ある士官の悔い改め

2021年1月30日

全能神は言われます。「創世の時から今日に至るまで、神がその働きの中で行ったことは、みな愛であり、人間への憎しみは欠片ほどもない。あなたの見た刑罰と裁きでさえ愛なのだ。それはもっと真実で、さらに現実的な愛であり、その愛は人を人生の正しい道へと導く。……神が行ったすべての働きは、人々を人生の正しい道へと導くことがその目的であり、人間として正常な生き方ができるようにするためである。何故なら、人間はどのように人生を歩むべきか知らないからだ。このような導きがなければ、あなたは虚しい人生しか送れないだろう。価値のない無意味な人生しか送られず、どうすれば正常な人間でいられるのか、まったく分からないだろう。これが人間を征服することの最も深い意味である(『神の出現と働き』「征服の働きの内幕〔4〕」〔『言葉』第1巻〕)

私は田舎に生まれ、両親は正直で勤勉な農民でした我が家は貧しかったので、他の村人にいつも笑われたりいじめられたりしていました私はこう思いました。「いつか見てろよ。俺を見る目が変わるからな」私は十代で軍に入隊しましたそして昇進する希望を胸に、どれほど汚かったり疲れたりする仕事でも、残らず引き受けましたしかし何年経っても一兵士のままでそのとき気づきました高い評価を得て昇進するには、懸命に働くのでなく贈り物をする必要があるのだとそんなことは嫌でしたが昇進するためだと思い覚悟を決めて貯金をすべて下ろし、上官に贈り物をしましたその結果、軍の学校に入る「資格」をすぐに得られました卒業後に部隊へ戻ると、贈り物をするお金がなかったので料理人として働くことになりました私は心の中で「官吏は贈り物する者を叩かない」とか「媚びへつらわなければ人は何もできない」などといったことをよく知っていました何かになりたければ、贈り物をするお金を手に入れるべく、あらゆることをしなければならないのですさもなければ、どれほど有能でも何にもなれません私は出世したかったので、お金を手に入れるためなら何でもし上官に媚を売って彼らが好むものを贈りました自分がしているのは違法なことだとわかっており捕まって刑務所送りになるのを恐れましたいつもびくびくしていましたが士官になるという考えが私を前に進ませましたその後しばらくして、ようやく大隊長になれました帰省するたびに村人が私の周りに集まり、お世辞を言ったり媚を売ったりするようになりましたそれは私の虚栄心を大いに満たし野心と欲望も膨らみましたまさに「士官になるのはよい食事と衣服のため」とか、「権力はあるうちに使え。なくなれば使えない」などという言葉のとおりでした私は士官の特権を享受するようになり、一銭も払うことなく欲しいものを手に入れました私に何かをしてもらいたければ、食事でもてなしたり贈り物をしたりする必要があるというわけです私は大隊長という地位と政治委員の好意を利用し部下にあれこれ贈り物をさせることさえしました素朴な農民の息子から貪欲で、ずる賢く、不実な人間になってしまったのです。

業務の中で暴君のように振る舞うだけでなく家庭でも妻にひどい仕打ちをしていました何の理由もないのに、不倫したといって妻を責め、夫婦の溝を深くしました結局、妻は我慢できずに離婚を申し出ました私の幸せな一家が壊れようとしており息子もまた苦しんでいました私は苦悩の中、自分の人生を振り返りました傑出して他人より優れた存在になろうと、子どものころから決意してきた妻も私も順調に出世し、快適な生活を送っているみんなに賞賛され、自分は幸せで充実しているはずだったそれがいまなお空虚さを感じ、このような苦痛の中で生きているのはなぜなのか? これが望んでいた人生なのか? 人はいったいどのように生きるべきなのか? 私は困惑しましたが、答えは見つかりませんでしたその後、妻が全能神の国福音を受け入れいつも兄弟姉妹と集まり、交わりを行なうようになりました程なくして、妻は本当に前向きな人間になりましたもはや私と口論することもなく、離婚を口にするのもやめました妻の変化を見て、神への信仰は素晴らしいに違いないと思いましたそして私も、御言葉を読むことで全能神を信じるようになったのです。

