終わりの日の全能神の働きを学び始めてから、宗教指導者たちは、全能神をはげしく非難して真の道を学ぼうとする私たちを、あらゆる手を使って邪魔してきます。ユダヤ教のパリサイ人が主イエスに逆らい非難したのと同じです! 考えていたんですが、なぜ働くために神が二度も受肉して2度とも宗教界や無神論政府による集団的な非難と迫害を受けたのでしょうか? 人類を清めて救うために真理を語って働くだけのために、終わりの日に全能神がお見えになりました。宗教界と中国共産党政府はなぜキリストをそんなに恨み、メディアと武装警察まで動員してキリストを非難、冒涜し、逮捕、壊滅をねらってるんでしょうか。ヘロデ王がユダヤの王である主イエスが生まれたと聞いてベツレヘムにおいて、2歳未満の男児の虐殺を命じ、キリストを生かしておくより、何千もの無実の赤ん坊を殺すことを選んだことを思い出しました。人類を救うため神様が受肉されたと言うのに、なぜ宗教界と政府はそれを喜ばず狂ったように神様の出現と働きを非難し侮辱するのでしょう? 国中の資源を使い尽くしてまで、キリストを十字架につけたのはなぜでしょう。なぜ人類はこんなに邪悪で、神様に恨みを抱くのでしょうか?

2019年4月3日

回答:この質問ですが、非常に重要なものです。完全に理解しているのは全人類でもほんの数名です。なぜ人類が激しく神様に背くのかは大きな注目を浴び、受肉したキリストが十字架に磔にされるという歴史的悲劇は繰り返されているんです。それは事実です。主イエスは、「そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない(ヨハネによる福音書 3:19-20)と言われました。「もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい(ヨハネによる福音書 15:18)。「この時代は邪悪な時代である(ルカによる福音書 11:29)。ヨハネの第一の手紙5:19にもあります。「全世界は悪しき者の配下にある」。人類のキリストに対する行動と態度から全世界が完全にサタンの支配下にあり操られていることは十分証明できます。今日、宗教界の牧師や長老のほとんどがキリストに逆らい、非難し、否定する人々であり、宗教界はずっと以前から偽善的パリサイ人と反キリストの支配下におかれていたことがわかるはずです。ですから、神が受肉して現われ働くとき宗教界の牧師や長老たちは真っ先に立ち上がり、神様を非難し、逆らうのです。中国共産党政府は真理を憎み神様にはむかう悪魔の政権で、ずっとクリスチャンを逮捕し、迫害してきました。終わりの日のキリストが中国で働くために現れたとき、中国共産党政府は無法にも残酷にキリストを追われ、捕まえ殺そうとして、世界に波紋を呼びました。この事実は主イエスの預言を完全に成就しています。「いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう。しかし、彼はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない(ルカによる福音書 17:24-25)。人類を贖い救うために神様は2度受肉されて、語り、働かれ、二度とも宗教指導者や権力者たちによる非難、冒涜、追跡に苦しまれたというこの事実が、この世は闇にあり、邪悪であり、人類が酷く堕落してしまったということを十分に証明しているのです。人類は、真理に飽き、真理を忌み嫌うほど堕落し、退廃してしまいました。サタンになりその子孫となり、神が存在することさえ我慢できなくなりました。だからこそ、受肉した神の現れと働きは必然的に迫害と放棄に苦しむのです。なぜ人類は神様に背くのか、全能神はこの真理について明らかにされているので、その御言葉を何節か読んでみるとはっきりわかります。

全能神は言われます。「人類は今日まで、何万年もの歴史を通して発展してきた。しかしわたしが当初創造した人類は、はるか昔に堕落へと落ち込んでしまった。人間はすでにわたしが望んだ人間ではなく、そのためわたしの目にはすでに、人類という名前に相応しいものではなくなっている。むしろ彼らはサタンによって捕われた屑であり、サタンに取り憑かれサタンを内に宿した生きる屍である。人々はわたしの存在を信じておらず、わたしの到来を歓迎もしない(『神の出現と働き』「本物の人とは何を意味するのか」〔『言葉』第1巻〕)

人が神に反対し、反抗する根源はサタンによる堕落である。サタンによって堕落させられたので、人の良心は麻痺してしまい、不道徳になり、考え方は低下し、逆行する精神状態を持ってしまった。サタンによって堕落させられる前は、人はもちろん神に従い、神の言葉を聞いた後それらに従っていた。人は健全な理知と良心を生来持っており、人間性も正常であった。サタンによって堕落させられた後、人が本来持っていた理知、良心、人間性は鈍くなり、サタンによって損なわれ、したがって人は神に対する服従や愛を失った。人の理知は異常になり、性質は動物の性質と同じになり、神に対する反抗はますます頻繁になり、深刻になっている。しかし、人はまだこのことに気づかず、認識せず、単に盲目的に反対し、反抗している(『神の出現と働き』「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」〔『言葉』第1巻〕)

