質問 2:あなたがたが私たちに全能神について証されていたのを、長老と牧師たちが嗅ぎ付けたんです。彼らは異説や嘘を広めてまわり、全能神を非難しているんです。彼らは教会を封鎖して、兄弟姉妹があなたの説教を聞こうとするのをやめさせようと嫌がらせをし始めたんです。私たちを目の中の棘のように、最も憎むべき者とみなしているんです。全能神を受け入れる者は皆、教会から追放するとも言っています。教会は明らかに2つに分裂してしまいました。ある兄弟姉妹たちは私たちと一緒に正しい道を学びたいのですが、その他の人たちは牧師や長老と牧師たちに従い、東方閃電を拒み、非難していて、私たちを敵のように扱っているんです。たった数日で、なんで教会はこんなにも変わってしまったんでしょう?

回答:いま私たちが体験しているのは、霊的な戦いです! なぜそう言うかというと、実は、神様が受肉されて現れ、その働きを行われる度に、サタンの邪悪な力は徹底的に神様を拒み、非難するのです。これが当然霊的な闘いになっていき、教団をあばき、分け隔てるのです。まさに恵みの時代と同じです。主イエスの贖いの働きはユダヤ教全体を揺り動かしました。その言動によって多くの人びとが主イエスに従い始めましたが、ユダヤ人の指導者はどうだったでしょう? 彼らは主イエスの御言葉と働きにある権威と力を目の当たりにして、怖くなったのです。それはなぜなら、もし彼らが主イエスの説教と働きを認めてしまうと、すべての信者が主イエスに従ってしまい、ユダヤ教はたちまち消滅してしまうと確信したからです。したがって、彼らはユダヤ教を守り、自分たちの地位と食い扶持を確保するために、信者が主イエスを受け入れないように、できることは何でもやりました。このような状況下で、神様を信じた人々はそれぞれ異なった派閥に分かれました。何人かは真理を忌み嫌って拒み、神様の働きを拒み、非難しました;神様の敵となったのです。他の何人かは識別力を持たず、傍観者となりました。また他の何人かは、神様の声を聴き、その働きについて学び、受け入れることができ、彼らこそ、神様の働きに本当に従う者でした。教団が神様の現れと働きに遭遇すると、必然的に霊的な戦いが起こり、自然に分裂が生じるのです。当時の主イエスの御言葉と働きは、ユダヤ教の支配的な秩序を壊し、その正体を暴き、分裂したのです。これは簡単に理解できるでしょう。

皆さんは既に主イエスが再臨され、全能神として受肉されたのをご存じです! 全能神は、人類を清め、救うための真理を全て表して下さいました。その裁きの働きを主の家からお始めになり、宗教界に衝撃波を起こされています。他の宗派の信者やその指導者の多くが全能神の御言葉こそ真理であり、力と権威があることを理解していて、神様の声を認識し、全能神に立ち返ってきています。一方で、教団の牧師や長老たちはかんしゃくを起こしています。信者が全能神の御言葉を目にすれば、全能神に立ち返ってしまうと恐れているのです。それによって彼らは孤立してしまうからです。自分たちの地位、食い扶持、そして宗教界の永遠の支配を守るため、一緒になって熱心に全能神を拒み、非難しているのです。彼らは信者が正しい道を探し、学ぶことを抑制していますが、これはまた別の霊的な戦いにつながります。そして、聖書の預言を完全に満たすものなのです。「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである(マタイによる福音書 10:34)。「わたしは牧者らの敵となり、わたしの羊を彼らの手に求め、彼らにわたしの群れを養うことをやめさせ、再び牧者自身を養わせない。またわが羊を彼らの口から救って、彼らの食物にさせない(エゼキエル書 34:10)。この霊的な戦いの間、私たち信者は一人ひとり選択することを余儀なくされます。神様の真理と出現を待ち望む者は、終わりの日における全能神の働きの探求と学びを通して神様の声を聞き、全能神こそ主イエスの再臨、神様の出現であると確信しているはずです。彼らは皆、教団内の反キリスト勢力の抑制と支配から解き放たれています。清めと救いを受け取り、完全なる者とされるため、神の御座の前に引き上げられているのです。これらの人たちこそ、終わりの日において神様が生み出される勝利者たちなのです。全能神を否定し、拒み、非難する宗教指導者に従う人たちは、終わりの日において神様が取り除く毒麦や犬です。不信心者や反キリストであり、すでに神様から見放され、闇に落ちています。全能神の出現と働きは、終わりの日における宗教界に大飢饉をもたらしました。すべてが暴かれたのです。この霊的な戦いの間に、麦と毒麦、羊とやぎ、賢い処女と愚かな処女、良い僕と悪い僕とが分け隔てられ、類別されました。このことから、神様の働きの知恵と業の驚異が伺えます。

