全能神を信じる人が福音を説くのは、お金のためなのか

2019年3月24日

小さい頃から、私は両親と共にイエス様を信じてきました。結婚後、夫と一緒に上海へ引っ越し、工場を開設しました。1991年に工場内に集会所を設け、当時三十人以上が集会に参加しました。皆で一緒に賛美歌を歌い、祈りを捧げ、そして聖書を読みました。兄弟姉妹は互いに愛を示して支えあっており、皆が集会で喜びを感じていたものです。年に二回、私の故郷から伝道師が訪れて説教をしてくれたので、私たちはこうした訪問から霊的な糧を得ていました。しかし1997年には、教会は次第にすさんだ状態になり、もはや誰も集会から喜びを得ることがなくなりました。伝道師たちは新たな光を説いてくれないばかりか、一部の伝道師は権力と利益をめぐって互いに争い、攻撃しあうようになり、誰も他の人の意見に耳を貸さなくなっていました。兄弟姉妹の間でも不和が生じ始めました。霊的に何も与えられていなかったので、一部の兄弟姉妹の信仰は冷め始め、中には神に背を向け、信じることをやめる者さえ出てきたのです。最終的に残ったのは、わずか十~二十人でした。特に2000年以降になると、集会場所での状況はますます悪化していきます。伝道師たちが語るのは昔ながらのありきたりな言葉で、説教は退屈で、兄弟姉妹は頼る当てもなく、さらに意気消沈し弱くなっていきました。私の心も他のさまざまなことで占められるようになり、信仰心もそれ以前の強さとはかけ離れていました。そんな折の2001年10月1日、ある兄弟が私の家にやって来て、終わりの日の全能神福音を説きました。彼は私に、律法の時代から恵みの時代、そして恵みの時代から神の国の時代について丸2日間かけて語り、聖書にある数多くの預言やその成就の事実をもとに、神様が実際に肉となり、神の家から始まる裁きの働きを行なうために来られたことを明らかにしたのです。彼はまた、神様はサタンの支配から人類を完全に救い、美しい終着点に導いてくださるとも言いました。私はそれまで、あれほど良い説教を聞いたことがなく、私にとってとても有益なものでした。まるで心の中に明るい光が灯されたようだったのです。これまで昼夜となく待ち望んでいた救い主イエスがすでに戻ってこられたのかもしれないとは夢にも思いませんでした。その時に感じた喜びを言い表すことはできません。

その一週間後、故郷の伝道師が訪ねてきたのですが、そのとき私の潤し役の姉妹がたまたま私の家にいました。伝道師は私たちにこう言いました。「今、一部の人が東方閃電について説教していますが、絶対に彼らを迎え入れないでください。彼らが説教しているのは異端であり、神を信じているように見せかけているだけです。あちこちで人を欺いてだましており、特にお金を持っている人を狙っています。まずはうまく話に乗せ、福音を受け入れたらすぐに一銭残らずだまし取るのです……」。この言葉を聞いて、まるでバケツ一杯の冷水を浴びせられたかのごとく、突然全身に悪寒が走りました。どうすればいいのか分かりませんでした。というのも、私は自分が受け入れたのが間違いなくあちこちで説教をしていた東方閃電だと分かっていたからです。潤し役の姉妹を見ました。彼女の服や化粧はどれもとても平凡で質素で、お金を持っている人には見えません。私の心には疑問が生じ、自分自身に問いかけました。「ひょっとして、彼らは本当に私からお金をだまし取りたいだけなの。今はとても優しいけれど、ただの見せかけなの。伝道師の話が本当なら、私はどうすればいいんだろう」。考えれば考えるほど不安を感じた私は、姉妹に帰ってくれるように頼みたかったのですが、彼女の説教がとても思慮深いことを考えました。万が一、これが真の道であり、それを私が拒絶したとしたら、私は救いを得るチャンスを失うことになるのではないでしょうか。板挟みになった私は途方に暮れ、心の中で神様に祈りました。「ああ、神様、兄弟姉妹が証しをした終わりの日の神様の働きは、まったく理にかなっているように聞こえます。しかし伝道師は、彼らが信じているのは異端であり、お金を人からだまし取ると言っています。私は疑いを持ちだし、どちらが正しい道を説いているのか分かりません。どうか私が確かな判断力を持ち、すべてをはっきりと見通せるよう、私を啓いてください」。

