真理を理解し真理を得るためには、正確に何をしなければならないのか。

2017年11月18日

神の御言葉による答え:

神はすべての人に向かって言葉を発する。あなたがそれをよろこんで読むなら、神はあなたに導きと示しを与えるが、そうでないならば、導き示すことはない。神は、義に飢え渇く者、神を追い求める人々を導き示す。神の言葉を読んでも、神は導きと示しを与えなかったという人々がいる。どのように言葉を読んだのだろう。馬の背から花を眺めるようにさっと読んで、現実を重要視しないのならば、どうして神があなたを導き示すのか。神の言葉を大切に扱わない者を、どうして神は完全にできるのか。神の言葉を大切にしないなら、あなたは真理も現実性も持っていない。神の言葉を大切にするのなら、真理を実践でき、その時あなたは現実性を得る。だから、どのような状態でも、忙しかろうと、そうでなかろうと、困難な状況にあろうと、そうでなかろうと、試練を受けていようといまいと、神の言葉を飲み食いしなければならない。結局のところ、神の言葉が人間存在の基なのだ。誰一人、神の言葉から離れることはできない。神の言葉を一日三度の食事のようにとらなければいけない。神に完全にしてもらい、神のものとされることは、そんなに単純なことなのだろうか。今あなたが理解しているか、あるいは、神の働きについて悟っているかどうかにかかわらず、神の言葉をもっと飲み食いしなければいけない。これが積極的に成長するということだ。神の言葉を読んだ後で、成長できることを急いで実践しなさい。そして、できないことはそのままにしておきなさい。初めのうちは、神の言葉で理解できないことが多くあるだろう。しかし、二、三ヶ月後、あるいは一年後には、わかるようになる。これはどういうことだろう。これは、神には一日や二日で人間を完全にすることができないからだ。たいていの場合、神の言葉を読んでも、その時には理解できないであろう。その時点では、ただの文章にしか感じない。一定の経験を積んではじめて、理解できるようになる。神は多くのことを話したのだから、あなたは、神の言葉を飲み食いするのに最善を努めるべきだ。それと知らない間に、あなたは理解できるようになり、聖霊が啓いてくれる。聖霊が人を啓く時には、その人はそれと気づいていないことが多い。人が渇いて追い求めるとき、神は啓き導いてくれる。聖霊が働く原則は、人が飲み食いする神の言葉を中心としている。

『神の出現と働き』「神の国の時代は言葉の時代である」(『言葉』第1巻)より

90年代のペテロのような姿勢をとるということは、あなたがた一人ひとりが神の言葉を実践し、あなたがたの体験の中に本当の意味で入り、神との協力の中で、より多くの更に偉大な啓きを得て、あなたがたのいのちに更なる助けをもたらすべきであることを意味する。たとえあなたがたが、神の言葉をたくさん読んでいても、文章の意味を理解するだけで、実際の体験を通して得た、神の言葉に関する実地の知識がなければ、神の言葉を知ることはないであろう。あなたにとって、神の言葉はいのちではなく、いのちのない文字の羅列に過ぎない。そして、いのちのない文字に固執するだけなら、神の言葉の真髄を把握することはできず、神の意志を理解することもないであろう。あなたが神の言葉を実体験で経験して初めて、神の言葉の霊的な意味が明らかになる。また、あなたが多くの真理の霊的な意味を把握できるのは、体験の中だけであり、体験を通してのみ、神の言葉の奥義の鍵を開けることができるのである。あなたが神の言葉を実践しないなら、神の言葉がいかに明瞭でも、あなたが把握するのは、空文と教義だけであり、それはあなたの宗教的規則となってしまうのだ。それはパリサイ人たちが行ったことではなかろうか。あなたがたが神の言葉を実践し、経験するならば、神の言葉はあなたがたにとって実践的なものになる。あなたがたが神の言葉を実践することを求めないなら、神の言葉はあなたがたにとって第三の天の逸話程度のものに過ぎない。実のところ、神を信じる過程は、神により獲得される過程であるとともに、あなたがたが神の言葉を体験する過程でもある。より明確に言うと、神を信じることは、神の言葉に関する認識と理解を得て、神の言葉を体験し生き抜くことである。これがあなたがたの神への信仰の現実である。あなたがたが神の言葉を、自分の内に持っているものとして実践することを求めずに、神を信じ、永遠のいのちを望むのであれば、あなたがたは愚かである。それは、あたかも御馳走を実際に食べるのではなく、記録するためだけに宴会へと出向くようなものである。そうした者は愚かではなかろうか。

人間が自分のものとすべき真理は神の言葉の中にある。それは、人類にとって最も有益で役立つ真理である。それは、あなたがたの体に必要な薬であり、糧であり、正常な人間性を回復させる助けになるものであり、人間が備えているべき真理である。あなたがたが神の言葉を実践すればするほど、あなたがたのいのちは一層早く開花するであろう。また、あなたがたが神の言葉を実践すればするほど、真理は一層明らかになる。あなたがたの霊的背丈が成長するに従って霊的世界のことをもっと明瞭に理解し、より力を得てサタンに勝利するであろう。神の言葉を実践する時、あなたがたが理解できない多くの真理も明らかになるであろう。ほとんどの人々が神の言葉の文面を理解するだけで満足し、その深さを実際に体験せずに、教義を身に付けることに重点を置くが、それはパリサイ人のやり方ではなかろうか。ならば、彼らにとって、どうして「神の言葉はいのちである」という言葉が本当でありえようか。人間が神の言葉を実践する時のみ、いのちが真に花開くのであり、単に神の言葉を読むだけでは、それは成長できない。神の言葉を理解しさえすれば、いのちと霊的成長を得ることができる、というのがあなたの信仰ならば、あなたの理解は歪んでいる。神の言葉の真の理解は、あなたが真理を実践する時に生まれる。あなたは「真理は、実践して初めて理解できる。」ということが解からなければならない。今日あなたは、神の言葉を読んだ後、ただ神の言葉を知っているとは言えるが、それを理解しているとは言えない。真理を実践する唯一の方法は、まず真理を理解することであると言う者たちもいるが、それは半分正しいだけで、必ずしも正確ではない。一つの真理の知識を得るまでは、あなたがその真理を体験したことにはならない。自分が聞いたことを理解したと感じることは、本当に理解することとは違う。文面にある通りに真理を身に付けることは、その中にある本当の意味を理解することとは同じではない。真理に関してただ表面的な知識を持ちあわせていても、それは、あなたが実際に真理を理解、あるいは認識していることにはならない。真理の本当の意味は、それを体験して初めて見出される。それゆえ、真理を体験する時のみ、あなたはそれを理解することができる。そして、真理を経験した時初めて、あなたは真理の隠された部分を把握できるのである。真理を深く体験することが、真理の内包する意味合いを把握し、真理の真髄を理解する唯一の方法である。

『神の出現と働き』「いったん真理を理解したら、それを実践すべきである」(『言葉』第1巻)より

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