人生の岐路
私は幸せな家庭に恵まれ、夫も優しい人でした。家族で開いた飲食店も繁盛し、友だちや親類の誰もが羨んだけど、どうしたことか、心はいつも空っぽでした。一日一日がまるで代わり映えせず、こんな人生に意味があるのかと訝(いぶか)りながらも、何が正しい生き方かはまるで分からずにいたんです。その後、2010年の終わりごろに難産で大量出血し、医師からは死ぬかも知れないと告げられました。実母はひどく怯えてこう耳元で呟きました。「ねえ、全能神に祈ってごらん」。私はそれにすがりつき、どうかお救いくださいと全能神に心で呼びかけました。すると間もなく、出血が止まったんです。人生を生き直す機会を神が下さったことに気づいて、私は心から感謝しました。それからは毎日、全能神の言葉を読むようになり、頻繁に集会に出て兄弟姉妹と交わるようになりました。やがて学んだんです。人を創造したのは神で、人の全ては神に由来する。神を信じ、敬い、被造物の本分を尽くして、生きる意義を見つけねばならない。私は伝道の本分を受け持ち、充実した日々を送りました。家族は全能神を受け入れてはいませんでしたが、私の信仰に反対することはありませんでした。
2012年の末からです。共産党の弾圧が常軌を逸したものとなり、全能神教会の信者を次々に逮捕しはじめ、あれこれ悪い噂を捏造して教会を貶(おとし)めようとし、多くのラジオ局やテレビ局もそうした作り話の拡散に一役買いました。その頃から、私が集会から帰る度に、夫は仏頂面を浮かべるようになりました。ある日の昼時、私が集会から自分の店に戻ると、夫は例の仏頂面を浮かべて、私を見るなり、腕をつかんでテレビの前まで引きずっていき、「見ろよ、お前が信じる神ってやつを!」と言いました。テレビから流れてきたのは、共産党が全能神教会を貶めようとまき散らした噂の数々で、事実無根の作り話ばかりでした。私は頭にきて夫を振り向き、こう言ってやりました。「嘘八百とはこのことよ。全部共産党の作り話じゃない。彼らは神を嫌って他の何より敵視し、政権を握って以来、信仰を残酷に迫害してきた。そんな党の言うことがどうして信じられる? 商売を始めてから、さんざん目にしてきたじゃない、中国政府や共産党がどんな連中かは、あなたもよくよく分かっているはず。共産党はありとあらゆる冤罪を捏造し、報告を改ざんしてる。文化大革命を持ちだすまでもなく、もっと最近でも、天安門事件や、チベット騒乱の例があるわ。まず嘘をつき、事実を曲げ、ある集団を悪者扱いして怒りを煽り、暴力的に取り締まるのが常套手段。全能神教会も同じよ。それが、異論を排除する共産党のやり口なの。それに、私が自宅で兄弟姉妹と集会をする時、あなたも家にいたけれど、ただ集まって神の言葉を読み、真理を交わって賛美歌を歌うだけだったじゃない。共産党が言うようなことがひとつでもあった?」共産党の嘘をすっかり信じ込んでいて、私の言葉に耳を貸さず、私のことをなじるばかりで、信仰でなくいい人生を求めろ、政府が信仰をやめろというならそれに従えって言うんです。また集会に行くならスクーターを叩き壊すと夫は口にし、私の移動手段を断とうとしました。家でじっとしてろと言われたけど。
最初はあまり気になりませんでした。夫たちは共産党の嘘に一時的に騙され、私が心配だから怒っているまでで、数日後には目を醒ますから、と。ですが、事はそんなに単純ではありませんでした。テレビやインターネットからは全能神教会を誹謗中傷する嘘がいっそう頻繁に流されるようになり、信者の逮捕も次々に伝えられ、家族はそれを見ていっそう私にきつくあたるようになり、夫は信仰を捨てさせようと、神の言葉の本を引き裂くばかりか、賛美歌の入ったMP3プレーヤーも叩き壊し、共産党のあれこれの嘘を近所の人たちに話しさえして、私の伝道を邪魔したんです。近所の人たちも嘘を信じて、私を疫病神のように扱いました。夫の豹変が、私には本当にショックでした。あんなに優しい人だったのに、どうして突然ここまで変わってしまうの? 結婚して何年も経つのに、伴侶への理解と敬意をここまでなくせるの? そうこうするうち、夫は私の一挙一動に文句をつけ始め、家庭のごたごたもみんな私の信仰のせいにしました。