私のいのちが幾許も事態に神はその御手で私を御救い下さりました

2023年7月4日

リン・ウー(日本)

神に救われなければ 今もさまよっていただろう

もがき罪に苦しんで 虚しく、望みもなく

神に救われなければ 悪魔に踏みにじられて

罪の快楽に溺れ 先のこと考えもせずに

全能神に救われ その言葉に清められ

罰と裁きにより 堕落した心も変わり

明かされた真理で 新たな生命下さり

目の前の神を見て 真実の愛を知る

ようやく気づいた 神の愛のお守り

神の声を聴いて 玉座へ引き上げられ

婚宴を楽しもう 完成され、清められ…

(『小羊に従って新しい歌を歌おう』より)

証し

私は、この讃美歌を耳にする度に、いつも深く感極まる思いになります。もし、この讃美歌が歌うように神から御救いいただいていなければ、私は依然として当ても無く世界中をさまよい、お金を追い掛けて疲れ果て、ずいぶん前に自分の命を失い異国の地で死んでいたかもしれません

私は80年代にごく普通の農家に生まれました。私の兄は幼い頃からいつも体調が悪く病気を患っていました。私の父は私が10歳の時、事故で怪我を負って、その後2年間は体がまひしていました。私の家計の状態は元々厳しく、父の治療で膨大な借金を抱えてしまいました。私達の友人と親戚は私達が借金の返済が出来るようにならない事を懸念して、私達にお金を貸そうとしてくれませんでした。私は、どうすることも出来ずに、16歳の時に学校を中退し実家を出て働くことを余儀なくされてしまいました。 深く静まり返った夜、私はよくこう思いました:“自分と同じ年の子供達は幼かった時、放課後になると自分が畑仕事をしている間自由に遊びまわっていたよな。でも今あの子達は自分と同じように大きく成長してからも未だ学校に通ってるし、親といる時は甘えん坊みたいに振る舞っているのに、自分は家族のサポートをするために若くして仕事を始めて、沢山しんどい思いをする羽目になるなんて…” 当時、私は自分の両親に何で私を生んだのか、何で私は苦しみながらあくせく働くためだけにこの世に生まれてきたのかと文句と言ったことがありました。しかし、私がこれに対して出来ることは何もなく、この現実を受け入れる他ありませんでした。当時、私は一生懸命働き、収入を得て、両親が快適に暮らせるようにして、他人から見下されないようにする事を何よりも望んでいました。

私は最初、民間のアルミ合金工業で働きました。私は児童労働者であったため、上司はいつも私の食事や住宅の事で面倒を見てくれました。1年が過ぎた後、私は自分の賃金は低すぎると感じ、誰もやりたがらなかった家具工場でのラッカースプレー作業に就く選択をしました。当時私は、どんな仕事でももっとお金を稼げるなら法に触れない範囲で働きました。私の目標は、また貧乏人の生活を送る羽目にならないよう金持ちになることでした。その後、親戚が仕事で海外に行ける機会を提供してくれる会社に私を紹介してくれたのです。私は数年後に海外に行けるなんて考えてもいませんでした。

2012年の春、私は日本に来て新生活を始め、自分の願いを叶えました。私は造船業界で、見習いとしてある企業と3年間の契約を結びました。仕事を始めた時、私はくたくたになり、大変な思いをしました。料理の仕方を知らなかった私はカップヌードルを1か月間食べ続けた後、吐き気がして食べれなくなったので料理を学ばざるを得なくなりました。私は芯が残った米を何日食べたか見当もつきません。 日本では、私達は外国人であったため、企業で働く作業員が不公平な扱いから逃れることは容易ではありませんでした。私達は企業から汚くて、しんどくて、危険な仕事をさせられていました。ラッカ―のスプレー作業をしていた時は、非常に怖い思いをしました。なぜからガスが火に触れると発火してしまい、一瞬でも目を離したら命が危ないからです。しかし、私生活で苦しんだり、職場が危険であったとしても、もっとお金を稼いで家族に仕送りをする事を考えたり、帰国してたら車と家を購入して、他人よりも上に行ってもう貧乏にならなくて済むことを考えるている内は当時の苦難はさほど大したことではないと感じました。そこで働きながらあっという間に3年が経ち、私のビザは有効期限が近づいていました。この企業には契約更新のポリシーがあったので、私はもっとお金を稼ごうと契約を更新して日本で働き続ける選択をしました。予想外に嬉しかったのは、契約を更新して直ぐに全能神の神の国に関する福音に巡り合うことが出来たことでした。

