全能神の御言葉を読んでいると、時にはとても厳しいことを仰っています。人類への裁き、非難や呪いとか、もし神様がそのようなことをされるのなら、咎めれて罰せられるのでは? そんな裁きの働きが人々を清め、救うんだなんて、どうしてそんなことが言えるのでしょう?

2021年3月17日

回答:終わりの日において、神様は勝利者の集まりを作るために真理を表され、裁きの働きを行われます。それは神様と心を一つにする人々の集まりで、神様がこの世を創られた時から決まっていたことです。しかし、神様の働きを知らないがゆえに、神様の御言葉に非難と呪いが含まれているのを見て、間違った観念を持ってしまう人々もいます。終わりの日の神様の裁きは、ヨハネの黙示録に預言されている、大いなる白い玉座の裁きです。神様は、義と威厳と怒りからなる御性質を明かされ、人々の本性を暴き、種類ごとに分けられます。また、古き時代を終わらせ、サタンに属する者を一掃するためでもあります。ではサタンに属し神様を拒否する人々を神様は非難し、呪われないのでしょうか? 裁きについての御言葉はあり、神様の選民の堕落や本当の堕落した様子を暴いていて、非難のようですが、それは神の選民が自身の堕落した性質の本質を見つめ、問題の確信を見通し、真理を理解する機会を神様がお与えになっているからです。もし神様が厳しい方でなく、御言葉が私たちの核心を突かなければ、自分の堕落とサタン的本性に気づくことができないでしょう。そうでなければ、終わりの日の神様の働きが人類を清めることも、完全にすることも無いのです。真理を愛し事実を尊重する者は皆、神様の御言葉が鋭く、それが裁きや刑罰、非難や呪いの言葉であっても事実に基づいており、神様がとても純粋かつ実践的で、適切に語られることを理解しています。神様の厳しい御言葉が生む結果によって、人間に対する神様の純粋な愛と、人類を救うご意思がわかりますが、真理に飽きている者は観念を生み出し、真理を忌み嫌う者は、神様の働きを裁き、非難してしまうのです。神様は20年以上も中国で働かれていて、すでに勝利者の集まりを作られています。中国共産党政府の激しい弾圧と迫害を受けながらも、強く立ち、証をすることができているのは、すべて神様の御言葉のおかげです。彼らは御言葉にある神様の愛を知り、神様が人間を救うためにどれほど苦しまれたかを理解し、御言葉が厳しいものであっても従うことができ、そうすることで神様の性質についての真の認識を得て、神様への愛と畏敬の心を育み、自分たちの本分を忠実に行い、最後までずっと神様と共に歩むことができるのです。これがサタンの面目を潰す一番の方法であり、神様がサタンを打ち負かすという証拠なのです。終わりの日に神様がどのように人々を裁き、清められるかは、全能神の御言葉を読み、理解を深めましょう。

全能神は言われます。「神の今回の受肉において、神の働きは主に刑罰と裁きを通して神の性質を表すことである。これを基礎として、神は人により多くの真理をもたらし、より多くの実践方法を示し、こうして人を征服し、堕落した性質から人を救うという神の目的を達成する。これが神の国の時代における神の働きの背後にあるものである(『神の出現と働き』「序文」〔『言葉』第1巻〕)

終わりの日には、キリストはさまざまな真理を用いて人間を教え、人間の本質を明らかにし、人間の言動を解剖する。そのような言葉は、人の本分や、人はいかに神に従うべきか、人はいかに神に忠実であるべきか、いかに正常な人間性を生きるべきかや、また神の知恵と性質など、さまざまな真理を含んでいる。これらの言葉はすべて人間の本質とその堕落した性質に向けられている。とくに、人間がいかに神をはねつけるかを明らかにする言葉は、人間がいかにサタンの化身であり、神に敵対する力であるかに関して語られる。神は裁きの働きを行うにあたって、少ない言葉で人間の本性を明らかにすることはない。むしろ長い期間にわたり、それをさらけ出し、取り扱い、刈り込む。このような方法のさらけ出し、取り扱い、刈り込みは通常の言葉が取って代わることはできず、人間が一切持ち合わせていない真理でなければ取って代われない。このような方法のみが裁きと呼ばれることができる。このような裁きを通してのみ人間は屈服し、徹底的に納得して神への服従に向かうようになり、さらに神についての真の認識を得ることができる。裁きの働きがもたらすのは、神の真の顔と人間自らの反抗的性質についての真相を人が認識することである。裁きの働きにより、人は神の心、神の働きの目的、人には理解することのできない奥義についてかなり理解できるようになる。また、それにより人は自分の堕落した本質と堕落の根源を認識し知るようになり、人間の醜さを発見する。これらの効果はすべて、裁きの働きによりもたらされる。それは、実際に、この働きの本質は神を信じる人すべてに神の真理、道、いのちを開く働きだからである。この働きが神による裁きの働きである(『神の出現と働き』「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」〔『言葉』第1巻〕)

