳にまで知れ渡ったのでしょうか? ローマの為政者は300年間、キリスト教徒を激しく迫害し、虐殺しました。ではなぜキリスト教徒の数は減少するどころか、逆にこの迫害を通して成長、発展し、ローマ帝国の隅々、そして世界中に広がったのでしょうか? それは、主イエスが肉に現れた神、神の出現であり、主イエスの働きと言葉が神の働きと御言葉からであり、それゆえに誰も主イエスの福音の広がりを止めることもなくすこともできなかったのです。聖書では「その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」(使徒行伝5:38-39)と言われています。つまり、神から来るものはすべて繁栄し、人から来るものは確実に衰退するのです。全能神の御言葉に、「わたしたちは、いかなる国家も勢力も神が果たそうと願うものの前に立ちはだかることはできないと信じている」(『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」〔『言葉』第1巻〕)とあります。同様に、もし東方閃電が唯一の真の神の出現と働きでなければ、宗教界や無神論の中共政府が次から次へと仕掛ける妨害や反抗や迫害を鉄壁の要塞のように突破することも、中国全土や世界の他の国々に急速に広がることもできたでしょうか? もしそれが聖霊の働きに導かれたのでなければ、「もろもろの民をこの山(主の家の山)に流れ」させ、全ての宗教を一つにする権威と力を持っているでしょうか? もしそれが神の出現と働きでなければ、様々な宗派の真の信仰者、良き羊や先導羊たちを征服し、強固な心で従わせるための真理を表し、裁きを下すことができたでしょうか? 以上の事実は、東方閃電が証しする終わりの日のキリスト・全能神が再臨した主イエスであり、確かに終わりの日に現れて働いた神であることを証明するのに十分である。それゆえに東方閃電は、中共政府と宗教界の必死の迫害と残酷な抑圧に直面しながら、誰にも止められない勢いで急伸展できるのです!
私たちは次の事柄にも注目すべきです。恵みの時代における弟子たちがユダヤ教にもローマの為政者にも激しく迫害されながら主に従うことができたのは、何よりも主イエスが非常に多くの真理を表し、天国の奥義を明らかされたからです。また、人々は主の言葉に神の御声を聞き、主イエスがキリストであり、来たるべきメシアであると認めたので、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです」(ヨハネによる福音書6:68)というペテロの言葉通り、固い決意で主に従い、主の証しを広めることができたのです。終わりの日に全能神は、人々が清めを得て救われることを可能にする真理を全て表し、神の家から始まる裁きの働きを行われました。これらの御言葉は聖霊が諸教会に言うことであり、それらは黙示録で預言されているように子羊に開かれた巻物と七つの封印です(黙示録5:2-10参照)。終わりの日のキリスト・全能神が数百万もの御言葉を発して明らかにされたのは、神の6000年の経営計画の全ての奥義、人類を救うための神の三段階の働きにおける目的、神の働きの各段階の背景と内幕と本質、聖書の内幕と神の受肉の奥義だけでなく、いかにサタンが人類を堕落させているか、いかに神が人類を救われるか、神がいかに裁きの働きをなさるか、人々がいかにそれぞれの種類によって分類されるか、人類の結末と終着点、そしてキリストの御国がいかに実現されるかといった数々の真理です。これらの御言葉は単に人々の目を楽しませ、人々の視野を広げるだけでなく、人々に神の働き、神の性質と本質を理解させてくれます。また、神の御言葉のおかげで、私たちは性質の変化を遂げることができ、清められるのです。そして正に神の御言葉には、私たち堕落した人々が救われ完全にされるために必要な真理を全て含まれています。神の羊は神の御声を聞くのであり、謙虚に従い神の出現を渇望する信者たちは、真の道を求め学ぶうちに、全能神の御言葉に徹底的に征服されました。彼らは、律法の時代、恵みの時代、そして神の国の時代という三段階の働きが一つの神の働きであると確信したのです。彼らは、神の真の働きと御言葉が比類のなきものであり、人類の考え出したいかなる理論や知識でも代用できないことが真にそして明確にわかったのです。神の御言葉は真理の表れであり、それらは受肉の全能神がまさに終わりの日に再臨した人の子であり、唯一の真の神の出現であることを確証しています。それゆえに、全ての人が全能神の前にひれ伏し、全能神を自分たちの父と認め、最後まで従うことを誓うのです。困難や苦難をもはや恐れず、全能神に従う真に信仰熱心な人々が増えているのはそのためです。
