今は心から話せる

2022年4月12日

フランス 马太

他の兄弟姉妹と本分を尽くしていて、その人の欠点や、真理にそぐわないことをしてるのに気づくと、注意して助けるべきだとわかっていても、怒らせてはいけないと思って、そうした問題をいつも避けていた。最近も、そうした振る舞いの害と結末に気づかせ、自分を変えさせる出来事があったんだ。

最近、ある日の集会が終わって、責任者の姉妹がこう言った。僕らの中から潤しの本分を尽くす人を数人選び、福音を広めに行くようにって。そして潤しと伝道の重要性を強調して、原則に照らして真剣に考え、グループで話し合って結論を出すようにと言った。驚いたことに次の日の朝、一緒に働いていたジェームズ兄弟から電話があった。数人の兄弟姉妹をすでに選び、顔合わせの手配も済ませたというんだ。そして本分の変更についての交わりに参加してくれと。それを聞いて僕はこう思った。「それはちょっと急ぎすぎじゃないか? この件はまだ一緒に話し合ってないし、みんな自分の本分を尽くしている。無闇に本分を変えてそれが間違っていたら、教会の働きに影響が出ないか?」自分が考えてることを伝えようとしたけれど、彼の口調が興奮していてジレンマを感じたんだ。「君は急ぎすぎだし、そんなに焦ってはいけない」と指摘したら、きっと相手を怒らせてしまう。彼の招待を断われば、意見をはねつけるなんて、こいつは傲慢だと思われないか? そんな考えに邪魔されて、一言も言えなかった。彼の提案は不安だったけど、その招待を受け入れ、一緒に集まって兄弟姉妹と交わりをするのに賛成したんだ。

電話を切ったあと、WhatsApp(ホワッツアップ)でシェアされた神の御言葉を見た。全能神は言われます。「混乱して自分の考えを持たないまま、盲目的に人に同意するようなことはせず、わたしから来ていない事柄には立ち上がって反対する勇気を持たねばならない。何かが間違いだとはっきりわかっていながら沈黙しているなら、あなたは真理を実行する人ではない(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第十二章」〔『言葉』第1巻〕)。この御言葉は直接僕に向けられているような気がした。神が人の心の奥底を見抜けることを、強く実感したんだ。僕はまさに御言葉で暴かれている人じゃないか? 間違っているのを知っていながら沈黙する人間だ。いや、こんな人間になっちゃだめだ。だから勇気をふるって自分の意見を話そうとしたよ。でもジェームズ兄弟の真剣さが頭に浮かんで、邪魔をしたら対立してしまうと思った。葛藤したあと、僕が正しいとは限らないと、自分を慰めた。自分にわからないことがあるかもしれない。それで真理を捨てて神の叱責を無視し、ジェームズ兄弟に何も言わなかった。それから彼の計画に従って、働きの組織に取りかかった。

そのさなか、責任者の姉妹にこのことを伝えた。それを聞いた彼女は、すぐに僕ら二人をオンラインで呼び出し、厳しく叱りつけてこう言った。「人事異動の計画と采配には具体的な要件があります。伝道や潤しの本分を任せるときは、長所に沿って人を選び、教会の働きが妨げられないようにする。あなたたちは誰かれ構わず伝道を任せようとした。それって教会の働きを混乱させることじゃないの? 真理原則を求めず、みんなと話し合ってもいない。これは本質的にでたらめな行動よ」それを聞いて動揺し、罪の意識を感じたよ。これは神による刈り込みと取り扱いで、彼女の言うことは絶対に正しい。僕らはでたらめに行動して原則に従っていなかった。反省を通じてやっとわかった。教会の益にならないことは何であっても拒んで制止し、たとえ完全にはわかっていなくても、自分の思いを話して探求し他のみんなと交わるべきだ。無闇に従って教会の働きを妨げてはいけない。でも僕はジェームズ兄弟との関係を守り、彼に悪く思われないようにと、問題を指摘せずに進んで教会の働きを妨げ、聖霊の啓きと導きにも背を向けてしまった。自分がどれほどずるく、自分勝手で、卑劣かがわかったよ。考えれば考えるほど自分は愚かだと思い、自分への嫌悪で一杯になった。