終わりの日において全能神が裁きの働きを成し遂げられた時からずっと神様は、悪魔的な中国共産党政府と教団の牧師や長老たちから徹底的な反抗と残忍な迫害に遭われてこられたということが理解できました。この堕落した人類の中には真理を愛する人々はほとんどいません。また、宗教界全体を見ても、神の出現を待ち望む人々はほとんどいません。これは主イエスの預言を完全に満たします。「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない(ルカによる福音書 17:24-25)。しかし、どんなに悪魔的な中国共産党や教団の邪悪な反キリスト勢力が迫害し、非難しようとも、神様から来るものは、結果的に勝つのです。これについては疑いの余地もありません。いいですか。この20年で、終わりの日における全能神の福音は中国全体に広まりました。この国では誰でも知っていることになりました。全能神が表された、『言葉が肉において現れる』はかなり前にインターネット上に投稿され神様の出現を待ち望み、真理を愛するあらゆる国の人々があらゆる場所で毎日、終わりの日における全能神の働きを学ぼうとインターネットで検索をかけるほどです。全能神の御言葉と働きは、まさに東から西へと閃く稲妻のようであり、これは主イエスの御言葉である、「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう(マタイによる福音書 24:27)の成就です。これは、終わりの日における全能神の出現と働きが主イエスの再臨の働きだということを教えてくれます! 神様の出現と働きは、人々が神様を受け入れ、神様の御言葉を広め、神様について証すればするほど価値が高くなっていきます。時間と事実がすべてを証明してくれます。これはまさに主イエスの働きによく似ていて、初めは、それが神様の働きだと気づく人は誰もいなかったにもかかわらず、福音が広まっていくと、より多くの人々が受け入れ始めました。終わりの日には、世界中に広まったのです。全能神の働きも同じです。今では様々な場所に広まって、より多くの人々が受け入れ、それが神様の御言葉だと認めています。これは、神の御言葉は全能であり、そのすべての文言は満たされるのに十分な証拠です。神様の御言葉に不可能はないのです!

