誠実な報告の果実

2022年7月16日

チャオミン(中国)

 2011年4月、国内の別の地域にある教会で、ヤオランという指導者の後任に就くことになりました。引き継ぎの途中、ヤオランはこの教会の状況を手短かに説明しながら、娘のシャオミンは潤し役の執事なので、教会の働きを熟知するのに役立つはずと言ってくれました。あらゆることを整然と説明するのを聞いたわたしは、尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。教会の働きをしっかり扱っているヤオランはとても有能に見えますし、これほど幅広い働きを担当できるのも無理はありません。わたしは神の御旨に気を配り、全力を尽くして教会の働きをしっかり行なおうと、静かに決意しました。

 翌日、シャオミンの案内でチームリーダーの集会に出席しました。みんなで神の御言葉を読んだあと、わたしはそれに関連する自分の経験や知識を少しばかり話したのですが、シアという姉妹が不満そうにこう言いました。「前の指導者のヤオランは、そんな風に真理を交わりませんでしたよ。一行ずつ説明してくれて、『これは励ましです』とか『これは警告です』という感じで言っていたわ」。すると他の兄弟姉妹も口を開き、真理に関するヤオランの交わりがいかに明快だったかを話すのです。わたしはすっかり驚き、こう思いました。「神の御言葉に関する交わりでは、御言葉を基に自分の経験や理解を話すんじゃないの? 神の御言葉をどう実践し、自分自身どのようにそれを経験するか、ヤオランが話さないのはどういうことかしら? 兄弟姉妹に神の御言葉を一行ずつ説明するのはなぜ? そのような交わりで、真理を理解し、自己を認識することができるというの?」。集会で神の御言葉を交わることの原則について一同と話し合おうと思いましたが、こんな考えが浮かびました。「わたしはこの教会に来たばかりだし、ヤオランがわたしの働きの責任者を務めてる。それに、娘さんのシャオミンもここにいる。神の御言葉に関するヤオランの交わり方は、文字通りの意味を説明しているだけだなんて言ったら、彼女が話す番になったとき、『この人はここに来たとたん、わたしの欠点をあげつらおうとしている』と言われ、悪く思われるかもしれない。彼女を怒らせたらとても気まずいことになる」。そこでわたしは口を閉ざし、それで終わりにしました。

 ある日、シャオミンに見えないところで、シャオ姉妹から手紙を渡されました。その手紙には、自分は以前ヤオランにいくつか提案をしたものの、受け入れてもらえなかったと記されていました。それだけでなく、ヤオランは彼女を押さえつけるようになり、接遇の本分から外したというのです。わたしはあっけにとられてこう思いました。「シャオ姉妹は思い違いをしてる。ヤオランが誰かを押さえつけるなんてあり得るの?」。そして状況を聞かせてもらおうと、シャオミンに会いました。するとシャオミンは、シャオ姉妹はとても熱心だけど、物事を間違って理解することがよくあると言うのです。その上で、シャオ姉妹は地元で信者として有名で、彼女の家も安全ではないのに、自宅で安全な環境を保つ知恵が欠けていると言って、シャオ姉妹に関する否定的な事柄を並べ上げたのです。わたしは内心こう考えました。「それがどれも本当なら、シャオ姉妹は接遇の本分にまったく向いていない。でも、ヤオランが自分を押さえつけているなんて、どうして彼女は言ったんだろう? ヤオランに何らかの憤りを感じているのかもしれないわ」。しかし、心は依然落ち着かず、そこでシャオ姉妹の自宅を訪れることにしました。すると、彼女の家は接遇に比較的向いていて、知恵が欠けているということもまったくなかったので、わたしは困惑し始めました。「シャオミンの言うこととこんなに違うなんて、どういうこと? ヤオランは本当にシャオ姉妹を押さえつけているの?」。シャオ姉妹からさらに詳しく話を聞かせてもらったところ、ヤオランは安全な環境が必要だというのを口実に、数名の執事を本分から外し、結果として兄弟姉妹を潤せる人がいなくなってしまい、みんな正常な教会生活を送っていないというのです。シャオ姉妹がこの問題をヤオランに持ち出し、これは適切な采配じゃありませんと言ったところ、ヤオランはそれを受け入れなかっただけでなく、シャオ姉妹の本分を取り上げました。さらには、問題を報告するシャオ姉妹の手紙を隠しているそうです。わたしはこれを聞いてショックを受けました。どうしてそんなことが? ヤオランは明らかに間違っているのに、シャオ姉妹の言うことを受け入れず、彼女を踏みにじって手紙を隠してさえいる。真理を受け入れる人では絶対にない! そこで再び、神の御言葉について交わるときに、彼女が自分の経験や理解を決して話さず、それどころか神の御言葉を文脈から切り離して兄弟姉妹を惑わせていることが頭に浮かびました。神の御言葉を交わることの原則とは真逆のことを行なっています。彼女には現実の問題があるのだから、自分はこの件を上役に報告して、神の家の働きが遅れないようにしなければならない。しかしそのとき、こう思いました。「シャオ姉妹の言うことが本当なら、ヤオランは人間性に乏しい。今のところはわたしの働きの責任者だし、報告したのがわたしだとわかれば、わたしを押さえつけ、本分から外してしまうかも」。わたしはため息交じりに、何も言わないのが最善だと判断しましたが、それと同時に、シャオ姉妹が接遇の本分を再開できるよう手配することにしました。