2015年9月、私が日本で知り合った友人が終わりの日における神の働きについて語ってくれたのです。彼女が神への信仰について話してくれていた時、私はこれは単なる信念の一種であり、興味深いことだとは思わず、神を信仰しても私の運命は変わらないと感じていました。そして直ぐに、私はこの友人に自分の考え方と今まで絶えてきた苦難について話した後、彼女にこう聞きました:“神を信じると運命を変えられるの?今まで沢山辛い経験をしてきたから、私は運が悪いんだよね。でも、お金があれば、辛くなくなるだろうから、今一番現実的なのはお金を稼ぐことなんだ。自分が神を信じることはないと思うよ。” 私がこう言ったのを聞いた友人は、神の御言葉のこの箇所を私に読んでくれたのです:「あなたがたが毎日どこへ行き、何をして、誰と会い、何を見て、何を言うか、あなたがたに何が起こるか、といった事柄を予測出来るであろうか。人間はそうした事柄の発生を予測することができず、ましてそれらがどのように展開してゆくかを予測することは出来ない。人生において、予期せぬ出来事は日常的に発生する。こうした日常的に起こる変化や、そうした変化の発生のしかた、発生後の展開形態は、何ら規則性無く発生する物事は無く、発生した物事の結果やその必然性は、人間の意志で変えられないということを、人類に対して継続的に喚起するものとなっている。あらゆる出来事は、人間に対する創造主の訓戒や、人間は自分自身の運命を支配できないという知らせを伝達すると同時に、自らの運命を掌握しようとする人間の大それた、そして無意味な野望や願望に対する反証でもある。こうした出来事は、人の耳元に何度も平手打ちを受けるように、人間に対して、誰が最終的に人間の運命を支配しているかを強制的に再検討させるものである。人間の野望や願望が繰り返し阻まれ、砕かれてゆくにつれ、結果として人間は、待ち受ける運命や、現実、天の意、そして創造主による統治を、無意識のうちに自然と受け入れる。こうした日常的な変化から全人生の運命に至るまで、創造主の計画や統治を明示しないものは無い。すなわち、『創造主の権威は超越不可能である』という知らせを伝えないもの、『創造主の権威は至高のものである』という恒久の真理を伝えないものは存在しない。」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 III.」〔『言葉』第2巻〕)これを聞いた後、私はこの御言葉はとても道理になかっていると感じ、更には自分が契約の更新が出来たことも、神が御用意して下さったものであるように考えずにはいられなくなりました。これには自分が生まれた家庭や自分の家族との生活は選択の余地がなかったのではないかとまで考えさせられました。私は、支配権を握る主権者がどこかにいるのではないかと感じました。

私の友人からは、『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 III.」(『言葉』第2巻)における神の御言葉も読むように促され、それには人が人生を通して経験する必要のあるこの6つの節目について書かれていました:節目1 出生:節目2 成長:節目3 独立:節目4 結婚:節目5 子孫:節目6 死。私は神の御言葉を読んで唖然としました。私は、神が人類の運命についてこれほど明確に語られているとは思ってもおらず、現実は正に神の御説明通りだったのです。一般的な環境において、人はその人生を通してこの6つの節目を経験することになるのです。私は世界中には苦しんでいる人達が沢山いて、自分だけではないという事について考えました。もし人々が自分の運命を選択することが出来て、それをコントロール出来たとしたら、皆が大きく豪華な家に住むことを選び、貧困や苦難で苦しむ人々が存在しているでしょうか?実際には、人がどの家庭に生まれるかを選択する余地などはなく、どんな両親を持つかを選択することも出来ないのです。大人になった後、どの旦那や妻と一緒になるかも私達次第で決まることはないのです。。。私はこれについて考えれば考えるほど、増々神の御言葉が現実的だと感じるようになり、それから全能神の御言葉を心の中で信じ始めたのです。運命は自分で変えられるものではないのです。それ以降、私は神への信仰に増々興味を持ち始め、神の存在を信じ、人の運命は人がコントロールし得るものではないと信じるようになったのです。しかし、神についてあまり知らなかった私は、神をとても遠い存在に感じました。しかし、私は、その後すぐの体験の中で “神は私のすぐ側で、私のことを見守って下さっており、保護して下さっておられる”と実感したのです。