それでは、全能神の御言葉から別の章を読みましょう。「わたしは宇宙の隅々まで自らの働きを行なっており、東方では雷のような轟音が終わりなく発生し、すべての国々と教派を震わせている。すべての人々を現在へと導いてきたのはわたしの声である。わたしはすべての人がわたしの声によって征服され、この流れの中に入り、わたしの前に帰服するようにするつもりだ。わたしははるか昔に全地からわたしの栄光を取り戻し、それを東方で新たに発したからだ。わたしの栄光を見ることを願わない者がいるだろうか。わたしの再臨を心待ちにしない者がいるだろうか。わたしが再び現れることを渇望しない者がいるだろうか。わたしの愛らしさを思慕しない者がいるだろうか。光のもとへ来ようとしない者がいるだろうか。カナンの地の豊かさを目にとめない者がいるだろうか。贖い主の再来を待ち望まない者がいるだろうか。偉大なる全能者を敬慕しない者がいるだろうか。わたしの声は地上の隅々まで行き渡るだろう。わたしは選ばれた者たちと向き合って、もっと彼らに話しかけたいと願っている。山々や川を震わせる強大な雷のように、わたしは全宇宙と人類にむかってわたしの言葉を語りかける。こうしてわたしの口から出る言葉は人の宝となっており、すべての人々はわたしの言葉を大切にしている。稲妻は東から西へとひらめき渡る。わたしの言葉は、人が手放したがらないと同時に人には理解し難いものだが、それ以上に彼らに大きな喜びをもたらすものである。すべての人々は生まれたての赤児のように喜びに満ち、わたしの到来を祝っている。わたしはすべての人々を、わたしの声によってわたしの前へ連れてくる。その時からわたしは正式に人類の中へ入り、彼らはわたしを崇拝するようになる。わたしが放つ栄光とわたしの口から出る言葉によって、人々はみなわたしの前へ来るようになり、稲妻が東方から閃くこと、そしてわたしが東方の『オリーブ山』にも降臨したことを知るようになる。彼らはわたしがすでにずっと前から地上にいたことを知り、すでにユダヤ人の息子ではなく、東方の稲妻であることを知るだろう。なぜならわたしはずっと前に復活し、人々の間から去って、その後再び栄光とともに人々の中に現れたからである。わたしは幾時代も前に崇拝された神であり、幾時代も前にイスラエル人によって見捨てられた赤児である。そしてそれ以上に、今この時代の栄光に満ちた全能神なのだ。すべての者をわたしの玉座の前に来させ、わたしの栄光に満ちた顔を見せ、わたしの声を聞かせ、わたしの業を目撃させなさい。これがわたしの旨のすべてであり、わたしの計画の結末かつ頂点であると同時に、わたしの経営の目的でもある。すべての国々にわたしにひれ伏させ、すべての人にその言葉でわたしを認めさせ、すべての人にわたしを信頼させ、またすべての人がわたしに服従するようにしなさい」(「七つの雷が轟く――神の国の福音が宇宙の隅々まで広まることを預言」『言葉は肉において現れる』)

誰でも全能神の御言葉を読んだ人は、全能神の御言葉が真理であり、神様の声だと認めるのです。これは、全能神が主イエスの再臨であることを十分に証明してくれています。私たちが主を信じ、従うのであれば、主イエスの再臨を受け入れなければなりません。まさにこれこそが、仔羊の足跡について行く者、の意味です。どんなに長く主を信じていたとしても、主が再臨された際に受け入れなかったり認めなければ、主に見放されるでしょう。主イエスの再臨は本当に人々を明らかにします。花婿の声を聞き、受け入れる人たちだけが賢い処女です。仔羊の結婚披露宴に出席する人たちだけが神の承認を得ることができ、清められ、キリストの国へ入ることができるのです。もし人々が主イエスの御名だけを信じ、その再臨を受け入れず、終わりの日においてキリストが表す真理を受け入れなければ、どうして主は彼らをお認めになられるでしょうか? 主イエスは必ず彼らを非難して、「あなたがたを全く知らない。不法を働く者どもよ、行ってしまえ(マタイによる福音書 7:23)と仰るでしょう。彼らはまさにパリサイ人と同じで、神様エホバの御名だけを信じ、受肉された主イエスを受け入れるどころか、主イエスを徹底的に拒み、非難したのです。彼らの信じ方は神様の承認を得たでしょうか? 彼らは神様に認めてもらえなかったばかりか、神様に呪われ、罪に咎められました。なので、主を信じているけれどその御名だけ、天国にいるあいまいな神様を信じているが終わりの日における神様の働きに従わず、終わりの日におけるキリストである全能神の真理を受け入れない人々は、パリサイ人と全く同じです。どちらも神様の御名だけを信じ、実際のところは神様を拒み、裏切っている人々です。彼らは皆、神様によって見放されるに違いありません。主イエスの再臨はすべての人間の正体を暴きます。これは私たちが明確に理解すべきことです!