人類はわたしに対抗し、反逆する邪悪な者である。人類はわたしに呪われた邪悪な者の子孫以外の何ものでもなく、わたしを裏切った大天使の末裔以外の何ものでもない。人類ははるか昔にわたしに拒絶され、以来和解し難い敵となった悪魔の遺産以外の何ものでもない(『神の出現と働き』「本物の人とは何を意味するのか」〔『言葉』第1巻〕)

サタンは国家政府や有名人や偉人の教育と影響力を通して人間を堕落させます。彼らの嘘とたわ言が人間のいのちと本性になったのです。『己を怠る者は天罰を受け地が滅ぼす』はサタンの有名な格言であり、全ての人に浸透し、人のいのちとなっています。ほかにもこれに類似する処世哲学の格言があります。サタンは各国の洗練された伝統文化を用いて人々を教育し、人類を果てしない破滅の淵へと陥れます。そして最終的に、人間はサタンに仕え神に抵抗したために神に滅ぼされるのです(「どのようにして人間の本性を知ればよいか」『キリストの言葉の記録』)

ひどく汚れた地に生まれ合わせて、人は社会に駄目にされ、封建的倫理の影響を受け、『高等教育機関』で教えを受けてきた。時代遅れの考え方、堕落した倫理観、さもしい人生観、卑劣な人生哲学、全く価値のない存在、下劣な生活様式と風俗、これらはすべて人の心をひどく侵害し、その良心をひどくむしばみ、攻撃してきた。その結果、人はますます神から離れ、ますます反対するようになった(『神の出現と働き』「性質が変わらないままなのは、神に敵対していることである」〔『言葉』第1巻〕)

人類が社会科学を考案して以来、人の精神は科学と知識に占領されてしまった。それから科学と知識は人類を支配する道具となり、もはや神を礼拝するための充分な余地は人にはなくなり、神を礼拝するための好ましい条件もなくなった。人の心の中で占める神の位置はどこまでも低められた。心の中に神が無いまま、人間の内面世界は暗く、希望も無く、空虚である。そのため、人類の心と精神を満たすために多くの社会科学者や歴史家、政治家が登場し、社会科学の理論や人類進化の理論、神が人を創造したという真理に矛盾するその他の理論を発表した。こうして、神が万物を造ったという真理を信じる人はますます少なくなり、進化論を信じる人の数はさらに増加した。神の働きの記録と旧約聖書の時代の神の言葉を神話や伝説として取り扱う人々はますます多くなっている。人々の心は、神の威厳と偉大さに、神が存在し万物を支配しているという信条に対して無関心になっている。人類の生存、そして国家と民族の運命はもはや人にとって重要ではなく、人は飲食と快楽の追求にしか関心のない虚しい世界に生きている(『神の出現と働き』「附録2:神は全人類の運命を支配する」〔『言葉』第1巻〕)

神の足跡と顕現を積極的に探し求める者は一人もいない。また進んで神の配慮と加護の中で生存しようとする者もいない。その代わりに、この世と邪悪な人類が従う生存の掟に適応するために、邪悪な者、サタンの腐敗に頼ることを人は望む。この時点で人の心と霊は、サタンへの貢物となり、その餌食となった。その上、人間の心と霊はサタンの住みかとなり、サタンの恰好の遊び場となった。こうして人間は、人間であることの原則について、また人間存在の価値と意義についての理解を気づかないうちに失うのである。神の律法、そして神と人の間で交わされた契約は、人の心の中で次第に薄れ、人は神を求めることも神に注意を払うことも止めてしまう。時間が経つにつれ、人は神が人間を創造した理由も、神の口から出る言葉や神から来る全てをもはや理解しなくなる。それから人は神の律法と掟に抵抗し始め、人の心と霊は麻痺してしまう……。神は自らが最初に創造した人間を失い、人間はその始まりの根源を失う。これが人類の悲哀である(『神の出現と働き』「神は人間のいのちの源である」〔『言葉』第1巻〕)

