主が受肉して終わりの日に真理を表し、人に対する裁きと清めの働きを行うためにすでに再来なさっているとあなたがたは証を立てていますが、宗教界の牧師と長老たちは主が雲に乗ってこられ、信者はたちどころに形を変え、主と会うために雲の中に携挙されるであろうと信じています。これはパウロが次のように言った通りです。「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう」(ピリピ人への手紙3:20-21)。主は全能であり、主がなし得ないことは何一つありません。神は一言で私たちを変えて清めることがおできになるでしょう。それならばなぜ真理を表し、人間に対する裁きと清めの働きの一段階を行うために神が受肉なさる必要があるのですか。

2021年3月17日

回答:神の働きは人間には計り知れないので、神の預言をはっきり説明できる者はいません。預言が成就されて初めて人間には理解できる、それはどういう意味でしょう。誰も神の知恵と全能を測ることはできないということです。主が恵みの時代に来られ働かれましたが、誰もそれを見抜けませんでした。神の国の時代に全能神が裁きの働きをされても、それは誰も予測できなかったことです。つまり、終わりの日に真理を示し裁きの働きをするため神が受肉することは人間には想像もつかないことです。神の働きが終わるとき、大災難が訪れるそのとき、多くの人が神の御言葉が全て成就されたことに気づくが、後悔しても時遅し、大災難の中泣き叫ぶしかない。神が人を清め救うため終わりの日いかに裁きの働きをされ、いかに勝利者の一団を作られるか、全能神の言葉を読むと、はっきりします。

全能神は言われます。「あなたがたは、神の旨を見ることができなければならず、また神の働きが天地と万物の創造ほど簡単なものではないことを知らなければならない。それというのも、今日における働きとは、感覚が麻痺しきっている堕落した人間を変えることであり、創造されながらサタンによって加工されてしまった人たちを清めることだからである。それはアダムとエバの創造でもなければ、まして光やあらゆる動植物の創造でもない。神は、サタンに堕落させられたものを清めたあと、それらを新たに自分のものとする。それらは神に属するものとなり、神の栄光となる。これは人が想像するようなことではなく、天地とそこにある万物の創造、あるいはサタンを奈落の底に突き落とす呪いの働きほど簡単なことでもない。むしろ、それは人を変える働きであり、否定的で神に属さないものを、肯定的で神に属するものへと変えるのである。これが、現段階における神の働きの背後にある真実である。あなたがたはこのことを理解し、物事を過度に単純化することを避けなければならない。神の働きは普通の働きとは違う。その素晴らしさと知恵は人の知性を超えている。現段階の働きにおいて、神が万物を創造することはないものの、万物を破壊することもない。代わりに、自身が創造した万物を変え、サタンに汚された万物を清める。神はこのようにして偉大な事業へと乗り出すのであり、それが神の働きの全体的な意義である。これらの言葉の中に見る神の働きは、本当にかくも簡単なものだろうか(『神の出現と働き』「人が想像するほど神の働きは簡単なものか」〔『言葉』第1巻〕)

人間の肉はサタンによって堕落し、最も深く盲い、まことに深く損なわれた。神自らが受肉して働く最も根本的な理由は、救いの対象が肉の体をもつ人間であり、サタンもまた人間の肉を用いて神の働きを妨げているためである。サタンとの戦いは、実は人間を征服する働きであり、同時に、人間はまた、神による救いの対象でもある。このように、受肉した神の働きは不可欠なのだ。サタンは人間の肉を堕落させ、人間はサタンの体現者となり、神に打ち負かされるべき存在となった。このように、サタンと戦って人類を救う働きは地上で行われ、神はサタンと戦うために人間にならなければいけない。この働きは極めて実際的なものだ(『神の出現と働き』「堕落した人類は、受肉した神による救いをさらに必要としている」〔『言葉』第1巻〕)

最初の人類は神の手の中にあったが、サタンによる誘惑と堕落によって、人はサタンに縛られ、悪しき者の手中に落ちてしまった。こうしてサタンは、神の経営の働きにおいて、打ち負かす対象となった。サタンは人間を自分の所有物としたが、人は神の全経営の資本であるので、人が救われるには、サタンの手から取り戻されなければならない。すなわち、人間はサタンの虜となった後に連れ戻されなければならないのである。かくして、サタンは、人間の古い性質の変化、人間の本来の理知を回復する変化によって打ち負かされなければならず、こうして、虜となっていた人間をサタンの手から取り戻すことができる。もし人がサタンの影響や束縛から自由になると、サタンは辱められ、人は最終的に取り戻され、サタンは打ち負かされるであろう。そして人はサタンの暗闇の影響から解放されたので、人はこのすべての戦いの戦利品となり、この戦いが終わるとサタンは懲罰の対象となるそのとき、人類を救う働きのすべてが完了するのである(『神の出現と働き』「人間の正常な生活を回復し、素晴らしい終着点へと導き入れる」〔『言葉』第1巻〕)

終わりの日の働きにおいて、言葉はしるしや不思議の顕示よりも力強く、言葉の権威はしるしや不思議の権威を超越する。言葉は人の心に深く埋もれた堕落した性質を残らず暴く。あなたには自分でそれらを認識する術がない。それらが言葉を通じて暴かれるとき、あなたは当然それを見つけるが、否定することはできず、完全に納得するだろう。これが言葉の権威ではないのか。これが現在の言葉の働きによって得られる成果である。したがって、病を癒したり悪霊を追い出したりすることで、人が罪から完全に救われることはなく、またしるしや不思議を示すことで人がすっかり完全にされることもないのである。病を癒したり悪霊を追い出したりする権威は人に恵みを与えるだけで、人の肉は依然としてサタンに属し、堕落したサタン的性質は依然として人の中に残っている。言い換えると、まだ清められていないものは依然として罪と汚れに属しているのである。人は言葉によって清められて初めて、神のものとされ、聖いものとなる。……この裁きと刑罰の働きによって、人は自分の中の汚れて堕落した本質を完全に知るようになる。そして完全に変わり、清くなることができる。この方法でしか、人は神の玉座の前へと戻るのにふさわしくなることができない。今日なされるすべての働きは、人が清められて変わるためのものである。言葉による裁きと刑罰、そして精錬を通じ、人は自分の堕落を一掃して清められることが可能になる(『神の出現と働き』「受肉の奥義〔4〕」〔『言葉』第1巻〕)

