誠実さのみが人間らしさをもたらす
夫と私はオフィス家具の販売業をしています。初めは誠実に商売していたわ。お客様の要望に忠実に応え、安物を紛れさせることもなかった。でも一年後、諸経費がかさんで、食べていくのがやっとの状態だった。なのに同じ商売をしている隣の店のオーナーは、かなり儲かっていたの。不思議だった。なんであの人たちみたいに稼げないのって。どんな商売をしてるのか、お店に行ってみてみようと思った。ある日その店に来た客が、ソファ、デスク、テーブルを注文したの。すべて最高級品をね。オーナーはその客に対して最高品質のものを揃えると約束した。でも客が帰るとすぐに、自社工場の安物を最高級品と入れ替えて、その客に発送したのよ。それであっという間に1万元儲けた。彼らのやり方を知って、すごくショックだった。「こんなふうにしてたのね! これじゃ客を騙してるのと同じ。誠実な商売じゃない」と思った。でも一方で「同業者なのに、うちよりもずっと稼ぎがよくて、いい生活をしてる。こっちは生活するのがやっとなのに。すごい格差だわ」とも思った。そして少しやり方を真似てみようと思った。利益を出すために、良心を無視して、隣の店が売るような品物を売り始めたの。
ある時、お客様が来て、オフィス用品を一通りそろえたい、すべて最高品質で、と言われた。私は何度も言ったわ。商品はすべて最高品質のもので、生涯保証付きですと。そのお客様を安心させて、注文をもらいたかったから。そしてお客様が帰った後、お客様が選んだ商品を、見た目は高級品と変わらない安物に変えたの。仕入れ値がかなり安いものよ。でも配達の時、心が落ち着かなかった。こう思ったわ。「もし気づかれて返金を求められたら、お金の損失だけじゃなくて、堂々とうそをついたことを責められる」と。そう思うと余計に緊張して、ドキドキした。お客様の目を見ることができなかった。でも意外にも、お客様は商品をチェックしても何も言わなかった。やっと少し緊張がほぐれたわ。支払いが完了した時、数万元も多く儲かったの。罪悪感は確かに感じたし、不誠実で倫理に反すると分かっていたけど、こんなに簡単に大金を稼げて、心の中で喜ばずにはいられなかった。しばらくして、私がついたたくさんの嘘が、多くの問題を招くようになった。偽物を売りつけたお客様に修理を依頼された時、偽物だからアフターサービスなんてなくて、言い訳を並べ立ててごまかすしかなかった。怒ってこんなことを言う人もいたわ。「商売人のくせに、自分が売った商品の責任がとれないなんて、もう絶対に信用できない!」と。お客様にそんな言葉をかけられるのは辛かったけど、みんなやっていることだし、普通でしょと思ったの。だんだんと罪悪感は消えていった。
数年たって、ある程度稼げるようになって生活は楽になったけど、なんの喜びも感じられなかった。それどころかいつも追い詰められてた。偽物を売り続けたから、いつかお客様にばれるんじゃないか、返金を求められたり、通報されるんじゃないかって。そうすればかなりのお金が飛んでいく。評判にも傷がつくし、いろいろウワサされる。そうならないように、いつも頭で考えてたの。クレームの電話が来た時に、どうすればことを丸くおさめられるかって。そんなふうに生きるのはとても辛かった。よく思ったわ。「誠実な商売をして、安物なんかじゃなくお客様が頼んだ商品をきちんと提供すれば、こんなふうにいつも思い悩まずにすむのに」と。「でもお店や家計をやりくりしなきゃいけないし、誠実に商売して、お客様が頼んだ商品を仕入れてたら、利益なんてあがらない。よく言うでしょ。『誠実な商売人なんていない』って。それが今の商売の仕方なんじゃないかしら。ズルをしないと稼げない。だから利益を優先にしよう」そう思って、たまに良心がとがめることもあっても、利益を上げるために、ズルをし続けたの。
