聖霊の働きに従うことは非常に大切

2017年12月20日

少し前のことですが、私は自分と組んでいた姉妹が神の御言葉を飲み食いしている際に得た啓きを共有してくれたとき、常に何らかの刺激や恩恵を得ていました。同時に、彼女が見せびらかしているのではないかという感覚がつきまとっていました。「すぐに彼女の話に反応したら、迎合していることにならないか。そうしたら、彼女よりも低く見えないだろうか」と考えました。その結果、私は交流において自分の見解を言うことも、彼女が共有した考えに意見を述べることも拒むようになりました。ある時、その姉妹が神の御言葉のある一節を飲み食いして何らかの洞察を得てから、私たちの状況がどこかおかしいと感じ、御言葉のその節についてともに話し合ってみないかと私にたずねました。彼女がそう聞くやいなや、私の中の次のような考えと憤慨の気持ちが一気に表面に出て来ました。「あなたは自分の証を立てたくて、説教する相手がほしいだけだ。なぜ、私があなたと交わらなければならないのだ」彼女の話を聞かなくて済むよう、集会を欠席さえしました。それからしばらくして、心にずっしりとした重みを感じました。自分の状態がどこかおかしいことは分かっていましたが、この葛藤を解決する良い方法は思いつきませんでした。できたことは、自分の本分を尽くすことに専念し、神の御言葉を飲み食いし、賛美歌を歌うことで否定的な気持ちを紛らわせることだけでした。しかし、現在の状態に向き合わざるをえなくなると、いつも同じ堕落が心の中に湧き上がり、状況は良くなるばかりか悪化し、どうすれば良いか全く見当がつきませんでした。

二、三日後、私は交流中にこの姉妹と対立しました。姉妹は、「最近、あなたは交流の時とても静かで、ここのところ、何かが変に見えます」と言いました。グサッと来る一言でしたが、私は面目を失わないよう、「何も問題はない」と否定しました。この時、私には姉妹があまりにも傲慢に見えました。私自身の尊厳にまったく配慮しない話し方で、私を見下していると感じました。いつもの堕落した考えが一気に湧き上がりました。あがけばあがくほど、霊に暗い影が落ち、私は神から離れてしまいました。すっかり絶望した気持ちで神の前にひざまずき、現実の状態について啓いてくれるよう祈りました。祈っていると、神の御言葉が浮かんできました。「聖霊の働きを冗談事と捉える人たちはあさはかである。(『神の出現と働き』「神の三段階の働きを認識することは、神を認識する道である」〔『言葉』第1巻〕)その後、次の節も見つけました。「聖霊が働くのは神に用いられる特定の人々だけではなく、教会においてそれ以上に働く。聖霊はどんなところでも働くことができる。今はあなたの中で働いているが、あなたがその働きを経験すると、次は別の人の中で働くかもしれない。その場合、あなたは急いでついて来なければならない。今の光にしっかりついて来るなら、あなたのいのちは更に成長できる。どのような人間であれ、聖霊がその人の中で働いているなら、必ず従いなさい。その人の経験を自分の経験と重ねてそこから学びなさい。そうすれば、あなたは更に高尚なものを受けるであろう。そうすることで、あなたの進歩は更に速まる。これが人間が完全にされる道であり、いのちが成長する道である。完全にされる道には、聖霊の働きに従うことで到達する。あなたは、神がどのような人を通してあなたを完全にする働きをするかを知らず、どのような人、どのような出来事や物事を通してあなたを獲得し、あなたが識見を得るようにするかを知らない。あなたがこの正しい道を進むことができるのであれば、それはあなたには神によって完全にされる望みが大いにあるということを示している。もしあなたが正しい道を進むことができないのであれば、あなたの将来は暗く、光りがないということである。(『神の出現と働き』「真心で神に従う者は、必ずや神のものとされる」〔『言葉』第1巻〕)この節を読み、私はハッとしました。私はこれまでずっと聖霊の働きに抵抗していたのです。ここのところ、姉妹が神の御言葉を飲み食いすることでよく啓きを得ており、自分の本分と他人のいのちのために責任を負い、他人を喜んで支え、手助けしています。明らかに聖霊が彼女を通して働いています。私は聖霊の働きに従順になり、彼女の手助けを受け入れるべきでした。しかし、そうせずに、彼女が自慢している、自分がいかに他人より優れているかを証明したいだけだと考えたのです。その結果、私は、彼女の洞察を拒絶し、ともに交わることを拒みました。神はこの姉妹を通して私の状態を示し、私を助けようとしてくださいましたが、私がしたことは憤慨し、偏見を持ち、彼女を敵とみなすことだけでした。表面的には、これは私とこの姉妹との対立に過ぎないようにみえますが、実際には、私は自分を神と対抗させていたのです。私は聖霊の働きを拒絶し、抵抗していたのではないでしょうか。何と、傲慢で頑固だったのでしょう。自分の面目を保ち、地位を守るために、私は自分を脇にやってまで彼女の助けを受けることを拒絶し、しかも彼女の交流を拒絶し、避け、批判さえしたのです。理知と人間性のかけらも見られません。この時点で、私は自分が真に神への従順と神への畏れをもって生きてはいないことに気が付きました。真理を愛しておらず、姉妹の中の聖霊による貴重な働きが見えませんでした。それどころか、自分の個人的な地位や見栄を最優先させていました。面目を失うよりも、聖霊の働きを捨てるほうがよかったのです。私の行動は、真理の道を知りながら、自身の名声と地位を確保するために神に抵抗し、神を断罪した宗教指導者とどこが違うのでしょうか。この私も神が仰せられた、聖霊の働きを遊戯とみなす浅はかな者ではなかったでしょうか。思い返すと、聖霊は姉妹の中で働いていただけではなく、私を改善し、私の目を開かせ、その過程から何かを得ようとしていました。そのお返しに私は何をしたでしょう。私は傲慢で自惚れており、どんなときも神の恵みを拒絶していました。完全にされ、啓かれ、真理への洞察を更に得るための機会を私は何度逃したことか。何と愚かで、能無しだったのでしょう。

この瞬間、私は自分のこれまでのすべての行いに対し一層嫌悪と罪悪感を覚え、神様に次のように祈りました。「神よ、私は盲目で、愚かで、傲慢でした。あなたが私においてなさってくださった働きも、あなたの救いも決して受けるに値しません。神よ、私を導いて、啓き、私の無知と愚かさを示してくださりありがとうございました。お約束します。今後は、兄弟姉妹の誰が話していても、御言葉と御心に則して話している限り、私はこれについて行き、従い、受け入れていきます。なぜなら、これが私のいのちの成長への道であり、あなたの祝福の印だからです。私は一人の人間に対してではなく、あなたから来るすべての正の物事に従順であります。それはあなたの救いを受け入れる機会です。再び神に背いたり、反抗したりした時は、罰を与えてくださるようお願いします。」

上海市 小畏

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