責任感を持って本分を尽くすのは良心を持つこと
去年の7月、李姉妹に言われたの。チームリーダーを務めるチェン兄弟の振るまいが傲慢だって。話し合いのときも自分の意見を押しつけ、他の兄弟姉妹が合理的な提案をしても、聞かないし受け入れようともしない。それで動画関連の作業が遅れたそうなの。リー姉妹の話を聞いて、前にチェン兄弟と話したことを思い出した。本当に独善的で、我が道を進みたがる人。ふさわしくないと思えば、他人の意見なんて受け入れない。でも変わってないなんて気づかなかった。そのまま我が道を進むなら、チームリーダーにふさわしくない。それでリー姉妹に、わたしが引き受けるって言ったの。でも、こう思った。「動画関連の仕事はチャン姉妹が責任者。チームリーダーにふさわしいかどうか、仕事の進み具合はどうかを判断するのはわたしじゃない。それに首を突っ込みすぎれば、理知がないって思われる。チャン姉妹に任せよう。わたしは自分の福音の働きに時間と精力を注ぐべきよ」。それで、チャン姉妹にチェン兄弟の問題を伝え、彼の本分の尽くし方に気をつけてって言ったの。すると自分の責任を果たした気がして、この件はこれで終わりって思った。
しばらくして、動画作成がやっぱり遅いことに気がついた。そのとき、兄弟姉妹から言われたの。チェン兄弟は人の意見を聞かないだけでなく、本分でも無責任だって。困難があっても見て見ぬ振り。本分でも進展が見られない。そのとき思った。「彼みたいな人がチームリーダーなんてどういうこと? 別の誰かと交代させなきゃ」。チャン姉妹にもそう伝えたわ。でも数ヵ月後、他の兄弟姉妹からチェン兄弟の問題を報告されたの。今も傲慢で利己的だし、我が道を進んでるって。兄弟姉妹が意見しても、「そんなの問題じゃない」「自分には無理だ」と言って、その意見を拒むだけ。そのせいで兄弟姉妹は押さえこまれ、あえて意見しなくなった。動画制作も遅れてて、何度もやり直した動画もあるほど。それを聞いて、少しショックだった。こんなに時間が経っても、チェン兄弟の問題が解決してないなんて。そこですぐ、チャン姉妹にメッセージを送ったわ。その後、チームリーダーにふさわしくないとチャン姉妹が判断を下し、彼は解任された。
数日後、リー姉妹が来て、チェン兄弟の解任は遅すぎるって言った。何ヵ月も前にこの問題を報告したのに、今ごろ解任なんてどういうこと、って。急いで答えたわ。「わたしは直接の責任者じゃない。まずチャン姉妹に言う必要があったし、チェン兄弟を解任するかどうかは彼女次第。わたしが解任するわけにはいかないの。そんなことをしたら理知がないと思われる。責任者はあくまでチャン姉妹なの。彼と連絡もよくとっているし。チェン兄弟の問題は明らかだったから、彼女に何度か伝えたけど、なかなか解任しなかった。だから仕事の遅れは彼女の責任よ」って。あのときチャン姉妹に問題を報告したのは確かだけど、その後確かめなかったのはわたしのミス。言い終わると、リー姉妹は黙っちゃった。それを見て罪悪感を覚えたわ。チェン兄弟の問題にはっきり気づき、兄弟姉妹から報告を受けてたのに、それでも確かめなかった。本当に無責任だけど、あれこれ言い訳を考えて、責任をチャン姉妹に押しつけた。彼女のせいだってみんなに思わせようとしたの。動画制作の遅れも自分のせいじゃないって。本当に利己的でずるいわ。日々の出来事は神のお許しを得て起きてる。リー姉妹が相談した裏には神の御旨があった。だけどチェン兄弟が解任されても、わたしは教訓を求めず、反省もしなかった。自分の知らない堕落を表わしたのかしら、って思ったわ。そこで神に祈り、自己認識できるようお導きを求めたの。
デボーションのとき、反キリストの利己的な側面を暴く神の御言葉を読んで、自分の状態が少しわかった。神の御言葉にこうあります。「反キリストの利己心と卑劣さはどのように表れますか。彼らは自分の地位や評判に有利なことにおいては、必要なことは何であれ懸命に行なったり言ったりし、どんな苦難も喜んで耐えます。しかし、神の家が采配した働きや、神の選民のいのちの成長に有益な働きが関わっているとき、それを完全に無視します。たとえ悪人が邪魔し、干渉し、ありとあらゆる悪事を犯して教会の働きに深刻な影響を及ぼしていても、それは自分には無関係とでもいうように何の感情も見せず無関心なままです。また、悪人による邪悪な行為を誰かが見つけて報告しても、自分は何も見なかったと言い、一切知らない振りをします。……どのような働きを引き受けているかに関係なく、反キリストであるこの種の人は、神の家の利益を決して考慮しません。自分の利益が影響を受けるかどうかだけを考慮し、自分に益をもたらす目の前のささやかな働きのことを考えるだけです。彼らにとって教会の主要な働きは、暇な時間にすることに過ぎず、少しも真剣に捉えることはありません。