名声と利益を求める日々

2021年1月30日

人生において、人が清められ、性質の変化を実現することを望み、有意義な人生を生き抜き、被造物としての自分の本分を尽くすことを望むのであれば、その人は神の刑罰と裁きを受け入れるべきであり、神の鍛錬と打ちのめしが自分から離れないようにし、そうすることで、サタンによる操りと影響から逃れて神の光の中で生きられるようにしなければならない。神の刑罰と裁きは光で有り、人間の救いの光であり、人間にとって、それ以上の祝福と恵みと守りはないということを知らなければならない(「神の刑罰と裁きは人の救いの光」『小羊に従って新しい歌を歌おう』)。この神の御言葉の讃美歌を歌っていると、心の底から感動します以前、私は「出世して先祖に栄誉をもたらす」とか「人は上を目指し、水は下に流れる」などといったサタンの害毒によって生きていました絶えず名声と地位を求め、サタンに騙され害を受けるとともに名声を得ようと損得ばかり気にしていたのです。それは苦しい生き方でした神の御言葉の裁き、刑罰、懲らしめを経験して初めて自分の堕落した本性を少しは認識するようになり名声と地位を求めることの本質と結末をいくらか理解できるようになりましたようやく目覚めて後悔を感じ始めたのです。私はもうそのように生きたくはありませんただ真理を求めて立派に本分を尽くし、神に満足していただきたいのです。

2016年9月だったと思いますが私は讃美歌チームに加わって本分を尽くすことになりましたその直後、指導者が私たちのところに来て、チームリーダーを選ぶ話し合いをしましたそれを聞いた瞬間、私は興奮し有力な候補者を心の中で比較しましたチームの他の兄弟姉妹は若すぎるか、技能が足りないかのどちらかでした候補者は李兄弟だけ。真理に関する彼の交わりはとても実際的で、働きのこともいくらか理解していましたその上、振る舞いも穏やかでした彼が選ばれる可能性は高いと、私は思いましたしかし自分の交わりもさほど悪くはなく学習能力に優れ、新しい物事を極めて早く理解することができる大局からものを見るのも得意だそのため、自分が選ばれる可能性のほうが高いはずだと思いましたとは言え、チームのみんなはこの本分に就いてから日が浅くそれほど長く一緒に働いていたわけではないので、互いをよく知りませんでした私を選ぶかどうかはわかりませんそこで指導者にこう提案しました私たちがそれぞれ尽くした本分を集計し、一時的にチームの指揮を誰かに任せてはどうか全員がそれに賛成しました私は密かに喜びました。自分の本分の記録は優秀なのできっと自分が選ばれると思ったのです翌日、私は自信満々で集会に赴きましたしかし驚いたことに、結局は李兄弟が選ばれましたそのとき、私は心から失望しましたが面子を保つために平静さを装い「神に感謝。今後はみんなで一緒に働き、本分を尽くしていきましょう」と言いましたしかし心の奥では、それを受け入れることなどとてもできませんでした家路につきながら、全身から力が脱けたように感じました。自分の何が李兄弟に劣っているのかまったくわからなかったのです私はどうしても受け入れられませんでした自分には明らかに多くの才能があるのだから、私を選ばなければすべて無駄にならないか? そのため、絶対に自分を証明し、自分の実力を他の人に示さなければと思いましたその後、表面上は平静を保ちながら密かに李兄弟と張り合いました彼を出し抜けるよう、自分の技能を向上させるべく勉強に没頭したのです李兄弟の学習速度が遅いことを知ったとき、私は心の中で喜び「これが真実だ! 結局、君は大したことがないんだ! やがて兄弟姉妹も、どちらが優れているかを知るだろう」と考えました彼が犯したどんな小さな過ちにも喜び、心の中で「君は必要な能力をもっているのか? これで君の正体がわかるだろう!」と思いました李兄弟が他の人の問題を解決するのを見ると、私は嫉妬しました自分にもそうした実践的な経験はあるし自分がチームリーダーになれば、上手に交わりを行なえるはずだと考えたのです特に作業の話し合いをしているとき李兄弟が何を提案しようと私はすぐさまより分かりやすく洞察に満ちたことを言おうとしました。

