神の羊は神の御声を聞く(新信者必読)

目次

第7章 新しい信者によって理解されるべき最低限の真理のいくつかの他の側面

6.神の信者は、十分な善行をにより終着点に備えるべきである

わたしの憐れみは、わたしを愛し、自分たちを否定する者たちにある。そして、悪い者たちにもたらされる懲罰はわたしの義なる性質の証明であり、それ以上にわたしの怒りの証である。災いがやって来ると、わたしに反抗する者たちすべてに飢饉や疫病が降りかかり、彼らは涙を流す。わたしに従う者として、長年あらゆる種類の悪事を犯してきた者たちは罪を免れることはできない。彼らも代々、ほとんど目にしたことのない災いのただ中で、絶えず恐怖と不安を抱き生きるだろう。そして、わたし以外の誰にも忠実に従ってこなかった人たちは、すべてわたしの力を喜び、拍手喝采する。彼らは言葉に表せないほどの満足感を体験し、わたしが人類にいまだかつて与えたことのない喜びの中で生活する。わたしは人の善行を宝とし、悪行を忌み嫌うからだ。……

わたしは、人が善行で報いてくれることだけを望みながら、誰もできない働きをしてきた。ほとんどの人たちはわたしに報いてくれないが、わたしはこの世での旅を終え、次にやって来る仕事を始める。わたしが長年人々の間で続けてきた旅は実を結び、わたしはそれを非常に喜ばしく思っているからである。わたしは人の数は気にせず、むしろ善行を気づかっている。いずれにしても、わたしはあなたがたが自分たちの終着点に備えて、十分な善行をするよう望んでいる。それから、わたしは満足する。さもなければ、あなたがたの誰も災いを免れないだろう。災いはわたしがもたらし、もちろんわたしが采配を振るものである。もしあなたがたがわたしの前で良い働きができないなら、災いの苦しみから免れることはないだろう。患難の時代には、あなたがたの行動と行いの全てが適切なわけではなかった。あなたがたの信仰と愛は、うわべだけのもので、あなたがたは恐れか意志の強さしか示してこなかったからだ。これに関しては、わたしは良いものと悪しきものとの評価のみをする。わたしの関心は引き続きすべてあなたがたの行動とふるまいについてであり、それに基づいてあなたがたの終着点が決められる。しかし、患難の時代に、わたしに全く不義であった者たちに、もはや憐れみは与えられないことを明白にしなければならない。わたしの憐れみはこれ以上延長されないからである。さらに、わたしは、かつてわたしを裏切った者は誰も好まず、ましてや友の利害を裏切る者たちと係ることを望まない。その人が誰であっても、これがわたしの性質である。あなたがたに伝えなければならない。わたしを悲しませる者は誰であっても、再び憐れみの対象となることはなく、これまで忠実であった者はとこしえにわたしの心に留まるだろうことを。

『言葉は肉において現れる』の「終着点への準備をするために、十分な善行をしなければならない」より

もしあなたが真理の道を求めることに喜びを感じるのなら、あなたはしばしば光の中に生きている。神の家で奉仕する者であることを喜ぶ人で、人に知られなくとも勤勉に、良心的な仕事をし、決して何かを得ようとせず、常に与える者であるのなら、その人は忠実な聖徒だと言おう。報いを求めず、ただ正直であるのだから。率直であろうとし、すべてを与える心があり、神のために命を犠牲にして証しすることができるのなら、正直で、神が喜ぶことだけを願い、自分のことは考えず、自分のためには何も求めようとしないなら、そのような人は光に養われ、神の国で永遠に生きるのである。

『言葉は肉において現れる』の「三つの忠告」より