サタンの教科書は私達の毒である

2017年12月21日

湖北省咸寧市 配合

私と私の主人は、若い頃十分に勉強せず、何の知識も持ち合わせていなかったため「厳しい肉体労働」で人生を過ごしてきたといつも思っていました。ですから、どれだけ大変で、どれだけ苦しむことになろうとも、息子と娘達には何かを成し遂げ、私達と同じ道を歩まなくて済むよう、学校に通わせる決意しました。この決意をもとに、私と私の主人は質素な食事と服装をし、コツコツと貯金し、長女を専門学校へ、長男を大学へと送り出しました。しかし、私達にはあと2人子供がいました。この子達を大学へ通わせるために、主人は一度に何年も出稼ぎに行き、私も朝から晩まで畑仕事をしたり、家で豚の世話をしたりして働きました。飼育場での仕事で疲労が極限に達する度、私はいっそのこと辞めてしまいたいと感じました。しかし競争の激しい最近の世の中や、もし子供達を学校へ通わせなかった場合、この子達は将来、私のように泥まみれになって働き、何も達成できず、人々から見下されること、そして大学の入学試験に合格しなければ良い仕事を見つけたり、役人になったりすることができず、何の成功も収められず、理想の将来を手にすることもできず、そして私達に栄光をもたらすこともできなくなると考えました。そのとたんに、この苦しみと疲労感は耐え抜く価値があるように思いました。そして、私は毎日、朝起きてからずっと忙しく働いていたので、神の御言葉を飲食したり、普通の霊的な生活を送ったりする時間がとれないことが頻繁にありました。教会で普段通りの生活をしたり、本分を尽くしたりするために充てられる時間はもっと少なくなりました。しかし、私はつい最近、神の交流でこれらの神の御言葉を耳にするまでは、何も考えず、ただ子供達のためにあくせく働き続けました。「人々はみな自分の子供が成功することを願います。有名大学に行き、高度な研究に従事し、学位を取得し、その後注目される存在となって社会でしっかりとした地盤を築くことを願います。人々はみなこのような観点で考え、『学問を研究することは他のあらゆる追求に優る』という格言の通りに、自分たちの子供が高等教育を続けることを望みます。さらに、この現代社会における競争は激化しています。大学の学位がなかったり、社会にしっかりとした地盤を築くことができなかったりすれば、将来生活を成り立たせることは困難です。これは誰もが考えであり、見方です。……けれども、そのような教育を受けることで、あなたの子供たちにどれくらい毒になるものとサタンの考えや理論を植え付けられてしまうかを考えたことがあるでしょうか。……ある日あなたの子供たちが帰ってきた時に、あなたが子供達に神を信じることについて話すと、子供たちは嫌悪感を示すことになります。真理について話すならば、あなたが愚かであると子供たちは笑い、あざ笑います。その時あなたは思うでしょう、「ああ、子供たちにあんな学校に行かせて教育を受けさせたのは間違えだった。道を誤ったが、悔やんでももう遅い。」……神が要求する見方や考え方を子供たちがそのまま受け入れるように、また、神が求めるような人になるようにと子供たちを神の前に連れてくる親は一人もいません。人々はそのようなことを進んでしようとなど思わず、自分から決してしようとはしません。もしそのようなことをすれば、子供たちは生計を立てることはできず、将来的に社会で生きていけないとは深く恐れます。このような考え方が表わすのは何でしょうか。人々は真理や神に対する関心、信頼、さらには真の信仰もないことを示しています。人々の心が見上げているのはやはりこの世界で、心の中で崇拝するのはこの世であり、この世界を捨てたならば生き残れないと考えるのです。……このような考え方や見方が神に敵対しており、神を裏切り拒絶することであると人々に知らせ、真理と相容れないことを人々に知らせるためです。」(『キリストの言葉の記録』の「己を知るには心の奥深くに根付いた考えと観点を知ることが必要」より)。神の御言葉1つ1つが私の心に深く響きました。私達は、子供達が大学に行くことを望んで、何年も悲惨な思いをしながら貯金したり、つらい肉体労働をして苦労したり、全てを注ぎ込んできました。でもなぜでしょうか。それは、私が「他のことを追求する価値は小さい。学業が何よりも大切なのだ」というサタンの言葉が生き抜くためのルールだと信じ込んでいたためです。サタンの毒に犯されていた私は、知識を得ることを最優先し、知識を持つ人のみが他から抜きん出て、成功を収め、将来を手にし、世の中で地位を獲得することができるのだと考えていました。学歴のない人々は軽蔑に値する下層階級に属し、最低な人間だと思っていました。だからこそ、子供達が世の中で成功を収め、「厳しい肉体労働」に追われるような生活を確実に避けられるよう、私は出来る限りのことをして子供達を学校に通わせ、高等教育を受けさせました。私は、何年もの間、この目標を心の中で何よりも優先し、その間、神の御言葉、私の本分、そして私自身が救われることを心の奥底に葬っていました。私はサタンの毒にひどく犯されていました!私がこれほどの犠牲を払ってまで子供達を学校に通わせた一番の理由は、私自身が若かった時に十分勉強していなかったことを悔やんでいたからです。だから、私が実現できなかった夢を代わりに果たしてほしく、子供達に希望を託しました。私は、何十年にも渡り、知識というたった1つのものだけを追い求めて努力し続け、それに気が付く事すらありませんでした。何年もの間、神に従い生きてきたにもかかわらず、私は依然として真理を得ておらず、私の観点にも何の変化も起きていませんでした。依然として私が崇拝するのは知識であり、サタンを渇望し、頼りにしているのです。私は未だに世俗的な傾向に流され、神に抵抗する不信者です!