ある雨降りの日、私はいつも通りに職場に着きましたが、まさか大惨事が自分を狙って忍び寄っているとは思いもしていませんでした。午前10時過ぎ、私が現場で勤務中に突然 “ドカーン” と鳴る音がしたのです。私は一体何が地面と衝突したのか分かりませんでしたが、恐怖のあまり体がひんやりゾクッと震えました。振り返ると見ると、直径40センチで長さ4メートル、重量が0.5トンもある鉄パイプがクレーンから落下していたので呆然としてしまいました。それは私が立っていた場所から0.5メートル以内の所で地面に落ちたのです。その瞬間、私はあまりの恐怖感で開いた口が塞がらず、ショックから落ち着きを取り戻すのにも時間がかかりました。私は心の中でこう続けて叫びました:“神様、有難うございます!神様、有難うございます!” もし神がそこで私のことを見守りながら保護して下さっておらなければ、あの鉄パイプは私に向って真っすぐ落下し、私の小さないのちは終わりを迎えていたことでしょう。

仕事が終わって、私が兄弟姉妹達にその日起こったことを話していた時、彼らはそれは神の御加護であったのだと言って話してくれたのです。彼らは私に全能神のこの御言葉も読んでくれました:「基本的に、長い人生の中では、誰もが数多くの危険な状況や誘惑に遭遇します。これは、あなたの傍らには、常にサタンが存在し、あなたを見据えているからです。サタンは、あなたが災害に見舞われたり、災難が降りかかったり、何事もうまくいかなかったりすることを喜び、また、あなたがサタンの罠にかかることを喜びます。しかるに神は、常にあなたを守り、次々起こる逆境や災難からあなたを守ります。これが、平安や喜び、祝福、身体の安全など、人間が持つものは、実際のところ全てが神の支配下にあり、神が各人の人生と運命を導き、決定する、とわたしが言う理由です。」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 I.」〔『言葉』第2巻〕) 私は神の御言葉を読んで、人々は毎日サタンの罠の中を生きており、残酷なまでに傷つけられているのだと理解しました。神による御見守りと御導きを受けていなければ、人々は随分前にサタンに飲み込まれていたことでしょう。長年の間、私は何度神に見守っていただいた事があったのかは不明ですが、今までずっと神のことを知らなければ、神を敬うことも知らなかったのです。私は本当に全く何の良心も持っていなかったのです。その瞬間から、私は神の御救いの恵みについてより深く理解出来るようになりました。私が今日まで生きてこれたのも、神の愛情こもった御手が私を御導き下さっていたおかげで、私は心からそれを神に感謝しました。また、私は今後、神に従うために自分が出来ること全てを行う決意をしました。それ以降、私は頻繁に兄弟姉妹達と一緒に集会に参加し、普通の教会生活へと移行し、私の生活に少しずつ変化が表れ始めました。すると私はもう以前のような切望、苦しみ、虚しさを感じなくなったのです。私達兄弟姉妹は共に神の御言葉を読んで交流し合い、神を讃える讃美歌を歌い、心に自由と解放感を感じながら霊的生活の中でお互いを助け合っていました。私を見下したり、貧乏人を軽蔑したり、金持ちの機嫌を取るような人はこの中に独りもおらず、私は威厳を以て生きて行ける気になりました。私は、この全能神教会の大きくて、温かくて、恵まれた家庭で暮らしていると、以前よりも大きな幸せと満たされた気分を味わうことが出来たのです。

ある日のこと、私の勤めていた会社にいたある日本人に事件が起きました。彼はその会社の永年勤続者で、既に10年を超える勤続経験を持っていました。彼は安全意識においても、テクノロジーにおいても非常に優秀な人でした。その日、彼は勤務中にリフトトラックを運転していたのですが、それを地上20メートルの位置に上げたまま他の作業をしていました。運転中に、彼は注意不足でトラックから液化ガスを自分に漏出させてしまったのです。同時に他の作業員が彼の上で溶接作業を行っており、突然火花が彼の服に落ち、漏出した液化ガスが火花と接触した瞬間、それが突然炎上して火事が起ってしまったのです。 多くの作業員達はこの年配の作業員がその場で炎に包まれるのをただ呆然と見つめる以外にどうしようもなく、何もしてあげる事が出来なかったのです。彼を助けられる人を探しに行くのは既に手遅れで、数分の内に彼は焼死してしまったのです。この悲劇を見て、多くの人が彼を気の毒に思いましたが、自分達の命について、“私達は結局何のために生きているんだ?”と考えずにはいられませんでした。こんな悲劇がすぐ側で起こった事を踏まえ、私は、神から離れて神の御見守りと御加護を失ってしまったら、人の命は常に保護されていない状態にあるのだと正しく理解出来たのです。人は災難の前では非常に小さな存在であり、容易に潰れてしまい、人の専門性がどれだけ優れていても、どれだけ金持ちであっても、自らを救うことは出来ないのです。