私は教会生活を送り始め全能神教会が俗世とまったく違っていることを知りました兄弟姉妹は神の御言葉を読み、真理について交わります神の御言葉と真理によって自分を律し、正直になって心を開き、誠実であろうとしています私は清らかな地に来たような気がしてかつてない自由と解放を感じました集会に出て神の御言葉を読むことで神は聖く義でいらっしゃり、人間の汚れと堕落を何よりもお嫌いになることを学びました私は軍隊で数多くの悪習にはまっており悔い改めなければ神に憎まれ淘汰されるとわかりましたその後、私はこの神の御言葉を読みました「ひどく汚れた地に生まれ合わせて、人は社会に駄目にされ、封建的倫理の影響を受け、『高等教育機関』で教えを受けてきた。時代遅れの考え方、堕落した倫理観、さもしい人生観、卑劣な人生哲学、全く価値のない存在、下劣な生活様式と風俗、これらはすべて人の心をひどく侵害し、その良心をひどくむしばみ、攻撃してきた。その結果、人はますます神から離れ、ますます反対するようになった。人の性質は日ごとに悪質になり、神のために進んで何かを投げ出そうという者は一人としておらず、進んで神に従う者は一人としておらず、さらには神の出現を進んで探し求める者も一人としていない。それどころか、サタンの支配下で快楽を追求しているだけで、泥の地で肉体の堕落にふけっている(『神の出現と働き』「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」〔『言葉』第1巻〕)。これを読んで、自分が深く堕落している理由がわかりました軍にいた年月を振り返ると私は俗世における暗黙のルールに従って出世し数多くの悪事を犯して不正な利益を得ました深く堕落し、恥じることなく罪の中で生きていたのです神の御言葉は善悪の区別を私に示すとともに自分の堕落と腐敗の根源を見えるようにしてくれましたそのすべての奥底には、実はサタンがいたのです悪魔の王サタンはありとあらゆる教育や影響を用い私たちの社会を堕落させて罪のるつぼにしてきました権力者が我が物顔に振るまい、一般市民に暴虐の限りを尽くす一方普通の正直な人たちは押しのけられ、生きる場所もありません私たちの社会は誤謬と邪説に満ちています「我先に逃げよ。悪魔は一番遅れた者を捕まえる」「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治められる」「出世して先祖に栄誉をもたらす」「人は上を目指し、水は下に流れる」「官吏は贈り物する者を叩かない」「媚びへつらわなければ人は何もできない」「官吏になるのはよい食事と衣服のため」「権力はあるうちに使え。失ってしまえば使えない」こうしたことに取り憑かれ、周囲の圧力を受けていた私は知らぬ間に自分の道を失っていました士官になろうと手段を選ばず、自分の個人的利益のために権力を悪用しました利益をむさぼる堕落しきった人間になったのです私は心から自分の悪事を後悔しました立ち直る機会を与えて私を救ってくださった神に感謝しますさもなければ、私は自分の振る舞いのために呪われ、懲罰を受けていたでしょう私は心から神に感謝し自分の道を改めて軍隊を去り、新たな職を見つける決意をしましたしかし上官は私を引き留めようと、連隊の副司令官に昇進させてやると言いました私は躊躇してこう考えました「連隊の副司令官だって? 夢が現実になるじゃないか!」一瞬、その肩書きが頭から離れず、どうすべきかわからなくなりましたそこで神の御前に出て祈り、探し求めましたそしてこの神の御言葉を読んだのです「たとえあなたが地位が高く、名声があり、知識が豊富で、有り余るほどの資産の持ち主で、多くの人々の支持を得ていたとしても、それらのものが、あなたが神の前に出て神の召命と任務を受け、神の命じることを行う妨げにならないならば、あなたの為すことはすべて地上で最も意義深い行いであり、人類の最も義なる事業となる。もしあなたが地位や自分自身の目標のために神の召命を拒むならば、あなたの為すことはすべて神にのろわれ、さらには忌み嫌われるであろう(『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」〔『言葉』第1巻〕)。「人々は地上に来て、わたしに出会うことは稀であるが、真理を追い求めて得る機会を持つこともまた稀である。なぜこの人生で追い求めるべき正しい道として、この美しい時を尊ばないのか。そしてなぜあなたがたはいつも真理と正義に対して軽蔑的なのか。なぜあなたがたはいつも、人々を弄ぶ不義と汚れのために自らを踏みにじり、破滅させているのか(『神の出現と働き』「若者と老人に向けた言葉」〔『言葉』第1巻〕)。一言一句が私の良心を打ちました。私は目覚めてこう考えました「そうだ、地に降臨して真理を表わし、人をお救いになる受肉した神とお会いし真理を求めて神のために自分を費やす機会をもてた幸運は神の大いなる称揚にして恵みなんだ」創造主のために自分を費やす以上に有意義なことがあるでしょうかどれだけ昇進しようと、それで幸せでしょうか自分の好きなように振る舞い、ありとあらゆる悪事を犯す権力者が数多くいますしかし最後に、彼らは自分にふさわしい報いを受けるのですそれに、豊かになって束の間の名声を得る高官も数多くいますが権力闘争に負けた瞬間すべてを失って刑務所送りになる者もいれば、自ら命を絶つ者もいます……こうしたことがいつも起きているのです私はと言うと、必死に権力の階段を這い上がりましたが傲慢で、利己的で、不実になっただけでしたいま、神は数多くの真理を私に授けられ、人生の正しい道を示してくださいましたどうして以前のままでいられるでしょう人生の大半において、私は人間らしく見えなくなるほどサタンに傷つけられ、騙されてきました今後は違う生き方をして神に従い、真理を実践し、神の御言葉によって自分を律したいと思ったのですそうして私は職を変えて軍隊と縁を切ることにしましたしかし、サタンが私を深く堕落させていたので「出世して先祖に栄誉をもたらす」という害毒がまさに自分のいのちになっていました教会で、私はいつも地位のために競っており神の暴きと裁きがあって初めて私の追求は正されました。