その後自分を顧みて、真理を実践するのでなく、いつも自分の利益を守っていたのはなぜかと考え、苦痛の中、神の御前でこう祈った。「神よ、わたしはサタンの性質で行動し、それをはっきりわかっていながら、真理を実践しません。サタンによる堕落のひどさがかりました。神よ、どうかお救いください」その後、この御言葉の一節を読んだんだ。「神を真に信じる人は、進んで神の言葉を実践し、進んで真理を実践する人である。本当に神への証しを立てられる人はまた、進んで神の言葉を実践し、本当に真理の味方となれる人でもある。はかりごとや不正を行う人はみな真理を欠いており、神に恥辱をもたらす」。「神の家は、真理を実践しない人や、意図的に教会を崩壊させる人が残ることを許さない。しかし、今は追放の働きを行う時ではない。こうした人たちは最終的には暴かれ、淘汰されるのみである。彼らにこれ以上無意味な働きが行われることはない。サタンに属する者は真理に味方できないが、真理を探し求める人にはそれができる。真理を実践しない人は、真理の道を聞く価値も、真理の証しに立つ価値もない。真理は彼らが聞くものでは決してなく、むしろ真理を実践する者に向けられている(『神の出現と働き』「真理を実践しない人への警告」〔『言葉』第1巻〕)。神の御言葉は本当に痛烈だった。信の信者は神の御言葉を進んで実践し、問題があると真理を求めて実践し、神の側に立つことができる。真理を実践しない人は堕落したサタンの性質に従い、サタンの側に立って教会に害をもたらす。お人好しになって真理を実践しない僕は、サタンの側に立っているとわかったんだ。立ち上がって教会の益を守るべき状況に遭うたび、人を怒らせたり悪く思われたりしないよう、真理を実践するのを拒否した。そうし続けていたら神に拒まれ、淘汰されるとわかったんだ。このとき、お人好しの行動の本質はわかったけど、自分のサタン的堕落の根源はまだわかっていなかった。そこで神は別の兄弟によって僕の欠点を再び指摘し、よりよく自己認識させてくれたんだ。

ある日のこと、一緒に潤しの本分を尽くしているマイケル兄弟がこう打ち明けた。「マシュー兄弟、最近チームワークがうまく行っていない。君は僕の欠点を指摘してくれないし、僕が真理に合わないことをしていても、何も言わない。それでどうして成長できるだろう? 問題を見る手助けと、進歩するための刈り込みと取り扱いが必要なんだ」それを聞いてつらくなり、今までの付き合いを頭の中で振り返った。最近は本分や新信者向けの集会を、ただ型通りにこなしていることは気づいてた。前もって決めた話題を交わるときも、彼らが抱える問題や困難、そして問題解決と成果向上の原則に合わせて調整しなかった。その結果は理想と程遠く、新信者の中にはすぐに問題を解決できない人もいた。でも僕は、彼の気分を害して反感を持たれることを恐れ、それを指摘しなかった。その問題をすべて避けたんだ。それに、マイケル兄弟の言う通りだった――問題を見ながら何も言わなかった。僕はお人好しで、みんなの親友のように振る舞ってた。お人好しの考え方に支配され続け、真理を実践することができなかったんだ。どうすべきかわからず、神にこう祈ったよ。「神よ、自分の堕落した本性を認識し、堕落したサタン的性質の足かせを捨て去れるようお導きを」。