後に、私は神の御言葉のこの1節を読みました:「創造主による統治と定めのために、影形の無いものとして誕生した孤独な魂は、両親と家族を得、人類の一員となる機会、そして人間の生活を体験して世界を見る機会を得る。またその魂は、創造主による統治を経験する機会、創造主による創造の素晴らしさを知る機会、そして何よりも、神の権威を知り、その対象となる機会を得る。しかし大部分の者が、こうした稀少で束の間の機会を本当に掴むことは無い。人間は一生涯のエネルギーを運命に立ち向かうことに費やし、家族を養おうと必至で働き、富と地位の間を行き来して、全ての時間を費やす。人間が大切にするものは、家族、金銭、名声であり、人間はこれらを人生において最も価値の高いものとみなす。あらゆる人々が自分の運命に不満であるが、人間は何故生きているのか、人間はどう生きるべきか、人生の価値と意味は何であるか、という最も喫緊に検討して理解する必要のある問題を心の中で常に先送りする。人々は、その生涯が何年であるかを問わず、若さを失い白髪とシワが現れるまで、富と名声で人間の老化を止めることが出来ず、金銭で心の空虚感を埋められないことを悟るまで、そして出生、老化、疾病、死の法則の例外となる者や、待ち受ける運命から逃れられる者はいないことを悟るまで、一生涯を通して、せわしなく富と名声を追い求めるのみである。人間は、人生最後の節目に直面せざるを得なくなった時に初めて、巨額の財産があったとしても、特権のある高い地位にあったとしても、死を免れられる者はおらず、全ての者が元来の何も無い孤独な魂に還るということを理解する。」 (『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 III.」〔『言葉』第2巻〕) 私はこの神の御言葉を読んで深く動揺しました。人々の魂は神から来るもので、それは人類の世界に入り込むよう神によって運命付けられているのです。しかし、人々はそれでも神を信仰して敬おうとしないのです。彼らは創造主である神の権威を体験する機会を大切にせず、金、名誉、親族のためだけに生きることしか知らないのです。彼らは皆、自分達の運命の采配を振り払おうと精力的に走り回り多忙にしていますが、人々はこういったものを求めて一体何を手にすることが出来るのでしょうか?死が差し迫っている時に親戚、名誉、富の内いったい何が命を救ってくれるのかと、考えた事がある人はいるのでしょうか?私の年配の同僚の死について考えてみてください、これはこの事実を示す最良の実例だと言えないでしょうか?私が以前追い求めていた事を振り返ると、私も同じ事をしていたと言えないでしょうか?海外に出稼ぎに行った時、貧乏で恥をかきたくなかった私は、お金を稼いで人から高い評価を得るためなら汚くても、しんどくても、危険でも、仕事なら何でも引き受けていました。 私はありとあらゆる苦難を通ってきましたが、この生き方を変えようと思ったことは一度もありませんでした。私は同じ道をずっと歩み続けていたのです。心の中で、私は神の存在を知らず、人の運命は神の手中にあることも知りませんでした。私は自力で自分の運命を変えようとし、自分の人生において既に運命付けられている神の御計画と御采配から懸命に逃れようとしていたのです。私が歩んでいた道は没落に繋がる道だったのではないでしょうか?神の御救いを受けていなければ、また神の御見守りと御加護がなければ、わたしのちっぽけな命はとっくの昔にサタンにもぎ取られていたことでしょう。さらに言うと、私の人生がどうやって今ほどに充実感のある有意義なものになり得たでしょうか?この瞬間、私は、生きることの意味は富や名誉を求めたり、人から高い評価を受けるために他の人よりも出世することでもなく、むしろ神の存在の中に自ら入り込み、神を敬い、神の御救いを受けてサタンの害から抜け出すことなのだとやっと分かったのです。 このように考えれば考えるほど、私は増々深く感動してしまいます。私は、自分は神を信じることが出来ると言うこと、そして、これは神が特別な御恵みを以て私を御扱い下さったおられるということが分かるようになったのです。私は心に抱く神への感謝の意をどう表現してよいのか分からないので、代わりに“神に救われていなければ”という讃美歌を学んで、神への称賛を示し、全能神に私を御救い下さったことを感謝しました。

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