ある集会のとき讃美歌のアイデアを話し合っていたところ李兄弟が実に優れた提案をしましたしかし私は、もしそれを受け入れれば、彼のほうが優れているように見えるのではないかと考えましたそうなれば、どうして自分は胸を張っていられるだろう私は反論の言葉を口走り、別の提案をしましたしかし結局、グループは彼のアイデアに従うことになりました顔を平手打ちされたようでした兄弟姉妹が目を輝かせながらそれについて話し合っているのを見て私は李兄弟により強く反感を抱き、それ以上耳を傾ける気になりませんでした以前に尽くした本分を振り返ると、とにかく自分はチームリーダーだったし兄弟姉妹もみんな自分のことを仰ぎ見ていたでもいまはもうチームリーダーではなく、事あるごとに彼のほうが優れているように見えているこうなることを知っていたら、本分を尽くしにここへは来なかっただろう集会が終わっても様々な思いが入り乱れ、自分の内面が真っ暗なように感じました自分は正しい状態にないとぼんやり気づき神に祈ったところ、御言葉のこの一節が頭に浮かびました「しかし、わたしはそれぞれの被造物の心の内にある不純を深く知っており、あなた方を創造する前に、人間の心の内に深く存在する不義を既に知っており、偽りと不正も全て知っていた。それ故に、人々が不義を行う時にその痕跡が全くなくとも、あなた方の心の内に秘められた不義はわたしが創造したすべての物の豊かさを超えることを知っているのである。あなた方一人ひとりは、群衆の最高の高みに昇りつめた。あなた方は昇りつめて群衆の祖先となった。あなた方は極めて身勝手であり、蛆虫の間で暴れまわりながら、安らぎの場所を求め、自分よりも小さい蛆虫を貪ろうとしている。あなた方は海底に沈んだ幽霊にも増して心の内に悪意と邪悪を持っている。あなた方は糞の最下層に住み、蛆虫を上から下まで邪魔して心穏やかにさせないようにし、争い合っているかと思えば静かになっている。あなた方は自分の身分も知らないが、それでも糞の中で争い合う。そのような争いから何が得られるのであろうか。あなた方がわたしに対し真に畏敬の念を持っているならば、わたしの陰でどうして争い合うことができようか。身分がどんなに高くても、あなたは糞の中にいる臭く取るに足らない虫であることに変わりはないではないか。あなたは、羽を生やして空を翔ける鳩になることができようか(『神の出現と働き』「落ち葉が土に還る時、あなたは自分の行なったあらゆる悪事を後悔する」〔『言葉』第1巻〕)。名声と利益を巡って競い合う私の醜さを、神の御言葉は残らず暴きました讃美歌チームに加わって以来、私は野心に取り憑かれ兄弟姉妹と指導者が私のことを高く評価しまた自分がこのチームに足がかりを得られるよう、成果を挙げなければと必死になりましたチームリーダーを選ぶ際、私は知恵を働かせて自分の有利に運ぼうとしましたつまり指導者に対し、過去に尽くした本分をもとに仮選挙を行なうよう提案したのです李兄弟が選ばれたとき、私は嫉妬して対抗意識をもちました彼の働きに問題を見つけたとき私は教会の利益を守ることも、彼を助けることもせず無能さを理由に彼に取って代わろうと必死になるばかりでしたそうすれば、自分がリーダーになれるはずだと陰謀を巡らせ、名声と利益を求めるサタン的性質に囚われていた私の行動には、良心も理知もまったくありませんでした。まさに卑劣で害毒に満ちていましたそれに気づいたとき、私はとても動揺して心から自分を責めました神に祈り、自分の堕落したサタン的性質にこれ以上縛られ、抑え込まれることがないようにどうか真理を実践できるようお導きくださいと願いました。