 ところが数日後、チェン姉妹もヤオランの悪事のいくつかをわたしに報告してきたのです。彼女によると、奥さんと一緒に改宗したばかりのワンという兄弟がいて、中国共産党政府による逮捕と迫害のせいで多少の恐怖を覚え、そのため接遇の本分を引き受けようとしませんでした。しかしヤオランは真理の交わりをして夫妻を助けなかったのみならず、二人を叱責し、別の誰かが夫妻を支えるのを禁じたというのです。結局、ワン兄弟と奥さんは消極性の中に沈み込み、集会に出るのも嫌がるようになりました。チェン姉妹がヤオランに、兄弟姉妹へのこのような接し方は絶対に間違っていると言ったところ、ヤオランはまったく反省せず、チェン姉妹の身の安全も脅かされているなどと、嘘の話をでっち上げました。その上で、チェン姉妹を数ヵ月にわたって教会から隔離し、教会生活への参加を禁じたのです。さらに、潤しの本分を尽くしている別の姉妹がいました。集会のとき、彼女は神の御言葉を自分の交わりに組み込んでおり、自分が露わにした堕落した性質についても、完全に率直に打ち明けていました。するとヤオランはこのチャンスに飛びつき、彼女を本分から外したのです。そして娘のシャオミンを昇格させて潤しの本分を任せた上、この子は将来、神の家で重要な仕事を引き受けることになるからしっかり訓練するようにと、兄弟姉妹に命じました。ヤオランは自分の夫もチームリーダーに昇格させましたが、その人は実のところ真の信者ではなく、集会で価値ある交わりをすることも一切できません。ヤオランは感情を基に行動し、夫を教会に引っ張り込み、チームリーダーの役目を与えました――これは行政命令の重大な違反です。さらに、彼女の悪事はそこで終わりませんでした。ヤオラン親子は君主のごとく教会を支配し、兄弟姉妹を意のままに圧迫して命令を下し、しまいにみんなは彼女を見ただけで怖がり、あえて意見を言わなくなったのです。チェン姉妹の話に耳を傾けながら、わたしはショックと憤りを同時に感じました。当初、ヤオランから仕事を引き継いだとき、働きはどれも順調に進んでいると彼女から聞いて、自分は彼女を尊敬した。しかし、それはすべて嘘だった。交わりの際に神の御言葉を文脈から切り離して引用し、字句や教義を説くことで一部の兄弟姉妹を惑わせただけでなく、地位の祝福を享受して兄弟姉妹をいじめている。果ては独裁者のように教会を支配し、思いのままにみんなを押さえつけ、人を本分から外した。自分に近い人たちを昇格させて育成し、血縁主義に手を染めた。彼女のでたらめで無謀な振る舞いと、犯した数々の悪行は、骨の髄まで反キリストであることを示している! 現在、彼女の本分の範囲はますます広がっていて、さらに多くの兄弟姉妹が間違いなく害を受けてしまう。自分はできるだけすぐに彼女のことを上役に報告し、教会の働きを守らなければならない。そうして彼女のことを報告しようと考えたのですが、その瞬間、心に不安が生じました。「ヤオランはわたしの働きの責任者。わたしが報告したことを知ったら、あの振る舞い方からして、きっとわたしを教会指導者の地位から外し、家に帰すだろう。何らかの口実を見つけてわたしを押さえつけ、懲罰するかもしれない。そうなれば生活がとても難しくなる。しまいに教会から追い出されたらどうしよう? そうなれば、神を信じる旅も終わってしまう。現実的にならなきゃ。まずは教会の働きを整理して、様子を見よう」。そこで、わたしは自分を守るため、彼女のことを報告して暴くのはやめようと判断しました。しかし次の集会のとき、押さえつけられた兄弟姉妹全員の顔に浮かぶ、期待に満ちた表情を見て、わたしはひどく動揺し、良心の咎めを感じました。その上、シャオミンが教会のあちこちで、真理の交わりに関するヤオランの能力を称賛し、兄弟姉妹を見下すように押さえつけ、説教しているという話を聞いて、わたしはますます腹が立ち、内心こう考えました。「ヤオランとシャオミンの悪事は上役に報告しなければならない。二人が邪悪な振る舞いをして、兄弟姉妹を思いのままに押さえつけるなんて、もう許すわけにはいかない」。そこで、兄弟姉妹が二人についてわたしに話したことを残らず書き留めました。しかし集会後、わたしは再び葛藤しました。「ヤオランがこれを知ったら、どんなことをしてわたしを懲罰するだろう? でも、自分を守って二人を暴かないことにすれば、悪事を犯していることにならないかしら?」。にっちもさっちもいかなくなり、息もできないほど全身が固く縛られているような気分です。涙の中、わたしはひざまずいて神に祈りました。「神よ、ヤオランと娘のことを指導者に報告したいのですが、復讐されることを恐れています。ああ、神よ。闇の勢力の圧迫を打ち破り、真理を実践して教会の働きを守れるよう、どうかお導きください」。