神の御言葉で、サタンは勉強することの重要性を巧みに利用して人々を騙し、教育を受けさせ、サタンの毒と思想を心に受け入れさせているということも解りました。一旦この毒に犯された人々は、神を否定し、神に抵抗する無神論者の考えや虚偽に完全に支配されてしまいます。サタンはこのような形で人々を堕落させ、騙していきます。サタンの策略を見破ることができなかった私は、子供達をどのようにして神の前に導くか、どのようにして神の真理を受け止めさせるか、そしてどのようにして神の要件に従って生きさせるかということを全く考慮せず、期待を胸に子供達をサタンの教育に送り出し、悪の手に引き渡していたのです。最近、私の息子が名門大学を卒業しました。彼が実家に戻った際、多くの知識を学んできたはずの息子が完全に死の道を歩んでしまっていることが分かりました。私が神に対する信仰について話すと、息子はありとあらゆる科学知識と理論をひけらかして私に反論するのです。息子は、私は教養がなく、無知で、愚鈍であると言いました。詐欺に遭わないように気を付けて、迷信でなく、科学を信じるべきだとまで言いました。……私は後悔した時に初めて、高等教育を受けさせるために子供達を送り出したのは間違いだったと気付きました。現実を目にした私は世俗的な文化や知識は全て神の教えに反するものであり、真理とは正反対なものであることがやっと理解できました。これらはサタンが人々を堕落させ、支配するために用いる道具に過ぎません。人々は教育レベルが高ければ高いほど、より多くの知識を持ち、サタンの毒が心の中でさらに広がり、神からもっと離れ、神のより大きな敵となり、そして神のお救いを受けることがより困難となります。本を読めば読むほど、知識が増え、神に対する抵抗が深まると言っても過言ではないでしょう。知識はとても危険なものです!

神のお啓示により、「他のことを追求する価値は小さい。学業が何よりも大切なのだ」という言葉は、サタンによる虚偽であり、サタンが人々を欺き、誤解させ、堕落させるために利用する嘘の1つだと理解することができました。私はさらに、自分の子供達をサタンの学校に送り出すことは、自分の子供達を死の底や地獄の炎に突き飛ばしているのと同じことだったと理解することもできました。神よ、私はもうサタンの計略の手下として働きたくありません。私は真理を求め、私自身の間違った観点を改めたいと思っています。神の御言葉を私の存在の土台とし、私の下の子供二人が神のお救いを受け、なるべき人へと成長できるように、神の前にお連れしたいと思います。

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

反キリストの性質についてのささやかな認識

2021年、教会指導者に選ばれたけど、それからしばらく、潤しの働きで問題を抱えてたの。集会にちゃんと出て来ない潤し役がいて、来てもほとんど交わらない。どうしていいかわからず、指導者のルーシー姉妹にこの問題を話したの。ある日、彼女はマシュー兄弟という伝道師を私たちの集会グループに加…

報告すべきか、せざるべきか

全能神は言われます。「あなたがたは自らの運命のために神の承認を求めなければならない。つまり、自らが神の家の一員であることを認識している以上、あなたがたは神に心の平安をもたらさなければならず、万事において神を満足させなければならない。言い換えると、あなたがたは行いにおいて原則にかな…

本分が取引になった過程

2017年4月、血圧が高くなって、いったん本分をやめて静養するよう指導者に言われた。そんなの嫌と思ったわ。「神の働きが終わろうとしてる。今は本分を尽くして善行を重ねる大事なとき。本分がなければ、よき終着点と結末を得られない。長年の苦労と払った代価が無駄になるの?本分に専念するため…

正直であることには大きな幸福がある

私は生まれてこのかた、人と関わる際はいつも「他人に害を与えようなどと考えてはならないが、他人から害を受けないように警戒しなくてはならない」という言葉に従ってきました。他人を軽々しく信頼したことは一度もありません。相手の本当の意図を知らない状況であまりに早く手の内を見せてはならない…