映画『神への信仰』より引用

前へ: 質問 1:聖書の中でパウロは、私たちは権力者に従うべきと言っているが、もしパウロの言葉を通りにしたならば、常に国を治めている政権の言うことを聞かなければならない。しかし、無神論者である中国共産党は、信仰ある人たちを迫害している神様の敵だ。主を信じることを禁止するだけでなく、神の福音を述べ伝える人たちを捕まえ、迫害する。もしそれに従って主を信じず、福音も述べ伝えなかったら、主に反抗するサタンに加担し、主を裏切ることにならんだろうか? 私たちは滅びに定められたものとなるんじゃないか? 本当によくわからん! 私たちの現政権への対応が御心に叶っているかどうかなんて、どうやって判るのだ。

次へ: 質問 3:終わりの日の全能神の働きを学び始めてから、宗教指導者たちは、全能神をはげしく非難して真の道を学ぼうとする私たちを、あらゆる手を使って邪魔してきます。ユダヤ教のパリサイ人が主イエスに逆らい非難したのと同じです! 考えていたんですが、なぜ働くために神が二度も受肉して2度とも宗教界や無神論政府による集団的な非難と迫害を受けたのでしょうか? 人類を清めて救うために真理を語って働くだけのために、終わりの日に全能神がお見えになりました。宗教界と中国共産党政府はなぜキリストをそんなに恨み、メディアと武装警察まで動員してキリストを非難、冒涜し、逮捕、壊滅をねらってるんでしょうか。ヘロデ王がユダヤの王である主イエスが生まれたと聞いてベツレヘムにおいて、2歳未満の男児の虐殺を命じ、キリストを生かしておくより、何千もの無実の赤ん坊を殺すことを選んだことを思い出しました。人類を救うため神様が受肉されたと言うのに、なぜ宗教界と政府はそれを喜ばず狂ったように神様の出現と働きを非難し侮辱するのでしょう? 国中の資源を使い尽くしてまで、キリストを十字架につけたのはなぜでしょう。なぜ人類はこんなに邪悪で、神様に恨みを抱くのでしょうか?

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

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質問 4:いまのお話を聞いて、主がお見えになり天国に連れて行くという考えは思い込みと想像に過ぎないという事がわかりました。主の御言葉を裏切る行為でした。主の再来をどうやって待てば引き上げられるのでしょう。もう少し詳しく教えていただけますか?

回答:実は主イエスは私達を引き上げるとおっしゃっています。「あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである」(ヨハネによる福音書 14:2-3…

質問 1:あなたは、主イエスが再臨され、その働きを行われるために受肉されたと証されていますが、私にはよくわかりません。私たちは皆、主イエスが神様の受肉であることは知っています。その働きを全うされ、十字架に磔にされ、蘇られ、すべての弟子達の前に現れられ、そして栄光に輝く霊的な体で天国へと昇天されました。まさに、「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を仰いで立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになるであろう」(使徒行伝 1:11)と、この聖書箇所にあるように、主が再臨される際に私たちに現れるのは、神様の復活した霊体であることが確認できます。終わりの日において、なぜ神様は裁きの働きを行われるために人の子として受肉されたのでしょうか? 復活された主イエスの霊体と人の子としての受肉の違いは何でしょう?

回答:信者の大半は、再臨された主がその霊体、つまり主イエスが復活されて40日間に人々の前に現れた時と同じ霊体で出現されると信じていますが、これについては明らかです。復活後の主イエスの霊体は見掛けは受肉と同じ姿で現れますが、物質界や空間または場所に束縛されることはありません。自由に…

質問 1:聖書は神様の業の証しであり、人類に驚くべき利益をもたらしました。聖書を読むと、神様は全ての創造主であり神様の驚異的で偉大な行い、そしてその全能性が理解できます。聖書は神様の言葉の記録であり、神様についての人の証言ではあるものの、ではなぜ人は聖書を読むことによって永遠の命を得ることができないのだろうか? なぜ永遠の命の道については書かれていないのでしょう?

回答:聖書を読むと、神様は全ての創造主であり、私達は神様の驚くべき行いに気づき始めます。これは聖書が神様の最初の2段階の御働きを証しするものだからです。律法の時代と恵みの時代の神様の御言葉と御働き、そして人の証しの記録だからです。ですから、聖書は私達の信仰にはとても重要なのです。…

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