神の羊は神の御声を聞く(新信者必読)

目次

第7章 新しい信者によって理解されるべき最低限の真理のいくつかの他の側面

5.神の信者が負わなければならない苦しみの種類と苦しみの意味

あなたが困難に耐えなければならない何かが生じたら、その時、あなたは神の心が何であるか、どのように神の心を大切にするかを理解するべきである。自分自身を満足させてはならない。まず自分自身のことは脇へどけておきなさい。肉体ほど卑しむべきものはない。あなたは神に満足してもらおうとしなければならないし、あなたの本分を果たさなければならない。そのように考えていれば、神はこの件に関してあなたに特別な啓発を与え、あなたの心も安心するだろう。大きくても小さくても、あなたに何かが起きた時、あなたはまず自分自身は脇にどけて、肉体はすべての物事の中で最も卑しいものとみなさなければならない。あなたが肉体を満足させればさせるほど、肉体はますます勝手な行動をとる。今回肉体を満足させると、次回はさらに欲望が大きくなり、このまま続くと、あなたは肉体をさらに愛するようになる。肉体はいつも途方もない欲望を持っており、いつもあなたに肉体を満足させることを要求する。それが食べ物や着る物に関することだろうと、自制心を失わせ、自身の弱さや怠惰に付け込むことであろうと、あなたが心の中でそれを満足させることを要求する。あなたが肉体を満足させればさせるほど、その欲望は大きくなり、肉体はますます堕落して、ついには人々の肉体は一層深い概念を心に抱き、神に背き、得意になり、神の働きに疑いを持つようになる。…昔、路上で凍って硬直している蛇を見た一人の農夫の話しがある。農夫は蛇を拾い上げ、抱きしめたが、蛇は息を吹き返すと農夫をかみ殺してしまった。人の肉体はこの蛇に似ており、本質は人のいのちに害を与えることである――肉体が好き放題になれば、あなたのいのちは取り上げられてしまう。肉体はサタンに属している。肉体の中には途方もない願望があり、肉体は己のことだけを考え、快適さを享受し、余暇を大いに楽しむことを望み、怠慢と無為にふけるので、ある程度まで肉体を満足させると、あなたは最後には肉体に食べ尽くされてしまう。つまり、あなたが今回肉体を満足させるなら、次回はもっと要求するだろう。肉体はいつも途方もない欲望と新しい要求を持っており、あなたが肉体に迎合するのを利用し、あなたが肉体を一層大事にし、肉体の快適さの中で生きるように仕向ける――あなたが 肉体に打ち勝たなければ、あなたは最後には自分自身を失うだろう。あなたが神の前でいのちを得られるかどうか、あなたの最終的結末はどうなるか、それはあなたが肉体にどのように反抗するかにかかっている。神はあなたを救い、選び、運命づけたが、その一方で、あなたが神に満足してもらうことを嫌がり、真理を実践することを嫌がり、神を本当に愛する心を持ってあなた自身の肉体に反抗することを嫌がるならば、最後にはあなたは身を滅ぼし、従って極度の痛みに耐えることになるだろう。あなたがいつも肉体に迎合していると、サタンが次第にあなたを内側から食べ尽くし、あなたを完全にいのちのない、あるいは霊との接触のない状態のままにしてしまい、ついにはあなたの心の中が完全に暗黒になる日が来る。あなたが暗黒の中で生きていると、サタンのとりこになり、もはや神を持たなくなり、その時あなたは神の存在を否定し、神を離れる。

『言葉は肉において現れる』の「神を愛することだけが本当に神を信じることである」より

神が人々に対して行う働きのあらゆる段階で、物事があたかも人の手配で生まれたかのようであり、あるいは人の干渉から生まれたかのようであり、外面的には人々の間の相互作用のように見えるかもしれないが、舞台裏では、働きのあらゆる段階、起こるすべてのことは、神の面前でサタンが作った賭けの対象であり、人々は、神に対する証しにしっかりと立つことが要求される。ヨブが試練に会った時のことを例にとってみよう。秘かにサタンは神と賭けをしており、ヨブに起こったことは人間の行為であり、人間による干渉であった。神があなたに対して行うすべての段階の背後にはサタンと神との賭けがある――その背後にはすべて戦いがある。

