全能神を受け入れない人はすべて本当に災のために朽ちるか。

2021年3月19日

関連する神の言葉

わたしの裁きは完全に明らかにされ、さまざまな人々に向けられている。人々はみな所定の位置につかねばならない。わたしは人々がどの規定を破ったかに従って、彼らを管理し裁く。この名によらない者、終わりの日のキリストを受け入れない者には、ただ一つの規定が適用される――逆らう者は誰であれ、ただちにその霊、魂、体を取り上げ、ハデスに投げ入れるだろう。逆らわない者は皆、成熟するのを待ってから第二の裁きを行う。わたしの言葉はすべてを完全に明確に説明し、何も隠されることはない。わたしが望むのはただ、あなたがたが常にわたしの言葉を心に留めておけるということだけだ。

『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第六十七章」(『言葉』第1巻)

わたしはあなたがたに言う。しるし故に神を信じる者は、滅ぼされる部類であることは確かである。肉に戻ったイエスの言葉を受け入れることができない者は、地獄の子孫であり、天使長の末裔であり、永遠の破滅を逃れることのできない部類である。多くの者はわたしの言うことに耳を傾けないかもしれない。だがそれでも、天からイエスが白い雲に乗って降臨するのをあなたがたが自分の目で見る時、これは義の太陽が公に現れることであると、わたしはイエスに付き従ういわゆる聖徒全員に伝えたい。おそらく、その時あなたにとって大いなる興奮の時となるであろう。だが、あなたがイエスが天から降臨するのを見る時は、あなたが地獄へ落ち、懲罰を受ける時でもあることを知るべきである。それは神の経営(救いの)計画の終わりの時であり、神が善良な人々を報い、邪悪な者たちを罰する時である。神の裁きは人間がしるしを見る前に、真理の現れだけがある時には終わっている。真理を受け入れてしるしを求めることがなく、故に清められている人々は、神の玉座の前に戻り、造物主の胸に抱かれる。「白い雲に乗らないイエスは偽キリストだ」という信念に執着する者たちだけは、永久に続く懲罰を受けなければならない。彼らはただしるしを示すイエスしか信じず、厳しい裁きを宣言し真のいのちの道を解き放つイエスを認めないからである。そのような者たちは、イエスが白い雲に乗って公に戻ってくる時に取り扱うしかない。彼らはあまりに頑なで、自信過剰で、傲慢である。どうしてこのような堕落した者たちがイエスに報いてもらえるだろうか。

『神の出現と働き』「あなたがイエスの霊体を見る時、神はすでに天地を新しくしている」(『言葉』第1巻)

終わりの日のキリストはいのちをもたらし、変わることなく永遠に続く真理の道をもたらす。人はこの真理を通していのちを得ることができ、この真理を通してのみ、神を知り、神に良しと認められる。終わりの日のキリストが与えるいのちの道を求めないなら、あなたは決してイエスに良しと認められず、天国の門をくぐる資格も得られない。なぜなら、あなたは歴史の操り人形であり、歴史に囚われた人だからである。規則や文字に支配され、歴史に束縛される者は、決していのちを得ることができず、永遠のいのちの道も得られない。と言うのも、彼らがもっているのはどれも、玉座から流れるいのちの水ではなく、何千年も執着してきた汚水だからである。いのちの水を施されない者は永遠に死体であり、サタンの玩具であり、地獄の子である。そのような者がどうして神を目にできようか。ひたすら過去にしがみつき、足踏みしながら現状を維持しようとし、現状を変えて歴史を棄てようとしないなら、あなたは絶えず神に反することになるのではないか。神の働きの歩みは、押し寄せる波や轟く雷鳴のごとく広大で力強い。それでも、あなたは自分の愚かさに固執して何もしないまま、座して滅びを待っている。このままで、あなたは小羊の足跡に従う者だと見なされようか。あなたが神として固執するものが、常にあたらしく古びない神だと正当化できようか。あなたの黄ばんだ本の言葉があなたを新しい時代に運んでくれることがあろうか。神の働きの歩みをたどれるよう導いてくれようか。そして、それらがあなたを天国に引き上げられるだろうか。あなたがその手でつかんでいる物は、つかの間の慰めを与えられる文字でしかなく、いのちを与えられる真理ではない。あなたが読む聖句は、あなたの舌を肥やせるだけで、あなたが人生を知るうえで助けとなる知恵の言葉ではなく、ましてやあなたを完全にするよう導く道などではない。この食い違いを見て、あなたはよく考えてみようとは思わないのか。そこに含まれる奥義をあなたに理解させることはないのか。あなたは、自分で自分を天に引き上げ、神に会わせることができるのか。神が来なくても、あなたは自らを天に引き上げ、神と共に家族の幸福を楽しむことができるのか。あなたはいまだに夢を見ているのか。それなら、わたしは勧める。夢を見るのを止めよ。今働いているのが誰かを見よ。今、終わりの日に人を救う働きをしているのが誰かを見よ。そうしなければ、あなたが真理を得ることは決してなく、いのちを得ることも決してない。

