救いを得るために、どのように終わりの日の神の働きに服従し、それを経験するべきか。

2017年11月18日

神の御言葉による答え:

聖霊の働きは、日々変わり、段階ごとに高まっている。明日の啓示は、今日の啓示よりもなお一層高くなる、そして段階毎になお高いところへ上がっていく。神が人を完全にする働きも同様である。もし人がついていけなくなったら、人はいつでも見捨てられるだろう。もし人が従順な心を持っていないのなら、人は最期までついていくことができないだろう。古い時代は終わった。今や新しい時代である。そして、新しい時代には、新しい働きがなされなければならない。特に、人が完全にされる最期の時代において、神は新しい働きをなお一層素早く行うであろう。したがって、心から従順でないのなら、人は神の足跡を辿ることが難しくなるだろう。神は、規則によって生きるのではなく、自身の働きのあらゆる段階を不変なものとして取り扱っているのでもない。むしろ、神によってなされる働きは、常に新しく、また常により高いものである。神の働きは、各段階においてより実践的になり、人が実際に必要とするものとますます合致する。人はこのような働きを経験した後にだけ、自らの性質の、最終的な変革を達成することができる。人のいのちに関する認識も常により高くなり、したがって、神の働きも同様に、常により高くなる。この方法によってのみ、人は完成に達することができ、神の役に立つことができる。一方で、神は人の観念に対抗し、それを反転させるためにこのように働き、また他方で、人をより高く、現実的な状況に導き、神への信仰の最も高い領域へ導くためにこのように働く。その結果、最終的には神の意志は実行される。従順でない本質と反抗心のある者全ては、この迅速で力強い働きに見捨てられることとなる。従順なる心を持ち、また、謙虚な意志を持つ者こそが、この道の終わりまで進むことになるだろう。このような働きでは、あなた方全てが従順でなくてはならず、かつ自らの観念を脇に置く方法を学ばなければならない。あらゆる段階が、慎重に踏まれるべきである。もしあなた方が軽率ならば、あなた方は、聖霊から嫌悪され排除される者の一人となるだろう。そして、神の働きを邪魔する者になるだろう。働きのこの段階を経験する前に、古い時代の人の規則や法律は、彼らが調子にのってしまうほど数が多く、その結果、彼らはうぬぼれ、自らの場所を忘れてしまった。これらはすべて、神の新しい働きを受け入れる人にとって障害であり、神を知るようになりつつある人の敵である。人が心の中に従順さをもたないこと、あるいは真理を追求しないことは危険なことである。もしあなたが簡単な働きや言葉のみに従い、より深い言葉や働きの何も受け入れることができないなら、あなたは、古い方法から離れず、聖霊の働きにはついていけない人である。神が為す働きは、時代によって違っている。もしあなたが、ある段階において従順さを見せるが、次の段階では従順さがより少ないか、全くないとしたら、神はあなたを見捨てるだろう。もしあなたが、神がこの段階に昇るとき、彼についていくことができるなら、あなたは次なる段階に昇る時にもついていくことを続けていかなければならない。そのような人のみが、聖霊に対して従順である。あなたは、神を信じるのなら、その従順さを一定に保たなければならない。あなたが気に入っているときにだけ従順であり、そうでない時に従わないということはできない。そのような従順のあり方は、神によって認められない。もしあなたが、わたしが今話している新しい働きについていけないのなら、また以前の言葉にこだわり続けるのなら、あなたは霊的に成長できるだろうか。神の働きにおいて、神は言葉を通してあなたに与えるだろう。あなたが神の言葉に従い受けいれる時、聖霊は確実に、あなたの中で働くだろう。聖霊は、まさにわたしが話すように働くだろう。わたしが今言ったように行えば、聖霊はすぐにあなたの中で働くだろう。わたしは、あなた方が見るように新しい光を放ち、あなた方をこの光の中へ連れてくる。あなたがこの光へ入っていくなら、聖霊は直ちにあなたの中で働くだろう。一部の人は反抗して言うかもしれない「私は単純にあなたの言う通りにはしないでしょう」と。それなら、わたしは今、ここで道は終わり、あなたは衰弱し、いのちは終わると告げる。したがって、あなたの性質の根本的な変革を経験する際、今与えられた光についていくことが最も重要である。

『神の出現と働き』「真心で神に従う者は、必ずや神のものとされる」(『言葉』第1巻)より

現時点で最も決定的な点は、聖霊の導きに従うことである。神の言うことは何でも守り、神の語ることには全て従うことである。人間は、自分で自分の性質を変化させることができない。人々は神の言葉による裁き、刑罰、そして辛い精錬を受けるか、あるいは神の言葉による取り扱いと懲らしめ、刈り込みを受けなければならない。その後初めて、彼らは神への従順と献身を実現することができ、神を欺こうとしたり、いい加減に神に対応したりしなくなる。神の言葉による精錬のもとで、人間の性質は変化するのである。神の言葉による暴露、裁き、懲らしめ、そして取り扱いを受ける者のみが、見境なく行動しなくなり、平静沈着となる。最も重要な点は、神の現在の言葉と業に従えることであり、たとえそれが人間の観念と一致しない場合でも、それらの観念を捨てて、意図的に従うことができる、ということである。過去に性質における変化について語られた時は、それは主として自分を捨て去ること、肉を苦しませること、自分の肉体を修練すること、そして肉の好むものを自分から取り除くことに関するものであったが、これは性質における変化の一形態である。今人々は、性質の変化の真の表れとは、神の現在の言葉に服従すること、また同時に神の新たな業を真に理解できるようになることであると知っている。そうすることで、人々は、自分の観念の中にある以前の神に関する理解を取り除き、神への真の理解と服従に達することができるようになるであろう。性質の変化の真の表れはこれしかない。

『神の出現と働き』「性質が変化した人とは神の言葉の現実に入った人である」(『言葉』第1巻)より

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