 祈りのあと、わたしはこの御言葉を読みました。「皆が自分は神の重荷を思いやっており教会の証しを守るつもりだと言うが、一体誰が本当に神の重荷を思いやったのか。自問してみなさい、あなたは神の重荷に配慮を示した人間なのか。神のために義を実践することができるか。立ち上がってわたしのために語ることができるか。真理を揺るぎなく実践に移すことができるか。サタンのすべての仕業に大胆に立ち向かうことができるか。わたしの真理のために、感情を脇に置き、サタンを暴露することができるか。わたしの旨をあなたの中で成就させることができるか。最も重要なときに、自分の心を捧げたのか。あなたはわたしの旨を行う者か。こうしたことを頻繁に自問し、考えてみなさい(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十三章」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉が明かすこれらの内容を読んで、わたしは自分のことがとても恥ずかしくなりました。神を信じていながら、心の中に神の居場所がなかった。神の委託を真剣に扱わず、問題に直面しても自分の利益しか考えないわたしは、神の家の働きをまったく守っていなかった。ヤオランが神の御言葉を文脈から切り離して説明し、教会の中で威張り散らし、兄弟姉妹を懲罰して押さえつけていることを、わたしははっきり知っていた。彼女は自分に近い人たちを昇格させ、自身の権力を強めるために、自分勝手に人を本分から外し、教会生活を大いに妨げ、干渉した上、兄弟姉妹を押さえつけて害を与えた。特に、働きの範囲が拡大した今、彼女はさらに多くの兄弟を傷つける立場にいる。しかしわたしはヤオランの地位と影響力を恐れ、彼女に抑え込まれて解任されること、自分の地位と前途を失うこと、そしてヤオラン親子に復讐され、傷つけられることを心配して、原則に従って二人を暴き、報告しようとはしなかった。そのため、反キリストと悪人が教会で暴れ回るのを眺めるだけだった。兄弟姉妹は押さえつけられ、彼らのいのちも害を受けている。それでもわたしは、立ち上がってサタンを暴こうとしなかった。なんて卑劣で、利己的で、忌まわしい人間なのでしょう! そのとき、わたしはこの神の御言葉を読みました。「人類はサタンによってあまりに深く堕落させられてきました。サタンの害毒がすべての人の血に流れており、人の本性は目に見えて堕落し、邪悪であり、反動的であり、サタンの哲学に満ち溢れています。それは完全に神を裏切る本性です。人が神に抵抗し、神と敵対するのはそれが理由です(『終わりの日のキリスト講話集』の「どのようにして人間の本性を知ればよいか」)。「サタンの毒とは何かといえば、それは言葉で十分表現できます。例えば、『人はどのように生きるべきか。人は何のために生きるべきか』とあなたが尋ねたら、人々は『己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす』と答えるでしょう。この単純な言葉が問題の根源を表しています。サタンの哲学が人々のいのちとなったのです。何であろうと、人は追い求め、自分のためにそれを行ないます――ゆえに、人は自分のためだけに生きているのです。『己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす』――これが人のいのちであり、哲学であり、また人間の本性を表しています。こうしたサタンの言葉こそサタンの毒であり、人がそれを取り込むと、それは人の本性となるのです。サタンの本性はこれらの言葉をとおして暴露され、これらの言葉がサタンの本性を完全に表現しています。この毒は人のいのちとなり、人の生存の基礎ともなります。何千年もの間、堕落した人類はこの害毒に支配されてきました(『終わりの日のキリスト講話集』の「ペテロの道を歩むには」)。わたしがサタンに堕落させられ、踏みにじられいること、そしてサタンの害毒や哲学や規範が骨の髄まで染みこんでいて、ついにはわたし自身もますます邪悪で利己的になりつつあることを、神の御言葉は示していました。「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」、「誤りだと知っても指摘しないほうがよい」、「賢い人は保身に長け、ひたすら過ちを犯さないようにする」といったサタンの害毒で生きていて、考えがすべてねじ曲がり、恐ろしい価値観と人生観を抱いていたのです。自分の利益、前途、そして命運を、他の何より重要なものとして見ていました。ヤオランと、彼女に率いられた邪悪な反キリストの一団が、教会の兄弟姉妹に害を与えているのを目にして、彼らを暴いて報告すべきだと知っていながら、押さえつけられて地位と前途を失うことを恐れ、そうしようとはしませんでした。どれほど葛藤したかなど関係ありません。そのため、反キリストが教会をかき乱すのを許してしまい、公平な言葉を一言も発することなく、卑屈に振る舞いました。サタンの害毒に固く縛られ、拘束されていたせいで、自分もその共犯、手下になってしまったのだと気づいたのです。これは神に忌み嫌われることで、わたしに神の御前で生きる価値などありません。わたしは長年にわたって神の働きと導きを享受しており、また教会指導者として本分を尽くせるよう、神に高めていただいていました。しかし、それを大事にすることを知らず、兄弟姉妹をどう気遣うかや、神の家の働きをいかに守るべきかなど、考えもしませんでした。自分の利己的な欲望にすっかりくるまれながら生きていて、尊厳や高潔さのかけらもありませんでした。わたしに対する兄弟姉妹の信頼に応えることができず、またそれにも増して、神から授かった委託に応えることもできませんでした。そう考えると、わたしはあまりに利己的で卑劣な自分が憎くなり、悔い改めようと神に祈りを捧げました。そして、これら闇の勢力から自由になって真理を実践できるよう、力を与えてお導きくださいと願いました。