キリストが語る真理に頼ることなくいのちを得たいと望む者は、地上で最も愚かな者であり、キリストがもたらすいのちの道を受け入れない者は、幻想の世界で迷子になった者である。ゆえにわたしは、終わりの日のキリストを受け入れない者は神から永遠に嫌われると言う。キリストは、人が終わりの日に神の国へと入る門であり、それを迂回できる者は誰一人いない。キリストを通してでなければ、誰も神によって完全にされることはない。あなたは神を信じているのだから、神の言葉を受け入れ、神の道に従わなければならない。真理を受け取ることも、いのちの施しを受け入れることもできないのに、祝福を得ることだけを考えることはできない。キリストは、自身を真に信じる者にいのちを施せるよう、終わりの日に来る。その働きは、古い時代を終わらせ新しい時代に入るためのもので、新しい時代に入る人が必ず進まなければならない道である。キリストを認められず、非難したり、冒涜したり、さらには迫害したりするなら、あなたは永遠に火で焼かれなければならず、神の国には決して入れない。このキリストこそが聖霊の顕現であり、神の顕現であり、神が地上での働きを託した者だからである。したがって、終わりの日のキリストによってなされる一切のことを受け入れられないなら、あなたは聖霊を冒涜しているとわたしは言う。聖霊を冒涜する者が受ける報いは、誰の目にも自明である。これもあなたに言っておくが、あなたが終わりの日のキリストに抵抗し、終わりの日のキリストを足蹴にするなら、その結末をあなたに代わって引き受ける人は誰もいない。さらに、これから先、あなたが神に認めてもらう機会はない。たとえ自らの罪を贖おうとしても、あなたが神の顔を拝することは二度とない。なぜなら、あなたが抵抗したのは人ではなく、あなたが足蹴にしたのは卑小な存在ではなく、他でもないキリストだからである。あなたはその結末がどのようなものか知っているのか。あなたが犯すのは小さな過ちではなく、重罪である。だから、わたしはすべての人に忠告する。真理の前に牙をむき出したり、軽率に批判したりしてはいけない。あなたにいのちをもたらせるのは真理以外になく、あなたが生まれ変わり、再び神の顔を仰げるようにするものは、真理以外にはないからである。

『神の出現と働き』「終わりの日のキリストだけが人に永遠のいのちの道を与えられる」(『言葉』第1巻)