家業が傾いたときも私の信仰を責め、不吉だと言って私を店に入れません。夫の両親もいつも渋面を浮かべて私にあれこれ小言を言い、周囲の物に八つ当たりした。私を外出させず、ちょっと外に出ただけですぐ電話をかけて、誰とどこにいたんだと訊くんです。その頃私は常に監視されていて、神の言葉を読むことも、兄弟姉妹と連絡を取ることもできないばかりか、まったく何の自由もなく、ほんとうにつらかった。信仰がこんなにつらく苦しいのはなぜかと思いました。いつまでこの苦しみが続くのか? と。しばらくは集会に出ず、本分を尽くすのもやめようかと思うこともありましたが、それでは神の旨に沿っていないとも感じました。心が痛んですぐさま神に祈り、お導きくださいと懇願しました。すると、神の言葉の一節が心に浮かんできたのです。「今日、大半の人はそのような認識をもっていない。そうした人たちは、苦しみには価値がなく、自分は世の中から見捨てられており、家庭生活には問題があり、自分は神に愛されておらず、将来の見込みは暗いと信じている。中には苦しみが極限に達し、死を考えるようになる人がいる。それは神に対する真の愛ではない。そうした人は臆病者であり、忍耐力がなく、弱くて無力なのである。……あなたがたは終わりの日に神への証しをしなければならない。あなたの苦しみがいかに大きくても、最後まで歩まなければならず、最後の一息になってもなお神に対して忠実であり続け、神に身を委ねなければならない。これだけが真に神を愛するということであり、またこれだけが鳴り響くような強い証しなのである」(『言葉は肉において現れる』の「辛い試練を経験することでのみ、神の素晴らしさを知ることができる」)。お言葉の意味を考えるうちに、私は深く感動していました。神の旨は私を苦しませることではなく、むしろこの圧迫と苦難で私の信仰を完全にし、神の証しをできるようにすること。苦しみを恐れてサタンに屈するわけにはいきません。神への信仰を持ち、どれほど険しくてもその道に留まり、強く鳴り響く証しをしなければ。
その日、集会から帰宅すると、夫が怒鳴り散らし、私を激しくなじるんです。「お客にまで伝道するとは何事だ? お前は信者だと近所中の噂だぞ。どうしてそこまで俺に恥をかかせるんだ? テレビでも言ってたじゃないか。このままだとお前は逮捕されるぞ!」夫がますます激昂したので、私は反論せずに自分の部屋へ向かったんですが、そこで自分の目を疑いました。夫が引き裂いた御言葉の本の破片が床一面に散らばっていたんです。すると義父が部屋に入ってきて、前置きもなしにこう言いました。「息子の充実した結婚生活を願っていたのに、君が逮捕されたら家族はめちゃくちゃだ。信仰を捨てるか、離婚するか、どちらかにしてくれないか」と。そして冒涜を吐き始め、怒りで歪んだその顔を見るうちに、私も怒りを抑えきれず、こう反論しました。「お義父さん! この家の嫁になって以来、私はあなたを尊重してきました。あなたに怒ったことも、口答えしたこともありません。一家の嫁として落ち度があるなら、叱責なさるのももっともですが、私の信仰には何の落ち度もなく、それを邪魔したり、神を冒涜したりするなんて許されません」。私が言い終えるより早く、義父は顔色を変えて怒鳴りました。「君の信仰に意見して何が悪い? もう私の手には負えないようだな」。そう言い放つと私の服を鷲づかみにして、交番に引きずっていこうとしたんですが、私は振り払いました。私の決意が固く、屈しようとしないので、義父は腹を立てて立ち去りました。その直後、ドスンという物音がして、振り返ると、夫が詰め寄ってきて、まともに顔面を殴りつけたんです。私は吹っ飛ばされて床に転がり、目がくらくらして星がちらつき、耳鳴りがして、顔が焼けるように痛みました。頭の中は真っ白です。まさか、こんなことをするなんて。結婚してから10年近く、口げんかすらしたことないのに、信仰を理由に殴るなんて。夫をじっと見つめていると、他人のように思えてきました。夫は正気を失ったかのように私を無理矢理引きずり、壁に押しつけ、容赦なく言い放ちました。「いいか、今日こそ結論を出すぞ。信仰を捨てるか、それとも今すぐ離婚するか。さあ言え。神か俺か、どちらを選ぶんだ? お前が求めるのは信仰か、それとも家族なのか?」