その夜、ベッドの中でひどく不安になり動揺したため、眠ることなどできませんでした。そして心の中でこう思いました。この姉妹は、真夜中に私のものを持って逃げ出すのだろうか。それで私はずっと部屋の外から聞こえてくる音に耳を傾けていました。しかし最後には疲れ果てて目を開けておくことができず、知らないうちに寝入ってしまいました。翌朝、早起きした私は、まだそこに姉妹がいるのを見て、やっと落ち着きを取り戻し始めましたが、心配が払拭されたわけではありません。私は姉妹の動きの一つひとつを密かに観察しました。特に彼女が神様の御言葉について私に語ってくれる時には注意深く観察し、目の表情や話し方に何らかの手がかりを見つけようとしました。しかし、何も見つかりませんでした。どんなに狡猾な質問を私が思いついても、彼女は常に辛抱強く話し、神様の御言葉を使って問題を解決してくれました。しかも、彼女の表現や言葉も同じように誠実でした。正直に言うと、警戒してはいたものの、神様の御言葉の一つひとつが私の心に刻まれていき、私はその御言葉が真実で本物であると感じ、完全に確信するようになったのです。それにもかかわらず、姉妹に対する私の警戒は依然として解けておらず、彼女に対して何か言う時には、うっかり自分の経済状態を明かしてしまわないよう細心の注意を払って言葉を選んでいました。そして、彼女が帰る段になって、私は彼女を試してみようと決め、手間をかけたことへのお礼だと言って1000元を取り出して彼女に渡しました。しかし、彼女は私からは何も受け取れないと言い、しかもこれを完全な誠意をもって言ったのです。私は自分を疑わずにはおれませんでした。故郷の伝道師は、東方閃電の人たちは私からお金をだまし取るのが目的だと言います。しかし今、私は頼まれもせずにお金を渡そうとしたのに、彼女は受け取ろうともしないとはどういうことでしょうか。伝道師の言うことは正しいのでしょうか。間違っているのでしょうか。

数日後、神様の御言葉について私に話すために姉妹が再びやって来ました。私は心の中で、「あぁ、今度はきっとお金が欲しいはず」と思いました。しかし、実際はそうではなく、私はまた自分を恥ずかしく感じることになります。というのは、彼女はただ私に神様の御言葉について話し、神様の御心について語っただけで、決して無用なおしゃべりはしなかったからです。彼女の話し方や振る舞いは、実に適切かつ慎重で、自然で、態度は敬虔でした。彼女に関して悪いことは何も見出せず、敬服するしかありませんでした。このことから、私は故郷の伝道師が言うことを疑わずにはいられませんでした。けれど、もっと重要なことは、全能神の御言葉が私の警戒心を打ち消し、私を引き寄せたということです。神様は言われます。「わたしが欲するのは、人間の観念や人間の思いではなく、ましてあなたのお金や財産ではない。わたしが欲しいのはあなたの心である。分かるだろうか。これがわたしの旨であり、それ以上に、それがわたしの得たいものである(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第六十一章」〔『言葉』第1巻〕)。「ただ心を完全にわたしに捧げなさい。はっきりと知りなさい、わたしはあなたのお金も持ち物もいらないし、あなたが熱狂的に、不正直に、または狭量にわたしの前に来て奉仕することも望んでいない。問題が起こったら、静かにして純粋な心を持ち、待ち望み、求めなさい。そうすれば答えを与えよう。疑ってはならない。なぜわたしの言葉を決して真実だと信じないのか。なぜわたしの言葉が信じられないのか。あなたはこれほどまでに頑固であり、この期に及んでもそのような態度でいる。あまりにも無知で、まったく啓かれていない(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第三十九章」〔『言葉』第1巻〕)。この御言葉を読んだ後、私はとても狼狽しました。姉妹は私に次のように話してくれました。「神様は、サタン的な堕落した性質を私たちが捨て去ることができるように、そして人を清めて救うために終わりの日に真理を表され裁きの御働きを行われます。それによって、私たちは神様を畏れる心を持てるようになり、すべてにおいて神様の観察を受け入れることができ、神様の御言葉の要求に従って現実的で誠実な人になることができ、神様を畏敬し悪を避ける現実を生きることができ、真に神様に従い、崇拝し、愛することができ、真理と正常な人間性を持つ人になることができるようになるのです。神様は私たちの心をお望みになり、私たちの命を大切にされます。神様が望んでいるのは私たちのお金や財産ではありません」。彼女は話しをさらに続け、言いました。「全能神教会では、献金を求めたり、理由がなんであれ人に献金を懇願したりすることは許されません。これは神様が嫌うものであるため、もし献金を懇願するような人がいれば、それは止められます。兄弟姉妹が献金をしたいのであれば、まずは何度も祈ることによって、そして完全に自発的な形で、後にそのことを決して後悔しない場合にのみ、そうすることができます。そうでなければ、兄弟姉妹の献金は許されません」。