多くの人が神の二度目の受肉について悪い感情をもっている。神が肉になって裁きの働きを行うということが、人には信じがたいからである。それでも、しばしば神の働きは人間の期待を大幅に超え、それは人間の知性には受け入れがたいことである、とわたしは言わなければならない。人は地上の蛆虫にすぎないが、一方、神は宇宙を満たす至高の存在であるからである。人の知性は蛆虫だけを生み出す汚水のたまった穴に似ており、一方、神の考えが指揮する働きの各段階は神の知恵の結晶である。人は常に神に敵対しようとしているが、これに関しては、最後に誰が負けるかは自明であると、わたしは言う。自分のことを黄金より価値があるとみなさないように、わたしはあなたがたに強く勧める。もし他人が神の裁きを受け入れられるなら、なぜあなたにはできないのか。他人に比べてあなたはどれくらい高位に立っているのか。もし他人が真理の前に頭を垂れるなら、なぜあなたもそうできないのか。神の働きには止めることのできない勢いがある。あなたのした「貢献」のためだけに神は裁きの働きを繰り返すことはなく、このような好機を逃すと、あなたは無限の後悔に苛まれることになる。もしわたしの言葉を信じないなら、天空にある偉大な白い玉座があなたに裁きを下すのを待っていなさい。すべてのイスラエル人がイエスを拒絶し否定したが、それでもイエスによる人類の贖罪の事実は全宇宙に、そして地の果てまで広がったことを知らなければならない。これは神がはるか昔に成し遂げた一つの現実ではないのか。もしイエスがあなたを天に引き上げるのをいまだに待っているのなら、あなたは頑固な一片の枯れ木[a]であるとわたしは言う。あなたのような真理に不忠実で、祝福だけを求める偽信者をイエスは認めることはない。それどころか、何万年も焼かれるように火の湖にあなたを投げ入れるのに憐れみを一切見せないであろう。

『神の出現と働き』「キリストは真理をもって裁きの働きを行う」(『言葉』第1巻)

しかし、古い世界が存続する間、わたしは国々の上に怒りを投げつけ、わたしの行政命令を全宇宙に公布し、違反する者には刑罰を下す。

わたしが全宇宙に向かって話すと、人間はみなわたしの声を聞き、そこで、わたしが全宇宙で行なってきた業を見る。わたしの心に逆らう者、つまり、人間の行いでわたしに敵対する者は、わたしの刑罰を受けて倒れる。わたしは天の多くの星々を取ってそれらを新しくし、わたしにより、太陽と月は新たになる――空はもはや以前のものではない。地上の無数の物事が新たになる。すべては、わたしの言葉により完全になる。全宇宙の多くの国々は新たに区切られ、わたしの国に置き換わる。それにより、地上の国々は永遠に消え去り、すべてがわたしを崇める一つの国になる。地上のすべての国々は破壊され、存在しなくなる。全宇宙の人間のうち、悪魔に属する者はみな、滅ぼし尽くされる。サタンを礼拝する者はみな、わたしの燃える炎に倒れる――つまり、今、流れの中にいる者以外は、灰になるのだ。わたしが多くの民を罰するとき、宗教界にいる者は、わたしの業に征服され、程度の差はあれ、わたしの国に戻る。彼らは聖なる方が白い雲の上に乗って降臨するのを見たからである。人間はみな、種類に従い、それぞれの行いに応じて刑罰を受ける。わたしに敵対した者たちは、みな滅びる。地上での行いがわたしと関わりのなかった人たち、その人たちは、自分たちの行いによって、地上にわたしの子らとわが民の支配下で存在を続ける。わたしは無数の人々と無数の国々にわたしを現し、わたしは自ら声を発して地上にわたしの大いなる働きの完了を告げ、全人類が自分たちの目でそれを見られるようにする。

『神の出現と働き』「全宇宙への神の言葉、第二十六章」(『言葉』第1巻)

説教と交わりの参考箇所

宗教界の大多数の人がいまだに神様の御前へと引き上げられていないのはなぜですか。天国に入る資格が彼らにないのはなぜですか。それは神様を信じながら従わず、代わりに抵抗しているからです。終わりの日における神様の働きを受け入れないのは、神様に抵抗することと同じではありませんか。受肉した神様を認めないのは、神様への抵抗に相当しませんか。受肉した神様を裁いて断罪することもまた、神様への抵抗ではありませんか。宗教界は神様に抵抗しているので、淘汰され懲罰されてきました。聖書にはこう記されています。「もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない」(ヘブル人への手紙10:26)真の道を知りながらことさらに罪を犯すとは、何を指しますか。それは堕落が日常的に表現を指しているのですか。それは終わりの日における神様の働きを受け入れないことをおもに指します。受肉した神様が終わりの日に表現なさるのは真理だとはっきり理解しながら、それでもなお神様を断罪し続けるなら、その人は破滅の運命を辿ります。真理を表現なさるキリストを断罪することが、よい結末をもたらすことなどあり得るでしょうか。こうした行ないは自分に永遠の滅びと破滅をもたらすことです。神様を信じながら、神様に従わないで抵抗する人の結末は何ですか。滅亡です。神様はどのようにしてそうした人を滅亡なさいますか。神様はこうおっしゃいました。「地に降り立つわたしは焼き尽くす火をもたらし、怒りをもたらし、ありとあらゆる災難をもたらす」。神様は終わりの日の働きにおいて、真理と道といのちをもたらされます。神様はご自身の選民に永遠のいのちへの道をもたらされます。不信心者や宗教的な人、神様に抵抗する人に、神様はあらゆる災害をもたらされ、彼らを一人残らず絶滅なさいます。終わりの日の裁きは二つの部分から成っています。いったん裁きの働きが完了すると、大災難が降りかかるのです。