そう言いながら、狂ったように私を壁に叩きつける夫の顔は、まるで悪魔のようでした。私は冷静にこう答えました。「私は信仰を選ぶわ」。夫は激昂して私をベッドに引きずり、両手で首を絞めました。息ができず、逃げ出したい一心でしたが、夫の力があまりに強く、はね除けるのはどうしても無理。空気を求めてもがきながら、私は恐怖に打ち震え、「このまま今日私は死ぬんだ」と考えました。すると、3歳の息子が突然目を覚まして起きあがるなり、「ママ! ママ!」と呼び始めたんです。そして夫が私の首を絞めていることに気づくと、彼を叩いて押しはじめ、私の腕の中へ必死に潜りこもうとしたんです。夫はそれを見て首から手を離し、冷たく言い放ちました。「息子がいなければ、お前は今日俺の手で死んでいたな」。
夫が立ち去ると、私は今の折檻を思い返し、背筋が冷たくなりました。私の信仰に自分の利益が脅かされ、あろうことか、妻の私を絞め殺そうとしたんです。悪魔の所業だわ! 夫に殴られれば殴られるほど、人間性がよく分かってきて、最後まで神に従う決意も強まりました。そして翌日、義母が私に会いに来て、家に入るなりこう言いました。「どうしても信仰をやめるわけにはいかないの? 信仰を持つのはいいことだけど、そのせいで党に逮捕されてひどい目に遭うのよ。どう思う?」私は答えました。「お義母様、私がひどい難産で、医師から死ぬかも知れないと言われたのはご存知ですよね。でも全能神が、私と息子を救って下さった。たとえ逮捕されても信仰を守るのはなぜだと思います? 全能神こそが万物を創造した唯一の真の神で、人類を救うために再来された救世主だからです。災害がひどくなる中、人類を救えるのは神だけ。私は神と歩んでいますし、逮捕されて苦しんでも、それはあくまで仮のこと。サタンと地獄に行くよりずっとましです」。すると義母はこう言いました。「あなたの言う意味は分かるけれども、女として子どもの世話をし、夫を思いやる義務もあるんじゃない? あんなに幼い自分の息子を、本当に置き去りにできるの?」そう言われて泣きたくなったけど、涙は出ず、こう考えました。「あの子を置き去りにしてるのは私? 信者を逮捕して迫害してる共産党のほうじゃない。おまけにあなたの息子なのよ、共産党の嘘を信じて離婚を言い張り、家族を引き裂こうとしてるのは。それを信仰のせいにするなんて」。だけど、白髪頭の義母が浮かべる悲痛な表情と、幼い息子が母から引き離されるという考えに、私はますますつらくなって、心が折れそうになりました。無言で神に祈り、お導きをと願いました。すると神の言葉の一節が心に浮かんできたんです。「神が人において行う働きのあらゆる段階において、それはあたかも人の手配により、あるいは人の干渉から生まれたかのように、外面的には人々の間の相互作用のように見える。しかし舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人は神への証しにおいてしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたがたにおいて行う働きの各段階の背後にはサタンと神との賭けがある。その背後にはすべて戦いがある。……神とサタンが霊的領域で戦う時、あなたはどのように神を満足させるべきか、どのように固く証しに立つべきであろうか。あなたは自分に起こることのすべては大いなる試練であり、その試練の時に神があなたの証しを必要とすることを知るべきである」(『言葉は肉において現れる』の「神を愛することだけが本当に神を信じることである」)。神の言葉を噛みしめるうちに、気づきました。我が身に起きていることはどれも、人間が私を妨害しているように見えるけれど、全ての裏にはサタンの策略があるのだと。サタンが家族を操って私の邪魔をさせ、息子や家族への思いに付け入って私を脅し、私に神を裏切らせ、救いの機会を失わせようとしてる。サタンの策略にはまるわけにはいきません。神を信じて証しに立ち、サタンを辱めねばならないんです。そうして私は義母に言いました。「人は神に造られたのだから、神を信じて崇めなければなりません。もちろん、私の命も神から授かったものであり、何があろうと、私は最後まで神に従います。説得しても無駄ですよ」と。義母は首を振ってそのまま出ていきました。