おざなりに努力し、自分がしたいことしかせず、自分の地位と権力を維持する働きしか行ないません。彼らの目から見て、神の家が采配した働きや福音を広める働き、神の選民がいのちに入ることは重要ではないのです。他の人たちが働きにおいてどのような困難を抱えていようと、問題が見つかり報告されようと、その言葉がどれほど誠実であろうと、反キリストは注意を払わず、まるで自分には無関係であるように自ら関わろうとしません。教会の出来事がどれほど重大なことであろうと、まったく関心を持ちません。たとえ目の前に問題があっても、おざなりに対処するだけです。上層部から直接取り扱いを受け、問題を解決するよう命じられて初めて、本物の働きを少しだけ嫌々ながら行ない上層部に成果を示しますが、その後すぐ自分のことに戻ります。教会の働きや、教会を越える状況における重要事項に対しては、冷淡で無関心です。自分が見つけた問題さえも無視し、問題についてたずねられると、いい加減な返答をするか、相手をはねつけるようなことを言って、しぶしぶ問題に取り組むだけです。これは利己心と卑劣さの表れではありませんか」(『反キリストを暴く』より)。「兄弟姉妹がいるところ、そして神が働きを行なっているところ、そのような場所が神の家と呼ばれないことがどうしてあり得ますか。どのような点において、そのような場所は教会でないのですか。しかし反キリストは自分の影響範囲内のことしか考えず、その他の場所のことは考慮しません。たとえ問題を見つけても気にしません。なお悪いことに、何か問題が起きて損失が発生しても、それに注意を払いません。どうして無視するのかと問われると、荒唐無稽な誤謬を口にし、『自分に関わりのないことには意見を述べるな』と言います。そうした言葉は理知的に聞こえ、自分の行為の境界を把握し、表面的な問題は抱えていないように見えます。けれど、その本質は何ですか。それは、こうした人の利己的で卑劣な本性の表れです。彼らは自分のため、自分の名声や富や地位のためにしか物事を行ないません。まったく本分を尽くしていないのです。これは反キリストの人間性のもう一つの典型的な特徴です。彼らは利己的で卑劣なのです」(『反キリストを暴く』より)。御言葉を通じて気づいたの。反キリストは自分の評判を守ろうと、自分の仕事しかしない。どれだけ苦しむ必要があるか、どんな代価を払うかなんて気にしない。だから全体のことなんて考えないの。自分の責任じゃなく、利益も関わっていなければ、神の家の働きがどれほど害を受けても、真剣に捉えず、問題を解決しようとしない。反キリストは利己的で卑劣。良心なんかないのよ。大事なのは自分の評判と地位だけで、神の家の利益なんてどうでもいい。わたしも同じだって気づいた。動画の仕事はわたしの責任じゃないと思って、チェン兄弟の問題を報告されても、解決すると約束しながら、チェン姉妹に伝えて解決を任せるだけだった。チェン兄弟が転属になるか、解任されるかの段階になっても、わたしは確かめず、無関心だった。作業の成果が上がらないときも、チャン姉妹にメッセージを送るだけで、成果が上がらないことを心配してはいなかった。でも振り返ると、自分が担当する福音の働きには熱心だった。兄弟姉妹の状態に気を配り、福音伝道で問題や困難を抱えていないか気にしてた。問題があれば責任者に相談して一緒に問題を解決した。本分に無責任なチームリーダーがいたり、みんなが困難に見舞われてたりすると、すぐに交わったわ。みんなの状態が解決せず、福音の働きが妨げられると、無能で実際の仕事ができないって指導者に思われるのが不安だったから。そうなれば自分の地位が危うくなる。どちらも神の家の働きだし、等しく重要な業務だけど、わたしはそう考えなかった。本当に利己的で卑劣。「自分がその立場になければ口出しするな」っていう言葉を言い訳にして、動画制作はチャン姉妹の責任だって言った。人事のことは理知的にならなきゃと思い、問題があれば彼女に任せた。その働きに干渉したら、理知がないって思われる。見て見ぬ振りをできるよう、そんな言い訳をしたの。無責任に本分を尽くして問題を解決しなかったのは明らか。教会の働きにも影響が及んだわ。ついには理知を無責任の言い訳にしたの。まったくずるくて狡猾だわ。神の言葉が頭に浮かんだ。「兄弟姉妹がいるところ、そして神が働きを行なっているところ、そのような場所が神の家と呼ばれないことがどうしてあり得ますか。どのような点において、そのような場所は教会でないのですか」。ええ。どんな働きでも神の家の働きだし、そこには神の家の利益が関わってる。でもわたしは神の家の働きにも、その利益にも気を配っていなかった。大事なのは自分の地位。人間性がまったくないわ!