その後、神の御言葉の一節を読んだ。神の御言葉は言う。「人の本性を知ることについて言えば、最も重要なのは人の世界観、人生観、価値観からそれを見ることです。悪魔に属する人はみな、自分自身のために生きています。その人生観と座右の銘は、おもに『己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす』のようなサタンの言い回しから来ています。この世の魔王や偉人や哲学者の語る言葉が、まさに人のいのちになってしまったのです。……サタンは国家政府や有名人や偉人の教育と影響力を通して人間を堕落させます。彼らの悪魔的な言葉が人間のいのちと本性になったのです。『己を怠る者は天罰を受け地が滅ぼす』はサタンの有名な格言であり、全ての人に浸透し、人のいのちとなっています。ほかにもこれに類似する処世哲学の格言があります。サタンは各国の洗練された伝統文化を用いて人々を教育し、人類を果てしない破滅の淵へと陥れます。そして最終的に、人間はサタンに仕え神に抵抗したために神に滅ぼされるのです。何十年も社会で活動してきた人に、『あなたは長いことこの世で暮らし、多くのことを成し遂げてきたわけですが、あなたが生きる上でおもに頼りにしている有名な諺は何ですか』と質問したとしましょう。すると相手は『一番大切なのは「官吏は贈り物をする人を困らせず、お世辞を言わない人は何も成し遂げられない」です』と答えるでしょう。この言葉はその人の本性を表わしてはいませんか。地位を得るためならどんな手段でも平気で使う、というのがその人の本性になっており、役人になることがその人の生き甲斐なのです。人の生活、行動や振る舞いには、サタンの害毒がいまだ数多く存在し、それらに真理はほぼまったくありません。例えば、人の処世哲学、物事の仕方、金言は赤い大きな竜の害毒に満ち、それはすべてサタンから生じたものです。ゆえに、人の血肉に流れているのはどれもサタン的な物事なのです(『終わりの日のキリスト講話集』の「どのようにして人間の本性を知ればよいか」)。これらの御言葉のおかげで問題の根源がわかった。僕がいつも「お人好し」だったのはサタンが社会の影響や教育を利用して、「己を怠る者は、天罰を受け値が滅ぼす」とか「他人の気持ちと道理に適った好ましい言葉を話しなさい。ずけずけとものを言う者は嫌われる」などといった処世哲学や誤謬を吹き込むから。それが僕の行動の原則になったんだ。事実、僕の子どものころの言動は本当に純真で、見たままのことを話していた。学校で同級生がいじめられていると立ち上がって守り、僕が嫌がらせの目標にされた。友だちや親戚の欠点に気づいたり、悪いことをしているのを見ると、すぐに声を上げた。すると必ず腹を立てて僕に怒りをぶつけ、無視することもあった。僕は穏便に済まそうと、謝って許しを求めた。その結果、世間でうまくやっていくには、はっきり物を言うのが必ずしも良くないと思ったんだ。不要なトラブルを招くって。それからはずる賢くなって、すべきでないことをしているのを見ても、関係を守ろうと口をつぐんだ。すると、人間関係がずっと「調和のとれた」ものになって、誰とでも仲良く付き合えた。僕のことを褒めてくれる人もいたよ。こうして段々と、「誤りだと知っても指摘しないほうがよい」、「沈黙は金」、「他人の気持ちと道理に適った好ましい言葉を話しなさい。ずけずけとものを言う者は嫌われる」、「賢い人は保身に長け、ひたすら過ちを犯さないようにする」といったサタンの哲学を受け入れるようになった。そしてこれらを生きる上での言葉、行動を導く言葉にしたんだ。今の世間では、お世辞やおべっかを使い、いつも風の吹く方向を見て、わざと裏表のある人間がとても成功している。知性や情緒に優れた人だと尊敬されることもよくある。でも真相を伝える人や、社会の不平等を暴く人は結局ひどい目に遭う。職を失うのはいいほうで、最悪の場合復讐され、命を失う危険もある。社会全体がサタンの思想や言論を崇めているから、そうした処世哲学に従うのが不可欠だとますます確信した。こうしたサタンの邪説や誤謬、処世哲学を信じて受け入れると、人生観や世界観がねじ曲がってしまう。神を信じ始めたあと、神が誠実さを求められていることを僕は学んだけど、いまだサタンの哲学に支配され、はっきり理解している真理を実践しなかった。マイケル兄弟が機械的に物事をして集会の効果を下げていても、進んで声を上げて、教会生活を守ろうとしなかった。ジェームズ兄弟が一方的に行動して教会の働きを邪魔したときも、僕は止めなかった。怒らせたり、悪く思われたりすることがないよう、彼を助けるのでなく、無情にも神の啓きに背を向けさえした。自分がサタンの生存法則で生きていて、ますます利己的に、卑劣に、不正直に、ずる賢くなっているのがわかったよ。教会の利益をまったく守れず、責任感や使命感がまったく欠けていた。とても卑劣な生き方だ。神に祈ってこうお願いした。自力でするのはあまりにつらいから、サタンの足かせから自由になり、御言葉を実践するのを助けてくださいって。

