全能神教会の基本的信条

2017年11月14日

(1)全能神教会の教義

キリスト教の教義は聖書が起源であり、全能神教会の教義は創造の時以来、律法の時代、恵みの時代、神の国の時代に神が表したすべての真理が起源である。すなわち、新・旧約聖書、そして終わりの日の戻ってきた主イエス、全能神が表した『言葉は肉において現れる』という神の国の時代の聖書が全能神教会の基本的信条であり、教義である。旧約聖書は律法と戒めを定め、人の生活を導くヤーウェ神の律法の時代の働きを記録している。新約聖書は恵みの時代に主イエスが実行した贖いの働きを記録している。『言葉は肉において現れる』は神の国の時代に全能神が表した人類の清めと救いに関するすべての真理であり、終わりの日の神による裁きの働きの実録でもある。全能神教会の基本的信条は、三段階の働きの間に神が語ったことのすべて、すなわち、これらの三段階の働きの間に神が表したすべての真理である。これらは、全能神教会の基本的信条であり教義である。

キリスト教は恵みの時代における主イエスの働きから生まれたが、キリスト教が信じる主イエス・キリストは恵みの時代に贖いの働きをしただけであった。肉となった主イエスは十字架につけられ、人の罪祭となり、人をサタンの手から解放し、律法による断罪や呪いから解き放ったので、人は神の前に出て罪を告白し悔い改めるだけで罪が赦され、神が与える祝福と恵みを享受することができた。これが主イエスの実行した贖いの働きであった。人の罪は主イエスの贖いによって赦されたが、人は罪深い本性を消し去ることはなく、相変わらずその本性に束縛され、支配されており、傲慢でうぬぼれが強く、名声と利益を得ようと努力し、嫉妬深く論争好きで、人々に嘘をつき、だまし、この世の邪悪な傾向に従うことなどにより罪を犯し、神に抵抗せずにはいられなかった。人は罪の束縛から解き放たれることはなく、聖なる者にはならなかったので、主イエスは終わりの日の裁きの働きを実行するために再びやって来ると何回も預言し、次のように語った。「見よ、わたしはすぐに来る(ヨハネの黙示録 22:12)。「たとい、わたしの言うことを聞いてそれを守らない人があっても、わたしはその人をさばかない。わたしがきたのは、この世をさばくためではなく、この世を救うためである。わたしを捨てて、わたしの言葉を受けいれない人には、その人をさばくものがある。わたしの語ったその言葉が、終りの日にその人をさばくであろう(ヨハネによる福音書 12:47-48)。ペテロの第一の手紙でもこう書かれている。「さばきが神の家から始められる時がきた(ペテロの第一の手紙 4:17)。全能神、終わりの日のキリストは戻ってきた主イエスである。全能神は人の清めと救いのためにすべての真理を表し、神の家から始まる裁きの働きを実行し、聖書の預言を余すところなく成就してきた。全能神によって述べられた『言葉は肉において現れる』はヨハネの黙示録に預言されている「御霊が諸教会に言うこと(ヨハネの黙示録 2:7)のことであり、終わりの日の神の裁きの働きの実録である。全能神が行う裁きの働きは、人類を救う神の働きの最終段階であり、もっとも基本的で極めて重要な段階でもある。人が神によって救われ、天国に入ることを望むなら、神の裁きの働きを受け入れなければならず、そこで主イエスの次の言葉が成就されたことになる。「夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした(マタイによる福音書 25:6)。「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう(ヨハネの黙示録 3:20)神の言葉の裁きと刑罰を受け入れ、経験して初めて人は神の聖さと義なる性質を知ることができ、サタンによる人の堕落の本性と本質、本当の事実を知ることができ、神の前で心から悔い改め、すべての罪から抜け出し、聖性を達成し、神に従い、神を崇拝する人になり、神に得られることができる。そうして初めて、人は神の約束と恵みを受け継ぎ、美しい終着点に到達する資格が与えられる。

神は世界を創造した後、人類を救う働きを始めたが、人類を救うための経営計画は終わりの日に神の家から始まる裁きの働きが終了するまでは完成しない。働きの三段階で神が表した言葉とすべての真理から、私たちはそれが律法の時代に最初に人を使って行われた神の働きであろうと恵みの時代と神の国の時代に、神が二度肉となった時の働きであろうと、すべては一つの霊による真理の語りかけと表現であることを完全に見て取ることができる。実質上、語り、働くのは一つの神である。したがって、全能神教会の教義は聖書と『言葉は肉において現れる』が起源である。

(2)『言葉は肉において現れる』について

『言葉は肉において現れる』は全能神、終わりの日のキリストの直接的語りかけであり、終わりの日の裁きの働きの時に人を清め、救うために表した真理のすべてである。これらの真理は聖霊の直接的表現、神のいのちと本質の現れであり、神の性質を表現し、神がもつもの、神であるものを表現するものである。人が神を知り、清められ、救われるための唯一の道である。全能神が述べる言葉は人の行動や振る舞いの最高の原則であり、人の生涯にとってこれ以上の格言はない。