しばらく教会で本分を尽くしているととても若い教会指導者と以前に私の友達だった別の指導者がいることがわかりました私は心が乱れてこう考えました「俗世では君たち二人とも俺の下にいるのに、ここ教会では俺の上役だ俺のほうが君たちよりもずっと優れた指導者なんだぞ!」私はあの手この手でそれを追い求めるようになりまずは計画を練りました毎日午前五時に起きて神の御言葉を読み、それから二時間説教を聞きましたそして週に三つ、神の御言葉の讃美歌を憶えますより積極的に本分を尽くしどんなにきついことでも疲れることでも、教会では自分にできることを何でも率先して行ないました集会では軍隊時代の経験を語り、自分の能力を誇示するとともに教会指導者の交わりを鼻で笑いましたまるで自分のほうが優れた仕事をできるかのように、彼らの考えや行動をこっそりけなすこともありましたこのように、私は名声と地位を求めて争いながら生き、教会指導者になることをいつも望んでいましたあるとき、指導者の不適切な処理に気づいたことがありました私は物事を処理できないことを理由に彼女を責め、辞職すべきだとほのめかしました次の選挙で自分が指導者に選ばれるのを期待したのですそれを知った兄弟姉妹は私の振る舞いを分析しあなたは不実で野心があり、教会の主導権を握ろうとしていると言いました私はグループリーダーとしての本分を剥奪されすっかり動揺してこう考えました「自分は名誉ある大隊長だったのに、いまでは教会のグループリーダーにすらなれない」それから数ヵ月後私にはそれがどうしても不満で、兄弟姉妹を見るのも耐えられませんでした集会でも黙り込んでいました私の霊はますます暗くなり、神を感じることもできません。そのとき初めて、私は不安を感じ始めましたそこですぐさま神に祈って呼び求め、この闇から導き出してくださるよう願いました。