数千年にわたり、この地は不浄の地であった。耐えがたいほど汚れ、悲惨に溢れている。至る所に幽霊がはびこり、欺し偽り、根拠のない言いがかりをつけ[1]、冷酷かつ残忍であり、この幽霊の街を踏みつけて屍だらけにした。腐った屍の悪臭が地を覆い空気に充満し、そこは厳重に守られている[2]。誰が空の彼方の世界を見ることができようか。悪魔は人間の身体全体をがんじがらめにし、両眼を見えなくし、両唇を堅く封じる。魔王は数千年前から現在にいたるまで猛威を振るい、幽霊の街を堅固に警備しており、それはあたかも難攻不落の悪魔の城のようである。一方、警護に当たる番犬の群れが睨んでいる。番犬は神による不意討ちで完全に滅ぼされるのを深く怖れるあまり、平和と幸福の余地はない。このような幽霊の街の住民が神を見たなどということが、どうしてありえるだろうか。住民は神の優しさや愛しさを享受したことがあるのか。人間世界の物事をどのように認識しているのか。そのうちの誰が神の切なる望みを理解できるのか。肉にある神が完全に隠れたままであっても、不思議ではない。悪魔が残忍非道をはたらく暗黒社会において、眉一つ動かさずに人々を殺す魔王が、愛しく優しく聖い神の存在をどうして容認できようか。どうして魔王が神の到来に喜び喝采を送ることができようか。卑屈な者ども。彼らは恩を仇で返し、神を侮って久しく、神を虐待し、残忍を極め、神を少しも敬うことなく、強奪や略奪を行い、良心を完全に失い、良心にすっかり逆らい、純真な人々を誘惑し無分別な状態に陥れる。遠い昔の祖先とは何なのか。愛すべき指導者とは。彼らは皆、神に反抗している。その干渉により、地にある者すべてが闇と混沌に陥れられている。宗教の自由だと。市民の正当な権利と利益だと。そのようなものはどれも罪を隠蔽する手口である。……なぜ、神の働きに対してそのような難攻不落の障害を建てるのか。なぜ神の民を欺くために様々な謀りを用いるのか。真の自由と正当な権利と利益はどこにあるのか。公平さはどこにあるのか。安らぎはどこにあるのか。温もりはどこにあるのか。なぜ偽りに満ちた謀りを用いて神の民を欺すのか。なぜ力ずくで神が来るのを抑制するのか。なぜ神が創った地の上を神に自由に移動させないのか。なぜ神が枕するところもなくなるまで神を追うのか。人間の温もりはどこにあるのか。人間の歓迎はどこにあるのか。なぜそれほどまで絶望的な思慕を神に引き起こすのか。なぜ神に何度も叫ばせるのか。なぜ神にその愛する子について憂わせるのか。この暗黒社会において、なぜ哀れな番犬は神自らが創った世界を神に自由に行き来させないのか(『神の出現と働き』「働きと入ること〔8〕」〔『言葉』第1巻〕)

全能神は、人類の堕落の根源と現在の状況について、詳しく説明して下さっています。全能神の御言葉を読むと、なぜ世界は多くの闇と悪に満ち、なぜ人類は神に激しく逆らいまた、サタンによる人類の堕落についての事実と本質は何かなど、ある程度理解できるでしょう現代の悪と闇は、サタンの手により人類が堕落していることを証明していますが、神様の出現を渇望し、その再臨を歓迎する者がどれくらいいるのでしょう? 神の言葉を聞き真理を受け入れようとする者は? 終わりの日の神の働きを学んだ者は? 大半の人々はこれらの事を見て見ぬふりをするだけでなく、悪魔的な中国共産党政府の嘘に耳を傾け、サタンの勢力に手を貸し、全能神を拒み、非難しています。これは誰もが知っている事実です。神を信じる人は多くいるものの、真理を受け入れ真理を求め本当に神に従う者はどれくらいいるでしょう? 主イエスが御働きのため現れたとき、ユダヤ教の人は皆、祭司長や律法学者、パリサイ人に従って主イエスを拒み、非難しましたね。終わりの日に全能神がその働きのためにお現れになると、宗教界の指導者のほとんどが全能神を拒み、非難し、教会を封鎖してまで信者が真の道を学ぶことを許しません。これは、今の世の中が闇と悪に満ちていることを十分に証明しています。人類は真理に飽き、真理を忌み嫌い、神様に対立することを選んでいます。世界が闇でおおわれ、悪がはびこっているのは、サタンが人類を支配し、この世のすべてが悪の領域にあるからです。過去数千年の間サタンは、無神論や進化論、唯物論、その他の異端思想を使い、人類を堕落させてきました。これによって人類は、魔王やにせの偉人の嘘を信じ、崇拝するようになりました。例えば、「神や救い主などいない」「人は天と地と戦い、自然を征服する」「人の運命は自身の手の中にある」「己を怠る者は、天罰を受け地が滅ぼす」「心で労苦する人は他人を支配し、手により労苦する人は他人によって支配される」「金があれば鬼にひき臼を回させることができる」「度量小さければ君子にあらず冷酷にあらざるは男子にあらず」などこのような邪悪な教えや誤謬によって人類は欺かれて堕落し、傲慢で不正直、利己的で貪欲、かつ邪悪になってしまったのです。人間性や道徳また良心や理性について語る者も正直さを語る者もいません。名声と地位のために人は互いに争い、企み、欺き、殺し合う。相反する利益のために、国と国は絶え間なく争い続ける。これこそまさに、サタンによる人類堕落のなれの果てではないでしょうか? このことから人類はサタンによって完全に堕落させられサタンの同族、サタンの子孫になってしまったことがわかります。人類は神に敵対する邪悪な勢力になっています。ですから神が二度も受肉して人のあいだで語り働きをしても、堕落した人類は二度とも神に逆らい非難し神を見捨て十字架につけることまでするのです。これが人類が神に逆らう理由です。