 その後、この御言葉を読んだのです。「神の性質とは、万物と全ての生けるものの支配者、全ての創造物の主に属するものである。彼の性質は尊厳、権勢、崇高さ、偉大さ、そして何よりも至高性を表す。彼の性質は権威の象徴であり、あらゆる正義の象徴であり、また、あらゆる美と善の象徴である。しかもそれは、暗闇やいかなる敵の勢力にも圧倒されず、侵害されることのない者の象徴[a]であり、同時に、いかなる被造物も背くことができない(そして背くことが許されない)者の象徴[b]である。彼の性質は最高権力の象徴なのである。一個人であれ複数であれ、いかなる人間も神の働きや性質を阻害できないし、阻害してはならない(『神の出現と働き』「神の性質を理解することは極めて重要である」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉から、神が万物を支配なさっていること、神の性質が最高の権威を象徴していること、そしていかなる敵の勢力も、またいかなる闇の勢力もそれを犯せないことを、わたしは理解しました。神は妨害を行なうサタンの悪しき勢力を教会から一掃し、完全に淘汰なさいます。これが神の働きの方向性であり、神が必ずや実現させる現実です。ヤオランは暴君のように教会を支配し、兄弟姉妹を操って押さえつけ、自分に近い人たちを育成して自分の王国を築いていました。神の働きを乱して邪魔し、ありとあらゆる悪事を犯し、神の性質にひどく背きました。彼女は遅かれ早かれ教会から追放される、反キリストの悪魔なのです。神の家が過去に多数の悪人や反キリストを追放したことが、頭に浮かびました。そのような者たちがどれほど凶暴でも、成功を収められるのは束の間で、最終的に神の懲罰からは逃れられません。これが神の義ではないでしょうか。それなのに、わたしは神の義を理解しておらず、神の家では真理と義が実権を握り、神が統治なさっているという事実を信じていませんでした。神の家をあたかも俗世と同じであるかのように見ており、地位と権力を持つ人は誰であってもわたしの運命を支配でき、ヤオランと娘に対抗すれば、前途と終着点を失ってしまうと思っていました。果ては、二人がわたしに復讐するのを恐れ、神による万物の支配を信じていませんでした。このような信仰は、神に恥をもたらすだけです! その後、神の御言葉の中からこの文章を読みました。「わたしの言葉は、人間が暗闇の影響から脱する基礎であり、わたしの言葉にしたがう形で実践できない人は暗闇の影響の束縛から逃れることができない。正しい状態で生きるというのは、神の言葉の導きの下で生き、神に対して忠実な状態で生き、真理を求める状態で生き、神のために真摯に自分を費やす現実の中で生き、神を真に愛する状態で生きることである。このような状態、このような現実の中で生きる者たちは、真理の奥底に入るにつれて徐々に変化する。また彼らは、働きが深まるとともに変化して、最後は必ずや神に得られて心から神を愛する人になる(『神の出現と働き』「暗闇の影響から脱すれば、あなたは神のものとされる」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉はわたしに道を示してくれました。サタンの闇の勢力による足かせを打破したければ、神の御言葉に沿って真理を実践しなければなりません。自分個人の利益や将来に関する考えを捨て、真理を実践し、それらの反キリストを暴いて報告した上で、神の家の働きを守る必要があるのです。たとえ本分から外され、地位と前途を失ったとしても、真理原則を守らなければなりません。それを理解すると力が湧き、ヤオランとシャオミンのことを報告する手紙を指導者に宛てて書きました。

