身勝手に働いた末の結果
2016年、教会指導者に選ばれたけど、最初のころは強いプレッシャーを感じた。真理を理解せず、洞察力もないから、兄弟姉妹が問題に見舞われても、交わりで助ける方法がわからない。本分の割り当てでも原則をどう考慮すべきかわからず、いつも神に祈って真理を求め、原則を把握しようとしたし、わからないことがあれば同労者に相談した。やがて、人や状況を見極める力がついてきて、各自の長所を基に適切な本分を兄弟姉妹に割り当てられるようになった。あるとき、一緒に働く兄弟から相談を受けた。福音班長のシア・チン姉妹が真剣に本分を尽くさず受け身で、働きを遅らせてると。そして解任するよう提案した。僕は思った。彼女は優れた素質を持ち、働きでも有能だ。多少堕落を見せたとしても、助けを受けて変化できれば、班長を任せても問題ない。そこでシア・チンの状態を暴いて分析し、刈り込みと取り扱いをした。何度か交わって、彼女の本分への態度が少し変わったのが見えた。より積極的になり、注意も怠らない。しばらくするともっと重要な本分に就いたよ。それで自分が誇らしくなり、こう考えた。「僕は正しい考え方ができる。彼女を解任せず、神の家の人材を育てられてよかった。識別力が多少ついたようだ」。その後は、その兄弟と任命や解任を話し合わなくなった。僕のほうが経験があるから、どんな問題も自分で処理できると。二年が過ぎ、教会の働きをますます上手く采配できるようになった。洞察力が優れてると思い、いっそう傲慢になっていったんだ。
当時は自分の状態が悪いことに気づかなかった。そんなある日、指導者から手紙が届いた。僕らの教会のチャン・チャーイー姉妹が、別の教会で本分を外され、戻ってくるらしい。集会に出てもらわないと。僕は思った。チャーイーとのやり取りで、彼女が傲慢で、偉そうに人を叱り、付き合いにくいのを見てきた。少しも変わってないはずだ。しばらくすると、大勢の新人が教会に加わり、潤し役が急に必要になった。するとパートナーのリウ・チェン兄弟が、チャーイーと集会に出たけど、彼女は解任後、自己認識して悔い改めたし、前に新人の潤しで成果を上げてると言って、働きを遅らせないよう自己反省させながら、彼女に潤しを任せようと提案した。それを聞いた瞬間、こう思った。それはまずいぞ。君はチャーイーのことを知らない。真理を追い求める人じゃないんだ。多少自己認識したと聞いただけで、悔い改めたと勘違いしてる。君には洞察力がないし、物事をまったく見抜けない。そこできっぱり言った。「僕はチャーイーを知ってる。傲慢で偉そうに人を見下しがちだし、協調することができない。それに、本当に自己認識して変わってなんかいない。だったら解任されなかったはずだ。彼女が適任とは思えない。任せちゃ駄目だ」。リウ・チェンは言った。「高望みはいけない。多少傲慢でも、解任を通じて本当に自己認識したし、自分の行ないを悔い改めた。今は謙虚に話し、みんなとうまくやっている。傲慢さが少し変わったんだ。正しく人に接しなきゃ」。それを聞いてイライラした。君はこの本分を始めたばかり。自分が何を言ってるかわかってない。僕に従えばいいんだ。そして語気を強めて言った。「チャーイーの状況ははっきりしてるだろう。軽率に人を判断してるわけじゃない。だがその本分には不適だし、潤しを任せられないことはわかる」。リウ・チェンが何も言わないから、僕は自分の意見を押し通した。
しばらくして、潤し役がいないせいで、一部の新人がすぐにサポート得られず、集会に出なくなった。事態を見に来た指導者は、リウ・チェンと一緒にチャーイーと話し、それが終わってリウ・チェンはこう言った。「神の家は潤し役を至急必要としてる。チャーイーは真に自己認識して、悔い改めて変わろうとしてる。解任されたが、そんなにひどいことはしてない。少し傲慢だっただけで、真理を受け入れ変われれば、育成しても問題ない。一時的な行為で永遠に決めつけるんじゃなく、悔い改める機会を与えないと。それについて話し合い、チャーイーに潤しを任せることにした」。彼がまたチャーイーを潤し役に推薦するのを聞いて、思った。「前回はっきりさせたはずだ。