悪魔に取り憑かれるとは何か。悪魔に取り憑かれることの表れは何か
関連する神の言葉:
この時代に、しるしや不思議を起こし、悪霊を追い払い、病人を癒やし、多くの奇跡を行える人が現れて、またその人が自分は再来したイエスであると主張したなら、それはイエスのまねをしている邪霊による偽物である。これを覚えておきなさい。神は同じ働きを繰り返さない。イエスの段階の働きはすでに完了し、神は二度と再びその段階の働きをしない。神の働きは人間の観念とは相容れない。たとえば、旧約聖書はメシアの到来を預言し、この預言の結果はイエスの出現であった。これはすでに起きたことであり、別のメシアがまた来るというのは間違っている。イエスはすでに一度来た。だから、イエスがこの時代に再び来るというのは間違いである。すべての時代には一つの名前があり、名前はそれぞれ各時代の特徴を含んでいる。人間の観念では、神は常にしるしや不思議を見せ、病人を癒やし、悪霊を追い払い、いつでもイエスのようでなければならない。しかし今回神はまったくそのようではない。もし終わりの日に神がいまだにしるしや奇跡を示し、まだ悪霊を追い払ったり病人を癒やしたりしていたら、神がイエスとまったく同じようにしたならば、神はイエスと同じ働きを繰り返していることになり、イエスの働きは無意味で無価値ということになる。だから、神は時代ごとにひとつの段階の働きをするのである。ひとたびその段階の働きが完了すれば、すぐさまそれを邪霊がまねをし、サタンが神のすぐ後ろをついてくるようになれば、神は方法を変更する。ひとたび神が一つの段階の働きを完了すると、邪霊がまねをする。このことをよく理解しなければならない。
『神の出現と働き』「今日の神の働きを知ること」(『言葉』第1巻)
悪霊に取りつかれ、「わたしが神だ!」と声高に叫ぶ人がいる。しかし最後に、彼らは暴かれる。と言うのも、自分が表わすものについて、彼らは間違っているからである。彼らはサタンを表わし、聖霊は彼らに何の注意も払わない。どれほど高く自分を称揚しても、どれほど力強く叫んでも、あなたは依然として被造物であり、サタンに属する者である。わたしは決して、「わたしは神である、神の愛するひとり子である」と叫ばない。しかし、わたしが行なう働きは神の働きである。わたしに叫ぶ必要があるだろうか。称揚の必要はない。神は自身の働きを自ら行なうのであり、人に地位や敬称を与えてもらう必要はない。神の働きは神の身分と地位を表わすのである。バプテスマに先立ち、イエスは神自身ではなかったのか。受肉した神の肉体ではなかったのか。イエスは証しをされて初めて神のひとり子になった、などと言うことは到底できない。その働きを始めるずっと以前、イエスという名の人間がすでにいたのではないか。あなたは新しい道を生み出すことも、霊を表わすこともできない。霊の働きや、霊が語る言葉を表現することもできない。神自身の働きや霊の働きを行なうこともできない。神の知恵、不思議、計り難さ、そして人間を罰する神の性質全体を表現することは、どれもあなたの能力を超えている。ゆえに、自分は神だと主張しようとしても無駄である。あなたには名前があるだけで、実質がまったくないのである。神自身はすでに来た。しかし、誰も神を認識せず、それでいて神は働きを続け、霊を代表して働く。あなたが彼を人と呼ぼうと神と呼ぼうと、主と呼ぼうとキリストと呼ぼうと、あるいは姉妹と呼ぼうと、それは構わない。しかし、彼が行なう働きは霊の働きで、神自身の働きを表わしている。人にどのような名前で呼ばれるか、彼には関心がない。その名前が彼の働きを決定できるのか。あなたが彼を何と呼ぼうと、神に関する限り、彼は神の霊の受肉した肉体である。彼は霊を表わし、霊によって承認されている。あなたが新しい時代への道を切り開けないなら、あるいは古い時代を終わらせたり、新しい時代の到来を告げたり、新しい働きをしたりすることができないのであれば、あなたが神と呼ばれることはできない。
『神の出現と働き』「受肉の奥義(1)」(『言葉』第1巻)