その後、私はこの神の御言葉を読みました「あなたがたは追求において、個人的な観念や希望や未来を多くもちすぎる。現在の働きは、あなたがたの地位に対する欲望やとりとめもない欲望を取り扱うためのものである。願望、地位、そして観念はどれも典型的なサタン的な性質の表れである。あなたがたは今や信者であり、この働きの段階に関する認識が多少ある。しかし依然として地位への欲望を脇に置いていない。あなたがたは自分の地位が高いと、しっかり追求するが、身分が低いと追求しなくなる。地位の祝福のことを常に考えている。……あなたがたの追求がこのようなものであればあるほど、刈り入れる物は少なくなるであろう。ある人の地位に対する欲望が強ければ強いほど、それだけ深刻に取り扱われ、重大な精錬を受けなければならない。この種の人は無価値過ぎる。このような人は地位に対する欲望を完全に捨て去るため、適切な取り扱いと裁きを受ける必要がある。あなたがたが最後までこのように追求するなら、収穫は何もない。いのちを追求しない者は変化させられることはできない。真理を渇望しない者は、真理を得られない。あなたは自分の変化の追求と入りにことに重点を置かず、度を越した欲望や、神への愛を縛り、神に近付くことを阻む物事にいつも重点を置く。そのような物事があなたを変化させることができるだろうか。あなたを神の国へと導くことができるだろうか(『神の出現と働き』「なぜ進んで引き立て役になろうとしないのか」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は私の心を刺し通し、私はすっかり恥じ入りました自分は地位を求めて競いやがて兄弟姉妹に暴かれて取り扱いを受け、自分の本分を剥奪されました自分はそんなことなど望んでいなかったけれど、それは誰かの恨みを買ったからではありませんむしろ神の義なる裁き、時宜を得た救いだったのです終わりの日における神の働きは、私たちの古い考えと観念を変え私たちをサタンの支配から救い私たちが神から真理といのちを得て、光の中で生きられるようにすることなのです私は正しい道を歩むことも、真理の追求に集中することもなく地位と評判を求めていたのです私は陰謀を巡らせ、不正な手段で地位を得ようとしましたそれは人類を救うという神の御心に真っ向から反することではなかったでしょうか? そのようにし続けていれば、真理を得られずに淘汰されるはずです私が迷わないようにし、正しい道に引き戻すべく神は兄弟姉妹を通じて私を刈り込んで取り扱い私が自己反省して道を改めるよう私の野心と願望を暴き、地位をお取り上げになったのです神は人の心の奥底を本当にご覧になるのだとわかりましたまた、神の義、聖さ、全能、そして知恵についても真の認識をいくらか得るようになりました地位を失ったことについて、私はもう否定的になることも、意気消沈することもなくその代わりに真理を追い求め、神の指揮と采配に従おうと思いました。

半年後、私は別の教会で教会生活を送ることになりましたがそこでは指導者選挙が行なわれることになっていましたそこの誰一人として、自分ほど長く神を信じてきた人がいないことを知って私は喜びチャンスが巡ってきたと思いました人生経験と信仰の年月なら、自分は誰にも負けない自分は間違いなく教会指導者になれるはずだと考えたのです自分を立派に見せようと準備をしていたところ前の教会の姉妹が共産党に追われ、この教会に逃げ込んできました私は思いました「前の教会で私が地位のために競っていたことを、彼女は知っている再び教会指導者になろうと競っているのを見たら彼女は以前の醜い振る舞いを暴くだろうかそんなことをすれば、私の評判は地に落ちてしまう」仕方なく、私は計画をあきらめてこの状況を考えました「まずはグループリーダーになって、そこから階段を登っていこう」しかし驚いたことに、私はグループリーダーにすら選ばれなかったのです教会には日常業務を行なう人が不足していたので教会指導者から手伝ってくれないかと頼まれました従順でないと思われるのが嫌だったので、私はしぶしぶ引き受けました自分は名誉ある大隊長だったのに、いまではこんなにつまらない本分を尽くしているこんなはずではなかったのにと思いました程なくして、警察が私たちの集会場所を見張るようになったので、そこで集まることができなくなりました教会指導者は私を別のグループに移しもてなしの本分を尽くしている兄弟姉妹と集会を開くように言いました私は納得できませんでしたつまらない本分を尽くしているだけでなくもてなしの本分を尽くしている兄弟姉妹と集会を開かなければならないあまりに屈辱的だと感じたのです自分はどうしてここまで落ちてしまったのか? このようなことが続けば、自分にはどんな見込みがあるだろう? 私はますます動揺しすぐさま神に祈り、私を啓いてお導きくださいと願うことしかできませんでした。