こんな短期間で変われるはずがない。僕は長く指導者を務め、人の見方を知っている。どうして言うことを聞かないんだ? そうすれば間違いないのに!」再び自分の意見を強調したけど、あくまで自分の考えにこだわるのを見た指導者が、厳しい口調で言った。「私たちはチャーイーのことをよく理解してる。彼女と話し、交わりを聞いた。反省して自己認識し、悔い改めて変わろうとしている。彼女に本分を任せ、悔い改める機会を与えるべき。過去の行為を基に人を決めつけては駄目。あなたは彼女が傲慢だと言うけど、傲慢な人は神の家で育成を許されないといつ決まったの? チャーイーは潤しに適任だし、今すぐそんな人が必要なの。あなたは自説にこだわってる。それは身勝手で独断専行じゃない? 教会での選任はあなたを通す必要があるし、あなたの承認がなければ本分を尽くせない。あなたは傲慢で自分勝手すぎる。自分の好きにすることで、神の家の働きを直接遅らせ、人材育成を邪魔してるのよ?」指導者のそんな取り扱いを聞いて動揺したが、同時に反感を覚えた。自分は経験豊富で人を見極めることができ、チャーイーについても間違ってるはずはない。けど、みんな反対なんだから、押し通すわけにはいかない。そこで渋々言った。「二人とも彼女が変わったと言うなら、潤しを任せましょう。駄目ならすぐ交代です」。
帰宅後、指導者に叱られたことを思い出し、不安になった。それが本当なら、僕は悪を行ない、神に逆らってるんじゃないか? これは重大だ。でも思った。じっくり考え、チャーイーに任せないことにしたんだ。なぜあんなことを言うんだ? 僕のどこが間違ってる? 探求しようと神に祈った。「神よ、この姉妹の批判をなかなか受け入れられません。どう自己認識すべきか、真理のどの側面に入るべきかわかりません。道をお示しください」。祈ったあと、この御言葉を読んだ。「『自分勝手で軽率』とはどういうことですか。それは問題に出くわしたとき、ただ自分がいいと思うように行動し、思考を巡らせることがなく、何らかの方法で探求することもないということです。他の人が何を言おうと、あなたの心に触れることも、あなたの考えを変えることもありません。真理について交わってもらっても、あなたはそれを受け入れることさえできず、自分の意見にこだわり、他の人が正しいことを言っても耳を貸さず、自分が正しいと信じて自分の考えに固執します。たとえあなたの考えが正しかったとしても、他の人の意見も考慮に入れるべきです。そうではありませんか。まったく考慮に入れないのであれば、極めて独善的だということではありませんか。極めて独善的で強情な人が真理を受け入れるのは簡単なことではありません。何か間違ったことをして、他の人に『あなたのやり方は真理に従っていない』と批判されると、あなたは『そうだとしても、わたしはこのやり方でするつもりだ』と答えます。そして何らかの理由を見つけ、それが正しいと相手に思わせようとします。相手が『こんな振る舞いは邪魔をすることで、教会の働きに害をもたらす』と言って叱責すると、あなたは耳を貸すどころか、ひたすら言い訳を並べます。『わたしはこれが正しい方法だと思う。だからこのやり方でするつもりだ』。これはどういった性質ですか。(傲慢さです。)これは傲慢さです。あなたは傲慢な本性のせいでわがままになります。傲慢な本性があると、誰の話も聞かず、自分勝手に、向こう見ずに振る舞います」(『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」〔『言葉』第3巻〕)。「神は一人ひとりをどう扱いますか。霊的背丈が未熟な人、若い人、あるいは神を信じるようになってまだ日が浅い人もいれば、本性と本質が悪くなく、悪意もなく、ただ少し無知だったり、素質に欠けていたりするだけの人もいます。あるいはあまりに多くの束縛を受け、いまだ真理を理解せずいのちに入っていないので、愚かなことをしたりばかげた行動に走ったりするのを免れないという人もいます。しかし、神は人の一時的な愚かさに固執せず、人の心だけを見ます。真理を追い求めると決意しているなら、その人は正しく、それがその人の目標ならば、神はその人を観察し、待ち、入れるようになる時間と機会を与えます。