その後、別の御言葉を読んだの。「多くの真理を理解していない人がいます。このような人は、何を行なうにしても原則を理解しておらず、問題に遭遇しても正しい対処法を知りません。この状況で、人はどのように実践すべきですか。最低限の基準は良心に沿って行動することであり、これが基本です。では、良心に沿ってどのように行動すべきですか。誠実さから行動し、神の優しさ、神から与えられたこのいのち、そして救いを得るという神から授けられたこの好機にふさわしくなければなりません。それが良心に従って行動するということですか。ひとたびこの最低限の基準を満たせば、あなたは加護を得ており、深刻な過ちを犯すことはありません。軽々しく何かを行なって神に逆らうことも、自分の責任を避けることもなく、いい加減に行動しがちになることもありません。また、自分の地位や名声、富、前途のために計略を働かせる傾向もありません。これが良心の果たす役割です。人の人間性には良心と理知の両方が備わっていなければなりません。両者とも最も根本的で重要なものだからです。良心を欠き、正常な人間性の理知をもたないのはどのような人ですか。一般的に言えば、それは人間性を欠いた人、人間性が極めて乏しい人です。さらに詳しく検討すると、人間性の喪失はこの人においてどのように表われますか。このような人にどういった特徴が見られるか、具体的に何が表われるかを分析してみなさい。(このような人は利己的で卑しいです。)利己的で卑しい人の行ないはいい加減で、個人的に関係ないことには無関心です。神の家の益を考慮せず、神の旨に配慮を示すこともありません。神を証しすることや本分を尽くすことの重荷を負わず、責任感などまったくないのです。何かをするたび、そうした人は何について考えていますか。彼らが最初に考えるのは、『これをしたら神に知ってもらえるだろうか。他人に見てもらえるだろうか。自分が全力を注いで懸命に働いても、他人に見てもらえず、神に見てもらえることもないなら、これほど努力したり、そのために苦しんだりしても無駄だ』ということです。それは極めて自分勝手ではありませんか。それはまた卑しい意図です。そうした人がこのように考えて行動した場合、その人の良心は何らかの役割を果たしていますか。その際に良心は咎めていますか。いいえ、咎めてはいません。また、自分が尽くしている本分に関係なく、責任を一切負わない人もいます。このような人は問題を見つけても上位者に報告しません。あれこれ口出しして邪魔している人を目にしても、見て見ぬ振りをします。悪意のある人が悪事を犯しているのを見ても、止めようとしません。彼らは神の家の益をほんの少しも考慮せず、自分の本分と責任は何なのかを考えることもありません。本分を尽くすとき、このような人は実際の働きを一切しません。貪欲に快適さを求めるイエスマンであり、その言動はひとえに自分の虚栄心や面子、地位、利益のためであり、自分に益をもたらすことであれば何であれ、必ず時間と努力を注ぎ込みます」(『終わりの日のキリスト講話集』の「自分の真心を神に捧げると真理を得ることができる」)。この御言葉を読んで、心が刺されたように痛んだ。良心と理知を持つ人は神の重荷を思いやり、神の不安と懸念を共にして、いつも神の家の側に立つ。その働きや利益に害が及ぶと、身を挺する。教会の利益を守るためなら、自分の利益なんて構わない。それが神の家の真の一員。でもわたしは? チェン兄弟がリーダー失格で、働きに影響が及んでいるのを見ても、チャン姉妹と協力して解決しようとせず、働きが遅れるのを許した。特殊エフェクトの業務が影響を受けてると兄弟姉妹から報告がなければ、彼をすぐ解任するようチャン姉妹に求めなかったはず。結局チェン兄弟は解任されたけど、何ヵ月も経ってから。人員や資源のロスをどう埋め合わせるの? 本分を尽くして指導者になる機会を神はわたしにくださった。わたしが真理を追い求め、本分に責任感を持ち、教会の働きで問題を見つけたらすぐに解決して、実際の働きをできるように。