神様の御言葉による暴露と姉妹との交わりによって、人類を救うという神様の御心を理解することができました。また、神様の御前に私を連れて行きたいと彼らが純粋かつ誠実に望んでいることや、何かを企んでいるわけではないということも分かりました。警戒心は次第に消え失せ、何日にもわたって心にのしかかっていた重荷もやっと取り払われました。まるで大きな負担から解放されたように、私の存在全体がはるかに和らぐのを感じました。姉妹の帰り際、私は彼女のポケットに2000元を無理矢理押し込みました。今回は本心から彼女に受け取ってほしかったのです。けれど、私のできる限りの説得にもかかわらず、彼女は受け取らず私にこう言いました。「神様の家には行政命令があります。兄弟姉妹のお金や所持品をもらうのはユダの行動であり、できません」。彼女が帰った後、私はさまざまな感情に圧倒され、こう考えました。「お金が最高である今日の物質主義社会では、私を含め多くの人がお金のために一生懸命働いている。十分な食事をして良い服で着飾り、素敵な家に住んでいろんなことを楽しむために、絶えず奮闘している。それなのに、全能神を信じる兄弟姉妹は、こうした金銭的快楽には目もくれず、無条件に苦しみを受け入れて福音を説いている。他人からどれほど誤解されようと、本分を尽くすことに強くこだわる。これは完全に聖霊の働きによって達成された結果ではないだろうか」彼らにとっては、肉体的な喜びを捨て、神様を満足させるために生きる人生だけが、意味と価値のある人生なのだと私は理解しました。そして、私が富と物質的なものを追求するのは利己的で卑劣で、低俗であると思いました。私はこのことについてずいぶん考えました。特に、二回にわたってお金を渡そうとして断わられたこと、そして、私への彼女の誠実さと、私を潤すために払った彼女の努力について思いを巡らせました。これらはすべて神様の愛から来たものであり、神様が私の人生に責任を負ってくださっているということです。これらが神様の導きと統率によるものでなかったならば、どうやって人がそれらを達成できたでしょうか。しかし、私は狡猾な企みをしかけたり、警戒して姉妹を疑ったりして、お金で彼女を誘惑しようとしたのです。私を救うために神様が注がれていた骨の折れる努力を誤解していました。神様に対して深い恩義を感じました。私は卑劣で判断力に欠けており、それについては自己叱責の涙を流さずにはいられません。全能神の福音を説いている兄弟姉妹は、決してお金目的でそうしているわけではなく、ただ神様の御前に人々を導くという本分を尽くしていただけだったことは事実が証明しています。それは、噂とはまったく異なるものでした。そう気づいたとき、故郷から来ていた伝道師たちのことを考えずにはいられませんでした。彼らは説教をするために訪れていましたが、来るたびに私は代価を支払っていました。そして彼らは当たり前のようにそれを受け取っていたのです。今になってみると、全能神の信者がお金のために福音を説いているといった根拠のない中傷を彼らがでっち上げた理由が理解できます。それは彼ら自身が福音を売りものにし、説教を利用してお金を稼いでいたからです。もし私が終わりの日の全能神の働きを受け入れたら、彼らの説教には耳を傾けなくなるでしょう。そうすれば、私からの献金がなくなるため、彼らは私が真の道を受け入れることを何としても阻止しようとしたのです。こうした宗教指導者たちは自身の個人的な利益を得ることに必死で、私が神様の救いを得るチャンスを失おうが知ったことではありません。なんて腹黒いのでしょう。サタンによる噂と企みを見破った私は躊躇せず前進し、全能神に従い始めました。

神様の御言葉を読むことで、少しずつ真理が理解できるようになりました。また、サタンにより自分がどれほど堕落させられていたかという事実とその本質についても認識を持つようになりました。神様の経営の御働きと人類を救うという御心についても、多くのことを理解しました。神様の愛に報い、誠実に神様を求めている人々を神様の家に導くため、私は快適で安楽な暮らしを捨て、兄弟姉妹と共に終わりの日の神様の福音を広める一員となりました。

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