神はどのような手段で人を完全にするのか。それは神の義なる性質によって成し遂げられる。神の性質はおもに義、怒り、威厳、裁き、呪いから成り立っており、神はおもに裁きという手段で人を完全にする。中にはそれが理解できず、なぜ神は裁きと呪いによってしか人を完全にできないのかと問う人がいる。そのような人は「神が人を呪ったら、人は死ぬのではないか。神が人を裁いたら、人は断罪されるのではないか。それにもかかわらず、人はどうして完全になれるのか」と言う。神の働きを理解しない人はこのように言うのである。神が呪うのは人間の不従順であり、神が裁くのは人間の罪である。神の言葉は厳しく容赦がないものの、人の中にあるあらゆるものを明らかにし、そうした厳しい言葉を通じて人の中にある本質的な物事を露わにするが、神はそのような裁きを通じて肉の本質に関する深遠な認識を人に授け、そうして人は神の前で服従する。人の肉は罪から成り、サタンに属するものであり、不従順であり、神の刑罰の対象である。ゆえに、人に自分を認識させるには、神の裁きの言葉がその人に降りかかり、ありとあらゆる精錬が用いられなければならない。そのとき初めて神の働きは成果を生む(『神の出現と働き』「辛い試練を経験することでのみ、神の素晴らしさを知ることができる」〔『言葉』第1巻〕)

あなたがたはみな罪と放蕩の場所で生きており、あなたがたはみな淫らで罪深い。今日、あなたがたは神を見ることができるだけではなく、もっと重要なことに、刑罰と裁きを受け、真に深い救い、つまり、神の最大の愛を受けた。することすべてにおいて、神はあなたがたに真に愛情深く接している。神に悪意はまったくない。神があなたがたを裁くのは、あなたがたの罪ゆえであり、それはあなたがたが自省し、このすばらしい救いを受けられるようにするためである。これはみな人間を完全にすることを目的として行われる。始めから終わりまで、神は人間を救うために全力を尽くしており、神が自らの手で創造した人間を完全に破壊したいという願望はない。今、神は働くためにあなたがたのもとに来ており、このような救いはもっと偉大ではないのか。もし神があなたがたを憎んでいるのなら、あなたがたを直接導くためにそれ程大きな働きをするだろうか。なぜ神がそのように苦しむ必要があるのか。神はあなたがたを憎んでいないし、あなたがたに何の悪意ももっていない。あなたがたは神の愛が最も真実な愛であることを知らなければいけない。神が裁きを通して人を救わなければならないのは、唯一人が不服従だからである。そうでなければ、人を救うのは不可能であろう。あなたがたはいかに生きるべきかを知らず、いかに生きるべきかに気づいてもいないため、また、あなたがたはこの淫らで罪深い地に住み、あなたがた自身が淫らで汚れた悪魔であるため、神はあなたがたがいっそう堕落してゆくままにしておくことに耐えられず、また、あなたがたが現在のようにこのような汚れた地で生活し、サタンの思うままに踏みつけられるのは見るにしのびず、あなたがたがハデスに落ちてゆくままにしておくことには耐えられないのである。神はただこの集団の人たちを獲得し、あなたがたを完全に救いたいと願っている。これがあなたがたに征服の働きを行う主要目的である。ただ救いのためである(『神の出現と働き』「征服の働きの内幕〔4〕」〔『言葉』第1巻〕)