『いのちに入ることに関する交わりと説教』より引用

終わりの日のキリストが来られました。もし信じず、もし拒否するなら、あなたの結末は死です。これは全宇宙に向けた神様の公的な行政命令です。それは、神様が働きを始められた日に公開行政命令となりました。神様は以下のような御言葉も述べられています。「つまり、今、流れの中にいる者以外は、灰になるのだ」これはどういう意味でしょうか。これは、今起こるか、後に起こるかは問題ではない、つまり、全能神を受け入れない者はみな最後には死ぬという意味です。彼らは滅ぼされるのです。彼らは焼かれて灰になるという意味です。神様がソドムを滅ぼされたとき、ソドムの住民は全て燃えて灰となりました。彼らの魂さえも残らなかったのです。全てが灰と化したのです。では、終わりの日にキリストが来られるとき、あなたは観念を抱いていますか。敢えて反抗しますか。これは予め定められていたことです。そのように見えるこの方が終わりの日のキリストなのです。この方が真理の道を現わされた後、受け入れないのであれば、あなたは死を免れません。もしキリストの存在を認めないのであれば、あなたは必ず死にます。もしあなたがキリストを糾弾したり拒絶したりするのであれば、もう全ては終わりです。あなたは必ず死にます。ここから何が学べますか。神様の義なるご性質は全人類に公に現わされたのです。

『いのちに入ることに関する交わりと説教』より引用

脚注

a.「一片の枯れ木」とは、中国語の慣用句で、「救いがたい」という意味である。

信仰上の悩みや疑問がありましたら、いつでもご連絡ください。

関連記事

賢い乙女が得る見返りは何か。愚かな乙女が災害に陥るのはなぜか

関連する神の言葉: 神が望むのは神の歩みに従う人である。あなたが以前に理解したことがどれほど素晴らしく、また純粋なものであっても、神はそれを望んでおらず、あなたがそうしたことを脇へのけられないなら、それは将来におけるあなたの入りにとって大きな障害になるだろう。聖霊の現在の光に従え…

なぜ教会は宗教に退化し得るのか。

関連する神の言葉 神の働きの各段階において、それに対応する人間への要求がある。聖霊の流れの中にいる者たちは皆、聖霊の臨在と鍛錬を備えており、聖霊の流れの中にいない者たちはサタンの支配下にあり、そうした者には聖霊の働きがまったくない。聖霊の流れの中にいる人々は、神の新たな働きを受…

神は何に基づいて人の結末を定めるのか

関連する神の言葉: 今こそ、わたしが一人一人の終わりを決めるときであり、人間への働きを開始する段階ではない。一人一人の言動、わたしに従うためにたどった道、生来の属性や最終的にどのようにふるまったかをわたしは記録帳に一つずつ書き留める。こうすることで、どのような人であってもわたしの…

神の民とは何か。効力者とは何か。

関連する神の言葉 「五人の賢いおとめ」とは、わたしが造った人間の中の、わたしの子らと民を表している。彼らが「おとめ」と呼ばれるのは、地上に生まれはしたものの、わたしによって得られるからである。彼らは聖いと呼ばれることもあるため、「おとめ」と呼ばれる。前述の「五人」とは、わたしが予…