ある日、私は神の御言葉のこの一節を読みました「本分を尽くしている一人ひとりにとって、真理の理解の深さがどれほどであろうと、真理の現実に入ることを望むなら、自分が行なうすべてのことにおいて神の家の益を考え、自分の利己的な欲求、個人的な意図、動機、面子、地位を捨てるのが最も簡単な実践の方法です。神の家の益を第一にしなさい。これが行なうべき最低限のことです。本分を尽くしている人がこの程度のことさえできないのであれば、どうして本分を尽くしていると言えますか。それは本分を尽くしているのではありません(「真心を神に捧げると真理を得ることができる」『キリストの言葉の記録』)。神の御言葉は本分を尽くす際の原則と方向性を私に指し示しましたつまり、名声と地位への願望を捨て去り何があろうと教会の働きを第一に考え全力で自分の本分を尽くすということですそうして初めて被造物の本分を尽くし、少しばかり人間らしさをもつようになるのです名声と地位を求めて本来の働きを顧みなければ、自分の本分を尽くしていることになりません神に抵抗して悪事を犯しているのですその後ある集会のとき、私はそのすべてを兄弟姉妹に打ち明け自分の堕落を明らかにしました彼らは私を見下さず李兄弟と私との壁もなくなりましたそれから私は、彼が進行役を務める集会で積極的に交わりを行ない彼の働きに欠点を見つけてもほくそ笑むことはしませんでしたその代わりに提案と手助けを申し出て彼が兄弟姉妹の問題解決を手伝うのを見るたび以前のように嫉妬せず神の家ではそれぞれの役割が違っているだけで、地位は変わらないと思いました一緒に働き立派に本分を尽くしたいとだけ思いましたそれを実践すると、心がずっと落ち着きましたその後、私は神の祝福を見たのですそれまで、私たちのチームには音楽の基礎が欠けていたのですが時間をかけずに初めてのスペイン音楽を作曲し他の兄弟姉妹からとても高く評価されたのです。

半年が過ぎ、私は働きにますます慣れていきました働きの話し合いをするときも兄弟姉妹は私のアイデアをよく受け入れてくれましたまた私は、毎月のチーム会議でいつも司会を務めていたのですが名声と地位を求める必要性がほとんど満たされたと感じましたさらにそのころ、さらに頑張ってチームの働きを活発にするよう、指導者から言われました指導者からそのように高く評価されたことで、自分は価値ある人材なのだとますます感じるようになりましたそのとき、誰かが別の仕事を兼務する必要が生じそれは自分の得意なことだったのに、私は頭の中で計算しましたそれで自分が注目を浴びることはなく、自分の時間をとられてしまうだからもし引き受けたら、集めた注目の一部を失うだろうしかし李兄弟がそれを引き受けると、自分はチームで名声を得られる……私はありとあらゆる言い訳をしてそれを断わり、その代わりに李兄弟を推薦しました実を言うと、そのときは罪悪感を覚えて不安でしたしかし、自分の地位を守ることにこだわり続けたのです李兄弟は慣れないその仕事を引き受けいくつもの困難に見舞われて消極的になり、彼の働きに影響を与えました私はそれを聞いても自分を反省しませんでした私たちのチームの働きに李兄弟が参加できないこともしばしばあったので大小問わずほとんどの問題が私に任されました結果として、名声と地位を求める願望は膨らむばかりでした兄弟姉妹の働きに逸脱や欠点があるのを見つけ働きの進展が遅れたとき、私は心から不安になりました自分はこの働きを担当しているのだから何か間違いがあれば、指導者は自分のことをどう思うだろうか無能だと見なされはしないか私は腹を立てて兄弟姉妹を叱らずにはいられず「これが本分を尽くしているとどうして言えるんだ? 君は集中できないのか? 失敗するのを止められないのか?」