さらに、なぜ中共と宗教界の野蛮な迫害と残酷な抑圧の中でも東方閃電の進歩が止まることを知らないかを理解するための鍵は、神を知り神の働きを知ることです。全能神の働きを落ち着いた心で求め学び、全能神によって表された言葉を読み、神の6000年の経営計画全体における三段階を理解することができれば、終わりの日のキリスト・全能神がなされた裁きの働きが、律法の時代におけるヤーウェ神の働きと恵みの時代における主イエスの働きという土台の上に築かれたことが容易に分かります。そこには神の働きの以前の二段階との矛盾はなく、むしろ全ての段階は互いに補完し合い、それぞれに果たすべき役割があり、互いに密接につながっており、徐々に継続しています。働きの三つの段階は一つの神の働きです。ヤーウェ、イエス、全能神は一つの神、天、地、万物を創造した神ご自身です。
律法の時代を例に考えてみましょう。神は、人が罪とは何か、いかに神を崇拝すべきかを知るように、モーセを用いて神の律法と戒めを宣布して人の地上での生活を導かれました。律法の時代の後期になると、人類はサタンによってますます深く堕落してしまい、皆否応なしに罪を犯し続け、律法を守ることができずにいました。人類は、その罪が日々増長するにつれて、罪の供え物を捧げることが少なくなり、避けられない罪の罠に陥りました。次第に神に対する畏敬を失い、盲目で不具の家畜をヤーウェ神の聖なる祭壇に捧げるようにまでなったため、律法の呪いの下で死ぬ危険が迫りました。こうした事情を背景として、神が人を救うためには新たな段階の働きが必要となったのです。これは、創造主である神ご自身のみが、堕落し退廃した人類を救うことができるからであり、そのため神は肉となり、主イエスの姿をして現れ、恵みの時代の贖いの働きを始められたのです。神は人類の罪を背負って、人類のための罪の供え物として十字架にかかり、そうして人類の罪を永遠に免じられたのです。主イエスはその追随者たちに、人を赦し、寛容であれ、隣人を自分たちのように愛せよ、十字架を負って私について来なさいと教えられました。またパンを割けること、ぶどう酒を飲むこと、他人の足を洗うこと、自分の頭を覆うことを人々に教えられました。主イエスは人々に、より多くの真理を実践せよと仰せられ、律法の時代に求めていたことよりも多くのことを求め、人が新たな時代において進むべき方向性を与えられました。人々は主イエスを信じて、主に罪を告白して悔い改めている間は、主の十分な恵みを享受し主の贖いを得ることができました。主イエスは恵みの時代の働きをもたらし、2000年を超えた律法の時代を終えられました。それは律法の時代における神の働きという土台に基づいて行われた、より新しくより高次元の働きでした。
私たちは主を信じると、罪を赦され、信仰によって義とされ、救われますが、これは私たちが罪なしになったのではなく、神が私たちを罪人と見なされないことを意味します。それでも私たちは罪を犯すことが多く、絶え間ない罪と告白と悔い改めの悪循環に陥っています。私たちは実際には罪の縛りを破っていません。そしてしかるべき状況になると、私たちの傲慢さと己惚れ、名声と富を狙う心、よこしまさと欺瞞、嘘つきや狡猾さといった、堕落したサタン的な性質が否応なしにさらけ出されます。「なぜなら、善をしようとする意志は、自分にあるが、それをする力がないからである」(ローマ人への手紙 7:18)というパウロの言葉通り、私たちはどうしても罪を犯して主のお怒りに触れてしまうのです。明らかに、私たちは主イエスを信じ、罪を赦されても、完全に神のものになったわけではありません。それは、これらの罪の背後にある根本原因、すなわち神に反抗し裏切る私たちのサタン的な性質が解消されていないからです。このように、たとえ神が私たちの罪を覚えておられず、私たちをそれぞれの罪に従って扱っておられないとしても、私たちは肉の中に生きており、自分たちの罪深い本性を捨て去る術がありません。たとえ私たちの罪が1000回や10,000回赦され、恵みの時代がもう2000年続いたとしても、私たちは依然として罪を犯し、神に逆らって裏切るでしょうし、自分たちの罪深い本性の縛りを破れないでしょう。ですから、堕落した人類がサタンの影響から完全に救われるには、神にはより深く徹底的なもう一つの働きの段階を自ら行わって頂かなければなりません。その働きによって、人のサタン的な性質と罪深い本性を完全に解消され、人は完全にサタンの影響を捨てて、神のものになれるのです。それゆえに主イエスは再臨すると約束し、人のためにより完全な救いを用意すると預言されたのです。
事実、聖書には終わりの日における神の救いについての預言が含まれています。ペテロの第一の手紙第1章5節には、「あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである」とあります。この聖句では、主イエスに従う我々に、神は終わりの日の救いを用意してくださったと明らかにこう預言されています。では、この終わりの日の救いとは実際には何なのでしょうか? 聖書ではこう言われています。「さばきが神の家から始められる時がきた」(ペテロの第一の手紙 4:17)。「わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう」(ヨハネによる福音書 12:48)。