2004年、義理の姉妹が終わりの日の全能神の働きを教えてくれた。神の御言葉を読んで、終わりの日の神の働きと確信した私は、教会生活に参加したわ。ある日、次の御言葉を読んだの。「わたしの国には、正直で、偽善的でなく、偽りのない人々が必要だ。誠実で正直な人々は、この世では好かれないのではないか。わたしはまったくその逆だ。正直な人たちがわたしのところに来るのは受け入れられる。わたしはそのような人を喜び、そのような人を必要としてもいる。それこそがわたしの義である」(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第三十三章」〔『言葉』第1巻〕)。「あなたがたは神が誠実な人を好むことを知らなければならない。実質的に神は誠実であり、神の言葉は常に信頼できる。それだけでなく、神の行動は完璧で疑う余地がない。だからこそ神は、神に対して絶対的に誠実な人を好むのである」(『神の出現と働き』「三つの訓戒」〔『言葉』第1巻〕)。これを読んで、神は誠実な人を愛され、誠実で公正な言動を人に求められている知った。神でも人でも、騙したり嘘をついたりすべきじゃない。私は思った。「誠実であることはいいことだわ。心が安らぐし、穏やかな生き方ができる。でもお金が一番の社会では、誠実な人間は愚か者だと思われる。特に商売の世界では、客を騙すのは公然の秘密。誠実さを貫けば、利益を出せずに生活が立ち行かなくなる。人のよさに付け込まれて、だまされるかも。でも神からは誠実な人間になるよう求められてる。一体どうすればいいの?」そこで折衷案を考えた。教会で兄弟姉妹といる時は、誠実な言動を心がけよう。教会では守りに入る必要はないし、誰も私を笑ったりしない。でも、商売では誠実な人間にはなれない。この案を実行することにしたわ。
ある日、お客様が来店して、デスクと椅子を120組購入したの。お客様が選んだのは、ホルムアルデヒドのにおいがしない高級品。私は思ったわ。「お客様が注文したものを他の工場の商品と入れ替えよう。品質は劣るし、ホルムアルデヒドの匂いはするけど、見た目には注文の品とまったく一緒。これで1200元余計に儲かるわ」と。そして質の劣る商品を売ることに決めた。でもその時、ホルムアルデヒドの毒性が頭をよぎって心が乱れた。それでも、どこの店もやってることだわと思い直した。私が騙さなくても、他の店で同じように騙されるわ。どうせなら私が儲けを手にしようと思った。だから罪の意識を感じることもなく、注文の品を安物に変えたの。数日後、配達に行ったら、商品の質と匂いがおかしいことに気づかれた。お客様に言われたわ。「これ有害なんじゃないのか。こんな商売してよくも平気だな。全部返品する!」と。もっと値引きするから全部そのまま引き取ってもらえるように交渉しようとしたわ。でも相手はまるで聞く耳をもたず、絶対に全部返品すると譲らなかったの。どうしようもなくて、120組もの机と椅子を全部持って帰ってきた。惨めな気持ちで家に帰って、こう思ったわ。不実な商売には労力もリソースもかかる。お金を損しただけじゃなく、自分の評判も尊厳も傷ついた。でもこれは自業自得。神の求めに応じて生きていれば、お金はあまり稼げないけど、安物を売りつけて誰かを怒らせることはない。いつも不安で、心がすり減ることもない。私は人を騙そうとして、他人も自分も傷つけた。神の御前で祈った。「神よ、あなたは人に誠実さを求められます。でも私は不実な商売をやめられなかった。今日のことは、きっとあなたのいましめでしょう。こんなふうに生きることの辛さを十分味わいました。もう人を騙したくありません。誠実になれるようお導き下さい。精一杯、あなたの求めに応じます」と。
そしてある日、デボーションの時に次の一節を読んだの。「わたしは人の心の奥底を探る神である。本音と建前を使い分けてはならない。わたしにはあなたのすることがすべてはっきりと見えている。他の人を欺くことはできても、わたしを欺くことはできない。わたしにはすべてがはっきりと見えているのだ。何も隠すことはできない。すべてはわたしの手の中にある」(『神の出現と働き』「キリストの初めの言葉、第四十四章」〔『言葉』第1巻〕)。「誰かから金銭をだまし取っても、自分には何も起こらないと思いますか。その金銭を騙し取った後、何の結果も生じないと思いますか。そのようなことはあり得ません。必ず結果が生じます。