でもわたしは、こんなサタンの害毒で生きていた。「己に関わりのないことは見過ごせ」「自分のことに集中しろ」「余計なことはしないほうがいい」それで自分の仕事しか気にしなかった。自分の利益や評判や地位に関係ないと、関わろうとしなかった。神の家族に気を配らず、自分の評判と地位を守ってたの。神の家の利益が害を受けても気にせず、守ろうとしなかった。利己的で無関心だし、良心なんて一切ない。自分が担当してる働きを残らず行ない、仕事を完成させても、わたしの行ないは神に満足いただくためでも、真理を実践するためでもなかった。単に自分の評判と利益を守るため。こんなことでは神の承認を得られないし、神の家の一員として扱われない。悔い改めて変わらなければ、遅かれ早かれ神に拒まれ、淘汰される。それに気づいてすぐ神に祈り、悔い改めますと願ったの。そして本分でも、もう利己的になったり卑劣になったりしません、と。
そして指導者の責任についての神の交わりを考えたけど、その一つがこれ。「様々な働きの責任者および各種の重要な働きを担当する人員の状況を常に把握し、必要に応じて速やかにこれらの者を再配置あるいは交代することで、不適当な業務への人員配置による損失を予防、あるいは軽減し、働きの効率と順調な進展を保障すること」(『偽指導者を識別する』より)。他にも心打たれた御言葉があるから、神の御言葉にこうあります。「様々な働きの責任者および重要な働きを担当する人員がいます。そうした人たちが真理の現実を有し、原則に沿って行動し、教会の働きを立派に行なえるかどうかは決定的なこと、極めて重要なことですか。(はい。)指導者や働き手が、様々な業務を担う主要な責任者の状況を正確に把握し、適切な人員調整を行なうならば、それは各業務をしっかり見張るようなもので、責任を果たして本分を尽くすことと同じです。こうした人員が正しく配置されずに問題が生じたならば、教会の働きに大きな影響が及びます。これらの人員に良い人間性、信仰の基盤があり、物事の扱いに責任を負い、真理を求めて問題を解決できるなら、そのような人に働きを任せることで多くの面倒を避けることができます。重要なのは、働きが順調に進展することです。しかし、チームの責任者が信頼できず、人間性も振る舞いも悪く、真理を実践しないならば、さらに、騒動を引き起こしがちならば、その人は間違いなく物事を混乱に陥れ、そのために教会の働き全体が損なわれるとともに、選民がいのちに入ることにも影響が及びます。この影響は決して小さくありません。責任者が真剣でなかったり、自身の義務を軽視したりしているだけなら、働きに遅れが生じる可能性があり、進展がやや遅れ、働きがやや非効率的になるかもしれません。しかし、こうした人が反キリストであれば、問題は深刻です。これは働きが少々非効率になり、効果が少々落ちるといった問題ではありません。そのような人は、自分が担当している働きをすべて混乱に陥れ、害を与えます。ゆえに、各業務の責任者やその他の重要な人員の状態を常に把握し、適時に調整や更迭を行なうことは、指導者と働き手が避けることのできない義務であり、非常に厳粛かつ重要な働きです。指導者と働き手が、各種の責任者や主要人員の人柄および真理への態度、さらには各段階における状態や表面化する様子を常に把握し、現状に応じてすぐに調整や対処を行なうことができるなら、働きは着実に進展することができます。逆に、こうした人たちが教会内で無謀な行動に走り、実際の働きを行なわず、指導者や働き手がすぐにこれを見分けて調整せず、問題が特定される前に働きが台無しになってしまうまでただ放置する、つまり、問題が深刻になって初めてそれに対処し、状況を無頓着に調整、修正し、回復させようとするだけなら、そうした指導者や働き手は義務の不履行に陥ったことになります。彼らは偽の指導者なのです」(『偽指導者を識別する』より)。「偽の指導者は、グループの責任者の現状を知ろうとすることも、追跡することもありません。