祈ると心がずっと落ち着いた。そして兄弟姉妹に自分の経験を打ち明けたんだけど、そこで神の御言葉が2節、頭に浮かんだんだ。「わたしの国には、正直で、偽善的でなく、偽りのない人々が必要だ。誠実で正直な人々は、この世では好かれないのではないか。わたしはまったくその逆だ。正直な人たちがわたしのところに来るのは受け入れられる。わたしはそのような人を喜び、そのような人を必要としてもいる。それこそがわたしの義である(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第三十三章」〔『言葉』第1巻〕)。「あなたがたは神が誠実な人を好むことを知らなければならない。実質的に神は誠実であり、神の言葉は常に信頼できる。それだけでなく、神の行動は完璧で疑う余地がない。だからこそ神は、神に対して絶対的に誠実な人を好むのである(『神の出現と働き』「三つの訓戒」〔『言葉』第1巻〕)。神の実質は聖く義だから、おっしゃることやなさることはどれも信頼できる。何一つサタンの哲学に汚(けが)されていない。神にとって黒は黒、白は白で、その中間はないんだ! すると主イエスの御言葉を思い出した。「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである(マタイによる福音書5:37)。神はいつも誠実な人になるよう僕らに求められている。これは真理だ。サタンのものである世間では、誠実な人は報われず、つらい思いをしている。でも神の家では違う。神は誠実で正直な人、正義感を持つ人、真相を暴ける勇敢な人、真理を実践できる人をお求めになる。そうした人だけが神に認めていただける人、神が愛し受け入れてくださる人なんだ。それを聞いて勝利者に関する黙示録の聖句を思い出したよ。「彼らの口には偽りがなく、彼らは傷のない者であった(ヨハネの黙示録14:5)。ここから、神は誠実な人を愛し、不誠実でずる賢く、他人をおだてることしか知らない人を憎まれることがわかる。そうした人は最後に必ず神によって淘汰される。これが世間と神の家の違いだ。僕はようやくわかった。神の家では何事も真理が支配しているから、誰かを怒らせることを恐れて真理を実践しないなんて許されない。そうでなく、サタンに従って真理を実践しないことで、神に背くことを恐れるべきなんだ。他人に拒まれたり、非難されたりするのは恐ろしいことじゃない。人にどう思われてるかが僕の結末を決めるんじゃなく、それを決められるのは神だけだ。だから神にどう思われているか、神とどんな関係かに専念して、他人との関係を気にするべきじゃない。僕はいつも人間関係を守り、何度も真理に背を向けていた。でもやっと気づいた。追求すべきは神に認めていただくこと、御言葉を実践すること、誠実な人になること、兄弟姉妹に心を開くことなんだ。兄弟姉妹の経験からわかるけど、注意や指摘をしても、実はその人を怒らせることはない。真理を求める人なら、たとえプライドを傷つけられても、その後真理を求めて教訓を学べるし、兄弟姉妹の距離も近くなる。これがまさに正常な人間関係だ。

その後、僕は本当のことを言って正直な人になる実践を始めた。やがて、新人との集会でトムという兄弟が真剣でなく、動作を繰り返しているだけだと気づいた。その問題について彼と交わり、指摘しようと思ったけど、葛藤し始めた。問題を指摘すれば、僕の要求は厳しすぎると思われ、反感を持たれてしまうかもしれない。今後の関係に影響するだろうかと思った。こんな考えが浮かんですぐ、過去の失敗を振り返り、そこで神に祈って、真理を実践できるようお導きくださいと願った。ある日の集会のあと、トム兄弟に会って本分への責任感がないことと、集会におざなりだったことを指摘した。それから本分についての神の御旨を理解できるよう、教会生活の原則について交わった。驚いたことに、腹を立てなかっただけでなく、おかげで自分の欠点がわかったと感謝してくれた。それに実践の道も見つけられたよ。その後の集会で彼はこう言った。「意見をし、欠点や過ちを指摘してくれる兄弟姉妹は本当にありがたい」と。それからは集会でも責任感を持つようになったんだ。僕は胸が躍った。誠実に真理を求める人は、僕が真実を語っても嫌な顔をしない。以前の僕はずる賢く、人を疑い心の中で貶めていたんだ。それに、誠実な人になって真実を言うことは、兄弟姉妹のいのちの入りと神の家の働きにとても有益だとわかった。

この経験のおかげで神の御旨を理解できたし、正直になって拒絶されることを恐れないようになった。自分のずる賢い本性を理解させ、サタンの哲学を多少は見抜けるようにしてくれた、神の御言葉の啓きと導きに感謝したよ。おかげで、神の義にして聖い本質も認識できた。全能神は言われます。「神には欺瞞、邪悪、ねたみ、争いが皆無であり、正義と正当性しかなく、神が所有するものと神そのもののすべては、人間が望むべきものである。人間はそれを求めて努力し、熱望すべきだ。では、それを成し遂げる人類の能力は何を基盤としていますか。そうした能力は、神の性質と本質に関する自分自身の理解を基盤としています。したがって、神の性質、そして神が所有するものと神そのものを理解することは、各人が生涯をかけて学ぶことであり、また自分の性質を変え、神を知ろうと努力するすべての人が追い求める目標でもあるのです(『神を知ることについて』「神の働き、神の性質、そして神自身 III.」〔『言葉』第2巻〕)。御言葉から神の聖さと素晴らしさを感じられる――神に不実さや狡猾さはなく、逆に、信頼と義だけがある。神が所有するものと神そのものはどれも素晴らしさに溢れてる。心から神に感謝するし、神に愛される誠実な人に進んでなるつもりだ。神も人ももう騙さないよ。アーメン、全能神に感謝!

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