やがて、私はこの神の御言葉を読みました「人間の心は、長年にわたり人間が生存のために依存してきた思想により腐敗させられ、その結果人間は不誠実で臆病で卑劣になった。人間は意志の力や決意が欠落しているだけでなく、貪欲で傲慢で強情になった。人間には、克己的決意が完全に欠乏している上、闇の影響による呪縛を払いのける少しの勇気もない。人間の考えと生活は腐敗し、神への信仰に対する人間の考え方は依然として耐えがたいほどに醜悪であり、人間が自分の神への信仰に対する考え方について語る時、それはただ聞くに堪えない。人間は皆、臆病で無能で卑劣であるが、また傷付きやすい。人間は闇の勢力に対して嫌悪感を覚えず、光と真理への愛を感じず、それらを排除しようと最大の努力をする。あなたがたの現在における考え方や見方は、このようなものではないだろうか。『私は神を信じているのだから、ひたすら神の祝福を浴び、地位は決して下がらず、不信心者の地位よりも高いと保証されているはずだ』このような見方が、あなたがたの心の中に抱かれているのは、一、二年間のことではなく、もう長年にわたってである。あなたがたの取引的な考え方はあまりに発達している。あなたがたは現在の段階まで達したが、依然として地位を捨て去れないままであり、いつか地位がなくなり、名前が汚されるのではないかという強い恐怖を感じて、地位について調べ、観察しようと日々奮闘している。人間は、安楽に対する欲望を決して捨て去らなかった(『神の出現と働き』「なぜ進んで引き立て役になろうとしないのか」〔『言葉』第1巻〕)。「今日の生き方を追求するのに最も適切な方法は何か。追求において自らをどのような者とみなすべきか。あなたは自らに今降りかかってくるあらゆることに対応する術を知っておかねばならない。それが試練であれ、苦しみであれ、無慈悲な刑罰であれ、呪いであれ、これらの全てを慎重に考えねばならない(『神の出現と働き』「学習しない無知な者たち。彼らは獣ではなかろうか」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉をじっくり考えながら、自分を反省しました「そうだ。追求する中で、自分をどのような人間と見なすべきなのか」私はいつも、自分を大隊長、高い地位の人間だと考えてきました自分には身分を伴う本分だけがふさわしく地位のある人だけが自分と集会を行なうのにふさわしいのだともてなしの本分を尽くしている兄弟姉妹を見下し彼らと一緒にいれば自分の地位が低く見られると考えました地位がなくなった私は否定的になって抵抗し、人生は無意味だとすら感じました地位と名声と利益に頭が混乱し、私は人間性を失いました何と卑劣で醜い人間なのでしょう! 私のような人間がどうして教会指導者にふさわしいでしょう教会は社会と違います。教会では真理が支配権を握っているのです指導者は優れた人間性をもち、真理を追求しなければなりませんしかし自分は地位を追い求め、指導者になろうと争うだけでした自分はどうしてこれほど理知がなく、恥知らずになれたのでしょう。