 数日後、指導者は兄弟姉妹全員を集め、ヤオランとシャオミンが犯した悪行の事実を伝えました。そして原則に従い、ヤオラン夫妻とシャオミンは全員本分から外されました。ヤオランと娘は自己反省も自己認識もしようとせず、それどころか兄弟姉妹の家を回って懺悔の振りをし、さらには兄弟姉妹を騙そうと、自分がいかに不当な扱いを受けたかを訴えたのです。二人はまったく悔い改めておらず、最終的にはその悪行のため、ありとあらゆる悪事を犯した反キリスト、悪人だと判断され、教会から追放されました。教会生活は正常な状態に戻り、兄弟姉妹も手を叩いて喜び、誰もが神の義と聖さを称えました。このおかげで、神の家では義と真理が実権を握っていること、キリストがそこを支配なされていること、そして反キリストの悪しき勢力がいかに邪悪かつ凶暴であろうと、また彼らがどれほど強力であろうと、神の権威に打ち勝つことはできず、神の働きを乱すこともできないし、まして誰かの運命を支配するなど不可能であることを、わたしはさらにはっきり理解しました。彼らは神の手中にあるチェスの駒と同じで、神の選民が識別力を育むのに役立つ道具に過ぎません。彼らの行ないによって、反キリストと悪人の正体が他の人たちにわかり、迷わされることもありません。これらの偽指導者を報告するという経験を通じ、わたしが闇の勢力から自由になって真理を実践できたのは、神の御言葉の啓きと導き、そして指導のおかげでした。心は落ち着いて安らぎ、このように自分を律することが尊厳と高潔さを持って生きる唯一の方法だと思いました。そうして解放感と自由を感じたのです。これは誠実な報告を記したことの果実でした。

 全能神にすべての栄光あれ! アーメン!

脚注

a. 原文では「されることがないことの象徴」。

b. 原文では「背くことができない(そして背くことが許されない)ことの象徴」。

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