(中略)

終わりの日に神は一言で人を変えるのではなく、受肉し真理を示し裁きの働きをし、そして人を清め完全にするのです。そこには真理と奥義があります。終わりの日に神が裁きの働きをされ、人を清め完全にする過程は私達が想像できるほど単純ではありません。主イエスは一言でラザロを死から蘇らせました。サタンによって完全に堕落させられ、神を拒み抗う人類を清めて、神を理解し、服従し、崇拝する人類に変えたり、生きた悪魔となり何千年も腐敗している人類を20年から30年の間に真理を持つ人間らしい人間に変えることは、サタンとの戦いなのです。もし神がたった一言で死者を生き返らせ、私達を変えてしまうのはサタンを辱めることになりますか?終わりの日において、人類はサタンによって何千年も堕落させられたままです。 サタンの本性と性質が人に根深くしみ込んでいます。人類は横柄で我儘で、噓つきで、欲深いですね。人類は真理を嫌悪し、忌み嫌います。早くから神の敵となったのです。まるで神に抗い裏切るサタンの族です。神が人を救うことは、実はサタンとの戦いなのです。全能神によると。「人間の肉は極めて深く堕落しており、神に敵対するものになっている。そして、公然と神に敵対し、神の存在を否定しさえする。この堕落した肉は、まったく手に負えない。堕落した肉の性質以上に扱いにくく、変えにくいものはない。サタンは人間の体に入って混乱させ、人間の体を使って神の働きを妨害し、神の計画を妨げる。それゆえ人間はサタンとなり、神の敵になった。人間が救われるには、まず征服されなければならない。このため、神は挑戦に立ち上がり受肉した。働きを行い、サタンと戦うためである。神の目的は堕落した人類の救いと、自分に抵抗するサタンを打ち破り、滅ぼすことである。神は人間を征服する働きによってサタンを破り、同時に堕落した人間を救う。したがって、それは二つの目的を一度に果たす働きである(『神の出現と働き』「堕落した人類は、受肉した神による救いをさらに必要としている」〔『言葉』第1巻〕)

サタンによって堕落し神に逆らうようになった人類を真から神に服従し、相容れる人類へと変えたいのです。これは非常に困難な仕事です。神が天と地とその他全ての物を造るよりもはるかに困難で、何もないところから神は一言で天と地とその他全ての物を造った。しかし、完全に堕落した人類を清め変えるために、神は受肉して真理を多く示し、人を裁いて清めなければならない。私達が神の裁きと刑罰を受け、堕落から清められるためには長い時間と過程が必要です。これはサタンと神との戦いの過程でもある。サタンの本来の意図によると、人間は生きた悪魔へと堕落するのです。神がこの生きた悪魔を人間に変えることができれば、サタンは敗北を認めるしかないのです。だから、神は最初の計画通り、サタンの族と戦うため受肉するのです。まず真理を示して人を征服し、真理で人を清め完全にするのです。真理を理解して神を知ったとき、サタンに堕落させられていたことをはっきり自覚し、サタンを嫌い、離れ、呪うでしょう。そして最終的にはサタンに徹底的に反抗し、完全に神の元へ帰るのです。そうすることで神がサタンの手から人類を奪い返したのです。救われた者はサタンを倒す神の戦利品ですね。こうすることによってのみ、神はサタンを完全に破り、辱めることができるのです。これは終わりの日の神の裁きの働きの内情でもあります。終わりの日の神の働きの真実が分かりましたか?終わりの日の神の働きはわずか20年から30年ですから、神は勝利者のグループを作り、この勝利者達は神が獲得し享受する初穂なのです。人類の歴史からすると、20年や30年は一瞬とは言えませんか?聖書にはこうあります。「主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである」(ペテロの第二の手紙 3:8)。主が終わりの日に戻られ、一瞬にして私達の姿を変えるというのなら、終わりの日の神の働きが成し遂げる結果に完全に当てはまりますね。そういうことですね。「しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう」(ピリピ人への手紙 3:20-21)。しかしながら、パウロの言葉は主が戻られたとき、一瞬にして姿を変え空に引き上げられ、主に会えるというように安易に解釈されるので、私達は主が雲に乗り降りて来て私達を変え引き上げてくださるのをむなしく待っていた。パウロの言葉は誤解を招きませんか?観念や想像ばかりで神の働きをとらえてはいけません。神の働きはその段階も実践的で目に見える物です。受肉された全能神は現実の神で、真理を示して人を救うためお見えになりました。それを受け入れないのは神に反抗し拒否していることになりませんか?神の承認と祝福を受けることができますか?

『神の国の福音に関する代表的な質問と解答(セレクション)』より引用

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回答:終わりの日において、神様は勝利者の集まりを作るために真理を表され、裁きの働きを行われます。それは神様と心を一つにする人々の集まりで、神様がこの世を創られた時から決まっていたことです。しかし、神様の働きを知らないがゆえに、神様の御言葉に非難と呪いが含まれているのを見て、間違っ…