人間はサタンの領域、罪の中に生き、その罪を楽しんでいます。宗教界では誰一人として神様の降臨に気づかず、真理を愛し受け入れる者はいません。どのように神様への証しがされようと、御言葉が広められようと、何人の人が積極的に神様の出現と働きについて調べ、何人の人が神様の裁きと刑罰を受け入れ、従うでしょうか? 今の世の中こそまさに、邪悪な世の最たるものだと皆さん思いませんか? 終わりの日の神様の裁きのお働きがなければ、これほど堕落し、神様を否定するサタン的性質で満たされた人類が清められ、神様の救いを受け取ることができるでしょうか? 終わりの日の神様の裁きがなければ、誰が勝利者の集まりを作ることができるでしょうか? どのようにして主イエスの預言が成就し、キリストの国が実現するでしょうか? 主を信仰する人々の多くが、神様は愛と憐れみに溢れた神様で、私たちがどんな罪を犯そうが、赦してくださると信じています。私たちがどんなに堕落しようが、再臨された時には一人も取り残されることなく天国へと引き上げてくださると思っているのです。この考えは妥当ですか? これを肯定する主の御言葉がありますか? 神様は聖で、義なるお方です。では、不浄と堕落にまみれ、サタン的性質に満たされた人間や、真理を否定する神様の敵を赦し、天国へとお入れになるでしょうか? だからこそ、主イエスは再臨され、終わりの日に真理を表し、裁きの働きによって人間を徹底的に清め、救うと預言されたのです。堕落しきった人間に対して、神様は真理をもって確実にその裁きと刑罰の働きを行われます。これが人間の心と霊を呼び起こし、サタン的性質を洗い流す唯一の方法です。人間の不浄、堕落、神様への反抗などに対する神様の裁きの御言葉は厳しいものですが、それでも神様の聖なる、義なる性質を表し、私たちのサタン的本性と堕落を理解させてくれます。神様の裁きと刑罰の働きを体験することで、神様の御言葉によって征服されるのです。神様の裁きに自ら進んで服従し、喜びを持って真理を理解することで、自分のサタン的性質と本性を理解し、神様の義なる性質について本当に理解し、神様に対する畏敬の念を抱くことができるようになります。そうすれば、物事の見方も無意識に変わり、いのちの性質も変わり、神様を畏れ、悪を避けることができるようになるのです。終わりの日の神様の裁きのお働きがついに、勝利者の集まりを作り上げたのです。これが神様の家から始まる裁きのお働きの本当の意義です。私たちがこれから学ぶことができるのは、神様はその御言葉によって人間を裁きさらけ出すのは、罰を与え破壊するためではなく完璧に清め、変え、救うためです。しかし全能神の言葉による裁きと清めを受け入れない者は、大災害が起こる時に倒れ、罰せられるでしょう。