ご存知の通り、中国共産党は60年以上中国を支配するあいだ宗教を抑圧し続け、キリスト教とカトリックをカルトだと言い、聖書を破棄すべきカルトの書だとしたり至るところで、教会や十字架を撤去し、クリスチャンを逮捕し、拘留、投獄し、その結果、多くのクリスチャンが居場所や家を失くしました。数え切れないほどの人々が宗教の権利、生存権さえも奪われ、多くのクリスチャンの家族は公務から外され、子供たちは大学での教育や就職活動を邪魔され、そして国を出ることさえ禁止されていました。言わば中国は、宗教の自由も存在せず、生存権さえも制限された地獄の監獄になったんです。中国共産党は、神を信じる者を生かしておかず、死に追いやるでしょう。東方閃電に対する中国共産党の狂気じみた抑圧と攻撃は、世界中を騒がせていますが、なぜこれほど殺気立って神に逆らい反対するのか多くの人はわかっていません。それは受肉された全能神が多くの真理を表し、『言葉は肉において現れる』という本で、宗教界を動揺させたからです。主を信じている人の多くは、全能神の発言を聞いて、それは神の声であり働きであると確信し従う決意をしたからです。全能神に従う人の数が増え続けるので、中国共産党はパニックに陥り、神様に証する数多くの信者たちを逮捕し、『言葉は肉において現れる』を何冊も没収しました。毎日のように調べ上げるにつれて、この本がどれだけ驚異的なものかがわかってきたようです。全てを征服する力があるから中国共産党がどんなに全能神を中傷し批判し信用を傷つけようとしても、『言葉は肉において現れる』を世間一般に知られまいとし、全能神が発言されたことについて、一切言及しないようにしています。なぜ当局は『言葉は肉において現れる』を隠そうとするのか? それは、神様が出現され東方で働いておられる、つまり、人類に希望を与える救い主として現れたことを全世界に知られたくないからです。なぜ中国共産党は、人々が『言葉は肉において現れる』を読むのを恐れるのでしょう? それは、この本こそが神様の声であり、真理を発し、東方に現れた真の光だからです! 中国共産党は最も邪悪で、真理を最も憎むサタンの政権です。人間の世界で全ての真理が知られ人類がそれを受け入れ、地上にキリストの御国が現れ、神様が人の世を支配する王として権力を握ることを恐れています。だから狂ったようにキリストを追い回し、マスコミを利用してプロパガンダを流し、全能神教会を冤罪に陥れたり、濡れ衣を着せたり、その信用を傷つけようとしています。国家武装警官を動員してまで神の選んだ者を圧倒的に弾圧し逮捕し迫害するのです。神に選ばれた者は隠れる場所もなく中国共産党の迫害を逃れるため外国へ行き、中国共産党政府は邪悪な手を海外にまで伸ばし、政治、経済、外交手段を利用して圧力をかけ、海外に逃げたクリスチャンを中国に送還させ拷問迫害しようとしています。それだけでは足らず、中国共産党は海外に逃亡したクリスチャンの親族を逮捕して迫害し、人質として、全能神教会を脅すのです。強制的にパスポートを取得させて、海外の各国にある全能神教会へ送り、混乱させ共産党は外交ルートを通じて噂を流して惑わせ、陥れて中傷したり世論を操り、全能神教会への信頼を傷つけようとしています。中国共産党は他国の政府と国民に全能神教会を拒絶するように、逃れて来た信者を引き渡すようにそそのかし、全能神教会の海外の福音活動を妨害して制限し抑制するという邪悪な目的を達成させるつもりです。中国共産党は真理を嫌い神を憎む悪魔サタンだと思いませんか? 中国共産党は人を残酷に虐待し魂を滅ぼすことに長けていて骨までも人を食いつくす悪魔です。

映画『天国への危険な道』より引用

脚注

1.「根拠のない言いがかりをつけ」とは、悪魔が人間を害する方法を指す。

2.「厳重に守られている」とは、悪魔が人間を害する方法が特に残忍であり、人間を強く支配するので、人間には動き回る余地がないことを指す。

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