自分が誰であろうと、あるいは神がいることを信じようと信じまいと、すべての個人は自分の行動に責任を負い、その行動による結果を背負わなければなりません」(『神を知ることについて』「唯一無二の神自身 X.」〔『言葉』第2巻〕)。「神が人に誠実であることを求めるのは、神が欺瞞に満ちた人間を心から忌み嫌い、好まないことの証明である。神が欺瞞に満ちた人間を嫌うというのは、そのような人たちの行動、性質、そして動機を嫌うということである。つまり、彼らの物事の仕方を嫌うのだ。それ故、神を喜ばせるにはまず、自分たちの行動とあり方を変えなければならない。かつて、わたしたちは人のあいだで生きるために嘘と見せかけに頼りました。それがわたしたちの資本であり、生存基盤であり、いのちであり、自分の行動規範だったのですが、神はそのすべてを嫌いました」(「正直であることの最も基本的な実践」『キリストの言葉の記録』)
神の御言葉から感じたのは、神の性質の義と聖さ、そして背きへの不寛容です。神は人の言動をつぶさに精査され、最終的に人間は自分の行いにあった報いを受ける。不正をとがめられずお金を稼げたとしても、その報いはあとで来るの。死ねば地獄に送られ、懲罰を受ける。それが天の決まりです。自分の愚かさを思い知り、こう思った。兄弟姉妹には誠実に振る舞う一方で、商売では人を騙した。利益を損なうことなしに、神の御機嫌を取り、あとで祝福を得るために。小手先のやり方で人は騙せても、神は騙せない。返品された机と椅子で大金を損しました。それは神のいましめであり、警告と救いでもあった。この経験がなければ、自分を甘やかし人を欺き続け、最後にはその報いを受けていたわ。そう考えると少し恐ろしさを感じて、自分を振り返り始めたの。商売を長年やってきたけど、自分の良心に背き、お客様が注文した高級品を安物に変えて利益を増やしてきた。嘘をつき、人を欺き、安物を高級品だと偽り続けた。信仰に入ってからも、人も神も騙さず、誠実な人間になることが神の求めだとわかっていたのに、客を欺き嘘をつき続けた。利益を増やし、汚いお金を稼ぐために。お金のためなら手段を選ばなかった。あごきな商売をして、人を騙し、サタンに堕落させられ、良心も理知もなかった。ずる賢く、利己的で卑しく、人間らしさを欠いた悪魔のように生きていた。主イエスも仰ったわ。「あなたがたは自分の父、すなわち、悪魔から出てきた者であって、その父の欲望どおりを行おうと思っている。彼は初めから、人殺しであって、真理に立つ者ではない。彼のうちには真理がないからである。彼が偽りを言うとき、いつも自分の本音をはいているのである。彼は偽り者であり、偽りの父であるからだ」(ヨハネによる福音書 8:44)「あなたがたの言葉は、ただ、しかり、しかり、否、否、であるべきだ。それ以上に出ることは、悪から来るのである」(マタイによる福音書 5:37)悪魔だけが常に噓をつき人を欺く。私もそう。まるで悪魔のようだったわ。人間らしさはなかった。そう思うと自分が本当に嫌になり、もう自分の利益のために嘘をつくのはやめようと思った。そして次の御言葉を読んだの。「正直な人であり、心の中にあるごまかしを取り除くために神に祈りなさい。常に祈りを通して自分を清め、祈りを通して神の霊に動かされなさい。そうすれば、あなたの性質は次第に変化する」(『神の出現と働き』「祈りの実践について」〔『言葉』第1巻〕)。「誠実であるということは、自らの心を神に捧げること、万事において神に真実であること、万事において神に隠し立てしないこと、事実を隠さないこと、立場の上および下の人を欺こうとしないこと、神にこびへつらうためだけに行動しないことを意味する。要するに、言動において純粋であり、神も人も欺かないということである」(『神の出現と働き』「三つの訓戒」〔『言葉』第1巻〕)。御言葉は私に実践の道を与えてくれた。誠実な人間になるためには、神にすがり、堕落した性質から抜け出せないことについて神に祈らなければ。商売の中でお金や利益に関する話が出た時も神に祈り、神の精査を受け入れ、正しい人間になろうとしなければ。嘘をつくことなく、言動においても事実から真理を求めなければ。これに気づいた時、神に祈ったわ。神の精査を受けいれ、御言葉を実践しますと。