一度の過ちのために神が人を打ち殺すことはありません。人はそのように行動することがよくありますが、神は決して人をそのようには扱いません。神がそのように人を扱わないのであれば、なぜ人は他人をそのように扱うのですか。それはその人の堕落した性質を示していませんか。それがまさにその人の堕落した性質なのです。神が無知で愚かな人をどう扱うか、霊的背丈が未熟な人をどう扱うか、人間の堕落した性質が普通に表われているのをどう扱うか、悪意に満ちた人をどう扱うかをあなたはしっかり見なければなりません。神は異なる人々をそれぞれ違う方法で扱い、また異なる人々の無数の状態を扱う様々な方法もあります。あなたはこれらの真理を理解しなければなりません。いったんこの真理を理解すれば、物事をどのように経験すべきか、原則に沿って人を扱うにはどうすればよいかがわかります」(『終わりの日のキリスト講話集』「真理を得るには、近くの人や出来事や物事から学ばなければならない」〔『言葉』第3巻〕)。御言葉の暴きを基に、我が身を振り返った。自分には人を選ぶ経験があり、原則を把握してると思ってた。特に自分の選んだ人が本分で成果を出すと、識別力と鋭さがあると信じ込んだ。それを元手に自画自賛し、誰の意見も聞かない。リウ・チェンがチャーイーの状況を把握し、彼女は解任のあと本当に自己認識して、悔い改め変わろうとしてると言い、正しく接しろと促しても、僕は耳を貸さず、以前の見方を基に彼女のことを決めつけた。傲慢で真理を追い求めず、変わってないから、潤しの本分に不適だと。でも神はそう言ってないし、神の家もそうした采配はしない。真理のビジョンを理解し、潤しの本分で成果を上げられれば、育てて訓練してもいい。たとえ重大な過ちを犯しても、神の家は無条件に断罪しない。真理を受け入れ反省し、自分の過ちを悔いて変わる気があれば、神の家は引き続き育てて用いる。どんな堕落した性質を見せても、神の家の働きを邪魔することをしても、悪人や反キリストでない限り、本分を尽くして可能な限り学ぶ機会を神は授ける。これが神の愛と救いなんだ。僕は神の性質も、神の家で人に接する原則も理解してなかった。チャーイーの長所を見ず、彼女が過去に見せた堕落にこだわり、勝手に決めつけ、潤しの本分を任せようとしなかった。そのせいで新人をすぐに潤せず、神の家の働きを妨げた。それは悪事じゃないか? 後悔で一杯になり、御前で祈った。「神よ、私は傲慢で自惚れています。もう身勝手に本分を尽くしません。悔い改めて変わります」。
次の集会でチャーイーと一緒になり、彼女が自己反省と自己認識について話すのを聞いた。実際的な方法で悔い改めたのがわかった。ますます恥と自責の念を感じたよ。潤しの本分を引き受けたチャーイーは、真剣で責任を負い、彼女に潤された兄弟姉妹は進歩した。やがて複数の教会の潤し業務の責任者になったよ。彼女が立派に本分を尽くすのを見て、さらに恥ずかしくなった。自分の傲慢さや、勝手に決めつけたことを憎んだ。潤しを任せず、神の家の働きを遅らせたんだ。自分には真理も洞察力もないと気づいたよ。経験で得た方法や規則は知ってるけど、それに頼るだけじゃ教会の働きは無理だ。この一件のあと、僕は本分の割り当てをより慎重に行ない、我を通して自分が決めたいと思うと、必ず祈って自分を捨て、真理を実践し、みんなの意見を聞いた。
この実践に多少入ったと思ったけど、再び自分が暴き出される出来事が起きたんだ。半年後、教会の事務を担当していた教会員2人が家族に邪魔され、本分を尽くしに来られなくなった。急に代わりが必要になったから、僕は調べ、責任感が強く色んな状況に対処できる2人の姉妹を見つけたけど、安全面の危険があった。でも、2人はそれぞれの地元で本分を尽くすわけじゃない、任せても大丈夫なはずだと思った。教会は人手が要るし、これ以上の適任者はいない。だからしばらく2人を使い、適任者が来たら代えよう。チャオ・アイチェン姉妹に教会の事務を任せようとリウ・チェンに言うと、彼はこう返した。「人を選ぶときは原則に従わないと。