などと言いました結局、彼らはみな私に抑え込まれてしまいましたまたあるとき、本分を尽くすために数日間出かけたことがありました戻ってみると、ある姉妹が私と話し合わずに働きの計画を立てたことがわかりました私は心から腹を立ててこう考えました「出過ぎた真似をするな! 君は私のことをまったく尊敬していない」私は彼女を激しく叱りましたそのころ、チームで問題が次々と生じ始めていました私のアイデアが兄弟姉妹に採用されることはなく、私に意見を述べさえしました私は侮辱されているように感じ、怒りが燃え上がりました「君らはみんな違う考えをしているようだから好きなようにやればいい! それでうまくいかなければ、ちゃんと責任をとるんだぞ!」そうまくし立てたあと、表現しがたいパニックと自責の念を感じました自分が傲慢な性質の中で生き、いつも兄弟姉妹に腹を立てていたことが頭に浮かびました神はそれをお認めになるだろうか? しかしそのときそれは自分の本分のためではないか、そして自分たちの中に、少しも堕落を表わさなかった者がいるだろうか、と考えました私は心から自己反省していなかったのです翌日、私はバスケットボールをしていて足首を捻挫しました風船のように腫れ上がり、痛くてしかたありません歩くことも本分を尽くすこともできませんこれは神の懲らしめなのだと強く感じそのとき初めて自分を反省しました自分はずっと名声と地位を求め、傲慢で、兄弟姉妹を叱ってきたそうしたことが走馬灯のごとく脳裏に浮かびました私は自分を憎みながらこう思いました自分はなぜ変わらなかったのか? 神に背いて反抗するのを止められなかったのはなぜなのか?

数日後、数人の兄弟姉妹が会いに来て、神の御心について交わってくれましたまた、私の状態にとりわけふさわしい神の御言葉の一節を読んでくれました「そのような人は自分より優れた人を見ると、他の人々がその人を高く評価しないよう、また誰一人傑出した人がいなくなるよう、その人を押さえつけたり、その人に関する噂を流したり、何らかの卑劣な手段を用いたりします。それは傲慢さと独善性、また邪悪さ、不正直さ、狡猾さからなる堕落した性質であり、そのような人は自分の目標を達成するためには手段を選びません。このように生きながら、自分のことを偉大で善人だと考えています。しかし、このような人に神を畏れる心はありますか。まず何より、これらの事柄の特質という観点から言えば、このように行動する人はただ自分の好きなようにしているのではありませんか。神の家の益を考えていますか。神の家の働きが被る損害に関係なく、自分の感情しか考えず、自分の目標だけを達成したいのです。このような人は傲慢で独善的なだけでなく、利己的で卑劣でもあります。神の意図をまったく配慮しませんし、神を畏れる心がないことに疑いの余地はありません。自責の念も、恐怖、不安や心配も一切なく、結果を考えることもなく自分の望むことを何でもして、勝手気ままに振る舞うのはそのためです。神を畏れず、自分が極めて重要な人物だと信じ、自分のことをあらゆる点で神より高く、真理よりも高いと見なしています。その心の中では、神はその名に言及する価値さえなく、何の意義もなく、このような人の心の中では何の地位もありません。…心に神の居場所がなく、神を畏れない人は、真理への入りを成し遂げましたか。(いいえ。)では、いつものように嬉々として動き回り、絶えず忙しくしながら極めて多くの活力を費やすとき、その人たちは何をしているのですか。このような人たちは、自分はすべてを捨てて神のために費やし、大きな苦しみを受けてきたとさえ言い張りますが、実を言うと、すべての行動の動機、原則、そして目的は自分に利益をもたらすことです。自分の利益を残らず守ろうとしているだけなのです。この種の人は恐ろしいとあなたは言うでしょうか、それとも言わないでしょうか。どのような人間が神を畏れない人だとあなたは言うでしょうか。その人は傲慢ですか。このような人はサタンですか。神を畏れないのはどのようなものでしょうか。