『言葉は肉において現れる』の「神を愛することだけが本当に神を信じることである」より

神は人々に真理を実践に移すよう要求するが、それは心の中の問題に焦点を当て、神の心に従っていない考えや概念を取り扱うためである。聖霊は人々の心の内部に触れ、彼らの心の中で神の働きを実行するので、起こることすべての背後には戦いがある。人々が真理を実践するたびに、あるいは神への愛を実践するたびに、激しい戦いがあり、すべては肉体と折り合いを付けているように見えるかもしれないが、実のところ、彼らの心の奥底では生と死の戦いが起こりつつあり――この激し戦いの後、膨大な量の熟考をした後ようやく、勝利か敗北かが決められる。人は笑うべきか、泣くべきかわからない。人々の中の動機付けは、その多くが間違っているので、あるいは神の働きの多くは人々の概念と食い違っているので、人々が真理を実践に移す時、激しい戦いが舞台裏では行われる。この真理を実践に移した後、最後に神を満足させる決心をする前に、舞台裏で人々は悲しみの涙を数えきれないほど流すだろう。人々が苦しみや純化に耐えるのはこの戦いのためである。これは本当の苦しみである。戦いになった時、あなたが本当に神の側に立つことができれば、あなたは神に満足してもらうことができる。真理を実践する過程で苦しむことは避けられない。人々が真理を実践する時、彼らの心の中のすべてが正しかったら、彼らは神によって全き者にされる必要はなく、戦いもなく、彼らは苦しまないだろう。人々の心の中には神が使用するのに適さないものがたくさんあり、肉体の反抗的性質も多いので、人々は肉体に反抗する教訓をもっと深く学ぶ必要がある。これは神が受難と呼ぶもので、神と共に経験することを神は人に要求した。

『言葉は肉において現れる』の「神を愛することだけが本当に神を信じることである」より

神の働きは人間が想像するほど簡単か

あなたは神を信じる者の一人として、今日、終わりの日の神の働きやあなたに対する神の計画の中にあるすべての働きを受ける中で、あなたは神により引き上げられ、救いを受け取っていることを理解しなくてはならない。全宇宙のすべての神の働きは、この一団の人々に焦点を当てている。神はすべての努力をし、あなたがたの犠牲となった。全宇宙のすべての聖霊の働きを取り戻し、あなたがたに与えたのだ。だから私は言う。あなたがたは幸運なのだと。それに加えて神は、自分が選んだイスラエルの民から自分の栄光をあなたがたへと移した。それはあなたがた一団を通して、神の計画の目的を全て明らかにするためである。ゆえにあなたがたは神の嗣業を受け、更に神の栄光の継承者となるのだ。あなたがたは皆このような言葉を覚えているだろう。「このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」誰でもこの言葉を耳にしたことがあるだろうが、その言葉の真意を理解した者はいない。今日あなたがたは、この言葉の真の意味をよく理解している。これらの言葉は終わりの日に神が成就するものだ。そしてそれは、赤い大きな竜の横たわる地で、竜にひどく苦しめられている人々の上に成就する。赤い大きな竜は神を迫害する神の敵であり、よってこの地において神を信じる者たちは屈辱や迫害を受けている。ゆえにこれらの言葉は、あなたがた一団の身に実現するのだ。神に逆らう地において働きが行われるため、すべての神の働きは過度の妨害を受け、神の言葉の多くはすぐには達成されない。ゆえに、人々は神の言葉によって精錬される。これもまた、苦しみの要素である。神にとって赤い大きな竜の地で自分の働きを実行することは非常に困難だが、神はこのような困難を通して、自分の働きのひとつの段階を実行し、自分の知恵と素晴らしい業を明らかにする。神はこの機会を通して、この一団の人々を完全にする。人々の苦しみ、彼らの素質、そしてこの汚された地における人々のすべてのサタン的な性質がゆえに、神はその清めや征服の働きを行うことで栄光を手にし、その業の証人となる人々を手にするのだ。これが、神がこの一団の人々に行った全ての犠牲に関する完全な意義だ。つまり、神は自身に逆らう者たちを通して征服の働きを行うのだ。そうすることでのみ、神の力が現わされるのだ。言い換えれば、汚された地にいる者たちのみが神の栄光の継承者に相応しく、これが唯一、神の力を際立たせることができるのだ。それだから、神の栄光は汚された地とそこに住む者たちから得られると言おう。これが神の心だ。これはイエスの段階の働きと同じだ。イエスは、彼自身を迫害したパリサイ人たちを通してのみ栄光を受けることができた。そのような迫害やユダの裏切りがなければ、イエスは嘲笑されたり中傷されたりすることもなく、ましてや十字架に付けられることなどなく、栄光を受けることは不可能だったに違いない。神が各段階のどこで働いても、どこで肉の働きをしても、神はそこで栄光を受け、自分が得ようとする者たちを得るのである。これが神の働きの計画であり、神の経営である。