安全面の危険があれば教会の働きはできないし、アイチェンが適任だとは思えない。原則に従わなきゃ」。彼が反対したから、僕はこう反論した。「でも今すぐ必要なんだぞ? 怯えすぎじゃないか? 彼女が信者なのは故郷でよく知られてる。でも警察に調べられてからもう何年も経ってるし、勇気と知恵がある。僕にはわかるんだ。今のところこれ以上の適任がいるとは思えない。10日以上経ってるのに、この本分を任せられる人がいない。本分で規則に盲従しちゃだめだ」。それを聞いたリウ・チェンは言い張った。「危険がある人に本分を任せるのは原則に反してる。安全を第一にしないと」。僕はそれを完全に無視して、アイチェンの起用にこだわった。その後、安全面の危険がある別の姉妹に連絡役を任せたんだが、程なく共産党が住民調査を装い、信者の捜査を始めた。アイチェンが信者なのは有名だから、借家への出入りで身分証を見せられず、疑われ監視対象になった。やがて彼女と連絡をとっていた事務担当者も監視対象になり、複数の教会の連絡網に影響が及んだ。20日以上も連絡が取れず、緊急業務が放置されたし、善後策のいくつかも処理できなかった。
その件を聞き、僕が安全面の危険がある人をあくまで選んだと知った指導者は、厳重に取り扱った。「また傲慢で身勝手になったわね。いつも自分勝手に本分を尽くし、原則に逆らう。今回は神の家の働きに重大な害が及んだわ。赤い大きな竜に手を貸したのよ。サタンの手先となり、神の家の働きを乱して破壊してるんじゃない? あなたの一貫した振る舞いを基に、本分から外すことにしたわ」。それを聞いて頭を殴られたような気がして、呆然とした。「終わりだ。僕はひどい悪事を犯した。巻き込まれた兄弟姉妹が逮捕されたらどうしよう? そうなれば僕は大悪を犯したことになる」。考えれば考えるほど不安になり、自責の念に苦しんだ。心を突き刺され、何をする気にもなれない。一日中こうしたみじめな状態で暮らし、何度も祈って過ちを認めた。「神よ、私は傲慢で自惚れすぎています。私の身勝手さのせいで神の家の働きに大きな害が及んだのです。どんな懲罰でも受け入れます。兄弟姉妹が逮捕されないよう、どうか守ってください」。その後、あの兄弟姉妹たちがすぐ移され、逮捕を逃れたと知って、ようやくほっとした。
それから自分を反省した。本分でいつも身勝手なのはなぜなんだ? その根源は何なんだ?『真理を追い求めることでのみ、性質の変化を成し遂げられる』の御言葉を読んだ。「心の中で真理を本当に理解していれば、どのように真理を実践して神に従うべきかがわかり、真理を追い求める道に自然と踏み出します。あなたの歩む道が正しい道で、神の旨に沿っているなら、聖霊の働きがあなたを離れることはありません。こうなれば、あなたが神を裏切る可能性は次第に小さくなります。真理がなければたやすく悪事を犯し、そうせずにはいられなくなります。たとえば、傲慢で自惚れた性質が自分にあれば、神に反抗しないように言われても意味はなく、どうしてもそうせずにはいられず、自制することができません。意図的にそうするのではなく、自分の傲慢で自惚れた本性に支配されてそうするのです。自分の傲慢さや自惚れのせいで神を見下し、神を無価値なものと見なすようになります。そして自分を賞揚し、常に自分を誇示し、他人を軽蔑するようになって、心の中には自分以外に誰もいなくなります。心の中に神の場所がなくなり、最後は神の場所に自分が座り、人が自分に従うことを要求し、自分で自分の思いや考え、観念を真理として崇めるようになります。傲慢で自惚れた本性に支配された人によって、かくも多くの悪事がなされているのです」(終わりの日のキリスト講話集〔『言葉』III〕)。御言葉でわかった。本分で何度も自分勝手に振る舞ったのは、傲慢で尊大な本性に支配されてたんだ。本性がそうだと、悪事を犯して神に逆らわずにはいられない。それに支配され、自分をあまりに高く評価して、他の誰より優れ、誰よりも正しいから、教会の件は僕が決めるべきだと思い込んだ。ひとたび決心すると他の見方をせず、誰の意見も聞かない。自分の考えが真理原則だとでもいうように、人を従わせようとしたほどだ。