また、いのちの入りに関する状況、そしてグループの責任者や重要な働きの担当者が抱いている、働きと本分への態度、神に対する信仰、真理、および神への態度を知ろうとすることも、追跡することもなく、把握しようと努めることもありません。偽の指導者は彼らの変化、進展、および働きの際に生じる様々な問題を知ろうとせず、とりわけ働きの各段階で生じた過ちや逸脱が教会の働きや神の選民に与える影響となるとなおさらです。偽の指導者は、こうした過ちや逸脱が対処されたかどうかについて何一つ知らないのです。このような詳細について一切知らないので、問題が起きると彼らは消極的になります。偽の指導者は働く際も、そうした詳細に注意を払いません。単にグループの責任者を割り当て、働きを任せれば自分の仕事は終わりだと思い込みます。それで仕事は完了、その後に何か問題が起きても自分には関係ないと信じているのです。偽の指導者が各グループの責任者への監督と指導、および経過の観察をせず、それらの分野での責任を果たさないので、働きが損なわれてしまいます。これが、指導者または働き手として怠慢であるということです。神は人の奥深くに目を向けます。人にはそうした能力がないので、働く際は手を抜かず、注意を払い、働きの現場へ頻繁に出向いて状況を確かめ、監督と指導を行なう必要があります。そうして初めて、教会の働きが正常に進展していることが確証できるからです。偽指導者が働きにおいて無責任なことは明らかです。彼らは最初から、つまり働きの采配を行なうときから無責任です。監督も経過の観察もせず、指導もしません。結果として、ありとあらゆる問題が生じているのに物事を処理できない責任者が、その立場に留まるということが起こりえます。最終的には、働きが繰り返し遅延し、ありとあらゆる問題が未解決のまま残り、働きが損なわれてしまいます。偽指導者が責任者を理解せず、監督せず、経過の観察を怠った結果です。ひとえに偽指導者の職務怠慢がそうした事態を引き起こします。責任者が職務を正しく行なっているかどうか、実際の働きを行なったかどうかについても、偽指導者はそうした点検をせず、何が起きているのかを知ろうとすることはまれで、最新の状況を把握していないため、責任者の働きぶりや進展、彼らが実際の働きをしているのか、それとも決まり文句を叫んである種の表面的な現象を使って上層部を適当にごまかしているだけなのか、皆目わかりません。特定の責任者が行なっている働きや、具体的に携わっている働きについて問われると、『わからない。とにかく、あの人たちは集会に欠かさず出ているし、働きについて話し合うと、問題や困難があるとは言っていない』と答えます。偽指導者が知っていることはこの程度であり、責任者が責任を回避せず、絶えず働きの態勢にある限り、問題はないと誤解しています。これが偽指導者の働き方です。これは不誠実さを示してはいませんか。彼らは責任を果たしていますか。果たしていませんか。これは重大な職務怠慢です」(『偽指導者を識別する』より)。神の御言葉でわかった。それぞれの業務を正しい人に任せるのは指導者の大事な仕事。正しい人が担当して初めて、すべての働きが順調に進む。それが責任を果たすっていうことなの。担当者の素質が乏しく、実際の働きも問題解決もできなければ、またたとえ素質があっても本分を無視して正しい道を歩まなければ、神の家の働きに害が及ぶ。責任を負っている兄弟姉妹も影響を受けるわ。担当者が悪事を行なう者だった場合、すぐに交替しなければ、神の家の働きに深刻な害をもたらし、混乱に陥れる。だから指導者と働き手は担当者を選んだら、きちんと監督して、担当者の本分での問題を把握し、交わって解決しなきゃならないの。それで逸脱による働きへの影響を減らせる。担当者の素質が乏しく、実際の働きをしないなら、働きが前進するようにすぐ解任すること。これが指導者の責任なの。ふさわしくない人が働きに影響を及ぼしてるのに、ただ手をこまねいているなら、それは怠慢。偽の指導者よ。わたしはチェン兄弟の働きを直接担当してなかったけど、それでも教会指導者。