それから間もなく、スチールキャビネットの注文が入った。作りが頑丈な品質の良いものが欲しいとのことだった。その時思ったの。「希望の商品を発注したら、経費や仕入れ値を引くと儲けがほとんどない。少しランクを落としても気づかれなければ、1万元以上の儲けになる。そこまで頑丈じゃない商品にしたらどうかしら?」そう逡巡している時に、人を騙したらどうなるか、ということを思いだしたの。何も得られないどころか、お金も心の平穏も失う。誠実な人は神を喜ばせ、神の祝福を受けられる。神は真実だけを語るよう私たちに求められている。良心を無視して、お金のために人を騙すことはできない。そしてこの状況は、神が用意されたものだと気づいた。私が神の御前で告げた決意が本物かどうかを試すために。だからこう祈った。私を誘惑から守ってください。真理を実践し自分を捨て、神が望む通り誠実な人間になる強さを下さいと。そう祈ると、心強さを感じた。そしてお客様の要望通りのキャビネットを発注した。儲けは少なくなっても、心はとても穏やかだった。御言葉に沿って誠実さを実践することのすばらしさを感じたわ。バレたらどうしようと心配することもなかった。
その後、次の御言葉を読んだの。「ひどく汚れた地に生まれ合わせて、人は社会に駄目にされ、封建的倫理の影響を受け、『高等教育機関』で教えを受けてきた。時代遅れの考え方、堕落した倫理観、さもしい人生観、卑劣な人生哲学、全く価値のない存在、下劣な生活様式と風俗、これらはすべて人の心をひどく侵害し、その良心をひどくむしばみ、攻撃してきた。その結果、人はますます神から離れ、ますます反対するようになった。……真理を耳にしたときでさえ、暗闇に生きる人々はそれを実行に移そうとは考えず、たとえ神の出現を見たとしても、神を探し求める気持ちにはならない。こんなにも堕落した人類にどうして救いの可能性があり得ようか。どうしてこんなにも退廃した人類が光の中に生きることができようか」(『神の出現と働き』「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」〔『言葉』第1巻〕)。「人が神の働きを経験し、真理を得るまで、人を内側から管理し支配するのはサタンの本性です。この本性は具体的に何を伴っているでしょうか。例えば、あなたはなぜ利己的なのですか。なぜ自分の地位を守るのですか。なぜあなたの感情はそんなに強いのですか。なぜそうした不義な物事を好むのですか。なぜそのような悪を好むのですか。あなたがそのような物事を好む根拠は何ですか。それらの物事はどこから来るのですか。あなたはなぜそれらを喜んで受け入れるのですか。それらの物事の背後にある主たる原因として、そこにはすべてサタンの毒が含まれていることをあなたがたは今ではみな理解しています。サタンの毒とは何かといえば、それは言葉で十分表現できます。例えば、邪悪な行いをする人に、なぜそのような事をするのかと聞くならば、こう答えるでしょう。『己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす』。この単純な言葉が問題の根源を表しています。サタンの論理が人々のいのちとなり、人はさまざまな目的で物事を行うかもしれませんが、とにかく全て自分の為に行います。『己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす』のだから、人は自分のために生き、自分にできるあらゆることをして良い地位を確保し、必要な食べ物や衣類を手に入れなければならないと、人はみな考えます。『己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす』。これが人のいのちであり、哲学であり、また人間の本性を表しています。この言い習わしこそサタンの毒であり、人の中に取り込まれるとそれは人の本性となるのです。サタンの本性はこの言葉をとおして暴露されています。サタンの本性を完全に表現しています。この毒は人のいのちとなり、人の生存の基礎ともなります。