あの2人の姉妹には安全面の危険があり、本分を任すべきでないと、僕自身不安を抱いていても、自分を捨てて御旨を求めることができなかった。誰の警告も聞かず、聖霊の叱責と導きを無視し、意固地になって安全でない2人に任せ、神の家の働きに深刻な害を与えた。真理を求める気がほんの少しでもあって、リウ・チェンの意見を聞いていれば、こんなひどい結果にはならなかった。それに気づいて後悔と自責の念を強く感じ、自分の傲慢さと身勝手さを憎んだ。共産党は神の働きを破壊しようと、あの手この手で選民をひたすら圧迫し、逮捕してる。僕は勝手気ままに原則に反し、安全でない人に本分を任せ、そのせいで他の教会員も監視対象になった。間接的にサタンに仕え、共産党を助けて神の働きを破壊してたんじゃないか? 神の気遣いと加護がなければ、あの兄弟姉妹は逮捕され、投獄されてたはず。そうなれば大悪を犯したことになる。考えるほど怖くなった。教会の采配で僕は指導者になった。そこには、真理を実践して原則通り行動し、兄弟姉妹に適した地位を任せるという、神の御旨がある。そうすることでみんな長所を発揮し、善行を重ねられる。でも僕は、指導者の経験が多少ある自分は特別な存在だと思い込み、人のことを考えず、心に神がいなかった。神の家の真理原則を真剣に捉えず、好きなことをしたほどだ。理知をすっかり失うほど傲慢だった。教会から追放された反キリストのことが頭に浮かんだ。みな信じられないほど傲慢で、神を侮り、神の家の真理原則を無視した。本分でも自分勝手に独断専行し、神の家の働きを大いに乱して、最後は教会から追放されるほどの悪事を犯した。僕も傲慢な性質を解決しないと、遅かれ早かれ反キリストの道を歩み、神に淘汰される。当時は、傲慢な本性で生きるのが怖かった。僕はこんな大悪を犯したけど、神の家はそれでも僕を追放せず、本分から外しただけで、神も御言葉で啓いて導き、反省して自己認識し、悔い改めて変わる機会をくれた。神の愛を実感し、深く後悔して、悔い改めて変わろうと思った。その後は意識的に実践と入り方を探求し、自分を変えようとした。
この御言葉を読んだんだ。「そうであれば、どうすれば自分勝手で向こう見ずになることを解消できますか。例えば、あなたに何かが起きたとします。あなたには独自の考えや計画があります。何をすべきかを決定する前に、真理を求めなければならず、少なくともそれについて自分が考え、信じていることについてみんなと交わり、自分の考えや計画が正しく、真理に沿っているかどうかをみんなに尋ね、最終的な確認をしてもらうよう頼まなければなりません。これが自分勝手さと向こう見ずを解決する最善の方法です。まずは自分の見方に光を当て、真理を求めることができます。自分勝手さと向こう見ずを解決するにあたり、それがあなたの実践すべき第一歩です。次の一歩は、他の人が反対意見を述べたときです。何を実践すれば自分勝手で向こう見ずになるのを防げますか。まずは謙虚な態度をとり、自分が正しいと信じていることを脇にのけ、みんなが交われるようにしなさい。たとえ自分が正しいと信じていても、それを主張し続けてはいけません。それは一種の前進であり、真理を求めて自分を否定し、神の旨を満たす態度を示しています。いったんこの態度をもったなら、自分の意見に固執せず、祈り、神に向かって真理を求め、神の言葉の中に基盤を探すべきです。つまり、神の言葉にもとづいて行動の仕方を決めるのです。これが最適かつ最も正確な実践です。人が真理を求め、問題を取り上げてみんなで一緒に交わり、答えを求める時が、聖霊が啓きを授ける時です。神は原則に沿って人を啓き、あなたの態度を見定めます。あなたの見方が正しかろうが間違っていようが、頑固に主張し続けるなら、神はあなたから顔を隠し、あなたを無視します。神はあなたを行き詰まらせ、あなたを暴き、その醜い状態を明かします。一方、あなたの態度が正しく、自分のやり方にこだわるのでもなく、独善的でもなく、自分勝手でも軽率でもなく、真理を求めて受け入れようとする態度であり、皆とそれを交わるなら、聖霊はあなたがたの中で働きを始め、神はおそらく誰かの言葉を通して、あなたを導き理解させてくれるでしょう。