その夜、私がまだ神の言葉を読んでいることに夫が気づき、カンカンに怒ってこう言ったんです。「まだ分からないのか? このままじゃ刑務所行きだぞ! 命がどうなってもいいのか? お前はよくても、俺や息子まで巻き込むのはやめてくれ。お前が入信すると分かっていたら、そもそも結婚なんかしなかった!」そこまで言うと、夫は私を玄関の外に押しやり、憎しみに満ちた声で、「神と関わり続けるなら、お前の居場所はもうこの家にはない!」と言い放ち、力任せに扉を閉めて、鍵をかけたんです。夫の冷酷さを目の当たりにし、息子が必死に私を呼び続けるのを聞いていると、胸が張り裂けそうでした。それは深夜、午前2時過ぎでしたし、私は無一文でした。このまま家に戻れず、息子にも永遠に会えないの? どうしていいか分からず、考えれば考えるほど寂しくてたまりませんでした。そこでふと、携帯があることを思い出し、実母に電話をかけました。母の声が聞こえてきた時、涙がどっとこぼれだして、ずっと苦しんできた痛みと苦悩がこみ上げてきました。母は涙をこらえてこう言いました。「ねえ、落ち着いて。神がお前を見捨てることはないから、ただ神を信じてすがりなさい」。母の慰めと励まし、そして神を信じよという助言を耳にしたことで、信仰心が再び湧き上がるのを感じました。次の日、凍えてお腹を空かし、行く当てもなく通りをさまよっていると、1人の姉妹にばったり出会いました。彼女は私を自宅に連れて行き、今の状況を理解させようと、神の言葉を数節読んでくれました。全能神は言われます。「悪魔が残忍非道をはたらく暗黒社会において、眉一つ動かさずに人々を殺す魔王が、愛しく優しく聖い神の存在をどうして容認できようか。どうして魔王が神の到来に喜び喝采を送ることができようか。卑屈な者ども。彼らは恩を仇で返し、神を侮って久しく、神を虐待し、残忍を極め、神を少しも敬うことなく、強奪や略奪を行い、良心を完全に失い、良心にすっかり逆らい、純真な人々を誘惑し無分別な状態に陥れる。遠い昔の祖先とは何なのか。愛すべき指導者とは。彼らは皆、神に反抗している。その干渉により、地にある者すべてが闇と混沌に陥れられている。宗教の自由だと。市民の正当な権利と利益だと。そのようなものはどれも罪を隠蔽する手口である。……なぜ、神の働きに対してそのような難攻不落の障害を建てるのか。なぜ神の民を欺くために様々な謀りを用いるのか。真の自由と正当な権利と利益はどこにあるのか。公平さはどこにあるのか。安らぎはどこにあるのか。温もりはどこにあるのか。なぜ偽りに満ちた謀りを用いて神の民を欺すのか。なぜ力ずくで神が来るのを抑制するのか。なぜ神が創った地の上を神に自由に移動させないのか。なぜ神が枕するところもなくなるまで神を追うのか」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(8)」)。「神は重い苦しみを背負ったこれらの人々を目覚めさせ、完全に目が覚めるまで立ち上がらせて、彼らが霧の外へと歩み出て、赤い大きな竜を拒むようにさせるつもりである。彼らは夢から目覚め、赤い大きな竜の実質を認識するとともに、自分の心を残らず神に捧げ、闇の勢力の圧迫から身を起こし、世界の東方で立ち上がり、神の勝利の証しになれるだろう。そうすることでのみ、神は栄光を得る」(『言葉は肉において現れる』の「働きと入ること(6)」)。神の言葉を聞いてわかりました。世の終わりに神が受肉して地上に来られ、働きをなさって真理を表わすのは、人を清めて救うため。共産党が恐れているのは、誰もが真理を受け入れて神に従い、神の救いを得て、党の支配と暴虐から自由になること。だからこそ必死に信者を弾圧・逮捕し、全能神教会を中傷断罪する嘘八百を並び立てて、人民を騙し、あおり立て、神を拒絶させる。まったくひどい! 家族が私に冷たく当たるのも共産党に騙されているからで、共産党はあらゆる嘘で人民の目を曇らせようとし、全人民が党と共に神に刃向かい、地獄に堕ちて懲罰を受けることを望んでいる。それがサタンの計略なんです。ここに至ってはっきり分かりました。共産党という組織は神と戦い、人民に危害をなし、一人残らず呑みこもうとする悪魔の群れ。その罠にはまるわけにはいかないし、家族からどんな仕打ちを受けようと、決して神を裏切らず、ひたすら神に従い、本分を尽くさなければ。