全能神教会のクリスチャンは、キリスト教のクリスチャンが聖書を読むように、『言葉は肉において現れる』の中の神の言葉を毎日読む。すべてのクリスチャンは神の言葉を人生の指針として、すべての人生格言の中で最高のものとして受け取っている。恵みの時代に、クリスチャンはすべて聖書を読み、聖書の説教に耳を傾けていた。人々の態度に次第に変化が生じて、彼らが犯す罪はだんだん減っていった。同様に、全能神の言葉を読むことと神の言葉を分かち合うことによって全能神教会のクリスチャンも次第に真理を理解するようになり、罪の束縛から解き放たれ、もはや罪を犯さず、神に抵抗せず、神と融和できるようになる。神の言葉を読むことによってのみ、人は清められ、変化させられ、本当の人の姿で生き抜くことができることは事実で証明されている。これらの事実は誰も否定できない。聖書に記録されている神の言葉は律法の時代と恵みの時代に神が働いた時に述べられ、一方『言葉は肉において現れる』は終わりの日の働きにおいて神が述べた言葉である。どちらも起源は聖霊からである。全能神の言葉と働きは完全に聖書の預言を成就し、全能神は戻ってきた主イエスであるのは主イエスの次の言葉の通りである。「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう(ヨハネによる福音書 16:12-13)。ヨハネの黙示録にも次のように預言されている。「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい(ヨハネの黙示録 2:7)。「わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。……見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる(ヨハネの黙示録 5:1、5)

今日、私たちは皆一つの事実を見ている。すなわち、全能神が述べるすべての言葉は真理であり、権威と力を持っている。それらは神の声である。誰もこのことを否定したり、変えたりすることはできない。『言葉は肉において現れる』はインターネット上で自由に手に入り、あらゆる国や地域の人々が検索し、調べることができる。それらが神の言葉であること、真理であることを敢えて否定する人は誰もいない。神の言葉は人類全体を前進させて、人々は神の言葉の中で次第に目を覚まし始め、次第に真理を受け入れ、知るべく進んでいる。神の国の時代は全能神の言葉が地上を支配する時代である。神の言葉の一語一語が成就され、果たされるだろう。今日神を信じるすべての人が聖書を認めているように、神を信じる人々は近い将来『言葉は肉において現れる』が終わりの日の神の語りかけであることを認めるだろう。今日、『言葉は肉において現れる』は全能神教会の信仰の基礎であるが、次の時代には必ず人類全体の存在の基礎になるだろう。

(3)神の名前と神の三段階の働きについて

サタンによる堕落の後、人はサタンの支配下で暮らし、堕落はますます深まっていった。人は罪の束縛から逃れることができず、神の救いを必要としている。堕落した人類の必要性に応じて、神は律法の時代、恵みの時代、神の国の時代に三段階の働きを行なってきた。律法の時代には、神は律法と戒めを定め、人の生活を導く働きを行なった。恵みの時代には、神は肉となり、律法の時代の働きを基礎に十字架につけられ、人を罪から贖い出す働きを行なった。神の国の時代には、神はもう一度肉となり、恵みの時代の贖いの働きを基礎に神の家から始まる裁きの働きを実行し、人の清めと救いのためのすべての真理を表し、清めと救いを追求するための唯一の道を私たちにもたらす。私たちが真理の現実性を自分たちのいのちとして受け入れ、神に従い、神を礼拝する者になって初めて、私たちは神の国に導かれ、神の約束と恵みを受けるに相応しくなる。神が人を救う三段階の働きは互いに密接に関係しており、どの段階も絶対に必要で、それぞれは前の段階よりも高く、深くなり、すべては一つの神の働きであり、神の三段階の働きだけが人類を救う完全な働きである。

三つの名前、ヤーウェ、イエス、全能神は神が律法の時代、恵みの時代、神の国の時代に使った異なる名前である。神が異なる名前を使うのは、時代によって働きが異なるからである。神は新しい時代を始め、その時代の働きを表わすために新しい名前を使う。神の名前は律法の時代はヤーウェ、恵みの時代はイエスであった。神の国の時代は新しい名前、全能神を使い、ヨハネの黙示録の預言を成就する。「フィラデルフィアにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。……勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう。彼は決して二度と外へ出ることはない。そして彼の上に、わたしの神の御名と、わたしの神の都、すなわち、天とわたしの神のみもとから下ってくる新しいエルサレムの名と、わたしの新しい名とを、書きつけよう(ヨハネの黙示録 3:7、12)。「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、『わたしはアルファであり、オメガである』(ヨハネの黙示録 1:8)。三時代の神の名前と働きは異なるが、実質において神は唯一で、源は同じである。

人を救う神の働きはおもに三段階の働きが含まれる。神は各時代で異なる名前を用いているが、神の本質は決して変わらない。三段階の働きは一つの神によって行われる。したがって、ヤーウェ、イエス、全能神は同一の神である。イエスはヤーウェの出現であり、全能神は戻ってきた主イエスなので、全能神は天と地とすべてのものを創造し、すべてのことを統治し、あらゆることに支配権を持つ唯一の真の神であり、永遠に続く唯一無二の創造主である。

人を救う三段階の働きで、神はその全性質を人に明らかにし、私たちに神の性質は慈しみと愛だけではなく、義、威厳、激しい怒りでもあること、神の本質は聖さと義であり、真理と愛であること、どんな被造物も被造物でない存在も、こうした神の性質および神の権威と力を所有できないことをわからせる。私たちは神が創造の時から世界の終わりまでに語ったすべての言葉は真理であることを信じる。天と地は消え去っても、神の言葉は決して消滅せず、神のあらゆる言葉は成就されるだろう。

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