兄弟姉妹が彼の問題を報告してきたんだから、それを調べて神の家の働きを守るのはわたしの仕事。でもわたしは無責任な態度をとり続け、それを無視した。そのせいで問題解決が遅れて働きに害が及んだ。これって偽指導者の振る舞いじゃない? 同時に、チャン姉妹のことも考えた。彼女はチェン兄弟の仕事の責任者で、いつも接触してた。わたしはそのころ、チェン兄弟に問題があると何度も報告した。でも彼女はチェン兄弟の状態を調べた? 調べていれば、チェン兄弟がリーダー失格なのはわかってたはず。じゃあ、チェン兄弟を交代させなかったのはなぜ? それにチェン兄弟の問題を知ってて何もしなければ、彼女も神が暴く偽指導者の一人じゃない? そこでチャン姉妹にメッセージを送ったけど、彼女は、チェン兄弟のことはわからないと言って、わたしが注意しても真剣に受け取らず、チェン兄弟の仕事ぶりを詳しく見なかった。実際の働きをせず、真の問題を解決しなかったのね。それって深刻な怠慢じゃない? そのころ、チャン姉妹の評価が指導者から送られてきたの。責任感を持って本分を尽くさず、仕事の確認も遅いと書いてあった。働きに深刻な影響が出てる、と。そうした問題が起きても、彼女は反省せず、集会では居眠り。それを読んで確信した。彼女は偽の指導者だって。チェン兄弟に関しては、わたしも利己的で無責任だったし、すぐに彼を解任しなかったから、動画関連の作業が遅れた。だから、チャン姉妹の問題は明らかなの。もう無視するわけにはいかない。
御言葉が頭に浮かんだわ。「どのような本分を尽くしていようと、ひたすら真理の原則に沿って行動して初めて、責任を真に果たしたことになります。人間的なやり方で形だけの動作をするなら、それはおざなりでいい加減です。真理の原則にしっかり従うことこそ、本分を正しく尽くし、責任を果たすということなのです。さらに、責任を果たすとき、それは忠誠心の表明ではありませんか。それは本分への忠誠心の表われです。こうした責任感や意志、願望を持ち、本分への忠誠心の表われがあなたの中に見られて初めて、神はあなたのことを認め、承認の眼差しをあなたに向けます。こうした責任感がないなら、神はあなたを怠け者、愚か者として扱い、あなたのことを軽蔑します。人間の観点からは、これはあなたを侮り、真剣に扱わず、見下すということです」(『偽指導者を識別する』より)。御言葉は明確。本分に対して真剣で、しっかり職務を果たす人こそ、本分に忠実で信頼できると言える。中には指導者として仕えながら実際の働きをせず、無責任に振る舞い、ぐずぐず怠ける人もいる。そうした人は悪い人間性の持ち主。信用できず、信頼に値しない。神はそんな人を憎まれる。神の御言葉で、実践の道もわかったわ。教会の働きで色んな問題が起きたときはすぐに調べ、原則に沿って処理し、積極的に本分を尽くすべき。それが神の御旨なの。兄弟姉妹は、チャン姉妹の怠慢を報告した。それが本当なら、彼女の職務をそのままにしておくと、働きの進展に影響が出て、兄弟姉妹のいのちの入りが妨げられる。だからわたしは、チャン姉妹が普段どう本分を尽くしてるかをすぐに調べ、指導者としてふさわしいかどうか、原則を基に確かめるべきだった。そこで指導者に相談したら、ちゃんと彼女の振る舞いを把握してた。そうして報告書の内容が本当だと判断したの。チャン姉妹は実際の仕事をしない、本当の偽指導者。だからその日のうちに解任した。こうして実践してると、本当に気が楽だったわ。
この経験で、自分の本性がとても利己的だってわかった。本分を尽くすときも心に神を抱かず、自分の利益ばかり考えてた。神の要求を満たすには程遠い。御言葉の裁きと事実による暴きがなければ、自分の欠点に気づかず、悔い改めもできなかったわ。そしてわかったの。責任を持って本分を尽くし、神の家の利益を守ることこそ人間性の証明で、初めて神に認められる。それが平安と喜びを感じる唯一の道なの。神に感謝!
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