夫が私の故郷の親類や友だちに電話したところ、みんな連絡を取り合って私に電話をかけ、口々に問い詰めたんです。弟はこう言いました。「まだ若いから何でもできるのに、どうして神を信じるの? 姉さんは主婦だから、子どもと家族の世話が仕事なんだろ。どうしてわざわざ神を信じる? 共産党に逮捕されて刑務所行きだよ。僕らはただの凡人だ。党と戦えるわけがないだろう?」伯母からも電話がありました。「あなた、気は確かなの? 幸せで満ち足りた家庭を信仰でバラバラにするなんて。家族のことが心配じゃないの? どうしてそんなに頑固なのよ!」と。別の叔母からもこう怒鳴られました。「まだ結婚して年も浅く、子どももあんなに幼いのに、あなたが投獄されたら、あの子はどうなるの? お願いだから聞いて頂戴。あなたのために言っているのよ」。すると、兄が電話を替わって言うのです。「あくまで信仰を捨てないなら、離婚されても実家には帰ってくるなよ。俺たちもお前とは絶縁だ!」おまけに80歳の祖母までが、涙声でこう言うのです。「お前が逮捕されたらどうするの? 聞いておくれ。みんなお前の幸せを願っているのよ」。電話を切ってから、私は本当に悲しくなりました。言いたいことが山ほどあった。私の幸せのためだと言うけど、本当にそうなの? 全能神に救われなければ、私はとうの昔に命を落として、生きてすらいないはず。幸せで満ち足りていた私の家庭を壊し、家族を引き裂いたのはいったい誰? 私じゃなくて、共産党よ。共産党は信者を逮捕し迫害しているのに、みんな党を憎むどころか、党の肩を持って私を責め、神を裏切らせようとし、絶縁をちらつかせるなんて、善悪の区別すらできないの? 本当に私の幸せを願っているの? それでどうして家族と言えるの? 神から命を授かったのだから、その愛に報いるために本分を尽くして何が悪いの? 神を信じて人生の正しい道を歩むことの何が悪いの? それから数日、親族がひっきりなしに電話をかけて説教したんですが、私は本当に苦しく、すぐさま神に、我が心をお守りくださいと祈りました。そして結局、集会も本分も止めませんでした。
夫は記入済みの離婚協議書を突きつけて言いました。「お前が信仰を続けるなら離婚しよう。今後は息子に会わせない。ただし全能神への信仰を捨てる気があるなら、すべて水に流してもいい」と。離婚協議書を見ると、資産も、家業も、不動産も、私への分与は一切なく、息子の養育権すら夫のもので、私は無一文で放り出される。でも離婚に同意しなければ、夫は母と私を警察につきだし、全能神の信者だと告発するに違いない。夫は前からそのすべてを計画していて、密かに全財産を移して、離婚時点で共有財産が存在しないようにしていたんです。私は離婚協議書を手にしながら、再び窮地に陥りました。もしも書面にサインしたら、私は家から出ていかねばならず、二度と息子に会えなくなる。息子はまだ幼い。別れるなんて耐えられません。私は極限まで苦しみ、それこそ必死で神に呼びかけ、強く立てるようお導きくださいと祈りました。すると、神の言葉が心に浮かんできたんです。「人が試練を受けている際に弱くなったり、自分の中で消極性が生じたり、神の旨や自分の実践の道が明らかでなくなったりするのは普通のことである。だがいずれにせよ、あなたはヨブのように神の働きを信じなければならず、神を否定してはならない。……あなたが自分の経験の中で、神の言葉を通じてどのような精錬を受けようとも、神が人類に求めるのは、要するに神への信仰と愛である。神がこのようにして働きを行なうことで完全にするのは、人々の信仰と愛、そして志である」(『言葉は肉において現れる』の「完全にされる者は精錬を経なければならない」)。「あなたは真理のために苦難を受け、真理に自分を捧げ、真理のために恥辱を忍ばねばならず、またより多くの真理を得るために、さらに多くの苦難を受けなければならない。これこそがあなたのなすべきことである。あなたは平穏な家庭生活のために真理を投げ捨ててはならず、一時的な享楽のために、自分の一生の尊厳や人格を失ってはならない。