その後、私はこの神の御言葉を読みました「わたしは、一人一人の終着点を、年齢や年功、苦しみの量、とりわけ憐れみを誘う度合いではなく、真理を自分のものにしているかどうかに基づいて決める。これ以外の選択肢はない。神の旨に従わない人はみな懲罰されることをあなたがたは悟らなければならない。これは不変の事実である(『神の出現と働き』「終着点のために十分な善行を積みなさい」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉から神は地位や働きの量に基づいて私たちの終着点をお決めになるのではないことがわかりました大切なのは、私たちが真理を得たかどうか、神に従うかどうかなのです神の性質は誰に対しても義でありどんな本分を尽くそうとも、私たちはいつも真理を求めなければならないことがわかりました真理さえあれば、人は地位がなくても救われますしかし真理を追い求めることがなければ、どんなに地位が高くても救われません自分があれほど必死に地位を求めたのは、何と愚かなことだったかと思いました私はあれらの堕落した士官を憎んでいましたが自分も階級を登るにつれてひどくなり最後は彼らと同じ堕落した士官になってしまいました地位を得る前はとても正直に本分を尽くせる権力者がいますしかし権力を握るとすぐにそれを悪用し、ますます罪を重ねるのです私は教会から追放された反キリストのことを考えました地位がなかったときは何一つ悪事を働いていないように見えたのですがそれが変わるやいなや、偉そうに他人を抑え込み、押さえつけたのですその言動は自分の地位を守るためで、悪事を犯し、神の家の働きを乱しましたそのことは私に、真理がない人は常に堕落した性質によって生きることを示しました権力と地位を得た瞬間、邪になって悪事を犯すのです結局、それは懲罰を意味します! 長年にわたり軍で出世しようともがいていた私は、サタンの性質でいっぱいでした頭からつま先まで、傲慢で、不実で、利己的で、貪欲だったのです高い地位に就くと野心が膨らむばかりで軍の士官としての権力を悪用したのもまさにそうでした最後は悪事を犯して神の性質に背き、懲罰を受けるより他ありませんそうしたことを考えていると、私は不安と感謝を感じました神は折に触れて挫折と失敗をもたらし、私の野心と願望が満たされるのを防いでくださったのですこれは私に対する神の救いと加護でした! 名声や地位を追い求めることの本質と結果を見させてくださった神の啓きに感謝しますさらに、真理を追い求めることがいかに重要か、ようやくわかったのです。

それ以来私は真理を追い求めて自分の堕落を解消することに集中しました教会からどんな本分を任されようと、階級を気にすることはなくなりましたその代わりに真理の原則を求め、自分の本分を立派に尽くすことに集中したのですこのように実践し始めると、神の存在とお導きを感じることができましたそして表現しがたい穏やかさと喜びを感じたのですしばらくして、自分が他の人に対してより謙虚になったことがわかりましたそして軍の士官だったことを自慢することもなくなったのです兄弟姉妹に自分の欠点を指摘されたときは心から神に祈って従い、反省して自分を認識しようと試みましたまた同等の立場で他の人と接し、自分のほうが優秀だとは思わなくなりました追求への見方がいつの間にか変わっていたのです地位や名声や利益はすっかり消え失せ、それらに縛られることもなくなりました私ほど長く信仰していない人が教会指導者になるのを見てわずかに嫉妬することもありましたが祈りを捧げて真理を求めることで、すぐにそれを捨てることができましたいま、私は妻と一緒に自宅で本分を尽くしています目立つようなことではありませんが、私は本当に満足しています私たちは生活の中で、神の御言葉が支配権を握るように実践し正しく話して真理と一致している人なら、誰に対しても耳を傾けます全能神が自分を変えてくださったことを、私は真に経験したのです全能神は私の結婚と家族そしてこれほどまでに堕落した私を救ってくださいました私は傲慢で、自惚れていて、地位と利益に取り憑かれ、邪悪で貪欲でした神の救いがなければ、人生の正しい道を歩むことはできなかったでしょうますます堕落するばかりで最後はあまりに多くの悪事を犯したために、神に呪われ懲罰されていたはずですこれらの経験を通じ、私は神の救いと愛を実感しました真理を実践して多少人間らしく生きられるようになったのはひとえに神の裁きと刑罰のおかげです! 神に感謝!

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