何千年もの間、堕落した人類はこの害毒に支配されてきました」(「ペテロの道を歩むには」『キリストの言葉の記録』)。御言葉が教えてくれたのは、私が嘘と偽りから抜け出せない理由だった。それは、サタンに深く堕落させられていたから。サタンは社会や教育を使って、サタンの法を私に刷り込む。「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」「金はすべてではないが、金なしで何もできない」「金があれば鬼にひき臼を回させることができる」「お金はすべてに勝る」そして「誠実な商売人などいない」というのもある。それが心に入り込み、私の本性になった。そのせいでお金を崇め、利益のために少しずつ、最も基本的な基準を捨てていったの。どんどん邪悪で、欲深く、利己的になった。自分勝手で不実だった。商売人として、安物を売りつけ、知らずに人に害を与えていた。何よりもお金と個人の利益を優先した。良心も人格も惜しくなかったの。人間性を完全に失ったわ。お金はたくさん稼げたけど、全然幸せじゃなかった。むしろ、いつも疲れて、カリカリして、辛い生き方だった。そしてついに気づいた。サタンの生存法則を生きていたこと、サタンに堕落させられていたことがすべての元凶だと。それと同時に、最近の世界が暗くて邪悪な理由もわかった。それは人々が「人間は金銭のために身を滅ぼし、鳥は餌のために身を滅ぼす」や「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」という毒を生きているせい。邪悪な悦びのために、お金、名声、地位、欲望を崇めるようになり、どんどん利己的で欲深く、邪悪な人間になる。金や利益をめぐって争い、たとえ家族や友人であっても、互いを傷つけ、騙し、手段を選ばない。良心や人格を気にすることなどなく、とても人間だと思えない。サタンに支配されたこの社会は、まるで染料缶や、肉挽き機のよう。神への信仰なしに、サタンによる人の堕落の真相を知る術も、その悪い影響から逃れる術もないの。どんどん堕落し、腐敗し、最後にはサタンの餌食になる。それが、サタンが堕落させ傷つけた者たちの末路。それに気づいて、神の御加護と救いに感謝したわ。全能神の御言葉の導きや糧、裁きがなければ、誠実な人間になることの重要さがわからなかった。嘘をつき続けることの本質も、末路も知ることはなかった。サタンに支配されたまま、人を欺き続け、人間らしい生き方を失っていたわ。どれほどお金を稼いでも、最後には地獄で懲罰を受ける。それ以降、商売でも嘘をつかず、誠実であろうとした。時々、お金の誘惑に目がくらみ、人を騙したり欺こうと考えることもあったけど、それは神にも人にも嫌われることだと分かってた。だから自分の誤った心を捨て、誠実になれるよう神に祈った。驚いたことに、そのように実践しても、稼ぎが減るどころか、商売は繁盛し、顧客も増えたの。みんなに尊敬されたし、お客様の信頼も得られた。来店せず電話で発注をすますリピーターのお客様もいた。誠実さを心掛け、御言葉を実践することで、心の平穏と自由、安らぎを知れた。
ある時、お客様がスチールキャビネットを500台注文したの。素材の厚みは0.7ミリに指定された。ためらうことなく、お客様が求めた品物を発注したわ。品物を配達した時、そのお客様がノギスで厚みを測定し始めたの。でも不安も心配もなく、冷静でいられたわ。測定が終わると、こう言われた。「あなたは信頼できる。金にがめつくて信用できない連中が多い中、あなたみたいな人はめずらしい。また注文させてもらうよ」と。それを聞いて、御言葉の通り誠実な人間になることのすばらしさを実感した。神がおっしゃる通りです。「将来の方向性は次のようになる。神の口から言葉を得る者は、地上で歩むべき道を知っており、ビジネスマンや科学者であれ、あるいは教育者や実業家であれ、神の言葉のない人には、一歩進むことさえ難しく、彼らは真の道を求めることを余儀なくされるだろう。『真理とともに世界中を歩む。真理なくしては、どこへも至ることができない』とはこのことを言うのである」(『神の出現と働き』「千年神の国が到来した」〔『言葉』第1巻〕)。神の救いに感謝!