あなたは、美しく素晴らしいすべてのこと、またいっそう有意義な人生の道を追求すべきである」(『言葉は肉において現れる』の「ペテロの経験――刑罰と裁きに関するペテロの認識」)。神の言葉から慰めと勇気を得て、実践の道もわかりました。夫が離婚を盾に脅してきたのも、神のお許しがあってのこと。ヨブの試練が頭に浮かびました。彼は全財産を盗まれ、一夜のうちに子どもたちも全員死んでしまい、全身が腫れ物に覆われて灰の山に座った。妻は彼を捨て、友人たちもあざ笑って非難した。そんな苦しみに遭いながらも、ヨブは神を称えてこう言いました。「ヤーウェが与え、ヤーウェが取られたのだ。ヤーウェのみ名はほむべきかな」(ヨブ記 1:21)。これこそ真の信仰です。ところが私は、何があろうと最後まで従いますと、神に向かって厳かに、断固として誓ったものの、いざ夫に離婚を突きつけられると、悲観的になって弱音を吐いた。本物の信仰ではありません。それから、共産党の嘘を信じた夫の仕打ちも考えました。神の言葉の本を引き裂くばかりか、私に暴力をふるって殺しかけた。私の信仰に巻き込まれることを恐れて、私と別れるばかりか無一文で放り出し、息子とも会わせようとせず、離婚に同意しなければ警察につきだすとまで言う。そんな夫がいるでしょうか? むしろ悪魔じゃないですか? そして神の言葉を振り返りました。「信者と未信者は相容れず、むしろ互いに敵対する」(『言葉は肉において現れる』の「神と人は共に安息へと入る」)。夫が離婚で脅すのは、共産党の言うことを鵜呑みにして神を憎んでいるから。だからたとえ夫婦でも、夫は党に従い、神に逆らう地獄への道をたどり、私は神に従って真理と永遠のいのちを得る道をたどってる。信者と非信者は別々の道を歩むんです。これ以上夫に邪魔されるわけにはいきません。夫が虐げようとすればするほど、神に従って証しに立ち、サタンを辱めようと決意しました。そこで、離婚に同意すると言いました。
民政局に行って離婚手続きを終えるその日まで、離婚すれば無一文になるということへの不安を感じずにはいられませんでした。どうやって暮らしていけばいいのかしら、と。私は家庭と店のために長年身を粉にして働いてきた。なのに無一文で放り出されるなんて、いくらなんでも納得できません。すると、神の言葉が浮かんだんです。「わたしのために、自分が将来生存するための道を考えたり、計画したり、それに備えたりするのを慎めるか」(『言葉は肉において現れる』の「極めて深刻な問題――裏切り(2)」)。神のこの問いかけに私は心から恥ずかしくなりました。艱難(かんなん)は誠実さを試すものだと言いますが、私は多少の困難に遭うと、自分の利益ばかり考えた。真の信者と言えるでしょうか? 私は完全に神の手中にあるのだから、己の全てを神に捧げ、今後のことへの心配も止めて、神の采配に従おうと決意しました。書類を書き終わったところで、夫に訊きました。「どうして離婚しなければならなかったの?」と。夫の答えは、「従兄弟から聞いたんだが、政府が発行した秘密文書があって、全能神の信者は重罪人だそうだ。家族に信者がいると判明した党員は、ただちに党籍を剥奪されるし、公務員なら免職になって子どもは大学に入れず、両親の年金も取り消されて、家族の財産も没収されるらしい。かつて罪人は末代まで罪に問われたが、今の全能神の信者も親族全員に咎(とが)が及ぶ。だから皆を守るためにお前を切り捨てるしかなかったんだ。さもないと、兄さんが党籍剥奪になるからな」と。夫の説明を聞くうち、腹が立ってきました。神は人々を救うために来られたわけで、それは全人類にとって素晴らしい祝福。なのに共産党は狂ったように神を憎んで刃向かい、あらゆる卑劣な手段で神の働きを妨害し、何が何でも無にしようとする。冷酷無情な悪魔の群れです。赤い大きな竜の正体を見た以上、騙されるわけにはいきません。本分をしっかり尽くして神の愛に報い、サタンを辱めようと決意したのです。そうして私は家を出て、伝道の本分を続けているわけなんです。神に感謝!
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