すべてが順調に進んでいる時にはとても普通に他の人と話し、交流する人がいます。悪いことを何一つ行わず、正直に見えます。けれども、集会で皆が集中して神の言葉を聞き、祈り読んでいる時、その人は突然気分が悪くなります。口から泡を吹き、全身を震わせ、涙を流し、ひたすらこう言い続けるのです。「聞きたくない! 聞きたくない!」と。彼らはまったく無意識のうちにそうしています。一体何が起きているのでしょうか。彼らは悪霊に取りつかれているのです。悪霊に取りつかれると、なぜこのように言い続けるのでしょうか。正常な人には決してこのようなことは起きませんが、悪霊にとっては明白です。これは反キリストの中にいる霊です。どうして真理に対してそれほど悪意を抱くのかと尋ねても、「そんなことはない」と頑なにそれを認めません。けれども、心の内では自分が真理を愛していないことを知っています。神の言葉を読んでいない時、他の人との接し方は普通に見えます。その心に何を秘めているか、あなたにはわからないでしょう。それで神の言葉を読もうとすると、「聞きたくない」と言い出すのです。こうして本性が露わになりますが、それが彼らの正体です。神の言葉が彼らを挑発したり、暴いたり、痛い所を突いたりしましたか。していないでしょう。皆が神の言葉を読んでいる時に、彼らは「聞きたくない」と言うのです。そのような人は邪悪ではありませんか。(その通りです。)邪悪とはどのような意味ですか。それは、これといった理由もなしに何かに対して悪意を抱くこと、訳も分からず肯定的なことに激しい敵意を抱くことです。彼らは、本当はこう言いたいのです。「神の言葉を聞くや否や、このような言葉が口から出てくる。神への証しを聞くや否や、反感を抱いてしまう。どうしてかはわからない。誰かが真理を追い求めていたり、真理を愛していたりするのを見ると、その人に挑みたくなる。説教し、隠れて意地悪をし、殺したいといつも思う」。このように言うことで、その人は邪悪な者になります。事実、反キリストは初めから正常な人の霊や正常な人間性をもったことがありません。これが実情なのです。
『キリストの言葉の記録』の「指導者と働き手にとって道を選ぶことが最重要である(5)」より引用
説教と交わりの参考箇所:
悪魔に取り憑かれた人は、悪霊に侵略され、操られてきた人です。その状態はおもに心理的な不調や、時おり不健全な精神状態に陥り正常な理知を完全に失うことに表れます。そのような人は神様を信じていますが、真理を受け入れることができず、混乱をもたらす役割しか果たすことができません。神様を信じながら救われることができず、追放されなければならないのはそのためです。悪霊に取り憑かれた人の大半はサタンの卑しい下僕として行動し、神様の働きを乱します。それは以下の十通りの行ないに表れます。
1.神様やキリストのふりをする人はみな、悪霊に取り憑かれています。
2.天使の霊があるように見せかける人はみな、悪霊に取り憑かれています。
3.別の受肉した神様のふりをする人はみな、悪霊に取り憑かれています。
4.神様の御言葉を自分の言葉だと言う人、自分の言葉を神様の御言葉として他人に扱わせる人はみな、悪霊に取り憑かれています。
5.聖霊に用いられているふりをして、他人が自分に従い、服従するようにする人はみな、悪霊に取り憑かれています。
6.しばしば異言を語り、異言を解釈し、ありとあらゆる超自然的なビジョンを見ることができる人、または他人の罪をたびたび指摘する人はみな、悪霊に取り憑かれています。
7.霊の超自然的な声や霊の音をよく聞く人、幽霊をしばしば見る人、そして精神が明らかに正常でない人はみな、悪霊に取り憑かれています。
8.正常な人間の理知を失ってしまい、異常な言葉を頻繁に話し、しばしば独り言を口にし、無意味なことを語り、神様が自分に指示なさったとか、聖霊が自分に触れたとかよく言う人もまた、みな悪霊に取り憑かれています。
9.異常な振る舞いをすることが幾度となくあり、愚かな行動をし、時に正気を失い、他人と正常に会話できない人はみな、悪霊に取り憑かれた人です。
10.普段はまったく正常でありながら、数ヶ月、あるいは一、二年にわたって刺激を受けたあと、精神的不調を生じる人がいます。そのような状態にあるときは、悪魔に取り憑かれた人とまったく同じです。このような人は時々正常になりますが、彼らもまた悪霊に取り憑かれた人に分類されます。(以前に何年にもわたって精神的不調を抱えながら、その後は何年も良好な状態が続き、信仰において真理を理解して受け入れることができ、いくらかの変化を経ているなら、悪霊に取り憑かれた人には分類されません。)
悪魔に取り憑かれた人はサタンにすっかり占有されて操られ、サタンに属し、呪われています。
『全能神教会における働きの手引き選集』より引用
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