私たちは数年間、神様の裁きと刑罰を体験し、いくつかの真理を理解することができました。サタンによる人間の堕落は非常に深く、どの人も、傲慢や狡猾さ、利己的で自己中心的、嘘をついてずるをするなどサタン的性質を持っており、人間とはいいがたい生き方をしています。神様の御前で恥じらい、後悔の念を抱き、隠れる場所もない。これが私たちが神様の御言葉による裁きと刑罰を体験することで得た真理の1つです。私たちが得た最高のものと言えば、神様の義なる性質と聖さについて少し理解したことです。そのため神様を畏れ、悪を避け、本当の人間として生きることができます。私たちは神様に本当に清められ、素晴らしい救いを得たと深く感じています。これまで私は、教会の指導者として働いてきましたが、それは自分の地位や名声のためであり、兄弟姉妹のいのちの苦労を背負うことなどありませんでした。とりまきを集めるのが好きで、地位という祝福に貪欲で、人の言うことに耳を貸さず、私とは異なる意見の人がいても、己の考えを曲げることなく、主張を続け、相手を従わせました。真理を追い求めることも、真理の現実性を理解していなかったので、説教をしてもおざなりで、自分をよくみせることが目的でした。そのため自分の言動が神様の性質を犯していても知らないままでした。しかしある日、全能神のこの御言葉を読んだのです。「ひたすら自分の益のために神を信じるだけの者、独善的で横柄な者、自分を誇示する者、自分の地位を守る者は、サタンを愛し真理に反抗する人である。このような人たちは神に抵抗し、完全にサタンのものとされている(『神の出現と働き』「征服の働きの内幕〔1〕」〔『言葉』第1巻〕)。「あなたがたの姿は神の姿より偉大で、地位は神の地位よりも高く、人々の間での威信は言うに及ばず、あなたがたは人に崇められる偶像となっている。大天使になったのではないのか。人の結末が明らかにされるときは、救いの働きが終わりに近づくときでもあり、あなたがたの多くは救いのない屍となっており、排除されなければならない(『神の出現と働き』「いったん真理を理解したら、それを実践すべきである」〔『言葉』第1巻〕)。全能神の御言葉は一字一句に権威と力があり、剣のように私の心を貫きました。神様が私への怒りをあらわにされたのだと感じ、隠れる場所もないまま恐れに震え、とうとう神様の御前に来て、己の邪悪な在り方を悔い改めたのです。神様を信じているのに真理を追求せず、神を崇めず、証しせず、自分がどれだけ本分を尽くしたか自慢し、周りの人々から尊敬されることに一生懸命で、彼らを騙し、神様と地位を争っていました。それは、私はあまりに傲慢で恥知らずだったということです。私の態度はそれよりずっと前から神様の性質を犯し、神様と同等の地位をねらうような者は、神様に排除され、呪われてもおかしくありませんでした。私は大変苦しみ、精錬を受けました。真理を求めて神様に祈りました。さらに全能神の御言葉を読みました。「人間は神の刑罰と裁きにより精錬され、容赦のない暴露を受け、その目的は罪ゆえに人を罰し人の肉体を罰することであるが、このどれも肉を罪に定めて滅ぼすことを意図してはいない。言葉による厳しい暴露はすべてあなたを正しい道に導くためである。あなたがたはこの働きの多くを直接に体験しており、明らかにそれはあなたがたを悪の道へとは導かなかった。それはすべてあなたに正常な人間性を実際に生きさせるためであり、これはみなあなたがたの正常な人間性をもって達成できる(『神の出現と働き』「征服の働きの内幕〔4〕」〔『言葉』第1巻〕)。全能神の御言葉を読んだら突然ひらめき、自分に対する裁きにある神様の思いが理解できたのです。神様の裁きと刑罰は私を排除するものではなく、傲慢でサタン的な私の本性に気付かせ、私の行動の結果に気付かせ、神様が私のような人にどう対応されるかを知るためのものでした。だから私は心から悔い改め、自分を嫌い、自分を捨て、真理を追い求め、性質の変化を求め、普通の人間として生きられるようにと願ったのです。神様の御言葉が、私の神様についての間違った考えを無くして下さったことで、それ以上に否定的で弱気になることなく、真理を追求し始めました。神様に立ち返ったとき、自分が見捨てられていなかったこと、神様が私の罪に基づいて取り扱いをなさったのではなく、私を啓発して下さっていたことを知り、神様が人を裁き罰を与えることの意義を理解したのです。私は純粋に神様の憐れみと救いを感じることができました。神様の言葉を通じて裁きと刑罰を経験した後、神様の性質の義と聖を認識し、神様が非難や呪いの御言葉を人間に語られるのは人間の罪とサタン的性質を忌み嫌われるからだということを知りました。こうして私は、人々の罪を許容しない神様の義なる性質をますます感じ、神様に対する畏敬の念を持つようになったのです。そのような裁きと刑罰を繰り返し体験し、自分の傲慢な本性をきちんと理解して、心から自分を憎み、蔑みました。そうすることで本分を果たすことに謙虚になり、生意気なことを言ったり自慢したりしなくなりました。神様を讃え、証をたて、神様が命じられる通りに本分を果たすことができるようになったのです。兄弟姉妹の前で、はっきりと自分を分析しサタン的醜さをさらけだせるようになりました。周りの人々が自分のことをどう思っているかにもう関心がなくなり、兄弟姉妹が私を批判しても気にしません。神様の御前で真理を求め、自分を知ることができるからです。私がこのように変わり、すこし人間らしくなれたのは、全て全能神の裁きと刑罰によって成されたことです。

映画『美しき声』より引用

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裁きとは真理を用いて人類を征服することなので、この働きを人のあいだで行うために神が受肉した姿で再び現れることは疑いもないことである。つまり、終わりの日においてキリストは真理を用いて世界各地の人々を教え、彼らにあらゆる真理を知らしめる。

終わりの日に再臨した主イエスは、いったいどのような働きを行うのか。

参考聖書箇所 「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろ…

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