動物以外に、悪魔、サタン、大天使、そして神と争うものはみな神を畏れません(「神を信じる正しい道へ入る前に人が置かれる五つの状態」『キリストの言葉の記録』)。神の厳しい御言葉は私を骨の髄まで切り刻みました自分があまりに傲慢で、利己的で、狡猾であり神への畏れなどまったくないことがわかったのです教会の働きで協力する必要があるときも、自分は比較的それに向いているとわかっていたのに自分の名声と地位を守るため駆け引きすることを何とも思わず、そのせいで神の家の働きに害を与えてしまいました兄弟姉妹の働きに問題があり、私たちの進展を妨げていることがわかったときも私は彼らと協力して問題を解決せずその代わりに彼らは私の足を引っ張り、傑出する機会を邪魔していると思い込み地位を利用して彼らを叱りましたそうしてみんなは抑え込まれてしまい、苦しみながら生きることになりました私は彼らの提案を受け入れようともしませんでした不機嫌になって腹を立て、自分の本分を使って鬱憤を晴らし教会の働きがどのような影響を受けるかなどはこれっぽっちも考えませんでした実際のところ、自分には本当の才能が何もなく音楽に対する多少の興味と熱意しかなかったのですしかし、神は慈悲深くも私にこの機会をお授けになり私が働きの上で、そして真理の追求において進歩できるようにしてくださいましたしかし私はそれを大事にするどころか、あくまで地位と名誉を追い求めました本分を尽くす振りをしながら自分の利益を追求し自分の前進を助ける道具として兄弟姉妹を利用していたのです私にはまったく人間性がありませんでしたあらゆる行ないにおいて悪事を犯し、神の性質に背きました神はそれを憎んで嫌悪なさいます! 私はそれに気づいて恐怖に震え、強い自責の念を抱きましたそして涙ながらに神に祈りました「ああ神よ、私は間違っていました! 反抗的になってあなたと競い続けたくはありませんそれに、個人的な利益を巡って戦い続けることも望みません。私は喜んで悔い改めます」。

その後、私は次の神の御言葉を読みました「サタンは名声と利得を用いて人間の思想を支配し、人間が名声と利得しか考えられないようにします。人間は名声と利得のために奮闘し、名声と利得のために苦労し、名声と利得のために恥辱に耐え、持てるすべての物事を犠牲にし、名声と利得のためにすべての判断と決断を下します。このようにして、サタンは目に見えない足かせを人間にかけ、人間にはそれを外す力も勇気もありません。したがって、無意識のうちに人間は足かせをかけられ、大変苦労しながら歩んでゆきます。この名声と利得のために、人類は神を避け、神を裏切り、ますます邪悪になります。このようにして世代を追うごとに人間はサタンの名声と利得の只中で破壊されてゆきます(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 VI.」〔『言葉』第2巻〕)。神の御言葉によるこの啓示はサタンの卑劣な戦術と、名声や利益を用いて人々を堕落させる悪しき動機を私に認識させましたサタンはこのようにして人々を縛って傷つけ彼らが神を裏切って距離を置くようにします名声と地位は、サタンが人々を滅ぼす道具なのです私は小さいときからサタンによる影響と教育を受け「我先に逃げよ。悪魔は一番遅れた者を捕まえる」「出世して先祖に栄誉をもたらす」そして「人は上を目指し、水は下に流れる」といったサタンの哲学に引き込まれましたそれらを自分のモットーにしていたのです私はますます傲慢になり他の人が私を仰ぎ見るよう、どの集団にいても地位を巡って常に争いました信者になったあとですら真理を追求していなかったせいでいつも名声と地位を求めましたそれらのために本分を尽くしながら苦労し、代価を払い技能を高めようと懸命に働きました他人と競って争い何かを成し遂げるたび、自分は本物の人材だと思いました兄弟姉妹を偉そうに叱ることもありました私は本当にどうしようもなく傲慢で自惚れていました。