時として、聖霊はあなたを啓くときに、ほんのいくつかの言葉や語句だけで、あるいは理知を与えることであなたを導き、問題の核心を理解させることがあります。そしてその瞬間、あなたは自分がこだわっていたものが何であれ間違っていたと気づき、そして同時に、もっとも適切な行動のし方を理解するのです。そのようなレベルに達したことで、あなたはもう悪事を働いたり、過ちの尻拭いをしたりすることがなくなったと言えるでしょうか。そのようなことは、どうやって成し遂げられるのでしょうか。これができるのは、神を畏れる心を持ち、服従の心で真理を求めた時だけです。ひとたび聖霊の啓きを受け、実践の原則を定めると、あなたの実践は真理と合致し、あなたは神の旨を満たせるようになります」(『終わりの日のキリスト講話集』「第三部」〔『言葉』第3巻〕)。これを読んで理解した。傲慢と身勝手を解決する上で何より大事なのは、神を畏れる心と真理を求める態度。何か起きたら自分の見方にこだわらず、みんなと話し合い、違う意見があれば、まずは受け入れ、神に祈って真理を求め、真理を実践すべきなんだ。みんなと協調するのが、神の導きを得る方法。あくまで自分の考えにこだわるなら、聖霊の働きは決して得られない。何も見通せず、本分を尽くしても邪魔になる。自分の悪事を振り返ると、傲慢な本性があり、心に神の場所がないせいだった。何事も自分が主人になろうとし、みんなと協力しないことが原因なんだ。これに気づいて決意した。何かあっても頑なにならず、もっとみんなと探求し、真理原則に合う考えには耳を傾けよう。
やがて、教会から潤しの班長を任された。深く感謝し、その本分を大事にしつつ、絶えず自分に言い聞かせた。失敗から学ばなきゃ駄目だ。傲慢な本性のせいで身勝手になってはいけない。問題があればみんなと話し合って探求する。ある日指導者から手紙が届いた。潤しの本分に適した人が必要だと。調べると、スー・シン姉妹が適任だと思ったけど、みんなの評価によれば、傲慢な本性があり、兄弟姉妹の指摘や支えを受け入れないらしい。それを見て、彼女は真理を受け入れず、育成すべき人じゃないと思った。でも、また勝手に決めつけてると気づき、御言葉を思い出した。「独断で決めつけないのであれば、それはその人が独善的でないことのしるしであり、自分の意見に固執しないのであれば、それはその人に理知があることのしるしです。服従することができるのであれば、その人は真理の実践を成し遂げています」(『終わりの日のキリスト講話集』「神への服従は、真理を得るための基本的な課程である」〔『言葉』第3巻〕)。また自分で決めようとするんじゃなく、パートナーの兄弟に相談し、意見を聞かないと。自分の考えを彼に説明すると、こう返事した。「この評価によれば、スー・シンが傲慢だとは思えないが、彼女が過去に見せた堕落が基になってる。自己認識したんだろうか? 人材を埋もれさせるべきじゃない。自己反省を書いてもらい、彼女に近い兄弟姉妹の意見を聞こう。それを見て、この本分に適任か判断しよう。それが妥当だと思う」。真理原則に沿った意見だと思った。数人の意見だけで育成に不適だと決めつけるのは性急すぎる。どんな傲慢さを持っているのか見てみないと。理知がなく、やたらと傲慢で、真理を絶対受け入れないなら、その本分は任せられない。素質があるけど多少傲慢で、刈り込みと取り扱いで自己認識して変われれば、それは正常な堕落だ。それに、そう言った人はみな彼女と過去に働いたことがある。いま接触してる人の意見を聞かないと。幅広い見方をしたほうが正確だ。スー・シンの自己反省と兄弟姉妹の評価を見て、彼女は実践と入りを多少遂げ、真理を追い求める人だとわかり、潤しの本分に推薦した。それ以降、特定の本分のために人を選ぶ必要があると、傲慢に好き勝手して、独断するんじゃなく、探求してみんなの意見を聞く態度を取り、祈って真理原則を求めてる。そう実践すると落ち着き、不安が消えた。この変化はひとえに、御言葉の裁きと刑罰のおかげだ。
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