「わたしは、もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音をたずさえてきて、大声で言った、『神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである』」(ヨハネの黙示録 14:6-7)。これらの聖句から私たちは、「永遠の福音」とは神の家から始まる裁きの働きを指し、神が人を裁き清めるためにつるぎのように鋭い言葉を用いられていることがわかります。これはまさに黙示録に記されている大きな白い玉座の前の裁きであり、それは羊をヤギから、小麦を毒麦から分け、それぞれをその種類ごとに分けて、人々の結末と終着点を定める働きです。全能神は仰せられます、「『裁き』という言葉を出せば、ヤーウェがあらゆる場所に向けて語った言葉、イエスがパリサイ人に語った非難の言葉をあなたはたぶん思い浮かべるであろう。それらの言葉の厳しさにもかかわらず、それらは神の人への裁きの言葉ではなく、様々な環境において、つまり異なる脈絡において、神が語った言葉にすぎなかった。それらの言葉は、終わりの日にキリストが人間を裁きつつ語る言葉とは違う。終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉はすべて人間の本質とその堕落した性質に向けられている。とくに、人間がいかに神をはねつけるかを明らかにする言葉は、人間がいかにサタンの化身であり、神に敵対する力であるかに関して語られる。神は裁きの働きを行うにあたって、少ない言葉で人間の本性を明らかにすることはない。むしろ長い期間にわたり、それをさらけ出し、取り扱い、刈り込む。このような方法のさらけ出し、取り扱い、刈り込みは通常の言葉が取って代わることはできず、人間が一切持ち合わせていない真理でなければ取って代われない。このような方法のみが裁きと呼ばれることができる。このような裁きを通してのみ人間は屈服し、徹底的に納得して神への服従に向かうようになり、さらに神についての真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、神の真の顔と人間自らの反抗的性質についての真相を人が認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し知るようになり、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである」(『神の出現と働き』「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」〔『言葉』第1巻〕)。私たちは神の御言葉から次の事柄が理解できます。終わりの日に、神は裁きの働きを行い、人類を裁き、清め、救う真理を全て表し、全ての人々に神の働き、性質、神であるものと神が持っておられるものをお知らせになります。そしてさらに神は、人がサタンによる堕落のために持っている堕落した性質の全てと、人の堕落の実態とを明らかにし、裁かれます。こうして人は神の御心をよりよく理解し、神についての真の認識を持つことができ、サタンによる人類堕落の原因と実質を真に理解できます。さらに、人は裁きの働きによって、終わりの日のキリストから授かった真理、道、いのちを真に得ることができます。こうして人の古い考えや性質が変わり、それらから人の罪深い本性が完全にぬぐい去られ、人は真理と人間性を持ち、真に神に従い、真の人間らしく生き、神の救いを完全に獲得し、神のものとなるのです。全能神の裁きの働きは、主イエスの贖いの働きという土台の上に築かれたより徹底的な救いであり、それはまた神の6000年にわたる経営計画を完了させる働きの最終段階、即ち人を征服し完全にする働きでもあります。これこそ神が私たちのために用意し、終わりの日に明らかにされた完全な救いなのです。
兄弟姉妹たちよ、今回の交流はここまでですが、これであなたがたは、なぜ東方閃電が中共政府と宗教界による執拗な迫害にもかかわらず、依然として誰にも止められない進歩を遂げているのかをある程度理解できたと私は信じます。それは、東方閃電が終わりの日における神の出現と働きだからです。全能神は救い主、即ち終わりの日のキリストの到来なのです。全能神の裁きの働きは、全ての真の信仰者たちが長い間待望してきた、終わりの日に現れる救いです。それゆえに、全能神の御国の福音は中国本土の至るところに急速に広がり、さらに世界のあらゆる国々に波及することができました。親愛なる兄弟姉妹たちよ、神の出現と働きを前に、あなたはどのような選択をするべきですか? 主イエスは言われた、「わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る」(ヨハネによる福音書 10:27)。分かっているならば、何を待っているのでしょうか?
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