生き方の中に人間らしさがまったくなかったのです私はサタンの哲学によって生き、名声と地位を得ることに没頭しました他人を傷つけただけでなく、神に嫌悪されることを数多く行ないましたまた自分の逸脱と悪事のせいで教会の働きに影響を与えました私は名声と地位のためにこれほどの害を与えてしまったのですそのとき初めて「出世する」とか「人を上回る」といったサタンの哲学がどれも誤謬でこうした嘘によって生きていれば、さらなる堕落や悪へと至り神に背いて抵抗するようになり、最後は神に懲罰されるのだとわかりましたそれに気づいたとき自分はどんな場合も、名声と地位を命綱のように扱っていたのだと思いました私は本当に盲目で無知でしたまた、それは神に真っ向から反する道であることもわかりました私は神の御前で祈り、悔い改めましたその後、本分を尽くす中でこうしたことを追い求めていると考えるたび心から怖くなったので、神に祈って肉を捨てました加えて、私は兄弟姉妹に心を開き、自分の堕落を晒しましたしばらくすると、名声と地位を求める衝動がずっと少なくなったのを感じ心の平静を感じ始めました。

その後、教会で指導者を選んでいたときのこと名声と地位を求める願望が投票中に再び頭をもたげ内なる戦いが始まりました「自分は李兄弟に投票すべきなのか、それとも自分に投票すべきか自分は真理の交わりを通じた問題解決に優れているわけではないでも万が一彼が当選すれば、他の人は私のことをどう見るだろうか」私は再び名声と地位を求めていることに気づきそのような考えは本当に醜いと感じましたそこで神に祈り、こうした考えを捨てて呪いましたすると神の御言葉の別の一節が頭に浮かびました「どうすればより高い地位に昇れるか、あるいは自分を尊敬させるために他人の前で何をすべきかで心が一杯なら、あなたは間違った道を歩んでいます。そのことは、あなたがサタンのために物事を行なっていることを意味します。あなたは奉仕しているのです。どのように変化すればますます人間らしくなり、神の旨にかない、神に従い、神を畏れることができ、何をするにも節制を示し、神の吟味を完全に受け入れられるかといったことで心が一杯なら、あなたの状態はますますよくなります。これが、神の前で生きる人になることの意味です。そこには二つの道があります。一つは行為に集中するばかりで、自分の野心、欲望、意図、および計画を満たそうとする道です。これはサタンの前、サタンの支配下で生きることです。もう一つは、いかにして神の旨を満たし、真理の現実に入り、神に従い、神に対して誤解や反抗心を抱かないかに集中する道であり、すべては神を畏れ、自分の本分を立派に尽くすためです。これが神の前で生きることの意味です(「真理を実践して初めて正常な人間性を有することができる」『キリストの言葉の記録』)。神の御言葉を考えながら神がご覧になるのは行動における人の動機や見方で、それがまさに重要なのだとわかりました評判と地位が自分の原動力で、他人に高く評価されたいという願望があるならそれは神に反する道であり真理にたどり着くことも、神に完全にしていただけることもありません私は進んで自分の動機を正そうと思い自分が教会の指導者に選ばれようと選ばれまいと喜んで神の采配に従い、立派に本分を尽くそうと思いましたそれから投票になり、私は原則を考慮して李兄弟に投票しました結局、彼が教会の指導者に選ばれました私の心は落ち着いていました自分は選ばれなかったけれど後悔はしていないようやく真理を実践しそれによって名声と地位の足かせを捨てたからですまた、真理を実践して神に満足していただくことで、内なる穏やかさと安定を感じ神の裁きと刑罰がまさに自分の救いであることを経験したのです。

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