数千年に亘る神の計画の中にある肉による働きは二つの部分から成る。ひとつは十字架に付けられることであり、これにより神が栄光を受けた。もう一つは終わりの日の征服と完全にするための働きであり、それによっても神が栄光を受ける。これが神の経営である。ゆえに神の働きや神があなたがたに託したことをあまり簡単に考えてはならない。あなたがたは、あなたがたが思うものをはるかに超越した、神の、永遠で重大な栄光の継承者であり、神がそう定めたのである。神の栄光の二つの部分のうち、一つはあなたがたの中に現れている。神の栄光の一つの部分すべてがあなたがたに授けられており、あなたがたが継承する。これは神が引き上げたのであり、はるか昔に定められた神の計画である。大きな赤い竜が住む地において神が偉大な働きを行ったことを考えれば、その働きをどこか別の地で行えば、とうの昔にすばらしい実を結んでおり、容易に人に受け入れられていただろう。神を信じる西洋の聖職者たちにとっては、そのような働きを受け入れることはいとも簡単なことだっただろう。イエスによる段階の働きが前例となっているからだ。だから、神は自身が栄光を得るこの段階の働きを別のどの場所でもなしえないのである。つまり、全ての人間から支持され、全ての国から認められているので、神の栄光を得ることができないのだ。そしてこのような事実にこそ、この段階の働きがこの地でなされることの重要な意味がある。あなたがたの中には、誰一人として法の保護を受けているものはおらず、むしろ法により罰せられている。さらに難しいことには、一人としてあなたがたを理解する者はいない。親戚や両親も、友人も、仲間も、誰一人としてあなたがたを理解しない。神があなたがたを「拒絶」するなら、あなたがたが地上に生き続ける手段などない。しかしそれでも尚、人々は神から離れることに耐えられない。これが神の人々への征服の意味であり、神の栄光なのだ。あなたがたが今日受け継いだものは、昔の使徒や預言者たちのそれに優るものであり、モーセやペテロのそれにも優るものである。祝福を一日や二日で受けることはできない―それは多くの犠牲を伴って初めて受け取れるものだ。つまり、精錬された愛や大きな信心、そして神があなたがたに求める多くの真理を持たなくてはならない。それに加えて、義を追い求める姿勢を崩さず、おびえたり屈服したりすることなく、神に対して変わらぬ愛をいだいていなくてはならない。あなたがたの決意が求められ、あなたがたのいのちの性質を変えることが求められる。堕落した部分を改善し、神の采配を不平不満なくすべて受け入れ、死にまでも従順でなくてはならない。これが、あなたがたが達成しなければならない事である。これが神の最終目的であり、この一団に神が求める要求である。神はあなたがたに施したが、彼はあなたがたが彼の要求を満たして報いることを要求する。それだから、神はむやみに働くのではない。なぜ神が何度も高い基準の働きをし、厳しい要求をするのかが分かるだろう。このような訳で、あなたがたは神に対する信心で満たされていなくてはならないのである。要するに、あなたがたが神の嗣業を受け継ぐに相応しい者となるため、神がすべての働きをあなたがたのためにしたのだ。これは神自身の栄光のためというよりあなたがたの救いのため、そして汚された地で深く苦しんでいるこの一団の人々を完全にするためである。あなたがたは神の心を理解しなくてはならない。だからこそ私は見識や理知のない多くの愚かな人々に、こう勧める。これ以上神を試みたり、抵抗したりしてはならないと。神は人が経験したことのないような苦しみすべてを耐え抜き、はるか昔に人間に代わってさらに多くの屈辱にも耐えた。あなたがたは他に何か手放せないものなどあるだろうか。神の心以上に大切なもの何があるだろうか。神の愛に優るものなどあるだろうか。この汚された地において神がその働きをするのは倍の困難を伴うというのに、もし人が承知の上で、意図的に背くのであれば、神の働きは長期化せざるを得ない。どのような場合にも、それは誰の得にも益にもならない。神は時間に制約されることはない。自分の働きと栄光が優先される。ゆえにどれだけ時間がかかろうとも、神自身の働きに関してはいかなる犠牲をもいとわない。これが神の性質である。神はその働きを成し遂げるまで休むことはない。神が自分の二つ目の栄光を獲得する時初めて、その働きが終わりを迎える。その栄光を獲得する二つ目の働きを全宇宙において成就できなければ、自分の日は永遠に来ることはなく、神の手を選民たちから離すこともできず、その栄光がイスラエルにやって来ることもなく、神の計画が完結することも決してないだろう。神の心と働きは、天地や万物創造のように簡単なものでないことを理解しなくてはならない。なぜなら今日その働きとは、堕落した人たちや極端に麻痺してしまった人たちを変え、創造されながらもサタンに影響を受けてしまった人たちを清めることであり、アダムとエバを創造することではなく、ましてや光を創ったり、あらゆる植物や動物を創造したりすることではない。神の働きは今やサタンによって堕落したすべてのものを清めて取り戻し、自分のものとし、自分の栄光とするためのものである。そのような働きは、人間が想像する天地や万物の創造のように簡単なものではなく、人間が想像するような、サタンを呪いながら底なしの淵へ送るようなものでもない。むしろそれは人間を変えるものであり、否定的なものを肯定的なものに変え、神に属さないものを神の所有物にすることだ。これがこの段階での神の働きの秘められた意味である。あなたがたはそれに気づかなくてはならないし、物事を安易に考え過ぎてはならない。神の働きは、どの普通の働きとも異なるものだ。そのすばらしさは人間の頭では考えることができず、その知恵は人間が獲得できるものではない。神は万物を創造しているのでも、それらを破壊しているのでもない。むしろ、神は自分の創造物を変え、サタンによって汚されたすべてのものを清めているのだ。それゆえ神は大規模な働きを始める。そして、これが神による働きの意義の全てである。以上を読み終えたあなたは、神の働きが簡単だと思うだろうか。

『言葉は肉において現れる』より